(消失)長門有希のもしも願いが叶うなら 第3章
今日から短縮授業。もう冬休みは近い。どうりで寒いはずだ。さらに追い討ちをかけるように眠い。昨日遅くまで小説づくりをしていたせいだ。寒さと眠さに打ち勝ち、やっとのことで布団から脱したころには、目覚ましをセットした時刻をだいぶ過ぎており、慌てて支度をして家を飛び出した。睡眠不足の体には寒さと果てしなく続く坂は堪える。 わたしは小走りで坂を登りながら昨日の不思議な出来事について考えようとした。わたしが思いを寄せる人が、急に部室にやってきた。ここまではわたしの書いている小説そのものだ。しかし、小説では泣き崩れるわたしを心配した彼が声をかけるのに対し、現実では何のきっかけもなくいきなり彼が部屋に飛び込んできて、わたしのことを『宇宙人』と言う。事実は小説より奇なりというがいくらなんでも、奇怪すぎるだろう。もしかしたら、昨日の出来事はわたしが部室で居眠りをしていたときに見た夢なのかもしれない。そう思えてくる。 わたしが寒さと眠さと戦いながら坂を登っていると、背後から元気な声が聞こえた。「おはよう」朝倉さんだった。彼女はわたしと同じマンションに住む同級生でわたしの唯一の友人だ。「長門さん。今日も眠そうな顔して。どうせ、夜遅くまで小説書いてたんでしょう」彼女は驚くほど、勘が鋭く、彼女には隠しごとはできそうもない。小説を書いていることも彼女だけは知っている。「ところで」朝倉さんは急に笑顔になる。「昨日、彼に会ったでしょ」これにはたまげた。なぜ、そんなことまで知っているのか。部室に盗聴器でもあるのではないか。「うしろ」彼女が指さした後方に彼がいた。「いま、追い抜いてきたんだけど彼、入部届けを持っていたの。あれ文芸部のでしょ」よくもまあ、そんなところまで観察できるものだと関心してしまう。「彼、文芸部に入るつもりなの」「わからない。彼が昨日いきなり訪ねてきた」「彼の様子はおかしくなかった」「……どうして」「昨日、様子が変だったの。わたしを見るなり、『どうしてお前がここにいる。それはお前の机じゃない。ハルヒのだ』って言うのよ。ハルヒって子が誰だか知らないけど、とにかく様子がおかしかったわ。昨日まで特に変わった様子はなかったんだけど……何か変なこと言ったりしなかった?」 「特に変わったことはなかった」別に彼を擁護しようと思ったわけではないが、何か特別な事情を抱えているだけで気が変になっているわけでもないように思えたのでそう答えることにした。「とにかく、彼には注意した方がいいわ。文芸部に来たのも何か関係あるかもしれないし」やはり彼が部室に来たのは、文芸部に入部しようと思ったから……ではなく別の理由があるのだろうか。もしそうなら、彼はもう来ないかもしれない。不安がよぎった。 授業が終わり、部室に向かう。いつもより歩速が速いのは気のせいではないだろう。彼は来てくれるだろうか。わたしは部室で1人待ち続けた。コンコンノックの音が沈黙を破る。「どうぞ」扉がゆっくり開く。彼だった。「また来てよかったか」でも、彼がどんな顔をしていたかはわからない。恥ずかしくて、顔を上げることができず、視線は本に向けていたからだ。彼は部室に入り、鞄を部屋の隅に立てかけて、本棚を眺めていた。沈黙。わたしは何かしゃべらないといけないと思ったが何を言っていいかわからず、黙って本を読んでいた。本の内容なんて頭に入らなかったのだが。沈黙を破ったのは彼だった。「全部、お前の本か?」「前から置いてあったのもある」わたしは持っていた本の表紙を見せて、「これは借りたもの。市立図書館から」必死に会話をつないだ……つもりだったが、ここで会話が途切れてしまった。再び気まずい沈黙が続く。何か話しかけなければと思うが、こういうときどういう話をすればいいのだろうか。わたしがおろおろしているとまたしても彼が沈黙を破ってくれた。「小説、自分で書いたりしないのか?」唐突な質問に、もしや彼はわたしが小説を書いていることを知っているのではないかと思い冷や汗をかいたが、冷静に考えてみれば彼が知っているはずないか。「読むだけ」また沈黙。ここで、書いているとでも言えば、会話が続いたのかもしれないが、それはそれで恥ずかしいし、まだ会話が途切れる方がましか。彼はわたしとの会話をやめて、本棚に目を移していた。せっかく来てくれたのに……このまま、帰ってしまえばもう会えないかもしれない。自分の話術のなさに絶望している場合ではなく、必死に話題を探した。彼は読みたい本を探しているのか、本棚から本を取り出しては本をパラパラとめくり、再び本を戻すということを繰り返していた。彼はどんな本が好きなのだろうか。 彼はある本を手にし、念入りに見ていた。それは海外SF大長編で、わたしが本好きになったきっかけを作った本でもあった。彼が本をめくっているとヒラリ1枚の栞が落ちた。彼はそれを拾い上げ、凝視している。彼はわたしの元に来て、その栞を見せた。「これを書いたのはお前か?」そこには『プログラム起動条件・鍵をそろえよ。最終期限・二日後』と書かれている。しかもわたしの字で。わたしは字に特徴がある。無機質な字とよく言われる。そこに書かれている字はそんなわたしの字の特徴をしっかり捉えていた。しかし、わたしがこんな文を書いた記憶はない。「わたしの字に似ている。でも……知らない。書いた覚えがない」「……そうか。そうだろうな。いや、いいんだ。知ってたらこっちが困ってたところだ。ちょっと気になることがあってな。いーや、こっちの話で……」こっちの話? やはり様子がおかしい。彼はこの部屋で何がを探している?そして、その手がかりがあの栞なのだろうか。「今日は帰るよ」突然の宣言だった。「そう」ダメだ。このまま帰ってしまえば2度と話すこともないかもしれない。わたしも本を鞄にしまい込み立ち上がり、一緒に帰ろう……その台詞が言えない。わたしはただ彼が帰ろうとする姿を見るだけだった。そんなわたしに気づき彼はわたしに声をかけてくれた。 「なあ、長門」「なに?」「お前、一人暮らしだっけ」なぜ、知っているのだろうか。朝倉さんがわたしのことをいろいろしゃべっているのだろうか。「……そう。来る?」「どこに?」「わたしの家」今日一番会話が続いた。なんて、言っている場合じゃない。大胆なことを言ってしまった。言ってしまったあと、しまったと思った。「……いいのか?」「いい」そうして、彼と一緒に下校し、家に行くことになった。彼と肩を並べ、坂を下った。緊張のあまり何も話すことができないままマンションに着いた。家に着き、彼をリビングに案内し、わたしはお茶を煎れる準備をした。わたしがお茶を持ってリビングに戻ると、彼は畳の部屋を指しこう言った。 「この部屋、見せてもらっていいか?」特に断る理由もなかったのでわたしは承諾することにした。「どうぞ」「ちょっと失礼する」この部屋はわたしの寝室だが、布団は押し入れにあるので今は畳しかない。彼は部屋に何もないことを確認するとすぐに襖を閉じ、わたしに両手を開いて見せた。彼の時折見せるおかしな行動。それが何なのかわたしにはわからない。考えたところで解りそうもないし、彼に聞けばまた宇宙人やらアンドロイドやらの話を聞かされるような気がして聞くのを躊躇した。 ただ、これだけは確認しておきたい。彼が図書館でのことを覚えているのか。もし彼があのことを覚えていないのならば、彼はわたしのことを何も知らず、単にわたしを宇宙人と勘違いして文芸部に来たことになる。わたしは絞り出すように言った。 「わたしはあなたに会ったことがある。学校外で。覚えてる? 図書館のこと。あなたがカードを作ってくれた」「お前、」彼は目を見開いた。彼の反応でわかった。彼は知っている。わたしは嬉しくなった。「五月半ば頃。わたしが北口駅近くの市立図書館で……」わたしは必死になって図書館での出来事を詳しく話した。「それが、あなただった」言い終えた後、わたしは後悔した。彼は何も言わなかったからだ。わたしも何も言えなくなった。沈黙が続いた。ピン、ポーン沈黙を破る突然のインターホン。誰だろう。わたしは立ち上がり呼び鈴に出た。「長門さん。朝倉です」わたしは動転する。「おでん作ったんだけど作り過ぎちゃったから一緒に食べようと思って」「いまは……」「どうかしたの?」「いや、その……」「忙しいんだったら、長門さんの分だけ置いていくわ」まずい。中には彼がいる。玄関から部屋の中の様子がわからないようにリビングに続く扉をしめれば……ダメだ。玄関には彼の靴が置いてある。靴を下駄箱に隠して……彼が物音を立ててればバレてしまう。とにかく扉を開けるわけには…… 「とにかく開けて」そのまま追い返すわけにもいかないし、変に隠して誤解を生むともっとおおごとになるとも思い、無条件降伏をしてしまった。リビングに入ってきた朝倉さんは彼を見て「あら? なぜ、あなたがここにいるの? 不思議ね。長門さんが男の子を連れてくるなんて。まさか、ムリヤリ押しかけたんじゃないでしょうね」「お前こそ、なんだってここにまで登場するんだ」「わたしはボランティアみたいなものよ。あなたがいることのほうが意外だな」朝倉さんは大きな鍋をコタツの上に置いた。「作り過ぎちゃったかしら。ちょっと熱くて重かったわ」なかなか扉を開けないわたしに対する嫌みにしか聞こえなかった。わたしは箸の用意をするという名目で、キッチンに避難した。朝倉さんは彼と話していた。わたしは朝倉さんは彼の会話をキッチンで聞きながら食事の準備をした。「朝倉が作ったのか?」「そうよ。大量に作ってもそう手間のかからない物は、こうして時々長門さんにも差し入れるの。放っておくと長門さんはロクな食事をしないから」「それで? あなたがいる理由を教えてくれない? 気になるものね」「あー、ええとだ。長門とは帰り道に一緒になって……。そう、俺はいま文芸部に入ろうかどうか悩んでいる。そいつをちょっと相談しながら歩いてたんだ。そうしているうちにこのマンションの近くまで来たからさ、話の続きもあるしで、上がらせてもらった。無理にじゃないぜ」 彼は嘘を紡いで、必死にごまかそうとしていた。お皿の上にお箸とからしのチューブを載せてリビングに運ぼうとしたそのとき、リビングに入ろうとするわたしと、出ようとする彼がぶつかりそうになった。「あ!」「帰るよ。やっぱ邪魔だろうしな」彼はそう言うとわたしに背中を向けた。とっさに彼の腕をつかんだ。邪魔なんかじゃない。彼にいてほしかった。わたしが何かを言う前に彼は「――と思ったが、喰う。うん、腹が減って死にそうだ。今すぐ何か腹に入れないと、家まで保ちそうにないな」彼はリビングに戻り、わたしと彼と朝倉さんで食卓を囲んだ。◇◇◇◇食事中は、なぜか彼の元気がなく、朝倉さんの声しか聞こえなかった。食事が終わり、朝倉さんが腰を上げ「長門さん、余った分は別の入れ物に移してから冷凍しておいて。鍋は明日取りに来るから、それまでにね」彼も続くように「それじゃあな」といい部屋から出て行った。そして、彼は戸口で、小さな声で囁いた。「明日も部室に行っていいか? 放課後さ、ここんとこ他に行くところがないんだよ」その言葉を聞いてわたしは安堵した。そして2人が帰って、間もなく――ちょうど鍋に残ったおでんを器に詰め替えているとき――再び訪問者を知らせるベルがなった。朝倉さんだった。「ちょっと、忘れ物をしちゃって。入っていい」朝倉さんが忘れ物をすることはほとんどなく、それはめずらしいことだった。「どうぞ」「あった。あった。」朝倉さんはリビングに置いてあったケータイをとり、ポケットにしまうと表情が険しくなった。「ところで、長門さん。キョン君とはどういう関係なの」どういう関係かと問われても、同じクラブに所属する知り合いでしかない。わたしは彼に好意を持っているがそれは、わたしが勝手に思っていることなので黙っておく。 「じゃあ、なんでキョン君を家に上げたの」答えに窮した。朝倉さんはこたつをパンとたたき「1人暮らしをしている女の子が、男の子を家に上げるってどういうことかわかるわよね」「そんなつもりは」「長門さん。あなたにそのつもりがなくても相手は誤解するわ。小学生じゃないんだから、家で遊んで、はいさようならとはならないのよ」「彼には帰りにわたしから釘を刺しておいたけど、あなたも自分のことは自分で護りなさい」朝倉さんが彼にどう釘を刺したか気になったが、さすがに聞けなかった。朝倉さんが帰り1人になった。いつも1人なのだが、賑やかな部屋が急に静かになると寂しさが増す気がした。金魚にえさをやって気を紛らわそうと思ったが、えさの入った袋はほとんど空になっていた。 袋を逆さにして、ビニールにこびりついた欠片をふるい落として、金魚に与えたが、それだけでは足りないらしく、彼らは水面で口をパクパク開けていた。明日、えさを買いに行かないと。そういえば、このえさはどこで買ったんだろう。えさを待つ金魚を眺めるのもなんなので、部屋の隅から原稿用紙を引っ張り出し、文字を紡ぐことにした。 わたしは昨日書いた小説の続きを書き始めた。◆◆◆◆
彼が入部して1週間ほど経ったころ。いつものように昼休みに彼と弁当を食べていたときのことである。「機関誌を作ろう」こんにゃくをつまみながら彼は突然何かを思いついたように言った。私も彼も部活に慣れてきた頃だった。もちろん廃部の危機が免れたわけでもない。彼が入っても部として定員割れに替わりはなく廃部の危機は変わりない。そんな危機的な状況下で彼が必死になって考えてくれた打開策が機関誌作りだった。 「定員割れだったとしても、活動実績があれば廃部は免れるかもしれないし、部の宣伝にもなり、新入部員が入ってくるかもしれない」私は彼の提案を全面的に賛成した。『本を読まない人が本を手に取るきっかけを作る』機関誌にしよう。という目標を掲げ、機関誌作りが始まった。といっても機関誌作りは彼も私も初めてで何をすればいいのかわからない。昔活動が活発だった時に文芸部が作った機関誌を引っ張り出した。そこには小説の書評や部員の書いた短編小説が掲載されていて、国語の教科書ぐらいの分厚さはあり内容量は多い。これを作った人はさぞかし苦労したに違いない。彼は過去の機関誌を眺め、眉間にしわを寄せている。 「ユキ、小説を書いたことはあるか」「ない」本当だ。「俺も小説は書けないし、書いたところでそんな駄文を載せれば読んだ人が迷惑だ。かと言って書評だけっていうのも寂しいし」何か妙案はないのだろうか。私も彼も頭を抱えた。「そうだ。生徒に好きな本は何かアンケートをとってその結果を載せるっていうのはどうだ。アンケートを集計して、好きな本ベスト30を載せる。そして、ランクインした本の書評を書く。これなら普段、本に興味ない人でも機関誌を手に取るきっかけになると思うんだ」 そうして機関誌作りが始まった。機関誌は北高生が選ぶ好きな本ベスト30と文芸部オススメ本の2部構成となった。私はパソコンに向かいオススメ本の書評を書き、彼はアンケート作りを始めた。機関誌作りが始まって、以前より格段に忙しくなり、本業であるはずの本を読む時間はめっきり減ってしまった。でも、決してつらくはなかった。それから数日経ったある日。私は一人部室で書評を書いていた。彼はアンケート用紙を配りに行っている。バンドアが勢いよく開く。私は彼が帰ってきたのだと疑いもしなかったのだが、そこには女の子が立っていた。彼女は部屋を見渡し「あなたしかいないの? あなたが部長? 」「そうだけど」「私、ナツ。1年よ。ここに仮入部するから」いきなりそう言うので、なぜ? と思ってしまったけど、今でも部員は足りない。大歓迎だ。「そう。私はユキ。あなたと同級生。よろしく」「ところで、文芸部って何するところなの」「え?」思わず声に出してしまうほどの問題発言を彼女は言った。ここは笑うところなのか?私が困り果てていると彼が戻っていた。「あら、あなたも部員? 意外ね。今日から仮入部することにしたから。よろしく」会話から彼と彼女が顔見知りだとわかった。「なんで文芸部に仮入部しようと思ったんだ」「あんたが、アンケートを配っているのを見たから。文芸部は実質休部状態って聞いていたからノーマークだったのよ」「言っておくが、ここはまじめなクラブだ。本に興味がないならいても楽しくない。冷やかしなら帰ってくれ。」彼の強い口調に少し驚く。「冷やかしじゃないわよ。それに楽しいか楽しくないかどうかは自分で判断するわ」「そうかい」そう言うと、彼は彼女を相手にせず、集めてきたアンケートを机に置き集計を取り始めた。彼女は何もすることがなく呆然と立っている。私は、パソコンから一旦離れ、彼女に本を渡した。「私が好きな本。読んでみて? 」「ありがとう」彼女は本を開けたが5分と経たないうちに閉じた。「私あんまり本読むの好きじゃないの。ここにいても何もなさそうだから帰るわ」それは退部宣言のように聞こえた。せっかく興味をもってくれたのに。「ナツ……さん。」私は彼女を呼び止める。「また本を読みたくなったら来て。本は本当にたくさんある。あなたが気に入る本も絶対あるはず。待ってるから」彼女は何も言わず部屋を出て行き、部室に私と彼の2人が取り残された。「ユキ。あいつのことは知っていたか」「ナツさんのこと? 今日来るまでは知らなかった」「俺は同じクラスだからよく知っているんだが、あいつはこの高校に入学して間もない時期にすべてのクラブに仮入部して、その日に辞めたそうだ。それ以外にもいろいろ奇行をしてこの学校じゃちょっとした有名人だ。今日来たのも冷やかしだ。期待しない方がいい」「そう」私はせっかく来てくれた新入生がただの冷やかしだと分かり落胆した。しかし、ナツはそんな落胆をみごとに裏切ってくれた。「おっはよう」部室にナツの明朗な声がこだました。「おはよう」私は微笑む。私はその時、書評を書き、彼はアンケートの集計をしていた。ナツには彼と一緒に集計の手伝いをしてもらった。入部早々アンケート集計の手伝いをさせるのもなんだが、本に興味がない彼女に本を読めというのはもっと酷か。って本が好きじゃないのに何で文芸部に入ろうとするのがおかしいのだが。 この日からナツは毎日、部室に来るようになった。すべてのクラブに仮入部して、どこのクラブにも属さなかった彼女が、文芸部を選んだ理由は何なんだろうか? この時の私にはまだ、その理由はわからなかった。それから数日後の放課後、部室に行くと2人の声が聞こえてくる。「あほ! もっと右に寄せるのよ」「おまえの言ってる通りにしてるだろ」「とにかく私に従いなさい」はじめはナツの破天荒な発言にも驚かされたが、いまでは彼女の元気な声が心地よい。彼とナツは表紙作りをしていた。書評はすべて私が書くことになり、彼はアンケートと印刷、製本を担当することになった。ナツは彼の補佐をしている。私も早く書評を書かないと。 文芸部にナツが来てから、部室も少しずつ変わっていた。殺風景だった部室に物が増えていった。冷蔵庫に、食器棚に、コンロまで。文芸部は火気厳禁なのだが……昼休みの光景も一変した。彼はナツと学食へ行くようになり、私は1人で弁当を食べることが多くなった。ナツが来てから2週間ほど経っただろうか。書評を書くことが日課になり、部室に来て本ではなくパソコンの電源を押すことに何の違和感も持たなくなった頃、その仕事は終わってしまった。書評を書くことはなかなか骨の折れる作業で、この重荷から逃れることを願っていた。しかし、習慣というものは恐ろしいもので、いざ終わってみると手持ちぶさたになってしまった。 ナツと彼は印刷室にこもっているため部室には私1人しかいない。書評を書くというわたしの役目は終わり。あとは彼とナツに任せよう。私の本職が本を読むことであることを思い出し、話の佳境で読むのを中断していた本を開け、久しぶりの読書を堪能しようと思った。久しぶりの読書。楽しいはずだ。 しかし、私しかいない部室は孤独を感じさせた。私は寂しかった。
◆◆◆◆小説を書くのは難しい。何度も壁にぶつかり頭を悩ます。自分の発想力、表現力のなさに幾度愕然としたことか。しかし、実を言うとここまでは割と簡単に書けたのだ。でも、ここから先、とりわけ結末がうまく書けなかった。わたしの頭の中では構成はすべてできていた。でも、なぜかペンが重たかった。
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