朝倉涼子の伝言 後編
帰り、自分の靴箱を開けると手紙が入っていた。
下校時刻の30分後、1年5組の教室で待ってます 朝倉涼子
と、用件だけが簡潔に書かれていた。それにしても、なんともややこしい時間に設定したものだ。もしかしたら、学校自体閉まっているかもしれないのに。それでも、それを無視することはできなかった。予定時刻まで時間は有り余っている。とりあえず一旦学校の外へ出て、どこかで暇を潰すことにした。
そもそも朝倉さんを好きにならなければこんな思いはしなかった。そもそも彼女と隣にならなければ好きにならなかった、そもそも北高に入学しなければ彼女と隣になることはなかった、そもそも・・原因は考えていくとキリがない。僕はため息をついて1年5組の教室を空けた。
そこにいたのは僕が思い描いていた人物とまったく違う人だった。確か、谷口がAマイナーなんてランク付けをしていた、違うクラスのすごく大人しそうな女子。
「長門さん、だっけ・・あの、僕・・」「朝倉涼子から伝言を預かっている」
ヒラリと靴箱に入っていたものと同じような便箋を掲げた。そして、僕にずんずんと近づいてきて、無表情のままそれを押し付ける。
「読んで」
僕がその手紙を受け取ったのを確認すると、長門さんはさよならも言わずに教室を出ていった。その様をしばらく唖然としてみていたけれど、手の中の便箋に慌てて気がついてそっと封を切る。朝倉さんもずいぶんと遠回りなことをするもんだ、こんなことなら全部靴箱のほうの手紙に書いてくれていたらよかったのに。
*随分手間をかけさせるなあ、なんて思ってるでしょう。ごめんね。時間がなくて。少しやらないといけないことがあって、それが終わったらゆっくり話をしたいな、って思ってたんだけど、それは『失敗』に終わってしまったの。あ、でも朝国木田くんが言っていたようなことじゃないのよ?あれは私の友達が勝手に言っていただけで、彼に対してそれほど特別な感情は持っていなかったわ。それに私にはそんな感情はよく理解できなかった。国木田くんに出会うまではね。入学式の日に初めて出会って、話したりしていくうちにどんどんその気持ちは大きくなっていって、言ってしまおうかどうか本当に悩んだわ、国木田くんの言うとおり、あれぐらいの距離がちょうど心地よくて。だけど、やらないで後悔するよりやって後悔したほうがいいっていうよね?だから私は言うことに決めたの。国木田くんは、私にとっての新しい概念を全て教えてくれたのよ。どういう意味かわかる?私は国木田くんが好き。本当は面と向かって言いたかったし、あなたの返事も聞きたかったんだけど、『失敗』しちゃったから、ダメになっちゃった。そして、その『失敗』のせいで私はすぐにうんと遠くへ行かなきゃいけなくなっちゃったの。これが、時間のない理由。あなたとはまた会えるかもしれないし、会えないかもしれない。もし会うことが出来たら、しっかりあなたの返事を聞きに行くわ。だから、その日がくるまで出来れば忘れないで待ってて。じゃあね。
*それを読み終えたとき、僕は何がなんだかわからなくなっていた。愕然としてもう一度読み直してみても、文字が目を通り抜けるみたいに全く頭の中には入ってこなかった。
「あ、さくら、さん・・」
ポツリと名前を呟いてみてもどこにも現れることはなくて、僕の声が寂しく教室の中へ消えていくだけだった。もう一度冷静に手紙の文字を眺めてみると、一箇所目に留まるところがあった。うんと遠くへ。今ならまだ間に合うかもしれない。まだその『うんと遠くへ』までは行けてないかもしれない。うんと遠くなのだから。僕は走って教室を出て、学校を出て、いろんなところを探し回った。今日はよく走る日だな、と思った。駅前の広場や、喫茶店など、隅々まで探した。けれど、朝倉さんはどこにも僕の目の前に姿を現してはくれなかった。最後のあてだった公園に着いても、暗い夜には人っ子一人いない。ベンチに座るとどっと汗が出て、喉が渇いた。鞄に入っていたぬるいお茶を飲んでも飲んでも渇いた喉は潤わなかった。自分だけの判断で勝手に誤解して、最低な最後を迎えたのだ。また会えるかも、と文面には残していたけれど、僕はもう会えないような気がした。きっと、彼女も。ポケットに無造作に入れていた手紙を広げる。教室でみたときはあんなにも綺麗だったのに、今ではもうしわくちゃになってしまった。一粒の水滴が、左下に書き添えられた朝倉涼子という文字をじわりとにじませた。まるでそれは、ずっと保たれるものだと思い込んでいた僕と彼女の関係が歪んだ瞬間みたいだった。
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