第5話~then...Happy End?~
あれから、一ヶ月。 一人の少女が欠けた世界は、何事もなかったかのように回り続ける。 俺の通う北高も例外ではなく、今日も今日とて平常授業が行われている。 それも当然だろう。 「朝倉涼子」という名の生徒は、もとより存在などしていなかったのだから。§「・・・情報操作を行う」 あの後、長門は涙を拭いて、最後の仕上げに取り掛かった。「涼子は、父親の仕事の都合で―――」「待ってくれ、長門」 呼び止める。 怪訝そうな顔をして、長門は振り返った。「・・・なに?」「朝倉の記憶を―――、みんなの頭から消してくれないか?」 絶句する長門。いやまぁ、言葉がないのはいつものことなのだが。「・・・どうして?」「・・・これ以上あいつの名前を聞くことが俺には耐えられないから、かな」 そう、俺には耐えられなかった。 こうして自分が朝倉の名を出した時でさえ、あいつの顔が、声が、最後の微笑みがフラッシュバックして、発狂しそうになる。 自己嫌悪から来る強烈な吐き気が、凄まじい眩暈が俺を苛む。 まして、他人がその名を出すことに、あいつの噂をすることに、俺が耐えられるはずもない。 俺は、あの優しい想い出から逃げ出した。 たとえそれが逃避でしかなかったとしても。たとえそれをあいつが悲しんでも。 そうでもしなければ、俺は確実に狂い死んでいただろうから。「・・・わかった」 黙りこんでしまった俺の心情を汲みとってくれたのか、長門は了承してくれた。 ほっと、息をつく。「ありがとう、長―――」「ただし」 俺の言葉を遮り、長門は真摯な瞳を俺に向けて、「あなたからは、記憶は消さない」 そう、言った。§「な・・・・・・」 今度は俺が絶句する番だった。 構わず、長門はただ真剣に、ひたむきに、心を込めて言葉を紡ぐ。「あなたが涼子を忘却することは、私が望まない。涼子も、きっと望まない。せめてあなただけは・・・・・・涼子を、忘れないであげてほしい」「・・・・・・」 反論できない。 黙ったままの俺に対して、長門は。「これは、十字架。涼子の想い出から、別離の哀しみから逃避することを選んだあなたが、ずっと背負い続けなければならない枷。・・・あなたには」 予想外の厳しい物言い。 ここで一旦言葉を切り、そして―――トドメをさした。「ずっとずっと、涼子とともに生きてほしい」§「・・・ああいう言い方は反則だよなぁ」 いつもと変わらぬハイキングコースを、いつもと変わらぬ独白とともに、いつもと変わらぬ歩調で歩く。 半ばルーチンワークと化した日常。何気なく過ぎるその一ページ。 ―――だった、はずなのだが。「・・・ん?」 陽炎に霞む坂道の向こう。 暑さと眠気で曖昧になる視界の中、俺は見た。 蒼みがかった黒髪の女が、ガードレールに座ってこちらに手を振っているのを。§「・・・っ!」 目が醒めた。 そうとしか形容できない、衝撃。だらけた全身に冷水を浴びたかのような。大槌で頭を殴られたかのような。 ジグソーパズルの欠けたピースが、色褪せた世界にはまり込むような、爽快な感覚。「・・・朝倉!」 思わず走り出した俺に、悪戯っぽい笑みを投げかけたそいつは、やにわにガードレールから飛び降りて駆け出した。「待てって・・・!」 俺も必死で追いかけるが、さすが委員長、足も相当速い。 それでも何とか距離を縮め、あと少しで手が届くところまで近付いたとき、朝倉は角を曲がり―――。 そのまま、忽然と姿を消した。§「・・・・・・幻?」 独り残された俺は、呆然とそう呟くことしかできなかった。 さっきの朝倉は―――、ただの幻だった。 理解した。理解すると同時に、そのことが立ち直りかけていた俺を再び奈落へと突き落とす。「・・・ははっ。疲れてんな、俺も」「どうしたの? 笑い声が乾燥してるわよ?」「うひゃあぁっ!?」 突然背後から声をかけられれば、きっと皆様方もこんな声が出てしまうはずだ。 心臓に悪いから、試してみろとは言わないが。 気を取り直して後ろを振り返る。そこにいたのは我らがSOS団団長にして天井天下唯我独尊女、「・・・ハルヒか」「なによ、あたしが声かけちゃ悪いっての?」 得意のアヒル口。 一ヶ月前のあの日、俺はまたしても(というかなんというか)ハルヒに呼び出され、告白され、そして断った。 正直、同じやつを2度も、それもいつも一緒にいるハルヒを振るのはつらかった。 もう二度と見たくないと思っていた泣き顔も、また見ることになってしまった。 それでも、俺は朝倉を捨てられなかった。 あいつを忘れるなど、俺には到底できそうになかった。 おかしな話だ。あの時は、あれだけ自分の記憶から消し去りたくて、逃げ出したくて仕方なかったのに。 あの時ハルヒを選んでいれば、俺はこんなに苦しまずに済んだのに。 俺は、いつまでも朝倉と在ることに決めた。 たとえ、記憶の中でしか逢えなくても。たとえ、思い出すたびに哀しみが胸を締めつけても。 幻を視るほど恋焦がれたこの想いは、二度と手離したくないと思えるくらいの、限りない輝きを放っていたのだから。「・・・っとキョン! キョン!?」「んあ?」 その言葉に、ふと我に返る。 ハルヒが仁王立ちで俺の前に立っていた。 あの告白の日からも、俺とハルヒは今まで通りの関係を維持していた。 ハルヒのほうからそれを提案してきたことには驚いたが、俺にしてみれば断る理由など皆無であり、今ではよき友人として付き合っている。 それはそれとして。「何か用か?」「だ・か・ら! キョンは知ってるの、って聞いたの!!」 何をだ。お前の文章は肝心なところが抜け落ちてるからさっぱり分からん。「今日、うちのクラスに転校生がくるらしい、ってことよ!!」§ ・・・は?「いったいぜんたいどんな奴なのかしら!?」 おいおい、「宇宙人? 未来人? 超能力者だったりして!? ・・・キョン?」 ちょっと待て。 あの夏休みにも勝る、強烈な既視感。 冷や汗が止まらない。心臓が別の生き物のように鼓動を早めていく。 しかして、この感覚は恐怖ではない。いや、それどころかむしろ―――。「キョンっ!!」 ハルヒの声で再び我に返る。未だ心臓は早鐘のように脈打ち、全身から嫌な汗が噴き出しているが。「ちょっとキョン、大丈夫? 顔真っ青よ? 無理しないで保健室に・・・」「いや、大丈夫だ」 落ち着かぬ身体を必死に御して、俺はハルヒにいらえを返す。 それまでの態度を誤魔化すように、「それより、早く教室に行こうぜ。遅刻しちまう」「え? まだ余裕じゃない・・・って、キョン! 待ちなさいよ!」 俺は、ハルヒとともに教室へ向かった。§「今日は転校生を紹介するぞ」 そして、朝のホームルーム。 当然のことながら、クラスは転校生の話題で持ちきりだった。 それは後ろの席のアイツも同様で、しきりに俺に話し掛けては適度に無視されている。 はっきり言おう。 俺はそれどころじゃない。 先刻から延々と俺の中で繰り返される光景。 朝倉との再会。 朝倉と過ごした、わずか3日ばかりの日々。 そして―――朝倉との、あの別れの日。 それらは強い予感を伴って、頭の中でリフレインを起こしている。 くだらない幻想だと、取るに足らぬ妄想だと、決め付けてしまうのは簡単で、楽だった。 しかし、そうやって斬って捨てるには、その予感はあまりにも大きすぎた。「入ってきてくれ」 岡部に促され、転校生が入室してくる。 その場にいた全員が、その美しさに息を飲んだ。 僅かに蒼みがかった長い黒髪、チャームポイントの太い眉。 一瞬でクラス中の注目を集めた美人転校生は、その形のよい唇だけを動かして、”ただいま、キョン君” 声を出さずにそう言って、教卓の方に歩いてきた。 ―――あぁ。 その途端、胸に想いが溢れて、 俺は、人知れず涙を流した。 それは歓びの涙。哀しみも切なさも含まれない、歓喜の結晶を溶かした祝福の雫。 ―――伝えたいことがたくさんある。訊きたいこともたくさんある。 だけど、まずは。「皆さん、こんにちは。私の名前は―――」 ―――おかえり、朝倉。朝倉涼子の再誕 Fin...
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