(消失)長門有希のもしも願いが叶うなら プロローグ 夏の記憶
部屋の隅に1つのお面がある。このお面を見るとあの日のことを思い出す。彼は笑顔でさよならを言った。悲しみと不安を隠すために作った精一杯の笑顔で。繰り返される夏休み。8月31日24時00分00秒になった瞬間、8月17日に戻る。そして、8月17~31日までの記憶はすべて消去された。わたしを除いて。9874回目の夏休みわたしは彼を助けることができなかった。本当に助けることができなかったのだろうか。彼が消えるのに見て見ぬふりをしていたのではないか。もちろん彼は死んだわけではなく、今でも元気に生きている。しかし……もし、あの日が地球最期の日だとしてもわたしは何もしなかったのではないか。そう考えるとぞっとした。わたしは部屋の隅にあったお面を手に取る。夏祭り。多くの露天が並ぶその中に一軒のお面を売る店があった。人気キャラクターのお面は何枚も同じものが並び、次々と買われていく。しかしそのお面は陳列の隅に置かれ、買う人は皆無。15496回中、わたし以外の人間が購入したことは一度もない。そのお面は誰も迎えに来ないにもかかわらず、そこに立ちすくむ待ち人のようにそこにあった。窓から差し込む光がお面に反射しキラリと光る。今日は雲ひとつない。快晴。そう。あの日も今日のように晴れていた。◇◇◇◇夏。照りつける直射日光に彼や古泉一樹は疲弊していた。人間は体温調整機能が不十分なため体温上昇により身体機能の低下を起こす。しかし、涼宮ハルヒは例外。彼女はプールで子ども達と遊んでいる。涼宮ハルヒは無意識的に夏休みが終わって欲しくないと考えていた。涼宮ハルヒが終わりを望まない限り、永遠に繰り返される夏休み。涼宮ハルヒを見つめる彼。ボール型の浮き輪を朝比奈みくるに向けアタックする涼宮ハルヒ。驚く朝比奈みくる。それを見て笑う子どもたち。そして、わたしはプールサイドで彼らを眺めていた。この光景をみたのは9874回目。「退屈」とはこういうことをいうのだろうか。わたしは夏休みの終焉を望んでいる。はやくこの「世界」から抜け出したい。しかし、わたしにはどうすることもできない。わたしは観察者。干渉は許されない。彼女を眺めるしか術はない。ふんだんに遊び果たした涼宮ハルヒの一声で、ようやく市民プールを後にし、喫茶店に向かった。涼宮ハルヒは席につくなり、「これからの活動計画を考えてみたんだけど、どうかしら」と、言い、一枚の紙をテーブルの上に置いた。○「夏休み中にしなきゃダメなこと」・夏季合宿・プール・盆踊り・花火大会・バイト・天体観測・バッティング練習・昆虫採集・肝試し・その他内容は前回までと一字一句違わない。それを見た彼は言う。「何の真似だ」彼の質問に、涼宮ハルヒは「残り少ない夏休みをどうやって過ごすかの予定表よ」「誰の予定表だ」「あたしたちの。SOS団サマースペシャルシリーズよ。ふと気付いたのよ。夏休みはもうあと二週間しかないのよね。愕然たる気分になったわ。ヤバイ! やり残したことがたくさんあるような気がするのに、それだけしか時間が残っていないわけ。ここからは巻きでいくわよ」このやりとりも何度も聞いた。ため息をつく彼。目を丸くする朝比奈みくる。苦笑する古泉一樹。彼らの反応もまた同じ。眺めるわたしも含まれた。また、同じことが繰り返される。一体、涼宮ハルヒは何を望み夏休みを繰り返すのだろうか。夏休みの予定告知が終了し、彼らは解散した。わたしも帰ることにする。わたしが店を出て歩き出したとき、背後から声が聞こえた。「長門」彼だった。彼のこの行動は9874回中初めて。彼の声が新鮮に感じた。わたしは彼を見つめる。「いや……」彼は何か言いたそうだったが、言葉を飲み込むように口を閉ざした。何を言おうとしたかはわからないが、彼はそれを言うべきでないと判断したようだ。彼は代わりにこう言った。「何でもないんだけどな。最近どうだ? 元気でやってるか?」わたしには体調不良というものがない。従って、元気かと問われれば、常に元気である。しかし、わたしは彼に元気でないと言いたかった。なぜなのか、理由はわからないがそう答えたくなった。彼に助けてほしかったのかもしれない。しかし、わたしは観察者。干渉は許されない。「元気」そう答えるしかなかった。「そりゃよかった」「そう」「じゃあな」彼との会話は10秒足らずで終わってしまった。彼は逃げるように帰ろうとする。「待って」とっさに言葉が出たが、次に言うべき言葉を考えていなかった。わたしは黙り込む。私は観察者。私は彼に話す言葉が見つからなかった。「さようなら」そう言って、彼から逃げるように背を向けた。しかし、彼はわたしの感情のない表情から何かを読み取ったのか、「まて」彼はわたしを呼び止めた。「なんなら散歩でもするか」わたしは頷く。目的地はない。会話もない。ただ歩く。夕日が沈み、辺りは暗い。日が沈んでも蝉の声はやまない。わたしは彼と肩を並べ歩く。その時、蝉の声に混じり賑やかな声が聞こえてきた。「近くで夏祭りをやっているらしいな。行くか?」わたしは彼に従う。「夏祭りは初めてか」夏祭りは涼宮ハルヒの夏休みスケジュールに組み込まれており、もう何度も来ている。しかし、彼と2人で行くのは初めてだった。「はじめて」「そうか。なんか、夏祭りにくると不思議と楽しい気分になるんだ」彼は何か胸につっかえがあるようで、心底楽しんでいるようには見えない。
彼は心のどこかで世界の異常に気づいているのかもしれない。彼と夜店の間をぶらぶらと歩いた。多くの露店が並び多くの人間が集まり辺りは賑やかだった。「なにかやりたいものはあるか。おまえには世話になってるからなあ。遠慮なく言ってくれ」彼はそう言ってくれたが、特に欲しいものがなく、黙っていると「そうだ。金魚すくいでもするか」彼が提案をしてくれた。彼の提案に同意する。彼は2枚のポイを購入し、1枚をわたしに渡す。彼は腕まくりをして金魚すくいの”極意”をわたしにレクチャーした。「長門。よく見とけ。金魚を隅に追い詰める。水をすくうと紙が破れる。だから斜めにして金魚だけをすくうんだ」彼は器用に金魚をすくう。わたしは彼に続き、挑戦する。紙の強度から考えて19.3g以下の金魚が望ましい。該当する金魚を補足、持ち上げる。パシャ金魚は紙の上で飛び跳ね紙を破いた。金魚の動きまでは予想できなかった。破れた紙と空のおわんをみて彼は笑う。「長門にもできないことがあるんだな」「有機生命体の行動予測は困難」わたしは、気まぐれに泳ぐ金魚を眺める。それは何にも束縛されず悠々自適に泳いでいた。「長門、金魚に興味あるのか。なんならこれをやる。飼ってみるといい。ただ眺めているだけでも面白いぞ」彼は自分が獲得した金魚の入った袋を手渡した。「そう」わたしは袋を受け取る。袋をぶらさげて歩く。しばらく歩くと角にお面を売る露店があった。「昔、お面をかぶって遊んだんだ。お面をかぶるだけで正義のヒーローになった気がしてな」彼の視線の先には『お面』があった。誰にも買われることもなく、ずっと待ち続けている『あのお面 』が。わたしはそのお面を買い、彼に渡す。「金魚のお返し」彼はなぜお面? という顔を一瞬したが、「ありがとう」と言い受け取った。なぜ、『そのお面』を彼に渡したかはわからない。ただ、『そのお面』を彼に持っていて欲しかった。その後もいくつか夜店を回った後、家路についた。家に着くことには、酸素不足の金魚が苦しそうに口を開けていた。家に水槽はない。わたしは自分の使うお椀に水を張って、それを移した。 翌日、彼が金魚鉢を持ってきた。「飼い方がわからなくて困っているんじゃないかと思って」「容器に移し替えて置いてある」「こっちの方がいいだろう。昔、金魚を飼ってたから家にあったんだ」彼は金魚をガラスの金魚鉢に移し替えた。「えさはやっているか」「やっていない」「そんなことだろうと思ったよ。金魚のえさを持ってきたから、1日数回あげるといい」彼は金魚の飼い方をわたしに教えるとすぐに帰った。金魚のことが心配だったのだろうか。 ◇◇◇◇ 彼が夏休みが終わらないことに気づいたのはそれから数日後のことだった。夜遅く、わたしが家にいると、古泉一樹から電話があり、駅前に呼び出された。駅前には古泉一樹が立ち、その横で朝比奈みくるがうずくまっている。「どうも。夜分にすみません。電話でもお話ししたと思いますが異常事態でして」「そう」 古泉一樹がエンドレスサマーに気づいたのは今回で3832回目。しばらくしてから彼が来る。朝比奈みくるは彼を見るなり、目を潤ませて彼を見上げた。「ふええ、キョンくん、あたし……未来に帰れなくなりましたぁ……」彼は困惑していたが、どこかうれしそうにも見える。「白状してしまいますと、つまりですね、こういうことです。我々は同じ時間を延々とループしているのです」と古泉一樹。「そんな非現実的なことを明るく言われてもな」彼は、現実を受け入れたくないようだった。「それで、何回くらい僕たちは同じ二週間をリプレイしているのですか?」古泉一樹はわたしに流し目を送って尋ねた。「今回が、9874回目に該当する」そう言った瞬間、彼はあっけにとられたようで、口が開いたままになる。「これはマジな話なのか?」「そう」「するとだ。明日に俺たちがやる予定になっていることも、すでに俺たちは過去においてやってしまっているのか」「必ずしもそうではない」わたしは夏休みを終わらせたかった。しかし、わたしにも終わらせ方はわからない。終わらすことができるのは彼だけ。彼に参考になるかもしれない情報をできるだけ詳しく伝える必要がある。「過去9874回のシークエンスにおいて、涼宮ハルヒが取った行動がすべて一致しているわけではない。9874回中、虫取りに行かなかったシークエンスが5回ある。市民プールには今のところ毎回行っている」みるみる彼の顔が曇っていく。 「アルバイトをおこなったのは5286回であるが、アルバイトの内容は6つに分岐する。風船配り以外では、荷物運び、レジ打ち、ビラ配り、電話番、モデル撮影会があり、そのうち風船配りは5310回おこない、二種類以上が重複したパターンは156回。順列組み合わせによる重複パターンは――」「いや、もういい」遮られた。「すると長門。おまえはこの二週間を9874回もずっと体験してきたのか?」「そう」「お前……」彼は感情を知らないロボットを哀れむような目でわたしを見た。違う。わたしは叫びたかった。わたしに感情がないわけではない。わたしだって、退屈と感じることも、おっくうに思うことだってある。夏休みが終わって欲しいと願っている。わたしは感情のない人形ではない。でもその気持ちを表情にできない。それは仕方のないこと。こころの奥底にある感情を押し殺し黙り込んだ。わたしは、わたしは、観察者だから…… ◇◇◇◇ 金魚にえさをやるのが日課になっている。彼らはえさをやるときだけ、水面に寄ってきた。それ以外は飼い主のわたしに見向きもしない。使命も役割もない。ただ、本能に逆らわずに生きている。悠然と泳ぐ金魚を、眺めていた。また夏休みがリセットされれば、彼と行った夏祭りも金魚を飼うこともなかったことになってしまう。今回こそ、終わって欲しい。 それから数日後の8月29日。肝試しの帰り、わたしは彼に忠告した。「明日が勝負」「終わらない夏休みのことか」「そう」「もうちょい、ヒントを出してくれないか」「わたしも解決策はわからない。ただ、あなたが涼宮ハルヒを満足させる提案をすることが解決策である可能性は極めて高い」「どうやったらハルヒは満足するんだ」「わからない。ただ、この問題を解決できる可能性が一番高いのはあなた。従ってあなたが自ら考察し、解法をみつけるべき。あなたに賭ける」彼は頭を抱えていた。 翌日8月30日。運命の日がやってきた。涼宮ハルヒは夏休みの終わりを宣言する。このとき、彼が涼宮ハルヒを満足させる提案をしなければならない。彼に期待するしかない。 駅前の喫茶店で涼宮ハルヒは自分に言い聞かせるように言った。「うーん。こんなんでよかったかしら。でも、うん。こんなもんよね。ねえ、他に何かしたいことある?」涼宮ハルヒは煮え切らない様子だ。彼は考え込むように腕組みをしていた。「まあいいわ。この夏はいっぱい色んな事ができたわよね。色んな所に行ったし、浴衣も着たし、セミもたくさん採れたしね。じゃあ今日はこれで終了。明日は予備日に空けておいたけど、そのまま休みにしちゃっていいわ。また明後日、部室で会いましょう」彼は前屈みになり、まるで遠ざかる涼宮ハルヒを捕まえるようとするように手を前に伸ばし「俺は満足していねえ!」彼は叫んだ。店内にいるすべての人が振り向いた。「市民プールだ?ふざけんな。夏なら海だろ! 近所の墓地で肝試しだと。もっとちゃんとした心霊スポットでやるべきじゃないのか」彼はやけくそだった。喫茶店のマスターはこちらをのぞき見て、古泉一樹は苦笑し、朝比奈みくるはおろおろしていた。涼宮ハルヒも彼がいきなり叫んだことに、一瞬驚いたようだが、驚きはすぐに満面の笑みに切り替わり、彼の意見に同意した。◇◇◇◇翌日、朝6時に駅前集合。午前中に海で海水浴を行い、夜から肝試しに近所の山に行くこととなった。海水浴と肝試しを同じ日にやったことは今までない。涼宮ハルヒが楽しむことができれば、今回はいけるかもしれない。 「あなたが海水浴と肝試し、2つも要望を出すので、場所を探すのに苦労しました。おかげで寝不足です」「仕方ないだろう。あのままハルヒを返したらゲームオーバーだ」「それは感謝します。今回、わたしはあなたになに賭けます。海水浴も肝試しも計画は完璧です。がんばってくださいね」「何をだよ」 北口駅から2時間ほどで浜辺についた。SOS団以外誰もいない。「まるでプライベートビーチね。こんな良い場所があるなんて。古泉君、あなたに勲章をあげるわ」「ありがとうございます」涼宮ハルヒはますます上機嫌になり、SOS団の団員は海水浴を楽しんだ。その後、古泉一樹がバックからすいかと棒を取り出した。「せっかくです。スイカ割りでもしましょう」「どっから持ってきたんだ」古泉一樹の用意周到さに彼はあきれていた。涼宮ハルヒがすいかに棒を振り下ろす……が、割れない。なかなか割れないため全員に順番が回った。最終的には「割れるまで、絶対に食べさせないわよ」と叫ぶ涼宮ハルヒが3巡目にして割ったのだが、そのころにはすいかは楕円形になっていた。いびつなすいかの破片を食べることになった。涼宮ハルヒは終始太陽に負けない笑顔を振りまいていた。その夜、休む間もなく肝試しに向かう。そこは北高から西に数km行ったところにある山手の公園だ。住宅地にある児童公園だが、その先は木が覆い茂る山道へと続いている。古泉一樹は爪楊枝を取り出し班分けをすると宣言した。「全員で行っても雰囲気がでません。せっかくの肝試しですから少人数で行動したほうがいいでしょう」というのが古泉一樹の言い分。そして古泉一樹はわたしに目配せをした。仕方ない。私は古泉一樹の陰謀に荷担した。公正なくじの結果、彼と涼宮ハルヒのペアとその他3人のグループに分かれた。古泉一樹は地図と懐中電灯を取り出す。 「各グループに地図と懐中電灯を渡します。人数分は用意しておりません。グループに1つです。地図をご覧ください。肝試しの道順が書いてあります。このコースに沿って歩いてください。なお、涼宮さんのグループが出発した15分後に僕たちのグループが出発します。ですから涼宮さんグループは僕たちが着くまでゴール地点で待っていてください。また緊急の連絡があれば僕の携帯まで電話してください」そうして古泉一樹プレゼンツ肝試し大会が行われた。彼と涼宮ハルヒは森の中に消えていく。「長門さん。ありがとうございます。」「いい」「おかげさまでここまでは計画通りです。あとは彼次第と言ったところでしょうか。うまくいけばいいのですが。なにぶん彼も素直じゃないですから」古泉一樹は手を挙げて肩をすくめた。たしかに古泉一樹の計画は完璧だった。涼宮ハルヒはいつも以上に楽しんでいる。今回で夏休みが終わるかもしれない。 15分が経ち、古泉一樹と朝比奈みくるも山道へ進む。肝試しコースは獣道で、街灯があるわけもなく懐中電灯がなければ足下さえ見えないほど暗い。古泉一樹は先頭を歩き、朝比奈みくるは体を震わせて後を追う。10分ほど歩くと視界が開けた。「わあ。きれい」さっきまで震えていた朝比奈みくるは一転、感嘆の声を上げていた。そこは山の中腹で市街地が一望できる展望台になっていた。「いい眺めでしょう。1000万ドルの夜景です。涼宮さんも満足してくれればよいのですけど」夜景を見ながら少し歩くと、彼と涼宮ハルヒが展望台の手すりに寄りかかり、夜景を眺め待っていた。「お待たせしました」「みんな、遅いじゃない。みて。すっごいきれいよ」涼宮ハルヒは目を輝かせていた。 彼は小さな声で「肝試しになんで夜景が必要なんだ」「すみません。目印としてわかりやすいかと思いまして」古泉一樹は終始笑顔だった。夜景を堪能したSOS団は解散することになった。「古泉君。今日の計画は文句のつけようがないわ。すばらしいわ」「ありがとうございます」「みんな。今日は撤収。今日で夏休みが終わるのは惜しいけど仕方ないわ。明日、学校で会いましょう」そう宣言し、一行は下山した。◇◇◇◇家に着いて38分過ぎたころ、一本の電話がかかってきた。「もしもし、長門。今から会いたいがいいか」「いい」彼からだった。午後11時わたしは待ち合わせ場所である光陽園公園に向かう。光陽園公園には誰もおらず、ベンチに座り彼を待つ。しばらくして、彼が自転車に乗ってやってきた。「こんな遅くにすまないな」「いい」「どうしても話したいことがあって……」彼は話すことを一瞬躊躇したが、堰を切ったように早口で言った。「実は……さよならを言いに来たんだ。終わりなき夏休みから脱出することに失敗したんだ。俺は、この世界から消える。俺が消えるんじゃなくて世界が消えるのか。いやそんなことはどうでもいい。とにかく、おまえ以外、すべての人間の記憶がリセットされる。俺だってダテにSOS団の団員をやっているわけじゃない。ハルヒが何を考えているかだいたいわかる。夜景を見終わって帰るときのあいつの顔は夏休みを満足した顔じゃなかった。夏休みがもっと続いて欲しいっていう顔だ。俺は、ハルヒが喜ぶような楽しい活動をすればいいと思っていた。けど、そうじゃないんだ。楽しい活動をすればするほど、あいつは夏休みの継続を望む。夏休みを終わらせるにはもっと別の、そうだな、学校に行きたくなるようなことをしないといけなかったんだ。彼は空を仰ぎ見る。「もうそんなことに気づいても手遅れだが」彼は大きなため息をつき、わたしを見た。「なあ、長門、せっかくだからどっか行くか」これはわたしにとって予想外の提案だった。わたしがなんて答えていいか分からず黙り込んだことを、彼は断りと解釈したのだろうか。彼は慌てて言った。「といってもこんな夜に行くところなんてないか。すまん。忘れてくれ」わたしも慌てて応答した。「夜景をもう一度見たい」彼は少し驚いたようだが、わたしに微笑み、止めてあった自転車のハンドルを握った。「わかった。自転車に乗れ」そう言うと、わたしを乗せて目的地に向けて出発した。さっき行った場所まで光陽園から離れておらず、目的地に着くまでそれほど時間はかからなかった。11時40分100万ドルの夜景がそこに広がっていた。わたしたちは2人並んで夜景を眺めた。そこには、わたしと彼以外誰もいなかった。あの光輝く街では考えられないほど、静かな夜。澄んだ夜空には星が輝いていた。「長門」彼は遠くを眺めながら「俺は消えるわけじゃないんだよな」「一定期間の記憶が消されるだけで、存在自体がなくなるわけではない」「そうだよな。1週間前に戻るだけだ。死ぬ訳じゃない」彼は自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。「でも、記憶がなくなることがすごく怖い。自分じゃなくなるみたいな気がして」わたしは何も答えることができなかった。長い沈黙が続いた。「長門。頼みがある」彼はバックから何かを取り出す。お面だった。「これは、おまえからもらったお面だ。もうすぐおまえと夏祭りに行った記憶もこのお面も消えちまう。すべてなかったことになってしまう。俺はおまえからのプレゼントを大切に持ち続けることさえできない。だから、すまないが一旦おまえに返す。もし、この終わらない8月から脱出したら、そのとき俺に渡して欲しい。そして、『今の俺』のことを話して欲しい。未来の俺に過去にこんな俺もいたって言ってほしい」「わかった」「ありがとう」彼は時計を見る。11時58分「あと2分か。なんでこんなに怖いんだろう。なんでこんなに悲しいんだろう。別に死ぬわけでもないのに」わたしは何も答えることができなかった。11時59分「すまない。一方的にしゃべって。過去の俺も同じことしてるのか」「31日にあなたと2人で話をするのは初めて。2人で夏祭りに行ったことも、金魚をもらったことも、お面をあげたことも、すべて初めての経験。9874回の夏休みはわたしにとっても特別。今日のことは忘れない。必ず未来のあなたにお面をもう一度プレゼントする」11時59分30秒「ありがとう。よろしく頼む。おまえにはいつも頼りっぱなしだな。本当に感謝してる」11時59分50秒「もう時間か……」11時59分55秒彼はせいいっぱいの笑顔を作り、言った。「じゃあな。また、会おう」わたしも笑うべきだと思う。しかし、わたしに感情は必要ない。それが仕様だった。わたしは微笑むことも、涙を流すこともできず……わたしの前から彼の姿は消えていた。◇◇◇◇その後15496回目にして、エンドレスサマーから脱出できた。みんなで宿題をやること。それが答えだった。わたしの部屋の片隅にはあのお面が置いてある。彼にお面を渡さなければならないが、未だに渡せずにいる。 夏は過ぎ、もう12月である。終わらない夏休みから今まで、世界を揺るがすような大事件もなく平穏な日々を過ごしている。明日世界が改変される。わたしによって。確かにわたしは、世界が改変されることを望んでいる。わたしは観察者という立場を投げ出したい。時間を超越し、環境情報を操作できる力。そんなものはいらない。楽しければ笑い、悲しければ涙を流す。わたしは普通の人間になりたかった。しかし、それはかえられない夢ということはわかっている。過去のわたしが許さない。彼も望んでいない。彼ははっきり言った。『今の世界』がいいと。それでもわたしは世界を改変するのだろうか。わたしは改変などしない。そう思っていた。あの日までは。
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