朝比奈みくるの生活
最近、朝比奈さんの様子が変だ。部室で、出したお茶を俺達が飲むのをぼぅっと見ていたり、部活が終わった帰り道、ハルヒが買い食いしているのを凝視したりしている。何故だ?
ある日の帰り道、いつも通りの集団下校中に小腹が空いた俺はコンビニで肉まんを買って食べ始めた。すると、やはり朝比奈さんが非常に切迫した表情で俺を、というか肉まんを見つめている。『食います?』思い切って肉まんを半分に割って差し出すと、朝比奈さんは「え、あの…」としばらく戸惑った後、「ありがとうございましゅ…」と蚊の鳴くような声で肉まんを受け取り、しばらく見つめていたと思ったのもつかの間、瞬く間にその半分の肉まんを飲み込んでしまった。
何かあるな、と察した俺はその場では事情を質さず、まあ後で長門経由か何かで聞けばいいか、と考えていた所、思いもよらず朝比奈さんの方から耳打ちされた。「今日、この後、わたしの部屋に来てくだしゃい」
不埒な期待がなかった、といえば嘘になる。これだけの美人に部屋に誘われて、そういう展開を心に思い浮かべてしまうと言うのは、聖人君子でもないごく一般的な高校男子の精神力では、いかんとも抑えがたい生理現象だ。
ともかく、その後ハルヒたちと別れた後、携帯で連絡を取って朝比奈さんと待ち合わせ、朝比奈さん宅に向かう事となった。どうにも気持ちを落ち着けられないまま朝比奈さんの後を歩く俺と対照的に、朝比奈さん本人は顔をうつむけたまま沈黙を貫きつづけていた。
「ここでしゅ。」と、言われた先に視線を移して、目を疑った。なんと言うか、住宅街など歩いていると時々目にする、「本当にここ人住んでんのかよ」とでも言いたくなる程に古びた木造アパートがそこにたたずんでいた。
「楽にしてくだしゃい。」アパートの部屋の中はそれでもこまめに掃除などしているようで、よく整頓され清潔感のある小ぎれいな部屋だった。畳は擦り切れていたが。「どうじょ。」飾り気のないマグカップで出されたお茶を飲みつつ、部屋を観察する。古びた1ドアの冷蔵庫、安っぽいレンジ、4畳半一間の部屋には1畳ほどの板の間のキッチンと言うか炊事場がついており、そのわきにトイレらしき部屋がある。風呂は無いようだが、どうしているのだろう。部屋の中には押し入れ(布団派か…)質素なタンス、ステンレス製のハンガー掛けがあり、朝比奈さんの私服がビニールがかぶせられて大切そうにかけられている。そして俺達が座っている部屋の中心には、手触りがゴワゴワする化繊のカーペットの上にちゃぶ台、というか布団のかかっていない安っぽいコタツテーブルがあり、現在そこで朝比奈さんと差し向かいで向き合っている状況だ。
「肉まん、どうもありがとうごじゃいました」『あ、いえ、それで、今日は…?』「聞いていただきたい事が、ありましゅ…」
上目づかいで告げる彼女の姿に、飛躍する俺の妄想。馳せる俺の気持ちを差し置き、話はあらぬ方向へと展開していった
「あの、このまえ、見つかったじゃないでしゅか。毒が…」『ハァ?』「あの、餃子から… あれから私、お米以外のものをあまり口にしてなくて…」『ハァ』「冷食が、私の食生活の生命線だったので…」『…』
その後の話を要約すると、こうである。未来の時間管理局から派遣されてきている朝比奈さんは、管理局から現金による支給を受けて生活している。しかし、未来の社会と言うのは今の俺達の創造からかけ離れて腐敗した社会であり、末端工作員の朝比奈さんにわたる支給は経由される担当者によるピンハネが繰り返され、朝比奈さんの手には最低限の生活ギリギリの額しか残らない。(ついでに言えば、時間管理局の目的と言うのも、正しい時間の流れを守るためと言うよりかは過去の時代の世界に干渉する事によって行き詰まってしまった社会の延命を図る為と言うのがメインらしい。)しかし何のコネも力もない朝比奈さんにとってはそんなポストでも死守したい稼ぎ口であって、極北の生活を続けながらも今までなんとかやりくりしてきたのだが、先日の冷食騒動を受けて、朝比奈さんの食生活は大打撃を受けてしまった。
「おまけに未来-現在の為替レートがまた大きく変わって、今は未曾有の現代高でしゅ。実質のお給料は6割ぐらいになっちゃいましゅた。」『…』「こんなボロアパートでも家賃は一丁前に取るし、今では一番安いお米の白粥かカスカスの食パン、特売のシリアルを牛乳抜きで食べる事ぐらいしかできましぇん。」『…』「いままでは余ったお金を茶葉に換えて、未来に密輸して稼いでましゅたがこれからはそれもできるかどうか…このままだと弟や妹を公立学校に行かせなくてはいけなくなりましゅ…」「体を壊しでもしたら、即おはらい箱でしゅ。鶴屋さんは何となく察してくれて、週に2回ぐらいはお家に呼んでくれて、晩御飯を食べさせてくれてお風呂にもいれてくれましゅ。でもあんまりお世話になってしまうと、いつか深い事情を聞かれてしまうんじゃないかと心配でしゅ」『…』「他の人は頼れましぇん。古泉君なんかはどんな見返りを求めてくる代わりましぇんし…彼は組織の中で手柄を立ててやろうと躍起になってるんでしゅ。長門しゃんは私が困ってるのを知ってて愉しんでいる節がありましゅ。頼んでみても、何のかのといって断って、悔しがる私を見て悦ぶに決まってましゅ」「だからキョン君」「お金、貸してもらえましぇんか…」
俺は無言でアパートを出、最寄のコンビニに行って口座にあるだけの金を下ろして朝比奈さんに渡した。朝比奈さんは「ありがとうごじゃいましゅ」「必ず必ずお返ししましゅ」と繰り返しながらバッタのように頭を下げるばかりだった。
日も落ちた帰り路、まだ冷たい風に吹かれながら俺は世間の世知辛さを思った。将来は堅い職に就こう。堅い職について、世間の寒風に吹かれる事はないように生きてゆくんだ、と誓った。
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