たなぼた―Now,that taste is bittaer―
幼少の時分、俺は未だ自分自身の才能を一切疑っておらず、いつかは何らかのカタチで億万長者、もしくはこれまたなんらかのカタチで天才と呼ばれる人物になるのだという子ども特有の根拠のない自身をもっていた。 しかし、小学一年生の七夕。俺のクラスは担任がどこからかせしめてきた笹に願いごとを吊し、クラス全員でそれの飾りつけをしようという行事を敢行する運びとなり、その飾りつけに追われていた。 担任が社選に取り決めた飾り付けグループの中、それぞれ折り紙で輪を作ったり折ったりしていたのだが、このリサイクル精神溢れる担任は自分の不手際により余った短冊を目の前に鎮座していた俺に渡すなり、これでなにかを作って、などとほざきやがった。 こんな半端な折り紙でなにができるというのだろうか。しわのないつるつるの脳を総動員し、俺はある妙案を思いついた。よくスーパーやらで飾ってある笹にはやたらと流麗な文字で「たなばた」だとか、「おりひめ」だとか、「ひこぼし」だとかそう書かれたものが短冊と一緒に吊されていたりする。 俺には全くもってその意図が不明だったが、それが七夕の飾りというものなのであろう。 俺はその慣例に倣い、習いたてのひらがなを用いて「たなばた」、「おりひめ」、「ひこぼし」と書いたつもりだったしかし、後日吊されたそれを見たところ、よれよれの汚い文字で書かれたそれは誰がどう見ようと「たなぼた」、「ありひめ」と書かれており唯一まともだったのは「ひこぼし」だけという惨状を呈していた。 ありひめとはなんなんだ。ギ酸的な溶解液を口から飛ばしてくる妖怪かなんかの類であろうか。その失敗により、俺は自分の、少なくとも知能に対する得体の知れない自信は疑問へと変わり、中学を経てそれは確信へと変わった。 俺は凡人なのだ。 そうして自分の知能を嘆きながら、息も絶え絶えに期末考査が終わり、レッドラインすれすれの点数が朱入りされて手元に戻ってきた。溜め息を交えながら来たるべき長期休暇に胸を膨らませていた本日は、奇しくも俺が自分の知能への疑問を抱くきっかけとなった七月七日である。今にして思えば、十年前の俺が犯した最大の間違いは妖怪蟻女を生み出したことではなく、「たなぼた」と短冊に吊したことではないだろうか。「たなぼた」、略さずに言うならば、棚からぼたもち。意味は誰もが知るところであろうが、思いがけない幸運を手にしたという意味である。しかし、棚からぼたもちが降ってきたところで落ちる前にキャッチせねば、ベタベタと回りに餡のついた餅に塵芥が付着することは明白であり、いくら三秒ルールが世の中を席巻する時代であったとしてもそんなものを喰う輩などいないだろう。 また、首尾よくキャッチできたとしても、棚から落下してきた正体及び製造年月日不明のぼたもちなど喰いたくはないのだが、不思議を求めていた小学生の俺ならば食いついたかもしれん。 しかし、往復三十二年の光速の壁を神の御技かどうかは知らんが越えて、たった十年で俺の「たなぼた」という願いを叶えて下さった神とやらに一つ言いたい。去年以前の俺ならいざ知らず、現在俺の回りには未来人、宇宙人、超能力者が現れており、すでにそいつらのごたごたに頼んでもないのに巻き込まれている。今さらどんな苦難に巻き込まれようと、俺は願いが叶って嬉しいなどとはシャミセンの肉球に生える毛ほども思わないのだ。 そう、今の俺は「たなぼた」なんて望んではいなかった。それも棚から落ちてきたのがぼたもちではなく隕石なんてな。 本日もいろいろとハルヒの予測不能な思考回路により、俺や他のSOS団団員は苦悩を味わったのであるが、今日の出来事やパラレルワールドでの出来事は他の作者に任せるところとして、俺たちは解散の運びとなった。 差し込む陽光はすでに紅を帯びているとはいえ、むしむしとした空気が不快感を煽る中で長ったらしい坂を下っていると汗が滲んでくる。その汗を拭っていると、先頭集団を形成するハルヒがちらりとこちらを見やった。その顔は沈んでいるように思えた。 何なんだ、あいつは。「今日になって涼宮さんの精神が著しく不安定なんですよ」古泉はまるでハルヒの憂鬱が俺のせいのように囁いた。ハルヒの精神が安定するのなんて滅多にないと思うが、毎年、といっても二年目だがハルヒは今の時期になるとメランコリーになる。その理由と言えば恐らくはジョン・スミスであり、そのジョン・スミスとは俺が咄嗟に名乗った名前である。しかし、それが原因だとしてどうやって解消すればいいのかも分からんし、なんで俺がそんなことをしなきゃならないんだという思いもあった。古泉が呆れた風に肩をすくめるのを無視して、俺はずんずんと歩を進めた。朝比奈さんとハルヒからわずかに遅れて歩を進める長門を追い越そうとしたとき、唐突に後ろ袖をひかれた。振り替えれば、長門が無表情に俺の袖を握りしめている。珍しい光景に唖然としていると、後ろから古泉が追いついてきた。「やはり、長門さんも気付かれましたか」長門はわずかに顎を引いてから、黄昏の空を指さした。まるで青春ドラマのワンシーンのようだが、いかんせんヒロインが無表情すぎる。 そう思いながら長門の指先を辿ると、うっすらと姿を表し始めた星が見える。その中で一筋の光りが走り、瞬く間に消えた。流れ星か。これが流れてしまう前に願い事を三回言うには、指さしポーズのまま固まる長門並の早口言葉を体得せねばならんようだ。「ほう、綺麗なもんだな」「よく見ていて下さい」言われるがまま空の彼方に視線をやっていると、再び光が尾をひきながら流れていった。それが消え切らない内にまた一つ新しい尾が出来ていく。流れ星にしちゃ、いくらなんでも多すぎやしないか。「あれはケイ素構造生命体共生型情報生命素子の残滓」それってシャミセンの中に入ってる奴じゃないのか?「そう」「また、犬の思考回路を乗っとろうとしているのでしょうか?」「恐らくは違う。彼らは涼宮ハルヒが四年前に書いたものを見てやってきた」あの妙なマークのことか。「そう」なんで今さらのこのこやってきたんだよ。「彼らは涼宮ハルヒが書いた時点からこちらにやってきていた」「危険性はありますか?」「もっとも巨大なもので十二立方キロメートル、密度三十.五二グラム/立方センチある」「そんな巨大なものが」と、愕然する古泉にいまいち実感の沸かない俺は尋ねてみた。「それってヤバいのか?」「恐竜が絶滅したとされる隕石と同程度の大きさです」なるほど。ヤバいどころの騒ぎではないな。 「落下予定時刻は?」「七月八日零時プラスマイナス三分」人間が恐竜と同じ運命を辿るまであと五時間もないのか。尾を引いて落下してゆくケイ素なんたらの様子を呆然と見つめていると、「あんたたちなにやってんの。置いてくわよ」と、ハルヒが叫んだ。こいつはたとえ憂鬱状態にあろうと、長門の三十倍は自己主張する。しかたなしに俺たちはハルヒと朝比奈さんの元へと誰からともなく駆け出していた。「じゃあ、今日は解散。明日に備えなさい」軽く息の上がった俺に労いの言葉などかけるやつではないのはとうの昔に確信していたのだが、そう言うなり帰っていったハルヒには今さらながら呆れと言うか、諦めといった感情がわき出てくる。 それを吐き出すように、俺は深い溜め息をついた。「キョン君、大丈夫ですか?」ふわふわした上級生、朝比奈さんが俺を心配してくれる。どっかの団長も見習えばいい。「大丈夫ですよ」「そうですか。じゃあ、あたしはこれで」そう言って、朝比奈さんは帰っていかれた。これを今生の別れとしないためにもどうにかせんといかんな。「長門、さっきのケイ素なんたらだが、どうにかできるか?」「不可能」万能宇宙人長門がどうにかしてくれる。そんな淡い希望はたったの三文字で打ち砕かれた。「情報統合思念体の判断がつきかねている」長門のパトロンはどうやら優柔不断らしい。 「ですが、NASAがミサイル等で迎撃という可能性は考えられないでしょうか?」「無視できるレベル。既存するレーダーではケイ素構造生命体共生型情報生命素子を透過する」万策、というか長門が不可能と言った時点で駄目なんだろう。立ち眩みに襲われた俺は地べたに座り込んだ。メンインブラックもいないし、NASAも役に立たないのか。恐怖の大王が来るには九年ほど遅いぞ。今から朝比奈さん呼び出して最後の一夜をせめて一緒に過そう、と携帯電話を取り出したところであることを思い出した。そうだ。あの絵は朝比奈さんによって過去に連れていかれた俺が書いたんだ。俺は迷うことなく、アドレス帳の一番最初に渾然と輝く朝比奈さんの元に電話をかけた。『キョン君、どうしたんですか?』「すぐに戻ってきてくれませんか」『ふぇ? はい』俺の剣幕に押されてうなづいた朝比奈さんの声を聞いてから電話を切った。「お別れでも言うつもりですか?」そんな下らんこという暇があったら、車でも用意しやがれ。古泉は不思議な顔をしながら、それでも車を用意させるように電話をする。その間に朝比奈さんが小走りで息を切らせながら戻ってきた。「キョン君、なにかあったんですか?」なんて説明すべきだろうか。ほんとうのことを言ってしまえば、朝比奈さんのことだ。その場に泣き崩れて、テコでも動かないだろう。そうなればちょっと面倒だ。 一瞬の間にそこまで頭を回した俺は、「ハルヒに呼び出されました」とだけ告げた。またか、とハチドリの羽ばたきのようなか細い溜め息をつく朝比奈さんはひとまず置いてから、俺は古泉に向き直った。「車はまだか?」「すぐに来るようです。あっ、ほら」まるで待構えていたかのようなタイミングで黒塗りのタクシーが現れる。運転席の新川さんが会釈をして、ドアを開けてくれた。古泉は助手席、俺は朝比奈さんと長門に挟まれるかたちで後部座席に乗り込んだ。もうしばらくすれば馬鹿デカい隕石が落下するかもしれない状況とはいえ、両手に花という状況を楽しんでいると、「それで、どこへ行けばいいんでしょうか?」「東中までお願いします」「かしこまりました」新川さんがアクセルを踏みつけ、車はゆっくりと動き出した。かけてもいい。あいつはそこにいる。空を闇が支配し、炭素なんたらの燃える跡がくっきりと見えるようになったころ、俺たちは東中の近くに着いた。新川さんと別れたあと我らが団長を探すこと数分、校門の前で切なげに空を見つめるハルヒを発見した。暗くて分からないが、流れ星に向ってなにか呟いている。「ハルヒか?」その声にハルヒはぱっとこちらに目をやった。「ジョン?」少し驚いたが、ハルヒは俺――ジョン・スミスも俺なのだが―― と気付いたようだ。「なんだ、キョンか。あんたこんなとこで何やってんの?」「お前がまた落書きしてんじゃないかと思ってな」「なによそれ。あれ?みんなもいるじゃない」俺の後ろにいる朝比奈さんや長門、古泉を見つけてハルヒは首を捻った。「そういや、お前が落書きしたのって四年前の七夕だけだったよな」「そうよ」だったらなに、とでもいいだげなハルヒの不躾な視線に晒される。「お前らしくないな」「どういう意味よ?」「不思議なんてそう簡単に見つかるもんじゃないって、いつも言ってるだろ。なのに一回で諦めるなんてな」ハルヒの険悪な表情が次第に緩み、赤道直下のヒマワリのような表情を浮かべた。「そうよ! あたしとしたことが。みんな手伝いなさい」唐突にそう叫んだハルヒはガシガシと鉄柵を上り始めた。「やれやれ、とは言わないんですね」薄々、俺がなにをしようとしているか感づいた古泉がニヤけた面を見せる。さあね。 俺たちが鉄柵を降りて校庭に不法侵入をしたときには、すでにハルヒはグランドの片隅にある体育用具倉庫にいた。「ダメよ。閉まってるわ」たしかに丈夫そうな南京錠ががっちりと扉を押さえ込んでいる。長門、開けてくれないか。俺が耳元で囁くと、長門はわずかにうなづいて例の高速言語を唱えてみせた。がしゃんと音を立てて南京錠が落下する。「劣化していたようですね」古泉が摘みあげた南京錠はどう見ても新しいのだが、ハルヒはそんなこと構わずにガラガラと扉を開いた。「キョン!これ運びなさい」古泉と手分けして、真新しいリアカーに粉袋を詰め込み、ライン引きを持った俺はハルヒ監督の命令の元、ラインを引き始めた。四年前と同じ位置に立ったハルヒは、「あっ、そこ歪んでるわよ!何やってんのよ!」と見知らぬ怪しい人物から団員となった俺に指示を与え続けた。右往左往すること約三十分、やっと完成したかに思えたがハルヒはライン引きを奪いとるといくつかの線を書き加えていく。俺は疲労感とともに、ある思いに駆られていた。ここまで同じだったら……。「なあ、ハルヒ」「なによ」「宇宙人はいると思うか?」「いるわ!」俺とは違う断定系。「じゃあ、未来人は?」「いない方がおかしいわ」四年前と同じ。ただ、異なるのは質問するか、されるか。「超能力者なら?」「売って歩くほどいるに決まってるでしょ」 俺の意識に反して口が勝手に開く。「異世界人は?」ハルヒはがしゃんとライン引きを落とした。「……あんた下らないことばっかり聞いてないで、これ片付けてきなさい」その言葉で我に帰った俺は急いでライン引きを片しに走った。危ない。俺は何を考えてるんだ。体育用具倉庫に片付け終えて戻ってくると、ハルヒは憑物が落ちたような表情を浮かべていた。「帰るわ。やることやったし。じゃあね」礼すらないのも変わりなく、踵を返したハルヒは帰っていった。世界を大いに盛り上げるためのジョン・スミスをよろしくな。そう呟いた俺は苦い笑みを浮かべて、ただその背を見送った。 「ほんとうにあれでよかったんでしょうか?」帰りの車の中で古泉が長門に尋ねた。わけも分からず連れ出された朝比奈さんは今、俺の肩に寄りかかって寝息を立てている。「情報過多により、ケイ素構造生命体共生型情報生命素子は崩壊を始めた」やれやれ、どうやら危機は去ったようだ。ところで、「長門、あれはなんて書いてあったんだ?」「私たちは、ここにいるwithSOS団」長門は答えた。俺には、やはり苦い笑みを浮かべるしかなかった。 おわり
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