開花予想(旧題 桜)
桜
そろそろ桜のつぼみも膨らみ、どこそこ公園で開花したなどとTVが言っている。今年は開花遅くなって入学式以降だと誰かに聞いたような気がしなくもないのだな。あやふやな記憶ですまん。朝のHR前に行われる雑談でも、桜が話題になった。「今年は開花遅くなるとか言ってなかったっけ?」ハルヒは頬杖ついて、窓の下の桜を眺めながら言った。一年前は満開だったよな、確か。これまたあやふやな記憶でしかないが。「春休み中には咲いちまうかもな」俺はすこし不満げなハルヒの横顔を見ながら言う。「入学式には満開の桜ってのが定番でしょう?桜も空気読めってのよね」桜に空気読めっていっても通じんだろうと思うが、こいつは秋真っ盛りなのに桜の花を満開にさせた過去があった事を思い出した。「まだわからんぞ。入学式にはきれいな桜が出迎えてくれる。そう信じてればそうなるかもしれんぞ?」「まあそうかもね」ため息をついたハルヒの横顔に、なぜか胸の高鳴りを覚えて驚いた。春のせいなのかね、これは。
三学期ももう終わりだというのに、まじめに授業やってるのはうちの高校ぐらいだと本当に思う。巷では履修不足なんてのが取り沙汰されていたし、その余波なのかもしれん。が、ろくに説明などないので、実際のところはわからん。憂鬱な数IIに、陰惨な日本史、堕落の世界史という授業をこなせば、昼休みも近い。今日は弁当はいらないと勘違いしたため、昼休みは学食か購買にいかねばならん。「じゃあ、学食行くの?」ハルヒは身を乗り出して尋ねた。その目の輝きは一体なんだ?「いや、まだ決めてないが……」「……まあ好きにすればいいけどね」ハルヒがぼそりとつぶやく姿をみて、あわてて付け加えた。「たまには学食でも利用するか」「あ、そ」投げやりな声でハルヒが言った。
辛辣な古文が終われば昼休みである。さて、学食に行く……後ろから伸びた手が、俺の肩を掴んだ。そのまま引きずられるように教室の外に出る。「走るわよ」ハルヒの声に違いなく、それ以外にこんな乱暴な真似をする奴を俺は知らん。ハルヒに引っ張られるままに走るしかない。こういう巻き込まれ型の人生からは決別したはずなんだがな。まだまだ続くようだ。目的地の学食は閑散としている。そりゃそうだ。三年生はすでにいないからな。あわてて走る必要などどこにもないのだが。「そんなこといったって、油断してれば並ぶことになるの」などとAランチとワカメソバを注文したハルヒは得意げな表情で言う。「そうかよ」「新学期になればねえ、もっと混むようになるの。とにかく油断はできないのよ」「そうかよ」「あんたは弁当だからわかんないでしょうけどね」「ま、今日だけだしな」ハルヒのトレイにAランチとワカメソバが置かれた。運動部並じゃねえのか?この量は。俺はAランチのライス大盛り。これで腹が晩までもつかどうかはわからんがな。ハルヒは窓際のテーブルに座った。おれは隣に座るか、対面側に座るか1秒間迷って、対面側に座った。ハルヒはもくもくと食べ始めた。それに習って俺ももくもくと食べ始める。「春休み、なんか予定あんの?」「いや、別にないぞ」「ふーん」会話と言えばこれだけであり、食事が終わるまで無言が続いた。普段は、谷口や国木田としゃべりながら食っているわけで、勝手がずいぶん違うもんだな。それに無口なハルヒにはやや違和感があるね。もくもくと食べていただけあって、10分程度ですべて食べ終わってしまった。早食いはいろいろ体に悪いと思うのだが、ハルヒは平然とした顔をしている。トレイを片付けて、学食を後にする。さて、教室に戻るかね。それとも自販機コーナーで一服かね。「校内の桜を見回りましょう」ハルヒは俺の顔を見上げてそう言った。その輝くような笑顔に、思わずうなずいてしまう。それに手首をしっかりつかまれちゃ、逃げようがないってもんだぜ。
校内をハルヒと肩を並べ、桜目的にあちこち移動する。自販機コーナーにも桜はある。日当たりも良い。が、桜のつぼみはまだ堅そうに見える。ここはまだまだ咲かないだろうね。場所を移動すると、谷口に出くわした。ギョッとした顔をしているのはなぜだ。「お、おまえら……」そういったっきり、絶句している。「キョン、いきましょ」ハルヒはそう言って、俺の手を引っ張った。自販機コーナーを抜けて、校庭に降り立った。周囲の桜もまだまだつぼみは堅そうに見える。まだまだ開花は遠いだろうな。古泉にグラウンド近くで出会った。いつもの微笑を二倍ぐらいにしてこっちを見ている。そんな顔でこっち見るんじゃねえよ。何事かと思うだろう?。「いや、仲良さそうでなによりですよ」「何言ってるんだ。桜を見回ってるだけさ、おまえはなにしてるんだ?」「散歩ですよ、散歩」ニヤケるのもほどほどにしろ。ある意味春の風物詩でもあるがな。「いやいや、そういうのではありませんよ。また放課後に」ハルヒに手を引っ張られ、部室棟に向かう。この回りにも桜はあるが、ここは日当たりがあまりよろしくない。ゆえに蕾すらついてなかった。「ここは去年も遅かったんじゃねえか?」「そう?あたし覚えてないけどね」そろそろ昼休みも終わりだな。そう思い、部室棟から校舎棟に戻る。「あれ、ハルにゃんにキョンくんじゃないか。ひさしぶりだねぇ~」声に振り向けば、鶴屋さんだった。いつみても立派なおでこですね。乙女にそれを言うとビンタされてもしょうがないわよと、以前ハルヒに言われたので黙っているが、それにしても見事なおでこだ。「ああ、こんにちわ」「仲良さそうで、なによりだよ~」「いやいや、桜の具合を見てるだけですよ」「手をつないでかい?」ハルヒがあわてて手を放した。俺としては、手首掴まれるのよりはマシというだけのことでしかないのだが。「いや~いいものみせてもらっちゃったね。これはみくるんにも教えなきゃ」「別にいわなくてもいいじゃない」ハルヒが口をとがらせて言う。「照れなくてもいいっさぁ~」そのまま鶴屋さんは歩き去ってしまった。後に残された身にもなってほしいんですが。鶴屋さん。
「おい、キョン。涼宮と付き合い出したのか?」教室に戻るなり、谷口に捕まった。「あ?なんのことだ?」「手つないで、校内歩いてたじゃねえか」「あれはハルヒに手首掴まれてただけだ」「なにいってんだよ、手しっかりつないでただろう?」「そう見えただけだろう」「ま、言い訳はいいぜ。……あんまり、校内でイチャつかねえほうがいいぞ?涼宮、あれでも人気者なんだ。後ろからブスリなんてことも覚悟したほうがいいぜ」「なにいってんだ、まったく」「お前らがくっつくなんてことは、この俺様には最初っからお見通しだがな。ま、春だしな。お幸せにってところかぁ」「ふざけろっつの」ハルヒの机の回りにも、女子が何人か集まっているのが見えた。ハルヒは、そっぽ向いたり、机に突っ伏したりと忙しいようだ。「あ、キョン。いつから涼宮さんと付き合い出したの?」国木田、おまえまで何を言い出すんだ。
熱血の物理が終われば、放課後だ。どうやらクラス全員に誤解が広まっているようだが、もう春休みだ。春休みになっちまえば、自然と忘れてくれることだろう。こういうのはな、必死に否定すればするほど怪しいもんだ。そうだろう?あくまでも冷静に振る舞っていれば、そのうち沈静化するもんだ。ハルヒは掃除当番に当たっているため、俺ひとり部室に向かうことになる。
部室にはすでに3人来ていた。長門はいつものように本を読んでいる。朝比奈さんはなにやら古泉と談笑していたようだ。俺の顔を見ると立ち上がり、椅子を譲ってくれた。「お茶、いかがですか?」まさに、これが天使の微笑みというものを浮かべながら、朝比奈さんが言う。「お願いします」「鶴屋さんから聞きましたよぉ?昼休み、二人で手つないで校内デートしてたって?」朝比奈さんが俺の湯飲みをテーブルに置きながら言った。そのまま、俺のとなりの椅子に腰掛ける。「校内デートなんかしてませんよ。……桜の開花予想してただけで」「いやいや、初々しいカップルといった感じでしたよ」古泉が憎たらしげな笑顔を浮かべて言った。「なにを言ってんだが……誤解だぜ」「でも、涼宮さんはうれしそうな顔してたって、鶴屋さん言ってましたよぉ?」「そうですか?」「そうです。……でも、付き合うなら付き合うって言ってくれてもいいんじゃないですかぁ? 水臭いな」「だから、そうじゃないですって」「嘘つくの、よくありませんよ?」「本当ですって」「ま、そういうことにしときましょうか」古泉が余裕の微笑を浮かべながら言う。「そういうことじゃなくてだな……」「えー、ますますあやしいですぅ」朝比奈さんが人差し指で、俺の鼻をつんと押さえる。目が悪戯っぽく笑っている。本当に可愛い人だ。
「なに、話してんのよ」ハルヒの声に振り向くと、扉に手を掛けたままのハルヒと目が合った。「いや、昼休みのことで、ちょっと誤解されてるもんで……」「………」ハルヒは視線をそらすと、団長席に大股で歩いていった。どすんと大きな音を立てて椅子に座った。「みくるちゃん、お茶」声に刺々しさがある。こういうハルヒの声を随分、久しぶりに聞いたもんだな。「あ、はいぃ」朝比奈さんがあわてた様子で立ち上がった。古泉は一瞬眉をひそめたものの、なにも言わなかった。
針のむしろに座っているような気分を覚えながら、古泉とゲームに興じた。ハルヒは何も言わずPCで遊んでいて、これは珍しくない。いつものことだ。しかし、なんというかイライラオーラを辺りに撒き散らしている。長門が本を閉じたときは、本当にほっとしたね。いやはや、息の詰まる部活は勘弁だぜ。カバンを手に取ったところで、ハルヒに声を掛けられた。「鍵、掛けといて」俺を見ずに、鍵を渡した。「あ?」そう言いながらも鍵を受け取ってしまう。「じゃ、よろしく」そのままハルヒはカバンをぶら下げて、部室から出て行った。「鍵は僕がかけておきますよ」笑顔の古泉が、俺の手から鍵を取った。「あなたは、涼宮さんをお願いしますね」
部室を出たが、ハルヒの姿はどこにも見えなかった。そのまま早足で校門の方に向かう。げた箱でハルヒの背中が見えた。ちょうどげた箱から靴を取り出しているところだった。「よう、早えな」ハルヒは口をとがらせて、靴を履き替えている。「鍵、どうしたのよ」「古泉が閉めるとさ」「…そう」ハルヒは上履きをげた箱にしまい、扉を閉じる。それをボンヤリ見ていた俺の方をじろりと見て、一言だけ言った。「早くしなさいよ」「あ、ああ」ハルヒは背中を向けた。俺は肩をすくめ、靴を履き替えた。
外に出れば日差しの強さに目を細める。春先の雲が遠くにたなびいて見える。ハルヒは無言で俺の隣で歩いている。いつものように背筋を延ばして、しっかり顔を上げて歩いているが、言葉がないのが気になるな。「ここらへんの桜もまだまだみたいだな」校門前から続く桜の木に目をやりながら俺は言った。「そうね」ハルヒの言葉は短く、そして堅い。部室で感じた、イライラオーラをまだ撒き散らしている。「気分でも悪いのか?」「別に」「……昼間のこと、気にしてるのか?」「別に」なんだか長門と喋っているような気分になってくる。まさか、すり替わったんじゃねえだろうな?「まあ、もうすぐ春休みだ。新学期は何事もなく始まるさ」「そうね」「どうかしたのか?」「……別に」「ま、気にすんなってことだ」「だから、気にしてないって」言葉が一々辛辣だね。まるで、出会ったときに戻ったようだぜ。「どうしたってんだ。何かにイライラしてるように見えるぜ」「………」「教えろよ。いまは二人だけだし、誰にもいわねえよ」「……わかんない」「何がた?」「何にイライラしてんのか、自分でもよくわかんないの」「珍しいな」「………」こういう場合、男としてなにをしてやればいいのかね。俺は空を見上げ、坂道の下に広がる町並みを眺めながら思う。いまは二人だけだし、回りに誰もいない。見られたとしても、もうすぐ春休みだ。噂になるわけもない。俺は空いた手で、そっとハルヒの手を包み込こんでやった。ハルヒの手が一瞬ピクリと動いたが、反応はそれだけだった。ハルヒの横顔を見れば、かすかに笑みがこぼれていた。一瞬うつむき、そして顔を上げてこう言った。「あんたにしては上出来かもね」「褒めてくれるとは思わなかったな」「……褒めたわけじゃないもん」「そりゃどうも」「前向いて歩きなさい。危ないじゃない」俺の手で包み込んだハルヒの手がもぞもぞと動いた。なにをしているのかと思えば、指をからめるようなつなぎ方に変えた。「こっちのほうが落ち着くから」これでは言い訳できないね。もっとも、言い訳するような相手に出くわす訳じゃないだろうけどな。「桜の開花予想の続きをしないか?」「どこで?」「あの小川、行ってみないか?」「こんなことしてて、また噂になったらどーするのよ」ハルヒのはにかむような笑顔に胸を危うく打ち抜かれそうになったのは、誰にも秘密だ。言うんじゃねえぞ。「誰にも出会わねえよ、きっと」俺はあわてて視線をそらしながら言った。
小川の桜は、そろそろ開花しそうに見えた。もう一週間もすれば見事な花が拝めることだろう。ハルヒは上機嫌で、楽しそうに歩いている。ほっと一安心ってところかね。しかし、一つだけ忘れてたことがあった。随分前の話で、そんなこと記憶から抜け落ちていた。そこがルソーの散歩コースだってことをな。ぎくしゃくした笑顔を浮かべる阪中と別れて、しばらく小川に沿って歩いた。「また、からかわれたじゃないの」膨れっ面のハルヒが言う。「気にすんなって」「別に気にしてないわよ。……ちょっと、その、恥ずかしいだけ」「気が合うな」「あんたなんかと合いたくないけどね」ハルヒはそういいながらも、俺の手を強く握り締める。「痛いって」「バカにはちょうどいい薬よ」ハルヒのくすくす笑いが、いつまでも耳に残った。
おわり
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