溶けゆく雪に残るもの
あまりの寒さに少々頑張りすぎではないかとシベリア気団に文句のひとつでもつけたくなる一月の末、外は地球温暖化など何処吹く風で昨日から降り続く雪が積もっている。ようやく「谷口のサルでもわかる土曜ナンパ講座」を振り切り、すきま風が安普請の校舎を吹き抜けるなか俺の脳みそが早く朝比奈さんのお茶で体と心を暖めろとやかましく命令を下しているのを感じつつ、部室のドアをノックした。こんこん。 返事がない。ということは誰もいないか───よう、おまえだけか。「そう」小さな毛布を膝にかけ、定位置で長門が本を読んでいた。その毛布の柄がなんとも子供っぽく、無表情でページをめくるこいつとはミスマッチだ。弱々しい電気ストーブが赤く長門の白い肌を照らしている。 ハルヒも朝比奈さんも古泉も鞄は置いてある。どこに行ったんだ。長門が無言で窓の外を指差した。グラウンドの隅になにやら人だかりができている。7割は男子残り三割は女子といったところか。メガネ率が高いのは気のせいか。その中心にいるのはメガホンを片手にしたハルヒと、もこもこメイド服の朝比奈さん、そしてこのくそ寒い中どうしてお前はそんなにサワヤカでいられるんだと突っ込みたくなる古泉。 ありゃ一体何をしてるんだ。「私が来たときにはすでにいなかった」ここに来る前にコンピ研に顔を出してきたのだという。「おそらく朝比奈みくるの入れたお茶の有料配布だと思われる」なるほど、資金稼ぎか。で、古泉は女子担当ってわけだ。あのアホ団長め、古泉はどうでもいいとして朝比奈さんが風邪でもひいたらどうしてくれるんだ。とはいえハルヒは元気よくメガホンを振り回しているし、群がっている連中も結構いるようだ。 これは当分戻ってきそうにないな。ちょっとすまんな。俺はストーブを半分長門に、半分俺に当たるような位置に動かして長門の横に座り込みかじかむ手の解凍を始めた。 俺も長門も無言。 別に、何か話さなくては気まずいということはさすがにもう無いが、物がたくさんあるぶん(ほとんどハルヒの持ち込んできた物だが)対照的に静けさが色濃い。電気ストーブのじぃぃっという音と、時おり長門がページをめくる音が完全な静寂を拒否するように、かさり、と聞こえる。 しかしいつまでたってもこのストーブでは暖まらない。仕方ない、自分でお茶でもいれようかと思ったとき、長門が本を閉じて立ち上がった。ん、お前も飲むか?「飲む」長門は窓辺に立ち、外を見ている。最近よく見かける光景だが、何かあるのか?気にはなるが、取り急ぎ湯を沸かすほうが先だ。どうやら朝比奈さんは配布用に沸かしたお湯はすべて使い切ってしまったらしい。ちょっと待っててな。俺は部室を出て水道へと走った。やはり部室の中のほうがいくらかましだな。外は寒い。ヤカンに水を入れて戻ってきてもなお、長門はこちらに背を向け外を見ている。俺はヤカンをコンロにセットしながら聞いてみた。さっきから何見てるんだ?「そと」いやそれはわかるが「雪がやみそう」つられて俺も外を見てみると、なるほど落ちてくる雪はちらほらと見える程度になり、さっきよりだいぶ空が明るくなってきた。最近ずいぶんとそうやって外を見てるが、雪景色が好きなのか?「雪が好き」そうか。こいつにも何かひとつの対象に心奪われることがあるのかと考えつつ、その返事に俺はあの長門の作品を思い出していた。 ──────これを私の名前としよう。 部室には電気ストーブのかすかなうなりとガスコンロの湯を沸かす音が続いている。あのときから気になっていることを聞いてみようか。なあ、長門。お前の名前ってさ「雪から」最後まで聞けよ。でも何でまた「似ていると思った」何と?「私と」背を向けたまま、透き通るような声で淡々と答える長門。「色の無い、真っ白な水の粒の集合」確か長門の短編にもそんなことが書いてあったような気がする。私もそのうちのひとつだったと。「私はいつか・・・・・・」何か言葉を探しているようだったが、俺は言われなくともわかった。だから、言わないでいい。言うな。「私はいつか帰らなくてはいけない」そうなんだろうな。でもそれは「いつか」の話だろ。今は聞きたくないぜ。「雪も同じ」長門がその白い手を窓へと伸ばした。身を切るような冷たい風が吹き込んでくる。その風に無造作にはねるショートカットが舞った。「一時的なものに過ぎない」何が言いたいんだ。「春になれば消えてしまう存在」そんなこと言うなって。「朝日が昇ればその熱で溶けてしまう存在」もういい。やめよう。だが長門は繰り返した。「冬の夜にしか存在を許されない。だから」俺はさえぎった。何でそんな寂しいこと言うんだよ。違うだろ?しばらくの沈黙。「今のは比喩。気にしなくていい」そう言う長門の顔は俺からは見えない。従ってどんな表情も読み取ることは出ない。しかし気にしなくていい、という言葉がまるで、あなたには関係ない、と言われているようでたまらなかった。 いい加減にしろよ!自分でもびっくりするくらいの音量で怒鳴っていた。さすがの長門も驚いたのかどうなのかはわからないが、ゆっくりとこっちを向く。あまりの大声に自分でもプチパニックだ。そんなつもりじゃなったんだが。あ・・・すまん。ええと、とりあえず、窓閉めるぞ?何言ってるんだ俺は。「かまわない」俺は自分を落ち着かせるようにゆっくりと窓を閉め、長門の正面に立つ。「・・・・・・ごめんなさい」なあ、長門。違うだろ?「違う、とは?」今お前が言ったことは趣味の悪い自虐ネタでしかないぜ。「・・・・・・でも事実」じゃあなぜ雪じゃないんだ?「どういうこと?」名前だよ。お前は有希だ。雪じゃない。お前は自分の名前に何を望んだんだ。確かにお前は雪かもしれないさ、たくさんのヒューマノイド何とかのうちの一人かもしれない。何人いるかは知らんがな。長門がその視線を俺から床へと落とす。だがお前にはお前の名前があるじゃないか。なのに自分は溶けていなくなるとか言いやがる。そんなのはやめてくれ。たとえ雪が溶けても、お前は消えない。「私の・・・・・・名前・・・」その名前を選んだのはお前自身じゃないのか?なにか希望が有るんじゃないのか?それが雪のように春の朝日に消えることだなんて言わないだろ。うつむいたままの長門。・・・・・・って、俺は思うんだけど長門さんはどうですかって、あれ?なんだこれ。これじゃまるで俺が長門をいじめて泣かしてるみたいじゃないか。 いかんいかん。ヒートアップしすぎたか。途中から自分でも何言ってるのかよくわからなくなってる。それに名前なんて言ったら俺は一体どうなるんだ。キョンて。なあ。今度は正真正銘気まずい空気が流れつつあった。長門はどう感じてるかわからないが、俺の周りの空気は水飴のようになっている。動けん。そんな状況を破ってくれたのは偶然にも自分でセットしたヤカンだった。けたたましくなっている。ナイス俺。あ~、なんだ、その、だからさ、そんな悲しいこと言わないでくれよ。というかだな、お前は俺たちと一緒にいたいと思ってるって、それがお前の望みなんだって、俺が思いたいんだ。いや俺だけじゃない。ここにいるみんな、お前が雪みたいに溶けていなくなっちまうなんて、誰もそんなこと望んじゃいないぜ?お湯、沸いたからさ、お茶飲むか?寒いだろ?「飲む。ありがとう。ごめんなさい」もういいって。怒鳴ったりした俺が悪かった。「手伝う?」朝比奈さんのそれにはかないそうもないが、お茶くらいは俺だっていれられるさ。はいよ。熱いぞ。気をつけろ。俺が長門の机に湯飲みを置こうとしたとき「いやっほー!臨時収入よ臨時収入。お茶いれるくらいでこんなに儲かるとは思わなかったわ」このタイミングでくるか。てかそのお茶は誰がいれたのか言ってみろ。「何よ、キョン。なんか文句ある?」いーや、別に。それより朝比奈さんと古泉はどうした。一緒じゃないのか?「下で待たせてあるわ」なぜ?「決まってるじゃない。雪合戦やるわよ、あんたたちも来なさい!」今、お茶を入れたばかりなんだ。とりあえずお前も「そんなのあとあと。後でみくるちゃんにいれてもらえばいいじゃない」いや、でもせっかく俺が「みくるちゃんのいれたお茶にキョン茶が勝てるとでも言うの?」こ、このやろう。変な名前をつけるな。「さっ、はやくはやく。晴れてきたから空が気持ちいいわよ」長門は湯飲みを見つめたまま微動だにしない。そりゃ朝比奈茶のほうがうまいだろうが。「ほら、何ぼーっとしてるの有希。いきましょ」ハルヒは長門にコートをかぶせると腕を掴んでひっぱって行ってしまった。あわてて俺も追いかける。外に出ると雲の切れ間から光がさしていた。結構積もっているな。おいハルヒ足下気をつけろよ、と言おうとした瞬間ぼすっ。俺がこけた。予想外の出来事だったので手を突くこともままならない。まぬけな俺の型がそこに出来上がっていた。「ちょっと大丈夫?何やってるのよ、もう」ああ、大丈夫だ。下に何もなくてよかった。 雪合戦は女子対男子のチームで行なわれた。大砲みたいな弾をばっすんばっすん投げてくるハルヒと、なぜか乗り気に見える長門のサブマシンガンみたいな速射砲を受け俺と古泉の惨敗だった。朝比奈さん?彼女は補給要員さ。戦闘は似合わない。その後これまたハルヒの提案で巨大雪だるまを作成。こういう季節イベントは何一つ逃したくないらしい。「校門に飾るわよ。目立つから」というわけで場所移動。もちろん実行部隊は俺と古泉だ。三人は遠巻きに指揮官である。「だって寒いじゃない」おもわず手にした雪だるまの種を投げつけてやろうかと思ったが「これくらいで楽しんでもらえるのなら安いものです」幸せな奴め。本気でそう思ってるのか。「もちろんですとも。これ以上僕が疲れないための最善策です」ああそうかい。そりゃごくろーさん。朝比奈さんのやわらかい声援を浴びながらようやく出来上がったそいつは俺の首の丈まであろうかというずいぶんとでかいものだった。長門が不思議そうに巨大な二つの雪団子を眺めている。。 初めて見るのだろうか?長門が何か言ったのか、ハルヒがどこから持ってきたのかバケツとほうき(備品)を抱えながら「何言ってんの有希。そしたらまた来年みんなで作ればいいじゃない。もっと大きなやつ」これ以上でかくしてどうするんだ。お前も手伝え。「だからこれ持って来たんじゃない」かくして巨大雪だるまは帽子をかぶり、腕を生やし校門から北校の生徒たちを見送る御神体となった。責任は団長様にある。俺は知らん。 部室に戻ってくるとそくざにハルヒが朝比奈さんにお茶を要求した。たまにはお前も動けっての。「は~い、あったかいお茶が入りましたよ~」さっそくいただくことにする。いやぁ、外から帰ってくるとたまんないね。この甘露にありつけるたびにSOS団員でよかったと思う。その後尊顔を拝しようと目を向けると朝比奈さんは急須を片手にうろうろしていた。 「あれ?足りない・・・・・・。あ、長門さんコップ貸してください。いれなおしますよ」しかし「これでいい」「え、でも」「飲み頃。熱いのは苦手」それさっきいれたやつだろ、冷え切ってるんじゃないのか?「これでいい。・・・・・・温かいから」「そうですか?わかりました。じゃあ今度から長門さんのはぬるめにして出しますね」気配りまで完璧なメイドさん。ああ、あなたは何て健気なんでしょうか。それにしても長門が猫舌だったとは。以外だな。早くもハルヒに二杯目を注ごうとする朝比奈さんが斜め四十五度を夢見ながら「でも雪ってきれいですよね。きらきらしていて、儚げで。何であんなに綺麗なんでしょうか」その何気ない問いにハルヒが答えた。いや、答えにはなっていないか。「人間だって同じようなもんじゃない」「というと、どういうことでしょうか」この手の話が大好物な副団長も食いついてきた。「そのうち消えちゃうってっこと」もうその話はいい。「なるほど。だからこその美しさというわけですね。さすがは涼宮さんです」イエスマン古泉め。お前の腕章を腰巾着と書き換えてやろうか。「だからさ、悔いが残らないようにやりたいことはやれるうちにやっとくもんよ。古泉君もいい?やれなくなってからじゃ遅いのよ」「肝に銘じておきます」やりたいことをやるのは結構だが、できるだけ他人を巻き込まないでほしいものだね。お前は生き急ぎ過ぎじゃないか。まあ、巻き込んでくれたおかげで退屈はしないわけだが。少しはこっちの体力も、というところまで考えてハッとした。 そのうち消える。悔いが残ならいように。やりたいことを。だからこそ美しい。人間みたいな。 ──────これを私の名前としよう。 おもわず長門の顔を見る。そういうことだったのか?長門。お前が雪に求めた物は。 ・・・・・・いや、どっちでもいいさ。小説から作者の内面を読みとろうとするなんざ、面倒なだけさ。そんな問題は現国の試験だけで間に合ってる。長門はその湯飲みを自分で暖めるように両手で持ったまま、また窓から外を見ていた。もう雪はやんでいるだろう。「・・・・・・」気になって俺も外を見てみる。太陽が反射して少しまぶしい。「ゆき」ぽつりとつぶやいた視線の先には、降り積もった雪の上に残された俺のまぬけな人型とSOS団みんなの足跡が白く輝いていた。なあ、長門。あの雪が溶けるときは俺たちも一緒なんだろうな。 おしまいです。
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