それは部活?
放課後の掃除当番に当たってしまった俺は、かなり遅れて部室へと向かっている。ハルヒは先行くわねとの言葉を残して消えてしまった。おとなしく部室に行くのか、それともどこかほっつき歩いているのかもしれん。部室棟への渡り廊下を歩けば、新鮮な風が心地いい。軽く喉の渇きを覚えたものの、部室に行けば朝比奈さんがいれてくれるお茶が楽しめるだろう。ペットボトルのような無粋なものは不要だ。早いもので4月も中旬だ。佐々木や橘はまったく音沙汰がない。一体何をやってるのかはわからんが、できればあと100年ほどでいいから、おとなしくしていてほしいもんだと思う。部室の扉を開けると、団長席に座ったハルヒの姿が見えた。うっかり飲み物を零した幼稚園児のような笑顔を浮かべた。「あれ?みんなは?」ハルヒは肩をすくめて話し出した。「古泉くんはなんかバイトが忙しくて、みくるちゃんは風邪でお休み。有希はとなりで遊んでるわ」「そうか」俺は長テーブルにカバンを置き、定位置におかれているパイプ椅子を引いて腰掛けた。「そうなの。とりあえずあんたとあたしだけってことね」ハルヒは頬杖をつき、ついでにため息までついてから、そう言った。そのまま見つめ合うこと数秒。話す言葉も見つからずに、二人同時に視線を逸らせてしまった。ハルヒを見るのがなんとなく恥ずかしいのは何故だ。部室に二人しかいないからか。時間遡行までして、ハルヒの想いを知り、自分の想いに気づいたからなのか。そこまで考えが届くと、とたんに恥ずかしさが倍増し、喉の渇きも増してしまうのは、本能のなせる業なんだろうか?「お茶、飲むか」俺はハルヒの返事も聞かずに立ち上がり、冷蔵庫に向かった。確か冷蔵庫にペットボトルのウーロン茶があったはずだ。冷蔵庫のドアを掴んだところで、ハルヒと手が触れた。お互い驚いて、手を引っ込めてしまう。「お茶ぐらい入れたげるからさ、座ってなよ」ハルヒは視線をうつむき気味にしながら言う。「あ、いや、おまえこそ座ってろよ」俺はハルヒの手元を見ながら言う。お互いに立ち尽くし、相手の出方を伺っている。「じゃ、こうしようよ。あたしが湯飲みを準備するから、キョンがそれにお茶を入れるの」「そ、そうだな」口の中がねばつくようだ。「それがいいな」なにがいいのか自分でも分からないままに、冷蔵庫を勢いよく開け、ペットボトルを見つけた。まだ半分ウーロン茶が残っている。ハルヒは俺と自分の湯飲みをなぜか自分の机に置いてから、俺を振り返った。俺はペットボトルを冷蔵庫から取り出した。ボトルキャップを外して、冷蔵庫の上に置いた。俺はペットボトルを手に団長机まで歩み寄ると、まずハルヒの湯飲みを取り上げてウーロン茶を注いだ。ハルヒに湯飲みを渡した。ほんの少しだけ指が触れて、あやうく湯飲みをおとしそうになるが、すんでのところで悲劇は防げた。ハルヒは深いため息をつき、たったまま湯飲みに口をつけた。つややかな唇が、湯飲みに触れるのを、ぼんやり見つめてしまう。「やだ。なに見てるのよ?」ハルヒは視線を合わせようとせず、小声でささやくように言う。声が照れていた。「あ、すまん」あわてて背を向け、自分の湯飲みにウーロン茶を注ぎ入れた。そのままの態勢で、立ったままウーロン茶を飲んだ。味なんてしねえ。超純水だといわれればそう信じてしまうほどにな。客観的に考えれば、お互いにお互いを意識しすぎている状態だ。以前はもっと気軽にやってたじゃないか。どうしたってんだ?気恥ずかしさが先に立って体が動かない。なるほど、初恋がうまくいかないってのはこういうことなのかと得心したが、いまさら後の祭りだ。ついさっき起きた崩落で、引き返すルートが断たれた登山家のような心境になるな。いろいろ装備は不十分で、雲行きも怪しい。それでも前に進むしかねえ。もっともハルヒもそう思っていればの話か。またはそう思わせることができるのか、だな。まあハルヒにも苦手分野があったのかと思わなくもないね。
「そこ、座りたいんだけど」遠慮しているかのようなハルヒの声に我に返った。もうどうしようもないね。俺は肩を落として、自分の定位置に戻った。ハルヒが冷蔵庫にペットボトルを戻すのを見て、落胆する思いで一杯だ。まったく、これまでは平気だったじゃねえか。それこそハルヒとなら一つのコップで、お茶飲むことさえ気にもしなかった。ハルヒが女で、俺が男なんて意識の外だった。それが告白騒動で意識するようになっちまった。特別教育を受けたばかりの小学生じゃあるまいにな。席に戻ったものの、なにもする気になれないな。カバンの中に、読みかけのマンガ雑誌があり、携帯電話には清水の舞台から飛び降りる覚悟で入手したRPGが収まっている。 が、どれにも触手が伸びない。ほんの少し居心地の悪さを感じながら、長門蔵書を眺めるぐらいしかできない。「ため息、多いんじゃない?」ハルヒが遠慮しがちに声を掛けてきた。「どうかしたの?」言われるまで気がつかなかった。「あ……いや、ちと息がつまるようでな」「そう……ね」ハルヒは小首をかしげながら言う。「どうしたのかしらね、あたしたち。すっごく恥ずかしいのはなんでだろ」そしてハルヒは小さなため息をひとつついた。視線は机の上に落ちている。「ああ。どうもな」「こんなんじゃなかったのにね」ハルヒは、肺の中の空気をすべて吐き出すような長いため息をついた「なんで?」「おまえもため息だらけだな」ハルヒは、クスクスと笑った。「お互い様ね」すっと緊張が抜けて行くような感覚を味わう。ハルヒもそうだったのか、いつもの顔に戻って、俺を見つめている。「初めてづくしでなんにもわかんないな」ハルヒは両手を机の上において、その上に顎を乗せた。俺を見つめる瞳は銀河系をひとつまるまる収めたように輝いている。「ハルヒにも苦手分野があったとは思わなかったぜ」「なんのこと?」キョトンとした顔でハルヒがたずねる。「恋愛系は苦手分野じゃねえか?」ハルヒは俺をにらみながら、口をとがらせた。「あんたのせいでしょ。どんだけ悩んだと思ってんのよ。まったく、人の気も知らないで、何回あたしが枕を濡らしたか知ってる?」「そんなことがあったのか? そりゃすまん。いや、まさかそんなに思い悩んでいたなんて知らずに」だが、ハルヒはにっこりとほほ笑んだ。罠にかかったイタズラキツネを見下ろす猟師のような表情を浮かべている。「嘘よ」ハルヒは弾けるような声で言った。「バーカ」「ったく」完全にやられた。ああ、クリーンヒットを認めてやるよ。いいパンチだ。「やられたぜ」「ふふん、このあたしが泣くなんて思うの? そんな必要がどこにあるってのよ。この涼宮ハルヒがよ?どーやってあんたから告白させてやろうか、それを考えてただけよ。遊びに誘いまくれば、それとなーく空気読むかと思ってたら、遊びには乗るけど、普通に楽しく遊んで終わり。小学生が公園で遊んでるのと同じじゃない」ハルヒはがばっと体を起こして、何を思ったか椅子の上に立ち上がった。そしてびしっと音をたてて、俺を指さした。「あんたがねぇ、もうちょっと空気読んで、あたしに告白してれば済んだ話なのよ。それとなくきっかけ作っても、全部スルーじゃない。何度スルーくらって、メゲそうになったと思ってんのよ。 そのくせ、あたしがわがまま言っても、なんだかんだ言いながらも付き合うし。ホント、訳わかんない」「すまんな」としか言いようがねえよ。「それだけじゃなくて、有希とはなんか変な信頼関係あるみたいだし、みくるちゃんにはでれでれするは、おまけに妹ちゃんの友達まで手を広げて。あの佐々木って変な女まで出てくるし。無自覚なドンファンっぷりに呆れかえる毎日よ。あんたね、そういう無防備な優しさはね、女の子を泣かせるのよ? ホント、あの佐々木も裏で実は泣いてたんじゃないの?」「んなこたねえと思うがなぁ」「どーだか。中三にもなって好意もなしに、一緒に塾通いなんてするわけないじゃない。絶対噂になるし、好意がなけりゃ無理よ。そういう女の敵を野放しにしとくことは出来ないの。第二第三の佐々木が現れる前に、あたしがあんたの首に縄つけとくことにしたの。これはね、あたしがあんたのことどう思ってるなんて、小さな問題じゃないの。逆にあたしはこの身を投げ出して、これ以上の被害拡大を防ごうと立ち上がったのよ」「おい、論点がズレて」「なによ、『論点がズレて』って。ずれちゃいないわよ。いい事?あんたがあたしに『好きだ』とか『愛してる』とか『もうおまえなしにはいられない』なんて言えば、それで済む話じゃない。違う? そりゃ、あたしは恋愛は精神病の一種だと思っているわ。いまでもね。それはそれとして、あんたがあたしのこと好きだって言うなら、あたしだって少しぐらい考慮するわよ。それをラブコメマンガじゃあるまいし、だらだらだらだらあたしの気も知らないで、延々引っ張ったのは、あんたでしょう?」さらに論点がずれたが、もはや突っ込みを入れるような状態じゃねえ。ハルヒは有頂天になって、演説を続ける気のようだし、突っ込みを入れれば入れるほど、単に火に油を注ぐだけだ。「それは済まなかった」「いい? あんたとあたしは普通のカップルじゃないの。あんたをね、野放しにしとくと被害者が増えるばかりなの。そう、あたしはあんたの首に縄つけておくために、カップルになってやるのよ。 分かった?分かったのなら、はいといいなさい?」「はい」なんか新興宗教にでも入団した気分だぜ。「素直でよろしい」ハルヒは腕を組み、大きくうなずいた。「その素直さがほしかったわね、最初から」「最初から?」どういう意味なのか分からず、思わず聞き返した。「いつのころからだ?」「最初からは最初からに決まってんでしょうがぁ!」ハルヒはなぜか顔を赤らめながら、吠えるように言った。「乙女心だけじゃなくて、日本語も分からないの?」「そ、そうか」「とにかく、カップルになった以上、まずひとつやることがあるわ」ハルヒは椅子から降りた。団長席の横に回って、腰に手を当てた。なにが不満なのか、怒ったような表情を浮かべている。「こっちにきなさい」有無を言わせぬせりふに、仕方なく立ち上がった。なにをするつもりなのだろうか。キスしろとか言い出すんじゃねえだろうな?この神聖なる部室を穢す不届き者には、天罰が下るぞ。ハルヒが使っている甘いシャンプーの香りを感じるまで近寄った。満足げにハルヒが見上げた。あどけない笑顔を浮かべている。大きな瞳が潤んでいるのは気のせいじゃないだろうな。「いつ覚えたのよ」ハルヒはすこし視線を反らせながら言った。「なにが、だ?」「腰に手を回してるじゃない」おや? 言われてみれば、ハルヒの腰に俺の右手が回っているではないか。おかしい、これは実に驚くべき現象だな。「ばか」ハルヒは俺の肩に手を置いた。「いやらしい」「んー谷口がこうすると女の子が安心すると言っててな。無意識のうちにそれが実行されたんだな」「ふん、何言ってんのよ。バカみたい」ハルヒはすこしだけ唇を尖らせた。リップでもつけているのか、うるおいたっぷりの唇に目が釘付けになる。「なに見てるの?」ハルヒは体を俺に押しつけながら言う。柔らかい感触に思わず堅くなるね。「ハルヒの唇」「ほんと、男っていやらしいんだから」体を押し付けているおまえはどうなんだと思いながら、ハルヒの瞳に封じ込まれた銀河系に、果たして我らが太陽系第三惑星は含まれているのか探しはじめた。「なんか言いなさいよ……」ハルヒは深いため息をつきながら、瞳を閉じた。この部室で男女が体を必要以上に密着させた状況で何を言えというのだろうか。まあ言うことなんて、ひとつしかないんだがな。「好きだ、ハルヒ」ハルヒはバカと唇を動かさずに言った。ような気がする。唇が近づくにつれ、やはりこちらも目を閉じなければならないのだろうか。俺も初めてなもんで、勝手が分からないのさ。少なくともこの世界ではな。目を閉じて、ハルヒの柔らかい唇を感じた。かすかにイチゴの香りがする。昼に食ったのか、それともリップの香りか。そんなことでも考えていなければ、暴走しそうだぜ。ハルヒが軽く声を上げたような気がするが、聞かなかったことにしないと理性がもちそうにない。頼むからこれ以上の刺激は勘弁してくれよな。ハルヒの右手は強く俺の肩をつかんでいる。左手が俺の背中に回り、俺の上着を強く握り締めているようだ。
唇を放したが、光るものが唇をつないだ。ハルヒはそのまま顔を俺の胸にうずめ、深いため息を一つついた。腰に回していた手で、ハルヒのつややかな黒髪に触れた。そのまま撫でれば撫でるほど、いとおしさが増していくようだ。こんなことを部室でするなんて思いもよらなかったが、まあ天罰も下らずに済んで良かったぜ。ハルヒが顔を上げ微笑んだ瞬間、思いもよらぬ声がかかった。「終わった?」長門の声だった。恐る恐る声のする方向に首を向けながら、ハルヒと体を離した。いまさらどう言いつくろうことも出来ないが、抱き合ったままはさすがにまずいだろう?長門は、お取り込み中なのでおとなしく順番をまっていただけというような表情を浮かべている。「ゆ、有希、なんでノックとかしないのよ」すこし乱れた制服をあちこちひっぱりつつ、ハルヒが言った。「した。聞こえなかった?」「き、聞こえなかった…」ハルヒが俯きながら答えた。「あちらでの作業が終了したため、戻ってきた」長門は淡々した口調で説明し、そのまま本棚で適当な本を一冊取り出し、いつもの椅子に腰掛けた。「そ、そう」俺は絶句したまま、長門を見つめていることしか出来ない。長門は本を開いたが、ふと思いついたように部室の扉を指さした。「もし続きがしたいのであれば、外で」そしてページをめくりながら、長門は言葉を続けた。「暑苦しいのは勘弁」これには俺もハルヒも言葉がなく、俯くことしか出来なかった。
おわり
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