無題 前編
どうしてこんなことになっているのか、どうしてこんな状況になってしまったのか、あたしは全く分からなかった。ねえ、どうしてなの?キョン。 ▼▼▼▼▼ いつもと変わらずに部室へと向かう俺。まぁ少し変わったことと言えば、最近妙に部室への足取りが軽くなったことくらいか。俺は確かに今の高校生生活を楽しんでいる。近頃はハルヒがらみの妙なこともないし、古泉も神人狩り回数が格段と少なくなって「このままでは体が鈍ってしまいますよ。今は出てきて欲しいくらいです。」と余裕のコメントさえする程だ。それくらい、今のSOS団は平和と言い切れるね。 俺の気分がいいのはそれだけじゃあないんだが、話すと少し長くなる。ひとつは一週間後に、一学期と二学期の間に挟む夏休みという素晴らしきロングホリデイがあるのだ。そのほとんどがハルヒの為に費やされるのは覚悟しているが、学校に行かなくて良いというだけで俺の心は青春真っ盛りの青年の清清しさをも凌駕するぜ!宿題はハルヒに任せることにしよう、うん。 ふたつめ。…実は考えてない。何個か挙げておけばそれっぽいものになると思ったんだが、ひとつしかないようだ。すまん。 そしてこの一週間の間で起こる事。これがそのまま無かったことになって夏休みを迎えることなんてことができたら、どれだけ嬉しいのか見当が付かない。いや、ただ待ち遠しいってことじゃないんだ。あんな事になるなんて、もちろん俺は思ってもみなかったさ。 月曜日に終業式を控えているその前の金曜日。ハルヒは早速土日の予定を立てだした。 「みんなは何処か行きたい場所ある?」 そろそろ自分の行きたい場所が少なくなってきた団長さんの質問に、ニヤケスマイルが答えた。 「僕は別に…。あなたはどうですか?」 俺に話を振るなよ。俺は何処に行きたい?と訊かれてすぐ答えが出るような好奇心旺盛な男児じゃないぞ。 「たまには休みにしたらどうだ。遊びなら夏休みに嫌というほどできるさ。」「夏休み前だからこそ行くのよ!それで万全の状態で夏休みに挑むの。」 夏休みを迎える万全な状態というのはどういうものなのか考えつつ、俺はお茶をすする。 「みくるちゃんは?」「えっ、別に…何処にも。」「有希は…ないわよね。」「そう」 未来人も宇宙人も行きたい所はないようだ。むしろ長門が行きたい場所ってものを見てみたいね。 「うーん…あっ、そうだ!温泉に行きましょう、温泉!」 そりゃまた唐突なこった。 「何故このくそ熱い夏に温泉なんか行かにゃならんのだ。」「今、無性に旅館の温泉に入りたくなったわ!ね、いいでしょ?」「ああ、そういえば僕の知り合いに旅館を経営している者をおりまして…」 おいおい待て古泉。さすがにこの時期に温泉はお前でも気が引けるだろ。 「マイナスをマイナスで掛けたらプラスになるでしょ?それと同じよ。暑さも暑さで掛けたらきっと涼しくなるものよ!」 どんな理論だ。明らかにプラスをプラスで掛けた結果になりそうで、余計暑くなりそうだ。暑さ=マイナスという定義から間違っている。冷房が効いてるならまだしも…。 「じゃあ古泉くん、その知り合いさんに連絡をよろしくね!そうね…明日一時に集合!場所は当日連絡するわ。」「了解しました。」「分かりましたぁ~」「………」 つくづくこう思うね。やれやれ。 ここまでは日常茶飯事な話だ。ハルヒの突発的な思い付きで色々と振り回される。いい加減慣れた、というかもう呆れている。だが問題の日はやってきた。何の音沙汰も立てずに、突然と。 朝、俺は目覚めて時計を確認する。目覚ましの時針は8をさしている。俺にしては珍しく早い目覚めだな、等と思いつつ携帯に手を伸ばす。俺が着信2件、涼宮ハルヒという液晶に浮き出ている文字をしばし見つめていると、携帯がバイブによって震えた。 『やっと起きた!いつも思うんだけど、あんたもうちょっと早く起きれないの?』「休日くらいもう少し寝させてくれよ。」『他三人はちゃんと一回目の電話で出てくれたわ。あんただけよ、三回目でなんて。』 俺をあの三人と比べられたら困るぜ。あいつらは明らかに非常識だ。誠実に人生を真っ当している俺は普通の高校生男子を演じているのさ。 『用件だけど、今日駅前に一時集合だからねっ。忘れるんじゃないわよ。』「ああ、分かった。」『じゃねっ』 …きっと泊まりだろうな。どうせなら夏休みに三泊四日の旅でもしてきたかったが…贅沢も言ってられないか。 時は一時。一日分の着替えをまとめて俺は駅前に到着する。 「おっそーい!」「で、今日は何を奢ればいいんだ。」 俺は覚悟を決めていた。それ故に先手を打ったのだ。 「列車賃、全員分払ってよね。」「列車賃…?だいたいいくらだ。」「三千円はかかるでしょうね。さっ、行くわよみんな!」 三千円だと?俺は財布の中身を確認し、大きな溜息をわざとらしくした後にそそくさと歩く団長さんの後を追った。 列車で揺られること数時間。雪山へスキーに行った時くらいか、それ以上くらいかの時間を列車の中で過ごした。乗車一時間半程まではハルヒもわんさかと騒いでいたが、二時間もするとさすがに騒ぎ疲れたらしく、黙って座っている。俺は窓の縁に肘を乗せて流れる景色に視界の全てを任せていたんだが、徐々にまぶたが落ちていき、暗闇の世界へと引き込まれる。 「さぁ起きてください。着きましたよ。」 古泉の声で目が覚めた俺は時計を確認する。午後五時…随分長いこと移動していたんだな。その証拠に、窓の景色はすっかり森林のある田舎な雰囲気だ。列車を降りて数分歩いた先にその旅館はあった。いかにも古き良き時代の旅館という感じで、『和』の字が五つ並ぶような木製の旅館だった。 「ふぇ、ふぇぇ…なんかすごいです~」 朝比奈さんも可愛らしいコメントを垂らす。残念ながらどうやってもコメンテーターにはなれなさそうな感想だが、ルックスで押し通せばなんとかなるんじゃないかね。 その際には是非俺は朝比奈さんのマネージャーでもやらせていただこう。 「穴場な場所なんですよ。雰囲気は最高にもかかわらず、来客数も少ないのですよ。今日は僕たちしか客は来ないそうです。」「それはいいわね!あたしたちだけで楽しめるなんて、なんて最高な旅館なのかしら!」 他の客に迷惑をかけないで済むという利点で俺もそれには同意しておく。 「ようこそいらっしゃいました。」 旅館の玄関に入って真っ先に出てきたのは着物姿の女将さん的な人だった。この人も古泉の仲間なのか?それとも、元々この旅館の女将さんなのか?まぁ別に知ってどうなることでもないから、そこは気にしない方向でいこうと思う。 「こちらこそ、今回はお招きいただいてありがとうございます!今日と明日、宜しくお願いします!」 ハルヒの丁寧な挨拶が済んで、俺たちは部屋へ案内される。無論のこと、和室だった。部屋の隅に荷物を置いて、その横にもうひとつ荷物が並ぶのを確認する。 「ここは俺の部屋だろ?」「あなたと僕の部屋ですよ。こちらの不手際で部屋がふたつしか取れませんでした。まあいいじゃないですか、複数人の方が楽しいですよ。」 冗談じゃない。こいつと同じ部屋で寝たりなんかしたら何が起こるか分かりもしない。 「心配しないでくさい。何もしませんよ。」「当たり前だ。」 低いテーブルに置いてあった和菓子にでも手を伸ばそうとすると、ノックなしに部屋の襖が開いた。 「あたし達は温泉に入ってくるから!あんたらも早く入りなさいよ。あとでじっくり遊ぶんだからねっ」「ならば僕たちも入ってきましょうか。」 ニヤケ顔で俺にそう言った古泉は、部屋に設備されていた大タオル小タオルを俺に差し出した。 「お前と入るのは気が進まないがな。」 そう言ってタオルを渋々と受け取る。 「当然解ってるわね、キョン。」 何のことだ? 「ほんっとあんたは記憶力ってもんがないのね。」「大丈夫ですよ涼宮さん。僕がしっかり見張っておきましょう。」「そう?じゃあよろしくね、古泉くん。」 一体何だよ、見張るって。 「涼宮さんらの入浴光景を忍び見る、所謂覗きという行為ですね。」 男湯と女湯の境が竹だけとかいう美味しい状況でもあるのか?それ以前に俺はそんな俗な行為はしないから安心しろ。 「そうですね。じゃあ、行きましょうか。」 くすくすと笑いながら部屋を出て行く古泉に追って着いた先は、案の定、まさに美味しい状況だったね。細い竹が何本も連なってできている境界線。強くタックルすればそのまま女湯へ進入できそうな強度に見える。もちろんしないけどな。脱衣所を出てすぐ乳白色の湯に浸かってひとつの大きな溜息をつく。その一息に疲れの全てが凝縮されていたかのように体がすっと軽くなった。これ以上に極楽という言葉がふさわしい物はないと思ったね。 「んー、やっぱりその胸羨ましいわね!」「ひゃっ、やめてぇ~…!」 向こう側からハルヒと朝比奈さんの声が聞こえる。いやぁなんというか、和むね。 「いいんですか?朝比奈さんが困っているようですが。」 声さえ笑っている助言により、俺は我に帰る。 「おいハルヒ。朝比奈さんが困ってるだろ、もうやめろ。」「ん…キョン?あ、あんたどっから見てるのよ!」「見てるわけじゃねぇ。聞こえるのは声だけだ。」「本当でしょうね?」「どうやらそのようです。会話だけはできるようになっているようですね。」 どうやらって…もっときっぱりと言ってくれよ。 「有希の小っちゃいわねー、あたしが大きくしてあげよっか?」 いきなり過激的なことを言い出したハルヒの行動が頭に浮かぶ。 「………」「確か揉んでると血行がよくなったり、ツボにいいんだって!」「………」 いかん、俺が妄想を始める前にやめさせなくては。 「おい、ハルヒ!やめろって言ってるだろ。」「あんたに言われる義理はないわよ!何ならあんたも触る?」「遠慮する!」「あっ、そう。」 ここに居るだけで理性が崩れそうな気がしてきた俺は、さっさと体を洗って温泉から出ることにした。まぁ体を洗ってる最中にもハルヒが何やら騒いでたんだが、朝比奈さんや長門には悪いが俺にはもう手が付けられない。 浴衣を着て部屋でゆっくりしていると、何とも風流な庭に目を奪われて、来ても良かったなという気分になる。だが、俺の安らかさを保っている心を打ち砕くように奴が入ってきた。 「卓球やるわよ!卓球!」 その言葉から始まって、それから俺たちは強制的に卓球テーブルのある場所に連れて行かれたり、枕投げの為の枕を集めさせられたりなど、色々とこき使われた。気付くと時計の針は8時をさしていて、夕食を終えた9時に再収集をかけられた。 「まだ何かするのか?」「一番大事なものが残ってるじゃないの。夏の風物詩といえばあれよ!」 集合場所が旅館の近くの暗い森林であることから少しは察していたが、やはりすることはひとつしかないようだ。俗に言う(言わなくてもか)肝試しというやつだ。朝比奈さんは既に怯えの表情を露にしており、それに追い討ちをかけるように古泉が話した。 「ここには昔、墓地があったと言われていましてね。今でもその怨念たちが集まっているという崖が何処かにあるという言い伝えがあるのです。」「ぼ、墓地ですかぁ~?」 なるほど、一般的な女子高生を怖がらせるには十分な言い伝えだな。どうやら怯えているのは女性三人の内一人だけのようだが。 「怨念でもお化けでもゾンビでも何でも出てきなさい、望むところよ!」 そんなこと望まんでもいい。どうせ苦労するのは俺らなんだからな、解ってるのか? 「この光の勇者様が全部まとめて相手にしてやるわよ!」 まるで光の剣でも手にしたかのような自信に満ち溢れた顔でハルヒは 「さ、行きましょ!」 と先陣を切って歩き始めた。 「五人でまとまって行くのか?それじゃあ肝試しにもスリルが感じられないだろ。」 提案をする俺。まぁどうせやるなら楽しい方がいいもんな。 「それもそうね、一人ずつじゃみくるちゃんが可哀想だから、二組に分かれましょっか。」「ひぇ、五人がいいですぅ~」 朝比奈さんのささやかな抗議も虚しく、ハルヒは例の(不思議探索時に使われる)方法で二組に分かれさせた。これで朝比奈さんとのツーショットが取れれば、なんてことを考えていた俺は愚かだったね。勇者にお供する見習い魔法使い的なポジションを取らされた俺は、さっさと歩いていく勇者様を追う前に 「じゃあ行って来ます。」 と、残る三人メンバー(朝比奈さんに向けてなんだが)に伝える。 「キョンくん、気をつけてね。」 という朝比奈さんがかけてくれた無敵の呪文が俺の心の支えになった。その言葉を聞けるなら何十回でも行きますよ、肝試しなんてものはね。 …というさっきの言葉は撤回しておこう。さすがにあれだ、気味が悪くなってきたぞ、この森。 「何、あんたもしかして怖いの?」「んなわけあるか。お前はもうちょっと怖がれ。そして俺の腕にでもしがみついて来いよ。」「ば、ばっかじゃないの!?そんなのはね、みくるちゃんくらいの怖がりでしかしないのよ!」 なるほど。 「ところでだ。この肝試しは何をすればいいんだ?」「別に何も考えてないけど?」「じゃあどうするんだ。適当な場所で引き返したりでもするのか。」「そうねー…ちょっと面白い所を見つけてやるの。それから後の三人にそこまで行って来て、帰って来てもらいましょ。」 どこまで計画性のない奴なんだろうな、この勇者様は。 「ほら、さっさと歩くわよ!」 ハルヒは俺の手首を掴んで早歩きを始める。自分で歩けるから引っ張るな、手首を痛める。何分間か意味の無い森林探索をしていた俺だが、そろそろ本当に痛くなってきたんですが…手首。 「…うわあ…!!」 その探索を一時中止させたのはハルヒのいつもより高いトーンの声だった。それと同時に手を離したが、時既に遅し、俺の手首は赤く手跡が付いている。 「ねぇ見て、キョン!」 なんだなんだと顔を上げる。そこには何十個、いや何百個もの緑色の光が宙を漂っていた。 「きれい…こんな湖があったなんて。」 後から聞いた話になるんだが、古泉の話にはまだ続きがあったらしい。「昔に墓地があったのに加え、その横の湖は蛍の生息地なんですよ。この時期が一番活動が盛んでしてね、だからあの旅館にしたのですよ。」だ、そうだ。まぁこの時はこんな話知らなかったもんだから驚いたし、さすがに俺でも少しは感動したね。強く頭に焼きつかれたイメージというのか、上手く語原化できない。ハルヒは珍しく呆然と立ち尽くしている。こいつにも感動できる心があったのか。 「…この蛍、一匹や二匹連れて帰ってもバレないわよね?」 前言撤回!こいつはやはりアホだった。 「こんな光景、拝めただけでもありがたいと思え。そんなことしたら今に罰があたるぞ。」「うー…分かったわよ。でも、よーく目に焼き付けておきなさい、この光景を!きっと二度と見れないわよこんなの!」 だろうな。心配するな、よーく頭ん中に刻み込んださ。 「じゃあ残った三人には、ここを目指してもらえば丁度いいんじゃないか?」「えっ…だってそれは…」「ん、何か不都合でもあるのか?」「これはあんたとあたしだけの…」「もうちっとはっきりと喋れよ。」「い、いいわよ!早く戻るわよ!」「いだだ!手首を掴むなって!」「早く!走るのっ!」「おっ、おいっ!」 痛む手首を引っ張られて俺はハルヒに連れられている。走りにくいこと山の如しだ。 「怒ってんのか?」「別に!」「怒ってるんだろ?」「怒ってないわよ!」「怒ってるんなら…謝るよ、すまん。」「っ…!!」 ハルヒはいきなり立ち止まった。 「いきなり止まるなよ…。ッ――」 言葉が出なかった。振り向いたハルヒの顔は、怒っている顔でも疲れている顔でも無かった。うっすらと目に涙を溜めて、必死に涙を落とすまいとこらえている我慢の顔だった。 ▽▽▽▽▽ せっかく…二人きりであんなきれいな蛍が見れたのに…せっかく… 「ど、どうしたんだよハルヒ。」 キョンは何も分かってない…! 「あっ、あたしは…!」 キョンは顔に困惑の色を浮かべてる。どうしよう…あたしがこんなこと言ったら… 「な、なんだよ…」 気持ちを伝えても…キョンがもしあたしを拒絶したら…あたし… 「ハルヒ…?」 キョンと離れたくない…でも… 「あ、あたしはね…?」 声が震える。大丈夫、ちゃんと言える… 「あんたのこと…その…す…」「…ハルヒ、俺はお前の事が好きだぞ。」 …え? 「は、はあ…!?」「何度も言わせんな。好きっつったんだよ。」 一気に目の奥から涙が湧き出てくる。堪えてたのに…だめ、キョンにこんなみっともない顔… 「俺は前から告白は自分からって決めてたんだよ。悪いな、横取りしちゃって。」「ほんとよ…ばかぁ…ばかばかばかばかばかばかぁぁぁ!」 抱き付いて何度もキョンの胸を叩く。嬉しい。滝の様に流れる涙は止まりそうもない。 「痛いっつの…そう何度も叩くなって。」「あたしも好きだからねっ…お、覚えといてよ!」「ああ、分かったよ。」 キョンの腕があたしの背中にまわるのが分かる。あたし、抱きしめられてるんだ。だ、だめよ。こういうのは…ふ、不潔よ。 「居心地いいから…もうちょっとこのままでいさせてくれ。」「あ、あと十秒だけ…だからね。」 結局、ずっとあたし達は抱き合ってた。あと十秒って言ったのに…キョンのばかっ。 「…そろそろ戻るか。みんなが心配してるだろうし。」 長い抱擁の時間を終わらせたのはキョンの言葉だった。 「そ、そうね…」 あたしが大きく一歩を踏み出そうとした時。 ――それは、起こってしまった。
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