届かぬ想い
耳障りな着信音。僕のつかの間の眠りはそれによって破られた。「神人」を退治するために機関に所属している以上、 緊急の呼び出しには慣れていたはずなのにスッキリと目が覚めていない事にちょっとした驚きを覚える。 ……でも、真夜中に閉鎖空間が出現――すなわち彼女が悪夢を見る――のは確かに久々だ。「やれやれ」とは彼の口癖だが、ちょっとくらい拝借しても問題はないだろう。 携帯を手元に引き寄せ、相手をろくに確かめず通話を始める。『あ、もしもし。古泉くん?』 受話器から流れる声は想像もしていなかった人の物だった。「はい、古泉です。どうしました、涼宮さん?」 そう、相手は紛れもなく涼宮さんだった。電話を耳に当てたまま時計を確認する。 ……午前二時。ええ、あなたが望むのなら望遠鏡を担いで踏み切りまで行きますよ? それが僕の『仕事』ですから。でもちょっと非常識な時間ですよね。『うん、ごめんね。散々悩んだんだけど。ちょっと用事があるのよ』 回線の向こうの声は本当に申し訳なさそうだった。「僕にですか?」 正直に言って驚いた。心当たりがほとんどないのだから。長期休暇もしばらくないし、 彼女の好きそうな季節行事も近い将来の予定表には組み込まれていないはずだ。『あ、そういうのとは関係なしに明日……ううん、もう今日ね、付き合って欲しいのよ』「ええ、いいですよ」 色々と疑問は尽きないけれど、僕はそう答えていた。 集合時間と場所を一方的に告げられた後、『突然で本当にごめんね。……じゃあ、また後で』「ええ、おやすみなさい」『うん、おやすみ』 電話を切りつつ首を傾けてしまう。 もちろん、彼女が僕を単なるイベント企画要員とは思っていないのは そこはかとなく嬉しいし、ちょっとした誇らしさすら感じる。でもなぜ僕なのか。 そこが全く分からない。もしこれが、非日常とは全く関係ない女性の方からのお誘いであれば、 僕も男だから、胸の高鳴りを覚えるだろう。でも、相手は涼宮さん。 僕の個人的見解でしかないけれど、彼女は彼の方に少なからず想いを寄せているはず。 ますますもって僕である理由が思い付かない。 考えれば考えるほど、泥沼にはまって行く気がして僕は思考を中断した。 明日は早いのだから、少しでも眠って英気を養っておかないといけない。 本当の理由が何であれ、女性をリードするのが紳士の役目らしいのだから。 ……でも、本当の所を告白すれば、僕は期待していたのだけれど。 僕の個人的見解は全くの大外れであり、これが涼宮さんからの「そういった事」のお誘いであれば、と。 何せ彼女は実に魅力的な人に見える訳で。 遠足が楽しみでしょうがない小学生の様にまんじりとも出来ない夜を過ごした僕は、 ふらつく足取りで洗面所に向かい冷水で顔を洗って目を覚ます。 適当に夕飯の残りを並べた朝食をすませ、家を出た時はまだ、 約束の時間まで十分過ぎるほどの間があった。なぜだか足取りが軽くなる。 ちょっとした罪悪感すらこの浮かれた気分に水を差す事もなく、 むしろ助長している風でもあった。 待ち合わせ場所はいつもの駅前公園で、僕が到着したのは時間の三十分も前だった。 今の気持は何と表現すればいいのだろう。何と言えばいいのだろう。 それは実に単純な事らしい。 たった一本の電話と、たった一つの約束だけで、僕は彼女を……好きになったのだ。 あー、どうしよう。森さん辺りにバレたら二十四時間耐久説教も夢じゃないかもしれない。「やっぱり古泉くんは早いわね」「……! おはようございます」 物思いに沈んでいた僕の耳に軽やかな声が飛込む。 視線を上げればそこには涼宮さんがいる。 今まで意識的に使わなかった目線で彼女をみる。その度に確認してしまう。 彼女の美しさを。 意思の強さがはっきりと現れた黒い瞳に、肩の辺りまで伸びた黒髪。 頭一つ分の差がある体は華奢なようでその実、命の源のような物で満ちており、女性的美しさが際立つ。「……ずみくん、古泉くん」「何でしょう」「大丈夫? ボーッとしてるけど、寝不足?」「いえ、大丈夫です」「そう。ならいいけど」 非常識な時間に電話をかけた事を気に病んでいるようであったので、何でもない風に僕は、「今日はどちらまで行きますか」と尋ねた。 涼宮さんは下唇の辺りに人指し指を当て、首を少し傾けながら、「ちょっとした買い物と、見たい映画があるからそれを見て……その後はまだ未定。何かやりたい事ある?」 考えるより先に口が動いた。「ディナーでもどうですか? 良い店を紹介しますよ」 涼宮さんは面食らったらしく一瞬黙り、笑った。「大胆ね、古泉くん。お酒でも飲ませてあわよくば、何て考えてないわよね?」 まるで、僕の心情の変化に気付いているように的確で、強烈な牽制の台詞。「まさか、そんな事はありませんよ」 否定しながらいつものようにうっすらと笑みを浮かべる。「よね。じゃ、行きましょ」 まるで、彼を引っ張る時のように僕の手首を掴む涼宮さん。 ところが、二歩三歩でふと立ち止まり、何かを思い出すような素振りのあと、 僕の手を――手首でなく手を――掴んだ。否、握った。 心拍数が十倍にはねあがったかのような程の緊張状態。 彼女が僕の方を向いていなくて助かった。 今の顔は誰にも見せられないくらいに赤いだろう。 それからアクセサリー店や衣料品店を中心に種々の店を巡り、 昼食をファストフード店で済ませ、午後はベタベタの恋愛映画を見た。 こんな一日の過ごし方を十人に訊けば十人が異口同音に答えるだろう、「デートだ」と。 それも誰もが羨むような美少女との。 僕自身、今のこの状況を夢じゃないかと疑っている程だ。 そう疑いながら、心中では一つの衝動が沸き起こっている。 「彼女を僕の者にしたい」と。 誤解を招きかねない表現だから断っておくけれど、邪心は一欠片として抱いていない。 いわゆる彼氏彼女の関係になりたいのだ。 そんな悶々とした想いを胸に秘めて、僕は彼女を一軒のレストランに案内していた。「実を言えば意外でしたよ」 感じた事が口をついて出る。「何が?」と涼宮さんは聞き返す。「映画の内容です。普段のイメージからかけ離れてますから」「……あ、あたしだってそんな気分の日くらいあるわ」 涼宮さんが慌てたようにそっぽを向いた時、丁度に目的の店が見えた。 そのレストランはキッチリした所ではなく、気楽に入れるような店だ。「古泉くんって、準備良いわよね」 店内を見渡してから涼宮さんは言う。そのまま僕らは案内された席に向かう。「事前に調べなきゃ分かんないわよ、こんな店。昨日の今日なのに、……流石ね」 尊敬のような、信頼のようなその一言が心地好い。 辛うじて自身の「役割」を見失わずにすんでいるのは、たった一つの疑問が残っているから。 涼宮さんがあまりに「普通の」少女のように振る舞っているのは、何故か。それはすぐに分かった。 不意に喋り始める涼宮さん。「一日付き合ってもらったのは、訊きたい事があったの」 真っ直ぐ僕の目を見つめながら続ける。「今日のあたしさ、……普通っぽかった?」 ああ、なんだ。 自分の熱が急速に冷めていくのを感じる。恐らく彼女は――、「こんな事頼んじゃうのもどうかなってずっと悩んだんだけどさ、頼める相手が他に思い浮かばなかったのよ」「彼では問題があるのですか?」 これは確認。多分彼女は肯定するだろう。「うん、キョンじゃダメなのよ。……ダメって言うか、うーん」 涼宮さんは頭をかきむしりながら机に突っ伏した。「大体、何であたしがあいつの事で悩まなきゃいけないのよ……」 独り言のつもりなのだろうけれど、しっかり聞こえてますよ。 涼宮さんは顔をほんの少し上げて僕を見る。「ねえ、あいつってさ騒がしくないのがタイプなのかな」 彼女は今日一日、「普通」に振る舞ってそして、同年代の男子の意見を聞きたかったのだろう。 それは誰でも良い訳じゃなかった。口が固くて、頼りになって、勘違いなどしない人間でないと不都合だった。 それが彼女の望んだ僕の役割なら、僕はそれに従うだけだ。「涼宮さんには理想の男性像はありますか」と、彼女の質問には答えずに尋ねた。「え? まあ、あると思うわ」「ある日突然彼がそんな風になったら、どう感じますか」 涼宮さんは腕を組んで考え始めた。一分ほどの間の後、「違和感ありすぎて想像もつかないわ、正直ね」「では」と、僕は言った。「逆もまた有り得るのでは?」 ハッとした顔付きになる涼宮さん。「人は他人に対して、自分の持ったイメージ、すなわち先入観を持って接します。その先入観が覆された時、我々はある種のコペルニクス的回転を迫られます。お分かりだと思いますが、人は変革よりは安定を求める生き物です。もし、その世界観の逆転を彼が乗り越えたならば、良し。ですが――」「うん、分かったわ」 涼宮さんは話を遮り朗らかに頷く。「あたしはあたしらしく行くわ。良く考えたら、何であたしがあいつに譲歩しなきゃならないわけ? あー、何か腹立って来た」「……」「大体あいつはいつもいつも――」 彼女は溜りに溜った不平不満をぶち撒ける。僕は微笑みながらそれを聞いていた。 時々相槌を打ちながら。 果たして彼女は僕をどう見てるのだろう。「仲間」だろうか? そこから先には決してならないのだろうか。 諦めたはずなのに、また少し前の熱病に浮かされていたような気持ちが首をもたげる。「ついでに僕の悩みも聞いてもらって言いですか?」 気付けばそう言っていた。「え? あ、うん。もちろんいいわよ」 彼女は好奇の眼で僕を見つめる。 僕は小さく息を吸ってから話し始めた。「好きな人が、いるんです。聡明で、活発で、美しい人なんですがね」「完璧な人ね」「ええ、僕もそう思います」 その完璧な人は僕の眼前で楽しそうに唇を曲げている。「その人とは、間接的に面識はあったんです。あ、転校してくる前からと言う事ですよ」 彼女は二度、首を縦に振る。「結局その人とは転校した初日に学校で計らずも顔合わせをする事になったんです」「へー、同じクラスだったの?」「いいえ」 涼宮さんが固まった。それはそうだろう。 転校初日に僕が学校内で出会ったクラスメート以外の女性など、数える程しかいない事を彼女は知ってる。 他でもない彼女が、そうしたのだから。「まあ、それが誰かはひとまず置いておきましょう」 涼宮さんははただじっと僕に視線を注ぎ続ける。僕が誰を想っているのか読み取ろうとするように。「涼宮さん、僕は時々思うんです。理想が常に最上とは限らないんじゃないかと」 僕も彼女を見つめ返す。すると彼女は、「古泉くん。ちょっと耳貸して。面白い事教えてあげる」 と、突然不思議な笑顔を浮かべ、手招きした。 身を乗り出した僕の顔の側面に柔らかい感触。「な」 頬に口づけされたと気付くのに時間はいらなかった。「古泉くん、酷い事頼んでごめんね。コレで勘弁して」 そう言って舌を小さく出して笑い顔を作る。「あたし、どうやら精神病であいつ以外はそんな目で見れないの」「……お釣りを出さなきゃいけないくらいに素敵な代金ですね」「お釣りは取っておいて。古泉君なら、不自由しないでしょ?」 さらりと言ってのける涼宮さん。 人の心に火をつけておいて、さらに油まで注いでいく。酷い人だ。 それから、不思議な空気の中夕飯をすませた僕たちは、夜道を歩いていた。 駅で別れた彼女は笑いながら手を振っていた。 僕は……どうだろう? 分からない。 とっさに携帯をポケットから取り出して、とある番号をコールする。『なんだ、お前か。何のようだ?』 電話に出たのは彼だった。「ちょっと、話がるんですよ。お時間いただけますか?」『やれやれ』 受話器の向こうでは「またか」と言った顔をしてるに違いない。「実はですね――」 特に意味もない、それでいて冗長な話を始める。 ただ何となく時間をつぶすために。………………「いや、全く参ったものです」『お前の荒唐無稽な長話の方が困りもんだ。一時間だぞ、一時間』 受話器の向こうで彼は、さらに何かを呟く。「ああ、後一つ」『何だ、手短に頼むぞ』 僕は九の諦めと一の悔しさとを混ぜて言う。「これからも涼宮さんをよろしくお願いしますよ」『言われなくても、あいつから目を離そうとは思わねえよ。危なっかしくてな』 と、即答された。「それでは、そろそろ切ります」『そうしてくれ』 電話を切りつつ僕は心の中で彼に付け足す。「彼女を泣かしたら情け容赦なく殴りますからね」と。 ああ、このまま何もかも忘れてどこかへ行ってしまいたい。 それも出来ないのは、頬の当たりにまだ彼女の体温が残ってるからだろうか。 一人夜道を歩きながら僕は、僕は――。fin.
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