機関の動乱 その1
灰色。 どこまでも灰色が続く。 大きなビル、普段は子供がにぎわう校庭、渋滞が常態化した高速道路。それら全てに人は一人としておらず、ただきれいに塗られた灰色のペンキだけが、その無人地帯を埋めている。いや、灰色が人を塗りつぶしてしまったと言うべきだろうか。 しかし、そんな一色無人の世界だが誰もいないわけではなかった。 逆にその目映い存在は100万の人間よりも大きな存在感と威圧感を周辺地帯に蔓延させ、この何もない閉鎖空間にある種の強大な活力を生み出していた。 輝きを放つその躰、超高層ビルに匹敵する巨大な人型の物体。外見を計算し推測したならば、自立すらできない形状のそれがひとたび腕を振るえば、常識を逸脱した破壊力を生み出す。たった腕の一振りでビルを刀で切り落とすように叩き切り、踏み出す一歩は強烈な振動を周辺にまき散らして脆い建物はそれに耐えきれずばらばらと崩れていく。 その存在は人間がおびえ恐怖し泣き出すには十分すぎるものだった。 いわゆる神人と呼ばれるものである。 たった一人の少女の精神が荒れるとそれが出現しこの誰もいない地で破壊の限りを尽くす。 この光景を初めて見る人はこう思うかもしれない。街一つを破壊できるほどの怒りを持つ少女なんて明らかに異常だ。どこか精神に傷を負っているに違いない。 だが、彼――古泉一樹はそうは思わなかった。怒りは誰でも持つものだ。たまにはものに当たったり、それこそ精神的な問題を抱える人間であれば、全くの無関係な人間に危害を加えるかもしれない。 ただし、それと閉鎖空間という特殊性、そして、神と称される能力を持った少女という得意な条件がそろった場合、この暴虐行為は決して精神的な問題を抱えているからとは言い切れない。人が持つ感情とは本来とても大きなものだ。喜怒哀楽に加えて想像、好奇、創作……これらをエネルギーに例えればどれだけ膨大なものになるのか。その一部である怒の感情だけでも計測不能だろう。だが、逆に人はそれを理性によってブレーキをかけられる。故に怒の感情は縮小され最小限な行動・感情に押さえ込まれる。 だがもしも。 ある日、いらいらしている日にどんなことをしても誰にも文句を言われない、迷惑をかけない場を与えられればその人はどうするだろうか。もちろん、人によっては怒りの感情表すこと自体に嫌悪を示すかもしれないが、大半の人はこうするだろう。 遠慮なく怒りをぶちまける。 彼女もその大多数の一人にすぎないのだ。知らぬ間に無差別に暴れる場を与えられ、さらに巨大な破壊力まで手に入れていたのだから。 しかし、そんな彼女もひょっとしたら怒りをただまき散らす行為に嫌悪感を抱いているのかもしれない。だからこそ、その超能力者という存在を生み出し怒りの暴走に歯止めをかけている。 つまり超能力者――古泉一樹は彼女の理性そのものなのだ。最初こそ、無理矢理与えられた力と役割に恐れ戦いたが、今ではそれを受け入れむしろ誇りに思っている。閉鎖空間と神人から世界を守るという優越感に似た感情とともに、たった一人の幼い少女を守っているのだから。 神人との戦闘が始まって数十分たった辺りだろうか。古泉含め、十数人の超能力者によって神人は崩壊に追い込まれ切り刻まれた状態でその骸が灰色の地面に散らばっていく。 古泉は赤い球体に身を包み、その神人の亡骸の上空を飛んでいた。辺りには同じように仲間たちがその光景を眺めていた。 たまに思うときがある。彼らは自らの力についてどう思っているのだろうか。あの全てを粉砕してしまえる神人を倒せてしまうだけの力。無理矢理押しつけられた荷物か、それとも誇りある栄誉か。 彼らとは交流もあったが、そう言った話は幾度となく交わしたが本音までは見通すことなどできるはずない。 一方でこの超能力を持ったところで何の役にも立たない――閉鎖空間では発揮できない力では自分の利己心のために使うことなどできないため、彼らが例え何を思ってもどうすることもできないことを理解していた。 涼宮ハルヒという少女のために力を使う。自分たちにはそれしかできない。それでよかった。 だが、周りはその状態を維持させてはくれなかった。 ~~~~~~~ 「眠そうだな」「……そう見えますか?」 翌日の放課後、いつものようにSOS団の根城となっていた文芸部室で古泉は眠たい目をこすりつつキョンとオセロに興じていた。 古泉は団長席で朝比奈みくると談笑する涼宮ハルヒの注意がこちらに向いていないことを確認すると、「ええ、その通りです。実は昨日久しぶりに閉鎖空間が出ましてね。それも朝の4時に。昔は日常茶飯事だったので慣れっこのつもりでしたが、ひさびさだったために少々堪えましたね。おかげで今日の授業はまるで頭に入っていませんよ。帰宅次第、今日は早いうちに睡眠を取るつもりです。場合によっては今夜も出番があるかもしれませんので」「……例の空間か」 キョンは一度ハルヒをチラ見してから、「だがハルヒの機嫌が悪いようには見えないぞ。どっからどうみてもいつも通りだが。別に昨日何かあったわけでもないし」「あなたの鈍さも相当なものですね。男にはわからない理由だと言えばわかりますか?」 古泉はキョンの得意の台詞をかすめ取ったように、やれやれと肩をすくめた。 しばらくキョンは彼の言葉に頭を傾けていたが、やがてはっと気がついて、「ああ、そういう日ってことか」「そういうことです。あまり追求するのは下品ですからこの話はここで打ち止めにしたいですね」 古泉の言葉に、キョンは同意だと頷く。 続けて、「そんなわけで今日も同じ事が起きるかもしれないって訳か」「その通りです。もっとも以前にも同じようなタイミングで発生したりしなかったりとまちまちなので、僕としましてはただ閉鎖空間が発生しないことをただ祈るばかりですよ」 古泉はいつもの笑みを崩さないようにあくびを口の中で噛み殺した。 程なくして、団活も終了の時刻となり各々帰宅の途につき始める。 涼宮ハルヒが用事があるからといって一人でそそくさと帰って行ってから数分後、静かになった文芸部室に携帯電話の着信音が鳴り響いた。古泉のものだ。 彼はすぐにそれを取り出し、「……どうも古泉です。ええ――わかりました。では所定の場所で」 そう短い話を終わらせると、キョンの方に苦笑を含んだ笑みを浮かべ、「まさに噂をすれば影、と言ったところでしょうか」「閉鎖空間か?」 キョンの問いかけに、古泉は頷き、「そうです。場所はここから南――海に出た場所にあるA島付近です。すぐに迎えの車がきますので、現場に急行してきます。残念ながら睡眠はしばらくお預けになりそうです」 そう言って肩をすくめた。 二人が言葉を交わしている間に、長門有希と朝比奈みくる――珍しく制服で団活を過ごしたため、今日は着替え居残りはなしだ――は文芸部室から出て行ってしまった。みくるは一礼してから、長門は完全に無表情を貫いている。二人とも話は聞こえているのだろうが、興味はないらしい。 ふと、彼は思いついたように少し目を細めて、「そうだ、どうです? 久しぶりに閉鎖空間ツアーというのは。あなた一人のご招待なら何の問題もありませんので」「いいや、やめておく。想定外の事態に巻き込まれるのはごめんだし、触らぬ神に祟りなしという言葉が俺の頭の中で絶賛展開中だからな」 キョンの拒絶に、古泉はただ笑みを浮かべるだけだった。 ~~~~~~~ 数時間前、この国の第二の都市のとある大型ホールにて。「……上記の映像のグラフをご覧ください。まずは赤いラインについてですが、これはここ4年間における閉鎖空間および神人の発生回数を一週間単位での頻度を示したグラフです。ご覧のように4年前の最初の発生時から1年前までは上下はあるものの高い水準が維持されているのがわかります」 薄暗い会議室。いや、会議室と言うには広大すぎる場所だと森園生は感じていた。機関の有する施設でもっとも多くの人間が収容され、その活動内容を説明・討議する場所。現在100人以上がいるその場所で彼女は涼宮ハルヒの活動状況説明を行っている。初めてこの場に立ったときには、機関最高幹部を含め政界・経済界のトップが出そろう状況にかなりの緊張を強いられたものだが、三度目となると慣れのためか多少余裕を持って話を進められるようになっていた。ただその余裕は決して単なる場数を踏んだだけではない。「しかし、ここ一年間では急激にその回数は減ってゆき、現在に至っては全く発生しない空白期も存在しています。昨日深夜に発生した閉鎖空間も三週間ぶりのものでした」 閉鎖空間の発生激減。これが彼女に精神的余裕を与えていた。以前では、乱発している状況下に、手厳しい嫌みな上司たちは無策であるなど非難と罵声を浴びせてきたが、閉鎖空間の発生が減ったためにそれもなくなっていた。おかげでいちいち疲れる反論をせずに済んでいる。 ただ、閉鎖空間激減は別の意味で森園生の現場に悪影響を発生させようともしていた。彼女は今それを回避するためにこの壇上に立って説明を行っている。「青いラインに注目してください。こちらは監視班による涼宮ハルヒの精神状況を示したものです。高い位置であればそれが高揚、怒りなどの状態を示しています。これについては以前も申し上げたとおり、明確に閉鎖空間発生との連動が見て取れ、一年前からの精神状態安定に伴って発生頻度も落ちています。この二つの相関性についてはもはや否定できる要素は存在しないと考えられます。しかし、閉鎖空間に伴って別の問題が発生しています」 彼女は映し出されたグラフにもう一本の緑のラインを追加した。それはまるで波打つように、4年前は高く閉鎖空間発生が頻発しているときは低下し、ここ最近の発生激減に伴ってわずかながら上昇していた。「このラインは機関に所属している超能力者が神人の排除にかかった時間の平均値を示しています。もちろん発生パターンや規模はその時に応じてまちまちのため判断は難しいところですが、平均値に表すと閉鎖空間発生ピーク時にはその時間は低減の一途でしたが、発生の減少とともに排除の時間が上昇に転じています。これは神人との交戦機会が減ったために、超能力者たちの練度が落ちていると判断できます」 さらに今度はオレンジのラインをグラフに追加する。「もう一つ、神人の活動についての別の視点です。これは一度の神人の破壊活動の規模を表したものです。発生回数は減ったものの一方で神人の力については全く低下していません。その脅威についてはこの四年間変わっていません」 最近機関内部では、閉鎖空間の発生低下により森園生の所属する即応監視部――主に涼宮ハルヒに関する対処、つまり普段の護衛、監視、閉鎖空間の排除を行う部署――の予算・規模の縮小が議題として上げられていた。涼宮ハルヒの安定によりその活動も縮小してもかまわないのではないかというのがその根拠に当たる。だが、彼女はそうは考えていない。「以上を踏まえて考えますと、即応監視部の縮小は問題があると言わざるを得ません。どのような理由により涼宮ハルヒの精神状況が大きく転じるのか全くの不明であり、また継続している閉鎖空間の規模自体も現在と同レベルで対処を行わなければ、それに重大な支障を来す恐れがあります。逆に超能力者たちの練度低下に対する何らかの方策を考慮すべき状況でもあります」 ここで彼女の説明は終了した。一礼すると脇に下がって自分の席に戻った。隣では同じ部署所属の新川が座っている。「お疲れ様ですな。これをどうぞ」「ありがとう」 彼から手渡されたミネラルウォーターのペットボトルを受け取った森園生は、その封を取り払い乾ききっていた喉を潤し始めた。ちらりと壇上を見ると、すでに次の論者が上って説明を始める準備をしていた。続いて流れたアナウンスによるとTFEI端末の活動状況と接触回数についてのことらしい。 彼女は喉に日常レベルの潤いを取り戻すと、ペットボトルに封を一度かけ、「さっきのわたしの話はどうだった?」「簡潔でわかりやすいものでした。眠っていなければ、十分に理解できるものだったでしょうな」「そうじゃなくて、あれで上層部の考えが変わるかどうか、あなたの判断を聞きたいのよ」 森園生の問いかけに、新川はあごに手を当ててしばし考えると、「どうでしょうな。現場であの破壊力を眼前でとらえていれば話は別でしょうが、上層部はそういった最前線とはかけ離れた天の上にいます。さらに彼らの悩みの種と予算のやりくりは我々のためだけには向けられていないでしょう。発生の激減という言葉のみ捉えられれば、縮小を覆すのは難しい話かと」「……一度、うちの部で閉鎖空間ツアーでも催すべきかもしれないわね。もちろん上層部の人間のみで、さらに内部での接待付きでね」 森園生はそう皮肉混じりの笑みを浮かべると、次の議題について耳を傾け始めた。 日が傾いたころ、会議が終了した。森園生は凝った肩をさすりながら、会議場の廊下を新川とともに歩いている。「やっと終わったわ。いい加減、この役割を誰かに交代して欲しいものだけど」「そうは言っても、これは現場の立場がもっとも高いあなたの仕事です」「わかっているわよ。言ってみただけ」 そう言葉を交わすと、彼女は駐車場に向かう。 ここで新川が立ち止まり、「わたしは別件の用事があります故、ここで失礼させてもらいます。そんなに時間はかかりませんので明朝にはそちらに戻れるかと」「……わかったわ。あなたも大変ね」「これも仕事ですから」 森園生は新川と別れると駐車場に入り、自動車に乗って自分の職場へと向かった。 ~~~~~~~ 森園生が自分の職場近くまで戻ったとき、すでに日は完全に落ち、地平線沿いにオレンジ色の夕焼けのラインを残すだけになっていた。彼女はカーウィンドウをあけて、心地よい風に当たりながら国道を自動車で走っている。海沿いのため、潮の香りが瞬く間に車内に広がっていった。見れば、海上に無数の飛行機のライトが旋回しているのが目に入った。近くには埋め立て地を基本に作られたこの辺りでは最大の空港がある。恐らく発着待ちの状態だろう。しかし、ふと気がついたのはその数がいつもより多いことだ。ここからなら次々と降りていく飛行機の姿も目撃できるが一機も降りていく気配がない。何かあったのだろうかと彼女の頭に違和感がよぎる。 と、ここで彼女の携帯電話が鳴った。それが通常の連絡ではなく緊急時を知らせるピピピピと言う機械的な着信音だったため彼女はすぐに何か問題が発生したと理解し自動車を県道脇に止めると、それを取った。 電話してきたのは同僚の一人である多丸圭一だった。『そっちの仕事はもういいのかい?』「ええ、予定よりも遅れたけど。それより何かあった?」『また閉鎖空間だ。今から3分前に発生が確認されたよ。すぐに超能力者たちが出動して現場に向かっている』「場所は?」『K空港近辺だ』 多丸圭一の言葉に、彼女は眉をひそめた。いつもより多い上空待機の飛行機、着陸しない状態が続いていること。何か関連があるのだろうか? 通常閉鎖空間は通常の場所には影響を与えない。故にその発生地点に対して退避勧告などを実施する必要はない。ならばどうして着陸を規制している? 森園生はすぐさまそのことを多丸圭一に伝える。しかし、彼はしばし沈黙した後、『……いや、特に何もこちらからは指示を出していないな。情報も回ってきていないよ。確認してみる』「お願い」 そう言って通話を終了する。彼女は自動車を降りて外に出て空港の方向をじっと眺めた。じわりと水平線の赤いラインが縮んでいき、飛行機のライトに星々の明かりが混じり始めた。 海風が全身をなでる中、彼女は何か妙な予感を感じていた。言葉にはできないが、長年の勘という奴だろうか、不思議な感覚が頭の片隅にこびりつき離れようとしない。 神人対処に関しては、彼女は楽観視こそしないが、超能力者たちに一定の信頼感を持っていた。最近発生回数が減って技術不足が出ているのは確かだが、それでも失敗するようなことはないだろう。逆に涼宮ハルヒ自身が神人を止めるために生み出した彼らである以上、失敗自体がありえないと言える。 だったらこの不安に似た感情は何なのだろうか。 それから五分後。再度携帯電話が鳴り響く。相手は同じ多丸圭一。『確認が取れた。どうやら非公式ながらテロ警戒警報が出たらしい。ここだけではなく全国の空港で着陸を止めて空港内の確認作業を行っているようだ。いたずら電話のレベルではなく、米国防省からの直接情報で、政府や防衛省では慌てふためいて対処中のようだ』「……偶然ってこと?」『たぶんな。今のところ閉鎖空間発生との関連についてはないと言えるよ』「わかったわ。そっちの閉鎖空間の対処はいつも通りに。いろいろありがとう」 そう言って彼女は電話を切った。どうやら思い過ごしだったらしいと彼女は自動車に乗り込もうとして―― 彼女の耳に轟音がとどろく。同時に海風とは異なる強い衝撃が彼女の身体を揺さぶった。 はっとして彼女は空港の方に再び目をやると、そこではこの離れた位置からでもはっきりと視認できるほど大きな煙が上がっている。「これは……」 思わず彼女は思っていることを言葉にしてしまった。そして、しばらく呆然とそれが天に昇っていくのを見つめていたがすぐに我を取り戻し、多丸圭一に三度連絡を取り始めた。 ~~~~~~~ 『今日午後6時15分頃、関西K空港滑走路で大規模な爆発が発生しました』『当時空港ではテロ予告の情報があり航空機の発着を見合わせていたため、爆発に巻き込まれませんでした』『衝撃で空港施設の窓ガラスなどが割れ、飛散った破片でけがをした人が乗客・空港職員を含めて多数出ましたが、現在のところ死者は出ていない模様です』『警察ではテロか、それとも別の要因によるものなのか調査中であると繰り返しています』『防衛省内部では爆発した場所には、その原因となるものは存在しないためテロであるという見方が強まっています』『テロにしては妙に思えます。人的被害をねらうのなら飛行機の発着時を狙うか、あるいは空港施設で爆発させるはず』『第二第三の同様の事件が起こる可能性は否定できず、日本政府は警戒度を最高レベルに上げて、空港だけではなく、各都市の主要駅や施設に対して調査を行うように指示を出しました』『午後8時をまわってもなお警察では原因特定がなされていません』『ここで当時爆発の瞬間の滑走路を映した映像が公開されました。ご覧ください』『この映像からでは爆発物によるものには見えませんね。火炎や爆発時に伴う閃光も確認できません』『当時空港ロビーにいた人が偶然捉えた爆発の瞬間の映像です。公開されている映像とは別の角度ですが、こちらも爆発地点に不審物などは見あたりません』『ちょっと待ってください。爆発したときに何か写っていませんか? ……そう、そこ! 舞い上がった滑走路の破片に紛れて青白い光が』『妙な光ですね。通常爆発物を使用してこのような光は発生しません。それに――』『爆発発生時に、周辺の住民から何かが落下してくるのを目撃したという証言が多数寄せられています。この情報に対して政府の対策本部は証言は承知しているが、未確認情報のためコメントできないとしています』『専門家の中では隕石の落下を示唆する人もおり、情報はさらに錯綜しています』『午後8時30分を以て警察は爆発の起こったK空港以外の安全を確認し、テロの脅威はなくなったとし、発着の許可を出しました。一方で警戒レベルは引き下げず、高度な監視体制を維持するとしています』『新しい映像です。これは近くを走行していた自動車の中から携帯電話によって撮影されたものです。爆発から10分後ぐらいですが、空港周辺に赤い光球が飛翔しています。事件と関係があるかは不明ですが、警察もすでにこの映像を入手し解析しているとのことです』 キョンはすぐ近くで起こった空港爆発事件のニュースを家族で見ていた。妹は興味と恐怖半分で見ていた感じだったが彼はテレビの中で報道されていた映像の一部に強烈な危機感を憶えていた。爆発の瞬間に一瞬映し出された青白い光。飛び去っていく赤い光球。それに彼は見覚えがあったのだ。 すぐさま自室に戻ると携帯電話をとった。もちろん、相手は古泉だ。 何度かコールをしてみるが、電源が切られているのかそれともまだ閉鎖空間にいるのか、いつまで経っても通じなかった。 あの青白い光。そして、赤い光球。 キョンが知っている神人とそれと戦う超能力者と全く同じだった。 ~~~~~~~ 空港爆発事件の翌日朝。機関の一員である多丸裕はある人間との接触を図っていた。 待ち合わせ場所はN駅から歩いて30秒のビルの裏手。朝の通勤時間前のため不気味な静けさに包まれている。 時計をたびたび確認していると、彼の前に一人の男が現れた。陽気な季節に似つかわしくないコートに、深い帽子、そしてサングラスにマスクと姿を隠すつもりがかえって注目を浴びそうな格好に多丸裕は思わず苦笑してしまいそうになる。 その男は無言のまますっと一つの封筒を取り出してきた。多丸裕はその手がかすかに震えていること、そして、態度が恐怖感で満たされていることをすぐに悟った。どうやらこういうことは初めてらしい。 あまり煽るのは得策ではないと判断し、淡々と話を進めることにする。 多丸裕は札束の入った封筒を相手の封筒と交換し、中身を確認する。そこには一つのminiSDカードが入っていた。「約束通りコピーないよな?」「ああ」 男はそうとだけ答えると、そそくさと立ち去っていった。多丸裕はもらった封筒を折りたたみポケットにしまうと、「全く……こういう雑用はあまり好きじゃないんだよな。これで最後ならいいんだけど」 彼の受け取ったもの――それにはあの空港爆発事件の未公開映像の撮影データが入っていた。すでに機関ではあれが神人によるものであることを把握して、世間に情報が出回る前にできるだけつぶしてまわっていたのだ。 ~~~~~~~ 翌日、キョンは学校に向かいすぐに9組へと向かった。昨夜結局連絡の取れなかった古泉に真相を問いただすためだ。しかし、教室をのぞいてみてもその姿はなかった。 手短にいた生徒に声をかけて古泉について聞いてみると、どうやら今日は休みを取るという連絡が入っているらしい。彼はややいらだちながら、恐らく古泉――機関にも状況がわかっていないのかもしれないと推論を立てた。 だが、異常事態はそれだけにとどまっていなかった。 彼が教室に戻り自席に着いたときだ。すぐさま背後にいたハルヒが彼の首根っこをつかまえて来て、「ねえ、あんた有希についてなんか聞いていない? 話があったから6組に行ってみたんだけど休みみたいなのよ。まあ風邪を引くことぐらいあるかもしれないけどさ、有希って身体弱そうじゃない? 何かまずいことになったりしていないか心配で……昨日の事件のこともあるし。時間的に巻き込まれたって言うことはないだろうけど家族とか知り合いがあの場にいてとかだったりしたら嫌じゃない」 そう珍しく不安げな表情を浮かべた。キョンは初耳の情報に目を見開く。古泉に続いて長門がいない。彼の直感は警報を鳴らし始めた。何かが起きている。『起きた』のか『起ころうとしているのか』まではわからないが。「後でわかるだろうから言っておくが、今日は古泉も休みだそうだ。昨日の事件でショックを受けるような柄じゃないだろうが、何か身の回りに影響が出たのかもしれないな」「古泉くんも? そんな……どうしよう……」 ますます不安げになるハルヒ。 キョンはそんな彼女の肩をたたき、「まあ心配する気持ちはわかるが、どうしようもないだろ? 古泉は要領がいいから自力で何とかするさ。長門の方は心配なら帰りに自宅に行ってみればいい」「……そうね。古泉くんはあんたと違ってきっちりできるから。でも、有希は一人暮らしだから心配だわ。決めた。今日帰りに有希の家に行ってみる。あんたもついてきなさい」「わかったよ」 ~~~~~~~ 「ではミーティングを始めます」 空港爆発事件からちょうど丸一日。機関の涼宮ハルヒの対策チームは彼女の住む場所からほど近い町の事務所で会議を行っていた。 以前の大ホールの会議場とは違い狭い事務室に、リーダの森園生を始め、新川、多丸圭一・多丸裕、他の職員に加えて最も重要である超能力者全員がそろっていた。その中には当然古泉一樹の姿もある。 森園生は話を始める。「まず第一に今回の空港爆発事件と閉鎖空間における神人掃討との関連性をまとめます」 彼女の視線の先に、超能力者のリーダクラスの人間が向けられた。彼はすぐに立ち上がり、「昨日17時30分に閉鎖空間の発生を確認しました。その後、18時05分に全超能力者が閉鎖空間に進入。18時23分に神人を確認後、交戦に入っています。そして、18時30分――つまり空港爆発事件と同時刻に神人が崩壊。その際に神人の身体が地上に落下し、滑走路に大きな損害が出ています」「つまり閉鎖空間の中で起こっていたことが現実にも起こってしまった。そう言うことになるわね」 森園生の言葉に、古泉が付け加えるように、「その時刻以前にも神人は破壊活動を続けています。実際に閉鎖空間内では空港は管制塔や施設を含めてほとんど破壊されていました。にもかかわらず、現実と一致したのは滑走路崩壊時点だけです。さらに、報告した通り僕たち超能力者は知らぬ間に閉鎖空間から抜け出し、通常世界に戻っていました。あのときは慌てましたね。僕たちの超能力が周辺の人たちにさらされてしまったんですから。映像も残ってしまい、これ以上ない失敗とも言えます」「ここまでは報告書通りってことね……つまり結論を言えば、事件の原因は神人によるものであり、理由は不明だが、18時30分前後に突然閉鎖空間と通常世界の境がなくなった。そのため、通常世界になったところに神人が落下して空港に損害を与えてしまった。考えられる原因は?」 その森園生の問いに、多丸圭一が腕を組み、「わからんなぁ。戦闘記録を確認しても手順は通常の神人掃討と何ら変わらず、状況も何か異変が起きていたことも確認できない。監視班からも当時刻に涼宮ハルヒに異常な症状は確認できず正直お手上げの状況だよ」 そう言って本当に手を挙げて降参のポーズをとる。続いて多丸裕の方に森園生は視線を向け、「マスコミ対策の方はどう?」「仲間内で手分けして片っ端からやばい情報は押さえたよ。さすがに全部の回収は無理だろうけど、ある程度の情報の流出は防げるはずさ。とは言っても、マスコミもこういう事件の場合必死だからね。こっちが動く前に向こうに押さえられた映像はもうどうしようもない。テレビでもかなり流れてしまったから」 ふと、ここで新川の携帯を片手に失礼と言って会議室の外に出て行った。 森園生は彼にかまわず話を続ける。「それ以降神人の発生は確認できていない。それだけが救いか。この情勢下で再び閉鎖空間が発生すれば何が起きるかわからないから。他に何かわかっていることはある? 些細なことでもいいから」「……実は先ほど超能力者一同で立ち会った結果判明しまして。ある程度予測していましたが」 そう言うと古泉はすっと右手を挙げた。すると、その手のひらの上に瞬く間に赤い紅玉が作り出される。 これには普段冷静な森園生も心臓の鼓動が早まった。すぐに周りを見渡し、「他の超能力者もできる?」 その問いかけに超能力者一同が頷いた。彼女は愕然とする。事態が単なる一時的な神人の通常世界への介入ならば、懸案事項として処理されて継続調査だけで済むかもしれなかった。だが、あの18時30分以降も未だに異常事態――超能力者の能力無制限解放という事態が継続している。あの事件に区切りをつけるどころか、これから起きる予測不可能な事態の発端に過ぎない可能性も出てきたのだ。 ここで古泉が口を開き、「僕の推測に過ぎませんがいいでしょうか?」「言ってみて」 森園生の了承をとったことを確認すると、古泉はいったん咳払いをしてから、「つまりですね、今回の一件は神人が閉鎖空間から飛び出したのではなく、逆に全世界が閉鎖空間に飲み込まれてしまったと考えられないでしょうか? 僕たち超能力者はそれを持たないものを閉鎖空間に招き入れることができます。万一、それと同様――なおかつきわめて広範囲に行える人物が存在していた場合、世界全てを閉鎖空間に放り込むことも理論的には可能なはずです」「単に涼宮ハルヒがそう望んだとは考えられないのかい?」 多丸裕の指摘に、古泉は首を振って、「涼宮さんに何か特殊な事情が発生していればその可能性は否定できませんが、今回そう言った兆候はなかったと圭一さんも言っています。それに彼女が閉鎖空間をわざわざ作っているのは被害が現実に及ばないためです。今回の事態は明らかに彼女の思考から外れています」「その通りだな。彼女がやったのなら簡単な話だが、そう言うわけにはいかなそうだ」 森園生は少し視線を下げて、「でも誰が? 機関に所属していない超能力者がいることは現時点でも否定はできないけれど、これだけのことをやってのけられるとは到底考えづらいし、目的もさっぱりわからない。他にはTFEI端末ならばそれも可能でしょうけれどやはり理由はわからないわね」「あくまでも推測の話です。確証はありません。これから調査していくしかないかと思います」「…………」 森園生は頭を抱えた。事態は継続、原因不明。こんなことは初めてだ。しかも、事が空港爆発なんていう大事件と結びついているため早期解決を上層部から求められるだろうし、また現場としても不安定要素を長期間残しておく訳には行かない。 ふと、森園生は気がつき、「この件――能力の無制限開放状態について誰か別の機関の人間に話した者はいる?」 その問いかけに、数人の超能力者が手を挙げた。どうやら機関全体の情報を取り仕切る部署が動いているらしく、事件後の飛翔物が超能力者であり、さらにその状態が維持されているのではないかとすでに睨んでいたらしい。そうなれば、この状況を前提に上層部は動いてくるだろう。向こうはどうする―― すぐに彼女は思考がはじけるように気がついた。そして、厳しい表情へと変化していく。次に彼らがとってくる行動は……「失礼しました」 このタイミングで会議室に入ってきたのは、電話から戻った新川だった。 と、彼は自分の席に戻らず、すぐに森園生の耳元に顔を寄せてあることを言ってきた。 それは予想していたが、明らかに嫌悪すべき事態になることだった。 ~~~~~~~ 「全員いるかね?」 数十分後、あからさまに尊大な態度で、一人の背広姿の男が会議室に入ってきた。全員立ち上がった姿勢でその男を向かい入れる。 森園生はすぐさま責任者が座る席をあけると、どうぞとその男をそこへ誘導した。 その男はまるでずっと前から自分の席であったかのように、そこに座る。森園生は隣の席に着いた。彼は上層部から派遣されてきた人間だった。現場を知らず、いわゆる上の方でずっと過ごしてきたエリートの種別の入る。そんな人間が突然やってきて最高責任者に居座ったのだ。これには森園生も不愉快にならないわけがない。 さらに言えば、上層部にパイプを持っている彼女は彼のことを知っていて、かなり嫌いなタイプだった。権力に執着心を強く持ち、機関では強硬派に分類される。主流派とは明らかに考え方が異なるため、この新最高責任者は今までとは違い、涼宮ハルヒに対してもかなり強硬な姿勢をとろうとするに違いない。この状況下にやっかいごとがもう一つ増えてしまい、彼女の頭痛が拡大していく。「さて、会議を続けてくれたまえ。すでに大体の事情は察知しているから、続きからでかまわんよ」「わかりました」 森園生は再び中断していた会議を続けようとする。が、ここで古泉がすっと手を挙げて、新最高責任者に向き、「その前に一つお伺いしたいことがあるんですが」「何だね?」「この非常時に突然責任者が交代されると、僕たち現場の人間としてはいささか混乱が生じるんですが」「古泉!」 森園生が古泉を一喝して口を止めさせようとするが、最高責任者はかまわんよと手を振って、「そうだな。最初にその辺りをはっきりさせておこうか」「感謝します」 最高責任者は一つごほんとわざとらしく咳払いすると、「ここにいる全員が知っているように、現在は機関も最高警戒レベルに設置されている状況だ。当然、原因は空港爆発事件――つまり神人による現実世界への干渉だ。この件については、すでに政府や防衛省も把握していてかなりの危機感を抱いている。君たちは今までずっと水面下で閉鎖空間という限られた場所で仕事をしていればよかったんだが、これからはそうはいかなくなる。ずっと政治に近くなる上、政府との連携も必要不可欠だ。機関だけで独断で動くというのも難しくなるだろう。つまりは君たちには荷が重くなるわけだ。そんなわけでわたしがここに派遣されてきた。現場一筋で各関係機関との連携のやり方に慣れているわたしの方がうまく事が進められるというわけだ。すでに舞台は政治に移っているんだよ」 あからさまに見下した物言いに、古泉はいつもの笑みに不快さを上乗せしていた。 一方の森園生も唾棄したい気分になっている。この男が派遣されてきた理由は大体想像がつく。この状況下でこんな大役をこなしたいと思う人間は少ない。そこに目をつけた強硬派が涼宮ハルヒに最も近い自分たちを乗っ取ろうとしているのだ。事態は複雑にして危機的だというのに、上層部は権力争いの舞台にしている。これで不愉快になるなというのも無理な話である ただ――腹立たしいことにこの最高責任者の言っていることも事実なのだ。森園生たち一同、今まで狭い世界だけで戦ってきた。これからは一つの行動にも慎重にならざるを得ない。自分たちには確かに荷が重い話だ。「古泉だけじゃなくて、みんな言いたいことはあるでしょうけど、事態が事態なの。受け入れて、どうするのか考えていきましょう」「……わかりました」 答えたのは古泉だけだった。 ~~~~~~~ 機関のミーティングが行われている最中、キョンとハルヒは姿を見せない長門のマンションへと足を運んでいた。SOS団で二人以外で唯一来ていたみくるは、どうしても外せない用事があるといってこの場にはいない。「全く……電話に全く出ないなんて有希ったらどうしちゃったのよ……」 早くその無事の姿を確認したいらしく、マンションへ歩く足取りもゆっくり感じられ、いらだちを募らせる。 一方、キョンはハルヒ以上の焦燥感を感じていた。あの長門が音信不通の状態? 涼宮ハルヒの観測を任務としている彼女がそんな職場放棄を行うわけがないと彼は確信していたし、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースが風邪なんてひくわけもなく、またその他の一般的なトラブル――例えば交通事故などに巻き込まれることはあり得ない。だったら今彼女の身に起きていることは、かなり重大な事態が発生していると考えられる。 ほどなくして長門のマンションにたどり着き、ハルヒはすぐさま玄関入り口のパネルで708と入力し、長門の部屋にインターフォンを接続する。 返ってきたのは予想外の声だった。『はい、どなたでしょうか?』 てっきり無言が返ってくると思っていたキョンは、その返答に心臓がどきりと動いた。しかもその声には聞き覚えがある。 ハルヒもしばらく長門以外の返答にとまどっていたが、キョン同様声の主に気がついたようで、「あの……ひょっとして喜緑さん?」『はい。その声は涼宮さんですね。以前はどうも』 その柔らかい声にハルヒは一旦安堵の表情を浮かべた。喜緑江美里とは一応顔見知りであり、長門に対して何らかの危害を加えるようなことはしないという考えが頭にあったからだ。 だが、キョンはそれとは対照的だった。彼は喜緑江美里が長門と同様の存在であることを知っている。そして、音信不通の長門の部屋に彼女がいるという状況を考慮すれば、今長門の身に起きていることは情報統合思念体がらみの問題である可能性が高いと思ったからだ。さらに、喜緑江美里と長門はそのの中にある別々の派閥に属しているという。何からの対立が発生しているのではないか。彼の猜疑心をさらに揺さぶった。 ハルヒはインターフォン越しの会話を続ける。「どうして喜緑さんがそこにいるの? 有希の部屋なのに」『長門さんが急病でして。しかも、かなりこじらせた状態です。あなたも知っているとおり一人暮らしのみなので何かと不都合が置きやすい状況ですので、同じマンションに住んでいるわたしが看病に当たっています』「そうなの……有希に会いたいのよ。中に入れてもらえる?」『残念ですが、かなり重い病状のため面会謝絶の状態です。今はぐっすりと眠っているので応対もできません。長門さんもこの病気をあなたたちに移したくはないと言っていましたので』 嘘だ。二人のやりとりでキョンはすぐに悟った。あの長門が人類的な病気などにかかるわけがない。別の理由で外に出れないのだ。 インターフォン越しの喜緑江美里の言葉は続く。『ご安心ください。病状は次第に改善の傾向にあります。もうしばらく時間はかかると思いますが、時期に学校にも行くことができるようになるでしょう。彼女の身を案じて、どうかそれまでそっとしておいていただけないでしょうか?』「……そう。わかったわ。喜緑さんなら安心して任せられるし。でも、少しでもよくなったらすぐに連絡してと言っておいて欲しいの」『わかりました』 状況が理解できてほっと胸をなで下ろし、安堵の表情を浮かべるハルヒ。 あまり看病の邪魔をしては悪いと、そこで話を終わりにしようとしたハルヒだったが、キョンが通話に割って入り「喜緑さん。一つ確認したいんですが」『何でしょうか?』「長門の病気は、あの――空港の事件と何か関係があるんですか?」『…………』 このキョンの問いかけに喜緑江美里の言葉が止まる。一方でハルヒは何の関係が?と眉をひそめた。 ほどなくして、『わかりません。長門さんが目を覚ました後聞いてみます』「お願いします」『では』 そこでインターフォンの接続が切られた。キョンは喜緑江美里の一瞬の沈黙にある種の確信を得ていた。長門が部屋に閉じこもっているのはあの一件と関係がある。あるいはそのために身動きのとれない状態にある。(ちっ……何がどうなってやがる) 彼は唾棄するように顔をしかめた。 ~~~~~~~ 喜緑江美里はインターフォンのスイッチを落とすと、再びリビングへと戻る。 そこには部屋の中心で正座の姿勢で微動だにしない長門有希の姿があった。「せっかくのお見舞いですが、お二人には帰ってもらいました。今彼らと顔を会わせれば、あなたのエラーは増大する可能性があり、想定外の行動をとる可能性がありましたので、安全のために」「…………」 喜緑江美里はすっと腰を下ろし、長門の前に同じように正座の姿勢で座った。一方の長門は目をつぶり、ただ黙っていた。 そのまま沈黙が続く。 ~~~~~~~ 「現場のシステム入れ替え……ですか?」「そうだ。今までとは違い、閉鎖空間が出たら超能力者をそこに入れて後は彼らにお任せの状態にはできない。次に通常世界に神人が現れれば、防衛省・自衛隊も探知可能である以上、彼らも動くだろう。縄張りや役割というものは、人のプライドに直結するものだからな。我々機関がそこに土足で踏み込めば彼らは黙っていないだろう」 新最高責任者の言葉に、森園生は眉をひそめる。今まで通りには行かない。むしろ自分たちの領域に土足で踏みにじられているのは自分たちの方だ。それが利便性などではなく、機関上層部の権力争いの一部になっているのであればなおさら不快である。 しかし、今やこの現場の指揮権は彼女にはない。黙って従うしかなかった。 ~~~~~~~ そのまま長門も古泉とも連絡が取れないまま四日が過ぎた。 空港爆発事件も未だに政府から公式な発表もなく、憶測だけが報道され続けていた。 その日もキョンは悪い予感をもやもやさせながら帰宅し、自転車を片付けようとしていたときだった。「やあどうも」 唐突にかけられた声。キョンが振り返ってみれば、いつもの北高制服に身を包んだ古泉一樹の姿があった。その表情はいつものインチキスマイルだった。 キョンは四日も放置されたことに少々むっとして、「今更何の用だ? ここまでこっちと連絡を取らなかったって事は俺みたいな凡人は蚊帳の外な展開になっているって事だろ?」「これは手厳しいですね。とりあえず、長い間連絡も取れなかったことについては謝罪します。すいませんでした。それで少々お話があるんですが」 古泉が手を挙げると、一台の黒塗りの自動車がキョンの前に止まる。「車の中ではないと話せないことなのか?」「この情勢下では外部に漏れやすい環境でうかつなことは言えませんからね。どうぞ」 キョンは渋々その自動車に乗り込んだ。 薄暗くなり、通り過ぎていく外灯の明かりが車内に明暗を繰り返させる。 古泉はその中で腕を組んだまま、「さて、何からお話ししましょうか」「単刀直入に聞こう。あの空港の事件はお前たちの仕業か?」 キョンからの問いかけに、古泉は苦笑しつつ、「その言い方ですと、まるで我々が意図的起こしたみたいですが――そうですね。意図はしていませんが、あの事件に関わっていたのは事実です。正確には神人を倒す課程でどういう訳か現実世界に影響が出てしまったということですね」「まさかハルヒが……?」「それはないでしょう。涼宮さんがそのようなことを望む理由もありませんし」「ならどういう訳だ?」 キョンの指摘に、古泉はふむとあごに手を当てて、「残念ですが、事件以降機関は総力を挙げて調査しても、その理由は全くの不明です」「何だ、四日経っても何にもわかっていないって事じゃないか」「そう言うことになりますね」 あきれ顔のキョンに、古泉は困った顔で答える。 続ける。「で、事態はこれで終わりなのか? もうあんな事件は二度とごめんだぞ。死人が出なかったのはラッキーだっただけで、次に同じ事が起きればどうなるかわからんからな」「それについては涼宮さん次第ですね。彼女がまた神人を発生させるか、それにかかっています。それが閉鎖空間内なのか、それとも通常世界なのかは起きてみないとわかりませんから」「やれやれ、危機的状況は継続中ってことかい」 と、ここで古泉は右手を挙げて、「継続中どころの話ではありません。これを見てください」 彼は四日前のミーティングの時と同じように、手の上に光球を作り出してみせる。これにキョンは目を見開き、「冗談……なわけがないか。いつからお前らは閉鎖空間以外で超能力者が使えるようになったんだ?」「あの事件以降です。正確には爆発直後からですね。これだけでも異常事態が続いているとわかります」「……なんてこった」 走る自動車は信号待ちの渋滞に引っかかり、停車する。外灯の真下だったため、車内が明るさに満たされた。そこでキョンはバックミラー越しに運転しているのが森園生であることに気がつく。「それでだ。今後機関はどうするつもりなんだ?」「難しい立場になっています。次に通常世界に神人が発生すれば機関だけで済む話ではなくなりますからね。僕のいる部署も組織再編があったばかりですよ。これについては――まあ愚痴になってしまいますが、あまり望ましいことではありませんでした」「意外だな。てっきり機関ってのは超能力者の集まりで、ただあの灰色空間が出たら中にいる化け物退治に行くだけの組織だと思っていたが。外部なんて気にせず勝手気ままにやっているものばかりだと思ってがね」「それは過小評価しすぎですよ。僕は超能力者が機関を作ったなんて言った憶えはありませんよ。むしろその逆です。超能力者は機関に協力しているだけにすぎません。あなたは4年前に機関がぽっと出た組織だと思っていましたか?」「てっきりそうだと思っていたが」「涼宮さんの周辺警護と監視、そして敵対組織との対応、TFEI端末との調整……それにどれだけの膨大な金と人員が動くと思っています? たった4年でそこまでの組織を作り上げるなんて、よっぽど強大な組織がバックにいなければ不可能です。逆にいれば可能と言うことになりますが、それでは4年前にできたとは言えないでしょう」「つまりなにか? お前らの組織ってのはもっとずっと前からあって、それは政治とかそういうのにも密接に関わっていると?」「まあそういうことになりますね。僕としましては、涼宮さん係としてあまりそっちの方には興味はなく、脳天気に自分の仕事をこなせていましたが、あの一件以降状況が大きく変わってしまいました」「政治の話か……正直俺たちSOS団には関わって欲しくないが」「その通りです。できるだけ直接的な接触は避けて、次にあなたに状況説明するときには全てが終わった後にするつもりです。もちろん、僕の役割も事件以前同じに戻った形でね」 ようやく渋滞が解けて、自動車が再び走り始めた。外灯による明暗の点滅が再度繰り返される。 キョンはふと思い出し、「お前がもう知っているのかはわからんが、あの事件以降長門も姿を現していない。それについて何か知っているか?長門の部屋を一度尋ねたが、喜緑さんがいて急病とか言っていたがあの長門がそんなもんに罹るわけがねえ。あと朝比奈さんは学校には来ているが、どうやらやっぱり何か思惑があるらしく事件のことには関わらないようにしているみたいだ。それらについて何か知っていれば教えてくれ」「TFEI端末の動きが沈静化していることについては把握しています。しかし、以前にも言いましたが彼らと直接的な意思疎通ができているとは言い難く、その理由についてはわかりません。長門さんが喜緑さんと一緒というのは初耳ですが、やはり何か彼らの内部でも何らかの思惑が錯綜しているのでしょうね。場合によっては、今回の一件に大きく関わっていることも否定できないかと。そうすると、正直機関の方ではその場しのぎの対応に終始することしかできなくなってしまいますが」「朝比奈さんたちの方は?」「そっちは意思疎通どころか……まあ全く把握できていません。ですが、TFEI端末も未来人も今回の事件を起こして得をするようなことはないと思いますが」「何だよ、やっぱり何にもわからねえままか」「すいません。事態は切迫しているというのに、機関も手の打ちようがないんですよ」「それじゃ何のために俺に話しているんだ?」 キョンの指摘に古泉は苦笑して、「友人として状況を掻い摘んで説明しておきたかったんですよ。僕とあなたの仲じゃないですか」「嘘つけ。いつも肝心なことは秘密のくせに今更親友に情報リークとか言われても信じられるか。普段隠していた情報をこれだけ俺に言っているって事は、見返りに俺にやってほしいことがあるんだろう?」「……あなたはたまに一般人らしからぬ認識能力を発揮しますね。確かにその通りです。そんなに難しいことではないのでご安心ください」 キョンは本当か?と疑惑の視線を向けつつも、「凡人の俺にできることだったら引き受けてやる。言っておくがお前や機関のためじゃないぞ。無関係な人を巻き込むのはごめんなだけだからな」 古泉は笑みを崩さず、「単純です。長門さんと僕が不在の状態でもできるだけ涼宮さんの精神状態を安定させておいて欲しいんです。そのためには嘘をついてもかまいません。例えば、僕から連絡があったとでっちあげたりなど。とにかく彼女を安心させておいて欲しいんです」「何のために……って、聞き返すまでもないか。神人を発生させたくないんだな?」「その通りです。あの事件の原因がつかめるまで、閉鎖空間と神人は眠ったままでいて欲しいですからね。最初の事態が解決できない状況で、次の事態が発生するのだけは避けたい。これが機関としての本音です」「やれやれ、いつから俺はハルヒのトランキライザーになったんだか」「ずっと前からですよ。いい加減受け入れたらどうです?」「嫌なこった」 キョンの反応に、古泉はくくっと喉を鳴らした。 しばらく車内に沈黙が充満する。けたたましく走っていくトラックや、暴走するバイクが次々とキョンの乗る自動車を追い越していった。 この間、キョンは少し言われたことを整理する時間を与えられた。事件の真相、状況、機関、超能力者、ハルヒ、長門、みくる……それをまとめていくうちに、彼の内心に言いしれぬ違和感が生まれる。そして、ほどなくしてそれは疑惑へと変貌し、最後には恐怖感にまで発展していった。 思わず口からこぼれそうになるその感情に、慌てて口を押さえて押しとどめる。(言うべきか? いや、いくら何でも古泉がそんなことを……) だが考えれば考えるほど、彼の中の負の感情は肥大化していく。尋ねて確認したい。安心したい。しきりに彼の頭にそれがよぎるようになっていった。 そして、ついに我慢できなくなり口から手を離し、「……なあ古泉。一つ確認したいことがあるんだが」「何でしょう? 答えられることとできないことがありますが、あなたの希望にできるだけ沿うようにします」 古泉の了承後も、キョンはしばらく迷って首を数回振り、「最初に言っておくが、お前の気分を著しく害する可能性がある。それでもいいか?」「ご安心ください。多少の罵倒程度で怒り出さない自信はあります」 念入りに確認した後、キョンは自分の本心を口にする。「超能力が今でも使えるんだよな? だったら――間違ってもそれを悪用しようなんて思うなよ?世界征服とか気に入らないやつに復讐するとか」 ――キョンの言葉を最後に車内に沈黙が流れた。周囲の喧噪だけが耳に浸食してくる。 ………… ………… ………… それを打ち破ったのは、古泉のふうっという大きなため息だった。彼は神妙な面持ちで腕を組んだまま、「なるほど……ね。おっと、最初に言っておきますが別にあなたの言葉に不愉快になったわけではありません。逆に非常に参考になりましたよ。機関に属していない人間から見ると、今の僕にはそう言った行為に及ぶ可能性を見いだしてしまう。自分自身や内部からではわからないことです。感謝したいぐらいですね」「……答えはどうなんだ?」 キョンの言葉に、古泉は視線をすっと落とし、「正直、この事態に陥ってからそんな考えに及んだことはありませんでした。調査に夢中だったと言うこともありますが、何より僕は涼宮さんの感情をせき止める理性のつもりだったからです。自分のために使う――世界を守るという意味では結果的に自分の身を守っているとも言えますが、それはさておきエゴでそれを行使しようなんて全く思い及びませんでした。事件前では閉鎖空間内でした力は使えなかったので」「超能力者ってのは他にもいるよな? そっちはどうなんだ」 この指摘に、古泉はしばらく黙ってしまった。彼には断言できなかった。他の仲間が無制限に解放された力を神人を倒すという目的以外で使う可能性がないとは。 ………… 三度訪れた沈黙を破ったのは、運転席に座っている森園生の携帯電話の緊急を知らせる着信音だった。運転中だったがかまわずそれを取る。「森園生です……わかりました。すぐにそちらに向かいます。古泉は適当な場所から――ええわかっています」 電話を切るやいなや、森園生は自動車を急転回させ、来た道を逆走し始める。 角の遠心力にキョンは慌てて前の座席を掴んでその衝撃に耐えていたが、「何かあったんですか!?」「遅かったようです。神人が発生しました。もちろん閉鎖空間ではなく、この世界にです。現在、ここから南方100kmに現れ、かなりの速度でこちらに向かってきています」「……恐れていた事態が起きてしまいましたか」 古泉の表情が険しいものへと変わった。 それから数分後、キョンは最寄りのバス停前で自動車を降りた。古泉から帰りの交通費も渡されている。 猛スピードで走り去っていくその自動車の背をただ眺めながら、言いしれぬ嫌な予感に鳥肌を立てていた。 ~機関の動乱 その2へ~
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