眠たくあるけど貴女を見てる
さて、どうしようか。学校に忘れ物をしてしまったぞ。谷口じゃあるまいし、こんな事をするなんて情けない話だな、畜生。取りに行くしかないんだろうけども俺には一人で行く勇気なんて当然ある訳がない。うむ、どうしたものか。・・・よし、あのお方しかいないな、こういう時には。若干気が引けるが、まぁ、会いたいって気持ちもあるし、許して欲しい。俺は甘え過ぎかね、もしかして。あ~。困ったものだね。 眠たくあるけど貴女を見てる ~眠たくない@プリン~ 電話帳の中から名前を探してキーを動かす。あ行、か行。か、き。喜緑さん。その番号にあわせて通話ボタンを押し、呼び鈴が鳴り出して、それを合図に彼女が出るのを待ち始める。一秒も長く感じる、この時間。早く貴女の声を聞かせて欲しいなんて言ったら笑われるかもしれないな。『もしもし』出た。心が巨大な石が上から転がり落ちたようにふっと軽くなり、落ち着くのを自分でも感じる。これだ。これが聞きたかった音色だ。「喜緑さん。今から会えませんか?」『今から・・・ですか?』困惑の色に声を染めるのが解る。そりゃそうだ。こんな時間に会おうなんて言うのだから当然だな。しばらくの沈黙。なんて重いんだろう。エアーズロックが上から俺を押し潰しているような緊張だ。ノーと言われれば更に上からエアーズロックがもう一個落ちてくるんだろうな。『解りました』答えはイエスだった。良かった。「じゃあ、学校で待ってます」俺はそう言って電話を切った。そしてすぐに家を飛び出して学校へと一足先に到着しようと急いで自転車を漕いだ。あの人を待たせる訳にはいかない。俺が待ってあげないとな。 ・・・・・・・・・・。 校門の前で待つ事何分経ったのか自分でも把握していないが、やや急ぎすぎたという事は実感できるぐらいの時間が経過している。自分でもやった事のないぐらいのスピードを出してここまで来たからな。いつも通りにくれば良かったか、なんて事を思いながら空を見上げていると、「キョンくん」という声が鼓膜を振るわせた。目線を動かせばこちらへといつもの笑顔で駆け寄ってくる喜緑さんが見えた。思わず頬が緩んでしまう。俺の為に来てくれたという自己満足で。わざわざ来てくれた人に対して酷い話だな、と自分で自分を責めておいた。「すいません、喜緑さん。こんな時間に」俺はそっと頭を下げて言った。まずはお礼からだな。「いえ。どうしたんですか、いきなり」当然の疑問だよな。さて、何て返そうか。・・・そうだな。「ただ、会いたくなっただけですよ。強いて言えば・・・一緒に学校忍び込もうと思いまして」・・・我ながら筋が通ってない嘘だな。バレバレだろ、これは。「学校に、ですか?」「はい。どうもそういうガキっぽい事してみたくなって」ちょっとの間が空いた。そして、一言。「何か、隠してません?」うん、やっぱりバレてるな。「何を隠していますか?」更に一言を突っ込まれる。あぁ、もう駄目だ。隠す事は出来なくなったという事実に俺は真実に話すしかないなと実感したのだった。「・・・じつは、忘れ物しまして・・・しかし、学校に一人で入り込むのは恐ろしく・・・」「そこで私に頼んだわけですか?」ちょっとだけムッとした表情になってるのは決して俺の気のせいではないだろう。どうやらやや怒らせてしまったみたいだ。うん、これは非常事態宣言を出すべきだな。「えぇ・・・すいません。こんな事で呼び出して。イヤなら一人で行ってきます」俺がそう言うと、ふと喜緑さんは笑顔を浮かべた。「仕方ないですね・・・ここまで来たんですから一緒に行きますよ」「ありがとうございます」この人の優しさに感謝だな、本当に。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 夜の校舎というのは結構暗い。まぁ、当然と言えば当然だな。見慣れている風景とは朝と夜の差だけで違った光景に見えて、印象が相当違う。だからなんだろうな。人々が深夜の学校で幽霊が出るだのなんだの言い出したのは。うん、正直に言おう。怖い。「あ、俺の教室ここです」携帯のライトで照らされた教室の扉を開く。中に朝倉が居るんじゃないだろうか、等という変な不安があるのは夜の魔力のせいだろうか。あぁ、きっとそうだろう。夕日に照らされた教室の方がその不安はでかくなるだろうけどな。「それにしても暗い学校ってだいぶ印象が違いますね・・・」だが、その差が楽しいのは否めない。飽きた光景より、新鮮さ。やっぱりそうなんだろう。人間というのは飽きを何よりも嫌っているのだと思う。だからこの新鮮さを楽しいと感じているのだろう。それがこのワクワクの原因だ。喜緑さんの存在も理由の一つではあるけどな。「そんな中、これだけで帰るのはもったいないと思いませんか?」ふと喜緑さんが思いついたように言った。「と、言いますと?」「お茶、飲ませてくれませんか?」あぁ、なるほど。 ・・・・・・・・・・。 SOS団の本部、こと文芸部の部室の鍵を喜緑さんに開けて貰う。鍵が無いからこうでもしないと開けられない。もし俺の力で開けるとなると扉をぶっ壊してしまう。「不思議の国へようこそ、アリス」先に入って俺は大仰にお辞儀をして喜緑さんを中へと導いた。こういう演出は正直言って臭いと自分でも自覚しているし、凄く恥ずかしい。ポーカーフェイスで凌いでみせるさ、俺よ。「失礼しますね、チェシャ猫」おやおや、乗っかってくれました。うん、有難い。それと同時に嬉しい。「温まるまで少しお待ちを。朝比奈さんのほど上手くは注げませんから期待しないで下さいね」「期待して待ってます」ん~。期待されても俺にその期待と等価の出来栄えのお茶を淹れられるかどうか。努力はするだけしてみようか。よし、大好きな人の為に頑張るぞ。「SOS団本部に来るのはあの日以来ですか・・・」ふと喜緑さんが呟いた。その言葉で回顧する。あの日。初めて気持ちを伝え、キスした日。そして、思いが重なった日。「びっくりしましたよ。貴女一人で来るとは思いませんでしたから。しかも、俺を見たくて来たって言われるし」「びっくりさせちゃいましたか。それはそれは失礼しました。あ、そうでした。膝枕ありがとうございました」だが、言われた言葉にどれだけ喜ばせてもらったことか。「いえいえ。膝枕といえば・・・ギリギリでしたね、あの時」「そうですね・・・くすっ」喜緑さんは笑みを漏らした。今思い出すだけでも物凄くギリギリだった。じつに絶妙なタイミングだったと思う。ズンズンというアイツの足音がして、慌てて二人とも立ち上がって少し離れたと同時にハルヒが入ってたんだよな。それで喜緑さんの事をじろりと睨み付けて「何の用?」って物凄い殺気立たせてたな。その後に目の前で世間話が展開して安心したのを覚えてる。少しは打ち解けただろう。「あ、キョンくん。お湯が沸くまでもう一回膝枕してくれませんか?」突如の懇願ではあったが、それに応えるか否かなんてすぐに決まった。もう条件反射の域を超える即決だ。「えぇ、良いですよ」俺は給湯器が沸騰を開始したのを確認して、適当な場所で頭を受け入れるべく正座をした。「どうぞ」そして、誘う。「失礼します」膝に重みが掛かるが、嫌ではない。「あの時はいきなり膝枕を要求してすいませんでした」下から俺を見上げて喜緑さんが言う。「いえ、お気になさらず。喜緑さんの温もりを堪能できましたから五分五分です」俺がそう言うと、ちょっと恥ずかしそうにはにかんだ笑顔を見せてくれた。「そうですか・・・。ちょっとだけこのまま寝かせてもらって良いですか?」「良いですよ。お湯が沸いたら起こすので構いませんか?」「はい」「解りました。それまでお休み、大好きな人」「えぇ、おやすみ、大好きな人」あの日と同じように、俺の膝でゆっくりと目を閉じていく。つられて俺も眠たくなるが、目を閉じる時間が惜しい。お湯なんてすぐ沸いてしまうが、それもまた惜しい。だからこの感触を堪能しよう。その為に今は時間を気にせず、この人だけを見つめていようと思う。 なぁ、そうだろ?
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