キョンは別れを惜しむようです
ハルヒが部屋から出て行って、もう二ヶ月がたっていた。その間、俺はいったいなにをして過ごしていたんだろう。朝食を作り、ゴミ出しをして、会社に行って、ヘトヘトになって帰ってきて、晩飯を作って……それで面白くも無いテレビをぼんやりと眺めながら酒を少しだけ飲んで、風呂入って寝る。そういう生活を続けていたわけだ。ハルヒは出て行くとき、自分の荷物の一切を持っていったから部屋には俺の荷物だけが残った。思ったりよりも少ないな……なんて思ったのも、もう秋の始まりのころの話だ。まったく、年は取りたくないね。俺とあいつが知り合ったあの頃は、一日一日が長くて、楽しくて、輝いていたんだが。今じゃ…日記に書く内容なんてまったく無くなっちまった。そもそも日記なんてつけていなかったがね。ハルヒが出て行ったあと、俺は押しつぶされそうな空虚感を紛らわすためただ働いた。ただただ、上司に心配されても、同僚に栄養ドリンク渡されても、ただ働いた。そうして、倒れたんだ。起きたとき、初めに考えたのはハルヒが居たら、ということだった。情けない。関係が消滅してからその時で約二ヶ月たっていた。普通だったらもう新しい恋なんてものを開始してる時期だろうに。病院のベッドの上で、俺は初めて泣いた。ハルヒをみすみす失った己の愚かしさに。そうして、上司からしばらく休めと言われた。期間は三週間。なぜこんなに長い期間休めるのかというと、俺が倒れるまでの間に成功させたプロジェクトが会社の利益に極めて多大な貢献をしたそうだからだ。興味は、無かった。上司からキミが出世筆頭株だ、と言われても俺はただはぁ、としか返せなかった。点滴のチューブを見つめながら、考えた。俺はいま何のために生きてるんだろうなんてことを。ハルヒが別れた理由は分かる。俺が仕事ばっかりでろくに相手をできなかったし、家にいる間は疲れをとることにのみ専念していたからだ。それに……ハルヒがそのことで深く悩んでいるのを知っていながら知らない振りをし続けていた。ハルヒはそのことを知っていたんだ。出て行くときのハルヒの言葉。いまでもまだ、耳に残ってる。「ありがと、楽しかったよ」。俺はなにも言い返せなかった。いや、言い返す権利をもっていなかったんだ。部屋の鍵を俺に渡して、あいつは出て行った。まあいい、今更後悔しても遅いことだ。さて、今日は久々の休みなんだからどっかに行こうかね。そうだ……学校に行ってみよう。なんだよ、結局ハルヒのことを忘れられてないじゃないか俺は。自嘲気味な笑みがもれる。なんだかんだで俺はまだハルヒのことが好きなんだろう。だからこうやって俺とハルヒの出会ったところに行こうとするんだ。いや、それだけじゃないさ。学校への道は運動不足の俺に良い運動になるし、SOS団アジトを覗いてみるのも一興だ。それにハルヒの能力は失われてる。もう世界を改変したり、地軸をずらすなんて事はできない。だからこそ……長門も、朝比奈さんも、古泉も俺たちの前から姿を消したんじゃないか。友達を作るのが下手なハルヒにとって、俺は唯一の社会とのインターフェースだったはずだ。いまあいつは、どこで、何をして過ごしているんだろう。もう新しい誰かと付き合っているんだろうか……。ああ、ちくしょう……またハルヒのことを考えてる。 学校への道は、予想通りきつい。高校時代の俺はこんな道を毎日毎日あるいていたのか。すごいな過去の俺よ。道半ばのところで肩で息をするようになっちまった。いつの間にやら…こんなに時間はたってたんだな。今日が晴れていて良かった。これで雨だったら帰ることもままならなかったぜ。12月の空気はもう冬にふさわしい寒々しさを湛え、時折吹く風もひどく冷たい。まるで南極のブリザードのように…なんて、高校時代の俺だったら表現しただろうか。残念ながらいまの俺にはそんな形容詞を考えるほど、会話に力を入れていない。ただ、情報を交換できれば十分に事足りる。やれやれ……まったく遠いな…。坂の上に見えるというのに一向に近づかない。誰かが、となりに居ればもっと足も軽くなるんだろう。だが、俺のとなりには誰もいない。ふぅ………あの三人は、いまどこで何をしているんだろう……古泉は、俺との最後の会話でこういった。「あなたに涼宮さんの全てをお任せしますよ」――――わかった。「能力が無くなったとはいえ、長い時間を共有してきたのですから、それだけあなたを信頼しているんですよ」――――お前がか?「もちろんです。他の二人もそうですよ。あなたを信頼しているからこそ何も言わず消えたんです」――――ハルヒは悲しんでいたぞ。友達を三人も失っちゃったってな。「それは仕方の無いことです。未来に帰らなくてはならない人。もう一人は人ですら無かったのですから」――――確かに、な。だが……「それ以上は言っても意味の無いことですよ。二人はもうこの世界に存在しません」――――お前はどうするんだ?「普通に就職することになるでしょうね。機関に手を貸していた軍系のところから来ないかと言われてまして」――――そうなると、もう会えないかもな。「おそらくはそうなるでしょう。任務が任務ですから」――――人を、殺すのか?「……ご想像にお任せします。では、これで。涼宮さんにもよろしく伝えておいて下さい」――――そうか。……さようなら、だな。「はい。さようなら」そう言ってあいつは消えた。一度もこちらを振り返らずにどこからともなく現れた黒いセダンに乗って。もう、二度と会えないと、強く確信した。それでも構わないとその時は思っていた。ハルヒと二人で生きていけると思っていた。だが今の有様を見てみろ。はははははは………やっと着いた。懐かしい校舎が目の前にある。もうすっかり忘れてたな……何年も来ていなかった。校庭で部活をしているサッカー部と、それを眺めている女子生徒の光景もあのときと変わっていない。太陽が橙色に染まってきている。もう夕方らしい。腕時計を見てみるとまだ午後4時だ。そうか…もう冬なんだな。そういえば、影が長い。「ちょっとキョン!! 早く来ないとおいてっちゃうわよ!」後ろを振り向いても、誰もいない。だが、そこには夕陽に照らされた高校時代のハルヒがいたような気がした。怒ったような、それでいて楽しそうな笑顔で俺に手を振るハルヒ。たまらなく懐かしい。もう一回やり直しが効くんなら俺はもう失敗なんてしない。ハルヒを支えてみせる。はあ………SOS団旧アジトでも行くか。ところで、部活棟ってまだ残っているのだろうか。耐震性とか考えてなさそうだったからもしかして閉鎖されてるかもな。どうだろう……まだ、残っているといいが。校舎を横切り、部活棟前に着くと、そこはやけに暗い。もしかしてもしかするぞ…お、誰か居るな。「すいません」俺が声をかけたら、その影は驚いたようにこちらを見た。「誰だいアンタ?」用務員、か……「ここの卒業生でして。部活棟を見てみたいと思いまして」「さっきもそういう人が来たんだよね。まったく…じゃあ鍵渡しておくからあとで職員室に置きに来て」そういって鍵を俺に渡し、彼はシャベル片手にどこかに行ってしまった。こんな管理でいいのかよ。俺がもし悪い人間だったらどうするんだ。まあ、悪さをする気は毛頭ないから良いんだが。さっきも人が来たと言っていたな。部活棟というくらいだから、もしかしてコンピュータ研究部のやつらかもな。部活棟のなかは相変わらずの壁の薄さからか、外とそんなに変わらない寒さだった。まったく…断熱材くらいいれてやれよ。階段をゆっくりと上って、SOS団の扉の前に立つ。扉を開けると、そこには夕陽に照らされたハルヒがいた。背が伸びたはずなのに、一瞬、あの頃のハルヒにダブって見えた。こっちを向いたハルヒは、微笑んだ。「ハルヒ……」「久しぶり、キョン」夕陽の影が、ハルヒの美しさを際立たせているような気がする。「やっぱり、ここに来ると思ってたんだ」ハルヒは、寂しそうに笑う。なんだか似合わない。「俺は、まさかここにお前がいるとは思わなかったよ」「なんなく、来てみたくなって」「俺もだ」「どうだった? この二ヶ月」そんなこと決まってる。「死んでたようなもんだったぜ」少し俯いて、ハルヒは笑った。「こっちもね。時間を消費するだけの毎日だったわ」窓のそとを眺めている。夕陽はあと30分もしないうちに沈むだろう。「ハルヒ。俺は……」俺の口に指をあてて、ハルヒは言った。「だめ。それは私のセリフだから私から言わせて」そしてハルヒは俺の唇を、自身の唇で塞いだ。ああそっか、まだ俺はやり直せたんだな――――よかった―――― ハルヒ――――ありがと
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