長門有希の贈呈
コーヒーの香りが部屋を包む目が覚める、もう既に日は昇ったらしく、鳥が鳴いている、ああ、朝だ。そこまで考えて、今は何時だと思った。いつもは、そう。7時に目覚ましがなって・・・冷や汗がタラリと流れ、おそるおそるアナログの時計を見た、8時52分。瞬間3つの事が頭に浮かんだ
1 「会社へ出勤しなければならない」
となると、当然。目覚まし時計をセットしていたであろう7時に起きて8時に家を出、そして電車に乗らなければならない。さて今の時間は?おっと、1分進んでしまった様だ。8時53分。会社間に合う?無理
2 「ええい、遅刻して怒られるくらいならいっその事今日くらい有給取って休んじまえ」
となると、当然。会社へ連絡しないといけないわけで。有給というものは、事前に申告さえすれば誰でも取得できるわけだがあの部長がそれを許すだろうか風邪引いてるんで…と、この間似た様な台詞を言ってしまった挙句、薬でもなんでも飲んで出勤してこいバカと怒鳴ったあの部長の顔が浮かぶ。横でニヤケ顔の課長の姿が浮かんだが、すぐにかき消した。
3「もはやあきらめる」
返事が無い、ただのしかばねの様だ
などという事を考えていると、寝室のドアが開いた。「どうしよう、もう行かなきゃ」とりあえず俺は1を選択した。当然と言えば当然だと思う。急いで着替えようとベッドを抜け出す。俺は焦っていたのだが、寝室に入ってきたそいつはゆっくりと微笑んで「どこへ?」と、疑問系で返してきた。会社だよ、会社俺は慌てる、余計に慌てる「なぜ?」なぜって、俺は社会人でだな「今日は、日曜日」
あぁ頼むからマジでそういう事は最初に言ってくれよなぁ、有希。
◇◇◇◇◇◇
ジャムをトーストの上に乗っける。むしゃむしゃと食べ、先程から良い匂いがしていたコーヒーを飲む。そんな朝食、いつもと変わらぬ朝食。違うのは今日は平日と違い、ゆっくりと咀嚼している事くらいか。
「ごめんなさい」起きてから、今までの事をさらりと説明したあと、エプロンを付けた有希がぺこりと頭を下げた。聞けば日曜日くらいはゆっくり寝かせてやろうと目覚ましのスイッチをオフにしていたらしい。そういえば寝る前にそんな事を言っていた様な気がする。いやはや、習慣というのは恐いものである。「いや、忘れてた俺もバカだよな。すまん」2枚目のトーストが焼けた音がして、ジャムのビンを手に取った。俺には読めない文字のラベルが貼られていて、どことなくどこかの国の王宮で使っている様な高級品をイメージさせるイチゴのジャムを有希がトーストに乗っける。俺はコーヒをすすり「美味い」と、呟いた。
そういうと有希は、ジャムは?と聞いてきた「もしかして、ジャムも手作りなのか?」こくりと頷く。
なんでも最近の趣味は以前の読書オンリーというわけではなく読書8割、ハンドメイド2割だそうで実はこのコーヒーカップも有希の手作りだったりする。2枚目のトーストを頂きながら「美味しいぞ」本心からそう思った。
朝食を済ますと、俺は、まぁとにかく着替えることにした。有希は洗濯物を干しに山へ芝刈りに…じゃなかった。川へ洗濯に…のくだりの方が合ってるよな。ベランダで洗濯物を干していた。隣の奥さんと何やら談笑してるみたいだった、近所づきあいも上手にこなしている。俺は、そんな有希の姿に感心しつつ新聞を広げ、活字の海へと身を投げた。見てるのは昨日のプロ野球の結果とかテレビ欄だけじゃないぞ、ちゃんと経済面もみてるし、アダルトなページもしっかりチェック済みだ。ふとSOS団の根城と化した文芸部室で読書に勤しむ高校時代の有希の姿が脳裏に映る。これじゃ高校時代と立場が逆だなと、昔の事を思い出して少しだけ笑った。
有希が俺の顔を覗き込んだ綺麗な目、透き通るような、まるで水晶みたいだと思った。「どうした?」読んでいた新聞をたたむ。何か言いたげだな、と。俺は続けた
くいと、有希の目線がカレンダーへ向く。俺もつられてカレンダーへと目線をやる、どうしたんだ?
「今日は、あなたの誕生日」もう一度カレンダーを見た。
あぁ、と。言われてから思い出した。今日は俺の誕生日だったんだ、と。最近忙しかったからな・・・「いつもお仕事ご苦労様」ぺこりと頭を下げた有希、なんだかこっちまで頭を下げてしまった。
「だから、私をプレゼント」
その日は、人生で一番幸せな誕生日だった。
言い方は悪いが、二人のハンドメイドが誕生したのは、それから10ヵ月後のことになる。
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