シフォンの幸福論(藤原・橘)
「佐々木さん、遅いね」 シフォンを食べ終わった後の、白くて丸い小皿に視線を落としてあたしが呟くと、「それは独り言なのか、それとも僕に何かを求めているのか分からないな。思考が口をついて出る癖があるのなら直した方がいい。意味がない上に若干迷惑だ。ふん」「…………もう」
あたしは今、市内の喫茶店で甘いものを頂いてます。それも……未来の使者さんと二人っきりで。 どうしてこんな憂鬱な状況になったのか。 考えるまでもなく、佐々木さんとくーちゃんが遅刻しているから。 ちなみにくーちゃんは周防さんのことで、あの人は何においても素っ気なさすぎだから、せめてもの愛嬌としてあたしがそんなあだ名で呼んでみたりしてるだけです。あたしらしくもないと思うけど、この集団に決起を促すためにはまだまだ献身しなければなりません。 「それにしても……」「なんだ?」「あ、いえ、その……なんでもないです」……あう、藤原さんがジト目でこっちを見てる。無言だけど、言わんとしていることはひしひしと伝わってきます。「…………」 はあ。ホントに言葉が漏れちゃう癖がついたのかもしれない。って、これは大丈夫……かな? でも、そうなっちゃうのも仕方がないと言えばそうなのです。 彼もくーちゃんも全然あたし達に協力的じゃないし、肝心の佐々木さんだって自身が持つ重要性に関心がないんだもの。あたしの組織には古泉くんの機関ほど潤沢な資金だってないから、喫茶店のお茶代なんかは自分で出すように言われてる。……悩みが尽きないんだから、それがちょっとくらい外に出てたって良いと思うわ。
そうは言っても、みんなと過ごす時間が嫌いじゃないのは確かなこと。 佐々木さんは気立ての良い人だし、くーちゃんは結構ボケてて可愛いところがある。藤原さんは意外と口が達者で、みんなで街を歩いているときなんか一番よく喋ってる人なのです。その口に「憎まれ」って単語が付属してなければもっといいけど。
それにこのお店で頂けるケーキも美味しいから、お金だって気持ちよく払えます。だけど……。「……ふう」 それだけじゃダメ。あたしの目的はみんなと楽しく遊覧することでも、美味しいケーキを食べることでもないのだから。 カチャリ。 あたしは沈み込んだ表情を浮かべたまま、コーヒーを口元へと運ぶ。……ああ、藤原さんに頼んであげた苺のタルト――全然食べてくれてないな。 要らないんならあたしが貰いた、「……どうした?」「――あ、えっと、んん……」 う……。ずっとケーキ見てたから、意地汚い女だと思われちゃったかもしれない。 もしかして、タルトはあんまり好きじゃなかったのかな? いつも彼の分まであたしが選んで注文してるんだけど、大抵のものは微塵の遠慮もなくパクパク食べてるから。……あたしの払いで。
はぁ。なんだか……自分の不甲斐なさがいたたまれなくなってきちゃいました。
「……ふん」 ひゃ、――いきなり溜息なんかついて、どうしたんだろ。「悩みがあるなら言えばいい。この時間も、あんたが悩んでる時間もそのままだと無駄でしかないんだ。今ここで僕がキミの話を聞くことでもすれば、無為な時間もいくらか生産的になる。その憂鬱顔の理由はなんだ?」 「え……?」――もしかしてこれって、あたしの事を気遣ってくれてる……?「ただでさえこんな場所でキミと二人っきりというのはな、周囲に無用な誤解を招きかねない事態なんだ。その上、片方に落ち込んでいる様子があったらこっちの座りも悪い。しかしそちらが僕に相談を持ちかけていれば、そのことがキミの様子の理由にもなる。僕はそれで十分だから、こちらからの助言なんて期待しないことだな。……まあ、話すだけで楽になるということもある。それに、キミだって壁に話しているよりはいいだろう」 「……ふふっ」「ん……なにがおかしい?」 ……藤原さんは他人の視線が気になるって言いたいんだろうけど、あなたがそんな外聞を気にするような人じゃないってのは分かってるつもり。もしそうだったら、元々そんな憮然とした態度なんて周りに見せないはずです。だから彼は多分、あたしにとても優しい言葉をかけてくれてるの……かな。 「なんだかごめんなさい。でも、あなたのお陰でちょっとだけ元気になれた気がします。あたしのことは気にしないで」「はっ、キミは不思議なことを言っているな。僕は何もやっちゃいない。あんたが元気になったと言うなら、それは自分の分だけでは物足りず僕の洋菓子にまで目をつけているその旺盛な食欲が源だろう」
……今のはカチンと来たのです。「この時代の女性には別腹という器官が存在していると聞いたが、それが一つだと考えるのはある種の固定観念だと言える。ところで、キミの別腹は一体いくつある? 四つ程度か?」
……ぶちん。
「人を牛みたいに言わないで欲しいな。それに目の前で女の子が暇してる時は、その子を楽しませるような話でも振ってあげるべきよ。あなた顔は悪くないから、ちょっと頑張ってみるだけでも十分モテると思うわ」 「ふ」……やけに余裕たっぷりに笑ってます。女の子に関しては心配されるまでもないってことでしょうか? 大丈夫です、はなっから心配なんてしてません。未来でのあなたの色恋沙汰になんてからっきし興味ないもの。 「…………」 と、藤原さんがなにか考えるような面持ちでこちらを見つめています。何となくあたしも、口元に添えたカップをそのままにして見つめ返していると、「……そんなに退屈なら、僕が次元の話でもしてやる」 ものすごい退屈そうな話をすると言ってますが、……その話なら好都合だわ。「そう? じゃあ、先にあたしの知ってる次元の知識を披露します。そっちの方があなたも話し易いでしょ?」「僕はかまわない。キミの知る次元理論がどれ程のものか大方の予想はつくが、聞いてみるのもいいだろう。話してくれ」 ……よしっ。まんまと引っかかりました。あたしは罠に掛かった獲物を見るように苺のタルトを睥睨すると、「ええ。三次元は縦と横と高さで成り立っていて、四次元はそれに時間の要素が加わったものだってこと。三次元の像が立体なら、四次元の像は……」「な、」 あたしはフォークを掴んで藤原さんのタルトへひょいっと伸ばす。そしてタルトを四分の一程切り取って自分の口へと放り込み、ニンマリ顔で、してやったり感と苺の酸味をたっぷり堪能してやりました。 「つまり、立体に時間が加わるってことはケーキが食べられちゃうってこと。ケーキ自体が三次元の像なら、それの四次元像は食べられた後のケーキのふふぁはなのれ……?」 「……人の楽しみを泥棒したのはこの口か……?」 いたいいたい! ちょっとこの人、あたしのほっぺたつねってます! 思わぬ緊急事態なのです!「ごめんあふぁいへふ! あやはりまふから、はにゃしてくらはいへふっ!」 なに言ってるかわからないな、と言いながら微笑に怒気を交えた藤原さんは意外と強い力であたしのほっぺを引っ張ってます! ああ、周りの視線も痛いですっ!「はにゃっ!」「ふん」
うう……ジンジンする……。結構なしっぺ返しをくらってしまったのです。っていうか、もったいぶってないで早く食べちゃえば良かったのに。そういえば、こういう人は良くいますね。寝てると思ってテレビのチャンネルを変えたら怒り出すあたしのお姉ちゃんと同じ類です。……今のはあたしが普通に悪かったけど。 「……一つ聞いておくが、」 藤原さんは何故かバツの悪そうに、「キミはいつもシフォンを注文しているが、シフォンという種類の仲で一番安価なものしか頼まないな。キミはもっと相応に値の張るシフォンを味わったことはないのか?」 ……質問にそのまま答えるなら、味わったことはないのよね。でも他のは高いし、いつも頼んでるシフォンだって十分美味しいからそれでいいんです。これはシフォンが評判のお店で、自分のお財布と相談して決まったとても自然な結論なのです。 「そこがこちらの次元理論と繋がっている。キミにもわかりやすく説明するなら……」 いつの間にかメニューを眺めていた藤原さんはシフォンの欄に目を走らせながらそう話し、店員さんに抹茶のシフォンを注文しました。 ……って、え? 彼は何をしてるのでしょうか? いつもあたしが……興味はあるけどお値段とか諸々の都合で断念してる抹茶のシフォンを頼んだっていうのはわかるけど、それ、どうするんですか?「ふん。これはまだ気にしなくていい。それより、次は僕が話す番だ」 気になるってことで言えば藤原さんの話より今日のあたしのお財布の中身の方がずっと気になるのです。
でもそこはあたしの組織の威信を守るため、素知らぬ振りで彼の話を聞くことにしました。……うう、お金足りなかったらどうしよう。「……聞いているのか?」「え? そうね。もちろん」 聞いてませんよ。頭の中がいっぱいで、他の話なんて――ましてや難しい理論なんて――耳に入らないもの。あなたの話を聞いていて質問したいことって言えば、話が始まってどれくらいの時間がたったのかってことくらいです。 「つまりだ、僕達の世界は三次元に時が加わったものではないということになる。ケーキの姿が変化するのは時の流れによってじゃない。他からの干渉がそうさせるんだ。世界というのは三次元を一つの完成形としてそれが数限りなく集合し、複雑に絡み合って出来ている。だから、四次元なんてものは存在しないんだ」 「……はあ」 とどのつまりを聞いてもよく解らないでいると、ウェイターさんがケーキを運んできました。そして当然のようにあたしの目の前にシフォンを置いて去っていきます。それをあたしが藤原さんの方へ置き直そうとしたら、 「僕はいらない。それはキミに頼んだ分だ。それに、僕の分はまだ残っている」……これは感謝すべきことなのでしょうか? でも、あたしがタルトを食べちゃったから新しく注文したとかじゃなくて良かったです。 釈然としないながらも、甘いものの誘惑に負けてあたしは抹茶のシフォンを頂戴します。すると……「――美味しい!」 前から目をつけてはいたけど、これは新発見なのです! 美味しそうっていうのは感じてても、実際に堪能してみるのとは全然違うなっ。うん、コックさんありがとうなのです! 「……僕は呼称なんてどうでもいいが、コックよりパティシエと言った方が適当じゃないのか?」 む……どうだっていいんです。そんなことは。「フォークをくわえたままこちらを見るのもマナー違反だ。……だが、キミもこれでわかっただろう」「……? なんの話?」「キミはそれを食べることによって、いつも注文していた品がどれほどの代物だったのかを知りえたはずだ。これはいつものシフォンが美味しくないと言ってるわけじゃない。ただ、キミが別のシフォンを知ったことで味覚が相対的になり、それ本来の味の絶対量といえるものを知ることが出来たということなんだ」 頭上に?マークがぽんと出ていたら、「世界は次元と次元との関わりによって成立している。そして自らとは存在を異にするものがあるから、自分を知ることが出来るんだ。甘いものと無糖のコーヒーは相乗効果を生み出し、色んなケーキを食べてみることで個体としてのそれを知ることが出来る……という話なんだ。僕が言いたいのは」 と言って、彼は自分のタルトを食べ始めました。 あたしが暫くポカンとしていると、「……あと、それの支払いは気にしなくていい。僕が払う」 目を合わせないまま、藤原さんは―――え、いいんですか?「自分で頼んだものを自分で払うくらい当たり前だからな。……そうだな。そうなると、今日の分の支払いくらいは僕が持ってもかまわない気もする。僕がキミに代金を渡してキミが店に払うのも、清算の際に払い分けるのも面倒だ。どうせなら僕が全部出したほうが効率がいい」 なんだか疑問の残る理屈ですが、それには口を出さない方が良さそうですね。
……まさか彼がそんなことを言ってくれるなんて予想もしなかったな。「ふん。こんな時くらい、キミの事情を考慮にいれてやろうというだけだ。いつもはキミが勝手に注文しているだけだからな」 ということは、藤原さんはあたしが身銭を切ってるのを知ってたっぽいです。じゃあ、普段から出してくれたっていいのにな。でも……、「……ありがと。なんか嬉しいな」 やっぱり、藤原さんは悪い人じゃない気がします。だってさっきの藤原さんの話は、素直じゃない彼があたしに奢ってくれる為の口実のような気がしてならないもの。
なんだかんだいって、彼は落ち込んでるあたしを気にかけてくれてるんです。きっと。「ふん。これくらいで喜ぶのなら、キミの日常はさぞや退屈なものに違いない。言っておくが、僕が払うのは今日だけだからな」 いいですよ。今日は進展が見られた記念すべき日なのです。あたしの努力もまるっきり無駄じゃないってわかったから、それだけで十分。
藤原さんの雰囲気がいつもと変わってないのはすごいなと思いながら、あたしが抹茶のシフォンを楽しんでいると、「―――わたし、邪魔……?」「ひゃっ、くーちゃん!?」 心臓が止まるかと思いました! いまはドキドキいってますが……それよりくーちゃん、いつからそこにいたんですか!?「九曜さんもわたしも今着いたところ。でも、急がないほうがよかったみたい。せっかくのひとときだったのに、お邪魔しちゃったね。重ねてごめんなさい」「さ、佐々木さん!? 二人ともなにか誤解してるみたいだけど、ずっと待ってたんですよっ。もっと早く……」
…………。 んー。まあ……もう少しゆっくりしてても良かったような。佐々木さん達も――あたし達も。 あたしが言葉を詰まらせていると佐々木さんはくっくっと笑って、「遠くからみているとね、二人は恋人ってくくりでも平均以上って感じがした。一体どんな話をしてたのかな」「えっと、別に……ケーキと次元がどうだって話を……」「―――バカップル……」 な………くーちゃん!? って、佐々木さんも笑わないで欲しいのですっ!「うん。でもね、彼のタルトを貰ってたり、二人がじゃれ合ってる姿を見た九曜さんがそう感じるのは不思議じゃないと思うの。正直、わたしも二人はそういう関係なのかって考えたから」 「んん……! もうっ!」 そんなことばっかり言ってたら、藤原さんが怒り出しちゃいますよ? って、そこの場面から見てたんですか!?「どうだっていい。誤解は誤解でしかなければ、そんなことを気にしていたらこの世界は生きにくいんだ。多種多様な存在が介在するこの世界には、常に偏見と誤解がつきまとうものだからな」 ……藤原さんは、少し前の自分の話と矛盾するようなことを言ってます。だけど……。「……藤原さん?」「なんだ?」
彼が嫌がる素振りをみせないところや、やっぱり藤原さんはあたしを気遣って言葉をかけてくれてたってことがわかったあたしは、ちょっとまんざらでもない気分になったのでした。
「……また、抹茶のシフォンを奢ってくれると嬉しいな」
これはあたしの気持ちが、口から勝手に出ちゃったものなのかもしれません。
彼は無言でコーヒーを飲んでいて、そして、そうやってあたし達の一日が始まったのでした。
了。
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