彼?の名もハルヒ
体が重い…… 朝目が覚めたときに感じ取った、いの一番の感想はそれだった。 朝っぱらからダウナーな気分に苛まれつつも、流れるような動作で目覚まし時計を覗き込む。 …………ドッキリだよな。 今朝の第二の感想である。 一見訳が分からない台詞に見えると思うが、俺からしてみると一括して的を得たものだ。 今までは最低でも120度が限界だった短針と長針のなす角度が、既に直角に位置していたんだからな。 可笑しい、可笑しすぎるぜ。いくら俺が不可思議な経験をしているからといって、この程度のドッキリに引っかかるほど落ちぶれちゃいない。 サラリと周りを伺う。タンス、ベッド、ドアの向こう側。 しかしプラカードを持った人が存在する気配はどうも読み取れない。 結論。寝坊だ。 いやいや待て、んな馬鹿な。ハミルトン&ケーリーが連立方程式を間違えるわけがない。 そうだ、妹はどうした?おふくろは何をやっている?さすがに放置プレイは無いんじゃないのか。 そのとき、ふと、俺は昨晩の妹の発言を思い出した。 『やったー。温泉だー温泉だー』 現状を痛感させるには、その乳臭いセリフだけで充分であった。 俺を除いた三人の家族は温泉旅行に行っている。 振り返ること三日前。 親父がどこから手に入れたか判らない謎のチケットを持って帰ってきたのが契機である。 それは温泉旅行のチケットであり、日程が平日ということもあるので、本来は親父が有休を取っておふくろと2人きりで出掛ける予定だったらしい。 しかしそこはあの妹。自分も連れて行けと泣くわ喚くわの大騒ぎ。シャミセンへの八つ当たりが深く印象に残っている。 結局、当日に観念した両親は学校を休ませ妹も連れて行くこととなった。 追加のチケットは恐ろしいくらいスムーズに入手でき、深夜に三人は夜逃げの如く旅立っていった。これまた妹に引きずられるシャミセンが深く印象に残っている。 妹よ。当該旅館はペット禁止だぞ。 途中、開き直ってしまった親父が俺まで誘ってくるというハプニングも起きたが、丁重にお断りしたのは言うまでもあるまい。 いくらゆとり世代といえどもそこまで落ちぶれちゃいないのさ。 まあそんなこんなで、今朝は自宅に独りきりなんだっけー と、上辺だけはさも脳天気に言ってみるが、実際の俺の心内はチーターに襲われる寸前のカモシカのような焦燥感に満ち溢れている。アーメン。 多少寝ぼけまなこでハンガーに掛かった制服セットを急いで引ったくると、トレーナーをやおら脱ぎ捨てて着ていた下着の上からカッターシャツを乱暴に羽織った。 泣きそうになりながら一心不乱に制服を着込んでいると、この後本当に泣いてしまうことになるのは神の悪戯だろうか。 俺は脱ぎ捨てていた寝間着のトレーナーに足を滑らせ、タンスの角に小指を思いっきりダイブさせてしまった。 この痛みは言葉で表現出来るレベルを遥かに逸脱しており、中学の卒業式以来のマジ泣きをしてしまったのは既定事項だと信じたい。 部屋の隅で小指を抑えながら大の男が泣いている絵は中々シュールなものがあるが、こればっかりは仕方ないだろう。あれは人類史上最強の凶器であるからな。 ぼやける目でズボンを履く。もはや肉眼では前後ろすら明確に認識できないほど涙が溜まっていた。 チャックというズボンのシンボルの感触が無かったら、キチンと履いたか不安なまま一日を過ごすはめになったかもしれない。チャック様々である。 ズボンの確認を終了し、最後にカッターシャツの裾で溜まった涙を一拭いしてブレザーに身を包む。 ……ん、ブレザー?……何か違和感があるような…………気のせい、かな? 妙な感覚を覚えつつも、取り敢えず一段落はついた。 しかし、未だ急がなければならない俺。 顔も洗わず歯も磨かず、飯も食わずの悲惨な状態で家から飛び出す羽目になるのは必然である。 ……後に思う。既に遅刻はしているんだから、鏡くらい見ておけば良かったと。 学校に着いた俺は、なるべく物音をたてないように自分のクラスに向かった。 妹のような精神年齢の低い子供ならばこういう状況下ではしゃいでしまうんだろうが、高校生ともなるとそうはいかないのさ。うむ、まごうことなきジェントルマン。 五分後、やっとの事で教室に辿り着いた。何だろうか、いつもより息切れが激し……………………あ゙あ゙、やっぱり駄目だ。キツいよ。 たったあれだけの距離なのに、こんな倦怠感なんて。こんな青春ド真ん中の片道切符乗り換えなし超特急列車の中で、自分は一人途中下車し老退化を突き進んでいくの? 嫌だ、それだけは嫌だよ。 ぐすっ、一度でいいから大トロ食べてみたかったなあ………………………………あれ、俺さっきから何言ってんだろ? 「教室の前、誰かいるの?」 教室から英語の先生の声が響いた。グズグズ言ってたのが聞こえてしまったらしい。 俺はいそいそと扉を開いて、教室の中に入る。「……あの、すみません。寝坊しちゃって……」 クラスから笑い声が起きる。間違い無く谷口のものだ。後で締めるとしよう。「あら、あなただったの、珍しいわね。それより、はいこれ」 英語の先生に渡された謎の紙。まさか、これは……件の……「そ、この前のテスト」 ……終わった。 感触0だったあのテストが返ってくるのか。万に一つも赤点は避けられない……あれが。 またハルヒに何か言われてしまうな。今度はあいつに教わるとでもするか。場所は静かな所で、図書館とかベストだな。 図書館……ああ、長門効果か。 そんな俺に対して、先生は超ニコニコ顔で、「おめでとう。また100点よ」 皮肉もここまでくると清々しい。0点の可能性すら出てくる皮肉を満面の笑みで話すことができる人間がいるとは。この人も宇宙人etc.なんてことはないよな…… 俺は無言で答案を受け取ると、点数の代わりに先生を凝視しながら席に着いた。 教師の顔が赤らんでいたのは何故だろうか。「よう、ハル」「ふんっ、やな感じ!また満点だからって調子に乗ってんじゃないわよ!それに気安く名前で呼ばないでくれる!あんたに言われると余計むず痒いわ!!」 また訳の分からんことをのたまいやがる。相当機嫌でも悪いのか? 触らぬ神に祟りなし(こいつの場合本当の意味で)と言うが、今回は突っ込んでみる。「お前、何言って……る……………………………………あー……」 …………声変わり?「あーあー」 ……この年で?しかも1オクターブ高めに? って、そういやハルヒ……「ハルヒ、背伸びたか?」「はあ!?あんた何言ってんのよ!いつもと口調も違うし…………もしかして……あんた……宇宙人に浚われて改造されたんじゃない!?ガリ勉が改造される、こんな悪に満ちたストーリーは無いわ!」 眩暈がした。 こいつのパラダイムがどうなっているかは知らんが、冗談を言っているようには聞こえない。 恐る恐る、答案用紙を確認する。 藤岡ハルヒ 100点 マンマミーア。今回の事件も超ド級らしい。
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