間違いだらけの文化祭 Scene1
「おお、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの?」「君がロミオという名が気に入らないなら、もう僕はロミオではない」 体育館のステージに、やる気のない声と凛とした声が響く。 名前が連呼されたのですぐわかったと思う――ロミオとジュリエットを演じている最中だ。 日本でも知れ渡っている有名な恋愛劇。 イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピアが作った戯曲だ。 詳しい内容は知らなくても、大体の人がロミオの名前をどこかで聞いたことがあるだろう。 俺のクラスは文化祭の出し物でこれを演じる。 俺が体調を崩して学校を休んだ日に決まっていた。 やれやれだ。適当に歌でも歌うほうが手間がかからないんじゃないか? せめて舞台裏なら良かったんだけどな。 俺も舞台で演じる一人だ。なお悪いことにセリフがとても多い。 配役まで知らぬ間に決まってたんだ。知ってたら無理にでも学校に来たぞ。 クラスの話し合いを休んだ人間は厄介事を押し付けられると決まっているからな。 ああ、よりにもよって、どうして俺が主演の一人なんだ…… 何故か俺は、駆け落ち心中するカップルの片割れを演じなければならなかった。 ロミオとジュリエットは典型的な悲劇だ。 時代は14世紀。イタリアの都市ヴェロナには、昔から争い憎しみあう2つの家があった。 キャピュレット家とモンタギュー家。両家は血で血を洗う抗争を繰り返していた。 そのキャピュレット家の娘ジュリエットと、モンタジュー家の息子ロミオが恋に落ちる。 2人は、互いの家の諍いから周囲に言えないまま密かに結婚した。 ジュリエットが既婚だと知らない父親は娘の抵抗を意に介さず、自分が見つけてきた男と結婚しなければ縁を切るとまで言い出した。 進退窮まったジュリエット仮死薬を飲み、それを避けた。 ロミオへは仮死薬の案を出したロレンス神父からの使いが行くはずだった。 しかし使いの者はロミオと出会わなかった。 ジュリエットが仮死状態と知らないロミオは妻の死に絶望して毒を飲む。 目覚めたジュリエットはロミオの死体を見て自殺。 事情を知った2人の両親は嘆き悲しんで不合理な争いを止めた。 大体はそういう話だ。 家が敵対してる男女のロマンスだと覚えておけば間違いはない。 お国柄なのか話の原型ができた時代のせいなのか、くさいセリフ満載だ。 台本を読み上げるたびに銃で頭を打ち抜きたくなるぜ。 「私の家の者があなたを見つければ、彼らは迷わず剣をあなたに向けるでしょう」「彼らの剣よりも、あなたの瞳の方が僕には恐ろしい」 このセリフの方が俺には万倍恐ろしい。 俺が必死に堪えている一方、相手役は平静そのものだ。 厚顔無恥ぶりが少しだけ羨ましい。「ストップ! 全然ダメ!」 監督役の文化祭実行委員から叱責が飛んだ。 三つ編み眼鏡の女子は腹立たしげに、丸めた台本を手に打ちつけた。ぽすぽすと間抜けな音がする。「キョンくん、ちゃんと感情込めて!」 逃げずに読んでるだけ褒めて欲しいね。 こんなクサイ言葉を情感たっぷりに読み上げられる中学生は少ないと思うぞ。 嫌がってるのが顔に出てるだろうが、誤魔化す気もしない。 今からでも配役を変えてくれ。「さっきも言ったが聞いていいか」「む、しつこいわね。何度言われても配役は変えないわよ」 監督は口を尖らせた。 なんで俺に恋愛劇の主役をやらせようとするのかね。ミスキャストだ。 無駄とわかっているが、俺は相手役の佐々木に顔を向けた。 俺が口を開く前に、佐々木はニュースを読み上げるアナウンサーのようにどこか機械的に喋り始めた。「キミは僕の説明を理解して驚いていたように見えたんだけどね。勉強ならともかく、この場合に脳に刻まれた情報を再び耳から取り入れる意味があると思えないな。まあ、キミがその行為によって納得するなら僕も答えることに吝かではない。さっきも聞いた答えをもう一度聞きたいならどうぞ」 誰が納得するか。 財布の中身を全部賭けてもいい、普通の男子中学生の9割はこの境遇に疑問を抱くはずだ。 俺は既に何度も口にした抗議を声に乗せた。 「なんで俺がジュリエットなんだ」 ……そう、俺は女役をやることに勝手に決定されているのだ。 駆け落ちカップルを演じるだけじゃ足りないのか。俺を追い詰めて何が楽しい。 ロミオ役の佐々木は悪役の笑顔になった。「クラスでそう決まったからさ。多数決でね」 体育館の照明を受ける佐々木の目の色はいつもより薄く見えた。 恋愛を否定するこいつが恋愛劇の主役なんてものを楽しんでやるわけがない。 主演2人が乗り気じゃないってのはマズイんじゃないか? 抗議の意思を込めて再び監督の少女に目を向けた。「最初はキョンくんがロミオだったんだ。けど、佐々木さんがジュリエットは嫌だって言うから入れ替えたの」 元凶は佐々木か。 佐々木は肩をすくめた。「情報の伝達がうまくいかなかった。僕も言葉が足りなかったのかもしれない。恋愛劇の主役をやることへの精神的抵抗が大きいという意味で言ったんだが、みんなはジュリエット役を嫌がっているという直接的な意味でとらえた」 他人事みたいに言うな。 お前だって問題が全然解決してないんだから嫌だろう。 まったく、どうせなら見栄えのするやつを選べばいいものを。 平凡な顔の俺は主役なんぞにならずに済む。 佐々木のほうは外見で選んでも主役候補にあがると思うけどな。かなりの美少女だ。「……まあ、佐々木がロミオになった経緯はわかった。 それで何で俺がジュリエットなんだ? 最初にロミオだったのもおかしいだろ」「ロミジュリやるって決まったら、主役はキョンくんと佐々木さんがいいって意見が出たのよ。付き合ってる2人が主演ってことで全員が賛成票を入れたわ」 それは誤解だ。 まだ言ってるのかよ、こいつら。 三つ編み女子は台本で手の平を2回打った。「おしゃべりはここまで。続けましょ。棒読みは止めてね」 俺を睨んでいる。 くっ、仕方ない……。恨むぞ。 ジュリエットのセリフを言うしかあるまい。棒読みを改善する気はないがな。 俺は蛍光ペンが走らせてある台本に目を落とした。佐々木に向き直って嫌々読み上げる。「どうやってこの場所へ入ってきたのですか」 これは普通に言えた。「高い塀があったはずです。どなたの案内で来たのでしょう」「そんなものは恋の翼で飛び越えたさ。石垣などでどうして恋をしめ出せるだろう」 佐々木はさらっと言った。 よく真顔で言えるな。俺なら絶対詰まるか棒読みだ。 こういうところでは佐々木のほうが順応性があるらしい。 恋愛否定派の佐々木は不本意だろうが、ロミオ役に適してるかもな。 だが、こいつの身長は低い。女子の中でも小柄なほうだ。 で、当然ながら男子の平均的な身長の俺のほうが高いのである。 一見してロミオよりジュリエットが高いとわかる、でこぼこカップルだ。 ああ、現実世界の俺たちは普通の友達だぞ。誤解してもらっちゃ困る。 2時間後、ようやく悪夢の演劇練習から解放された。 監督役の実行委員は不満げに口を尖らせていたが、俺はかなりがんばったぞ。 廊下を佐々木と並んで歩きながら台本を広げる。 赤い蛍光ペンで彩られた文字列が強制的に目に入った。「危ないよ、キョン」「大丈夫だって。危なくなったら教えてくれ。最初にざっと読んだ時も思ったけど、台本の後半がごっそりないよな」 佐々木の解説のおかげで全体的なストーリーは頭に入っている。 渡された台本はストーリーの前半しかなかった。短いのは非常にありがたい。「ああ、それか」 佐々木は事も無げに頷いた。「一クラスがやる内容としては長すぎるから合同なんだよ。2年生の中にも演劇をやりたがるクラスがあったそうだ。文化祭実行委員同士で話し合って、丁度いいから手を組んだんだったかな」 余計なことをしやがる。そのまま企画段階で潰れてりゃ良かったんだよ。「最も有名な、聞かれてるとも知らずにジュリエットがロミオへの愛を語るシーンは喜んで譲ってくれたらしい。彼らは演技とはいえ皆の前で言いたくなかったようだ」 その気持ちはよくわかる。俺だって嫌だからな。 拒否権があるなら全力で行使するぜ。「それで俺たちがロミオとジュリエットの恋愛場面をやることになったわけか」 佐々木は静かに頷いた。 肩より上で綺麗に切り揃えられた短い髪がさらりと揺れる。「僕の知らないところで決められてしまった。あとはトントン拍子に進んだ。主演なんて面倒なものをやりたくない彼らは適当な理由をつけて僕とキョンを強制的に主演にした。民主主義と言えば聞こえはいいが、少数に犠牲を強いた利己主義に過ぎない。僕が少々快く思わなくても仕方ないと思っているよ」 つまり、面倒事を押し付けられてムカついてますってことだな。 身のまわりのオーラが毒性に変わってるぜ佐々木さんよ。 隣を歩いてる俺もちょっと苦しいから機嫌を直してくれないか。 話してるうちに、ちょうどソファと自動販売機が設置してある休憩スペースに差し掛かった。 壁に密着している掲示板に読書週間のポスターやら学園祭のお知らせが貼られている。「慣れないことして疲れちまった。喉が渇いた」 制服のポケットから財布を取り出した。薄いのはご愛嬌だ。 校内の自動販売機は100円以内の安い紙パックのジュースだけ置いてある。 俺はなけなしの千円札を入れて、とりあえず自分の分を買った。 ガタガタと音がしてコーヒー牛乳が落ちて来る。金はまだ自販機に残ったままだ。「お前も何か飲むか?」 ……俺としては最大限の言葉なんだよ、気が利いてないとか言うな。ほっといてくれ。 悲しいかな、俺は女と付き合ったことがない。 こういう時に相手の機嫌が直る魔法の言葉は都合よく思いつかないんだ。「奢ってくれるのかい?」「ああ。お前もロミオなんて嫌々やらされて疲れてるだろうしな」「色々思うことはあるが、相手がキミだから心配しているほど機嫌は悪くないよ」 どういう意味だ、そりゃ。 俺は紙パックの後ろのストローを取り出して中に刺した。 それを佐々木は面白そうに見ていた。こいつの思考回路は未だに謎だ。「ここまで言ってもキミは疑うことをしない。だから僕は安心していられるし、同時にとても苛立ってしまう。僕も望んでいるのにね」 よくわからないぞ佐々木。 ところで、お前何が好きだったっけ。甘すぎるの苦手だったか。「糖分が高い飲み物をたくさん口にすると辛いな。少し分けてくれないか。他の物を頼んでキミの財布に負担をかけるのは心苦しい」「そうか。全部飲むなよ」 ケチなことを言いつつ、俺は飲みかけのコーヒー牛乳を佐々木に渡した。 それを飲んだ途端、佐々木の眉根が寄った。 無理するなよ。金欠だが100円くらいどうってことないぜ。「甘いね」「コーヒー牛乳だからな」 これは甘いと決まっている。 本格派のカフェなんかだと違うかもしれないが、安物の紙パックは似たり寄ったりだ。「ごちそうさま。ありがとうキョン」「あれだけでいいのか? 口直しに烏龍茶あたりを奢ってもいいぜ」「遠慮しておくよ」 佐々木は微妙な笑顔で断った。 普段より女っぽく見えたのは俺の気のせいってことにしておこう。
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