許されざるもの
※鬱ENDの作品です。嫌いな方はスルーしてください。
僕はいま北高の屋上にいる。目の前には、大人になった朝比奈さんが、物憂げな、悲しげな表情をして僕のほうを見ている。いま、僕がここから眺める風景は、一ヶ月前と何ら変わりはしない。だが、いまの僕にとって、ここから眺める風景、いやこの世界そのものが、以前とは全く違う色あせたもののように思える。なぜこんなことになってしまったのか。話は一ヶ月ほど前に遡る。 「ちょっとキョン! あたしのプリン食べたでしょ!」あたしは冷蔵庫にあったプリンがひとつ足りないことに気付き、キョンを問い詰める。「あ、ああ、しかし、プリンはふたつあったし、ひとつは俺のものだと………」そう言いながら、キョンは古泉くんの方に視線を向けた。確かにあのプリンはキョンといっしょに食べようと、あたしが買ってきたものだ。たぶん、キョンは古泉くんからそのことを聞いたのだろう。だが、プリンを食べることよりも、むしろキョンといっしょに食べることのほうが重要なのだ。そのために買ってきたというのに………この鈍感男はそんなことお構いなしに、あたしに無断でさっさと先に自分の分のプリンを食べてしまっていた。そのことが許せない。「キョン! いますぐプリンを買ってきなさい!」「ちょ、おま、わかってるのか。外は雨なんだぞ」「なによ! じゃああんた、あたしのプリンを断りもなく勝手に食べて、そのままとぼけようって言うの」言いながら、後悔している自分に気付く。ああ、あたしはこんなことが言いたいわけではないのに。「あんたといっしょに食べようと、買ってきたプリンなのよ。だから残りのプリンは半分ずつに分けて食べましょ」本当はこう言いたかったのに………たぶんこの後、キョンはプリンを買いに、雨の中、出かけるだろう。その優しさが、とても嬉しいんだけど、あたしを自己嫌悪に陥らせる。また、今日の夜も眠れなさそうだ。キョンは大きくため息をついて、仕方がないといった表情で「わかった、じゃあ買ってくるよ」そう言って、部屋から出て行った。古泉くんはいつもの笑顔で、みくるちゃんはおどおどしながら、有希は本から目を離さずに、あたしたちの様子を窺っていた。たぶん、三人は知ってるのよね。あたしがキョンを好きだってことを。SOS団の中で、あたしのこの想いに気付いてないのは、キョンだけ。そのことが余計にあたしをイラつかせる。でも、でももし、キョンがあたしの想いに気付いてしまったら、あたしから離れていってしまうんじゃないかと不安にも思っている。だから、だから一歩を踏み出すことができず、逆にキョンに冷たく当たってしまう。「はあ」あたしは大きくため息をついて、団長席に腰を下ろし、鬱々とした気分で、パソコンに向かい、ネットサーフィンを始めた。それから一時間ほど時間が経過したが、キョンはまだ戻ってこない。なによあいつ、どこで油を売ってるのかしら。早く戻ってこないと心配するじゃない。古泉くんがチラチラとあたしの様子を窺っている。あたしってそんなに感情が表に出るタイプなのかしら。そんなことを思っていると、突然、古泉くんの携帯が鳴り出した。「失礼します」そう言って、古泉君は部屋から出て行き、2~3分してから青ざめた表情で戻って来た。生気のなくなったような目で、あたしの方を見る。そんな古泉くんの様子から、なんとなく悪い予感がした。「涼宮さん、落ち着いて聞いてください」「え、なに?」直感的にさっきの電話がキョンのことだとわかった。「も、もしかしてキョンのこと」恐る恐るあたしが尋ねると、古泉君は首肯して真剣な表情で、あたしに電話の内容を告げた。「そうです。どうやら交通事故に遭ったそうです」「え!」あたしは体を震わせながら、古泉くんに確認する。「な、う、うそよね、古泉くん、キョンが交通事故なんて」「す、涼宮さん、お、落ち着いてください。なにもまだ大怪我をしたり、死んだというわけでは………」「あ、当たり前じゃない!! あんた何言ってんのよ! キョンが死ぬなんて、そんなことがあるわけないでしょ!」あたしは動揺のあまり、みくるちゃんを大声で怒鳴りつけた。「まずは状況の把握に努めるべき。早急に彼の搬送された病院へ向かうことを推奨する」有希が、いつもの口調で、あたし達の間に割って入る。冷静な判断をしてくれたことは助かったが、正直、有希の態度がキョンを心配していないようで少し腹が立った。でも、いまはそんなことを言ってる場合じゃない。早速、古泉くんが手配してくれたタクシーに乗って、あたし達はキョンの搬送された病院へと向かった。病院へ着くと、キョンの家族が手術室の前で、祈るような悲痛の表情で、キョンが手術室から出てくるのを待っていた。そして、手術室のランプが消え、出てきた医師から告げられた言葉は、あたしを絶望のどん底へと突き落とした。「全力を尽くしたのですが………助けることはできませんでした」医師の言葉を聞いて、キョンの母親が、両手で顔をおおって「ワーッ」と、泣き出した。キョンの妹が泣きながら、母親の服にすがりつき、「キョンくんは………キョンくんはどうなるの。もう会うことはできないの」と母親に聞いている。隣に立っている男性、キョンの父親とおぼしき人が、俯いたまま必死で涙を堪えている。あたしはその光景を見ながら、よろよろと後退りをし、みくるちゃんと古泉くんにぶつかった。「涼宮さん! しっかりしてください」振り向いて、あたしは三人に問い掛ける。「あ、あ、あたしのせいなの。あたしが……あたしが…あんなことをキョンに言ったから………だから……」「涼宮さん! 落ち着いてください! 涼宮さんの責任ではありません。これは不慮の事故です」「そうですよ! 涼宮さんが悪いわけではありません」「そう、あなたはいったん落ち着くべき」三人はあたしをかばってくれた。あたしのせいではないと言ってくれた。でも、このときのあたしは、そんな三人の優しさが腹立たしかった。「お前のせいだ」そう言ってもらいたかった。もし仮に、ここで三人の誰かにこういわれたら、あたしはこの場で泣き崩れて、立ち直ることができなかっただろう。それでも、このときあたしがこう思ったのは、嘘偽りのないあたしの本心だ。そんな矛盾した感情と、やり場のない怒りが、こみ上げてくるのがわかった。「な、なんで、みんなあたしをかばうの。あたしのせいじゃない。あたしが…あたしがキョンにプリンを買って来いなんて言わなければ、キョンは死なずにすんだのに………」 「そんな風に自分を責めないで――」「なによ! 本当は古泉くんだってあたしが悪いと思ってるんでしょっ! 有希も! みくるちゃんも! なのに、なんであたしをかばうのよ!!」あたしはそう叫ぶと、走ってその場から逃げ出した。雨に濡れることもかまわず、あたしは必死になって走り、家にたどり着くと、一目散に自分の部屋に駆け込み、ベッドに突っ伏した。目をつむると、手術室の前でキョンの家族が泣いている光景が浮かび、脳裏に焼き付いて離れない。「ううっ、うわああああぁぁぁぁぁ」涙が後から後から溢れ出て、嗚咽が止まらない。キョンがあたしの心のどれだけ多くを占めていたかが、キョンの存在があたしにとってどれだけ重要だったかが、失って初めてわかった。明日から何を目的に学校に行こうか。明日からキョンのいない机を眺めながら過ごさなければならないのだろうか。あたしの日常が端から崩壊していくような感覚に陥る。いっそ、いっそキョンのいない世界など無くなってしまえばいいのに。そんなことを考えながら、あたしは枕を抱きしめて泣いていた。 どれぐらい時間が経っただろう。気がつくと、外は真っ暗になっていた。突然、携帯電話が鳴ったため、あたしは反射的に電話をとった。「あの~、涼宮さん、いまから部室まで来てもらえませんか。キョンくんのことでお話があるんです」電話の主はみくるちゃんだった。このとき、みくるちゃんの声に、なにかいつもと違う雰囲気を感じた。キョンが死んだ悲しみではない違和感を……「……………」あたしが無言でいると、みくるちゃんは予想もつかないことを言い出した。「あの~、涼宮さん、もしかしたらキョンくんに会うことができるかもしれないのです。だから、必ず来てください」「な、ちょっと! みくるちゃん?」あたしは、みくるちゃんにどういう意味かを、問いただそうとしたが、あたしの言葉を聞かずに、みくるちゃんは電話を切ってしまった。どういうことだろう。もしかしたら交通事故に遭ったのはキョンではなく、人違いだったとか。いや、そんなことはない。病院には家族がいたし、それにもし仮にそうなら、いま言えば済む話だ。わざわざ部室まで行く意味がわからない。だが、理由はどうあれ、もし、ほんの少しでも奇跡が起こる可能性があるなら、あたしはそれに賭ける。時計を見ると、夜の十時を過ぎていた。あたしは家族に気付かれないように、静かに家を出て、学校へと向かった。みくるちゃんの言葉に一縷の望みを託して。北高へと続く急な坂を、あたしは急ぎ足で駆け上り、校門の壁を攀じ登って忍び込むと、わき目もふらずに文芸部室へと向かった。雨は上がっており、学校の窓からは月明かりが差し込んでいる。今日は満月だ。キョンがいなくなり、悲しみのどん底にいたはずなのに、いまはなぜか、なぜか気持ちが高ぶっている。まるで、これからなにが起きるかを知っているかのように。あたしは文芸部室の前まで来ると、深呼吸をしていったん気持ちを落ち着かせてから、文芸部室のドアを開けた。すると、そこにはいつものSOS団の光景が広がっていた。つまり、有希と、みくるちゃんと、古泉くんと、そしてキョンがいたのだ。あたしは一瞬、自分の目を疑った。しかし、驚きはしなかった。それは北高に忍び込んだときから、いや、みくるちゃんの電話があったときから、こうなることを心のどこかで予想していたからだ。三人はあたしが入ってきたことを確認すると、無言のまま、キョンとあたしを残して、部屋から出て行った。あたしがどう言葉をかけようかと迷っていると、キョンはあたしのほうを見て、優しく微笑んだ。「ハルヒ………」キョンの声がとても懐かしいもののように感じる。失って初めて気付いた大切な人、最愛の人が目の前にいる。あたしは、何かにはじかれるように、キョンの胸に飛び込むと、もう二度と離れないように、キョンの体をギュッと抱きしめた。「うわああああああああぁぁぁぁぁっ! ああああああぁぁっ!」あたしがキョンの胸で泣いている間、キョンは優しくあたしの背中をさすってくれた。「ごめんな、ハルヒ、心配かけて」キョンの声、しぐさ、匂い、それら全てのものがあたしに安らぎを与えてくれる。あたしを絶望のどん底から救い上げてくれる。あたしは泣きやんだ後も、しばらく抱き合ったまま、キョンの胸に顔をうずめていた。だが、だんだんと不安が込みあげてくるのがわかる。そう、キョンは確かに死んだはずだ。あたしはそのことを知っているはずだ。でも、目の前にはキョンがいる。その理由……聞きたくない。できれば知ること無く、このままキョンと日常に戻りたい。しかし、あたしの目の前で起こっていることは、無視するにはあまりにも大きすぎる。あたしは意を決して、キョンにその理由を尋ねた。「キョン……なんで………」キョンはたったこれだけの言葉で、あたしの言いたいことを理解した。「ハルヒ、落ち着いてよく聞いてくれ。俺は、俺はいままでお前といっしょにいた俺じゃない」「え!?」「俺は今日、お前によって創りだされたんだ」「ど、どういうこと」あたしは、キョンに促されて、その場にあったパイプ椅子に座り、キョンはあたしの真向かいに座って、説明を始めた。キョンは、あたしが世界を創りかえられる能力を持っていること、有希やみくるちゃんや古泉くんのこと、そして今まであった出来事を話してくれた。最初、あたしはキョンの言っていることが理解できなかった。とても、信じられるような話ではなかったからだ。しかし、目の前で起こっている奇跡や、いままで三人に対して感じていた違和感など思い当たる節があった。なによりも、キョンの真剣な表情が、その言葉が真実であることを物語っていた。あたしはキョンの説明に言葉を失った。「ハルヒ、重要な話だからよく聞いてくれ。俺はいままでお前が見てきた俺じゃあない。お前が創りだした理想の俺だ。だが、ハルヒは俺の全てを知っていたわけではない。お前が見ていた俺は学校にいる間だけの俺でしかないんだ。だから、だから…………」そこまで言って、キョンは少し言いよどんだが、意を決して、あたしが一番聞きたくない言葉を口にした。「俺はここにいてはいけないんだ」「え、そ、そんな………」キョンの言葉を聞いて、また涙が溢れてきた。でも、キョンの気持ちも痛いほどよくわかった。この世界にはもうキョンの居場所がないのだ。そう、キョンの家族はもうキョンの死を受け入れている。いまのキョンには家族の元へ帰ることすらできないのだ。「ハルヒ…お前と別れるのは辛いけど……あの三人とも話し合ったんだが……こういう結論しか出なかったんだ」「キョンと離れたくない。もう、あたしひとりでは生きていけない。いまさらキョンと別れるなんてできない」「………………」ふたりとも言葉を失い、沈黙する。そのときのキョンの顔はとても悲しそうに見えた。あたしはそんなキョンを見たくない。「でも………あんたがそうやって悲しい顔をしていたら、あたしも悲しくなる。あんたには笑っていて欲しいの。だから……」あたしは身を切り裂くような思いで、決断の言葉を口にした。「あんたがそう願うなら、あんたの願いを聞いてあげる」「ハルヒ……」キョンの目からも涙が溢れていた。当然だろう。自分が消えてしまうのだから、怖くないわけがない。悲しくないわけがない。「でも、今日だけは、あたしといっしょに過ごして」キョンは、あたしの言葉を聞いて、袖で涙を拭うと「ああ」と微笑んでくれた。あたしは立ち上がると、キョンに手を差し伸べた。キョンは怪訝な顔をしてあたしの顔を見る。「シンデレラ、午前0時になると魔法が解けて別れてしまうの。だから、それまであたしと踊って」「王子様とお姫様の役が逆だぞ」「そんな細かいこと、どうだっていいじゃない。さっさと立ちなさい」キョンは「そうだな」と言いつつ、あたしの手を取って、立ち上がった。時計の針は11時30分を指していた。あたし達は互いに体を寄せ合い、慣れないながらも、ぎこちない動きで、踊りだした。窓からは月明かりが差し込み、静寂があたりを包み込む。周囲にある全てのものが作り物で、あたしとキョンのふたりだけが現実であるような、まるでこの世界に、あたしとキョンのたった二人しか存在しないような錯覚に陥る。 この幻想的な時間が少しでも長く続いて欲しいと思った。 どれぐらいそうしていただろう。「そろそろ時間のようだ」キョンがそう言って、時計に目をやった。11時59分。キョンの身体が透けてきている。「ハルヒ、最期にひとつ約束してくれ」「何?」「俺がいなくなっても、この世界のことを嫌いにならないでくれ。俺はこの世界から消えるけど、俺の家族や長門、朝比奈さん、古泉それにクラスメートのみんなが、まだこの世界に……だから………」キョンの言いたいことはすぐに理解できた。自分が消えようとしているのに、他人の心配をするなんて………でも、そんなところがキョンらしいな、とも思った。「頼む」「わかったわ。あたしはあんたが心配するようなことはしないわ。でも………」あたしは少し躊躇ったが、意を決して、キョンに心中を打ち明けた。「あたし怖いよ。神様なんかになりたくないよ。だから、だから…あんたと……」最後は言葉にならなかった。でも、たぶんキョンには、あたしの言いたかったことは伝わっただろう。キョンはあたしを抱き寄せると、あたしの顎の下にそっと手をやり、唇を近づけてくる。あたしはキョンを抱きしめて、目をつむった。そして唇をあわせる。永遠とも、一瞬とも思える時間が過ぎ去り、あたしが目を開けると、キョンの姿はもうそこにはなかった。ただ、あたしが目を開けたその瞬間、確かにキョンは優しく微笑んでいた。「うわあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」あたしは、その場に膝をつき、床を叩いて泣いた。しかし、いくら泣き叫んでも、もうキョンは帰って来なかった。僕は、文芸部室の前で、床にもたれて、そのときが来るのを待っていた。隣では、長門さんと、朝比奈さんが、やはり浮かない表情で、そのときが来るのを待っている。部屋の中からは、しばらく彼と涼宮さんの話し声が聞こえた後、涼宮さんの泣き声が聞こえ、そして静寂がやって来た。僕達はそのときが来たことを知り、文芸部室のドアを開け、中に入る。部屋の中には涼宮さんが倒れていた。「涼宮ハルヒの生命反応の停止を確認」長門さんは、普段の平坦な声でそうつぶやくと、涼宮さんの身体を両手で抱きかかえて、団長席へと運び、座らせた。朝比奈さんが、俯いたまま、ぼそぼそとつぶやく。「長門さんの創りだしたキョンくんが、世界を崩壊に導かないように、涼宮さんを自殺に追い込んだのね」長門さんは朝比奈さんのほうを振り向き、決められた定型処理をこなすように、淡々と答える。「情報統合思念体であっても、生命を創造することはできない。わたしは涼宮ハルヒの願望から能力を借りて、彼を形作ったにすぎない。わたしではなく、わたしたちが、涼宮ハルヒの願望と彼を利用して、涼宮ハルヒを死に追いやった」長門さんの言葉を聞いて、顔をあげた朝比奈さんは笑っていた。「そうね、本当は涼宮さんも、キョンくんも助かる方法があったのに、わたしたちは涼宮さんを死に追いやる方法を選んだのね」朝比奈さんの言動は、僕をイラつかせるのに十分だった。僕も、長門さんも望んでこのようなことを行ったわけではない。そのことを十分理解しているはずの朝比奈さんが、このようなことを僕達に言うことが、とても腹立たしく思えた。「朝比奈さん!! あなただって十分承知していたはずです! こうなることを! なのにいまさらそんなことを言うのは卑怯だと思いませんか!」情報統合思念体、未来、そして機関は、今回のことで、鍵を失った涼宮ハルヒが暴走し、世界を崩壊に導くことを恐れた。だから、最も世界崩壊の可能性が低い方法で今回の事態を切り抜けようと協力したのだ。そして、導き出された結論は涼宮ハルヒの死であった。ふたりを身近で見てきた僕にとって、今回僕達がとった方法が、世界崩壊を防ぐ最良の方法であったとは、どうしても思えない。むしろ世界崩壊の可能性を高める方法であったようにさえ思える。だが、機関からの指令には逆らえなかった。実際、このような結末になる可能性がどれくらいであったのかは、僕にはわからない。が、相当低かったのではないかとさえ思える。しかし、作戦は成功してしまったのだ。僕の予想に反して。怒りを込めて、朝比奈さんを睨みつけたが、朝比奈さんは僕の言葉に反応せず、涼宮さんのほうに近寄り、彼女の髪をなで始めた。「うふふ、涼宮さん、キョンくんのいない世界に見切りをつけて、キョンくんの元に逝ってしまったのね。わかるわ、その気持ち。わたしもキョンくんのことが好きだったから。ふふふふ」「あ、朝比奈……さん?」ようやく僕は、朝比奈さんの様子がおかしいことに気付いた。朝比奈さんは、僕達のほうを振り向くと、泣いているとも笑っているともわからない表情で、自分と僕達を侮辱し始めた。「ふふふ、はははは、あたしたちは鬼だわ。信頼してくれていた涼宮さんを裏切り、好きだったキョンくんを利用し、ふたりとも死に追いやった。わたしたちのしたことは人のすることではないわ。そう、鬼畜の所業よ。ふふふうふふ、ははははっははは うっ」突然、朝比奈さんは前のめりに倒れこみ、その背後には、哀しげな表情をした、大人の朝比奈さんが立っていた。「すみません、この子はわたしが未来に連れて帰ります。長門さん」大人の朝比奈さんは長門さんの方を向いて一言告げる。「情報操作をお願いできますか。この子が急にこの時間平面から消えると、みんなが混乱するから」「了解した」長門さんがそう言うや否や、ふたりの朝比奈さんの姿は消えた。ふたり残された僕達は、互いに言葉を交わすこと無く、文芸部室を後にした。 「あの後、どうなったのですか」大人の姿をした朝比奈さんが、僕に尋ねてくる。「涼宮さんが変死したことにより、彼の亡霊の仕業ではないかという噂が一時広まりました。でも、みんなすぐに忘れてしまいました。それは、情報統合思念体や機関の意思でもあったし、なにより僕達は、他人にふたりの死を興味本位で語ってもらいたくなかったからです。長門さんは彼と涼宮さんの葬儀が終わった後で、自らの処分を情報統合思念体に申請し、この世界から消えました。『この世界から去っていくわたしを、無責任だと蔑んでくれても、卑怯者だと罵ってくれても構わない。わたしはふたりのいない世界をこれ以上見たくない』これが、僕が聞いた長門さんの最後の言葉です」僕はなるべく感情を表に出さないように、淡々と説明をした。「朝比奈さんは、あの後どうなされたのですか?」僕の問い掛けを聞いて、朝比奈さんは、屋上の手すりに手を置き、遠くを見つめながら、語りだした。「わたしはあの後、専用の施設に保護されました。白い壁に囲まれた牢獄のようなところで、わたしはこれから数年間過ごすことになります。施設から出てきたとき、わたしには過去の記憶がほとんどありませんでした。どうして過去を失ってしまったのか、どうしてわたしだけがこんなに辛い思いをしなければならなかったのか、わたしは知りたかった。でも、誰に聞いても最後の一片の記憶、この時のことだけは教えてくれなかった。わたしはどうしても知りたかったの。だから、志願してこの任務に就き、再びこの時間平面に戻ってきたの」そう言いながら、朝比奈さんは顔を上に向けて、空を見上げた。「ふふふ、わたしってばかよね。もし、知らないままでいれば、過去を失った不幸な女として、普通に暮らすことができたのに……」「朝比奈さん………」「でも、わたしは後悔はしてません。だって、三人の誰もキョンくんと涼宮さんのことを覚えていないんじゃあ、あまりにもふたりが可哀想です。だから、せめてわたしだけでも、ふたりのことを、SOS団での日々を覚えていてあげたい。そしてわたしがふたりに対して犯した罪も………それがわたしにできる、精一杯の償いだと思うから」朝比奈さんは僕のほうを見て、一瞬だけ何か言おうと暗い表情をしたが、思いとどまって微笑んだ。「さようなら、古泉くん、もう会うことはないでしょうけど、お元気で」そう言って、朝比奈さんはこの時間平面から去って行った。朝比奈さんの言動や態度、仕草から、僕の予感は確信に変わりつつあった。僕はもうすぐ死ぬのだろう。朝比奈さんは、僕のことについては、一切、聞きはしなかった。それは、これから僕の身に何が起こるかを知っているからだ。機関はいま真っ二つに分裂している。ひとつは僕の所属する主流派、世界の秩序維持に重きを置いている。彼らの中では、僕は世界を救った英雄として敬意をもって遇されている。もうひとつは、涼宮ハルヒを神と崇める原理主義派だ。彼らにとって僕は「神殺しの古泉」として暗殺リストのトップに記載されるほど憎まれている。近い将来、僕は彼らに利用され、そして殺されるだろう。でも、そのときが来ても、僕は自らの身にもたらされる運命を甘んじて受け入れようと思う。それが、あのふたりに対して僕ができる、せめてもの償いだと思うからだ。 ~終わり~
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