本名不詳な彼ら in 甘味処 その6
「いや、まったく。ついさっき『考え過ぎるよりその場の勢いで突っ走った方が良い目が出る時もある』と、自分で言ったばかりだというのにな。 なまじ知性を頼りにしてしまうと、自分が頭でっかちになっている事に気が付かないものだ。自戒しなければ」「仰ってる事の意味がよく分かりませんが…。お怒りじゃないんですか?」「ああ? うん、まあな。 怒るというよりは呆れている。涼宮はコマみたいな物だとか、目に光があるだとか、そんな理屈にならない理屈をよくもまあ堂々と並べられたものだ、と。 まだしばらく涼宮の力は無くなったりしないだろう、ともお前は言ったな。そいつは『特別な理由など無いが、何となくそう思ってしまうのだから仕方がない』という奴か?」
ニヤニヤと問いただしてくる会長の前で、俺は耳の先を赤らめながら、小さく頷くより他なかった。改めて指摘されてみると、我ながらずいぶんアホな事を口走ってしまったものだ。まるでどこかの似非スマイル超能力者みたいだぜ、おい。
「だが、理屈としては到底成り立たない理屈。だからこそ真実味がある」「はい?」
「俺が懸念していた危機感を、しかしお前は絵空事のように受け止めた。だからそんなセリフを口に出来たんだろう? 自分の了見に照らし合わせて涼宮を推し量ろうとしていた、俺の小賢しい理屈などよりも。涼宮の傍で、素の涼宮と接し続けてきたお前の直感の方がよほど正しいかもしれん、という事さ」
くくく、とまだしばらく忍び笑いを洩らしながら、会長はどさりと椅子の背もたれに上体を預けた。
「構わんさ。それがベストの応対だと信じるなら、お前の好きにしろ」「え、いいんですか?」「俺はお前に訓告を与え、その上で臨機応変に対処してくれと告げた。つまりは面倒事を丸投げした訳だ。である以上、お前に『結論:特別な事はしません!』と答えられたなら、こちらとしても文句は言えんだろうよ。ただし」
目でこちらを牽制しながら、会長は思わせぶりにテーブル上の伊達メガネのフレームを、人差し指の先でトントンと叩いてみせた。
「別にお返しという訳でも無いんだがな。こちらも前言撤回だ。お前、次期会長選に立候補して俺と戦え」「はあ?」「勝っても負けても、お前とは面白い勝負が出来そうだ。何しろお前は人の上に立つ資質、すなわち自分のペースを保つ器量というものを内に備えているからな」
有無を言わさぬ口調でそう迫ってくる会長に、俺は思わずごくりと生唾を飲んでしまった。つか、自分のペース? 何ですかそりゃ?
「人は案外、己のペースってのを保てないモノだ。 自分のペースくらい自分で決められるぜ!なんて顔をしている奴のほとんどが、その実は周囲と足並みを揃える事でペースを整えているように見せているだけ。一人で先行するような状況になると、途端に我を見失ってしまう」 「マラソンか何かの話ですか?」「おおよそ似たような物さ。臆病風に吹かれて尻込みしたり、物事が順調に運びすぎても逆に妙な不安に囚われて、勝手に自分で自分にセーブを掛けてしまったり。 功名心に駆られるあまり周りが見えなくなった挙句、オーバースピードで自滅するアホウもいるな」
軽口を叩くような感じで会長はそう語っていたが、気が付くとその鋭い瞳はスッと細められ、俺を正面から見据えていた。
「だが、お前にはそういう揺らぎが無い。未来人、超能力者、宇宙人たちに囲まれてもマイペース。神の力を前にしてさえマイペース。 気負わず、驕らず、卑屈にならず。常に自然体。あの超常集団の中でなお、お前はただ純粋にSOS団の活動を楽しみたいと言うのだからな。そんなセリフを平気でほざけるのは相当のバカか、それとも」
口の端を挑発的に歪めながら、会長は大仰にこう言い放った。
「恐るべき胆力を備えた大人物か」
「…お言葉を返すようですけど、俺から言わせれば宇宙人を平気で口説いちまう先輩の方がよっぽどだと思いますが」「ふふん、ならばなおの事だ。俺とお前、どっちが上か試してみようじゃないか。男の勝負って奴だ。そそるだろ?」
そう来たか。この先輩が人を誉めそやす時は要注意だってのは、俺にもそろそろ分かってきてはいたけどね。 やれやれと肩をすくめてから、俺は改めて会長に向き直った。
「とりあえず、俺の口からは何とも言えませんね。そもそも会長選やら何やらの話は、ハルヒが乗り気になったらってのが前提条件のはずですし」「ほう、即答は避けるか」「お好きなように受け取ってください」「仕方がない、この件は保留にしておこう。しかしお前、思ったよりも慎重派だな」「単にものぐさなだけですよ、俺は」
会長はずいぶんと俺を持ち上げてくれているようだけれども。特大閉鎖空間に連れてかれた時や雪山で遭難した時、それからあまり思い返したくは無いがハルヒの居ない改変世界に放り込まれた時も、俺の心は焦りと苛立ちであっさりテンパっちまってたもんな。 長門たちのヒントやら手助けやらがなかったら、今頃こうしてのんびりお茶したりも出来なかったでしょうよ。そんな俺なんかが生徒会長になっていいものかと、やっぱり疑問に思ったりもしますんで。
「裏を返せば、それほど皆に『助けたい』と思わせるだけの人的魅力がお前にあるという事だろう」「そう無責任に人をおだてないでくださいよ」「ふむ、どうもお前は自分を過小評価し過ぎるきらいがあるな。涼宮らの力を前にして利己心を制御できる高潔さというのは、ちょっと普通は持てやしないぞ」「そんなものですかね」「これだけ言われても、まだ自覚できないか。まあいい、そういう人間であればこそ涼宮もお前を鍵として選んだのかもしれ………ん?」
益体もない会話の途中で。会長は突然ハッとした表情を浮かべ、うつむいて何やら考え込み始めた。
「まさか…? いや勘ぐり過ぎだとは思うが、しかし偶然で片付けるにも…」
長い足を組み、眉間の辺りに細い指先を当ててクールに沈思黙考しているその姿は、そっち系の女子がキャーキャー騒ぎ出しそうな風情ではあるのだけれども。あいにく俺にはそういう趣味は無いので、ただ何事が起きたのかといぶかしんでいた。いやホントに、いったい何をそんなに真剣に考え込まれていらっしゃるんです?
「…最初に言ったな。俺たちが今日出くわしたのはただの偶然だと」「へっ? ああ、はい」「実は昨晩、喜緑くんに俺の趣味について訊かれてな。中坊の頃、伝奇小説にハマってた事を教えてやったら自分も読んでみたいと言いだしたので、散歩がてら二人であの図書館へやってきたんだが――」
おもむろに口を開いたと思ったら、会長の話はここまでの流れとは全く関係が無くって。少しばかりまごついてしまう俺に向かって、会長はさらに、何かを探るような口調でこう訊ねてきた。
「お前、ラヴクラフトって名に聞き覚えはあるか…?」
「ラヴクラフトって、クトゥルフ神話のですか?」「ほう、知っていたか」「詳しくはありませんけどね。そういう世界観のゲームなら結構ありますし。 それに、伝奇小説でしたっけ? 俺の中学の頃のツレにもそっち系が好きなのが居て、菊地秀行とか借りて読んだりはしてましたよ」「うむ、エログロやら少し淫靡っぽいのに興味を持ち始めた年頃の男子が通りがちな道だよな。 ともかく、知っているのなら話は早い。ラヴクラフトはアメリカの怪奇小説家で、いわゆるクトゥルフ神話体系の大元を作った人物なんだが」
思わぬ共通項に安堵したのか、会長は幾分落ち着きを取り戻した様子で話を始めた。
「このラヴクラフトが、実はオカルト嫌いの科学万能主義者だった事は、世間ではあまり知られていない」「え、そうだったんですか?」「『ネクロノミコン』やら何やらにしても全くの虚構、単なる空想の産物だと明言しているからな。 世の中に悪魔や怪物なんて居ない、全ては科学で説明できるのだと主張しながら、一方で彼は『クトゥルフの呼び声』などを執筆していた訳だ」「まあ、有り得なくはないですよね。男の少女マンガ家なんてのもいるんですから」「そうだ、有り得なくはない。有り得なくはないんだが、しかし」
いつの間にか会長の語調は、低く抑えられた物になっていた。まるで、口にしてはいけない秘密を語るかのように。
「それでも、やはり奇妙な事ではある。書いた当人が全くの創作物だと主張し、ラヴクラフト自身が没して風化するほどの年月が経ちながら、いまだに世界中の様々な場所で――それこそ東洋の極端のこの国でなお、クトゥルフ神話が根強く語り継がれているというのはな。 もちろん、要因はいろいろ推測される。ラヴクラフトはクトゥルフ神話に関して著作権を行使しなかったから、その世界観を基にしたいわゆる同人的なスピンオフ作品が多く世に出たし、お前も言った通りゲーム等の題材としても使い易かったんだろう。ギーガーのように、映像面で影響を受けている人間も少なくないしな」
ああ、『エイリアン』のデザインとかそんな感じですよね。
「それでも、俺にはやはりなんとなく疑問だった。いくら理由を並べ立てようとも何故か心の片隅に引っ掛かっている、そんな疑問だ。だが今お前と話していて、ふと思った」
ちらりと俺の顔を見やってから、会長は熱に浮かされたように言葉を継いだ。
「不思議や奇跡の類を否定していたからこそ、ラヴクラフトは宗教家たちのように変に誇張したりせず、客観的にそれらを受け止められたのではないか、と。だからこそ、ラヴクラフトは“書き手”として選ばれたんじゃないのか、と」 「選ばれた? 何にです?」「人智の及ばぬ力に、だ。 そして良識では否定しながらも、ラヴクラフトも心のどこかでそれらに惹かれていたのかもしれない。それ故に、ラヴクラフト自身がどれだけフィクションだと吹聴しても、その記述の奥に潜むモノに人々は魅了されてしまうのかもしれない、とな」
そう言って会長は、憧れとも憐れみとも名状しがたい感情がこもった瞳で俺を見据える。その視線に、俺も背筋の辺りがざわつくのを覚えた。
「それは…一体どういう…?」「なに、単なる思い付きだ。大して意味など無い。俺にはそれを確かめる術は無いし、確かめようとする意思も無いしな。 だがもしそうだとすれば、お前もまた――」
と、そこまで言いかけた所で。会長は左右に頭を振った。
「いや、やめておこう。運命の一言で物事を片付けてしまうのは、俺の趣味じゃない」「…………」「それにラヴクラフト自身の幸、不幸も、本人以外には分からないしな。神か悪魔か、いずれに魅入られたにせよ、結局はそいつの受け止め方次第だろうよ」
会長のセリフに、俺はどんな言葉を返せば良いのか分からなかった。身につまされるようでもあるし、他人事のようでもある。 朝比奈さんも長門も古泉も、そして会長もさっき俺の事をハルヒの『鍵』だと呼んだが、俺にはそんな自覚が無い以上、何とも言えないのだ。でもまあ、そうですね。
「俺にもラヴクラフトが何を考えて小説を書いてたかなんて事は分かりゃしませんし、同じようにハルヒがどうして俺をSOS団に引きずり込んだのかもサッパリです。単に前の席に居て、使い走りにちょうど良かっただけかもしれませんが」
コホンとひとつ咳払いを打って、俺はらしくもなく持論を語った。
「ただ、俺は今の状況を割と楽しんでますよ。俺の欲目で無けりゃハルヒも、朝比奈さんも長門も古泉もそれなりに現状を楽しんでるようで、だったらそれでいいんじゃないかって俺は思うんです」
「ふむ、物事を前向きに受け止めるのは結構な事だ。だが、理想郷はいずれ崩壊するものだと相場が決まっているぞ?」「分かってます。だから俺は、みんなと共有できる時間を大切にしていきたい。 さっき先輩が言ってた、男と男の勝負ってのも悪くはないですけどね。でも俺はやっぱり“SOS団のみんなと”今を楽しむのを優先させたいんです」
俺の言い分に、会長は片肘を突いた手に頬を乗せて、ふうむと唸った。
「そいつはつまり、SOS団の総意があれば会長選への出馬もアリって事か」「さあ、どうでしょう。ただ一言だけ言わせて貰うなら、俺は――」
そらとぼけていた際の会長の仕草を真似しながら、俺は質問にこう答えて差し上げた。
「死ぬまでの間にとことん人生を楽しんでやろうっていう先輩の生き方、嫌いじゃないですよ」
ぐうたらな俺としては憧れるだけですけどね。と最後にそう付け加えると、会長は口の端にニヒルな笑みを浮かべてみせた。
「フン、喰えない奴だ」「その言葉、そっくりそのままお返しします」「良かろう、今は預かっておいてやる。だがいずれ必ず、高い利子を払わせてやるからな?」
悪徳高利貸しじみた小芝居を交えながら、会長はそんな脅し文句を口にした。いいね、こういう男同士の気が置けない軽口の叩き合い。なんだか青春してるって感じがするぜ。 と、そんな余韻に俺が浸っていると。
『聞きわけのない女の頬を~♪ 一つ二つ張り倒して~♪』
椅子に掛けられていた会長のジャケットから、唐突な歌が流れ始めた。って、先輩の携帯の着メロ『カサブランカ・ダンディ』ですか? 何というか、いい趣味してらっしゃいますね。
「放っとけ、ささやかな自己欺瞞だ。 あー、いや何でもない、こっちの話でな。ふむ、いつの間にやらもうそんな時間か。少々話が弾み過ぎてしまったようだな。分かった、では先の図書館前で待ち合わせよう」
訊ねるまでもなく、電話のお相手は喜緑さんだろうね。俺の前だからか、やけに素っ気なく応答すると、会長はピッと通話ボタンを切った。
「いかんいかん。俺とした事が、うっかり時を忘れて話し込んじまった。急ぐぞ、女を待たせるとロクな事が無い」
携帯をしまうなり早口でそう告げて、席を立った会長はさっそくジャケットを羽織ろうとする。通話中のあの余裕ぶった態度はどこへやらって感じだが、その辺は触れぬが華だろう。 確かに女性は待たせるモンじゃない。特に宇宙人の二人連れは。要するに俺の方も、こんなナレーションなんか口にしてる場合じゃないって事さ。 取り急ぎ今後の連絡のためのアドレス交換だけ手早く済ませると、小心な男二人は伝票を手に、そそくさと会計へ向かったのだった。
本名不詳な彼ら in 甘味処 その7へつづく
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