キョンがヤンキー略してヤンキョーン 第三章 後編
夢を見た。夢の中で、ハルヒが泣いていた。膝を抱えながら泣いていた。何泣いてやがんだ、あいつ?俺はハルヒに近づいて、小刻みに震える肩に手を伸ばそうとした。―――あたしに触らないで!!その手はハルヒに叩き落とされる。何があったんだ?―――触らないで!ハルヒ・・・―――あたしの名前を呼ばないで!!俺は押し黙る。ただただ立ちすくんでいると、やがてハルヒは大きな目から涙をポロポロ零しながら、俺をまっすぐと見つめてきた。鋭い視線だが、睨んでいるわけではない。軽蔑と、そしてもう一つ何かが入り混じっているような視線だった。―――あの子に触れた手であたしに触らないで・・・―――あの子をあんな声で呼んだあとであたしを呼ばないで・・・―――あたしにしなさいよ・・・キョン・・・あの子みたいにもっと優しく呼んでよ・・・ねぇキョン・・・キョン・・・
「・・・ハル・・・ヒ・・・?」目が覚めた。まず真っ先に感じたのは、素肌に直接感じる暖かいぬくもりだ。俺の腕の中から、小さな寝息が聞こえる。鼓動が早まる。俺は一体何をしているんだ?頭が混乱する。そして思い出そうとする。昨日の夜の事を。俺は佐々木に変なこと言われて、それで我慢できなくなって、佐々木にキスをしようとして・・・。ダメだ。そこで記憶が途切れちまってる。思い出せない。・・・しかし、今この状況を考えてみれば、記憶の先のことは容易に答えが出てしまった。―――俺は、取り返しのつかないことをしてしまったようだ。
俺は佐々木の細い体を抱きしめていた腕をゆっくり離すと、肩を軽く揺さぶった。「すまん、佐々木。佐々木・・・起きてくれ」「・・・ん」佐々木が目を覚ます。「・・・すまん、俺何て言えばいいのかわからないんだ・・・とにかく、すまん・・・本当に・・・」「・・・どうして、謝るんだい」佐々木は悲しそうな声でそう言った。しかし、その言葉にクエスチョンマークはつけられていないように感じられた。「その・・・本当に、謝っても謝りきれないことをしてしまったと思う。・・・あの時の俺は・・・その・・・どうかしちまってて」混乱していた俺は、思いつくままの言葉しか並べられなかった。糞・・・俺はどこまで最低男なんだ。胸が強く痛む。佐々木はため息だか微笑だかわからないような息を漏らした。「・・・ああ、もう何も言わなくていいさ」と言って、ゆっくりと体を起こす。佐々木の体から布団が剥がれる。俺は咄嗟に目を逸らす。きっと佐々木は・・・その・・・何も身に着けて・・・うわああ佐々木はゆっくりとベッドから出て行く。俺はその間決して佐々木の体を見てしまわぬようにずっと俯いていた。心臓の鼓動がやばいぞ。破裂寸前だ。制服を着ながら、佐々木は話し出した。「・・・勢いだった、そういうことだろう?それくらい、昨日君が僕に触れたときから気づいていたさ。・・・でもね」制服を全て着終わった佐々木は俺の隣にゆっくりと腰掛けてきた。俺は俯いたまま何も言えずにいた。「・・・君は勢いだっただろう。出来心だろう。でもね、僕は勢いでもなんでもないんだよキョン。」・・・どういうことだ?俺は顔を上げる。「わからないのかい?・・・僕は君が好きなんだよ、キョン。」そういい残して、佐々木は部屋を出て行った。俺はしばらく、その場を動けないでいた。何だって?佐々木が、俺を好いているだと?全くわけがわからない。いや、わからないだと?そうじゃない。俺に体を許した佐々木の気持ちを、わけがわからないで流してはいけない。流す権利など俺には全く無い。してはならない。改めて思った。俺は取り返しのつかないことをしてしまったんだ。・・・どうすればいいんだ?
とりあえず、俺は服を着替えた。・・・これからどうすればいいのだろう。いつまでもここに居るわけにはいかない。当然だ。しかし、今の俺にはこのドアを開いて顔を出すなどできるはずがなかった。冷静になろう。冷静になってこれからどうするべきか考えよう。まず・・・そう考えていると、ドアが静かに開いた。「キョン、悪いが僕は学校に行かなければいけない。とりあえず出ないか?」「・・・ああ・・・」俺は自分の荷物と一緒に佐々木の学校カバンも拾い上げ、とりあえず歯だけ磨いて佐々木の家を後にした。「あのな、キョン」佐々木はドアを閉めた途端に口を開いた。「僕は基本的にはバスで通学しているんだ。でもね、高校は自転車でも行ける距離なんだよ。」そこまで言うと、何やら微笑みながら俺を見ていた。「・・・何が言いたいんだ」「君って人は。つまりこういうことだ」佐々木は自転車の籠にカバンを放り投げ、「送ってってくれ」と更に微笑んだ。
俺の動悸は激しかった。別に佐々木が重いからとか坂がきついからとかそういう理由ではないぞ。あんなことがあった後で、昔と同じように二ケツしてるっていう状況に俺のドキはムネムネなんだ。悪い意味で。「昔を思い出すなー、キョン」俺の心を読んでいたかのように後ろで佐々木がつぶやく。俺は適当に相槌をうって流す。「しかし、君も僕も変わってしまったから、昔と同じというわけにはいかないね。特に、君と僕の関係は・・・」思わず自転車を止める。だめだ。このままでは心臓が持たない。俺は覚悟を決めて振り返り、佐々木に今の自分の気持ちをぶつけることにした。「佐々木」「どうした?」「正直に言おう。俺は昨日の晩の事を覚えていないんだ」沈黙。ビンタの一つでも飛んでくるかと思ったが、佐々木は表情を変えることは無かった。返ってそれが怖い。怖すぎる。やがて佐々木がフフッ、と笑う。いや、笑っているのは鼻から下だけで、佐々木の目は俺を鋭く睨んでいるかのようにも見えた。「君は覚えていないかもしれない。そしてただの勢いだったかもしれない」佐々木が大きくため息をつく。「でも、僕にとっては大切な人との忘れられない夜になったんだよ」俺の心に、半径1メートル程のどでかい穴が開いたかのようだった。その時俺がどんな顔をしていたかはわからない。だが、それを見た佐々木は少し動揺したようであって、いつもより早口で「遅刻しそうだ。早く」と言った。俺はもう何も言えなかった。ずるい。最低。へたれ。何とでも言え。でも俺は何も言わないことにした。そう、逃げているんだ。佐々木の気持ちから。俺のしてしまったことから。少なくとも、今の俺にそれと向き合う覚悟は無かった。
・・・あたし、昨日夢を見たわ。我ながら本当に最悪な夢を見たの。なんでこんな夢見ちゃったのかしら。知らない部屋で、キョンと女の子が・・・その、あんなことや、こんなこと・・・してた。女の子は・・・確かあの、中学のときの親友とか言ってた子だったわ。キョンが・・・その子の名前を優しく呼ぶのよ。あたしはもう聞いてられなくなって、思わず叫んだわ。でも、キョンとその子には届かなくて・・・。そこで目が覚めたの。起きて思い出したわ。昨日確か、またキョンを怒らせちゃったんだっけ。今のキョンに、「甘えてる」って言葉は禁句よね。わかってたのに、ついカッとなっちゃった。キョンに謝りたかったのに、あいつにいくら電話をかけても繋がらない。電源切ってんのかしら。まだ怒ってるのね、きっと。・・・あたしが悪かったんだからしょうがないか。素直に謝ろう。キョンに無視されるのはもう・・・耐えられない。放課後、古泉君に今日の活動は無しとだけ伝えて急いで学校を後にした。どうせ今日も家に帰ってないだろうから、適当に駅周辺で待ち伏せしてみることにした。今のあいつはかなり明るい髪色してるから、きっと目立つと思って。それに・・・あたしなら、すぐにキョンを見つけ出せるわ。自信があるの。なんでかって?知らないわよそんなの!寝泊りするところを考えると、漫画喫茶辺りが怪しいと思ったあたしは、とりあえずその付近のベンチに座って周りを観察した。あいつに会えるまで帰るつもりはないわ。でもね、キョン。あんまり待たせたら罰金だからね! 待ってる間はナンパの嵐。もうめんどくさいったらありゃしない!何でこうやってだらしない男ばっかりなわけ?ダボダボな服着て、髪の毛ツンツンさせて・・・あ、今のキョンもそんな感じだったっけ。最初の方はキョンが助けてくれるんじゃないかーなんて淡い期待も抱いたりしてたけど、そんな漫画のようにはならなかった。当然だけどね。大体今のキョンならどっちが・・・あぁ、うんもうどうでもいいわ。そしてもうすっかり日もくれて、あたしがうとうとし始めた頃だった。やっぱりあたしが思ったとおり、キョンは漫画喫茶に入ろうとしていた。入り口に足を踏み入れたところでフードを掴み、思いっきり引っ張ってやった。「ってぇ!!・・・ってなんだハルヒか!」「なんだじゃないわよ!もう!アンタあたしをどれだけ待たせたと思ってんの!?罰金よ!」別に約束なんかしてねーだろ、とでも言いたげな目であたしを見てきた。ふん、珍しく正論ね。「ていうかアンタなんで電話でないのよ!なんのための携帯電話なの!?」「すまん、携帯はあのあと逆パカして・・・」「はぁ!?ばっかみたい!!」あたしはソッポを向いた。呆れるわ。全く携帯に罪は無いって言うのに。あたしたちはそれから少し停止した。何よこの重い沈黙。「何とか言いなさいよ」と言い掛けてあたしは気が付いた。あたしたち喧嘩してたんだったわ。それであたしはキョンに謝りに・・・やばい!キョンの方を向くと、案の定イライラし始めている表情を浮かべていた。うかつ!「あ・・・キョン・・・あたしアンタに言いたいことがあって・・・」「・・・なんだ?」「あの・・・昨日は・・・、ちょっと言い過ぎたわ!ごめんなさい!」あたしは軽く頭を下げてみた。そしたらキョンはフッと笑って顔あげろよ、って言ってくれた。いつものキョンみたい。「俺もイラカリして悪かったよ。あと、待たせてすまんかったな。晩飯かなんか奢ってやるよ。こんな時間だし・・・」「その必要は無いわ!!」あたしはキョンの言葉を遮って、ついでに仁王立ちしてみせた。「アンタは今晩、あたしの家に泊まりなさい!団長命令よ!」我ながら名案だわ。そう、あたしは最初からこれを言うつもりでいたのよ。まぁ、すぐにいい顔するとは思ってなかった。でも、キョンは予想以上に何とも言いがたい表情をしたわ。ついでに変な汗をかいて、心なしか顔も青ざめていた。「・・・何よ。なんか文句あるわけ?それとも何、理性が持つか・・・とか言い出すんじゃないでしょうね、このエロキョン」更にキョンは表情を悪化させた。何、図星?図星にしてもちょっとリアクションが大きすぎるんじゃ・・・「すまん、ハルヒ、有難いんだがそれはできない・・・」「どうしてよ」キョンは目を泳がせている。何か変だ。「・・・ここじゃなんだ、その・・・公園でも行かないか」「・・・いいわよ」何だか嫌な予感がした。あたしたちはその辺の適当な公園へと辿り着いた。その間会話は無かったわ。そして適当なベンチに腰掛ける。沈黙を破ったのはキョンだった。キョンの息を吸い込む音が更にあたしを不安にさせた。そして、覚悟を決めた。「俺、昨日な・・・」沈黙。・・・この男、どこまでヘタレなわけ?もう呆れるってレベルじゃねーわよ、全く。今すぐこいつを締め上げたい気持ちでいっぱいだったけど、そこは空気を読んで我慢してやることにした。「何よ。続きは?」キョンはまだ喋らない。「別に驚いたり怒ったりしないから、言ってみなさいよ。気になるじゃないの。」内容によっては驚いたり怒ったりするけどね。キョンは未だに目を泳がせながら、俯いたり天を仰いだりしていた。イライラが止まらなかったけど、あたしはキョンが喋りだすのを待っていた。そして、だいぶ沈黙が続いた。そろそろぶん殴ってやろうかと思い始めた頃、キョンが口を開いた。「俺、昨日ささk・・・」「あれ、キョンじゃないか・・・それに・・・」あたしの目の前に、昨日夢に出てきた女の子が立っていた。・・・夢・・・?全身の毛穴が開いて一気に汗が噴出したような、嫌な感覚を覚えた。 「あれ、キョンじゃないか・・・それに・・・」なんてこったい。俺はなんてミスを犯していたんだ。この公園は昨日佐々木と会った公園じゃないか。糞、あの時は酔っ払ってたから記憶が曖昧で・・・ガッデム!「涼宮さん、だよね?」佐々木はハルヒに微笑みかける。何だこの状況は。どうすればいいんだ俺は。頭が爆発寸前だ。上手く言語化できない!!俺はハルヒの方に目をやる。・・・なんだ?ハルヒの様子がおかしい。心なしか顔色も悪いような気がする。進化するのか?もうこれ以上は勘弁だぞ、Bボタンを押してやる。 「おいハルヒどうした?具合でも悪いんじゃ」俺はハルヒの額に手をやろうとした。するとハルヒは俺を拒絶するかのようにザッと立ち上がり、俺と佐々木を交互に見る。「あ・・・アンタ・・・」「どうしたんだよハルヒ」俺も立ち上がる。と、ハルヒは一歩後ろに下がる。完全に俺を拒絶している。なんだ、なんなんだ?「アンタ・・・まさか昨日この子と・・・」ハルヒは自分の頬に震えた両手を添えた。「・・・ハルヒ?」昨日この子と?何だ?俺まだ何も言ってないんだが・・・?完全に挙動不審になった俺(達)を尻目に、佐々木がフッと笑った。笑い事じゃねー!「なんだキョン、もう話したのか?」・・・ちょっと待て佐々木。「もう涼宮さんも知ってるんだろう?なら隠すこと無いじゃないか」いやそうじゃない!!ちょっと待て、落ち着くんだ、冷静にはなs・・・「ああ、そうだよ。僕と彼は昨日一晩を共にした。」空気が凍りついた。「え・・・一晩をって・・・」「・・・君ならその意味を説明しなくてもわかるだろ?」顔を真っ青にしたハルヒに、佐々木が淡々と告げる。なんだこれは。落ち着け佐々木。そして俺!「ちょっと待て佐々木、そのことだが・・・」「ああ、これじゃ誤解が生まれてしまうね。安心してくれ涼宮さん。今のところ、僕の片思いだ。」更に空気の温度が下がったように感じられた。もう俺は失神寸前だ・・・。ハルヒの顔を見るのが怖い・・・。「な・・・なによ・・・ちょっと待ってよ・・・?」ハルヒの震えた声が聞こえる。意を決してハルヒの方に目をやると、今にも泣き出しそうな顔をしていた。・・・おわた。「ハルヒ、落ち着け、俺の話を聞いてくれ・・・」「うるさい!!」ハルヒが耳を塞ぐ。「あたしに近づかないで!あたしの名前を呼ばないで!うるさいうるさいうるさい!・・不潔よっ!!」ハルヒはそう言い残してその場を走り去った。すまん、今の俺に追いかける気力なんて無かったんだ。もうゴミでもクズでも好きに呼ぶがいいさ。しばらく放心状態にあった俺は、思いついたように佐々木を睨んだ。無意識に拳に力が入る。・・・ダメだ、何考えてる。佐々木は悪くない。悪くなんてないぞ俺。平常心を保つのに必死だった俺を見て、佐々木は少し驚いた顔をしたが、「・・・これは悪い事をした。少しからかいすぎたようだね・・・?」と、首を振りながら言った。もうわけがわからない。何をからかったのかもわからない。わからない。わからない。わからない・・・。 「・・・佐々木」俺の口から、自然に言葉がこぼれる。今は平常心が勝っている。大丈夫だ。「俺のこと、殴れ」「・・・え?」佐々木は目を見開いて驚いた。「わかってる。俺は最低だ。本当は自分で自分をボコボコにしてやりたいぐらいだ。そして今から俺が発する言葉も最低だと思う。でも聞いてくれ。これが今の精一杯だ。今朝も言ったが、俺には昨日の夜の記憶が全く無いんだ。そして、正直に言うとお前の言うとおり勢いだったんだと思う。・・・こんな言葉じゃ償いきれないのもわかってる、 でも言わせてくれ・・・すまなかった。俺のこと殴ってくれ。・・・今はこれしか俺には思いつかない・・・殴ってくれ・・・頼む・・・」俺はその場に膝をついた。そしてすぐに佐々木も俺に視線を合わせてきた。そして俺のあだ名を口にする。心なしか、その声は少し震えていた。「・・・もういいんだキョン。すまなかった。本当にすまない。昨日の夜、君と僕は何も無かったんだよ・・・本当だ」・・・なんですと?「・・・すまない・・・本当にすまない・・・。昨日の夜、君に僕が誘惑めいたことをしたんだ・・・。君に酒が入っていたことと、いつもの君でないということをを承知でね。 そして君は僕の誘いに一度乗ったんだ。でも・・・何もせずに終わった。それどころか君は・・・」佐々木は声を詰まらせる。「・・・涼宮さんの名前をつぶやきながら、泣き出したんだよ。ハルヒの声が聞こえた、ハルヒにひどいこと言っちまって、とかなんとか言ってた気がしたよ。とにかくビックリしたんだ。突然君が泣き出すもんだからね。どうしていいかわからなかった僕は、とりあえず君を抱きしめたよ。・・・そして泣き止んだかと思ったら、君は寝息を立てていた。・・・さすがの僕も呆れたよ・・・」俺はさっきよりも放心状態に陥っていた。「・・・悔しかったよ。やっと君と結ばれるんだって思ったのにまた涼宮さんが邪魔をして・・・。だから僕は、ちょっと意地悪してやろうかと思ったんだ。君を半裸にして、僕は下着姿になって・・・君を抱きしめたまま眠った。・・・ただ、それだけのことだ・・・。」 ついに佐々木は涙を零し始めた。ちょっと待て・・・俺は何もしていないんだよな・・・そして・・・ハルヒ・・・?「佐々木・・・泣くな。正直、何て言ったらいいかわからん。とりあえず、すまん。そして、俺はどうやらハルヒの所に行かないといけないようだ」「待ってくれ」立ち上がろうとした俺の手を、佐々木が強く掴む。「これだけは言わせてくれ。今朝僕が君に言った言葉は嘘なんかじゃないんだ。君が好きなんだ、キョン。」佐々木は真っ直ぐ俺を見つめる。「・・・これだけは、忘れないでくれ。・・・涼宮さんの所に行ってあげてくれ。そして悪かった、と伝えてくれ・・・」胸が締め付けられるような感覚に襲われた。「佐々木・・・すまん。ありがとう。」俺は立ち上がる前に佐々木を強く抱きしめた。3分ほど経つと、佐々木は消え入りそうな声で「行け」と呟いた。俺はそれを合図に目を強く瞑って立ち上がり、そのまま走り出した。 「―――ハルヒ!」後ろから、キョンの声が聞こえたような気がした。・・・でも、ありえないわ。こういう時、漫画ならきっと追いかけてくれる展開なんだろうけど、キョンは生憎そういう男じゃないのよ。さっきナンパされた時だってそんな展開には・・・「ハルヒ!!」あたしは振り返る。そこには、確かに息を切らしたキョンが居た。肩を大きく上下させながら、あたしを真っ直ぐと見つめていた。―――嫌。「・・・何よ・・・何で来たのよ・・・今夜も佐々木さんの家に泊まればいいじゃないの・・・それで今夜も・・・」「ハルヒ・・・聞いてくれ」「嫌よ!!」あたしは思わず叫んだ。言い訳なんか聞きたくなかった。キョンの顔なんか見たくなかった。嫌。やめて。「お前は勘違いしているんだ」「何が勘違いよ!!」「そして俺も勘違いしていたんだ」「ふざけないで!!意味わかんないわよ!!」「すまん、俺もついさっきわかったばっかりだ」「いい加減にしてよ!!!」「・・・ハルヒ」「うるさい!!」「ハルヒ」「うるさい!!」「ハルヒ!!」キョンがあたしの肩を強く掴む。突然の大きな声に怯んだあたしは抵抗することを忘れていた。「聞け、ハルヒ。昨日の晩俺は酔っていた。だから昨日の記憶が無かったんだ。・・・佐々木に誘われたことは覚えてる。でも記憶はその辺で途切れてるんだ。でな、朝起きた時俺は佐々木を抱きしめていたんだ。だからてっきり・・・その、そういうことしちまったんじゃないかって、思ってた・・・」あたしは逃げ出したくなった。でも逃げなかった。逃げたら負けだと思ったから。「でもそれは俺の勘違いっていうか・・・佐々木のいたずらだったんだ。それに俺はまんまと引っかかって・・・あの・・・すまん、言葉にならん。でも断じてそういうことは何も無かったんだ。本当だ。信じてくれ」「嘘よ・・・」「嘘なんかじゃねぇ!!俺の目を見ろ!!」また突然キョンが叫んだ。ずるいわ。こんな至近距離で叫ぶなんて反則よ・・・何も言えないじゃない・・・。言われたとおりキョンの目を見た。相変わらず、しょっぼい目。・・・でも、なんだか今は、いつもより目力が3割り増しだったような気がした。「でも、さっき佐々木が言ったように・・・佐々木の気持ちは嘘なんかじゃないそうだ。それだけは信じてくれと、あいつは泣きながらそう言ったんだ。だが、俺は今ここに居る。お前を必死に追いかけてきた。どういう意味だかわかるか・・・?」心臓が高鳴る。こ、これって・・・まさか・・・「わ、わからないわよ・・・」「ああ、俺もわからねぇ」・・・足の力が抜けそうになった。こいつ、投げ飛ばしてやりたいわ・・・。「でもな・・・わからないけどお前を放っておけなかった・・・だから今ここに俺は居る。・・・信じてくれ、ハルヒ・・・」キョンはそう言うと、それっきり口を開かなかった。きっとあたしの答えを待っているんだろう。あたしはというと、さっきまでのもやもやはすっかり消え、思わず笑いそうになるくらいだった。あまりにも、キョンが必死だったから。「・・・わかったわ。アンタのこと、信じるから」あたしがそう言うと、キョンの強張った顔が一瞬で笑顔になった。・・・よかった・・・。って、何あたし心底安心してんだろ。ていうか、何でさっき取り乱しちゃったんだろ?わけがわからないわ!もう!まぁ、いいわ!これで一件落着、ってわけね。あたしも、キョンに笑ってみせた。「今日はあたしの家に泊まっていいわよ、キョン。でも一つだけ約束しなさい?明日には必ず家に帰ること!いいわね!?」「・・・ああ、わかった。ありがとな、ハルヒ。」「お礼なんかいらないわ。そしてキョン、安心しなさい!」あたしは無意味に一回転して、とびっきりの笑顔を作ってやった。「あたしはアンタを誘惑したりしないんだからね!」 その次の日、俺はちゃんと家に戻り、家族と話し合った。今回は文字通りちゃんと話をし合うことができ、俺も自分の気持ちをぶつけることができた。涙涙の家族会議だったが、最後は笑顔で終えることができてよかったと思っている。・・・え?ハルヒとはどうなったかって?何もないさ。当たり前だろう。そして、明日から謹慎処分も解けてまた学校へ通うということもあり、俺は新しく携帯を買った。旧携帯は真っ二つなのでもちろんデータは残っていなかった。まぁ、中学の頃に使っていた旧旧携帯なら手元にあるし、それに高校の奴らの連絡先なら明日取り戻せるからな。今は中学の奴らの連絡先がわかればそれで充分だ。 アドレス変更メールを送り終え、タバコを片手に新携帯をいじっていると、佐々木からのメールを受信した。時刻:2007/10/01/19:41From:佐々木Subject:無題昨日、君に僕の告白だけは忘れないでくれ、と言ったが撤回する。やっぱり忘れてくれ、キョン。君が元の君に戻った時に、また僕の気持ちを言わせてもらう。僕も早く、制服に染み付いてしまった君のタバコのにおいを忘れるとするよ。 俺は思わず、タバコの火を消した。
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。