大きくてちいさな日々 1
さて、俺もいよいよ高校生となり、宇宙人だの、未来人だの、超能力者だのと言うのは存在しないものだと思うようになった。いや、小学生だったあの頃からそんなものの存在は疑っていたのだ。それでも、もしかしたらいるんじゃないかと信じ、探し回っていたのは、たぶんあいつがいたからだろう。
あいつ、涼宮ハルヒは、俺たちのボスであり、憧れだった。
1、あめのひのほうかご
さて、雨の日の話である。
「キョン、退屈」もう何度目の退屈だろうか。わめくように叫んでいたその言葉を発するのも億劫なのだろう。季節は梅雨。呼んでもいない雨雲が日本列島に上がりこみ、夏の暑さを引きずって来るのだ。これを不快に思わないやつなどいないだろう。外では雨が強くもなく弱くもなく、中途半端に振り続けている。バケツをひっくり返したように降れば、ハルヒはお気に入りのレモン色のレインコートに身を包み青い長靴をはいて走り回るのだろう。俺はその後ろをオヤジのお下がりの下に隠れながらとぼとぼついて行くのだ。結局ハルヒに押し倒されて全身びしょ濡れになるんだけどな。こいつほんとは男じゃないのか?「だったら谷口に誘われた時、素直にケイドロに参加すればよかったじゃないか」俺は窓を閉めてハルヒにそう言った。ハルヒは運動神経がいい。だから、鬼ごっことか、ケイドロとか隠れオニに誘われることが多い。昼休みはそれに混じって実に楽しそうに追いかけたり追いかけられたりするのだが、放課後は何故か俺を引っぱりまわして楽しんでいる。先月は雑木林の中にダンボールで秘密基地を作ったな。蚊に刺されながら必死に組み立てたそれは小学生が作ったものにしては立派だったと記憶している。しかし、連日雨が続く中、紙製の基地がダメになってしまっているのはこの頃の俺でも容易に想像がついた。実際に雨があがってからハルヒと行ってみると、ペチャンコになっていた。
「キョン、何か面白いことない?」とうとう言い方が俺に何かをしてくれと言う言い方になってきた。「本を読むとかは?」俺はそう提案する。「嫌よ、本って退屈だもん」即答された。「だったら、おにんぎょさん遊びは?着せかえて遊ぶやつ」「そんな女の子っぽくて子供っぽいこと出来ないわよ」女の子で子供だろうに、と、言いたかった。「んじゃ、トランプ。他にもボードゲームとか」「トランプもボードゲームもないし、二人でやってもつまらないわよ」確かにね。その返事は正直予想していた。俺も同じ考えだったからな。「そうよね・・・二人じゃ、つまらないのよ」ハルヒは何かを思いついたらしく、真面目な顔で何かを考え始めた。「だったら!仲間を集めて何かをすればいいのよ」至極単純明快。今でもあの時のハルヒの顔とセリフは忘れられない。「あたしたちで、うちゅう人とか、みらい人とか、ちょうのうりょくしゃを探すのよ!」ハルヒは、俺に顔を近づけてそう言った。「名前は・・・そうね・・・SOS探検隊!なんかかっこいいでしょ」ハルヒは自慢げに言って、廊下へと走り出す。何故、そんな常に助けてを求めていそうな名前にしたのかは今でも知らないが、ハルヒのことだからきっと英語が入ってるからかっこいいと思ったのだろう。「待てよ、俺も行くから」俺はハルヒについて行こうと、じめじめした空気をふっ飛ばしながらどこかへ向かうハルヒの後を追うのだった。
2、おれとはるひ
さて、季節は遡り初夏、ハルヒと俺の出会いの話である。
「変なしゃべり方」ハルヒの、俺に対する第一声は確かそれだった。「うるさいな、別にいいだろ」そんなハルヒに俺はそう答えた。ハルヒには俺から話しかけたんだったな。俺は、丁度この頃から今のしゃべり方を始めたのだったと思う。だから、自分でも分かるほどに言い方が不自然だったり、自分を指す言葉がころころ変わっていた。「で、さっきのことだけど」俺がそれた話題を元に戻す。「あれ何だったの?宇宙人とか、未来人とか」俺が聞きたかったのは、ハルヒの発言の真意だった。「あぁ、そのこと」ハルヒはめんどくさそうな顔をして俺から目をそらし、やがて机に突っ伏した。「いいの、忘れて。どうせ現れないんだから」普段の様子からは想像できないほど弱気に答えた。今日まで話しかけたことなんてない。明るく活発でクラスの中心だった彼女は、顔立ちも整っていたこともあり、みんなのアイドル的存在だった。その対象と言ってもいいほど引っ込み思案で、目立たない人間だった俺は彼女に話しかける勇気さえなかったのだ。喋り方を変えたのはそうすれば自分がもう少し特別になれると思ったから、ハルヒに話しかけたのは、自分も明るくなれると思ったから、このときは割とそんな理由だったと思う。さて、いきなりこんな会話をされても何のことやらわからない人が大勢だろうから少し話を戻そう。きっかけは朝のホームルーム、この頃は朝の会とか呼んでいたか、とにかくそれが始まるよりも早い時間のことだ。
朝も早くから、少し興奮した様子のハルヒは、ランドセルもおろさず、教壇の上、しかもど真ん中に立つと「うちゅうじん、みらいじん、ちょうのうりょくしゃ、いせかいじん!いるんならとっとと出てきなさい!」と、大声で叫んだのだ。その時教室にいたのは、クラスメートのほぼ全員。クラスのアイドルの突然の行動に皆、唖然としていた。今でこそ『エキセントリックハルヒ』などと言われるハルヒではあるが、この頃はごく普通の小学生と言う感じだった。すべての奇怪な行動の原点はここにあるのかもしれない。まぁ、高校生が突然こんなことを言い出せば、周囲からは一線を引かれるのだろうが、ここは小学校、皆がハルヒの発言の理由を聞こうと集まっていったのだ。たちまち教壇に人の山ができる。俺はそれを遠くから眺めていただけだったから、よく知らないが、内容はハルヒが昨日父親から聞いたという、宇宙人とか、未来人のことだったらしい。「そんなのいる訳ないじゃないか!涼宮のバーカ!」そうからかったのはおそらく男子の中心、谷口だろう、そのあとに何人かの男子が続いた。「何よ!いるかもしれないじゃない!」そう叫んだのはハルヒではなく、クラス委員長をしていた朝倉だった。男子に人気の谷口、女子に人気の朝倉。この二人をリーダーに突然大論争が始まった。大論争、とは言えども、所詮は小学生の口げんか。有益な意見が飛び交うはずもなく、代わりに相手を罵る言葉だけが集団の中を行き交っていた。ハルヒは当然朝倉派。そして、大げんかは最終的に谷口vsハルヒの殴り合いとなり、それを朝倉ほか数名がなだめ、やってきた担任に怒られて、ようやく休戦となった。俺はそんな様子を眺めながら、どうしてそんなに必死に、しかも突然妙なものの存在をハルヒが信じようとしたのかを考えていた。そして、放課後。教室に残っているのが俺とハルヒだけになった時に、その理由を聞き出そうと試みたのだ。「なぁ、朝、うちゅうじんとかみらいじんとか言ってたけど何だったんだ?」「変なしゃべり方」そして、先ほどの会話に戻るわけだ。
「どうせ現れないんだから」珍しく弱気そう言った彼女が、なぜ朝はあれだけ信じていたのだろう。「何で?」俺が聞き返す。「だって、このクラスにはいなかったもの。昼休みにも結構探したんだけど全部だめ」そう言えば、昼休みは廊下を行ったり来たりしていたな。他のクラスの連中はさぞ驚いただろう。突然、他のクラス、もしかしたら地学学年かもしれないやつが現れたかと思えば「この中に人間じゃないやついる?」と、大声で質問するのだ。明日になったら学校中ハルヒの話題でもちきりだろう。それを想像して思わず笑ってしまった。「何よ、やっぱり変だと思ったの?あんたのしゃべり方の方がよっぽど変よ」それを咎めるようにハルヒがむくれて言った。「ゴメン、ゴメン……じゃなかった、悪い。そう言うわけじゃない」俺はしゃべり方が元に戻ったことを気にして咳払いをした。「でもさ、学校にはいなくても、もっと別のところにはいるんじゃないか?」俺はハルヒにそう言った。ハルヒはキョトンとしている。「ほら、三丁目に竹藪があるだろ。もしかしたらあそこに宇宙人が隠れてるかもしれないじゃないかそこにいなかった、呼べばいいし、来るまで待てばいい」ハルヒは少し何かを考えるような顔をしたあと、顔いっぱいに笑顔を出して言った。「あんたの言う通りね!まさにその通り!やるわね……ええっと、あんた名前は?」やっぱり知らなかったかと思った。俺はため息をついて自分の名前を教える。「何かえらそうな名前ね……そうね、キョンでいいわ」変わってはいるがかっこいい名前だと思っていた俺は、その言葉にムッとする。「キョンって何だよ、涼宮!」たかがあだ名でそんなにむきにならなくてもいいだろうに「ハルヒ」ハルヒは短く自分の名前を言った。「ハルヒでいいわ。さ、そうと決まればとっと行くわよ!うちゅじんが待ってるわ」ハルヒは俺の手を引っぱる。ハルヒでいいのか。俺はファーストネームを呼ぶことを許されたことでちょっとした優越感を覚えた。これが、俺とハルヒとの、ふしぎ探しの始まりだった。
3、ながととひみつきち
さて、ここで季節は梅雨、つまりは六月の話に戻る。五月のひみつ基地づくり?あぁ、おいおいやるから少し待っててくれ。とうとう放課後に教室に残るのが当たり前になってきたある日、とうとうSOS探検隊の結成式が行われた。メンバーは二人。俺とハルヒだ。「それではだい一回、SOS探検隊けっせい式を行うわ」おいおい、あと何回こんな団体を作るつもりなんだ?SOS探検隊とは宇宙人、未来人、超能力者なんかの不思議なものが向こうから現れないなら、こっちから出向いて捕まえてやろうという野蛮な理念のもとにハルヒが作ったものだ。あぁ、先月、いや、つい最近まではクラスのアイドルと二人きりでのんきに仲良く不思議なものを待つだけの生活だったのにな。これは、今現在、高校生になってからの感想ではある。あの当時は面倒くさいというポーズだけをとっていたが、もしかしたら見つけられるんじゃないかと、ハルヒ同様にわくわくしていた。そもそも、ハルヒにあってすぐと言うのは女子との恋愛なんてものには興味がなかった。そんなのは変なことだと思ったからだ。仲良しくらいが一番いい。「さて、けっせいするにあたって必要なのは、ひみつ基地の再建と仲間集めよ!そのために何をすべきか。キョン、何か意見はない?」嬉々として語るハルヒに意見を求められた俺は、律儀に手を上げて立ち上がる。「ひみつ基地はまた作ればいいし、メンバーは谷口とか誘えばいいんじゃないか?」恐らく、一番無難な答えだろうと思った。が、ハルヒがそんな安牌を許すはずがなかった。「それじゃ、今と何も変わらないでしょ!そうよ、いままでが間違っていたのよ!不思議なものに出会うためにはこっちにも“こせい”がなきゃダメよ。ひみつ基地は段ボール製なんかじゃなくて、もっと怪しげな建物がいいわ。SOS探検隊に誘うメンバーも何か訳ありな秘密がありそうな人間がいいわね」この頃からハルヒの奇妙奇天烈な思考回路が完成し始めていたんだな。俺はそれに頷く。なるほど、一理あるな、と。小学生でもハルヒの言ってることがおかしいことに気づけ。「そうと決まれば、変な奴がいそうなところを探すわよ。理科室、美術室、音楽室。バカと天才は何とやらって言うし、そう言う人間はきっとその辺にいるはずよ!」ハルヒは気合い十分にこぶしを高々と掲げて宣言する。「そうと決まれば即行動!さ、行くわよ!キョン」ハルヒはそう言って教室を後にする。俺はその後ろを、ハルヒの子分よろしくついて行くのだった。
俺の通っていた小学校の校舎はコの字型の建物と、渡り廊下でつながれた正方形の建物でできている。俺たちはコの字型の方を『本校舎』、正方形の建物を『別校舎』と呼んでいた。本校舎には一年から六年生までの教室と、理科室、家庭科室などの特別教室があった。別校舎には図書室と、物置と化した空き教室があるくらいで、普段の学校生活で使うことは滅多にない場所だった。どちらの建物も五階建てで、屋上は立ち入り禁止。別校舎の五階も立ち入り禁止だ。図書室は三階、空き教室は四階だ。五階に何があるのかはこの頃はまだ知らなかった。当然、ハルヒがそこに目をつけないはずがない。いや、この日までそこへ侵入したことがないことの方が不思議だったのだ。放課後の誰もいない本校舎の教室をすべて調べ終えた俺たちは自然と、別校舎の四階の階段へとたどり着いていた。「なぁ、やめとこうぜ。五階は危ないから立ち入り禁止だって先生言ってたろ」普段から薄暗く、不気味なそこは、分厚い雨雲に阻まれていつも以上に日の光が届かず、恐ろしかった。登りきった部分にあるはずの平らな場所が見えないのだ。教員連中は、生徒の侵入を防ぐためか、すでに役立たずになった蛍光灯を交換するつもりはないらしく、スイッチを何度切り替えても、そこが明るくなることはなかった。ハルヒも、この空間が発する異様な雰囲気を恐れているのか、どこまでも続いていそうな真っ暗な階段をじっと睨んでいるだけだった。「な、少なくとも今回はやめておこうぜ」このとき素直に「怖いからやめよう」と言えば、ハルヒもすんなり引き返してくれただろう。遠まわしにこの上に昇るのを諦める理由を言ったのがまずかった。「次回があるなら今行くべきよ!もしかしたら、お化けくらいは出てくれるかもしれないわ」そんなものが出てきて本当に嬉しい奴なんていないに決まっている。ハルヒでさえ叫ぶことも忘れて逃げ出すのだ。それを知るのは、夏休みに入ってからだが。まぁ、このときはまだ怖いもの知らずだったハルヒはずかずかと階段をのぼり始める。「ちょ、ちょっと待って」ハルヒ一人に行かせることと、何よりその場に一人で残ることが不安だった俺は、慌ててハルヒの後を追った。
暗闇はいつまでも続くわけではなく、必然的に終りが訪れた。五階にあったのは、資料室だった。鉄製の棚には鍵がかけられ、その中におさめられていたのは卒業生名簿らしかった。木製の棚もあり、そこには古い卒業アルバムや、難しそうな内容の分厚いハードカバーがあった。およそ、小学生が楽しめそうな内容のものはなく、好奇心を顔じゅうにあふれさせていたハルヒも、すこしがっかりしたような表情だった。「何もないな」本と、本棚以外は、と言う意味でだ。「いや、きっと何かあるはずよ!もしかしたら隠し扉とかあるかも」ハルヒは諦めきれないらしく、本棚の本を出してはしまい、出してはしまいを繰り返していた。「何をしているの」そんなとき、突然俺とハルヒではない、別の誰かの声が聞こえた。「ひゃっ」驚きのあまり、情けない声が出てしまった。ハルヒは一瞬驚いた後に、落ち着いた様子でその誰かに「あんた誰?ここは立ち入り禁止よ」と、言った。「それはあなたたちも同じ冷静に反論する。そこにいたのは、色の白い、眼鏡をかけた細身の女の子だった。その女の子は、静かに俺のそばに来ると立ち止まった。「どいて」小さな声でそう言われた。慌ててその場を離れる。女の子は鉄製の棚の引き戸を横にスライドさせると何かを取り出した。「飲む?」取り出したのは、ラムネのビンだった。
「長門有希」「涼宮ハルヒよ。こっちはキョン」ラムネを飲み干したところで自己紹介を始めた。「俺の名前くらい自分で言わせろよ」勝手に、しかもあだ名で紹介された俺はそれを非難するようにハルヒに言った。「いいでしょ、こっちの方が早いじゃない。で、さっきの話なんだけどね」さっきの話と言うのはSOS探検隊に入隊しないか、とハルヒが誘ったことだ。「ね?一緒にやらない?こんなところで本読んでるよりずっと楽しいわ」ハルヒは熱心に誘っている。「こんなところじゃない。ここはわたしの秘密基地」俺たち以外にもひみつ基地を作っているやつがいたことに俺は少しだけ驚いた。「ここ、あんたのひみつ基地だったの?」コクリ、長門がうなずいた。「じゃぁさ、ここ、SOS探検隊のひみつ基地にしていい?」「お、おい、それはいくらなんでも……」ハルヒの無茶苦茶な要求に俺は慌てる。そんな勝手なこと、そう思った時だった。「……いい」意外なことに長門の返事は肯定だった。いや、この場合は許可なのか?「いいのか?こいつわがままだから追い出されるかもしれないぞ」心配になって長門に聞いた。「いい。もともとここは立ち入り禁止」長門はそう返事をした。「それじゃぁ、決定!ここはSOS探検隊のひみつ基地。そして有希は三人目の隊員よ!」ハルヒは嬉しそうにそう宣言した。あぁ、いつの間に長門は参加すると言ったんだ?
その後は、そのままその教室で遊んで過ごした。棚の引き戸の中には、ボードゲームや、囲碁将棋、チェスにトランプと、遊び道具に事欠かず、俺は一人でゲームブックを、ハルヒはほかに何か面白そうなものがないかを調べ、長門は、いつもそうしているのか、大人が読むような分厚いハードカバーを静かに読んでいた。やがて、長門が本を閉じると、時間は午後七時。急いで帰らなければ、親に怒られる時間になっていた。俺とハルヒはいそいそと、長門はゆっくりと帰り支度を始める。「有希、あんたどこに住んでるの?一緒に帰らない?」黄色のレインコートに身を包んだハルヒが長門を誘った。「……迎えが来るから」長門はそう言うと、黒いランドセルを背負って、出て行ってしまった。「また明日ね!」それにムッとするわけでもなく、ハルヒが元気よく長門に声をかけた。長門は立ち止まって振り返ると、小さく手を振って、また歩き出した。
「何で長門を誘ったの?」帰り道、ハルヒにそう尋ねた。「嫌だった?」ハルヒが不思議そうに聞き返す。「嫌じゃ、ないけど」正直、仲間が増えるというのはあまり嬉しくなかった。このときは自分でもいまいち理由が分からなかったのだが、今ならわかる。俺は、ハルヒと二人きりでいたかったのだ。今までがそうだったし、憧れの彼女と一緒にいる時間は特別だった。だから、ハルヒが長門に一緒に帰ろうと言ったときは、何故か不安な気持ちになり、長門がそれを断った時は、何故か安心した。俺は嫌な奴だな。後々かけがえの仲間になるやつをそんな風に思うなんて。「それじゃぁ、いいじゃない。どうしても気になるなら教えてあげるけど」ハルヒが意地悪く笑ってそう言った。「気になる」短くそう答えた。ハルヒは得意げに、ふふん、と笑うとこう言ったのだった。「何かあの子、宇宙人みたいじゃない」あぁ、俺よりこいつの方がよっぽどヒドイことを思っていたんだったな。こうして、SOS探検隊は三人になり、あと二人増えることになるのだが、まぁ、それはまた別の話だ。俺とハルヒは赤いランドセルを並べて、帰宅と同時にこっぴどく叱られる我が家へと歩いて行くのだった。
4、あさひなさんとおとしあな
さて、六月も半ばを過ぎれば、当然のように夏の色が濃くなり、連日雨が降り続くことをのぞけば、アイスバーやら炭酸飲料がおいしく感じる。まぁ、先月もハルヒとひみつ基地の中で食ってたけどな、アイスクリームは。それはともかくとして、暑い季節に食ったり飲んだりするのだからそれはよく冷えたものがいい。俺でもそう思うのだから、あのわがままなハルヒがそう思わないわけがない。「有希、このラムネぬるくなってる。暑さが吹っ飛ぶくらい冷たいやつはないの」風向きが固定された扇風機の前を占領して、ハルヒが読書中の長門に不満を漏らした。そもそも、ここにあるラムネは長門が持ち込んだものであって、それをタダで貰っている俺達に不満を言う権利はない。その上、扇風機の目の前にいるのだから俺よりは涼しいはずだ。「ない。ラムネは戸棚にあるもので全部」長門がそっけなく答えた。目は本に書かれた文章を追ったままだ。しかも汗一つかいていない。こいつ、本当に宇宙人じゃないか?先日のハルヒの言葉を思い出して、そんなことを考えていた。ハルヒは、冷たいラムネを飲むことを諦めたのか、飲みかけのラムネを飲み干すと、扇風機に向かって間抜けな声を出していた。あぁ、もし俺が扇風機の目の前にいたら同じことをしただろうな。流石にバカでかいげっぷはしなかったろうが。
そんなやり取りがあった翌日の天気は快晴で、昨日までの分厚い雨雲はどこへ行ったのやら、跡形もなかった。雨が降っていなければ、ハルヒや俺が外で活動しない理由がなくなる訳で、数日じっとしていたハルヒは、うっぷんを晴らすかのように本日の活動に精を出していた。「キョン、もっと深く!それからもっと広げるの!」俺たちがやっているのは、対不思議生命体捕獲用の罠作り、簡単にいえば落とし穴を掘っている。ハルヒがどこからか持ってきた、穴を掘るためのスコップで必死に土をかきだしていく。ちなみに、昨日出てきた扇風機もハルヒがどこからか持ってきたもので、いったいあれが誰のものなのかは未だに不明である。スコップも扇風機も、もしかしたら、まだひみつ基地にあるかもしれないな。誰にも見つかることもなく、ひっそりと息をひそめているかもしれない。掘り始めてから一時間で俺の体が四分の三ほど隠れてしまうほどの穴が完成し、その上に旧ひみつ基地の残骸をかぶせて、土をかけた。ようやく完成だ。あとは何かがかかるのを待てばいい。ハルヒと俺はお互いを見て黙って頷き、近くの茂みに隠れた。その直後である。「きゃぁあ!」と言う、可愛らしい叫び声が終わらないうちにドシン!と、何かが落ちる音がした。何事かと慌てて落とし穴のもとに近づいてみれば、土煙を立てながらぽっかりと穴があいてるのだ。完成から約30秒。かつてこれほどの速さで獲物をとらえた罠があるだろうか。このときはそんな疑問よりも、一体何が罠にかかったのかが、俺とハルヒには重大なことだった。
穴の中にいたのは、桃色のワンピースを着た女の子だった。女の子はすでに大声で泣き始めている。もっと浅く掘っておけばと考えたが、ハルヒがそれを許すはずがないだろう。この深さでも不満そうにしていたのだ。「大丈夫?」罠を作った張本人が心配そうに女の子に手を差し伸べた。俺はその後ろでハルヒを支えていた。ハルヒの方が力があるし、何よりハルヒがこの穴に落ちてしまうのが嫌だった。泣きじゃくりながらもその手をつかんだ女の子は、ハルヒの力を借りて穴から這い出すと、再び大声で泣き出した。「ゴメンね、まさか人が引っ掛かるなんて思わなかったの」ハルヒと俺は懸命に女の子をなだめ、ある程度落ち着いたところで学校の保健室へ連れて行った。
「二人が…ヒック…楽しそうに何か…を…してて」泣きながらも落とし穴に落ちた彼女は『朝比奈 みくる』と言うらしい。本人の説明ではあまりにも分かりづらいので、俺から簡単に説明させてもらう。朝比奈さんは、仲良く学校の裏庭に大きなスコップを持って行く俺たちの姿を見つけたらしく、気になってついてきたのだそうだ。そこで、約一時間にも及ぶ穴掘りを飽きもせず眺めた末に、落とし穴の完成を見届け、何故かそれを喜び、小さな拍手をしたあと、どこかへ行ってしまった俺たちの後を追おうと飛び出して、完成を喜んだ落とし穴に落ちてしまったのだそうだ。何とまぁ間抜けな・・・いや、ドジな・・・何かいいフォローの言葉はないものかな。「まったく、ばかねぇ」呆れたようにハルヒが朝比奈さんにそう言った。ところで、朝比奈さんが泥まみれの擦り傷だらけになったのは誰のせいだったかな。朝比奈さんは幸いにも足を挫いたり、骨折したりといった大けがはしておらず、擦り傷を何か所に作っただけで済んでいた。「おねぇちゃんに……えっぐ……怒られる」本人はそんなことよりも服を思いっきり汚してしまったことの方が気がかりらしい。「それなら俺の服貸してやるよ」今ほど洋服の大事さが分かっていなかった俺はそんなことを言って慰めていた。「・・・ねぇ、かわいい服があればいいのよね」ハルヒが何かを思い出したように俺達に言った。
「あのー、ここどこですか?なんでわたしここに連れてこられたんですか?」薄暗い階段をのぼってやってきたのは、SOS探検隊ひみつ基地だった。「確かこの辺にあったのよ」そう言って何やらダンボールを漁っていた。長門は人数の増えた俺たちに見向きもせずに黙々と本を読んでいる。「あの・・・こんにちわ」そんな長門に朝比奈さんがおそるおそる挨拶をした。「あった、これよ!」そう言ってハルヒが取り出したのはフリルのついたメイド服だった。「さぁ、みくるちゃん。これに着替えるの」ハルヒの目がいつも以上に輝いている。あぁ、このときだったか、ハルヒが素晴らしい着せ替え人形を手に入れたのは。「え?いや、でも。あたし、そんなお洋服着たことないし」「だったら着てみるといいわ。自分でも驚くくらいにあうと思うから」ハルヒの笑顔は悪戯をしている時のように恐ろしかった。何故こんな衣裳があるのか。その疑問はあっさりと解決した。何年か前に、どこかのクラスが劇で使った衣装らしい。メイド服のほかには、木こり、魔女、そしてありきたりなお姫様と、王子様の衣裳があった。「キョン、あんたも着てみる?」いつの間にか着替えを終わらせた朝比奈さんの隣で、ひらひらしたドレスを広げてハルヒが訊ねてきた。「遠慮する」俺はそう言って苦笑いした。そう言う衣装はハルヒの方が似合いそうだ。俺はふと思う。ハルヒがお姫様なら俺は王子様だ。いや、王子様の役もハルヒの方が似合うだろう。ハルヒが王子様なら、そのとき俺は・・・。
「はい、みくるちゃん。ラムネあげる。すっごくぬるいけど」ハルヒが満面の笑みで長門のラムネを朝比奈さんに渡していた。「ありがとうございます」朝比奈さんはそれをうけとって、悪戦苦闘の末に、なんとか封を開けると、それをちびちびと飲みはじめた。「やっぱり、冷たいのが飲みたいわね。冷蔵庫とかないかしら」対照的に、豪快にそれを流し込むハルヒがそうぼやいた。「冷蔵庫、ですか?」朝比奈さんはハルヒの愚痴に首をかしげる。それはそうだろう。学校に冷蔵庫持ってきて冷たいラムネが飲みたいなんておかしいからな。しかし、朝比奈さんは予想外の一言を発した。「わたし、持ってきましょうか?」ハルヒも俺も驚いて口をポカーンとあける。一方、そんなことをやんわりと言った朝比奈さんはその反応の意味が分からないような顔をしていた。「あの・・・おねぇちゃんにお願いして・・・あれ?ダメなんですか?」俺たちの反応に今度は戸惑ってそう言った。「そ、そんなことないわ!大歓迎よ!」ハルヒは朝比奈さんに抱きついて喜びを表す。朝比奈さんは困ったような、嬉しいような顔をしていた。この翌日朝比奈さんは本当に冷蔵庫を持ってきた。冷蔵庫と言ってもおもちゃのように小さいもので、ラムネ瓶を6本入れるのがやっとの大きさだった。「そ、そのかわりに」まぁ、それもタダで手に入るわけではなく、朝比奈さんが遠慮がちに、交換条件を出した。
長門が本を閉じたので、今日の活動は終了となった。初めてこの部屋で遊んだ時のように、帰りの時間が午後七時と言うようなことはなく、午後六時前後にはこの部屋を出るようになっていた。と、言うより、あの時間まで残っていたのは長門もあの日が初めてだったらしく、親御さんに驚かれたらしい。それは後々知ることになることだ。「それじゃぁ、また明日」校門で朝比奈さんと別れ、俺とハルヒは一緒に、それぞれの家を目指す。「そういえばさ、朝比奈さんも探検隊に誘うの?」俺がハルヒに訊いた。「そうね・・・あの子かわいいし、ぜひ戦力にほしいわね」一体、何の戦力にするつもりなのかは分からないが、誘うつもりであることは分かった。「それに、本人も参加したいみたいだし」これは今日、ひみつ基地で聞いた。二人を見ていると楽しそうだから、わたしも仲間に入りたい、と。「だったら、これで四人だな」俺は笑ってハルヒにそう言った。「あと一人で戦隊が作れるわね。それなら是非とも男の子が欲しいわ。超能力が使えそうな」ハルヒが大真面目にそんなことを言ったので、俺は思わず笑ってしまう。「いいな、それ」夕陽の、ほんのりと紅いオレンジに照らされながら、俺とハルヒはどんな敵と戦うのかという妄想を楽しく膨らませながら歩いた。
5、ぽにーているとおれのきもち
さて、今回は髪型の話となる。え?最後のメンバー?あいつは後でもいいだろ、こっちの方が時間的にも先の話だしな。俺個人の意見であるが、ポニーテイルと言うのは最高の髪型であるといえる。何故ポニーテイルが最高なのか。シンプル・イズ・ザ・ベスト。そこに理由なんていらないのさ。とにかく、俺はポニーテイルという髪型が好きなのだ。愛しているといっても過言ではない。だからこそ、ハルヒが髪を束ねてポニーテイルにする体育の時間は最高の時間と言えた。
三日ぶりに降った雨のおかげで体育館でポートボールをする羽目になった3限目、Cチームの俺とハルヒは、AチームとBチームの試合を体操座りで眺めていた。「やっぱりBチームの勝ちでしょうね」朝倉率いるBチームはAチームに圧勝中。谷口は朝倉を必死に邪魔していたが、あっさりとかわされてしまう。やっぱり朝倉は運動神経がいい。それが少しうらやましかった。ハルヒでも朝倉には運動でかなわないのだ。「なぁ、ハルヒ」「なによ」「朝倉、すごいな」「あたしだって……う、腕相撲なら負けないもん」ハルヒが悔しそうに頬を膨らませていた。ハルヒ自身も競り合うことはできても勝ったためしのない朝倉にはライバル意識を持っているようだった。クラスのアイドル涼宮ハルヒ、みんなのリーダー朝倉涼子うちのクラスでの二人のポジションはこんなところだろう。ちなみに二人とも成績優秀。テストはいつも二人とも100点をとるので比べられない。ついでに、ハルヒは体育委員、朝倉はクラス委員だ。朝倉が、ゴールマンに華麗なパスを決めたところで得点は10点差。Aチームの数人のメンバーはすでに試合に勝つことを諦めたらしく、やる気なさげに歩いていた。「なぁ、ハルヒ」「なによ」すぐ隣に座るハルヒに話しかけたものの、何を話したものか迷ってしまった。ポニーテイルが小さく揺れる。「いや、ハルヒは短パン買わないのかなって」そして、話題に困った挙げ句、出てきたのがそんな言葉だった。あぁ、今言ったら変態扱いされるだろうな。「なによ、突然」当然、ハルヒも質問の意味が分からないという、いぶかしげな表情を俺に向けていた。この当時、古いデザインの体操服と、新しいデザインの体操服の2種類があった。俺が三年生になったころに体操服のデザインが変わり、前着ていた体操服が小さくなったものから順にデザインの変更を行っていた。ハルヒは、2年生のころに『どうせ大きくなるんだから』と、その時に合わせたサイズとは別に、それよりも大きいサイズを買っていたらしく、未だにブルマーをはいていたのだ。先ほどから対比に使っている朝倉もブルマーで、後に谷口が「ブルマーが似合うのはどっちだ」という、訳の分からない人気投票を行っていた。まぁ、ハルヒと朝倉の両方に殴られたけどな。ついでに俺も殴ってやった。理由は秘密だ。ちなみに俺は新デザインの体操服だ。興味がないか、そうか。
無意味な話題の力というのは思った以上に強力で、しばらく気まずい沈黙が続いた。ハルヒの顔を横目で見ると気のせいか少し赤くなっているような気もする。それを見て、何故か自分まで赤くなっていた。「あのさ、ハルヒ」気まずさに負けて、何も考えずに話しかける。今度はハルヒからの返事はなかった。「あの、その、か、髪、きれいだよな」結局、出てきたのはそんなことだった。ブルマーといい、切羽詰まると変なことしか言えないんだな、俺。さっきのこともあり、変な顔をされると思ったが、以外にもそんなことはなく、少し驚いた後に「そ、そう?」と、困ったように笑った。「あぁ、髪も長いし。うらやましい」意外な質問に、意外な反応。完全にお互いが照れてしまった。気まずい雰囲気が微妙な雰囲気になり、その雰囲気は決して悪くはない。むしろ、心地よかった。「それだけ長いと髪型とかいろいろといじれるんじゃないか?」たとえば、そのポニーテイルとか、すごく似合ってる。と言いたかったが、そんなことを言うのは恥ずかしいと思った。しかしながら、このとき素直にそう言えばよかった。そうすればハルヒはずっと長い髪のまま、もしかしたらポニーテイルでいてくれたかもしれない。「うん、家では髪型変えて遊んだりしてるの。楽しいのよ。キョンもやってみたら?」「俺は、髪短いし」ハルヒの提案に苦笑いしながら答えた。俺がそんなことをしても全く意味がないだろう。ハルヒだからいいのだ。「のばせばいいじゃない!長くなったらあたしがいろいろ教えたげる」なかなか魅力的な提案だった。結論を言ってしまえば、俺はこの後髪を伸ばし始める。我ながら単純な奴だな。そして、伸びきったころにハルヒと髪のいじり合い。何と素敵な遊びだろうか。
だが、そんな小さな夢も大馬鹿野郎のせいでもろくも崩れ去る。「お前ら相変わらず仲いいよな」とうとう朝倉に勝つことを諦めたのか谷口が息を整えながら俺達に話しかけてきた。得点を見ればすでに二十点差。朝倉もこの一方的な試合に飽きたらしく、やる気のないディフェンスが簡単にボールをとれるくらいに手を抜いていた。女子相手にこんなことをされても面白くないだろう。ちなみに、朝倉がこてんぱにするのはいつも男子で、ハルヒ以外の女子には絶妙な手加減で相手をする。ハルヒはどっちだろうとお構いなしだがな。まぁ、今はそんなことはどうでもいい。「いいだろ、別に」ハルヒとの会話を妨害されて、いささか腹がたっていた。谷口、お前はお呼びじゃない、ひっこんでろ。「なんだよ、ちょっと話しかけただけじゃねぇか」睨む俺にたじろぐ谷口。しかし、谷口はすぐに意地の悪そうな笑顔を作る。「お前、もしかして涼宮が好きなのか?」俺は突然のとんちんかんな質問に面喰ってしまった。「そんな訳ないだろ」俺は立ち上がって反論する。小学生にとっての“すき”という言葉はイコール“愛している”なのだ。うかつに「そうだ」などと言えばあらぬ誤解を生むことになる。いや、そう答えずとも小学生の単純な思考であれば、「なにムキになってんだよ、あやっしいなぁ」と、なってしまうわけである。ちなみに今のは谷口のセリフだ。
「おーい、キョンとハルヒ付き合ってるらしいぜ」そして、がきんちょ特有のからかい方。小学生のころにこれを経験しなかった人はあまりいないのではないだろうか。「え?ホントか、こいつらあれなのか?」谷口の仲間である数人の男子が、ニヤニヤしながらやってきた。「だから、違うって」俺は顔を真っ赤にして谷口に言った。何故かドキドキする。目が熱い。「みろよ、こいつ顔真っ赤だぜ。これはマジで付き合ってるかも知れねぇな」子どもというのは何と残酷なものだろうか。言っている人間はこれが悪いことであることを知らないから、無邪気にからかっているのだ。そして、言われた本人はそれを真に受けて反論する。「ひゅーひゅー、お似合いだぜ、お前ら」視界がぼやけた。たぶん涙が出たんだろう。強くこぶしを握りしめ、谷口の顔面を一発「いてっ!」殴っていたのはハルヒだった。「あんた達!いい加減にしなさいよ!キョン泣いちゃったじゃない」俺はハルヒの言葉を聞いて、我慢していた涙が流れてしまっていることを知った。そして、声も我慢できなくなり、俺は声を上げて泣いていた。あとから友達に聞いた話によれば、谷口は鼻血を流して転げ回り、野次馬が増え、ようやく騒ぎに気づいたのんきな担任が慌てて駆け付けたらしい。俺と谷口は保健室へ、ハルヒと、事情を知る生徒数人は職員室に連れて行かれた。
四限目は当然のようにクラス会となった。朝倉涼子司会のもとに、三限目の事件をどう思うかという、どうでもいい話し合いが行われる。俺、ハルヒ、谷口と、その他数名の男子は別室で担任からの事情聴取を受けた。まず、一人づつ呼び出されて話を聞かれ、最後に全員の話をまとめてお説教だ。担任の下した判定は『喧嘩両成敗』。全員頭に一発ずつ拳骨をくらい、教室に戻る。担任のお説教の途中でチャイムが鳴り、給食時間となったために怒られている全員が今日の献立を思い出しながら呪文の終わりを待つ。正直、少し時間が経ってしまえば、子供のけんかは終わってしまう。少なくとも当事者同士の間では。給食時間も半分になろうかというタイミングでクラスに戻った俺とハルヒは慰めを、谷口とその他は罵声と賛同の声を受けた。賛同の声というのは、殴ったハルヒが悪い、というものだ。谷口が鼻血を流したのが原因かは知らないが数は男子のほとんどだ。こうして終わったけんかの二次会が男子vs女子の構図で行われ、五限目をまるまる使って担任の説教となる。二次会では俺は完全に蚊帳の外だった。泣いた後で目がはれていたし、情けなかったのでそれはそれでありがたかった。それに、俺にとっての大事件は翌日起こるのだ。
翌日、教室に現れたハルヒの髪はバッサリと切られ短くなっていた。理由を聞けば、鼻にティッシュを詰めた谷口とその母親が昨晩、ハルヒ宅に現れ、謝罪をし、事件を知ったハルヒの親が「殴ったあんたも悪い」と、反省させるために髪を切ってしまったのだそうだ。丸坊主にされなかっただけましなのだろうが、俺はわざわざ謝った谷口親子とハルヒの親の豪快さを恨んだ。「髪、きっちゃったんだな」出来るだけショックを隠してハルヒにそう言った。「いいのよ、長くてうっとおしかったからちょうどいいの」ハルヒは困ったように笑って、気にするなというのだった。お前がよくたって俺がよくない。昨日ポニーテイルをほめていればハルヒは親とけんかしてでも長い髪を守っただろう。子供の俺も、高校生の俺もそう考える。
その日の放課後、俺たちは仲良く、別校舎五階にあるひみつ基地に向かう。「なぁ、ハルヒ」「なに?」俺は昨日からどうしても伝えたかったことを言った。「俺、昨日すきじゃないって言ったけど、すきだから」何とも意味不明な言葉だが、言いたいことは分かってくれたらしい。ハルヒはおかしそうに笑うと「あたしも。キョンのことすき」と、返事を返してくれた。昨日の事件のことはみじんも気にしていなかったようだ。「あんなこと気にしてるなんて、キョンらしいと言えばキョンらしいわね」と、長門と朝比奈さんに昨日の事件を話した後にハルヒが言っていた。昨日は色々あって二人とは話せなかったので、今日報告になったということを伝えておく。あと、補足しておくと、長門は別のクラス、朝比奈さんに至っては一つ年上の上級生である。長門は噂ぐらいは聞いているのだろうが、朝比奈さんは事件のことを全く知らなかったらしい。大騒ぎしても結局はその程度だ。そして、もう一つ。この事件を通して俺はあることが分かった。いや、気づいた。俺はハルヒのことが“すき”だったのだ。友達としての好きではなくて、もっと上の、“愛している”。女の子を好きになることは、おかしなことだと思ったが、気にしないことにした。人を好きになるというのはとてもいいことだ。それが小学生のかわいらしい“愛している”でも。「なぁ、ハルヒ」「なぁに?キョン」「もし、俺の髪が長くなって、お前の髪も長くなったら、髪のいじりっこしよう。きっと楽しい」俺はそんなおかしな約束を取り付けると、ハルヒとともに薄暗い階段をのぼって明るいひみつ基地を目指した。
6、こいずみとおれのしっと
さて、部室にいるのは、俺と長門と朝比奈さんの三人だ。ハルヒは何か用事があるらしく、「キョン!あんたは先にひみつ基地に行ってなさい!」と、俺に告げると、ランドセルを置いたまま教室を出て行ってしまった。あの表情は何かを企んでいる表情だ。俺は、ハルヒが一体どんな作戦を持ってくるのかを考えながらひみつ基地へ足を運ぶ。もちろん、ハルヒのランドセルと一緒に、だ。今思うのは、このとき何故朝の会の先生の話や、クラスの噂を覚えていなかったのか、ということだ。そうすれば、ハルヒが何をしようとしていたのか、容易に想像がついたではないか。かくして、小学生時代、最大にして最強のライバルと出会うことになる。いったい何のライバルなのかは、まぁ、すぐにわかるさ。
朝比奈さんが用意したガラスコップにラムネを注いで、一気に飲み干す。長門はすでに読書中。朝比奈さんはせっせとメイド服に着替えている。俺はラムネのおかわりをコップにいれて、何をするわけでもなくハルヒを待った。今あいつは一体何をしているのだろうか。着替えを終えた朝比奈さんと他愛のない会話をしながら時間をつぶす。ハルヒがひみつ基地に現れたのは、それから少ししてからだ。「みんな、おっまたせー!」ハルヒのご機嫌な声がひみつ基地に響く。やっと来たか。俺はそう思いながらも口元を緩ませてハルヒを見て、顔を疑問でゆがませた。ひみつ基地にやってきたのは、ハルヒと、見かけない男子だった。「紹介するわ。謎の転校生、古泉君よ」「はじめまして、古泉一樹です」ハルヒに紹介されたその男子はさわやかスマイルで自己紹介をした。「それじゃ、紹介するわ。今あそこにいるのがキョン、メイド服着てるのがみくるちゃん、奥で本を読んでるのが有希」ハルヒは嬉しそうに各メンバーの紹介をした。朝比奈さんは、初対面の男子を少し怖がりながらも丁寧に、長門は読んでいた本から少しだけ目を離して古泉の姿を確認して、ポツリと挨拶をした。俺はと言えば、古泉を大いに警戒していた。女の多いこの探検隊に急に男子が増えることへの抵抗というのもあったが、何よりハルヒの隣にいるのだ。しかも、顔立ちは整っていて、服装はどことなく上品、いかにも育ちのいいハンサムなお坊ちゃまという感じだった。あぁ、そうさ、こいつにハルヒがとられるんじゃないかと不安だったのだ。
「そいつ、探検隊に入れるのか?」歓迎の代わりに、敵対心の塊のような鋭い言い方でハルヒに訊ねてしまった。「そうよ、あたしがスカウトしてきたの」ハルヒはそんな俺の言葉のとげとげしさにみじんも気づかなかったようで、褒めてくれと言わんばかりに胸を張っていた。「古泉君のSOS探検隊への入隊に反対の人はいる?」ハルヒが全員を見まわす。俺は仏頂面のまま、朝比奈さんは控えめな声で賛成、長門は無反応だった。「まんじょういっちね。入隊おめでとう」一人で満面の笑みを浮かべて拍手をする。朝比奈さんはそれに続くように小さく拍手をした。「ありがとうございます」古泉が歓迎の拍手に頭を下げながら言った。「ところで、SOS探検隊というのは一体何をする集まりなのでしょうか」古泉のこの質問に俺は首をかしげる。そういえば、活動目的なんてあっただろうか。「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれました」ハルヒは悪の親玉みたいな笑い声を出し、中央にあった背の低いテーブルの上に立つと「わがSOS探検隊の目的は宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶことよ!」あぁ、そうだったな。不思議生物を探し出すことが結成理由だったな。いつの間にか増えた新メンバーは、初めてそれを知らされてあっけにとられていた。
ハルヒから活動目的を聞いたあと、改めて各自が自己紹介をした。俺と長門は手短にそっけなく、朝比奈さんと古泉は丁寧に、ハルヒはその中間だったな。その後は、普段通りの活動で、長門は読書、ハルヒは朝比奈さんとおしゃべり、俺はゲームブックを黙読していた。古泉は、ひみつ基地の品ぞろえに驚いているようで、冷蔵庫に驚き、扇風機を見たあと、種類の豊富なボードゲームを調べていた。「そういえば、古泉君って学校探検とかしたの?」古泉が戸棚から将棋盤を引っぱりだしたところで、ハルヒが唐突に質問した。「えぇ、学級活動の時間を使ってクラスのみんなに案内していただきました。流石にこのひみつ基地までは来ませんでしたが」そりゃそうだ、ここは生徒の立ち入りは禁止だからな。「ってことは、まだ見てない場所もありそうね・・・」ハルヒは何やらぶつぶつとつぶやいた後、急に立ち上がり、「それじゃぁ、あたしがこの学校の隅々まで案内してあげるわ」と、提案した。「みんなで行くのか?」みんなで、と言っても長門はここを動かないだろうし、朝比奈さんは今の服のままでは自由に移動できないだろう。それに、先生に見つかれば早く帰れと言われるだろう。荷物をひみつ基地に置いたままにしていてそんなことを言われれば、毎日立ち入り禁止の教室で遊んでいることがばれるかも知れない。かといって、荷物を持ったまま移動というのも不便だ。「ううん、あたしと古泉君で。いろいろ聞きたいし」ハルヒの返事は思いがけないものだった。「え?なんで?」慌てて聞き返す。少し動揺していた。「だから、聞きたいこととかあるの。別にいいでしょ」ハルヒにそう言われると駄目とは言えなかった。と、言うよりもダメな理由がないからな。俺は仲よさげな二人を複雑な思いで見送った。
「あいつ、本当に信用していいのかな」二人が出て行ってからしばらく時間をおいて朝比奈さんにそう話しかけた。「え?そんなに悪い人じゃないと思うけど」朝比奈さんは返事に困ったのか、少し間をおいて、遠慮がちにそう言った。悪い人じゃなさそう、か。俺からしてみれば、突然やってきてハルヒと仲良くする男子というのはあまりにも危険な存在だ。いつ、そいつがハルヒのことをすきになるか分からないし、ハルヒがそいつをすきになるかもしれない。しかもあいつは、あまり認めたくはないが、かっこいい。すごくモテそうなタイプだ。俺はものすごく不安だった。「嫌いなの?」考え込む俺に朝比奈さんがそんな質問をした。「す、すきだ」思いがけず、即答してしまった。もちろんすきなのはハルヒの方で古泉ではない。「すきなの?」朝比奈さんが訊ねているのは間違いなく古泉の方だろう。朝比奈さんは何とも言えない顔をして聞き返した。「いや、俺がすきなのはハルヒで、古泉はすきじゃなくて・・・」だんだん混乱してきた。と、いうより墓穴を掘ってしまったような気がする。パニック状態で手と首をふる俺を見て朝比奈さんはくすりと笑い「よかった、安心した」と、間延びした声で言ったあと「古泉君、何かかっこいいよね」と、本人も気づかないうちに俺の不安を増幅させる一言を放った。「……」長門はそんな俺たちのやり取りに、何の興味も示さずに本のページをめくった。
長門が本を閉じるころに二人は戻ってきた。「あ、グットタイミングね」長門が本を読んでいないのを見てハルヒがそう言った。古泉は何がグットタイミングなのか分かっていないようで首をかしげていた。シンザンシャには分からないだろうが、これがSOS探検隊の終了の合図なんだよ。心の中でそうつぶやき、古泉への小さな優越感を感じた。ランドセルを背負って廊下に出る。夕日に照らされて、赤いランドセルはより赤く、黒のランドセルはくすんだオレンジが鈍く光る。古泉のランドセルは新品のようにキレイで、夕陽のオレンジがきれいに映っていた。赤なら俺の方がすごいと思っていたのに、負けた気がした。「ちょっと、お話したいことがあります」古泉は俺の名前を呼んだ後に、そう言って手招きした。「何だよ」ハルヒたちを先に行かせて、古泉と二人きりになる。俺はさっさと話を終わらせようと腕を組んで古泉を睨んだ。「いえ、大したことではありません。ここにコインが二枚ありますね」そう言うと古泉は手のひらに二枚の銀色の硬貨を用意した。少なくとも日本のものではない。
「これを右手に隠して、ワン、ツー、スリー!」そう言うと古泉はコインを握ったままの右手をたたき、同時に広げる。コインは4枚になっていた。「おお」思わず感心してしまう。それを見た古泉は、再び右手を握り、体を半身にして遠ざけ「ワン、ツー、スリー」と、唱えるのと同時にコインを一輪の花に変えてしまった。突然の古泉の行動と、あまりの手際の良さに感心してしまい、思いがけず表情が緩んだ。「気に入っていただけましたか?こちらはあなたに差し上げますよ」そう言って俺に花を渡すと、舞台上のマジシャンがするのと同じようなお辞儀をした。「あ、ありがとう」それ以外に何と言ったものか、しばらく呆然とした後に、我に返り「で、これは何のつもりだ?」と、冷静に突っ込むことができた。動揺しなかったのは我ながら上出来だな。「あぁ、いえ、あなただけが僕のことをあまりよく思っていないようでしたので」こいつの笑顔の下には何かあるな、と思ったのはこのときがはじめてだっただろう。「これをきっかけに仲良くしていただけませんか?涼宮さんたちのように」ニコニコしながらそう言われたが、これはこれで怪しい。まるで詐欺師みたいだ。「・・・別に、いいけど」それでも俺は古泉が仲間になることをしぶしぶ認めた。ここで断れば何となく俺の方が悪者みたいだ。「けど」しかし、ただで認めるわけにはいかない。俺には確かめるべきことがある。「お、お前がハルヒのことをどう思ってるのかで変える」思い出してみればなんとストレートな言い方だろうか。しかし、古泉は相変わらずのニヤケ顔で「魅力的な人だと思いますよ。素敵な女性です」と、言っただけだった。俺の質問の意図には気付かなかったのだろう。「あなたも、なかなか魅力的かと」いや、気づいていたのかもしれないな、こいつは。
結局その後は特に何もないまま昇降口へと向かい、靴を履き替える。古泉は迎えに来ていた、黒塗りの立派な車に乗り込んで帰ってしまった。「送っていきましょうか?」と言われたが、ハルヒが待ってくれているかもしれない。俺はそれを断ると、とぼとぼと校門まで歩いた。ハルヒは、期待通り校門で待ってくれていた。「何の話だったの?」ハルヒが興味津津、と言った感じで俺に聞いた。「何でも。仲良くしようってさ」俺は古泉の見事な手品をほめるわけでもなくそう答えた。「ふーん」ハルヒはそれだけ言って「古泉君、手品上手なのよ」と、話題を変えた。その後は学校案内中の出来事や、話した内容を話す。「で、あんただけ古泉君のこと嫌ってるみたいだったから仲良くしたいって」ハルヒは古泉のような笑顔を俺に向けた。ハルヒなら許せるな。そう思った。たぶん、ハルヒは古泉と俺が何で残ったのか知っているのだろう。もしかしたらハルヒの作戦かもしれないし、覗いていたかもしれない。そんなことはどうだっていい。俺たちはこれから5人で不思議なことを探していくのだ。ハルヒと俺は夕暮れのを見て、明日のことを話しながら歩いた。
柊(一部完)
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