梅雨空に舞う雪:第1章
『梅雨空に舞う雪』
○ 第1章:水もしたたる……
雨と一緒に宇宙人でも降ってこないかなぁ、とハルヒとバカ話をしてから数日が経った。
その間には一瞬の梅雨の晴れ間もあったものの、結局は曇りか雨の日ばっかりだった。ハルヒはと言うと、バカ話のことなどすっかり記憶にないようで、目前に迫りつつある期末試験に興味が移っているようだった。
「じゃあね、お疲れー」
「おう、また明日」
「……」
「「お疲れ様でした」ぁ」
学校からの帰り道、坂を降りきったところで「また明日」の挨拶を済ませ、俺は我が家への道を進んでいた。今日も雨だったので、徒歩で帰らなくてはならない。やっぱ、自転車は楽でいいわ、と梅雨空をぼやきながら歩いていると、ポケットの携帯が響き始めた。なに、長門から?
「どうした、長門」
『緊急事態、わたしのマンションまですぐに来て』
「なにが…」
『すぐに』
プープープー……。
あっという間に切れてしまった電話を見つめながら、緊急事態と非常事態と異常事態ではどれが一番大変だろうか? などと考えながら長門のマンションに向かって方向転換した。
長門のマンションのエントランスに着くと、古泉と朝比奈さんがインターホンを押そうとしているところだった。
「あ、キョン君」
「朝比奈さんも呼ばれたんですか?」
「えぇ、何でも異常事態だとか」
あれ、朝比奈さんには異常事態なのか? ということは古泉は、
「僕は『非常事態』と言われましたが」
うーん、長門、いったい何が起こったんだ?
3人揃ったところであらためてインターホンを押すと、
『……はいって』
といってエントランスの自動ドアが開いた。誰何することもなしか。防犯上よくないぞ。
相変わらず殺風景なリビングに通された俺たちは、コタツ机の各辺上のほぼ定位置となっている場所に座った。しばらくすると長門が湯飲みと急須をお盆に乗せて現れた。
俺は長門が淹れてくれたお茶を一口すすってから、話を切り出した。
「何でも、緊急事態で異常事態で非常事態が起こったそうだな」
「これから起こる」
「で、何が起こるんだ?」
「空から宇宙人が降ってくる」
「…………」
古泉、中途半端にニヤケてないで、何とか言ってやってくれ。宇宙人が、『空から宇宙人が降ってくる』と言っているぞ。
「それは、先日涼宮さんが話していたようなものですか?」
「そう。液状化分散集合生命体の一種」
「なに? 液状化現象?」
「違う、液状化分散集合生命体。雨粒に混じって、このあと18時過ぎから降り出し、19時ごろピークにとなる」
なんだ、長門、いつから気象予報士になったんだ? 俺と朝比奈さんが頭の上にはてなマークをいくつか出している間に、古泉が話を進めてくれている。
「その雨粒を集めると、宇宙人が形成されるということでしょうか」
「そう。一粒一粒だけを見ると意味を成さないが、ある一定量を超えると意識を持つようになり、さらに集合することにより高度な知性を持つようなる」
「どうしてそんなものが……」
と、俺が率直な感想をはさむと、
「やはり涼宮さんが望んだ、から?」
と古泉。
「おそらく」
長門は、自分で淹れたお茶をゆっくりと一口すすると、さらに解説を続けた。
「遠い昔、地球にやってきた彼らは、地球上の水と混じりあい広く薄く分散して地球上の水の循環系の中に溶け込んでいた。それが、今夜、この地域にかなりの量が集中することとなった」
海から蒸発して雲になって、雨となって降り注ぎ、再び海に返る、という循環を地球規模で繰り返すうちに、なぜか今夜この周辺に降る雨の中に、その宇宙人を構成する要素が大量に含まれることになった、ということか。どれほど天文学的な確率になるんだろう?
「確率的にはほぼ0といっても差し支えない程度」
ハルヒが望めば確率論なんてくそ食らえ、ってか。
「くそ食らえ?」
いーよ、気にするな。
「時間的には19時がピーク、空間的にはSOS団のメンバの自宅周辺がピークとなる」
さらに確率を無視するようなことをする訳ね、ハルヒよ。
「で、僕たちはどうすればいいんでしょうか」
古泉が、あきらめたような笑顔で、俺たちがやるべきことを長門に尋ねた。
「各自、自宅周辺に降り注ぐ雨水をできるだけ収集して欲しい」
長門は立ち上がると和室のふすまを開けた。そこには、キャンプなんかに水を入れて持っていくためのポリタンクが5個置いてあった。用意がいいな。
「20リットル入りの容器を用意した。ここに集めて欲しい」
「どうやって?」
「雨どいの排水部分を受ける」
うーん、うちの家にはそんな都合よくポリタンクを置けるようなところはあったかなぁ、と思案していると、長門がたたみかけてきた。
「時間がない、わたしはわたしの自宅と、涼宮ハルヒの自宅周辺を担当する。それぞれの自宅周辺はよろしくお願いする」
よろしくって言われてもなぁ、
「是非ともお願いする」
わかったよ、何とかするよ。
「できれば今日中に集めたい。20時30分に再度ここに集めたものを持ってきて欲しい」
ええい、もうどうでもいい、やるだけやってやる。開き直りというかやけっぱちで長門のマンションを後にした俺たちは、空のポリタンクを抱えて各自の自宅へと向かった。
自宅に帰りついた俺は、何とか一番たくさん雨水が集められそうな排水口を見つけて、ポリタンクをセットして、19時を迎えた。
長門の天気予報通り、19時前から雨脚が強くなり、屋根をたたく雨音が激しくなった。この中になんだか知らないが宇宙人のかけらが混じっていると思うと、いまさらながら妙な気分にさせられる。もっとも、1年以上前から宇宙人(や未来人や超能力者)と知り合いであり、もう十分すぎるほど異常な経験を積んできているので、少々の事では動じなくなってしまった。喜ぶべきなのか悲しむべきなのか……。
20時前になって少し雨が小降りになってきた。ポリタンクを確かめると、半分ぐらいまでたまっていた。想像以上だ。
さてと、これをまた長門のところまで運ばないといけない。20リットルの半分で10リットル、10キロもあるのか。自転車が使えれば楽なんだが、まだ降ってるし、仕方ない。ポリタンクをぶら下げて、ちょっと出かけてくる、と言い残して玄関を出たところで、携帯が鳴った。
『こんばんは、古泉です』
「おぅ、どうした」
『ポリタンク重いですよね』
「そうなんだ、お前はどうだ」
『僕のところはほぼ満タン溜まりました。これを長門さんのところまで運ぶのは大変ですので、タクシーを用意しました』
「機関?」
『えぇ。今、朝比奈さんのところに回っていますので、もう少ししたらあなたのところに到着します。着きましたら、ポリタンクと一緒に乗ってください』
「そうか、助かる」
『では、長門さんのところで』
古泉、グッジョブだ。この雨の中、傘を差してポリタンクぶら下げて歩いていると、不審者間違いなしだ。タクシーを使うとしても、機関のやつなら怪しまれることもないし。
しばらくすると、玄関前に黒塗りの見慣れたタクシーがやってきた。トランクがパカっと開くと同時に運転席から降りてきたのは、やはり新川さんだった。
「タンクお持ちします。どうぞ車内に」
「すみません、新川さん」
後席にはすでに朝比奈さんがちょこんと座っていた。
「キョン君、こんばんは」
「どうも、朝比奈さん」
「キョン君、雨水いっぱい溜まりました?」
「半分ぐらいですね」
「同じぐらいです。でも重くて持ち上がらなくて。そうしたら新川さんがきてくれて」
そうこうしていると新川さんが運転席に戻ってきた。
「それでは出発します」
静かに走り出した車の中で、俺は新川さんに話しかけた。
「すみません、わざわざありがとうございました」
「いえ、気になさらずに。これも機関の重要な役割ですから」
「このあと古泉のところに?」
「いえ、あちらには森が回っておりますので、私どもは直接長門さんのところに向かいます」
夜の街は、雨も降っていることもあり、人も車も少なかった。10分も走ると長門のマンションの下に到着した。
「上までお運びします」という新川さんの好意に感謝しつつ、俺たちは長門のリビングで再会した。
持ち込まれた5つのポリタンクは、浴室に置かれていた。満タンが3つに半分が2つ、ということは長門と古泉は満タン集めたということか。
「浴槽に」
長門の指示に従って、俺と古泉は5つのポリタンクの雨水を浴槽に入れた。浴槽の半分ぐらいまで溜まった雨水に手を突っ込んでかき混ぜながら、長門はつぶやくように高速呪文を唱え始めた。
しばらくすると水に粘り気ができたようで、長門もかき混ぜるのをやめた。じっと見ていると、浴槽の水の中で粘りのある水がだんだんと集まってきて、透明な人の形になってきた。さらにそれが人肌のような温かみを帯びてくると同時に、顔や髪が構成されてくる。本当に例の映画の1シーンを見ているようだった。
やがて、一人の少女が浴槽の中から静かに立ち上がった。背丈はちょうど俺の妹と同じくらいだが、顔や髪型は長門そのものだった。まさしく小学6年生の長門といったところだ。水しずくがついた白い肌が浴室の明かりに輝いている。一糸纏わぬ姿なので、目のやり場に困ってしまうのはどうにかして欲しい。
「こんばんは」
唖然として声を発することができない俺たちを代表して、長門が答えてくれた。
「ようこそ、我が家に」
「ここまで分散体が集合したのは地球到着以来かもしれない」
「わけあってこのような事態になってしまった。問題はないだろうか?」
「今のところは」
「他の分散体は?」
「今回、集合できた分は私が全て。他の分散体は、引き続き地球上の水循環系の中に存在している」
「そう。それならば安心」
見た目は小学生だが、話し方は長門と変わりない。声も長門と同じだが、本人より感情豊かな感じがする。
俺は疑問に思ったことを口にした。
「なぜ長門と同じ姿なんだ?」
「わたしが再構成の手助けをしたから」
「そう、私たち分散集合体はどのような形態でもとることはできるが、今のところはそちらの女性の姿を借りている。大きさは、今回集合できた分ではこれが精一杯、どうしようもなかった。問題があるなら指摘して欲しい」
「まったく長門と同じなのはどうかな」
「わたしも同意見。まったく同じ容貌ではわたしも少し戸惑いがある」
「了解した。では……」
そういうと、少女の顔がCGのモーフィングでも見ているかのようにじわーっと変化し、長門の面影を残しつつも違う顔立ちになった。でも、どこかで見たことあるような気がするのはなぜだろう。
「こ、これは……、目元は長門さんですが……」
という古泉に続いて、朝比奈さんが、
「口元はキョン君そっくり……」
少女は長門と俺を両手で順に指し示しながら、
「こちらの女性と、こちらの男性をミックスした。いわば、お二人の間に生まれた子供といったところ」
そういうと首をかしげてニコリと微笑んだ。
そうか、それで見た事がある気がした訳だ。それにしても長門と俺の間の子供だって? うーむ……。
ふと振り返ると、長門も微笑んでいる、ように見えた。長門、ひょっとしてうれしいのか、俺との間の子供ができて……。
「と、とにかく、何か服はないか? 話をするにもそのままは……」
「すこし大きいかも知れないが、わたしの服を」
「制服以外だぞ」
長門は小さく首肯した。
長門と朝比奈さんと液体宇宙人少女が、服を選ぶために長門の部屋に行っている間に、俺と古泉はリビングで今後どうするかについて話をした。
「とりあえず長門さんの従妹(いとこ)さんということでいかがでしょうか」
「うん、そんなところだな。両親は海外にいて、本人だけ一時的に帰国したと。またホンジュラスでもいいかな」
「ジンバブエとか、いかがですか」
「ま、どこでもいいけど」
ところでジンバブエってどこにあるんだ?
しばらくすると、長門につれられて少女がリビングに入ってきた。薄いブルーのTシャツにひざ上丈のデニムのスカートだった。体のサイズより一回り大きいところが初々しい。そういえば長門、こんな私服も持っていたんだな。
また、いつもの机の周りの定位置にそれぞれ座ったが、朝比奈さんは、
「お茶、淹れてきます」
といってキッチンに入って行った。
長門の隣には少女が並んで座っている。殺風景な部屋を興味深げにきょろきょろと見つめるその少女は、長門の妹と言ってもおかしくないほどの面影を持っており、あらためて見ても長門同様に美少女だった。
「何もない部屋ですね」
長門との違いは、表情豊かという点だな。でもこの違いは大きい。
「必要不可欠なもの以外は置かない」
「ふーん、効率優先もいいですが、冗長性も心の余裕ためには必要ですよね」
長門が横目で少女を一瞥し、
「助言、感謝する」
とだけ言って、少し困ったような表情で俺を見つめている。俺は、助け舟を出すつもりで話題を変えてみた。
「さっき、古泉とも話し合ったんだが、彼女、とりあえず長門の従妹ということで、ここに置いてもらうことは可能だろうか?」
「それでわたしは問題ない」
「で、えーっと、君もそれでいいかい?」
「私もそれでいいです。なんでしたらあなたのお家でもいいですけど」
「え、いや、それは、ちょっと」
「だって、私はあなたの子供でもあるのですから」
そう言って微笑む少女は、この無機質でモノクロームなリビングでパッと輝いていた。
「ここでいい」
困惑する俺に、今度は長門が助け舟を出してくれた。
しばらくして朝比奈さんがお茶を運んできて、それぞれの前に湯のみを置いていってくれた。
「遅くなったけど、まずは俺たちの自己紹介だな」
お茶で一息ついた俺たちは、まだ彼女に名乗っていなかったことに気づいた。
「俺は……」
「彼は、キョンと呼ばれている。わたしは長門有希」
「キョンさんに有希さんですね、よろしくお願いします」
おい、長門、俺に話させろ。
「こちらが古泉一樹」
「古泉です、よろしくお願いします」
「私は朝比奈みくるです」
「古泉さん、朝比奈さん、よろしくお願いします」
「で、あなたのお名前は?」
古泉の問いかけに対して、液体宇宙人の少女は軽く首をかしげながら、
「特に名前はないんです。分散体一つ一つにも、集合体としての私にも」
「何かいい名前をつけてあげてください、両親として」
そういって古泉は俺と長門を順に見ながらにっこり笑ってお茶を口にした。誰が両親だって?
「この子は長門の従妹だ」
「それで、名前は?」
「『ジュン』ちゃんはどうですか、6月だし」
朝比奈さんがおずおずと提案してくれた。俺も負けじと、思いつきで言ってみた。
「長門の小さい版だから『こゆき』とか」
「うーん、どっちもいい感じじゃないですか、長門さんはどうですか」
と古泉。長門は間髪をいれずに答えた。
「こゆきがいい」
長門のことを見つめていた少女は、コタツ机を囲んだ俺たちを見回して、はにかんだように微笑んだ。
「長門こゆきです、よろしくお願いします」
湯飲みを両手で大切そうに抱えながら、長門こゆきと名づけられた少女は、ぺこっと頭を下げた。
その後、俺たちは明日以降の行動予定について作戦会議を開いた。明日の金曜日は、長門は学校を休んで、こゆきの衣装など当面必要なものの購入と、『長門こゆき』として生活していく上で知っておくべき事のレクチャーを行うこととなった。
また、明日長門が学校を休むことも含めてハルヒに何か聞かれてもうまく話を合わせられるように、いくつか注意点を確認した。
その間も、こゆきは興味深そうに俺たちの会話を聞いていたが、最後には、
「涼宮ハルヒさんって面白そうな方ですね。お会いするのが楽しみです」
と言ってニコニコしていた。そういえば、話し方がすっかり普通になってきている。どうやらすごく環境に馴染むのが早いようだ。
長門のマンションを後にして家路につくころには、もう22時近くになったので、古泉が気を利かせて、また機関のタクシーを手配してくれた。
すっかり疲れたのか、俺にもたれかかって静かに寝息を立てる朝比奈さんのぬくもりを肩に感じながら、俺はゆったりと流れる街の明かりを窓越しに見つめていた。
ハルヒが一緒に遊びたいと望んだから、液体宇宙人のこゆきが雨と一緒に降ってきた訳だが、本当のことを話したところで、常識人であるハルヒには相手にされないのは今までの経験から明らかだ。なんだろうね、この大いなる矛盾は。おかげで俺たちはいつも苦労させられているんだが、それがすっかり当たり前になって、楽しみにさえ思えてくる今日この頃……。
やれやれ、だ。
第2章:水を得た……
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