I don't choose, but decide. chapter08
目が醒めてネットカフェのシャワールームで汗を流していると家に帰らないでこうして外泊しているという罪悪感が感じる必要もないのに湧いてくる。罪悪感というか、ちょっとしたホームシックといったところか。いやホームシックならまだいい、電話なりなんなりで家族や友人と接触できるからな。俺は今、それらとは絶対に会ってはいけない状況に置かれている。避けられていたり、遠く離れていたりするんじゃない。自ら会わないように接触を避けなければならんのだ。会おうとすれば会えるのに、会おうとしてはいけない。それが苦しい。 やれやれ、世界改変騒動の時といいどこかで俺に『仲間の大切さ』を思い知らせる為のトラブルをセッティングしてる奴がいるんじゃないか?……なんてな。自嘲的な笑いが漏れ出る。二つの意味の自嘲だ。一つは悔しくも俺にとってSOS団をはじめとする仲間達が十日も会わないだけでくじけそうになる程の存在だと認めざるを得ないということ、そして…… とにかく見守るという決意はどこへやら、俺は二度目の火曜でアイツを見送って以来今日までハルヒの姿を見つける事すら出来なかったのだ。 足が棒になる程探し回った。昨日なんかほぼ徹夜だ。ハルヒの行きそうな場所は全て回ったつもりなのだが……--------------水曜、俺が学校に行っている間を見計らって家に入り尾行しやすいようにせめてハルヒの前で着たことのない服に着替えようと、クローゼットの中を掻き回して見つけたのは一度目の日曜、どう探しても見つからなかったジャージだった。なるほどな、あの時ジャージが無かったのはこのせいか。などと納得しながらふと机を見ると投げ捨てちまったノートが前には感じられなかった存在感を持って鎮座していた。 今からでも藤原を探し出して渡せばハルヒは……いや、コイツはここに置いておかないといけない。俺はこれを引っつかんで家を飛び出すんだからな。とにかく行こう。今の時間からするとハルヒは大学に行っている頃だろう。まずはそこに向かうとするかね。ノートの事を思考の隅に追いやり、ジャージに着替えた俺は玄関を出て左右を確認しハルヒや長門、それに古泉の通う大学へと足を向けた。俺の通う大学よりも二世代ほど技術革新の進んでいる大学に到着し、喫茶店でしたSOS団の取り留めも大した意義もない会話を思い出す。えっと確か、『水曜二限の考古学の授業なんだけどさ、もっと古代生物の末裔が生きていた!とかそういうのを期待してたのに全然普通の授業なのよね』二限の考古学だったな。教室一覧を見て、ハルヒが授業を受けているだろう場所へ向かう。いまいましい、エレベーターが二基もありやがる……。所々で大学の設備の差に嫉妬しつつたどり着いた教室はゼミに使うような小さいものだった。潜り込むわけにはいかなそうだ。ドアの小さな窓から中を覗く。と、小太りの男と目が合った。何だよ、お前に用はないぞ。授業に集中しろ。しかしこうしていきなり目が合う場合もあるんだな。気付かせてくれてありがとう。そいつから目線を外ししゃがんで教室内を端から端までブラウジングする。今の俺はそれはもう怪しく見えるだろうね。教室の右前から右奥、左前から左奥と視線を二往復させる。いない。サボりだろうか。ハルヒいわく『全然普通』の授業らしいし、相変わらず普通じゃないものを愛するアイツの事だ、それも不思議ではない。もうすぐ昼飯時だし、高校時代みたいにひと足早く食堂に向かっているのかもしれない。行ってみるか……。 そこにもいない。ふと見ると遠くで長門と古泉がベンチに座り二人とも前方を凝視しながら飯を食っていた。この時からあいつらは未来の動向を気にしていたのだろうか。と思っていたら古泉が長門に何やら話しかけ、長門が頷いたと思うと(高一の頃からは想像出来ない程解りやすい首肯だ)、古泉が長門の弁当から卵焼きらしきものをゲット。 ……あぁ、何だこの気持ちは。あいつらそういう仲だったのか?長門よ、そいつだけはやめておいた方がいいと思うぞ。まぁいい、今はハルヒだ。仕方ない、全教室を回ってみるか。--------------……というように今日までその時々でハルヒのいそうな場所をくまなく探してみたのだが、その足跡さえ見つからなかった。大学だけじゃなく不思議探索のルートや北高の元SOS団拠点こと文芸部室、果ては俺の家の周り、更にはハルヒの涙を見たバス停まで見た。いなかった。その過程でまだ付き合い出して二ヶ月目ではあるがハルヒの家を知らん事に気付き悶々としたりもしたが、それはいい。いや良くないか、知っていたならもっと探索範囲が広がったわけだしな。無益とは知りつつも後悔せざるを得ない。 ともかくつまるところ結局何も出来ずに今日この日を迎えてしまったわけだ。全くの無策であの場を何とかできるだろうか……。朝比奈さんがハルヒに触れて眠らせてから先は俺にはまだ分からない。古泉、長門……あいつらは朝比奈さんを止めてくれるだろうか。……そろそろ行こう。現在時刻は過去の俺が二度寝を始めようかという時だ。あの電話の時、ハルヒは駅前とか言っていたな。朝比奈さんに何と言うべきかばかり考えながらネットカフェを出た俺は、いくら能力は失ったとはいえ超宇宙的な鋭さを持つハルヒを尾行する事-そのウルトラCクラスの難度については完全に失念していた。火曜に成功したからな、油断していたのかもしれん。--------------囚人用の枷をはめられたかのように普段の数倍の重さを持つ足を駅の方向へと動かしながら時計を確認する。大丈夫だ、まだ俺は寝ていた時間だな。足を引きずるように歩いていると古泉からの電話、その直後のハルヒの電話という波状攻撃で感じた吐き気が蘇る。くそ、俺が何とかしなくちゃいけないのに。何をすればいいのかが分からない。朝比奈さんは話して分からない相手じゃない。そう思い込まないと無力感に押し潰されそうになる。 何で二度目の火曜に多少無理をしてでもハルヒと同じバスに乗っちまわなかったんだ。一度目の今日、古泉の電話にすぐ対応していれば……後悔が足取りを更に重くする。後悔なんかしないと藤原には偉そうな事を言ったくせにな。情けないぜ。……しかし、俯きながらだろうと心持ちがどうあろうとそこに向けて歩けば目的地には着くもので、見慣れたSOS団の集合場所に到着した俺はハルヒを探す。と、数秒視線を動かしその前に隠れる場所を見つけなければならない事に気付いた。ハルヒは駅から出てくるはずだ。缶コーヒーを買い、死角になる場所へ移動する。……さて、とりあえず今は待つだけだ。昨日ほぼ徹夜で歩き回ったせいで俺の目はさぞかし血走っている事だろう。だが精神が昂っているからか、眠気は少しも感じなかった。逆に集中力抜群の状態で改札口ただ一点のみを注視出来る。うむ、これなら絶対にハルヒを見逃す事はない。過去の俺が古泉から電話を受けるまでは、えぇと……まだ結構余裕があるな。コーヒーを一口。朝比奈さんのお茶が飲みたい。はぁ……やれやれ。またノスタルジーと焦燥感がないまぜになった感覚が俺を襲う。それを振り払うように首をここ数日で何回振っただろうか。ちょんちょん……ん?ちょんちょん……誰かが肩をつついている。誰だ。お巡りさんだろうか。ジャージ姿で駅の方を凝視していると思えば首をブンブン振ったり怪しい事この上ないのは否定できん。だが今職質を受けている暇はないんだ。どうしようか……。仕方ない、出来るだけ朗らかに受け答えて穏便に済ませ……「こっち向きなさいよバカキョン!」「ここ数日あたしの事つけようとしてたみたいだけどそうはいかないわよ。逆尾行してたのにも気付かないなんてやっぱりあんた鈍感ね」…………これは……ヤバすぎるぞ……!自分の心臓の音を聞きつつ恐る恐る振り返ると、当然だがハルヒが両手を腰に当てて仁王立ちしていた。--------------「あんた何無精髭なんか生やして……似合わないからやめた方がいいわよ」と顎に触れてくるハルヒに、仕方ないだろうずっとネットカフェ暮らしだったんだからなどとはもちろん言えない。というか口が開かん。むぐぐ。どうすればいいんだ?何て言えば……っていうか会っちまった時点でアウトじゃないか?「なんとか言ったらどうなのキョン。ねぇ……キョン……よね?」無言を保つ俺の顎から手を離し、不安げに問うハルヒ。自分で顎を触ると確かに無精髭の感触を感じる。苦肉の策がモヤモヤと頭の中に浮かんできた。-これしかない。声が震えないよう一つ咳ばらいをして、祈りながら口を開く。焦るなよ、あれはハルヒが中一の頃だから……「……よう、久しぶりだな」「久しぶりって……ついこの間、そ、その……泊めてもらったばかりじゃない。それであたし、忘れ物しちゃってさ」眉をひそめながら赤面アンド困惑するハルヒ。「何を言っているんだ、俺がお前に会ったのは記憶が正しければ五年、いや六年程前の……七夕だったと思うが」言葉を遮り発した俺の台詞にハルヒはただでさえデカい目を目一杯見開いて、「え……じゃ、じゃああんたもしかして……」「そう、ジョン・スミスだ。大きくなったな」 顔の全てのパーツをあんぐりと開いて絶句するハルヒを見ながら、俺はやけに冷静にさてここからどうしようかねと考えていた。おかしな事にさっきまで感じていた無力感と焦燥感は雲散霧消しちまった。さっきよりピンチ度は高いのにな。あぁ。俺はもう、高校時代とは違って『何でだろうね』などとは思わない。コイツと話せたからだ。たったそれだけの事が元気をくれたのさ。絶対に上手くやってやるからな、ハルヒ。朝比奈さんも待っていて下さい。「ところで、お前の名前を俺は知らないんだが……」俺は記憶フォルダからハルヒの地上絵描きを手伝った男-もう一人の俺とも言うべきジョン・スミスのそれを呼び出しそいつになりきりながら語りかけた。
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