涼宮ハルヒのダメ、ゼッタイ 九章
九章まどろむ朝。今日もまたSOS団雑用係としてのハルヒに振り回される一日が始まるのか、という北高に入学して以来、ずっと抱いている憂鬱ながらまんざらでもない感傷に浸り、その直後、現在自分の身体に起こっている異変を思い起こし、絶望する。それが俺のここ一日二日の朝だった。それだけでも俺は今すぐ自分の首を締め上げたい衝動にかられるのに、今日はさらに最悪だ。俺は昨日ハルヒにお別れを…………何だ、もう学校に行く必要もないじゃないか。お袋、親父、それに妹よ。悪いな、俺は今日この家を出て行く。お前達は無事生き延びて帰ってきたら、今まで通りの日常を過ごしてくれ。やったな、これで一人分の食費、生活費、その他諸々が浮くぞ。何だ。最悪だと思ってたが案外清々しいじゃないか。昨日はいい夢も見れたしな。ハルヒが抱き締めてくれる夢…………を?ん?あれは本当に夢だったのか?布団の中で、そこまで思考を展開していると…………「コラーーー!!あんたいつまで寝てるのよ!いい加減起きな!!!さい!!!」その声とともに俺を覆っていた布団が舞い上がり、俺の体は外気に触れブルッとなる。妹か?なんて思考を巡らす暇もなく、俺はそこにいる人物が誰かを理解した。「えー、あー……ハルヒ…なのか?学校……は?」「あんたまだ寝ぼけてるの?今日は日曜でしょ!それに明日からは冬休みじゃない!ほら、朝ご飯出来てるわよ!さっさと顔洗って来ちゃいなさい!」何だ、その休日なんだからいて当然!みたいな言い方は。何故こいつがここにいる?夢か、これも夢なのか?いやだが妙にリアルに感じるな。まるで昨日の夢みたいな……いや、そもそもあれは夢なのか?夢であってほしい。というか、そうでないと困る。だって夢の中のハルヒは俺の今の状態を…………「ぶつぶつ夢だなんだ…うるさいわね。」しまった、混乱しすぎて口に出していたか。いや、でもこれも夢なら別に問題は…………「はぁ…………夢じゃないわよ。昨日も、今もね。」ハルヒは妙に説得力のある声で言った。「じゃあもしかして……お前……………」「ええ、あんたが何をしていたのか……全部……………知ってるわ……そう……全部ね…」――ずっとあんたと一緒にいるから――夢と思っていた記憶の奥底にある、その言葉を思い出した。「帰れ!!!」突如、俺の心に羞恥にも似た不快な感情が溢れだし、それはその言葉を発するまでに至った。「俺を見るな!お前は俺と関わるべきじゃないんだ!!お前のためなんだよ!!帰れよ!ほら早く!!!」叫び始めた寝起きの俺を前にしても、ハルヒはその目を少しも泳がせたりせず、じっと見ている。「何ヤケクソになってんのよ!あんた今のまんまじゃどうなるか分かってんの?!」「ああ、分かってるさ!!こんな命……ましてお前の世話になって得る命なんて願い下げだ!」ハルヒの表情がみるみる怒りの感情をあらわしていく。「はぁ~、ダメ、我慢しようと思ってたけど…やっぱ感情のコントロールって難しいわね。」その言葉を聞き終わらないうちに俺の部屋に『パン!!』という心地よい音が響き渡った。ほっぺた、いてぇ……「ふ…ざけんじゃないわよ!!許さない……死ぬなんて絶対許さないんだからね!言いなさい!何であんたは覚せい剤なんてバカなことやったの!!」……何でだ…クソ!何でだよ!何で思った通りに動いてくれないんだ!ちくしょう!ちくしょう!………………そうかよ…………なら………「こっちにだって考えがある。」俺はそう言うと台所に駆けていった。大丈夫、理性はある。脅すだけ……ギリギリの所で止められるはずだ。お前のせいだからな。もし万が一が起こってもお前の責任だ。お前が俺の思い通りにならないのが……悪いんだからな。台所には味噌汁のいい香りがしたが、そんなのに構ってられる程の余裕は今の俺にはない。調理に使ったであろうその包丁を手に取る。ドクン!!それを持った途端、心臓の鼓動が、鼓膜にダイレクトに聞こえてきた。一瞬、朝倉がそこにいるような感覚がしたが、すぐに消える。だ、大丈夫だ。落ち着け、俺。早まるなよ。脅すだけ、そうだ脅すだけだ…俺は急いで部屋に戻るため階段を駈け登り、扉を強引に開く。……とハルヒは部屋を出て行く前と同じポーズでそこにいた。「ったく!あんた何しに行ってたのよ!悪いけど、あれはもうこの…い……」ハルヒの目がわずかに下に下がり、俺の両手で前に突き出すように握っている包丁を捕らえると、その顔は一気に蒼白くなっていった。大丈夫…忘れるな。理性を忘れるな。「悪いが本気だ!これ以上俺の家に居座るならどうなるか…こいつを見りゃわかるだろ。今の俺は正気じゃないからなぁ!!何するか分からないぞ!」自ら作り出した狂気じみた演技に飲み込まれそうになる。落ち着け…落ち着け!「キョン…あんた…」ハルヒがみるみる恐怖に染められていく……はずだった。何でだ…何でお前はこの状況でそんな顔が出来る…俺の前には、もう何十年ぶりになるのではないかと思うくらい、久々に感じる、大胆不適で強気な笑みがあった。ズン!と音がするくらいしっかりとした足取りで、ハルヒが一歩ずつ近付いてくる。一歩、また一歩。ついには俺とハルヒの距離は、俺が突き出した包丁一本分しか無くなってしまった。あと一歩踏み込んだら、確実に包丁はハルヒに突き刺さる。後ろに下がろうにも、部屋の壁がそれを許さない。完璧に追い詰められてしまった。ちくしょう…こんなときまで俺はハルヒに……!!!!!俺の思考はそこで中断してしまった。ハルヒが前に踏み出すかのように右足を僅かに浮かせたからだ。「バッ!!!」咄嗟に包丁を横に投げた瞬間、ハルヒは俺にのしかかってきた。仰向けの俺に覆いかぶさっているハルヒの顔は俺の胸に押しつけているため、確認出来ない。そうか、こいつはこれを狙っていたのか。だけど、もし俺が動揺せず包丁を構えたままだったら、こいつは……「はあ……はあ……」ハルヒの超高速で鳴っている心臓の鼓動が伝わってくる。それと同時にハルヒの肩が小刻みに震えているのも確認出来た。「ハルヒ…………」「黙ってなさい。」その言葉と同時にハルヒは顔をこちらに向けた。なんつーか……俺は何てことをしてしまったんだろう。ハルヒの顔は冷や汗でびしょびしょだった。「………から……」「え???」「負けないから。絶対にあんたを治すまで……もう…決めたんだから……!」俺は何て声をかけたらいいか分からなかった。俺がずっと黙っていると、ハルヒは、俺の上からどき、素早く包丁を取り上げると言った。「さっさと顔洗って来ちゃいなさい。」俺はハルヒに言われた通り、顔を洗うため洗面所にいる。やれやれ、結局ハルヒに言いくるめられちまった。…………あいつ、あんなに震えてた。当たり前だ。一歩間違えれば死んでいた、その恐怖は計り知れないあの時、あいつは信じたのだろうか。ドラッグに侵され、おかしくなっちまった俺を。命をかけるだけの価値、俺にはもうねえだろうが……俺は…お前を裏切ったんだぞ?ふと俺は顔を上げ、鏡を見た。「何だよ、こりゃ……」お前はバカな奴だよ、ハルヒ。こんな目の下にクマがあって、肌は土気色で表情筋が暴走したように引きつってる奴が包丁持って目の前にいたら、普通逃げ出すだろ………… リビングに戻ると、何とも豪華な朝食と、エプロンを脱いでる途中のハルヒが俺を出迎えた。献立は……魚の塩焼きに味噌汁、厚焼き玉子、肉じゃが、これ以上ないってくらい純粋な日本の朝食だ。ハルヒがこういう純和風なメニューを作るのは新鮮だな。何となく、サンドイッチとか洋風なイメージがあった。「ちゃっちゃと食べちゃいなさい。」「あ、ああ…………」そういや昨日は何も食ってなかったな。一気に空腹感が増してきた。急いでイスに座り、味噌汁を一口飲む。途端、俺に衝撃が走った。「…………!!!」声にならないとはこのことだろうな。この世のものとは思えないくらいうまい、冷えきった心身が温まってくる。魚を箸でほぐしもせずかぶりつく、うまい、うまい……幸せだ………こんな当たり前のことが、今の俺にはどうしようもなく嬉しかった。「ハ……ルヒ……」涙が止まらない。俺は…人間に戻れる……「なあに?」にじむ視界の先にはハルヒが微笑んでいる。「俺……生きたい………」この時のハルヒの顔は忘れられないね。どうしたらあんなにも喜びを表情で表せられるのだろう。「当たり前よ!!」「それから、もう一つお願いがあるんだ。」もっと生きてる喜びをかみ締めたい。「ポニーテール……してくれないか?」機関運営の葬式場。そこでオレは河村から衝撃の告白を受けた。「神を……殺す?それって涼宮さんのことを言ってるのか?」目の前の男は狂気に顔を歪ませ、続ける。「他に誰がいるんだよ。お前なら奴を呼び出すくらい簡単だろ?センパイの苦しみを味合わせてやるのさ。」思考がまとまらない。こいつは今何と言った?確かに今までにも河村は涼宮さんへの不満をよくオレに漏らしていたが、これは明らかに別物だ。明確な悪意と殺意。「い、言ってる意味が分からない。」「お前だって嫌気が差してたんじゃないか?俺達の進む人生は奴によって180度ねじ曲げられたんだぜ?神様ごっこはここいらでやめにしようじゃないか。」冗談じゃない、確かに涼宮さんを恨んだ事がないと言えば嘘になるし、もし自分がこの力を与えられなかったらどれだけ平和な毎日を送れていただろうと考えることもあった。それは嘘じゃない。だけど、この力のお陰でオレはSOS団に出会えた。何もない、平凡な暮らしから脱却出来たんだ。オレはいつの間にか、涼宮さんに感謝していた。殺すなんて有り得ない。「少し、考えさせてくれ。」思考とは裏腹に、オレの口から出たのは臆病で怠惰な先送りの言葉だった。「ああ、分かった。いい返事期待してるぜ。それから美那にこのことは言わないでくれ。余計な心配かけたくない。」「田丸さん、少しいいですか?」場面は変わってオレは田丸さん(兄)と話している「実は………」この時オレは親友を売った。「そうか、河村が…いつかはこんな時が来るかもしれんと思っていた。…………古泉。」田丸さん(兄)は真剣な表情でオレを見つめている。「私はこのことをたまたま耳に入れた。お前達の会話を盗み聞きしてな。お前は誰にも、このことを漏らしていないし、これから私がやろうとしていることも何も聞かされていない。いいな。」オレは数人の機関の面々に取り押さえられている河村を目の当たりにしている。「大人しくしろ!!」田丸さんや荒川さんが激をとばす。「古泉!お前……裏切ったな!何故だ!答えろ!!古泉ぃ!!!」「タックン!タックン!!やめて!タックンを放してよぉ!」オレはその時河村を見捨てた。涼宮さんを守るために。それから河村は自らを捕縛しようとする仲間達を何とか振りほどき市内を駆け回った。最後にたどり着いたのは春日さんの家だ。家の周りを包囲されると抵抗する気力もなくしたのか、大人しく捕まった。その時は夢にも思わなかった。河村が春日さんの家で押収され残した覚せい剤を手に入れていたなんて。河村は、機関本部の地下に幽閉された。人権無視も甚しい話だが、何せ世界の破滅がかかっている。だから、この決定に疑問を抱く者はいなかった。あの春日さんですら。「春日さん……オレ……」「気にしなくていいよ。機関にいる以上、涼宮さんに害を及ぼす存在は抹消しなければならない。古泉くんにはあれ意外の選択肢はなかったもんね…」正直、かける言葉が見つからなかったオレは、「ごめん……」という謝罪の言葉が精一杯だった。「あれ~?古泉くんは告げ口してないって話じゃなかったの~?」いじわるそうに聞いてくる春日さんの笑顔は、今にも壊れそうで。「別に恨んでないよ。全ては……涼宮ハルヒが悪いんだから……」だからこそ、その言葉を聞いた時はゾッとした。それから日がかなりたったある日、河村は食事を持ってきた見張りの一瞬のスキをついて、屋上に脱走した。その時、河村は見るもの全てに自殺願望を与えるような表情をしながら言った。「なあ、古泉、美那……」地獄から響いてくるようなその声を、オレは忘れられそうもない。きっと春日さんも同じだろう。「俺は今、とても清々しい気分なんだ……」その言葉を最後に、河村は人間とは思えない程の跳躍でフェンスを飛び越え………落ちた。授業が終わり、HRが終わり、いつものようにオレはSOS団部室にその足を運ぶ。「古泉くん!!」春日さんが走ってきた。あんなことがあったから休んでいるとばかり思っていた。強い人だ。「どうしたんです?」「え?ちょ、敬語……ううん、別にいいや…今日もあの部室に行くの?」「そうですが。」オレが行かない事で涼宮さんがイライラを積もらして閉鎖空間を作ったら大変だからな。……なんて、自惚れすぎか。「何で?だって…だって涼宮さんは…!」「聞きたくない。」オレは咄嗟に言葉を遮った。「僕だって何かにすがりついてなきゃやっていけない気分なんです。」その言葉の持つ残酷さを知っていたが、自分のことだけで精一杯だった。春日さんは呆然と立ちすくしていた。それをOKの合図と無理矢理解釈して、オレは歩き出した。ノックを数回。無言が自己主張しているのを確認すると、オレは扉を開けた。部室に入ると一番に目に入ったのは長門さんだった。いつもの指定席で本を読んでいる。「他の皆さんはまだ来てませんか。」ゆっくりと長門さんが目を合わす。「休まなくていいの?」ああ、やっぱりこの人は気付いているのか。彼女なりの気遣いが嬉しい。「おや、僕の心配をしてくれるのですか?」「……………」ドガン!!突然の爆音だ。それと同時に残りの三人がなだれ込んでくる。「さぁ~みくるちゃん!さっさとこれに着替えるのよ!!」変わらない。「ふぇ~、やめてください~」あんなことがあっても関係なく回り続けている。「おい、ハルヒ!朝比奈さんがいやがってるじゃないか!何だっていきなりこんな服を着せようとしてるんだ。」オレはこっちの居場所を選んだ。「何でって、みくるちゃんもあと半年後には卒業じゃない!今のうちに出来る格好は全てやっておくべきよ!!」楽しいな。「だからってだなぁ。もう少し朝比奈さんの心労やその他諸々も考えてやって……」「っだーー!うっさいわね!あたしはみくるちゃんの為を思ってやってるんだから!うれしいわよね!みくるちゃん!」あの場所を霞ませてくれる程に。「ふぇ、あの、あたし………」「ほら!これとーっても可愛いでしょ!こんなのみくるちゃんに着せちゃったら男共は失禁モノよ!ね!有希!」「……………そう」次はオレにくるな。もう既に答えは用意してある。「ね!古泉くん!!」何も知らない、だからこそ明るい笑顔で涼宮さんは尋ねてくる。さて、オレもとびきりの笑顔を作ってと……「誠に結構かと。」
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