国木田の憂鬱 第3話
いつもより妙に密度の濃かった12月18日がおわり、次の1日が始まった。12月19日。今日から短縮授業に入る。風邪の猛威はいまだに衰える事を知らないようで、5組の出席者数は昨日よりも更に減っていた。谷口も本格的に風邪が悪化したのか、今日は姿が見えない。キョンの様子は昨日と比べると、だいぶ落ち着いてきている様には見える。けど、相変わらず朝倉さんにはつっけんどんな口調で話してるみたいだった。
国木田の憂鬱:第3話 消失編2
放課後、キョンはぶらりと教室を出て行った。帰宅するのかなと思ったけど、向かう先は下駄箱ではないらしい。昨日、朝倉さんとした約束もあるし、僕はキョンの後を付けてみる事にした。キョンは自分の持っている白紙を見て考え事をしながら歩いているようで、僕の尾行には気がついていないみたいだった。途中、見た事の無い上級生の女子2人にビクッとして驚かれたりするような出来事があったけど、キョンは一礼してそのまま歩き続けていく。あの2人は誰なんだろう。上履きの色からして2年生?まあ、見た事の無い人だ。キョンは妙に場慣れした足取りで、部室棟へと入っていく。入学以来帰宅部を決め込んでいると思っていたんだけどな。いつのまにか何処かのクラブに入ったんだろう。やがてキョンはとある1室の前で足を止め、軽くドアをノックをしてから中に入っていった。少し様子を見てからドアに近づいてみると「文芸部」と書いてあった。
僕はとりあえず中庭に移動し、廊下の窓から文芸部のドアの開閉が確認できる場所を確保すると、その場に座り込んだ。キョンの事が心配だから、という理由はあるんだけど、やっぱり友人をこそこそとつけ回すのは、気持ちのいいものじゃないね。探偵?…というよりは、ストーカーみたいだよ。キョンは中々出てこないし、持久戦になりそうだった。僕はカバンから参考書を引っ張り出し、適当に読みながら時間を潰した。
動きがあったのは、西日が差し始め、校舎がオレンジ色に染まり始めた頃だった。まず部屋から出てきたのはメガネを掛けたショートヘアの女の子、もちろん見た事は無い。文芸部の人かな。それに続いて後から出てきたのがキョン。おとなしそうなイメージの女の子に続いて、キョンはその後ろを黙々と歩いている。会話は無いみたい。2人が向かった先は、かなり高級そうな分譲マンションだった。キョンの家ではない…ということは、あの文芸部員の家なんだろうか?2人はエントランスに入り、そのままマンションの中へと入っていった。女の子の部屋に招待されるほどの仲だったのか…いつのまに、そんな相手を作っていたんだろう。全然気がつかなかった。
というか、この頃になると、僕は自分に対する嫌悪感の方がだいぶ酷くなってきていた。つけ回したりするのは、今日かぎりでもう止めておこう。僕は探偵とかにはなれそうに無いね。
回れ右して帰宅しようとしたその時だった、「あら?国木田君?」軽やかなソプラノの声に振り向いてみると、そこにいたのは朝倉さんだった。「どうしたの?こんなところで」僕が、キョンの後を尾行して、ここまでたどり着いた事を説明すると、「へえ…彼が、文芸部の娘とねえ」朝倉さんは小首をかしげながら思案顔になり、ややあってから、何かいい事を思いついたような表情で「そうだ。国木田君、私の家に寄っていく?」え…。
このマンションに朝倉さんの部屋があることも驚きなら、そこに僕がこれから入って行こうとしている事も驚きだった。エレベータで5回まで上がり、その5番目の部屋。朝倉さんに続き、僕はおずおずと玄関へと入る。「あ、遠慮しなくていいわよ。私、1人暮らしだから」更に驚く事を言う朝倉さん。
女の子の家に上がるのは、もちろん初めての事だった。かなり緊張する。通されたリビングは、実に簡素な部屋で、コタツテーブル以外には何も物が置いていない。女の子らしい小物とかが置いてあるのを想像していたのだけど、きっと、そういうのは他の部屋にあるのだろうね。朝倉さんがキッチンから急須と湯飲みを持ってきて、お茶を入れてくれたので、僕は朝倉さんと向かい合う場所に腰を下ろす事にした。
そこから先はいつもの喫茶店でのおしゃべりを、朝倉さんの部屋で行っているような感じの展開だった。僕は学校で噂になっていることや、今日のキョンの様子などを朝倉さんと話し合った。まさに流れるように時間が進み、やがてキッチンの方からなにやら良い匂いが漂ってきた。これは、おでん?「いま、おでんに火を通していたのよ。もう何日も前から仕込んでいる、なかなかの自信作なの」ちょっと見てくるね、と言って朝倉さんはキッチンへと向かった。
僕にとって朝倉さんとの会話は、時間の経過を忘れるほど楽しい事だった。朝倉さんの方は、僕との会話をどう思ってるのだろう。ときおり、楽しそうに微笑する所をみると、僕と同じように楽しく思ってくれているのだろうか?もし、そうなら…こんなに嬉しい事は、僕は他に無いと思う。
それにしてもわからないのは、キョンの行動だ。なぜ、こんなに優しい朝倉さんの事を、あれほど嫌っているのだろうか?ほとんど敵視しているぐらいの眼光で、今日も学校で睨みつけていたし。キョンとは中学の頃からの友人だ。だけど、もし僕が朝倉さんと仲が良い事がわかったら、僕も同じように、キョンから敵視されてしまうのだろうか?
「ねえ、国木田君。おでん食べていく?」え?「私、あの文芸部の長門さんとは、ちょっとした知り合いなの。ときどき料理を運んでいたりするから」朝倉さんは悪いイタズラを思いついた子供のような表情で、「だから、このおでんを持って、長門さんの部屋にお邪魔しちゃうのよ。そうすれば、彼の様子も見にいけるし」どうしようか、と僕は考えた。朝倉さんの料理を食べる事が出来る、またとないチャンスではあるし、キョンの様子も確かに気にはなる。それに、一緒に行けば、朝倉さんは喜んでくれるだろう。だけど、僕が朝倉さんと一緒に登場したら、キョンはなんて思うだろうか。僕は朝倉さんともっと仲良くなりたかったが、同じようにキョンとは友達でいたかった。どうすればいい?どうすれば、どちらも失わずにすむ?
…結果的に見て、たぶん、僕は愚かな選択をした。
悩んだ末、僕は断腸の思いでその提案を断った。「そう、残念ね」朝倉さんは形の良い眉を寄せて、悲しい表情を見せた。早くも後悔の念が押し寄せてきたが、ここはガマンのしどころだ。
朝倉さんは1人でもこの作戦を決行したい様だった。僕は鍋を持った朝倉さんと一緒に部屋を出た。長門さんの部屋は7階にあるそうなので、エレベータの所で別れる事になる。その間際、「国木田君」朝倉さんがいつに無く暗い口調で話しかけてきた。「彼の言った事、やっぱり気にしてるの?」彼…というのは、あの藤原の事なんだろう。ふと、藤原の言っていた、嫌な言葉が頭をよぎった。情報ソース。役に立たなくなったら…。嘘だ、そんなことなど、あるものか。
「あの事は気にしてなんかいないよ。ただ僕は、キョンとの事が…」そこまで言ったところで、朝倉さんはうなずいて、僕の話の後を引き継いでくれた。「わかるわ。国木田君はキョン君とは昔からの友達だものね。…だから嫌われたくないのは、よくわかるの」朝倉さんは少し遠い目をしながら、「私にも、そういう友人がいるの。女友達だけどね。彼女のためなら、多分何だってするし、それにできるなら嫌われたくはない」ふうっと、軽く溜息をついて、「ふふ、私って、キョン君に何もかも奪われてしまうのね。彼女も、あなたも、そして…」朝倉さん?「ううん、いいの、気にしないで。…明日また学校で会いましょう、国木田君」ええ、また学校で。
僕はマンションのエントランスから外に出て、自宅へと帰路についた。朝倉さんは大丈夫かな。またキョンから酷いことを言われていなければいいけど。
今日の僕の選択はあれで良かったんだろうか…。あるいは、キョンに嫌われるのも覚悟で、朝倉さんと部屋に乗り込んで行った方が良かったのかも知れない。
もし、今度そういう機会があれば。間違いなくそうしよう。
しかし、もう2度とそういう機会は訪れなかった。
12月20日相変わらず空席が目立つ教室の中、いつもと同じように学校が始まる。1時限目は体育の授業で、サッカーの紅白戦が行われた。谷口は1日休んでなんとか体調が回復したらしく、マスク着用で試合に参加している。
何の変哲も無い日々のはずだったのだが、事件は2時限目の後の休み時間に発生した。僕と谷口とでキョンの所に行き、最近のキョンの不可思議な行動について、たわいもない会話をしていた時のこと、「そういえば、朝倉さんの変わりに誰か他の人がいたとか話してたね。確か、ハルヒさんだっけ?」「ハルヒ?そのハルヒってのは涼宮ハルヒのことか?」谷口が涼宮ハルヒという言葉を発するや否や、キョンの顔色が変わった。キョンは谷口の胸倉を掴んで引き寄せ、そのハルヒって娘の事について矢継ぎ早に訊きまくった。谷口が、そのハルヒさんは中学時代の同級生の変な女で、今は光陽園学園にいるって事を説明すると、キョンはものすごい勢いで教室の出口に向かっていった。僕がトイレにでも行くのかと尋ねると、「早退する」カバンはどうするんだろう。と、突然、出口付近で振り返って、「それから、谷口。ありがとよ」それだけ言って、そのまま出て行った。
どうしよう。追いかけて様子を探る?だけど、もうあんなストーカーじみたことは、あまりやりたくは無かった。それに授業をサボる事について、僕には少し抵抗がある。朝倉さんが戻ってきたら、報告しようと思っていたのだけど、驚く事に朝倉さんも授業を早退しているようだった。それも、学校に無断でのことらしい。朝倉さんがサボるなんて、初めてのことじゃないだろうか。
なんだか何が起きているのかよく解らないまま、授業が終わり、下校時間になった。朝倉さんもキョンも、まだ教室には戻ってきていない。ためしに朝倉さんの携帯に電話を掛けてみたのだが、何回コールしても朝倉さんは電話に出なかった。朝倉さんの身に何かあったんだろうか。キョンの早退と何か関係があるのだろうか。心配でたまらないのだが、彼女の居場所すら解らない。何もする事ができないまま、僕はとりあえず下校し、坂道を下りきって、少し歩いたその時、「国木田君」名前を呼ばれて振り返ると、初めて僕を学校の帰りに呼び止めた、あの場所に、朝倉さんが立っていた。
「国木田君。とても重要なお話があるの。ちょっと付き合って貰えないかな」朝倉さんは真剣な表情で僕を見つめながらそう言った。僕がうなづくと、朝倉さんはいつもの喫茶店へ行きましょうと言い、二人でそこへ向かう事にした。もう何度も通った馴染み深い喫茶店。なんとなく決まっている指定席に、僕と朝倉さんは座った。
「急にいなくなってしまって御免なさい。どうしても早急に手を打たなといけないことがあったの」いえ…。手を打たないといけない事って?僕が逸る気持ちを抑えられず、そう聞き返すと、朝倉さんはグラスの水を一口飲んでから、口を開いた。「上手く言語化できないかもしれないし、情報の伝達に齟齬が生じるかもしれない。でも、聞いて欲しいの」え?
「長門さんが脱出用のプログラムを用意しているかもしれない事は、ある程度の予測はしていたの。でも、そのキーが何なのか、私には理解する事ができなかった。まさかあの事象がキーだったとは…。とにかく、それを止めるすべはもう無いの。だから、この世界はあと少ししたら崩壊してしまう事になるわ」長門さんというのは、あの文芸部の娘?キー?世界が崩壊?…いったい何の話?「私はこの世界を壊したくは無いの。壊させないために、長門さんは私は再結合して、自分のバックアップにあてたのだから。だから私は、重要な仕事をやらなくてはならないの」重要な仕事?…なんだろう、その言葉に、酷い既視感があるのだけど。思い出せそうで、思い出せない。「恐らく、妨害活動が行われるはず。私もできうる限りの手を打っているのだけど、成功の可能性は…残念だけど、かなり低いかも。でも、やらないで後悔するよりも、やって後悔した方が良いって言うのが、私の持論だから」不意に、朝倉さんは微笑を浮かべ、「私はね、国木田君。有機生命体なんて、どれも一緒で、個体差なんて関係ないし、命の重さは単なる波形ぐらいにしか思っていなかったわ。…あなたと出会って、話をするまではね」有機生命体?それって、僕たち人間のこと?「今なら、長門さんがなぜエラーを蓄積させたのか、私にはわかるの。なぜなら、私が国木田君と何度も会って話をするたびに、同じようにエラーが蓄積され始めたから」エラーの蓄積って…。「だから、私は、この世界を守りたいの。長門さんが私に与えた役割のためだけではなく、私が国木田君と唯一同時に存在する事のできる、この世界を…ね」ふと、朝倉さんは席から立ち上がり、ゆっくりと歩いて、僕の隣にやってくる。「ごめんなさい。ほとんど意味がわかんならないよね。でも、私はどうしても最後にあなたに伝えたかったの。だから、これは私の単なるワガママ」朝倉さん…。「ありがとう、国木田君。あなたとの会話は…とても有意義だった。ううん、楽しかった。嬉しかった」そう言って身体をかがめて、僕の顔に腕を廻し、…唇を重ね合わせた。…!ほとんど内容が理解できない会話。突然の口付け。なかば気が動転している僕の頬に、水滴がひとしずく。朝倉さんが泣いている?
少ししてから、朝倉さんは僕から顔を上げた。何も言葉を発する事ができないでいる僕の前で、朝倉さんは悲しげながらも優しい表情で、「じゃあ、私はもう行きます。…国木田君はここで待っていてね。もし、仕事が成功したら、私はここに戻ってくるから。失敗したら…ふふ、そのときは世界自体がもう無くなっているわね」朝倉さんは駆け出すように喫茶店から飛び出し、そのまま視界から消えた。
重要な仕事…その言葉が頭から離れない。何か以前、その事があって、とても大切な何かを失ったような気がする。思い出せない。僕はどうすればいい。何か、朝倉さんを手伝うような事はできないのか?だけど、今の僕に何ができる?
「ずいぶんとお悩みのようだな」不意にかけられた男の声、見上げると、そこに立っていたのは、あの時喫茶店で出会った男、藤原だった。「なんだ、その眼は。僕に八つ当たりか?…そうじゃけんにするなよ。今日はあんたをタイムトラベルに連れて行ってやろうと思ってるんだから」タイムトラベル?時間でも越えていくつもりなのか?「ああ、この前面白い事を言ってくれたから、そのお礼にな」藤原は嫌味な笑みを浮かべて、「行き先は、朝倉涼子の最期の場面。どうだ、興味があるだろ?」
つづく
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