長門有希の憂鬱III The melancholy of Cupid
The melancholy of Cupid
新入生もそろそろ初々しさを失い、彼らもまあ人生こんなもんかという高校生的悟りを開いた頃、俺も高校生最後の一年間に足を踏み入れてそろそろ一ヶ月が経とうとしている。クラス編成はたぶん説明するまでもないだろうな。俺とハルヒはなぜかそのまま繰り上げ文系、古泉と長門は理系クラスへ進級した。単なる偶然かあるいは誰かの意図か四人とも同じ国立を志望していて、俺は模試が来るたびにハルヒの課外講習を受けているありさまだ。ハルヒに付き合ってまで進学校を選ぶなんて、俺も自主性がないのか人がよすぎるのか、どっちでも同じだが。最後には神頼み的ハルヒの力でなんとか試験合格させてもらえないかなどと、甘いことを考えている自分を恥じていたりもする。
SOS団はなんの変わり映えもしない、はっきり言えばマンネリ化だな。昔に流行ったタイトルをリメイク、リキャストして出しなおす英雄モノの映画みたいに、去年のイベントに手を変え品を変え再利用しているのが、今日この頃のハルヒだ。さすがのお前もそろそろネタ切れか、ハルヒ。
俺はといえばあの事件以来、たまにだが、長門を誘うようになった。
たとえば日曜の朝、本を買いにでかけようと玄関で靴を履きながら、ひとりで行くより誰かを連れて行きたいなと考える。妹を連れて行った日にゃおもちゃやらケーキやらの前でじっと動かないし、卒業してから会っていない朝比奈さんを誘えたらいいんだが誘うとまたハルヒの不機嫌の虫が暴れだすだろうし、古泉?この世界が閉鎖空間になっちまってもあいつとだけはデートはしたくない。じゃあハルヒか、あいつは持てる全エネルギーでぶつかってくるんで気が休まらん。
こんな感じで、消去法でいくと長門しかいないわけだ。別に付き合うとか、長門を恋愛の対象として見てたわけじゃない。言い訳じみて聞こえるかもしれないが、俺が出かけるついでに長門も連れて行ってやろうかとふと思うことがたびたびあっただけだ。 休みの日に長門をひとりにしておくべきでないような、なんとなくそんな気になる。殺風景な部屋でじっとしている長門を想像すると、心のどこかにモヤモヤしたものが生まれてしまう。部屋の白い壁と同化してそのまま消え入ってしまいそうな気さえする。
休日の朝、電話をかけると長門もとくに用事もないようでいそいそとついてきた。図書館に行って長門が気の済むまで借りる本を品定めしたあと、たまにだが映画に行ったり、ごくごくたまにだが飯を食いに行ったり、まれに地元のイベントに行ったりしていた。無論、俺が誘うのだから俺のおごりだ。そういう日には不思議と財布の中身にも余裕があった。
一度ゲーセンに行ったときには、長門がファイター系のゲームをはじめてしまって止まらなかったことがあった。 無駄のない動き、炸裂するコンボ技、目にもとまらないコントローラの操作。むかし炎のコマとかあったっけ。ギャラリが集まってきてオオッとかスゲーとか、セーラー服のきゃしゃな女の子がやってるもんだから、やたら歓声が上がったりしていた。 俺はゲーマーの群れから離れて、ひとり缶コーヒーを何本か飲みながら暇を持て余していた。手持ち無沙汰にUFOキャッチャーで取ったぬいぐるみをいじっていた。 二時間くらいしてやっと終わり、長門の妙に達成感に充たされた表情を見て俺は笑った。グッジョブ。おつかれさま。
それから光陽園駅まで戻り、そこで別れる。そんなことを何度か繰り返していた。「じゃ、またな」「……」俺も別れを惜しんだりしないし、長門もいつまでも手を振っていたりはしない。たまに、俺が千二百円くらいかけてやっとゲットしたヌイグルミを大事そうに抱えている以外は。
二人とも極めてドライだった。他人が見れば、兄と妹だと思っても違和感はないくらいにカラリとした付き合いだった。俺はこんな、お互いになんの気兼ねもない関係が続けばいいと思っていたんだ。
ところがそうは思わなかったやつがいた。涼宮ハルヒである。
「キョン、谷口に聞いたんだけど、あんた有希と付き合ってんの?」俺は飲んでいたお茶を噴いた。長門が読んでいた本から顔を上げた。目を丸くしている。「な、なにを根拠にそんなでっち上げを!?」だが予想はしていたことかもしれない。なにもやましいことはないはずなのに、俺は妙にうろたえた。「あんたと有希が駅前を歩いてるのを何度か見たらしいんだけどね」「でっち上げだ!濡れ衣だ!冤罪にもほどがある、弁護士を要求する」「なにムキになってんの。なんでもないならいいじゃないの」「……わたしたちに特別な関係はない」長門は本に視線を戻してボソボソと言った。「まあ、キョンが誰と付き合おうが自由だけどね」ハルヒが横目にお茶をすすりながら言った。内心ほっとした。というかまわりから見れば、俺と長門の関係は微妙で曖昧かもしれんな。
話はそれだけでは終わらない。
翌日俺が部室のドアを開けるなり、ハルヒが叫んだ。「キョン、有希。ちょっとあんたたち、マジで付き合ってるんじゃないの?」唐突にハルヒが言った。長門と俺は目を見合わせた。「なんなのよ、その目と目で暗黙の示し合いは」ハルヒのイライラ度指数が急上昇してきた。まずい。「昨日あんたが有希のマンションに入るのを見たのよ!」うわ……まじか。俺は自宅前で絶世の美女といるところをフォーカスされた有名人のようにうろたえた。「付き合ってるというわけでもなくてな。いやまあ、ときどき一緒に図書館に行ってる程度なんだが……」「一人暮らしの女の部屋に上がりこむのはね、世間では付き合ってるって言うのよ」「お前にとやかく言われる筋合いのことじゃないと思うが」「あたしが言ってるのはね、あたしに嘘をついてまで付き合ってるのが気に入らないってことよ!」俺には取り付く島がなかった。「SOS団は、あたしはいったい何なの、ただの同級生?見せかけの信頼関係だったの?」「たまにいっしょに出かけるくらいで、お前が考えてるような関係じゃないんだけどな」「じゃあなんで嘘をついたのよ」「いやなんというかな、ハルヒ、俺は別に悪気があったわけじゃ……」どうにもごまかしようのない事態になってきた。古泉に助け舟を求める視線を投げてみるが、この野郎、笑ってやがる。「有希も黙ってないでなんとか言いなさいよ。あんただけは信用してたのに」「……わたしは間違ったことはしていないし、言ってもいない」長門は本から目を離さず、抑揚のない声で言った。それがハルヒの逆鱗に触れたようだ。ハルヒは机をげんこつでドンと叩いた。湯飲みが震えてお茶がこぼれた。「有希、あんたここから出て行って」
「……」長門はじっとハルヒを見つめた。それから本棚から本を数冊抜き取って脇に抱え、何も言わずに出て行った。ハルヒのこめかみに青筋が立っている。「ハルヒ、言い過ぎだぞ。長門は元々文芸部の人間だろうが」「なによ、事実上SOS団のメンバーじゃないの。あたしは団長よ。上司の言うことは絶対なのよ」「お前、もうちょっと大人かと思ってたが全然ガキじゃないか」「あたしに向かって嘘をつく団員なんかクビよ!」「長門は嘘はついてないだろうが!」「もう、その辺で」古泉が割って入った。「気分悪いわ。今日は帰る」ハルヒはカバンをひっつかんでドタドタと出て行った。ガラスが割れそうな勢いでドアを閉めた。壁の粉がパラパラと落ちた。
「お気持ちは分かりますが、ここは暴走させない方向でお願いします」古泉がすがるように俺を見る。「んなこた言われなくても分かってるさ。だがいったいいつになったらハルヒは大人になるんだ」「待つしかありません。しかし今回の件はあなたに責任がある」「俺が誰と付き合おうとあいつの許可はいらん」っていうか、付き合ってるわけじゃないのに俺。「ですが、嘘は涼宮さんを怒らせる要因にはなります。それに……」「それに何だ」「嫉妬だとは考えられませんか」「ハルヒが嫉妬?」「前にあなたが涼宮さんもろとも閉鎖空間に行ってしまったときのことを、よもやお忘れではないでしょう」思い出したくもない……あれは悪夢だ。「あれは涼宮さんが望んだからそうなった。その要因を作ったのはあなたと朝比奈さんだった」「まったく……。ハルヒは俺のタイプじゃない」「なにも恋愛しろと言っているわけではないんです」いまいましいことに俺は古泉に説教されている。「あなたの言動は涼宮さんの精神状態に影響するんです」「じゃあ俺は死ぬまでハルヒの子守りをしなきゃならんのか」「そうです」なんてこった。俺は頭を抱えた。「ですが、徐々に環境を変えていくことはできます。たとえば将来、あなたが別の誰かと結婚することになっても、涼宮さんを暴走させないでいるだけの環境に」「ハルヒは嫌いじゃない。だがときどき俺の手にあまることもあるんだ。俺自身の人生は俺が決めてもいいだろう?」なぜか弱腰だ。「もちろんです」
そのとき、誰かの携帯が鳴った。俺ではなく古泉のほうだった。「どうやら涼宮さんのイライラが限界に達したようです。バイトに行かなくてはなりません」「そうか。すまんな」なんで俺が謝るんだ。「できれば僕がとりなしておきますよ。明日また会いましょう」しかしまあ、恋愛のレの字もないのに恋愛沙汰とは。俺もヤキが回った。
その日は結局、長門は戻って来ず、ハルヒにも会わなかった。長門は嘘をついたわけではないが、ハルヒに正確なところを伝えていない。それも要因のひとつだ。俺は嘘でお茶を濁そうとした。……なんてこった、俺が悪いのか。ハルヒがわがまま過ぎるのは論外だが。
次の日、俺はなんとかハルヒと和解しようと試みたんだが、ずっと無視されっぱなしで立つ瀬がなかった。ハルヒをなだめたりすかしたりするなんて、俺もうこんな人生いやだ。 その日、ハルヒはとうとう部室に来なかった。当然、長門もだ。
「僕にも立つ瀬がありません」古泉の和解工作も失敗したらしい。
── 聞いた話になる。「涼宮さん、僕たちが出会ってからもう二年が経つんですね」「なにが言いたいの。愛の告白なら間に合ってるわ」「そうではありません。僕たち、というのはSOS団のメンバーのことです」「それがどうかしたの」「今までいろんなことがありましたね。宇宙艦隊を指揮して獅子奮迅の戦いをしたり、雪山で遭難しそうになって助け合ったり、SOS団の存亡かけて生徒会と戦ったり」 「だから?」「僕たちはかつてないほどの最高のチームだとは思いませんか」「まあ、それは認めるわ」「こんなつまらないことで仲たがいするのはやめましょうよ」「つまらないこととはなによ。あたしは本気で怒ってるんだから」「長門さんも悪気はなかったんだと思いますよ」「あたしは有希のことを言ってるんじゃないの。キョンがあたしに隠れてこそこそしてるのが気に入らないの」「つまり……どうしろと」「付き合うのか付き合わないのか、はっきりしなさいってことよ」「でもあの二人ですから。そう簡単には白黒がつくとは思えないですが」「古泉君、あんたどっちの味方なの」「えっ……。もちろん僕は涼宮さんの味方です」「よろしい」
「、ということなんですよ」「ということじゃないよ、全然フォローになってないじゃないかよ」「面目ありません」ハルヒの腰巾着め。「あなたは涼宮さんに第一の信頼を置かれている人です。そのあなたが涼宮さんに悟られないように行動しているのが、彼女には気に入らないのでしょう」「俺は隠れてるわけじゃないんだがな」「本当にそうと言い切れますか?長門さんを誘うとき、涼宮さんに遭遇しないよう配慮したりしませんか」ズバリ言われて、ぐうの音も出ない。「ここはひとつ、オープンに行きませんか」「どういうことだ」「二人の状況を正直に話すんです。分からないことは分からないでもいい。どういうきっかけで一緒に出かけるようになったんだとか」「まあその程度なら。でも、なんでも教える必要があるのか」「それはもちろん、」古泉はひと呼吸置いた。「あなたがたを引き合わせたのは涼宮さんですから」
休み時間に携帯が鳴った。「もしもし、キョン君?喜緑です」ひさしぶりに聞く声だ。「これはどうも、おひさしぶりです」俺はハルヒに聞こえないようにと教室を出た。喜緑さんにはいろいろと影になり日向になりお世話になっていて、困ったときの救いの女神だ。「あの……長門さんのことでちょっと話したいんですけど、今日は忙しいですか?」「いえいえ、俺はいつでも暇ですよ」ここんとこSOS団の活動は停止している。「じゃあ、学校が引けたら光陽園駅前で会ってもらえます?」「いいですよ。六限が終えたら電話入れます」長門とハルヒの仲裁に来たのだろうか。今日、ハルヒはとうとう口を利かなかった。俺もムキになって無視し続けた。子供っぽいにもほどがある。
ホームルーム後、俺は古泉に電話して今日は休むと伝えた。「長門のことで喜緑さんに呼び出された」「ああ、そういうことですか。行ってらっしゃい。涼宮さんには伝えておきます。それはそうと、昨日の神人狩りはすごかったですよ。見せたかったです」あんまり見物したくなるようなシロモノじゃないんだが。
「おひさしぶりです。先日はいろいろとありがとうございました」ついこないだ会ったばかりなのに、なんだかずいぶん昔のことのような気がした。 喜緑さんは卒業後、たぶんハルヒの志望校と同じなんだろうけど、大学生になり、見た目もずいぶん大人っぽくなった。セーラー服じゃないからかもしれないが、なんだか妙にお姉さんっぽい雰囲気に包まれていた。
喫茶店に入ると、喜緑さんは本題を切り出した。いつものように前置きがない。「長門さんがあんまり強情なので、情報統合思念体が解任しようかと動いてるんです」「そんな。長門はよくやっていますよ」「いつだったか異時間同位体とのリンクを拒んだ理由、覚えてます?」「ええ。長門自ら、“自分がいやだから”とか言ってましたっけ」「あの頃から長門さんは、なんというか今の、現時点の自分の個を主張する傾向にあって」「もともと主張がなさすぎたから、ふつーになったんじゃありませんか。朝倉みたいに主張が強すぎるのも問題ですが」「ええ。それは分かるんです。でも任務に支障をきたすようになってきたんで、上のほうでも懸念してまして」「今回のことは俺が悪いんです。なんというかこう、人間には曖昧な部分がたくさんあって、たまに関係がこじれるんです」「分かりますわ。私が来たのはただ、長門さんに任務を遂行するよう伝えるためなんです」「喜緑さん、思念体の言いたいことは分かります。でもあんまり長門を叱らないでやってください。悪いのは俺とハルヒなんです」喜緑さんはにっこりと微笑んだ。「キョン君は優しいんですね」「長門と知り合ってからいろいろあって、一緒に危機を乗り越えたり、異世界に行ったり、泣いたり笑ったりがあって。今では俺と長門の間には特別な信頼みたいなものがあるんです。そこにハルヒが子供みたいに嫉妬して、こういう状態になってしまったわけで。なにをされても怒ることすらなかった長門に、今は守りたいものがあるんです」 長門のことになるとなんでこんなに饒舌になるのか、自分でもよく分からないんだが。
功を奏したのか、喜緑さんは少し考え込んだふうだった。「そうなのですね……分かりましたわ。それにしても、長門さんもずいぶん人間っぽくなりましたね」「ええ。みんなが思うよりずっと人間臭いと思います」「たぶん、あなたのその感性が彼女を変えたんだと思いますよ」「え……」言葉にならなかった。
「有希のマンションでなにしてたのよ」翌日の四限の終わりに、弁当を持って外に出ようとしたところ、ハルヒが唐突に切り出した。「あんた、有希のマンションでなにしてたのよ」「なんというかな。いつだったか話したろ、長門が親類のところに引っ越すとかどうとか」「あれとどう関係があるのよ」「いや、あれからときどき身の上相談に乗ってやっててだな」「それで付き合うようになったわけ?」「いや、だから一般に言うような男と女の付き合いじゃないんだって」「じゃあなんで隠してたのよ。やましいことがあるからでしょ」「隠してたわけじゃなくて、誤解されそうだったからあえて誰にも言わなかったというか。谷口はアレだし」「隠したってもう周知の事実よ」それはまあ、人の噂も八十日というから気にはしてないんだが。「あたしは隠れてコソコソされるのが嫌いなの」「ああ、分かってるよ。悪かった」「謝ってるのそれ」「そうだ」「まあ、いいわ。最初からそう説明してくれれば……」言い淀んだハルヒは、なにごとか考えているようだった。「あんた、有希とまじめに付き合うとか考えないの?」「うーん……」俺は少し考え込んだ。俺にとって長門って何なんだろう。同級生、部活のメンバー、頼れる宇宙人、でもときどき守ってやらないといけない宇宙人、ほかにもなんだかあるが。 「分からん。そうなるのかもしれないし、ならないのかもしれない」しかしながらハルヒの次の一言は、正直こたえた。「キョン、有希を泣かせたらあたしがタダじゃおかないからね」
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