やや黒古泉
「いい加減にしてください。もう我慢の限界です」
古泉のこんな声を聞いたのは初めてじゃないだろうか。
「我々だって、あんな空間で化け物の相手をするのはもうこりごりなんですよ!」
放課後、古泉に呼び出された俺は校舎の陰で古泉の怒号を聞いていた。俺が古泉に説教される理由なんてのは一つしかない。簡単なことだ。俺はハルヒの機嫌を損ねたのだ。最初はつまらない言い争いだったのだが、それがだんだん大きくなって、結局最後にハルヒは活動中止を宣言すると一人で出て行ってしまった。
「そこまでしてやる道理は俺にはない。こっちだって『神様』のご機嫌取りはもうこりごりだよ」
俺は冗談交じりで言ってやったつもりだった。が、古泉はそう取らなかったようだ。
「そうですか…ならこちらにも手はあります」
何かがいつもと違う。嫌な予感がした。
「我々『機関』を舐めてもらっちゃ困るんですよ。あまり気は進みませんが、実力行使と行きましょうか」
「どういう意味だ」
「そのままの意味ですが?」
実力を行使するんだろう、それはわかってる。問題は何にどうやって行使するかだ。閉鎖空間で神人に向かって思いっきり行使すればいいだろう。そんな俺の疑問を読み取ったかのごとく、古泉は続けた。
「何回も言ったと思いますが、我々の組織は強大なんですよ。 例えば…あなたの『大切なもの』を消し去ることくらい簡単なんです」
「消し去る」という動詞に俺は明らかに動揺した。何だ?何を「消し去る」んだ?とっさにハルヒの顔が浮かんだ。普段ならここでいろいろ言い訳をするところだが、そんな余裕はない。それに、『機関』の連中もハルヒには手出しできないはずだ。俺だってまだ切り札を使わずに持っている。古泉はどうやらまたしても俺の考えを読んだようだ。
「ご心配なく。涼宮さんに何かするようなことはしませんよ」
そしてそのニヤケ面をもっと歪ませて言った。
「彼女は今や我々の駒同然ですから。わざわざ自分から手駒を失うようなことはしませんよ」
気がつくと俺は古泉に殴りかかっていた。しかし古泉は俺の拳を軽く受け止めると俺の耳元でこう続けた。
「随分と涼宮さんが大事なんですね。しかし、」
次の瞬間俺は芝生の上に叩きつけられた。
「ぐあ…っ」
「言ったはずです。我々を舐めるな…と」
「お前…『機関』より俺達に味方するんじゃなかったのか」
「さあ、そんなことは言った覚えがないですね」
もう一度飛びかかる俺。しかし古泉は難なくかわすと俺の頬に拳で一撃を叩き込んだ。俺は自分の体が地面に崩れ落ちるのがわかった。
「ぐっ…」
畜生、全身が痛む。何だ、お前の言う『大切なもの』ってのは。
「まあ、ご自宅でゆっくりお考えください。明日には計画を実行します。 つまり、今日が最後になりますからね…」
「…ふざけるな」
俺は絞り出すようにして言った。
「俺はそれを守ってみせる。絶対に…貴様らには渡さん」
「心意気だけは褒めてあげましょう。しかし残念ですね、 あなたは明日それを 自 分 か ら 捨てることになるというのに」
「なっ…」
どういうことだ?自分から捨てる?そんな馬鹿な。
「言葉通りの意味ですが。ああ、どうしてもあなたが抵抗する場合は…。 こういうのは僕の美学に反するんですが、上からの命令は絶対です。 僕が力づくで奪うように、と言われています」
力づくだと?『機関』はいつからそんな荒々しい団体になったんだ。しかも今ので十分すぎるほどわかった。俺は古泉に勝てない。
「せいぜい鍛えるくらいのことはしておいたほうがいいんじゃないですか? 手ごたえがなさ過ぎても満足できないでしょうから。 まあ、僕が出ていかなくても済むのが一番なんですがね」
古泉はそう言い残すと去って行った。俺はただ茫然としていた。
次の日。頬にあざを作って登校した俺を団長様はご丁寧に馬鹿にしてくれた。多分まだ機嫌が悪いんだろう。
「あんた何やってんの?ほんとに役に立たない団員ね。ま、いい気味だわ。 あ、それと今日の活動は無し。みんな忙しいみたいなのよ。あんたは暇だろうけど」
早口でそれだけ言うとまた目を逸らした。しかし今日は活動無しか。俺にとってはそっちのほうが好都合かもしれない。古泉と顔を合わせなくてもよくなったし(向こうが休むかもしれないが)、何よりまだ昨日の疑問が解決していない。何なんだ?奴らは何が目的なんだ。
そんな状態で授業など頭に入るわけがなく、学校での一日が終わった。もちろん、『機関』が乗り込んでくることもなかった。
しかし帰り道、俺の頭を恐ろしい考えが過った。ふと嫌な予感がして、俺は携帯から家に電話をかけた。
誰も出ない。
―――まさか。
両親の携帯にも掛けるが応答がない。
冗談だろ?古泉、お前らの仕業なのか?
必死に自転車を漕いで家へと急ぐ。纏わりつく最悪の考えを振り払うように。
自転車を玄関に乱暴に止めると、扉を開けて家族の名を呼んだ。
反応がない。
人の気配すらない。
必死に家の中を探し回る。段々と心の中の黒い感覚が大きくなる。
ただ何かを叫びながら。悪夢から逃れようとするかのように。
その時、俺はあるものに気づいた。
「突然ですがお父さんが温泉の宿泊券をもらってきました。 三人で温泉旅行へ行ってきます。明日の夕方まで帰りません。 突然のことだったので連絡することもできませんでした。 あなたも連れて行きたかったんだけど、三人分だったし、 妹のために今回は我慢してあげてね。 お土産買ってくるから。 母」
立ち尽くす俺。
玄関のチャイムが鳴った。
『機関』の手駒が、大きなカバンを持って、夕陽のせいか顔を赤く染めて立っていた。
「だ…団長命令よ!今日あたしをここにと、泊めなさい!」
あー、すまなかった古泉。俺の負けだ。
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