涼宮ハルヒのダメ、ゼッタイ 六章
六章無音…暗闇。まあ、真っ暗なのは俺が目をつぶっているからに他ならないのだが。かすかに手術中と書かれた扉の向こう側から聞こえて来る三つの電子音だけが、あいつらが生きている事を俺に教えてくれる。他にも医者や看護士が駆け回る音やカチャッという金属と金属がぶつかりあったような音が聞こえているようだが、今や俺の聴覚は三つの電子音を拾うのが精一杯のようだ。病院の待ち合い席に俺はいる。両の手を祈るように組み合わせ、それは俯いた額を支えていた。相手はトラックらしい。正面衝突は避けられたようだが、そのせいで相手は依然、逃亡中だ。「ね、ねぇ…キョン…」おや、ハルヒの声がする。ハルヒが近くにいるようだ。そういえばこいつは俺と一緒に電話に立ち会ったんだっけ。「今は…そっとしておくべきかと…」忌々しいことに古泉もいるようだ。この分だと朝比奈さんと長門もいるのかもな。はは、全然気付かなかった。怒鳴るように誰かを問詰める俺をなだめていたのは、ハルヒ達だったのか。俺にも冷静な思考がようやく戻ってきたようだ。「何で、何でキョンくんの家族が…」ほらやっぱり朝比奈さんもいた。そうですよね。全く言うとおりだ。誰もがもっている、それに遭遇する可能性。だったら何で…俺達に来た…!変わりなんていくらでもいるだろう。何でよりによって俺達なんだ…頼む、他の奴等はどうなってもいい。あいつらは…見逃してやってくれ。もし、今誰かに俺達の役を押し付けることが出来るとしたら…俺は間違いなくそれに甘んじるだろう。自分が、まさかここまで利己的、かつ非人道的な人間だとは思いもしなかった。
きぃ」ドアの開くような音がした。誰かがこっちに近付いて来るようだ。「最善は尽くしました。あとは彼らの…生命力にかけるしか…」「そうですか」ポーズを寸分も乱さず、台詞だけ返す。部屋の案内もされたが覚えちゃいない。「キョン、妹ちゃん達の部屋に行くわよ。部屋の場所は教えてもら「いかない」ハルヒの声を遮り俺は返す。別に行きたくないわけじゃないさ。ただ、この無慈悲な運命に対しての、幼稚な駄々っ子じみた抵抗のつもりだ。突然、だん!と隣の椅子を叩くような音が聞こえた。「っっっ!!いい加減にしなさいよ!こんのバカキョン!!いつまでメソメソしてんのよ!誰彼かまわず当たり散らしたと思えば、いきなりふさぎ込んじゃって!」怒鳴るハルヒだが胸倉を掴もうとしないのは、俺への気遣いなのだろうか。お陰で俺は同じ体勢のままだ。「涼宮さん!」「古泉くんは黙ってて!いい?キョン。精神論で片付ける気はさらさらないけど、そんなふぬけた態度で妹ちゃん達が帰って来ると思う!?まださっきまでのあんたの方が救いがあったわ!!あんたが今すべき事は椅子に座ってアホみたいにいじけてる事じゃないでしょ?!ベッドに寄り添って手の一つでも握ってやったらどうなの?!!こんな時くらい根性見せてみなさいよ!!!」暗闇の中に光がこぼれた気がした。その光は波紋のように暗闇を消し去っていく。全く、こいつはいつだってそうだ。俺の望みなんてこれっぽっちも聞いちゃくれない。それどころか自分の意見まで押しつけてきて…俺はそのまま流されて…何だかんだ楽しくて…苦笑いが本当の笑みに変わってて…そんなのが…たまらなく好きなんだ。ありがとう、ハルヒ。またお前に救われたよ。そうだ、悪い方向にばかり物を考えるから暗い気分になっちまう。もっとプラスに考えろ!この試練を乗り切ればより家族の絆は固まる。もしかしたら妹がまたお兄ちゃんって呼んでくれるようになるかもしれん。それだけじゃないぞ!家には誰もいないんだ。ってことは誰に気付かれることなく『奴』に貪ることが…「え?」自分のモノローグに自分で疑問符をあげるのと同時に俺は顔を上げて、目を開いた。突如世界が歪んだように見えた。最初は目まいか何かだと思ったそれは精神的から肉体的にいたるまでのあらゆる苦痛、苦悩を掻き集めたらできるような感覚。まさしく禁断症状だ。全身から汗が吹き出して来る。「す、すまんハルヒ。気分が悪くなって来た」「え、ちょ、ちょっとあんた大丈夫?先生に診てもらう?」おそらく蒼白いであろう俺の顔を見てハルヒは言う。「いや、だ、大丈夫だ。ただの疲労だ。今日はこれで帰るよ」「そう…じゃあ送って行くわよ?」「いや、お前達はあいつらと一緒にいてやってくれ」
俺はハルヒ達が目視出来るであろう所まで、必死に落ち着いた歩みを見せ、そのあと全力で走った。来るときは自転車だった道を俺は必死で走り続ける。おいおい俺よ。どっちの方向に走ってやがる。そっちは俺の家の方向じゃないだろう。あらゆる苦行に堪える修行僧のような気分になりながらも、俺の足は一向に止まる気配がない。やめてくれ、消さないでくれ。これからなんだ、ハルヒとの日々はこれから始まるんだ。朝比奈さんだって帰ってきたばかりじゃないか。古泉や長門への恩もこれっぽっちも返してないだろ?これから今までより愉快なことが沢山待ってるんだ。頼む、消さないでくれ。今までの思い出を、これからの可能性を!もはや、家族への気遣いなど遥か彼方に忘れ去っていた。「はぁ、はぁ」ようやく俺の足は、目的地に到着することで止まった。玄関の外に誰かいる。「はぁ、頼む!春日!俺に!俺にもう一度!――――!!!」
どれくらい時間が経ったのだろう。もしかしたらもう日付は変わっているのかもしれない。あたし達はただ黙って彼の家族の横にいる。三人とも安らかに眠っている。口元の呼吸器がなければその光景は昼下がりに時間を持て余し、惰眠に任せる家族の図に他ならないだろう。「キョンくんは、大丈夫でしょうか…」最初に口を開いたのはみくるちゃんだった。「そうね、キョンの事も心配だし、あたしはこれからあいつの家にいくわ。皆はもう帰っていいわよ。全員で押しかけたら、あいつも困るでしょそれに古泉くんは明日、機関のパーティがあるんでしょ?」「いえ、こんな時にとてもそんな気分には…」「お願い、パーティに行って…」あたしがそう言うと、古泉くんはあたしの考えてることに気付いたのか、表情をいつもの笑顔に戻すと、ありがとうございます、とだけ言った。これ以上、元機関の人達に迷惑をかけるわけには行かない。「あのぉ、こんな時にこんなこと聞くのもどうかと思うんですけど…受験の方は…」申し訳なさそうに言うみくるちゃんに、精一杯の笑顔で答えた。「もう…無理かもね…」笑顔を作ったせいで、その言葉はより一層寂しく響いた。「涼宮ハルヒ」今まで時間が止まったように黙っていた有希があたしを呼んだ。「無理…しないで」その言葉を聞いてあたしは本物の笑顔を浮かべ一度だけうなずいた。
キョンの家の前にいる。キョンの顔を少し見たら今日は帰ろう。チャイムを押す。意外にもキョンはすぐに出てきた。顔色も元に戻ったみたい。「少しは調子を取り戻したみたいね」「あ、ああ。心配かけて悪かったな。明日はあいつらに会いに行く…と思う…」顔色とは裏腹に表情は暗いみたい。無理もないか。「思ったより大丈夫そうだし、あたしはもう帰るわ」「ま、待ってくれ!ハルヒ」「何よ」「え…と、そうだ、受験の件だが…「あんたは!!!」あたしはキョンの言葉を遮った。「家族のことだけを考えていなさい。」言葉通りの意味もあるけど、あたしは次のキョンの言葉を先送りにしたかっただけなのかもしれない。「またね…」
オレは今、閉鎖空間を走っている。隣には今まで同じ時間を過ごしてきた仲間が三人。河村卓富山彰人センパイ春日美那みんな同年代で機関の中ではいつも一緒にいたグループだ。「今回もまたえらく見事な空間を作りやがったもんだ。またお前んとこの疫病神くんが何かしでかしやがったのか?古泉」「ああ、悪いな河村」「古泉を責めても仕方ないだろう。それにここは無意識とはいえ涼宮ハルヒの意識下だ。『鍵』への悪口は危険だぞ。」「はいはい、わかってるよ、富山センパイ」「あ、わかった!タックン、キョンくんに嫉いてるんでしょ?」「み、美那!ばかやろう!んなことあるわけないだろ!お前がいるのに何で嫉かなきゃなんないんだよ!」「ノロケはそのくらいにしとけよ。おでましだ。」富山センパイの言葉を合図にしたように神人はその姿を表した。「9、10体かよ!おい!古泉!今度そのふざけたあだ名の奴、殴らせろ!」突如場面が切り替わった。回りは壊されたオレ達の町、休憩している仲間達の姿。神人はもういないようだ。そうかこれは夢なのか。過去の現実を夢として見ているのか。いつのまにかオレの意識は目の前の古泉一樹から離れ、第三者の視点で見ていた。…待てよ、ということはまさか…目の前にいる古泉が話しだす。
「皆、いつも悪いな、涼宮ハルヒと『鍵』の仲立ちの役目のオレが…」「気にすることないよ!今日も無事に皆生き残れたじゃん!古泉くんは頑張ってるよ!ね!タックン!!」「ま、そういうことだ。さ、さっきは悪かったな…」一堂が目を真ん丸にして河村を見る。「タ、タックンが素直に謝った…すごーい!タックンが謝った!タックンが謝った!」「何だ!その『クララが立った』みたいな言い方は! だー!そもそも涼宮ハルヒがアホみたいな力持ってるのがいけないんだ!あの力さえ消えてくれりゃ万事解決なのによー」「そう簡単にはいかないぞ、河村」センパイが静かに話しだす。同じだ…あの時と。いつもは勝手に崩壊する閉鎖空間も何故かそれを見せない。「何でだよ。涼宮も俺達も普通の高校二年生にもどるだけだろ。バンバンザイじゃないか。」「俺の危惧してるのはもっと先にある。もし涼宮ハルヒが力を失えば、古泉…お前は機関の何人かを敵に回すことになる。」「ど、どういうことですか?センパイ…」「機関には涼宮に恨みを持っている者もいるということだ。お前の本当の戦いは涼宮が力を失ったそのあとなんだよ。もちろん涼宮を見捨てるという選択肢もあるが…」その刹那、半透明で巨大な 腕が河村の頭上に現われ、それは今まさに振り下ろされようとしていた。「河村!!」また場面が変わったようだ。ここは…機関運営の葬式場か…場内には目を伏せる者。堪えきれず泣きわめく者。まっすぐ前を見据える者と様々だ。しかしその誰もが悲しみのベールを纏っている。式が終わり機関の人が流されるように式場をあとにする
「古泉。俺は何で生きてるんだ」「………」答えられるはずもない。一度全滅した空間でまた神人が発生したのは前例のないことだった。「あの時、俺をかばったセンパイは言った。お前達の思うがままに行動しろってな。だから俺…決めたよ…古泉…」そこにはオレの知ってる河村はいなかった。「俺と一緒に神を殺さないか?」はっっっっ!!オレは飛び跳ねるようにベッドから半身を起こしていた。寝起きには不自然な程の汗が体中にまとわりついている。あの夢も…久し振りだな。昨日、近しい人の生死の堺を目の当たりにしたからかな…センパイ…オレは間違ってなんかいませんでしたよね…ここはパーティ会場。懐かしい顔ぶれがそろっていて、昨日の出来事で沈んだオレの心も少しは上昇気流に乗ってきたようだ。「あ!古泉くーん!こっち!こっち!!」思わず反射的にそちらを向くと、笑顔を振りまく春日さんが確認出来た。彼女とはあれ以来学校で見掛けることはあっても話すことはなかったな。そういえば涼宮さんや彼と 同じクラスなんだっけ。「お久し振りです。どうやら元気そうですね。何よりです。」「何か顔色悪いけど…大丈夫?」「ええ、昨日友人の身内が事故に会いまして…それで少々考え事を。」春日さんは笑顔だった顔を少し暗くしていた。「この間の電話でもそうだったけど、口調…敬語のままなんだね…」「ええ。最近ではこっちの方が慣れてしまって。気になるようでしたら直しますが…」「ううん、いいよ。古泉くんのやりやすい方で…」まいった…こんな気まずいムードにするつもりなかったのにな…「あら、古泉に…春日さんじゃない!久し振り。」「またお会い出来て光栄ですな。」「あぁ!森さんに新川さん!お久し振りです~!!」いたたまれないムードを払いのけてくれた森さんと新川さんは、一年ぶりになる春日さんと半年ぶりになるオレを見て、目を輝かせていた。それからは四人でバイキング形式の料理をつまんだり、昔話に花を咲せたりしていた。久し振りの面子に興奮気味の、春日さんを除くオレ達は、少し無神経になっていたのかめしれない。話を気ままに転がしていたオレ達はよりによってあの話を持ち出してしまったのだ。涼宮さんの話を…オレが学校での涼宮さんの行動っぷりを三人に聞かせ、夏の合宿でのことを新川さんと森さんとオレで春日さんに聞かせる。先程――長いこと話し込んでいたので半日程前のことか――の春日さんの暗い表情の意味もろくに考えもせず…気付くと笑顔だった彼女の表情はひどい悲しみの色をおびていた。「ハハ…古泉くんは…強いね…あんなことがあっても…顔色一つ変えないで彼女の話が出来るだなんて…」オレはひどい後悔にかられた。そうだ、オレにとっての涼宮さんは、あのことを差し引いても、日々の楽しい生活を語る上でかかせない人物であることに変わりはない。だけど春日さんにとっては、悲しみの元凶でしかないんだ。「何で…何で古泉くんは笑いながらあの人達と一緒にいられるの!?何で我慢できるの!?」春日さんを除くオレ達はただ黙って俯くことしか出来なかった。「あ、ごめんなさい。せっかく招待してもらったのにこんなこと言っちゃって…やっぱり…あたしもう帰るね」パーティ会場を走り去る彼女をオレは追うことが出来なかった。「古泉」森さんが呼ぶ。「あなたは涼宮さん達を守る側に回ったのよね。」「…………はい」「あたし達は全力をもってあなたをフォローする。迷わずに自分のすべきことを見据えなさい。」突如、オレのケータイが鳴った。ここは電波が悪いな。オレは外に出ながらケータイを取り出す。あたりはもう暗くなっていた。相手は……涼宮さんか。「はい、もしもし、古泉ですが…」「ヴゥ…古泉くん!!キョンが…キョンが!あたし…あたしぃ……!」オレの中で緊張が走った。
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