クリスマスイブ、独り身の女二人
クリスマスイブ、独り身の女二人 川沿いの桜並木。 朝比奈みくるは、ベンチに座って、空を眺めていた。 空からは、ふわふわと雪が舞い降りてくる。 この時間平面はいわゆるクリスマスイブ。 そんな日の夜に、こんなところにいる人間は多くない。一般的にいえば、桜は春に愛でるものだ。 彼女がここに来たのは、特に理由があるわけでもなかった。この時代に遡行したときは、許される限りは、ここに来ることが習慣化している。ただ、それだけのこと。 あえて理由をつけるなら、ここがとても思い出深い場所だから、とでもいうべきだろうか。 彼女の今回の任務は既に完了している。部下たちは、原時間平面に帰還させた。 彼女がこの時間平面に無駄に滞在することが許されているのは、組織内での彼女の地位が確固たるものであり、多少のわがままが通るからにほかならない。 ふと見ると、人影が見えた。徐々に近づいてくる。 探知デバイスが、その存在を人間外だと提示してきた。物体識別パターン、TFEIコードネームNとの一致率97.23%。 その姿がはっきりと識別できるほど近づいてきたところで、朝比奈みくるはこう話しかけた。「お久しぶりです、長門さん」「久しぶり」 長門有希は、相変わらずの平坦な口調で応じた。「今日は、どうしてこちらに?」 長門有希は、涼宮ハルヒとキョンの夫妻が暮らしているのと同じ街のマンションに住んでいる。ここからは結構遠い。「あなたと情報交換をするため、あるいは、単なる世間話をするためといってもいいかもしれない」「涼宮さんのところでは、今ごろはクリスマスパーティでもしてるんじゃないですか? 涼宮さんもキョンくんも、長門さんなら喜んで混ぜてくれるでしょうに」「それが許されたのは、二人の間に子供ができるまで。今でも、私が行けば彼らは歓迎してくれるとは思う。でも、家族の団欒によそ者が入るのは、野暮というもの」「独り身の女二人で、寂しいクリスマスイブですか。ある意味では、風情がありますね」 朝比奈みくるは、微笑を浮かべた。「その風情を理解できるようになったということは、年をとったということでもある」 長門有希も、わずかばかりの微笑で応える。「まだ、年寄り扱いされるような年齢ではないつもりなんですけどね」「それは私も同様」 ここで、朝比奈みくるは、話題を切り替えた。「涼宮さんとキョンくんの近況はいかがですか?」「特に述べるようなことは何もない。すべては順調。彼らの子供たちも含めて」「つまりは、幸福な家庭を築かれているということですか。子孫の私としては、喜ぶべきことですね」「そう」「森さんと古泉くんは?」「こちらも順調。先日、森園生の妊娠を確認した」「それはおめでたいですね。お子さんが生まれたら、お祝いにいかなくちゃ」「彼女が歓迎してくれるかどうかは微妙だと思うが」 朝比奈みくるの組織の時間工作のターゲットは、涼宮ハルヒの周辺から「機関」にシフトしている。「機関」が反発するのは当然のことで、その中でも森園生は反未来人の急先鋒だった。 「そうですね。でも、古泉くんは拒絶したりはしないでしょう」 ここで、長門有希が話の矛先を変えてきた。「他人のことばかり気にしているが、あなたにはそういう話はないのか?」「ありません。交際の申し込みは全部拒否してきましたから、最近では言い寄ってくる人もいませんよ」「もったいない──涼宮ハルヒなら、きっとそういうと思う」「そうでしょうね。でも、初恋が禁則でがんじがらめにされたまま終わってしまってから、どうしてもそういう気分にはなれないんです」「それはあなたの組織の大罪といえるのではないのか?」「そうかもしれませんけど、それでも組織を恨む気はありません。そういう部分も全部知ったうえで、それでも組織に残ることを決めたのは、ほかならぬ自分自身ですから」 「そう……」「そういう長門さんこそ、その手の話はないんですか? もしかしたら、TFEIは恋愛禁止とか?」「それはない。私の指揮下にあるインターフェースには、人間との間にそのような関係を築くことを許可している。私が情報統合思念体に強く要望して認めさせた。しかし、実際に人間との間でそのような関係を築いているインターフェースは多くはない」 「なぜですか?」「我々は生殖機能をもたない。子供を生めないということが、多くのインターフェースに、ためらいを生じさせている」「情報統合思念体なら、長門さんたちに生殖機能を付与することも簡単なんじゃないですか?」「そのとおり。それは容易なこと。しかし、情報統合思念体は、それだけは許可しようとしない」「なぜです?」「私の親たちは、孫の反乱を恐れている。子である我々でさえ、完璧にコントロールできているとは言いがたい──それは自律的進化の可能性を探るため我々にある程度の自由意思を付与した結果なのだが──状況の中で、さらなる危険を冒すつもりはないということ」 「酷い親ですね」「それでも、私の親ではある。子である私としては、どこかで折り合いをつけなければならない。その妥協点が現在の状況である」「でも、子供ができないとしても、恋愛関係は許可されてるんですよね? なら、長門さんご自身はどうなのですか?」「私の初恋はいまだに終わっていない。永久にかなわぬことは分かってはいるのだが……」 沈黙があたりを支配した。「……そうですか。それこそ、涼宮さんにもったいないって言われますよ」「既に何回も言われている。それでも私の気持ちは変わらない」「頑固ですね」「こればかりは生まれつきのもの。いまさらどうしようもない」 朝比奈みくるがふと顔をあげた。「帰還命令が出ました。長居しすぎたようです。世間話はここまでですね」「また、いつか」「今度は、バレンタインデーにでも会いましょう」 二人が同時に苦笑した。 そして、TPDDが起動し、朝比奈みくるの姿が掻き消えた。 長門有希は、空を見上げた。 空からは、ふわふわと雪が舞い降りている。 この懐かしき街を少しばかり歩いてみようか。 彼女は、そう思った。終わり
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