『親友』の演技
そっと、いつもより強く、でも気付かれないぐらいに腰に回した手に力を込める。頬を撫でる風は冷たく鋭かったので、彼の背中に頬を寄せる。今日で、最後。だから少しでも彼の温もりを強く感じたかった。そんな二月下旬、夜の帰り道。いつものように彼の運転する自転車の荷台に私は座っていた。今日で塾の講習は終了し、後は受験の日を待つ、ということになっている。キョンは後期を受験するので、試験は来週だそうだ。
「こんなに寒いのに、わざわざ往復する必要はもうなくなる
な。」
ふと、自転車を漕ぎながら彼がこぼす。塾がもうないのだから、このようにキョンが送り迎えしてくれることもないのだろう。
「確かにその通りだが、かと言って勉強しなくていいという訳ではないからね。せっかく身につけた学力も怠けてしまえば無駄になってしまう。」
私の『僕』はあくまで冷静にそう返すだろう。そう考え、いつものように演技する。
「受験まであと僅かだ、それまではその学力を維持してくれよ。でなければ僕の補習どころか、君の時間、それどころか親御さんのお金さえ無駄になるからね。」
冷淡に言葉を返す自分はなんだか自分じゃないような気がした、いや、その通りなんだろう。彼に気づかれないように取り繕った自分。だが、いつからか彼には『私』として接していいと思うようになっていた。実際にそうしようとした。本当の自分を見てほしい、少しでも私を女として捉えてほしかった。でも、できなかった。壊したくなかった、この関係を。君は私にとって大事になりすぎてしまった。賭けをするのはあまりにも恐怖が大きかった。「それはぐらいわかってるさ。佐々木には本当に感謝してる。お前がいなかったら俺はどうなっていたかわからんな。」彼にとっては何気無い感謝の言葉なんだろう。でも彼のその言葉が、なんだか別れの言葉のようで、悲しくて、私は返事が出来ない。「少なくとも受験まではもたすからさ。」バス停が近づいて来た、もうすぐこの背中ともお別れ。「僕としては受験まで、と言わず永久に維持してほしいがね。」私が教えてあげた、それを。「わかってるだろ?俺なんて一時的に詰め込むのが限界さ。」相変わらず鈍い・・・、いや、私が悪いのだ。素直に言えばいいのに。「よし、着いたぞ。」遂に終わってしまった、最後の帰り道が。まだバスは来てないらしく、静かだった。と言ってもこのバス停から乗車するのはいつも私だけなのだが。このままキョンにしがみついてるわけにはいかない。彼の背から離れる、腰に回していた手を離す、荷台から降りる。その一つひとつが、私の心を引き裂いていく。でも、まだ泣けない。どうやら彼は今日に限ってバスを一緒に待ってくれるらしい。隣に並ぶと寒そうに身を縮めた。ホントに、何で今日に限って・・・。「今日の今日まですまなかったね。おかげでなかなか有意義な通塾を楽しめたよ。」前を向いたまま話しかける。「ああ、これくらいお安いご用だ。」彼の顔を直視出来ない。だから彼の表情はわからないが、少しトーンが低かった。キョンの顔を見たら泣いてしまうかもしれない、想いの丈を伝えてしまうかもしれない。その事であと僅かになってしまった学校生活でさえ彼と居れなくなるのは耐えられない。でもこのままお別れは辛い、だから・・・「非常にあつかましい頼みなんだが、その荷台・・・君の後ろを空けておいてくれないか?僕のために・・・。」これが私が頼んでいい限界だ。「わかった。乗りたくなったらいつでも言えよ。」彼としては大したことない頼みだったのだろう。だけど、今は彼のその鈍感さに救われている。下手をすれば告白ともとれるさっきの言葉が、その通りに捉えられてしまったら、私の最後の願いさえ叶わなくなってしまうところだった。
「そうか、ありがとう。」
それきり、互いに黙ってしまった。バスが来るまでそう時間はないだろう。私の何かが焦る。人は一つ願いが叶うと、他も欲しくなると聞いた事があった。伝えたい、貴方に知っておいてほしい。もうきっと二人になれる時間はないから・・・、これで最後だから・・・。気持ちが暴走し、言い訳が浮かび、焦りに拍車をかける。
今言わなければきっと後悔する。
私の中の何かが飛んだような気がした。私は既に市外への前期の推薦が決まっている。どのみち彼とは離ればなれになるから。「キョン」「何だ?」彼と向かい合う。顔を見上げる。眼と眼が合う。そっと紡ぐ。「僕――いや、私は・・・」本能が、想いが、理性を吹き飛ばした。彼の眼が少し見開かれたような気がした。「私は、貴方の事が・・・」声が出ない。伝えたいのに、ここまできて言葉が出ない。でも、もう引き下がれない。流石のキョンも状況を理解しているらしく、彼はただ黙って私を見ている。私は口をパクパクするだけで、声がうまく出なかった。「わ、私は・・・、す・・・、す・・・―――っ!!」目の前が真っ暗になった。でも温かい、そして男の子の匂いがした。―――キョンに抱き締められていた。いつまでもウジウジしている私を見かねたのかもしれない。「お前が言いたいことは・・・、わからないでもない・・・。」正直、あまり驚いてなかった。驚愕より安堵の方が大きかった。強張っていた身体から力が抜けていき、呼吸が整っていく。ここで気付いたことがある。キョンとは、会話を交わすだけでなく、こうやって身体を寄り添わせるだけでも安らぐんだなぁ、と。
生まれて初めて、男の子に抱き締められていた。
「だがな・・・」おもむろにキョンが口を開く。「どうして、もっと・・・、早く言って・・・くれなかったんだ?」キョンの声は震えているような気がした。「俺だって・・・、佐々木が・・・」私は戦慄した。自分が感情に任せてとてつもない失態を犯したのを、今更気付いた。キョンがこの後言うであろう言葉は、容易に想像できる。歓びが身体中を駆け巡る、でも・・・。私がキョンの心の負担になってはいけない。キョンは責任感が強い。きっとここで互いの想いを交わし合ったら、キョンは最後まで私の事を想い続けるだろう。もしかすると、そのプレッシャーで受験にすら失敗してしまうかもしれない。当然の考えに、皮肉にも抱き締められた事で安堵し、冷静になった私が追いついた。それだけは・・・、避けなくてはならない・・・。「キョン」上半身をキョンの胸から離し、その顔を見る。彼の顔には涙が浮いていた。きっと君も堪えていたんだな。話を中断され、悲しそうなそうな顔で、涙を湛えながら見つめるキョン。そんな顔に意志が揺らぎそうになる。でも、いけない。君の人生をこんなつまらない女に狂わせるのは駄目だ。狂うのは私だけでいい。私が悪いのだ、私が素直にもっと早く君に伝えればよかった。あるいは君と関わらなければよかったんだ。諦めれば、よかった。
何度も諦めようとした、でもできなかった。時間はどんどん過ぎていった。最後の手段として、キョンと離れるために市外の、キョンとは遠い進学校を選んだ。だが、既に遅かった。キョンの想いは深くなりすぎてしまった。無論、私も。
自分から告白しようとしてこれは酷かもしれない、でもキョンには真っ直ぐ歩いていってほしい。私なんかのために道を曲げてはいけない。愛する貴方が迷わないように、その瞳が濁らないように、その意志が折れないように。だから、私は身体を離し「くっくっくっ、どうやら成功らしいな。」貴方のために、演技をする。「・・・?何のことだ?」「僕から君へのサプライズさ。どうだい?上手かっただろう、僕の演技は?」キョンは豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。・・・大丈夫、まだ話せる。「役者の道を目指してもいいかもしれないね。将来の候補として考えておこう。」「おい、ささ――ー」「一年間の運賃の代わりとなれば有り難いのだがね。」キョンに反論の余地を与えては駄目だ――今の自分には彼を言いくるめる程の思考力は残っていない。「俺は本気で―――」駄目だ。「君は恐らく女子から告白を受けたことはないのだろう?ならたとえ演技といえど、それなりの価値があったと思うがね。如何だったかな?」「何を言ってるんだよ、おま―――」駄目だ、ダメだ、だめ、だ・・・。「これで満足してもらえないと言われても、僕はもう考えがないな。だから」
「――あきらめてくれ」
最後の一言には少し間を空けて、やや強める。
勘のいいキョンは、私が込めた意味に気付いたらしくだまりこむ。しばしの間を置いて、「わかった」キョンは悲愴な声で、呟くようにそう言った。何がわかったかなど、訊くまでもない。私の涙の意味なんてわからなくていい。だから私は話を続ける。「それはよかった。ところでキョン、君は先程何を言おうとしてたのかな?」君が汲み取ってくれるのを祈る。「ああ・・・・・・。いや、何でもない・・・。」そう、これでいい、これでいいんだ。「そうか。・・・おや、どうやらバスが来たようだね。」君とのピリオドを報せにね・・・。バスはゆっくりとバス停に入って停車し、大型車両特有のブレーキのガスが抜ける音と共にドアが空く。それは僕にとっては冥界の扉のようだ。君のいない世界に光はないだろう。「それじゃあ、キョン。また明日、学校で。」明日、君と同じように話せるのだろうか、君と笑い合えるのだろうか。「じゃあね」それは、まさしく別れを告げる言葉。「ああ、じゃあ、な・・・。」バスに乗り込む、死刑台に登る死刑囚のように。その背中にキョンが叫びかけてきた。「また明日・・・。また、明日な!!また、まただぞ!!」あぁ・・・、君はいつでも私を救ってくれるんだね・・・でもその優しさがまた私の心を締め付けるんだ・・・「俺達・・・親友だろ!?」そうか・・・、『親友』か・・・。君の覚悟と、想いが私達の関係を、私の役割を『親友』へと昇華させてくれるのなら・・・、私はそれで十分・・・。「うん・・・、僕達は、親友だ。それなら・・・、また、明日。」とめどなく涙が頬を濡らす。キョンの顔も涙に・・・視界がぼやけて見えないや・・・、もう私の愛しいキョンは見えない。次に見るときは『親友』だから・・・。大丈夫、明日はきっと笑い合える。きっと君を見れる。ドアが閉まっていく。キョンと、私の、繋がりかけた糸を断ち切る。キョンはその場に立ち尽くして、ただただ肩を震わせている。最後に・・・、キョンを愛する女として言わせて・・・。「大好きだったよ。キョン。さよなら・・・、私の愛しい人・・・」この言葉が届いたかはわからない、だがキョンは頷くと何かを言っていた。何を言っていたのかはドアに阻まれてわからなかったが、でも、彼の唇の動きは・・・。 「オ・レ・モ・ス・キ」
バスが、発車する。彼との距離を引き離す。永遠に、埋まらない距離。キョンが遠ざかり、後ろに離れていき、そして夜の闇に呑まれていく。バスに他の乗客がいなかったのは幸いだった。膝が震え、立っていられなくなりうずくまる、そしてひたすらむせび泣く。さよなら、さよなら・・・。さよなら、私のキョン・・・・・・。―――――――――――――――――――――
結局、その後受験の慌ただしさに彼と話す機会はなかった。―――彼の荷台はまだ空いていたらしいが、もう私には乗る資格はない。いや、その資格があったのは今の『親友』の私じゃない。卒業式の日は家で一人で泣いた。それと彼はなんとか県立高校に合格したらしい。これは非常によいニュースで、恐れていた事態にはならなかったということだ。これは本人から直接聞くことはなく、友人から聞いたがね。高校に入学してからは彼の事を忘れるように勉学だけに尽くしていたから、憂鬱この上なかったよ。一年たった今も、塾の夏期講習の日程を見て憂鬱になっていたところだ。でも、まだ演技は続けてるよ。
ああ、そうだ、この間駅前でかけがえのない友人に会ったんだ。親友に。確か春休みの頃だったかな。彼は中学の卒業式の時からあまり変わっていなくて少し安心した。いつの間にか自分の知らない親友になっていたら悲しいからね。
彼との久しぶりの会話は非常に楽しいものだった。聞くところによると、彼は高校でサークルに入っているらしく、その表情は生き生きしていた。本人は無理矢理入らされていい迷惑だ、と言ってはいたがね。
その時彼はそのサークルの集まりに向かう途中だった。集合場所は駅前で、僕は塾に向かうために電車に乗るつもりだったから都合がよかった。私はあの無気力な彼を、あんなに生き生きさせるような活動はどのようなものか気になった、だから同行させてもらうことにし、彼の隣で歩いた。『親友』としてね。
集合場所に着いてみると、そこには四つの人影があった。一人は男性で、彼より背が高く、美少年と評していい顔立ちだった。だが他三人は女性で、童顔で愛くるしいというイメージがぴったりな子。休日なのになぜか高校の制服を着た小柄な子。そして「遅刻とはいい度胸ね。あんだけ言っているのに最後どころか時間オーバーするなんて、春だからって怠けてるんじゃないの?キョン。」私の親友に一番に声を掛けた、黄色いリボンの付いたカチューシャの子。この子は聞いた事があった。確か、凉宮ハルヒだ。正直、女の私から見ても、三人とも美人と言っても相違ない。でも彼は怒られているのにも関わらず、どこか優しい目で凉宮ハルヒだけを見ていた。ははぁ、成程。君が生き生きしている理由はコレか。柄にもなく笑みが溢れる。でも、心のどこかがぽっかり空いてしまったようだった。――涙を溢すわけにはいかない、『親友』にそれは許されないから――
話終えたらしい凉宮ハルヒがこちらに目を向けた「それ、誰?」その視線には明らかに敵意、あるいは嫉妬がこもっていた。あたしのキョンを盗るな、ってところかな?大丈夫、私は盗らないわ。私にその役割はないもの。「ああ、こいつは俺の・・・」――私は、キョンの「「親友」」だからね。
涙は、溢さなかった。
END
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