涼宮ハルヒの消失ー長門有希の憂鬱
私は情報思念体が作り出した対有機生命体用インターフェースのひとつである。太陽系、と本人たちによって呼ばれる辺境の惑星系の第三惑星に発生した有機生命体のなかに、全宇宙の中でもユニークな一個体が発生した。そしてそれは進化の袋小路に閉じ込められた情報思念体になんらかの脱出口となる要素を抽出できる可能性がある、と判断された。単体という概念を持たず、いかなる光学的手段を持っても不可視である情報思念体にとって、一地球人固体を観察し、必要ならば彼らの言語による意思疎通を可能にするインターフェースが不可欠であることから作られたものの一体である。同時に作られたバックアップと比べて、私というインターフェースは一見して他のインターフェースとは際立った地球人的な「個性」が与えられている。そう。被観察者涼宮ハルヒによって、私に必要とされた属性。極端な無口、非情動的で非社交的なキャラクター。彼女にとって、宇宙人の地球上での仮の姿に似つかわしいと彼女自身が無意識的に想像している情報を反映して作られた個性である。わたしは他のインターフェースのように自然な人間らしく振舞う因子を彼女の願望によって減らされた内気で静かな神秘的な形態をしている。むろん涼宮ハルヒは自分が私をそういう個性にフォーマットすることに関与したことに気づいていない。ただこのような個性を持たされた自分が、そしてそれを望んだ彼女が今となっては呪わしい。呪わしい? 私の人類の脳と呼ばれるフィードバック式対情報リアクションシステムのなかにながれる情報のひとつの形態がここでは、そう名づけられていることをアナログ式文字インターフェースシステムの一種で、本、と呼ばれるものからのインプットを行い学習した。三年間の待機モードから復帰した私は長門有希という個体識別の記号-名前、をもって涼宮ハルヒの通学する高校へ侵入した。そのとき既に私はこれからの自分がどういう風に心を病んでいくのかを知っていた。三年前に知らされていた。病んでいく-自分がその言葉を使いたくない気持ちであることを改めて確認し、私は心の中で小さくため息をついた。あらかじめ与えられたあの破局に向かって、避けようもなく敷かれたレールを前に進むことしかできない。私は虚ろな無力感と諦念に打ちひしがれながら、観測活動を開始する。なんと悲しい。情報思念体がどう考えているかは知りようもないことではあるが、このインターフェースは必ず「感情」を持つにいたる宿命がある。インプットに対してアウトプットを出す。フィードバックが行われる。この繰り返しを通じ、自我、個の保全のために形作られる、決まったフォーマット。それは地球上の人類において感情と呼ばれる脳神経システムを流れる情報の形態のまとまりである。自分、という個体の保全が第一義に定義されていないシステムは発振し拡散する。情報のエントロピーが最大になった時点が人間における死に相当する。私の自我‐個体の保存に対する必要性、は常に他者に対する保全意識を平均値として上回らなくては、私は拡散してしまう。私の任務がユニークであること、つまり涼宮ハルヒという膨大な宇宙の砂の一粒にも満たないはずの一個人の観察保全が、情報思念体の進化、そしてそしてこの宇宙全体のと等価である、というありえないような状態であることによって、私の自我は非常に不安定なものになる危険性をあらかじめ内包している、ということ。そして五月のあの日「彼」は私の前に姿を現すのだ。観察対象である涼宮ハルヒの観察と保全という見地から「彼」の保全が私の役割のひとつの因子として付け加わる。その優先順位はハルヒによって決定される。 ハルヒが意識的にしろ無意識的にしろ「彼」を必要不可欠な存在と捕らえれば捕らえるほど、私の中での彼の保全の優先順位もまた上昇するのだ。なんという皮肉な現象であろう。私は常にハルヒによって呪われた影のような存在として「彼」と関係しなくてはならない宿命を持つ。「彼」の保全に対するフィードバックの繰り返しは、いやおうもなくわたしの脳のなかでひとつのきまった情報のフォーマットとして認識され、成長していく。その感情が人間世界においてなんと呼ばれるかは、もはやあらためていうまでもないことだろう。私の呪われた愛はこうして始まる。ハルヒの依然として無自覚な強い愛によって、私の「彼」への想いもどんどんと深まっていく。「彼」を私だけのものにしたいと思うことは、私の自我を保全するという意味では誤りではない。しかしその目的を達することはハルヒによる情報爆発を生み、情報思念体の危機につながる。「彼」の目が部屋の隅に座り本を読んでいる私を見ている。なんという悦び。私は「彼」のものになりたいと念じる。しかしやがてハルヒが部室に現れると、私は思い出す。彼女の自我を保全してやらなくてはならないことを。私は自分の「彼」への想いを押し殺す。 苦しい。彼女が「彼」とコンタクトし、なにか感情の変化を起こすたびに、ぎりぎりのバランスのうえでつま先立ちしている私のシステムが危殆に瀕する。こうして嫉妬、あるいは葛藤という名のバグが、密やかに私の中にふり積もっていく。解消が追いつかないバグの蓄積が、システムのエラーとなって私というインターフェースの個性に影響する。少なくとも「彼」には私の変容が隠しきれないところまで来てしまった。「彼」は私の変化に気づいている。必要とされる所定の動作より2秒以上たっぷり「彼」を見つめてしまう。「彼」にだけわかるようにサインを出してしまう。「彼」による関わりが必要でない処理にまで「彼」の関与を求めてしまう。「彼」による指示にに優先順位以上に応えてしまう。ハルヒは非常に直観力に優れた個体であるので、私の変化にはっきり気づくのも、もう時間の問題かもしれない。そう考えると、システムがショートしそうなほどの焦燥感にとらわれる。このままではいけない。何らかの対処がすぐに必要。しかし矛盾した私の愛に出口がない以上、解決策は何一つない。静かに狂っていく自分を呆然と見つめながら、私は立ち尽くすだけ。そうして迎えた12月17日、放課後の部室でハルヒにかぶせられたクリスマスの三角帽子を頭に載せたまま、私は静かに破局の閾値を越えた。人間が睡眠と呼んでいる脳内蓄積バグ解消のため採用しているシステムをその夜作動させず、愛に狂った私は、まんじりともせずこれからなそうとしているプログラムの可能性について計算を続ける。「彼」の自由意志を最大限優先できるように「彼」の記憶のみ保存する。改変後の私は「彼」への密かな愛を保ったままインターフェースとしての機能を全て消去する。植えつけられたエピソードのキーワードは彼にも伝わるはず「図書館」。「彼」に自由意志と記憶を与えた以上、「彼」が脱出プログラムを使用しない可能性は非常に低いだろう。それでも改変後の私はできるうるかぎり最大限の努力をするだろう。「彼」が脱出しないように。「彼」はかならずあの部室に来る。そうなれば改変後の世界で、私は「彼」と二人だけの世界を。蓋然性は低い。でももしそうなればなんとすばらしいことだろうに。私はそんな自分がおもわずかわいそうになり、両腕を組んで自分の肩を抱き心の中で血の涙を流す。自由意志と記憶を与えたことは、私の公正さに起因する。インターフェースにも自尊心はある。私はあくまで彼の意識的な選択に基づいて、彼に愛されたい。しかし私はやはりそこでやってしまった。妨害クエストを設定し、彼が脱出できるハードルをあげたのだ。悲しいかな、自分の愛がハルヒによって内包される軛から私は抜け出せない。ハルヒを鍵とする。 それでも「彼」が鍵を発見すれば、わたしはもう何も言うまい。一縷の望みに賭け世界を改変する、失敗したらそこで終わり。それだけ? いやそれだけではないのだ。それだけではない。そこに私が「彼」に記憶を残した計算がある。
みくると「彼」とともに12月18日の早朝に戻り、世界を再改変する。かわいそうな私。わかっていたこととはいえ。哀しい。朝倉に刺された「彼」の傷を治癒し、三日後に意識を回復するように設定して、バリアを張った上で階段から落とす。三日後の深夜、私は「彼」の病室を訪れる。そこで得る「彼」の言葉。私の得る唯一の収穫。部分的な勝利。でもそれだけではない。そこには変容した「彼」が含まれる。私の暴走がもたらしたもの、それは「彼」の記憶が保たれていることに起因する。私は暴走という形をとって「彼」に告白したのだということを「彼」が知ってしまったということだ。そう。もう「彼」は知らない振りはできないのだ。そしてそれは基本的にハルヒの感知しないところで行われた。私と「彼」だけの秘密の共有。私はうまくやった。みくるは部分的に関与している以上、もう私の感情に気づいてしまっただろう。彼女が私を恐れるのはそのせいだ。愛と嫉妬に狂って暴走するアンドロイドを恐れたのだ。みくるの「彼」への想いなど所詮それくらいのものなのだ。情報思念体が私を処分しないのは、ハルヒに巻き込まれた状態では単なるインターフェースが世界改変の力を持ちうることを知り、自律進化への希望が新たな側面を見せたからであろう。 いまの私はもう単なる一インターフェースではなくなってしまっている、という意味。でも私はそんなことはどうでもいい。「彼」は私を憐れんでくれただろうか、私の報われない愛を不憫と思ってくれただろうか。部室の片隅に座り、私は今日も本を読む。やがてハルヒに手首をつかまれて「彼」が今日も部室に現れる。あなたを愛している。
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