大きくてちいさな日々 3
さて、夏休みである。家を一歩外に出れば、電柱やら植木やらにしがみついた蝉の大合唱が聞こえて、ここぞとばかりに太陽が人間を溶かそうとしているところだろう。全くもってこんな時期にエアコンの効いた部屋から自分の意志で出て遊ぼうと思うやつらの気がしれない。
今、ハルヒは一体何をしているのだろうか。
1.おれとはるひからのしらせ
さて、夏休みになって一週間が過ぎた。「あ゛っづーい」夏休みになってからの三日間はかなり元気だったハルヒも、この暑さにやられたらしく、徐々に動くのをやめて、結局、今日のように扇風機の前でだらけていることが多くなった。「かき氷、冷たいジュース、海」俺もその隣でハルヒによりかかるようにしていた。現在部室にいるのは、俺、ハルヒ、長門の三人で、古泉は家族旅行で早々にどこか涼しいところに行ってしまった。朝比奈さんは、ハルヒが活発に動いた三日間で体力を使い果たし、そのまま筋肉痛と夏風邪で寝込んでしまった。ちなみにその三日間はずっと虫捕りをしていた。長門は一日目は参加していたが、二日目以降はひみつ基地に残って本を読んでいた。朝比奈さんは三日間悲鳴を上げながらも必死について回り、四日目にハルヒがひみつ基地にこもり始めたのと同時にダウンしてしまった。「ねぇ、キョン。この部屋クーラーとかつかないかしら」「その前に教室だな。職員室だけ涼しいなんてずるい」最も暑い7・8月が休みなのだから、教室に冷房があったところであまり意味がない気もするが、そこは気分の問題だ。「せめて扇風機が増えないかしら」不満を漏らすと、ハルヒは扇風機に向かって声を出していた。
その翌日のことである。『もしもし?キョン?』母親に起こされて電話に出る。ハルヒからだった。「悪い、寝坊したんだ」今起きた、とは言えなかった。毎日ラジオ体操には一緒に行く、と約束していたからな。『いいわよ、別に。それよりね、』てっきり怒られると思っていたから、あっさりと許してもらえたのには驚いた。『あたし、今日ひみつ基地行かないから』そして、この言葉はあっさり許されたことよりも衝撃的だった。いや、ハルヒは本当は許してなくて、怒っているからそう言ったのかと思ったほどだ。「え?どうして?!」思わず大きな声で電話に叫んだ。声が少し震えた。『急に出かけることになったのよ。朝起きるなりパパが、よし、出かけるぞ。だって』ハルヒ以上に自分勝手な父親だ。今のハルヒは確実に影響されて育った結果に違いない。そう思った。『だからしばらく遊べないかも。帰ってきたら電話するわね』「ちょっと待って」引き留めようとしたもののハルヒは一方的に電話を切ってしまっていた後で、俺は非常にがっかりしていた。終業式前に考えていたハルヒについて回る計画は無情にも崩れ去り、充実した夏休みは遠のいてしまったような気さえした。いや、実際に遠のいたような気がしたのは気のせいで、この年の夏休みはとてつもなく充実していたのだ。俺が受話器を置くと同時に電話が鳴った。俺は、俺の望んだ夏休みの始まりを知らせるこの電話を呆然自失のまま取り上げるのだった。
2.こいずみとこいずみおやじのまじっくしょー
さて、俺は放心状態のまま受話器を取り上げて、聞き覚えのある男子の声を聞いた。「それならば、僕と一緒にマジックショーでも見に行きませんか?」電話に出れば相手は古泉で、ハルヒが出かけてしまって遊べないことを話すとそんなことを提案してきた。「マジックショー?」そんなものより映画が見たい、と言うのが正直な感想だった。「そうです。実は僕の父が、中央劇場でマジックショーを開催しているんです」そういえば、そんなチラシがうちにもあったような気がする。もっとも、そこで古泉の名前を見たかどうかは疑問だった。「ちょっとだけなら・・・」マジックショーにちょっともくそもあるのか疑問ではあるが、このとき俺はそう答えた。古泉の提案を了承した理由は二つ。一つは単純にハルヒがいないと知った後で、このまま家にいても楽しいことはないだろうと思ったから。もう一つは、古泉の父親の手品と言うのが一体どれほどのものなのか見てみたいという好奇心だ。素直に行きたいと言わなかったのは、相手が古泉なのが何となく癪だったからだ。「では、決まりです。すぐに迎えを向かわせます」古泉がいつものにんまりスマイルが見えそうな声で言って電話を切った。その五分後に、来客を知らせるチャイムの音が鳴り、玄関には、執事服を着た新川さんが礼儀正しく立っていた。
「なぁ、古泉。もっと普通の車はなかったのか」車には詳しくないが、今俺が乗っている黒塗りの車が高級車であることはよく分かった。「大体、新川さんじゃなくて、お前が玄関に来いよ。お袋、あまりの出来事に悲鳴あげてたぞ」「えぇ、車に乗っていた僕にも聞こえましたよ。悪いことをしたなと思っています」古泉は可笑しそうに笑っている。「しかし、僕が玄関に現れた時に困った顔をするのは、君の方ではありませんか?」笑いながらもいたずらっぽく俺にそう言った。「俺はこまらねぇよ。少なくとも新川さんが現れるよりは」バックミラー越しに、新川さんが苦笑いしているのが分かった。と、言うより本人を前にしてずいぶんと失礼な発言だ。古泉はそれを聞いてもっと可笑しそうに笑っていた。
中央劇場と言うのは、俺の住む街から一番近くの大都市のど真ん中にあるでかいホールのことだ。劇場、と名付けられてはいるが、他にもオーケストラの演奏会や、今回のようにショーなども行われることがある。建物内には、小さな喫茶店や、広いロビーがあり、建物の外も上品な庭と散歩道がある。建物自体もかなり大きく、舞台装置のあるホールが3つに、屋内球技場が1つある。ホールの客席数は大ホールが2500、中ホールが2000。中ホールは二つある。この説明で古泉の父親がいかにすごい手品師であるかが分かってもらえるだろうか?俺は分からなかった。とりあえず、この建物の大きさに圧倒され、ただ大きく口を開けて劇場を見上げていた。「チケットは招待券があります。開演まで時間がありますが、どうしますか?」そんな俺に古泉が、カフェテラスを指差しながら提案した。「え、あ、あぁ」俺は思わず頷いた。と、言うより予想以上の大きさにすっかり動揺してしまっていたのだ。この話だけを思い出しても、俺はいつも古泉に有利な状況で対峙していたような気がする。今回は、ハルヒが出かけてしまっていたから素直に古泉についてきていたが、そうでなければ、俺は頑として今回の誘いを断っていただろう。仮に、今回のようについてきていたとしても、常に古泉のことを警戒していたはずだ。まぁ、しかし正直、警戒していたとしても、この劇場を前にして今回のように古泉に大人しく従った気がする。とにかく、古泉はそういうズルイやつだ。あぁ忌々しい。
喫茶店でコーラをストローで吸い上げながら、古泉のニヤニヤ顔を眺めていた。古泉は、ティーカップに入った紅茶を上品に飲みながら「どうかしましたか?」と、余裕たっぷりにかまえている。「いや、別に」単に落ち着かないだけだったのだが、そういう風に言われると、まるで俺がどうしていいか分からず困っているようではないか。いや、確かにそういう状況だったんだろうが、それを認めるのは嫌だったし、何よりコイツを頼るのも何故か腹立たしい。ハルヒのことがあったとは言え、何故こんなやつの誘いにほいほい乗ってしまったのか。あぁ、忌々しい。「思った以上に早く着きすぎてしまったせいで、かなり時間がありますね」その思ったより早く着いたのが、本当に偶然なのかも疑わしい。喫茶店で一休みして、なんとか調子を取り戻した俺は、普段通りに古泉を胡散臭いものとして見るようにしていた。「どうです?外の庭で散歩でも」喫茶店から見える散歩道の奥には、ヒマワリが見える。夏の日差しを誰よりも多く、と、胸をそらして高く高く咲いていた。ハルヒもあんな感じだな。誰よりも不可思議と言う日差しを求めて、背丈どころか腕まで伸ばす。そうだ、ハルヒならこんな時、何を言い出すだろうか。「なぁ、古泉」それはすぐに思いついた。「これだけデカイ建物だし、SOS探検隊として、隅々まで調べるべきじゃない?」口調がハルヒっぽくなったのは、ハルヒなら、という考えが強くあったからだった。
「しかし、驚きました。あなたがそのようなことを提案するとは」古泉は薄暗い廊下を、相変わらずの笑顔で歩いている。「なぁ、やっぱりやめとかないか?さっきのも冗談だから」俺はその後ろを、情けなくも古泉の後ろに隠れるように歩いていた。自分の提案を後悔したのは、『関係者以外立ち入り禁止』の立札を無視したあたりからだ。その立札を越える前は、確実に明るかった照明が何故か控え目になり、廊下の幅も狭くなる。古泉は曲がり角に来るたびに立ち止まって、その先に誰もいないことを確認してまた歩き出すことを繰り返す。これがハルヒならかなりの安心感とともに、スパイになった気分でいられるのだろうが、古泉だと不安だけが大きくなる。
五つ目くらいのドアを開いたところで、それまで歩いていた場所よりも明るい廊下にたどり着いた。ドアがたくさん並んでいて、その扉の横には人の名前が書かれた紙が貼ってある。「ここが楽屋です。出演者の休憩場所のようなものだと思ってください」古泉はいつものスマイルで俺にそう言うと、部屋に書かれた名前を確認しながら歩きだした。俺は慌ててそれを追いかける。「コラッ!ガキ共!!そこで何しとる!」後ろから怒鳴り声が聞こえて、恐る恐る振り返ると、警察のような格好をした、初老の男がこちらを睨んでいるところだった。「古泉!ヤバい」俺は慌てて古泉の腕を掴んで走り出す。古泉は驚いた、と言うよりは、走る理由が分からない、と言った様子で走り出す。まぁ、小学生の脚力なんてたかがしれたもので、すぐに警備員に捕まってしまう。警備員は俺たちの腕をがっちりと掴んでいる。万事休す、そう思った時だった。「一体何の騒ぎだね?」楽屋の一室から、シルクハットにタキシードと言う、いかにもマジシャンという感じの男が出てきた。夏の暑い中、長袖の衣裳は大変だろうなんてことを思ったのは、解放されて少ししてからだった。「あ、お父さん」古泉が警備員の横から顔を出してそう言った。
「一樹、ショーの前には楽屋に来るなと言っているだろう。他の人もいるんだぞ」古泉の父が古泉を小突いた。「すみません、お父さん」古泉が頭を抑えながらも、笑顔でそう言った。「それで、そちらはお友達かな」古泉の父は俺の方に視線を移す。「あ、えっと、ごめんなさい」質問に答えるよりも先に誤っていた。「えぇ、前に話したSOS探検隊の」「そうか、君が」古泉父は二、三度うなずき「涼宮ハルヒくん、だったかね?」「違いますよ」「それでは、キョンくんの方かね」「そうです」古泉は楽しそうに笑っているが、こっちは、まさか古泉の親父がここまでいかついとは思っていなかったから、かなり怖い。「そうか、君がキョンくんか」古泉の親父は豪快に笑う。見た目は紳士でも中身はおっさんだ。そもそもこいつら本当に親子か?性格が明らかに違うだろう。
「私は涼宮くんが、なかなかのいたずらっ子で、キョンくんはそれを止める役だと聞いていたんだが。さては、一樹が楽屋に行こうと言いだしたかな?」古泉父は、俺がハルヒで、古泉の父が出演者だから会いに行こうと言いだしてやってきたと思ったらしい。実際の言いだしっぺは俺だが、ハルヒならどうするかを考えて発言したのだから、半分は当たりだろう。「あの、俺が古泉に、探検しようって言ったんです」古泉父は少し驚いた顔をして、なるほど、と呟いた。「なかなか個性的な子だね。君にはこれを上げよう」そう言って鞄から細い棒を取り出して、俺の前に差し出した。俺が受け取ろうとすると、それに布をかけた。「さぁ、ご覧あれ」古泉父はそう言うと、勢いよく布を取った。そこに棒はなくて、赤い花束があった。俺は感嘆の声をもらしながら受け取る。古泉父は先ほどの布を俺の目の前で再び広げて見せると、両手でそれを押しつぶす。掛け声とともにそれを広げると、そこからは紙吹雪が舞って、それを掴みとって、手の中に握りこむと、今度はそれを再びハンカチに変えてしまった。俺は関心のあまりに拍手もできず、ただぼんやりとしていた。「す、すげぇ」出てきた感想はそんな一言だけだった。
しかしまぁ、その手品も文字通り子供だましで、これが舞台の上でのマジックとなると、魔法のようだった。耳をふさぎたくなる大きなドラムロールとともに緊張が高まり、短いシンバルの音とともに歓声が上がる。古泉の父の他の手品師たちのマジックも、ものすごく、コミカルに進める者や、観客の恐怖心を煽りまくって盛り上げるやつもいた。人体切断、大脱出などの定番はもちろん、小ネタをつないで、劇のように仕立てたりと、誰もが楽しめるような笑えるものがあったりする。ハルヒを連れてきたら絶対に喜ぶな。いや、種を明かせと大騒ぎするかもしれない。俺は今日の出来事を、ハルヒに絶対に自慢してやろうと思った。興奮はショーが終わってからも収まらずに、ホールを出てからも先ほどまで行われていたマジックの数々を思い出しては手に汗を握っていた。「どうです、楽しかったでしょう?」古泉のそんな質問にも素直に何度もうなずいた。映画に行くよりも何百倍も楽しい。「なぁ、また連れて来てくれよ」俺は不覚にも古泉にそう頼んでしまった。それくらいすごいものだった。
帰りも行きと同じ車だったが、乗員に古泉の父が加わった。ショーが終わった後、俺たちは再び楽屋に戻り、ショーを終えたばかりの出演者たちと話すこともできた。顔の派手なメイクを落とした人たちは、みな優しく、簡単な手品を見せてくれる人もいた。「古泉君は子供好きだからね。襲われないように気をつけなくっちゃ」多丸と言う兄弟マジシャンの兄がそう言うと、「そうそう。この人子供には優しいからね」と、弟が言った。古泉父は笑いながらも、「それならば、大人にはもっと厳しくせねばなるまい」と、二人の頭を押さえつける。「大人にも優しくしないと、子供たちが逃げちゃいますよ」兄弟のどちらかがそう言うと、古泉父は、二人の頭を叩く。他の共演者たちはそれを見て、大笑いする。楽しくて、とても魅力的な時間だった。いつか古泉も、一人前のマジシャンとしてこの輪に入ることになるのだろう。「ところで、キョンくん。夕食をうちで食べて行かないかね?もちろん、ご両親が許せばだが」古泉父が車の助手席からそう提案してきた。「いいの?あ、いや、いいんですか?」俺が言いなおすと、古泉父が笑った。「かまわんさ。なぁ、一樹。キョンくんが来るならうんと豪華にしなければな」豪華な、と聞いて胸が高鳴る。以前、古泉の家を訪れたが、かなりの豪邸だった。漫画で見るような御馳走が食べられるかもしれない。「俺、親に聞いてみます」俺は古泉に携帯を借りて自宅へと外食の許可を求める電話をした。
当然、というか何と言うか、結果は却下だった。朝の出来事に腰を抜かした母が、「恐れ多いからやめておきなさい」と、丁重に断るように俺を諭し、終いには「もし言うこと聞かないなら家に入れないからね」と、怒鳴って電話を切ってしまった。俺のかなり乱暴な電話でのやり取りを聞いていた古泉父は、電話が終わるなり「ご両親が反対なら今日のところは帰った方がいいな」と、俺に言った。「またそのうち機会があれば呼んであげよう。その時は涼宮君たちも呼ぶといい」そう付け加えてくれたので、俺は親に逆らうことなく、大人しく家に帰ることにした。まぁ、帰るなりお袋と大ゲンカしたのだが。ケンカの果てに俺は夕食抜きとなり、今日古泉邸で食べられるはずだった御馳走を思い描きながらベットで横になる。頭が御馳走でいっぱいでも、実際に腹が満たされなければ当然眠れないわけで、仕方なく俺は親父に頼みこんで、簡単な夕食を作ってもらった。ハルヒは今頃何をしているのか。明日も誰かから電話がかかってこないか、なんてことを考えながら俺は目を閉じた。
3.ながとととしょかん
さて、目を覚まして聞こえてきたのは、ラジオ体操の軽快なかけ声と音楽で、それは今日俺がラジオ体操をサボったことを意味していた。ハルヒがいないのにラジオ体操に参加したところでつまらないだろう。そう考えた結果だ。それでも俺は、体を起こして用意しておいた服に着替えて、ラジオ体操が行われている運動公園に走った。俺が公園に着く頃には、ラジオ体操は終わっていて、近所に住む同級生や上級生、下級生が列を作っている。もちろん、出席カードにスタンプを押してもらうためだ。スタンプを押しているのは子供会に所属している六年生で、人によって種類が違うので、列に並ぶ人数もまばらになる。俺は迷わず一番人の少ない列に並ぶ。押されたのは、何の飾りもない丸印だった。俺は、色とりどりのスタンプの後に押された味気ない印を確認してから、カードをたたみ、家に帰ろうとした。「待って」不意に服を掴まれた。呼び止める声には聞き覚えがある。「ズルはよくない」振り向くと長門が立っていた。長門は、俺を無機質な表情で見据えている。「ズ、ズルって?」ワザととぼけて見せたが、俺と同じことをしているやつは他にもいる。子供会の上級生も黙認しているような部分があるので、怒られるようなことはないはずだ。「あなたは体操に参加していないのに、カードにスタンプを押した」長門はジッと俺の目を見る。誰かに告げ口されるよりも辛い注意の仕方だ。「あー、悪い。俺が悪かった。二度としないから」「罰ゲーム。悪いことしたから」長門の静かな非難に負けて謝った俺に長門がそんなことを言った。「罰ゲーム?」長門らしくない発言だ。相変わらず無表情の長門はハルヒの影響としか思えない言葉の後に、さらに信じられない言葉を続けた。「付き合って」
『館内では静かに!』という注意書きがうるさいほどに書かれた施設に俺と長門は足を運んだ。俺は、長門の誘いで、図書館にやってきたのだ。『付き合って』と、言われて驚き、慌てふためいていると、長門がそのあとに「図書館に行くから、一緒に」と、付け加えて、「図書館に行くのに付き合ってほしい」と言われて、ようやく意味を理解した。長門の表情がかすかに、おかしそうに笑ったように見えたから、もしかしたらからかわれたのかも知れない。長門よ、無表情でからかわれると、非常に心臓に悪いんだ。次からはもっと楽しそうに、はっきり分かるように笑ってくれ。図書館に着くと長門はすぐに、中央付近の本棚に向かい、そこから分厚いハードカバーの本を取り出した。俺はといえば、読みたい本もなく、ただぶらぶらと本棚の間を行ったり来たりするだけだ。そういえば、宿題の中に読書感想文があったな。いい機会だし、適当に何かを読もう。そう思ったものの、図書館は思いのほか広い。何とか『児童文学』というタイトルの付いた本棚にたどり着いたが、どれもこれも読む気になれない。『ズッコケ三人組』『解決ゾロリ』なんかのシリーズものもあったが、分厚いし、内容が絵ばかりの本も、何となく嫌だった。俺が、本棚の前で悩んでいると、長門が急に、一冊の本を持って現れた。「これ」渡されたのは『夏の庭~The Friends~』というタイトルの文庫本だった。「これ、面白いのか?」長門推薦の本が面白くないはずがないのだが、それ以外に言うことがなかった。「ユニーク」とりあえず、面白いということだろう。「最後は感動的。読んでみて」長門はそう言って俺に本を手渡して、本棚の森の中に姿を消してしまった。俺はもう一度表紙を見たあと、適当な席を見つけて、そこで本を開いた。
『夏の庭~The Friends~』この本は、小学生が、と言っても(上級生なのだが)が主人公で、あらすじを言えば、『人の死ぬ瞬間』を見たいと思ったなんとも不謹慎な主人公三人組が、あるおじいさんをターゲットにして死ぬ瞬間まで見張る。というものだ。まぁ、詳しい内容は読んでほしいと、薦めた長門自身が思っているだろうし、俺もそう思うので書かないが、俺はこの話は、ある意味おじいさんの勝ちではないだろうか、と思ってしまった。いや、勝ち負けとかそんな内容ではないのだが。とにかく、感動したのである。ちなみに、これらの感想はすべて中学生になってからのものであって、この日の俺はと言えば、「起きて、閉館時間」と、長門に起こされるまで、本を枕にぐっすり眠っていたのだった。ちなみに、三ページで力尽きた。帰りは、長門母が迎えに来てくれた。夕方で涼しい時間帯だったが、アイスまで買ってもらえた。まさに至れり尽くせりだな。家に帰ると、おふくろが宿題もせずに一日何をしていたのか、と雷を落としたが、俺は胸を張って「図書館で友達と本読んでたんだよ。感想文書くために」と言うと、すんなりと角を引っ込めた。この発言のおかげで夏休み最終日にひどい目にあうのだが、まぁ、自業自得だな。昔の俺。ベットの中に入って思ったのは、そういえば、長門父の書いた本というのはどんなものなのだろう。ということだった。少女が、森の中でウサギやリスと会うような内容なんだからファンタジックなものなのだろうと、勝手に想像を膨らませる。長門父の本を読むのは次の機会になるのだが、この日の俺は、その内容を明後日の方向へと走らせながら静かに眠りについた。
4.SOSたんけんたいとよなかのがっこう
さて、夏の暑さを紛らわすいい方法は何だろうか。アイスクリームやかき氷なんかの冷たい食べ物を食べてもいいし、プールなんかで涼むのもいい。あぁ、この前みたいに冷房のきいた施設でだらだら過ごすのもいいな。当然、そういう方法は確実に体を冷やせるのだから、すごく有効な手段だと言えるね。が、はたして、あのハルヒがそんなありきたりな方法だけで満足するだろうか?答えは当然否だった。
「全員そろったわね。懐中電灯とお菓子は全員持ってきたわよね?」八月も中旬となり、夏休みも残すところ半月となった頃の話だ。今、俺たちがいるのは、学校の正門前で、時刻は午前0時。よい子が眠る時間なんてのはとっくの昔に終わり、今は悪い子が絶賛活動中である。何故こんな時間に学校にいるのか。答えは簡単、肝試しのためである。「夜中にこっそり家を抜け出すなんて初めてですよ」古泉が困ったような笑顔で、首をすくめていた。俺だって初めてだ。ばれないように準備するのが大変だった。「あのぅ、お姉ちゃんが朝になる前には帰って来いって」恐る恐る言ったのは朝比奈さんで、根っこから真面目な彼女は家族に許可をもらってきたらしい。朝比奈さんの姉はかなり豪快な性格なのだが、はたして小学生の夜遊びを許していいものなのだろうか。ちなみに、朝比奈さんの姉とは先週の夏祭りの時に会ったのだが、それはまた別の機会に話すことにする。「…気をつけて、何かあったら連絡するように言われた」長門も家族に許可を取ってきているようだ。小さなナップサックから携帯電話を取り出す。こんなものを家族が所有しているあたり、やはり長門もそこそこお金持なのだろう。全員が、それぞれの言葉で点呼を行った後、ハルヒがあらかじめ見つけておいた、というよりは壊しておいた窓から校舎に侵入した。
「キョン、最初はどこに行けばいいの?」ハルヒが暗い校舎をずしずしと歩きながら聞いてきた。「始めは・・・あ、校舎の外だな、飼育小屋だ」「何で早く言わないのよ!バカキョン!」ピタリと足を止めると鬼のような形相で俺をにらむ。急に止まったせいか、朝比奈さんが「ひゃっ」と、悲鳴を上げた。「あらかじめお前が調べとけよ」ちなみに、今回の肝試しはこの学校の七不思議に沿って行われる。第一の不思議は、「消えるニワトリ」だ。「で、どんな不思議なのよ?」むすっとふくれたハルヒが俺に言う。「えーっと、『毎年十二月二十四日になると、鶏が一羽ずつ消えていく』だ、そうだ。」「ひぃ」読み上げると朝比奈さんが悲鳴を上げた。「ただのドロボーじゃないの?その日ってクリスマスでしょう」確かにクリスマスには鳥の丸焼きを食うイメージがあるが「…クリスマスに食べるのは七面鳥」長門の指摘通りである。「じゃ、じゃぁ、どうして消えるんですか?」追い詰められた兎のように怯える朝比奈さんが、古泉の後ろからひょっこりと顔をだして聞いた。「だから不思議なんじゃないですか?」古泉が笑顔で言った。
第二の不思議は「首吊りお化けの木」だ。またしても校舎の外である。「それは何?怖いの?」「タイトルを見る限りは怖そうな感じだな」「まさか、木の形が人が首をつっているように見える、なんてオチじゃないでしょうね?」ハルヒがそういうと、朝比奈さんがまたもや悲鳴を上げる。想像したら恐ろしかったのだろう。と、言うより普通に怖いだろ。「えっと、『夜中の十二時にその木の下に首をつって死んだ少女の幽霊が現れる』」「何?本物の怪談じゃない!早速行くわよ」ハルヒが目を輝かせる。この目の光だけで校舎が明るくなりそうなものだが、実際は懐中電灯に照らされたハルヒの顔が不気味になっただけだった。「待て、『ただし、13日の金曜日限定』だそうだ。」「何でそんな変な条件がつくのよ!もっと頻繁に現れなさいよ、コンビニみたいに年中無休でいいわ」「それはかわいそうですよ、せめてお盆くらいはお休みをあげましょうよ」朝比奈さんがそんな心配をしていたが、確実に論点がずれている。「クリスマスにもお休みをあげてはどうでしょうか?」古泉がその後に「消えるニワトリの数が増えるかもしれませんが」と、言いたげに笑っていた。
第三の不思議は「人が増える教室」だった。「誰かが間違えてその教室にいたんじゃないの?」ハルヒはすでに、怖くない話に飽きているようだった。が、まだ残り五つもあるのだ。この話に期待しよう。「内容は、『教室の四隅に一人ずつ立って、黒板のある方の入口の人から順番に場所を代わって一周すると、人数が増える』だそうだ」「どうして人数が増えるんですか?」朝比奈さんが不思議そうな顔をした。見えなかったけどな。「…四人が一人ずつ交代で部屋を一周すると、最後の一人は誰にも次の番を渡せない。もし渡せたら幽霊の仕業」長門が説明すると朝比奈さんは怯えていた。早速、全員が四隅に配置された。スタートとなる前方の入口には俺が立つ。そこから教室を時計回りに一周する。「いいか?行くぞ?」俺がそういうと古泉とハルヒが返事をした。長門はシルエットの首の部分が少し縦に動いたように見えたのでおそらく肯定だろう。俺はまず、ハルヒの方に向かって歩く。何度か机にぶつかったが、ハルヒの手を軽くたたく。バトンタッチだ。ハルヒの影は、長門の影に向かって走る。あっという間に長門の影にたどり着くと、長門の影は古泉の影に向かって歩き出す。長門の影が古泉の影にたどり着くと古泉の影は誰もいない一角に向かって歩き出した。途中で、外の月が雲で隠れたのか教室の中が一段と暗くなる。その影響か、古泉の影はひどくいびつな形になっていた。古泉の影が誰もいない陰にたどり着く。俺はこの瞬間に肝を冷やした。
誰かが俺のの方に向って歩き出してきたのだ。その奥を見れば古泉の影が確かにある。ゆっくりと近づくシルエットは、ゆっくりと俺との距離をつめて、俺の手を握った。「う、うわぁぁぁぁぁあ!!!」思わず大声で叫んでしまった。目の前の影がビクリと動く。俺は握られた手を振り切り、教室の外へと駈け出した。こういった建物全般に言えることだが、真っ暗な中で移動すると、昼間よりもやたらと広く、そのうえ恐ろしい空間になる。俺は必死に走って、もう校舎を一周するくらいの距離を走った気分になっていたが、実際には半分も進んでいなかっただろう。俺は誰かに肩を掴まれ、パニックになり、ついには泣き出してしまった。情けないな、俺。「あたしよ!キョン、落ち着いて」聞こえたのはハルヒの声だった。古泉の声だったら間違いなく一発ぶん殴っていたに違いない。ハルヒは俺の腕を抑えるように俺に抱きついた。「ほら、もう大丈夫だから」泣きやみはしなかったが、恐怖は少し和らいだ。遅れてやってきた古泉と長門の影が、さらに大きな安心感になった。
「ですから、あれはお化けではなかったんです」しゃくりあげながらも、なんとか泣きやんだ俺に古泉が影の正体を説明した。皆は気づいているだろう。影の正体は、朝比奈さんである。朝比奈さんは、怖いからと、ずっと古泉の後ろについていたらしい。それが、最後の角に着いた途端、妙な使命感に駆られ、俺のほうに歩いてきたらしい。四人では一周できないが、五人なら可能なのだ。朝比奈さんのことを忘れていた俺も俺だが、歩いてきた朝比奈さんも朝比奈さんである。まさか、幽霊に取りつかれて俺の方に来たんじゃないだろうな、などと、大泣きして目をはらした俺は思ってしまった。
俺が落ち着いた後は、時間も時間だし、今回のようなことがないように七不思議にまつわる場所をまわるだけとなった。
第四の不思議は三階理科室の、『踊る!骸骨と人体模型』。「この学校、人体模型なんてあったけ?」「…去年、五年生のいたずらで壊されて廃棄処分になった。今はない」真相は不明なままとなった。第五の不思議は『目が光る滝廉太郎』「何でそんなにマニアックな作曲家なのよ」「一番隅の壁の、しかも手の届くところにあるからではないでしょうか?ほら、目に画びょうが刺さっています」「何よ、怖かったのなんて、結局キョンの悲鳴くらいなものじゃない」第五の不思議を終えて、俺はハルヒに軽く傷つく一言を言われた。次は第六の不思議である、が。「第六の不思議は『無』」「無?」「第七の不思議はあるのに第六の不思議がないのが不思議らしい」「・・・もういいわ、次」ハルヒが大きくため息をついた。
さて、第七の不思議である。「えぇっと、タイトルは『すすり泣く女性』」「少しは期待できそうね」ハルヒが満足げに微笑む(暗くて見えてはいない)。だが、明らかに内容には期待していないようだった。「えぇっと、内容は『夜中に別校舎の五階に近づくと、女性のすすり泣く声が聞こえる』だそうだ」すっかり調子を取り戻した俺は、いつものようにハルヒに言った。「最後の最後でありきたりね」ハルヒは呆れたように言った。がっかりはもう慣れてしまったようだ。「しかし、別校舎の五階と言えば、我々の秘密基地ではないでしょうか?」古泉にそう言われてようやく気付いた。そうだ、そこは秘密基地の場所だ。「どうせ秘密基地に行くんだし、正体も確かめてやりましょう」ハルヒは全く期待していない口調でそう言った。五階に続く階段へたどり着く。昼間でも薄暗いその場所は、よりいっそう不気味な雰囲気をかもしだしている。「さっさと行きましょう」ハルヒが足を階段に乗せたその時だった。「…うぅ…ぐすぐす…ひっく……シクシク」誰かの泣き声が聞こえる。小さく、何かを悲しむかのようにひっそりと…。
「きょ、キョン、さっさと行きなさい。隊長命令よ」ハルヒが顔を少し青くして言った。「お、俺に言うなよ。古泉、お前行けよ、男だろ」「ぼ、僕ですか?」誰が最初に行くか、それを譲り合っていると、長門が階段をのぼり始めた。「な、長門?大丈夫か?」「…平気」長門は相変わらずの無表情のままだ。いや、暗くて見えないんだが。俺たち三人が、恐る恐るその後についていく。階段を一段あがるごとに、泣き声が大きくなっていく。長門は秘密基地の前に立って、何かを見ていた。「ここにいた。もう大丈夫」あぁ、皆気づいていただろうさ。泣き声の正体は朝比奈さんだった。
朝比奈さんの話を聞くと、どうやら姿を消したのは教室で俺が叫び声をあげたときらしく、俺とは別の方向に逃げだしたためにはぐれてしまったらしい。そして、暗い校舎を一人でさまようのはいやだからと泣きながら秘密基地にやってきたそうだ。朝比奈さんがこんな目に逢っているのは間違いなく俺のせいで、その上長門以外に朝比奈さんがいないことに気付かなかったのも大問題だろう。朝比奈さんに対してものすごく申し訳ないと思うと同時に、二度も朝比奈さんに驚かされた複雑な気持ちがあった。その後は持ちよったお菓子をみんなで食べ、深夜三時に解散となる。長門は携帯電話で迎えを呼んでいて、俺たち全員を送ってくれると言った。俺は疲れで重たくなったまぶたをこすりながら、車に乗り込み、こっそりと家に帰る。
まぁ、しかし、だ。
夜中にこっそりと家を抜け出してバレないわけがなく、音をたてないようにドアを開けた瞬間に勇ましい足音と共に母親の雷が落ちた。俺は、日が昇るまでこっぴどく叱られた上に、そのままラジオ体操に行かされてしまったのだった。体操から帰った俺は、そのまま自分の部屋のベットに倒れこみ、目を閉じるとすぐに深い深い眠りについた。この日見た恐ろしい内容の夢は話したくもないし、思い出したくもない。
5.あさひなさんとせんたいショー
さて、夏休み前半戦である七月が終わりをむかえようとした頃には胡散臭いじいさんの予言でもちきりだった。もうすぐ世界が滅ぶそうだ。くだらない。その大予言の実行猶予が刻一刻となくなっていく中で、俺は意外な人からのお誘いを受けることになった。この夏休みに俺への電話でひっきりなしにベルを鳴らしていたファックス機能付きの電話を受け取ると舌足らずな声が嬉しそうに何事かを話している。まぁ、こんなに長ったらしく話すべくもなく朝比奈さんからの電話だった。
「おっそーい!」ハルヒが両手を腰に叫ぶ、七夕から定番になりつつあるSOS探検隊の集合場所にはすでに俺以外のメンバーが集合していて、そのメンバーの中には見慣れない女性が立っていた。 スラリと伸びた足に、白いシャツと黒いスカートを着こなし、美しく微笑む顔には上品なイメージの漂う化粧が施されていた。そしてその顔は、まさに朝比奈さんが大人になったらこうなるんだったろうな、という未来予想図を見ているように感じるくらいにそっくりだ。「初めまして、朝比奈みくるのおねえちゃんです」茶目っ気たっぷりな口調の自己紹介は、整った顔立ちにぴったりで、『完璧ってのはこういうことなんだろう』と思ってしまうくらいの美人っぷりを発揮する朝比奈さん大人バージョンを見上げる。 「あの、はじめまして」オーラを感じた、というのがこの時自己紹介がしどろもどろになった原因だろう。俺の名前を聞くと、「なるほど」と満足げにうなずいて、にっこりと笑って「すると君がキョン、……クンなのかな?」と言って頭をなでてくれた。「いつもお世話になってます」いえいえこちらこそ、朝比奈さんのかわいさにはお世話になっていますよ、なんて簡単に言えてしまいそうなくらいに混乱と興奮が頭の中で渦巻いていた。とにかく、これが第一印象は美人だったというほかない朝比奈さんのお姉さん、以下、朝比奈さん(大)との出会いだった。
その朝比奈さんの運転する軽自動車に乗って俺たちが向かったのは少し離れた場所にある大きなデパートの屋上で、昔あったミニ遊園地の名残であろう100円で前後運動する遊具の反対側に小さなステージとパイプいすが用意されていた。説明していなかった気がするので、今からここで何があるのかを述べることにする。今回朝比奈さんに誘われてやってきたのは「戦隊ヒーローショー」を見るためだ。毎年このデパートの屋上や、運動公園広場で行われる年替わりの正義の味方と悪の戦いを間近で見れるイベントには多くのちびっこ、それも男の子が集まる。そんなイベントにまさか朝比奈さんから誘われるとは思わなかった。ハルヒはと言えば、この戦隊ものを大変ひいきにしているらしく、「そんな子供っぽい見せ物を」なんて言っていたわりには開始前から鼻息荒く興奮している。何だかんだで古泉も男だからこういうのが好きなのだろう。ハルヒほどではないが嬉しそうに笑っていた。長門はいつもの無表情で俺自身も実のところ早起きが苦手になった最近では見逃すことも多くあまり興味はなかった。確か今年は超能力戦隊だっただろうか。最近見た話はどんなだっただろうか、と思い出しつつきれいに並べられたパイプいすを眺めていた。
開演時間よりかなり早くに来ていたようで、始まるまでの時間を屋内のゲームセンターで過ごすことになった。小遣いなど持ってきていなかった俺は、気前よくコインを使う古泉やハルヒの後ろから画面をのぞいたり、10円で大当たりを出して使いきれないほどのメダルを出した長門からコインを貰って別のゲームに使っていた。余談だが、この当時小学生だけでゲームセンターに行くと不良たちにお金を巻き上げられるという都市伝説があり、俺や古泉はもちろん保護者のいない遊技場での遊びにそわそわと首を動かして辺りを警戒する朝比奈さんが妙にかわいらしかった。もちろん、不良に絡まれることなどなく、手元のメダルがなくなるころには程よく時間がたっていて、俺たちは再び屋上に戻り満席に近い状態の会場を見て驚いたのだった。 結局、全員が一緒にそろって座ることなどできず、各自がばらばらに座れる場所を探すことになった。ハルヒはポツリポツリと空いていた最前列を。長門は前から三番目の左端。その右斜め後ろに四つずれた所に古泉。俺と朝比奈さんは後ろの方の右端に空いた二席に座って開演を待つ。朝比奈さんの隣に来たのはラッキーだったかもしれない。ハルヒはとにかく騒ぎまくるだろうし、長門は長門で静かすぎて気まずい気もする。古泉の隣など論外ではないかそう考えると朝比奈さんの隣は落ち着いてゆっくりを見ることのできて知っている人間のいる最も落ち着く場所ではないか。まぁ、ヒーローショーを落ち着いてゆっくりと言うのも何か違う気もするが…。
いよいよ開演となり、朝比奈さん(大)より一回り小柄な、美人というよりは可愛らしい女性が司会を始めた。そして、俺は『朝比奈さんの隣は安全地帯である』という先ほどの考えを一瞬で覆す、お約束の展開を忘れていたのだ。大抵、こういうヒーローショーでは、人気の戦隊戦士よりも先に名前も覚えていないような怪人が先に登場する。そして、適当にステージから離れて、いかにもか弱そうな少年少女をかっさらって泣かせてしまうお約束イベントがあるのだ。あの、着ぐるみだと分かっていても恐ろしい外観をした化け物は小学四年生にも強いプレッシャーを与えるほどに怖い。ようするに、始まる前にいくら「俺、怪人に狙われたら逆に倒してやるよ」などとうそぶいたところで、実際にそんな目に会うと、戦うどころか手が伸びてくる前に泣き出してしまうやつまでいるほどだ。谷口が小学一年生、夏のことである。まぁ、そんな凶悪な奴が会場をうろつけば、俺はもちろん、根っからの臆病者で泣き虫である朝比奈さんは言わずもがなで、こちらに近づいた瞬間に「ひゃぁ」と悲鳴を上げていた。 一個上なのだが、どうにかすると自分より年下の子と同世代に見えてしまうような女の子を怪人が見逃すはずもなく。「はっはっはっ!お前に決めた!」などとスピーカーからいかにも悪役と言ったセリフが流れて朝比奈さんがさらわれる。俺は、当然恐怖のあまりに身動きもとれず、泣きながら暴れる朝比奈さんを、涙目で見送るしかなかった。「あぁ、大変。怪人に女の子がさらわれてしまったわ」ステージから何ともしらじらしいセリフが聞こえる。のんきなこと言ってないで助けろよオトナだろ?
「さぁ、皆で呼びましょう、せーの…」お決まりの文句が飛び出す前に、小さな影がチョロリとステージへ向かったハルヒだ!ハルヒは精いっぱいの力で朝比奈さんを抱きかかえる怪人(の着ぐるみ)にとび蹴りをヒットさせた。が、所詮は小学生の力で、怪人はよろめくこともなく、むしろ突然乱入した女の子が体勢を崩して倒れないように優しく体を支えていた。こうして人質は二人になり、泣き叫ぶ朝比奈さんと、怒りをあらわに喚き散らすハルヒでステージはたいへんにぎやかだ。しかし、これがまた観客の恐怖を煽る。勇敢にも立ち向かっても子供の力ではどうにもならないことが分かった今、怪人への恐怖は計り知れない。あのハルヒでもかなわないのか、というのが俺の感想であり。正直この時にはもう泣いていた覚えがある。ハルヒの勇敢な行動が、俺には余計に怖かった。
「待てーっ!」「そこまでだ!」スピーカーは頼もしい男の声を響かせる。超能力戦隊だ!子供たちに笑顔が戻る。俺は必死にしゃくりあげてステージを見ていた。赤・青・緑・黄・桃の戦闘服を着た五人が順番に登場し、まず子供たちを保護する。そして、怪人の手下の戦闘員をあっという間にやっつけてしまい、怪人とレッドとの一騎打ちとなる。ステージの端では、今度はブルーに抑えられながらレッドを応援し、怪人に罵声を浴びせるハルヒと、ピンクに頭をなでて慰められる朝比奈さんの姿があった。そのあとはおよそ順調に進行し、泣きながらに戻ってきた朝比奈さんと、怪人を退治する様子を見終わって、五人で再集合して一枚500円のヒーローのサイン色紙を満足げに抱えて朝比奈さん(大)を待った。そういえば、朝比奈さん(大)はこの時何をしていたのだろうか、なんてしらじらしく思ってみたことを加えておく。
やがて、笑顔でやって来た朝比奈さん(大)は目を真っ赤にはらした朝比奈さんを見て苦笑いをして「みんな、お待たせ―」と笑顔で言った。本当に美人だ。そんなことを思って見ていると朝比奈さん(大)に頭をなでられていた。「キョンちゃん、だったっけ?怖かったね」そうだ。俺も目を真っ赤にはらしていたじゃないか。「お詫びにね、みんなに会わせたい人がいるの」誰だろう?俺たちはみんな、いや、朝比奈さん以外が首をかしげた。「ほら。こっちにきてー」ステージ横のテントに向かって朝比奈さん(大)が叫ぶ。無言で現れたのは、真っ赤なバトルスーツに包まれたヒーローだった。「あたし、超能力戦隊とお友達なのよ」にっこりと邪気のない笑みを向けられて嬉しくないはずがない。その場にいた全員が、きゃいきゃいと叫んで握手をしたり抱きついたりしていた。ただ、会話どころか挨拶さえもしてもらえず、理由を聞いたら「疲れてて声がかれてるからよ」と教えられた。なるほどあとでそんなはずがないと気付いたが、その時には十分に信じられる言葉だった。
これは、後日談なのだが、ある日朝比奈さんにどうしてお姉さんがヒーローと友達なのか聞いてほしいと言ったことがあった。「えっとね、キョンくん」朝比奈さんはちょっと困ったようにはにかんで「お姉ちゃんもせいぎの味方なの」と、嬉しそうに答えた。「だからね、あんな怪人も簡単にやっつけちゃうし美人さんなんだって」「何戦隊なの?」お姉さんが正義の味方。この人のお姉さん、朝比奈さん(大)ならそれでもおかしくない「うーんとね、ひみつなんだって」空を見つめて思い出すように朝比奈さんがそう言った。「ひみつ戦隊?」「うん、たぶん」そして朝比奈さんはにっこりと笑って「だから、お姉ちゃん大好き」と、嬉しそうに、恥ずかしそうにした。「秘密戦隊ピンクか」何となくイメージでそう言ったのだが、これがあながち間違いでなかったのは……。まぁ、それは多分、いずれ知る話なんだろう。
柊
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