平穏な冬の日
コンコン。 いつものようにノックをする。「どうぞ」 その返答を受けて、俺は文芸部室に入った。 1年先輩の喜緑さんが、メイド服を着ていつもの定位置で分厚い本を読んでいた。表紙の文字を見ても、何語なのかすら分からない。 ふと視線を移せば、これまたいつもの位置に古泉が座っていた。既に碁盤を広げて、やる気満々である。 しょうがない。相手してやるか。 俺と古泉が碁石を打ち合っているところに、喜緑さんが紅茶を持ってきてくれた。 俺と古泉が礼を述べると、彼女は穏やかな笑みを返してくれた。 さっそく一口。彼女が淹れる紅茶は、その辺の喫茶店の紅茶なんかよりはるかにうまい。 まったりと、時間が流れていく。 しかし、そんな穏やかな時間はわずかばかりであった。 バン! 勢いよく扉を開いたのが誰かなんて、いまさらいうまでもないだろう。「さぁ、今日はミーティングをやるわよ!」 ホワイトボードに張られたノートの切れ端には、次のように大書されていた。「SOS団、冬の合宿第二弾 in 南極!」 おいおい、ハルヒよ。 今度は、南極で遭難するつもりか?「南極ですか。ちょうど僕の知り合いに南極観測隊の隊員がおりますので、その方に頼んでみましょう」「さすが古泉くんね。今回も頼んだわよ!」 待て、古泉。おまえ、本気で行くつもりか!? 誰か止めてくれという願いを込めて喜緑さんの方を見たが、彼女は我関せずとばかり読書に没頭している。 結局、ストッパーは俺しかいないわけだ。 暴走するハルヒとそれをあおるばかりの古泉を俺が何とかなだめたころには、時間はすっかり夕方になっていた。 喜緑さんが本を閉じる音を合図に、団活は終了。 彼女が制服に着替えるのを待ってから、集団下校だ。 この季節、夕方ともなるとすっかり冷え込み、小雪が舞っていた。 俺の前では、ハルヒと喜緑さんが会話をしている。ハルヒがまくしたてるセリフに、喜緑さんが適当に相槌を打っているだけだがな。 俺の隣を歩いているニヤケハンサム野郎は、今日は珍しく話しかけてこない。 北高に入ってから二年目の大晦日を迎えようとしている。 二年生になってからの日々は、割合平穏だったといえるだろう。 相変わらずハルヒが豪快に俺を振り回してくれるが、超常現象の類にはすっかり疎遠になっていた。万能宇宙人の喜緑さんや、地域限定の超能力者である古泉が妙に活躍するようなこともなかったしな。 古泉がいうにはハルヒもすっかり安定しているようだし、すべてがうまくいっているといえるのかもしれない。 一年生のときには、いろいろとあった。 入学して早々、ハルヒと二人きりでの閉鎖空間のことは、いまだに俺のトラウマだ。 喜緑さんのありえざる力による野球大会での勝利。 喜緑さんが時間をさかのぼる能力まで持っていたことが判明した七夕の夜。 喜緑さんがあっさり解決してみせた無人島の別荘での殺人劇。 延々と繰り返す夏の2週間。 映画を撮ろうとしただけなのに、俺の目からレーザーが出たり、秋に桜が咲いたりして、てんやわんやだった文化祭前の日々。 忘れもしない、喜緑さんの暴走でハルヒを失ったあの冬の日の出来事。あのときは、本気で焦ったぜ。 中学時代の知り合いが、喜緑さんにひとめぼれして、病院送りになったりもした。 冬の雪山では、原因不明の遭難。 2月には、山をほじくり返して、チョコを掘り当てたりもしたな。ついでに、謎のオーパーツも見つけてしまったが。 このようにいろいろとあった一年目だったが、二年生になってからは、平穏だった。 そろそろ喜緑さんや古泉の敵対組織でも出てくるかと思ったが、そんなこともなかった。まあ、あの二人のことだから、そんな奴らがいても、表に出てくる前に始末してるのかもしれんが。 ハルヒ団長先導の下、SOS団の四人で過ごしていくのも、すっかり日常のことになってしまった。 女友達が皆無だった中学時代の俺からすれば、想像もつかない日常だろうな。 現に、谷口がむやみに羨ましがりやがる。どっちと付き合ってるんだなんて訊いてきやがるしな。 どっちとも付き合っちゃないっつうの。ハルヒは願い下げだし、喜緑さんは高嶺の花さ。どちらとも友人ぐらいがちょうどいいんだ。 俺は、今のSOS団の輪を崩したくはない。 やがて、別れ道にさしかかり、四人は分かれた。 帰り道の途中でふと振り返ると、さっきのところで喜緑さんが立ち止まっていた。 ただじっと、空から舞い落ちる雪を眺めている。 俺は、来た道を舞い戻った。「どうしたんですか? 喜緑さん」 喜緑さんは、こちらに向けて微笑んだ。いつもの微笑ではなく、どこか悲しげな感情を隠そうとするかのような微笑だった。「ふと昔の友人のことを思い出しましてね」「はぁ、友人ですか」 彼女が自らの手で消し去った朝倉のことだろうか。 俺がそんな憶測をめぐらしていると、喜緑さんは唐突に質問してきた。「もしも、あなたの大切な仲間や友人を犠牲にした上でのうのうと生きている人が目の前にいたら、あなたはどうします?」 いきなり何を言い出すのだろう。 またエラーが蓄積して暴走したりしないだろうな。「たとえば、敵対する者たちを壊滅させるために、同じ部活に属する愛らしくて努力家な女性の先輩や、頼りになる寡黙な同級生の女性や、中学時代の親友だった知性豊かな女性を犠牲にして、その上であなたからその記憶を消去し改竄して、のうのうと生きている人が目の前にいたとしたら、あなたはどうするでしょうか?」 やけに具体的だ。そんな女性たちが俺の仲間や友人だったりしたら、谷口がますます羨ましがるだろう。 まあ、それはともかく、俺の答えは決まっていた。「そんな奴がいたら、全力ではっ倒してやりますよ」「その相手が、絶大な力の持ち主だったとしてもですか?」「ええ。そんなのは関係ありません。いざとなったら、ハルヒの力を使ってでも、はっ倒してやりましょう。ハルヒの力を使えば、犠牲になったその友人たちも救えるかもしれませんしね」 「そうですか。やっぱりそう考えるのが当然なのでしょうね」「いきなりそんなことを訊いてきたりして、いったい何なんですか?」「人間の思考の研究するためのデータ収集です」 喜緑さんは取ってつけたような言い訳を述べると、足早に立ち去ろうとした。 俺が思わず呼び止めようとしたところで、立ち止まる。「私の昔の友人に同じ質問をしても、きっとあなたと同じ答えが返ってきたでしょうね」 喜緑さんは、唐突にそういい残すと、今度こそ足早に立ち去っていった。 何だったのだろう。 今の喜緑さんは、明らかにおかしかった。 まあ、深く考える必要はないのかもしれない。 あの様子からすれば、エラーが溜まっているというわけでもなさそうだしな。 俺はそう割り切って、家路についた。終わり
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