植物園でお茶を
今日は金曜日。つまり明日は土曜日。金曜日の放課後らしい開放的でどこか気の抜けた空気を感じつつ、俺は教室を後にした。運悪く掃除当番に当たり、出遅れてしまった。今週は順番から行くと、市内探索ツアーのはずだが、気まぐれなハルヒのことだ。先週に引き続き、二人で遊びにいくつもりでいるかもしれん。まず植物園見学で、午後はお遊びスポットを楽しむ。自分ではいいプランを組んだと思ったが、ハルヒは『あっそ』と言っただけだ。もうちょっと盛り上がりがほしいもんだが。あの時ハルヒはミニタリー風のミニでラップなスカートに、奇妙なデザインの長袖Tシャツ姿で待ち合わせ場所に現れた。約束の20分も前にだ。
「おまたせ。珍しいわね、あたしより先に来るなんて」ハルヒは、にこやかな表情で俺に言った。「そうか?」「そうよ。いつもその姿勢が欲しいわね」「時間は守ってるぜ」「SOS団は20分前行動が原則よ。さ、立ち話してないで、とっとと電車乗って出掛けましょう」ハルヒに背中を押されるように、電車に乗った。電車を乗り継いで、小一時間。目的地に到着する。入園料は俺が払うことになる。二人で1000円は高くねえか?巨大で禍々しいオオオニバスには驚いたが、それ以外はほとんど記憶に残っていない。うっそうと茂った熱帯の植物を見学したというだけだ。覚えているのは会話ぐらいなもので、なにを見たのかもはや事象の地平線をとうに超えてしまった。ああ、食虫植物コーナーで非常に興奮した小学生がうるさかったのは覚えている。その特殊な生態に心奪われる気持ちはわからないでもないが、ほとほどにしておけと忠告したくなった事もな。
植物園を一回りしたが、思いのほか時間が余ってしまった。子供のころは、もうちょっと時間掛かってたように思うのだがな。「ね、限定のお茶だって」ハルヒが指さす方をみれば、手書きのPOPが下がっていた。文面には少数民族が飲んでいるお茶だという。植物園でそのお茶の栽培に成功したらしく、主に疲労回復に効果があると書いてあった。なんだかとても怪しく、しかも一杯200円。高いんじゃねえか?「せっかく来たんだし、こういうのも楽しまなきゃね」ハルヒが言う事には一理ある。それは認めよう。しかし、俺が常に支払うのは理屈にあってないぜ。そう思いつつも400円が俺の財布から消えた。
二人怪しげなお茶入りの紙コップを持って、植物園の外に出た。観光地にあるようなパラソル付きプラスチックテーブルが数十脚おいてあった。さすがに時間がまだ早いのか、腰掛けている人はいない。「日差しは強いけど、風はまだ涼しいわねえ~」ハルヒが穏やかな声で言う。「ああ」庭園はよく手入れされているように見えた。さまざまな木々が植えられているが、中でも大きなメタセコイアはこの植物園の自慢らしい。その大きなメタセコイアが小さく揺れる程度の風が吹いている。潮風を感じる程度に海も近い。ハルヒは誰も座っていないテーブルをいろいろ吟味している。なにを基準に選んでいるのか定かではない。しばらく歩いて、やっと気に入ったテーブルが見つかったようだ。テーブルにお茶を置きながら、椅子に腰掛けた。俺はハルヒの対面に腰を降ろした。すると、ハルヒがバッグを渡してきた。「きっちり管理してなさい」ハルヒはそういうと、お茶に口をつけた。一瞬眉をひそめたが、何事もなかったようにゴクゴクと喉を鳴らしている。どうしてこいつはお茶を落ち着いて楽しむということをしないのか分からないが、あっけなく紙コップは空になった。しばらくは普通の会話を楽しんでいたのだが、突然ハルヒが妙な事を言い出した。「そういえばさぁ、あんた、なんであのとき佐々木のこと書かなかったのよ?」なにが『そういえばさぁ』なのかよく分からない。それまでの話となんら関連はないようだ。もっとも、今に始まったことでもないといえばその通りで、意味不明なのも今に始まったことじゃない。「何の事だ?」「ほら、あのクソ生徒会長に脅されて作ったじゃないの、去年。機関紙をさ」「ああ、それで?」「それで。じゃなくて、なんであのとき妹ちゃんの友達に騙された話を書いたのかってことよ」ハルヒはイライラを隠さずに言う。ミヨキチに騙された訳ではないし、そもそも生徒会長に脅された訳でもなく、単にハルヒが退屈しないようにと古泉の憎たらしい心遣いだ。もっとも各方面に対し心優しき俺は、黙ってお茶を一口飲んだ。マズイという訳ではないのだが、独特の風味が人を選びそうだ。慣れれば悪くはなさそうだが、慣れたいとも思わないね。
「答えなさい」爛々と瞳を輝かせながら、ハルヒが言う。「塾の行き帰りに一緒だっただけだ。それこそ誰でも経験するような話だ。そもそもオチがあるわけでもねえしな」「………」ハルヒは手を組み、その上に顎を乗せた。そして黙って俺を見ている。感情を押さえぎみの瞳からは、まるで不可視のレーザービームが放たれているようだ。 俺の話は終わったのだが、ハルヒは何も言わない。じっと俺の目をみていて、身じろぎも忘れたように固まっている。手を振るか、それとも頬を指でつつこうか迷っているうちに、ハルヒがぼそりと一言漏らした。「本当?」「脚色なし、作り話なし、過剰な演出もなしだ」「夏祭りで浴衣だったからついうっかりとか、市民プールで水着だったから、ついバランス崩してみたとか、中学最後の文化祭、こっそり二人で回ったとかもなしね?」 質問の意味がよくわからんが、どうやら何かいかがわしい事をしなかったか聞いているつもりらしい。そういうラブコメ的展開がそこらに転がっているとでも思っているのだろうか、こいつは。しかし、正直一番最後については記憶にない。回ったと言われれば回ったかも知れないが、そんなささいな事を数年後も記憶しているわけもない。ひょっとすると途中で出くわして一緒になった可能性はなきにしもあらずだが、ここはないということにしとくべきだろう。「ああ。ない」「本当?」ハルヒは唇をカモノハシのように変形させながら重ねて聞いて来た。「天地神明に誓ってない」大きなため息と、ムスっとした顔は納得していないことを露骨に表しているが、ハルヒの口から出てくる言葉はそれとは180度ベクトルが違った。「そう。分かった」そして居心地悪そうな表情のまま、耳にかかる髪を払った。まあ以前に比べればおとなしくなったもんだ。去年の秋は馬乗りで真実を告白しろと迫られたり、冬には窓から突き落とされそうになった。すべて誤解が元ではあったものの散々な目にあった。あの時、自白剤なんてものがあったなら、ハルヒは躊躇わずに俺に投与していたはずだ。
「お茶、買って来てよ。さっきと違うやつ」ぶすっとした表情でハルヒが言った。この世の中はあまりにも面白くないので、さてどうやって壊してやろうか考えてる破壊神に見えなくもないし、ただ不機嫌なだけにも見える。どういう訳か少なからず苛立ちを感じるが、こういう場合は何も言わずに買いに行ってやるしかない。苛立ちを押さえ付け、いそいそと席を立った。売店にとって返して普通の紅茶と、目に付いた自家製まんじゅうを売店で買い求めた。これで世界が救えるなら安いもんだ。そう思わないか?
ハルヒに紅茶の入った紙コップを渡し、テーブルにまんじゅうを乗せた紙皿をおいた。「なによ、これ」ハルヒはまんじゅうを一瞥すると言った。「植物園まんじゅうだ」適当な事を言ったが、ハルヒはふーんという顔を見せて、それとつまみ上げ一口で食べてしまった。「これ結構おいしいわね」咀嚼しつつハルヒが言った。「食べていい?」「ああ」3つ買っておけば、一つは食えるだろうという浅はかな読みは外れた。ハルヒは。次々と胃袋に収めてしまう。また一気に紅茶を飲み干すと、ほっと一息ついてこう言った。「ごちそうさま。なかなか気が利くじゃない」どういう訳か笑顔がこぼれている。まさか朝食抜きって訳じゃないだろうに。「しっかり食べて来たわよ。ひょっとしてあんたも食べたかったの?」「いや……」「遠慮しなくてもいいのに」ニヤニヤと邪悪な笑顔を浮かべながらハルヒが言う。「なんだったら、あーんってしてあげたのに」何故かこのセリフにムッと来た。いつもなら苦笑で流すところだが、その時の俺はなにかが違った。俺のことをどうのこうのいう前に、お前はどうなんだ?「え?」ハルヒはキョトンとした表情で俺を見つめた。「やっぱり、中学時代に付き合った男にもあーんしてやったりしたのか?」ハルヒの表情が凍りついた。クルクルよく動く瞳さえ停止した。「なにを言ってるの?」固まった表情そのままの声で言った。「あーんしてやったりしてたのか?って聞いてるんだ」「なにを言い出すかと思えば」呆れた表情でハルヒが言った。「焼き餅焼くところ間違ってるわよ。第一、あたしから声かけたことなんてないし」「それでも誘われればホイホイ付いてったんだろう?」「そりゃ、暇つぶしにね。話したこともないのに、あたしに告白するような奴らが、どう楽しませてくれるのか興味あったから。ま、所詮中学生よね。ひとつも面白くなかったわ」「夏祭りに神社のすみっこでとか、ひと夏の経験なんてことあったんじゃないのか?」キスの一つや二つ、中学時代の淡い思い出として残っていてもおかしくはない。もちろん俺はない。だが、ハルヒはありうる。男をとっかえひっかえした実績がある。話を聞く限りは遊んでいただけのようだが。もちろん体を許した経験も考えられなくはない。それを思うと、心の奥底に青い炎が燃え上がるように感じる。それは嫉妬なのか、それとも別の物なのか。どちらにしろ事実をしっかり確認しておく必要があるだろう。
「んなことないわよ。暇つぶしの相手と面倒抱え込む気はないし。ちょっとでもそういう素振り見せた瞬間に振ってたもん」ハルヒは肩をすくめ、ため息をついた。「本当か?」「なによ、いまのいままで気にした素振りも見せなかったくせに……あのね、ちゃんと付き合うのはあんたが初めてなの」ハルヒは頬を膨らませながら言う。言ってから上目遣いで俺を軽く睨んだ。そして小声で付け足した。「その、キスだって初めてだったんだし……全部あんたが初めてなの」「どうだかな」「ホント、どうしたっていうのよ……」ハルヒは小首を振りながら呆れたように言った。俺はコップに残った茶を一気に飲み干した。独特すぎる香りにむせそうになる。「さっきのが気に障ったのなら、その……まあ、謝ってやってもいいわよ。でも気になるのよ、やっぱり。しょうがないじゃない、その……分かるでしょう?」ハルヒはじれったそうに言った。 「自分のことは棚に上げて、か?」「どうしたのよ……ねえ、いつものキョンはどこいったのよ」「いつもの俺なら、口先三寸で丸め込めるとでも言いたいのか? あんたが最初って、いままでの男にもそう言ったのか?」「もういい加減にして!!」ハルヒがバンとテーブルを叩き、険しい顔で俺をにらみつけた。「そうじゃないって、言ってるでしょう!!!」その衝撃で、紙カップが紅茶を撒き散らしながら宙を舞い、地面に転がった。奇跡的に服には一滴も掛かっていない。それが何故なのかは考えたくない。ハルヒは険しい顔のまま、カップを拾い上げた。それをくしゃりと手でつぶすと、テーブルに置いた。いびつにつぶれた紙コップが、何かに似ているような気がした。ハルヒは何も言わずにカバンを手にとると、俺に背中を向けた。俺はハルヒの背中を見送るのはやめて、視線を地面に落とした。終わったという実感が心に広がっていく。心の遠いところには、世界もこれで終わるのかという思いが浮かんでいるが、そのうち消えてしまう。今の俺にしてみれば、規模が違うだけで、同じことだからだろうか。そのうちポケットの携帯電話が着信を知らせ、みなが大慌てで事態の収拾に乗り出すのかもしれん。が、そんな余裕は残されていないかもしれない。
強い風が吹き抜け、景色が滲んだ。目にゴミでも入ったんだろう。それにしても変なゴミだ。痛くもねえのに、涙がこぼれそうだ。涙がこぼれないように、空を仰いだ。初夏を思わせる空が一杯に広がっていた。空には、白いペンキをハケで塗り付けたような雲が浮かんでいた。ゴミが入ったんなら、しばらくそのままにしておけばいいだろう。涙が洗い流してくれる筈だ。俺も席を立って帰ればいいんだろうが、まあそれは後でいい。まだ先でいい。この場所を忘れないように覚えとかなきゃならんからな。最後の記憶になるのだろうから。
頬に冷たいものが当たって、椅子から飛び上がるかと思った。振り向くと、ハルヒが悪戯を咎められた子供のような表情で立っていた。手に缶コーヒーを持っている。それを俺の頬に当てたのか。「これ飲んで、頭冷やしなさい」口を尖らせつつ、ぶっきらぼうにハルヒが言った。胸の中に燃え盛る青い炎を無視しつつ、缶コーヒーを受け取った。ハルヒの顔が見れなくて、背中を向けた。俺は缶コーヒーのプルトップを開けて、胃にコーヒーを一気に流し込んだ。心で燃え上がっていた青い炎がどんどん小さくなっていくのがわかる。どういう訳か、夢から醒めたような間隔まで覚える。一体、全体どうしたってんだ、俺は?さきほどまでのやり取りが、まるで遠い風景のように感じられる。肩に手が置かれた。ハルヒの手だった。すこし震えていた。「帰ったんじゃないのか?」声が途中でかすれるのが自分で分かり、情けない。「ふん、団長として団員放置して帰る訳にはいかないわよ」ハルヒの声も震えている。「責任を追求されかねないわ」しばらく二人でそのまま風に吹かれて、頭を冷やすことにした。「ちょっと、歩こうか」ハルヒにそう言われて、立ち上がった。ハルヒに押されるように歩きだした。「………すまん。ちと言い過ぎた」「今回は許したげる」ハルヒは、堅い笑顔を浮かべた。「普通だったら、一発で別れるんだからね。次は謝ったって絶対許さないわよ」「分かった」「でも、突然どうしたってのよ。これまであーゆーこと気にした素振りもなかったのに」「正直、自分でもなんであんなことを言ったのかわからん。……まあ売り言葉に買い言葉……にしては度を過ぎてたな。重ねてすまん」「まあ、あたしもいまさら佐々木がどうとか聞いたりしたしね。……あんたが隣にいてくれれば、それでいいのに」「俺も同じなんだが……」二人で首をひねってたが、答えらしき物には到達できそうにない。やがてハルヒが、穏やかな表情を浮かべつつ、こう言った。「まぁいいわ。焼き餅が過ぎることもあるでしょ。そういうことにしましょう」「そうだな。ところで蒸し返すようだが、あの時に佐々木と塾に通ってた話を書いてたら、お前はどうしてたと思う?」「多分、これだけじゃないでしょ全部書くのよ全部!!って詰め寄ってたわね」「同じ結果か。しかもオチもねえし、没決定ってところだな」「オチがないんなら、作ればいいのよ。例えばそうね、成績が上がったご褒美に、純潔もらっちゃいましたオチとか、成績が上がっておまけに彼女も出来ましたオチとか、逆に彼女は出来たけど成績は下がって結局振られましたオチとか。 いくらでも考えられるじゃない。それが創作の醍醐味よね」「なるほどな」「もっとも、あんたがそういう話書いたら、あたし意味もなく暴れてたかもしれないけどね」ハルヒは冗談めかして笑った。が、原稿を破り捨て、ノートパソコンを放り投げて破壊するこいつの姿が容易に想像できる。そして非難めいた視線の古泉、液体窒素より冷たい視線の長門、そしてただおろおろするだけの朝比奈さんに囲まれて、小さくなる俺なんてのもいたかもしれん。過去の俺に感謝してやってもいいだろうな。
敷地をずんずん進んで行くと、海に出た。下は岸壁らしく、金属製の柵が設けられている。岸壁に沿うように遊歩道もあるのだが、人どおりはなかった。ハルヒは柵の前に立つと、大きく深呼吸を始めた。俺はハルヒの隣に防風林のように立ってやる。潮風がちと冷たいからな。俺は遠くに大きな建物を指さして、あれが目指すお遊びスポットとハルヒに教えてやった。買い物、食事、屋内型遊園地、その他さまざまな施設で皆様のお越しをお待ちしておりますとウェブページに書いてあったぞ。「ふーん。で、ここからどうやっていくの? まさか泳いで?」ハルヒが不思議そうな顔で言った。「バカか。近くに水上バス乗り場がある。そこからあそこに行ける」「バカとはなによ、バカとは」ハルヒは顎を持ち上げ、抗議するような目で俺を見ている。尖らせた唇は艶やかに光っている。唇につけてるのはリップクリームなのか口紅なのか、どっちなんだろうな?「あ、目が変。やらしいこと考えてるでしょ?」「まあな」勝負は一瞬で決まる。回りを確認したり、ためらっている余裕はない。俺を見上げたままのハルヒの腰に手を素早くそえた。「え?」ハルヒが戸惑っている今がチャンス。そっと抱き寄せて、軽く口づけを交わした。かすかに桃の香りを感じた。やっぱりリップクリームなのか?「バ、バカ、いきなりなにすんのよぉ」唇を手で押さえながらハルヒが言った。「誰かに見られたらどうすんのよ、恥ずかしいじゃない」「誰もいねえよ」そう言ったとたん、犬を連れた飼い主が横を通り過ぎて行った。『わたしはなにも見てません』といいたげな表情をしているということは……見られたのか。くそっ、ぬかったぜ。「ほら」ハルヒが俺の脇腹を軽くつついた。「見られたじゃないのよ」ハルヒは恥ずかしそうに俺をにらみつけている。耳まで赤く染まっていた。「すまん」視線を逸らして、頭を下げるほかなかった。「バカ」ハルヒが俺の靴を軽く蹴った。「バカバカバカバカ」ハルヒは声に合わせて俺の靴を蹴り続け、俺はその屈辱に耐えるしかなかった。長い回想はこれにて終わりだ。もう部室に到着した。ノックをしてから開けるのは、当然の礼儀だよな。ないとは思うが、誰か着替えているかもしれんしな。「どーぞー」のんきなハルヒの声が、部屋の中から聞こえた。扉を開けると、全員勢揃いしている。エプロンドレス姿の朝比奈さんはホウキを手に掃除していたし、古泉は一人将棋を楽しんでいる。長門は定位置で黙々と読書に励んでいるし、ハルヒはなぜか期待に満ちた目でこっちをみていたが、それも一瞬の事だった。「なんだ、あんたか」がっくりとした声で迎えられるとは思わなかったな。「なんだとはまたご挨拶だな」「新入部員が来たんじゃないかって思ったの。ぬか喜びよ。ああがっかり~」ハルヒはおおげさに肩をすくめると、PCに向った。文章を打ち始めたのか、カタカタとキーボードを鳴らしはじめた。俺はカバンを長テーブルに置いて、定位置に腰掛けた。「今日は人生ゲームでもやりませんか」将棋の駒を片付けながら、古泉が言う。「ま、なんでも構わないがな。どうせ勝つのは俺だ」「ふっ、たまには勝たせていただきますよ」古泉は立ち上がり、ゲームがしまってあるロッカーを開け、人生ゲームの箱を取り出した。「そうそう。ちょっと興味深いお話を仕入れたんですが」古泉は人生ゲームの箱を長テーブルに置いて、椅子に腰掛けた。箱を開けて、人生ゲームやらお金やら駒などを取り出していく。「聞こうじゃないか」「海の近くの植物園で、ちょっとした事件があって一部で話題になってます」「植物園で事件?」「まあたいしたことではありません。そこの植物園で先週、幻のお茶なんてものを販売したそうなんですが、向精神作用があることが分かったそうですよ」古泉はゲーム盤を広げながら言った。「向精神作用?」「平たく言えば、心のお薬ですね。あるいは麻薬とか覚せい剤とか」「なんだと?」背後で、キーボードのカタカタ音が止んだ。「気分を悪くした人が何人か出て、そのお茶を植物園が調べたら、なんと驚くことに、ある種の向精神薬と分子構造がよく似た物質が検出されたそうです」「ほ、ほう」「古泉くん、その話は本当なの?」「ええ。僕もさっき知ったんですけどね。……どうしました?」「キョン、あのとき飲んだお茶じゃないの? ほら、植物園で飲んだじゃないの。変なお茶。まずくって、さすがのあたしも吐くかと思ったわ。きっと、喧嘩したのも、あれが原因だったのよ!!」ハルヒは得意げにしゃべり出した。が、場所をわきまえろと言いたい。俺は何も言えず、薄ら笑いを浮かべることしか出来ない。「ほう、お二人であそこにいかれたのですか?」古泉がいかにも楽しそうに微笑みながら身を乗り出してきた。「あ、いや、そういうことがあったかもなーってね、キョン。そうでしょ?」慌ててハルヒが返した。「ああ、そうそう。そういうことがあったかもなーってだけでな」俺は同調するしかない。「……暑苦しい」そっと長門が言った。非難するような目で見るのはやめてくれよ、長門。別に悪いことをした覚えはねえぜ。「有希、暑いんなら窓あければいいじゃない。っていうか、カーディガン脱いだら?」「二人でデートですかぁ?いいな~」朝比奈さんが笑顔を浮かべつつ言った。「みくるちゃん、デートじゃなくて……あ、そう、下見よ下見。明日はみんなで植物園でも行こうか?」「植物園はその煽りを受けて、しばらく閉鎖するそうですよ」苦笑を浮かべる古泉に、非難するような目で俺を見る長門。そして、きょとんとした表情で「デートっていけないことかしら?」とつぶやく朝比奈さん。ハルヒはなぜか苦しい弁解を続けようとしている。俺は肩をすくめ、黙っているしか術がなかった。
おわり
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