動物園に行こう!
遊園地に行こう!の続きです。
ホラーと言えば古典よねとハルヒが言ったから、今日は古典ホラーの鑑賞日。よりにもよって寝る前に、俺は古典ホラー映画を見ている。怖え、すっげえ怖ええ。もう、もうだめ。うわ、もういい。止めよう。いや、止めたらなんかくるかも。止める前にまた来たーーーーーーー。などと、小学生のように怯えるほど怖い。造形に粗さは見えるのだが、それが却って現実感を伴って、怖い。ピクリとも動きたくない。リモコンすら動かしたくない。ああよかった風呂すませといて。などと、小心者全開になってしまうほど、怖い映画だった。まあ、俺も高校生であり、こういったものにはある程度免疫というものが備わっている。ホラー映画を見た回数は、両手の指では数えられない。ただ用心のために、明かりは付けたまま寝よう。なに、今日だけのことさ。
心が凍り付きそうなまま、布団を引き寄せ、恐る恐る夢の扉をノックしていると、突然枕元の携帯電話が震え出しす。反射的に逃げた俺は、ベッドから落ちてしまった。目撃者がいないのが幸いだな。俺は落ちた床から手探りで携帯電話をつかんだ。「も、もしもし?」『どーしたの?声震えてるじゃない』ハルヒの声だった。「おまえが勧めたホラーをみちまったんだよ」『なんでこの時間に見るのよ。バカね。怖いじゃない』「いうな。俺もいまひしひしと感じているから」『いーこいーこしてあげようかぁ?』明らかにバカにした声でハルヒが言う。「………用件はなんだ」すこし心が落ちついので、俺はベッドに上がり、布団を被った。「んーあした動物園にいかない?」つい2日前に遊園地に行っただろうに。えらい目にあったぞ、主に俺の財布が。ダメージが深くて、しばらくドック入りが必要だ。「動物園のチケット、もらったのよねえ」「そ れ で?」「嫌ならいいんだけどねー。誰かと行くから」「ほう。そんな誰かがいたのか?」「あんたと違って、あたしって、ちょっとモテるのよ?」「そうか。それはめでたい。今度赤飯差し入れしてやろうか?」「……明日8時。いつものところ。分かったわね?」返事をする前に、電話が切れてしまった。俺はため息をついて、部屋の明かりを消した。習慣とは恐ろしいものだ。直後に金縛り状態になったなんてことは、一切ない。ある訳がない。
いくぶんか寝不足ぎみの俺が待ち合わせ場所に到着したのは、約束の10分前だった。ハルヒは、白いバルーンスカートにライトグリーンのアンサンブルといった格好で、すこしだけ大人びて見えた。「ちゃんときたわね。……目、赤いけどどうしたの?」「ちょっと寝不足だ」「大方金縛りにでもあって、寝不足なんでしょう?」「………」ハルヒがなにか違う。一昨日とも違うし、昨日とも違う。ひょっとして毎日会っているのかという質問は受け付けない。ただの散歩だ散歩。「ひょっとして図星?」ハルヒはからかうように言う。「いや、……ひょっとしておまえ、背伸びたか?」「今日、ヒールの高い靴はいてるから、そのせいかも」そしてハルヒは片足だけ前に出した。薄いグリーンのミュールだった。「なるほど」「ふ~ん」ハルヒは俺の目をのぞき込むようにしながら言った。「今日は気がつくのね」「いつもと変わらないがな」ハルヒの視線が妙に恥ずかしくて、目をそらせた。「ほんとかなぁ?」ハルヒの声はうれしげそうに踊っていた。「……みんなは?」「9時にくるの」ハルヒは表情を改めて言った。「それまでに話したいことがあるから」
ハルヒに連れ込まれたのは、いつもの喫茶店だった。俺はコーヒーを頼み、ハルヒは珍しくチャイティーを頼んだ。やがてほかほかのコーヒーとチャイが運ばれてくる。一口飲んで、気持ちを落ち着けておく。「で、話ってなんだ?」チャイをまだ口に含んでいたらしいハルヒが、けほげほと激しくむせた。紙ナプキンを何枚か取って、ハルヒに渡してやる。「なによ、いきなり」ハルヒは紙ナプキンで口元を拭ってから言う。「ああ、すまん。で、話というのはなんなんだ?」「……もうすぐ新学期ね」「ああ。もうすぐ4月だしな」「いろいろとさ、時期よね」「ああ。入学の時期だったり、中には地元を離れる時期でもあるな」「そうね、社会人になって一人暮らしを始めたりね」「確かに春は別れの時期でもあるよなぁ」「卒業式の時期だしね」「そうそう。まあ別れがあって出会いがある時期ではあるよな」「新入生いっぱいくるかなぁ」「学校には例年並にくるだろうな」「そうじゃなくて、SOS団によ」「ま、頑張っても結果がでないときもあるさ」「なんで、最初から慰められなきゃいけないのよ」「なぁ、ハルヒ」「なによ?」「話って、なんだ?」
とたんにハルヒの表情が曇った。さっきまで元気一杯だった瞳は光を失ったようで、どんよりと曇り空が広がった。雷に注意して屋内に非難しましょうというアナウンスが、聞こえてきてもおかしくないような変わりようだった。春は別れと出会いの季節………まさか。ひょっとして。
ハルヒは引っ越しでもするつもりなのか。
俺はハルヒの家庭を知らない。しかし、家庭の問題や事情という奴は誰しも抱えるものだ。俺だと、なかなか兄と呼ばないふさげた妹の存在がそれにあたる。親の仕事の都合で引っ越した経験はないが、クラスメートが突然転向していく場面は何度も遭遇した。もっとも、失踪してしたことになっている宇宙人なんていう例外もいるがな。「いざとなるとやっぱりだめね。うまく言えなくて……」「無理すんな。まだ時間はあるんだろう?」「まぁ……ね。でも、できれば春休み中に、ね」ハルヒはつぶやくように言った。「春休みに一度ぐらい……二人で出掛けたいな」「そうか……」沈痛な面持ちのハルヒを見るのは辛いね。かける言葉が見つからない。「そうだな」これが意中の人に告白したいのに、回りが空気読んでくれないために、失敗しているというならば、力になってやることもできる。が、家庭の事情がからむ問題には力にはなれそうもない。目の前のハルヒは肩を落とし、すこし悲しげにチャイティーを口に運んだ。
その後はお通夜のような静けさの中、コーヒーをすするだけの時間となってしまった。ハルヒに掛けてやるべき言葉が、なかなか見つからない。向こうに行っても頑張れよとか、離れても友達でいようぜとか、また遊ぼうぜとか、そういう言葉しか思いつかない。その辺のボキャブラリは、小学生のときから死ぬまで実は変わらないのかもしれないな。しかし、なにか声をかけてやりたい。だからといって、『あ、ハルヒお勧めのホラー映画って他にあるのか?』などとくだらない事をいって、ハルヒをうんざりさせることはできれば避けたい。そんなことで時間が過ぎていった。
「おはようございます」古泉の朗らかな挨拶が聞こえた。振り返ると、古泉を先頭に朝比奈さん、長門の順で並んでいた。「どうしてここにいるってわかったの?」ハルヒが不思議そうにいった。「占い」長門がぼそっと言った。「ああ、そう。有希占い得意だもんね」あっさりとハルヒはうなずいた。「もう9時回っていますが、どうされるつもりですか?」古泉は立ったまま尋ねた。「お二人だけでいかれますか?」ハルヒはあわてて腕時計を見た。確かに時計は9時を5分ほど過ぎている。「ああ、みんなでいきましょ」ハルヒは愛想笑いを浮かべて、立ち上がった。理不尽にも、伝票を俺に押し付けてくる。「割り勘だろう?」「元を正せばあんたが悪いんだから、払うのが当然でしょ?」意味がわからんが、そうそう奢ってやることも今後はできなくなるのだろうか。そう思い、俺は伝票を手にレジに向かった。
「またですか?」古泉は苦笑を浮かべて言った。「今度は涼宮さんが引っ越しするというんですか?」5人で駅の改札を抜けたところで、ハルヒがお手洗いの方向に消えた。俺達はその帰りを待っている。「ああ。話があるってことで喫茶店に連れてかれてな。春は手合いと別れの時期だなという話になったんだが、そしたら肝心の話をしやがらねえ」「はぁ」「前回は俺の勘違いだったようだが、実はハルヒの奴、引っ越しするんじゃねえか?」「涼宮家がどこかに引っ越しするなんて情報はありませんがね……」「これで引っ越しが本当だったら、機関とやらの情報もたいしたことはないな」古泉が呆れたような顔で話し出そうとしたときに、ハルヒが戻って来た。「なんの話してんのよ」「中東の地域安定に日本がなし得る事を醒めた目で語ってました」古泉があわてていった。「つまんない話してんのねえ」「あの、電車来ますよ。いそがないと」朝比奈さんが遠慮がちに言った。
電車は座れないものの、そう混んでいるわけではなかった。俺とハルヒは戸口に立ち、古泉ほか3名は吊り革を持って立っている。ハルヒはぼんやりと外を眺めている。俺の位置からはハルヒの胸元が覗けるのではあるが、そこは絶対見ないようにしている。見つかれば、金取られるか、半殺しにされるかのどちらかだろう。俺としては、どちらも選びたくはないからな。電車から引っ越し屋のトラックが見えた。家から荷物を運び出しているところを見ると、引っ越しの真っ最中なのだろう。「春本番って感じね。4月からどこいくのかしらね」「転勤族は大変だろうな」「そーね。地元がないもんね。キョンは引っ越したことある」「ここに来たのが最後だな」「そうか。あたしは生まれも育ちもここなんだけど」「もっとも、この先はどうなるかわからんがな」今後絶対に引っ越しがないとはいえない。「え?」ハルヒがきょとんと俺を見た。「そうなの?」「そういうもんだろう?」「そうなんだ……」ハルヒはすこし驚いたように言った。「この町でずーっと過ごせりゃいいけどな」「そ、そうね」ハルヒは目を伏せて言った。何事か焦っているような感じすら受けるのはなぜだろうか。「そうよね」
動物園はお子様と家族連れで大にぎわいだった。俺達の横をちびっ子たちが元気に駈けていく。元気で何よりだが、迷子にはなるなよな。動物園の入り口でハルヒがチケットを配布した。そして入場口からぞろぞろと園内に入って行く。「さぁ、順番に見ていきましょうよ」ハルヒが俺の手首をつかんで歩きだした。それを三人が興味深そうな目で眺めている。居心地の悪さは覚えるものの、ハルヒと遊ぶにはひょっとするとこれが最後かもしれん。そう思うと満開の桜がすこし目に痛くて、すこし滲んで見えた。
檻に入れられたさまざまな動物を見学すると、いよいよパンダ館だ。そこそこの行列に並んだ。愛らしいイメージとは裏腹に結構凶暴だったり、笹を食べるのは極度の偏食が理由だったりと、なにかと予想を裏切る生き物である。行列はゆっくりと館中に入っていく。ガラスの中にパンダはいるのだが、薄汚れていておまけに背中を向けているため、まったく顔が見えない。やる気のなさでは百獣の王といっても過言ではなさそうに見えるな。「なんでこっち向かないのかしらね」ハルヒが口をとがらせている。「それはパンダの都合だよな」とお俺。「笹ばっかり食べてるわね」「それもパンダの都合だな」「なんとなく、幻滅しますね」朝比奈さんの声が聞こえた。「パンダ、見たことあるんですか?」古泉が尋ねた。「小さいころに絶滅……なんかしてないですよね。あの、映像でしか見たことなくて」「そうですか」これには古泉も苦笑いだ。朝比奈さんはかなり油断しているように思うのだが、大丈夫なのだろうか。いまなら未来のことを聞いても、うっかり教えてくれそうだ。「長門さんはどうです?パンダ」古泉は長門にも尋ねている。「………」長門はなにも言わない。「特にこれといって、興味はない?」「………」やはり長門はなにも言わない。特に名残惜しさも感じずにパンダ館を出た。まあ数十年前は特別な動物だったわけで、生パンダをみる機会などなかったんだろうがな。いまじゃ、ちょっと変わった動物程度でしかないもんな。消費社会とはなんと残酷なものだろうか。「あれ?長門さんは?」古泉の声に振り返った。長門がいない。みなできょろきょろ当たりを見回したが、長門は意外な場所にいた。「長門さん、また列に並んでますよ?」朝比奈さんが指さす方を見れば、しっかりと列に並んでいる長門を発見した。「なにもいわないと思ったら、パンダ大好きだったんですね」ため息のように古泉が言った。
「じゃあ、あたしたち長門さん待ってますから、涼宮さんとキョンくんは先行っていいですよ?」朝比奈さんが優しい笑顔を浮かべて言った。「そーお? じゃあいきましょ、キョン」俺の言葉を待たずにハルヒが歩きだした。しょうがないので、俺も歩きだす。さっきからハルヒは俺の手首をつかんで離さないからな。『あ、カップルだぁ』と言わんばかりに見るお子様たちの視線が痛い。まあしょうがないのさ。ハルヒは引っ越しちまうかもしれないからな。最後ぐらい好きにやらせてやるのもな。
しかし、手首をつかまれたままというのはいささか不格好に思うね。「なぁ、ハルヒ」「なによ」「手首を離してくれないか」「あ、ああ」おずおずとハルヒが俺の手首を話した。「こっちのほうがいいだろう」そういって、俺はハルヒの手をとってやった。すべすべした小さい手を包んでやった。ハルヒは妙に落ち着かない表情を浮かべたが、何も言わなかった。腹黒いレッサーパンダやら、小さすぎて猿に見えないピグミーマーモセット、童謡からは想像できない姿のアイアイといった動物を眺めた。麒麟と書いてあるが、なにも入ってない檻に首をひねった。「麒麟って、実在しないわよね?」「ああ。でも、エイプリルフールも近いし、そのための仕込みかもしれんな」「それなら隠すもんじゃないの?普通」ハルヒは至極常識的なことを言った。「あれ、鵺の檻もあるわね」ハルヒが指差した檻には、たしかにそう書いてあり、なかにはなにもいない。「平安時代かそこらにはいたそうだから、いるのかもしれんな」「そお?」首をひねりながら、ハルヒが答えた。「単にトラツグミなんじゃないの?」そのまま順路を進んで行くと、売店といくつかのベンチが置かれている場所にたどり着いた。
「ここらで、みんなを待ちましょうか」ハルヒが落ち着いた声で行った。「そうしよう。で、なんか飲むか? 買ってきてやるよ」「そう。じゃあ、あたしサイダーがいいな」「分かった」売店を覗けば昔サイダーなるものが売っていた。ビー玉が蓋になっているタイプのものだ。それを二本買い求めた。ベンチに戻って、ハルヒにサイダーを渡してやった。すこしうれしそうな表情でハルヒがそれを受け取った。暖かい春の風が吹き抜け、どこからか桜の花びらが飛んできて、ハルヒの髪にひっかかった。ハルヒは早速サイダーをラッパのみしている。「今度は、どこか二人で出掛けないか?」「え?」キョトンとしたハルヒの顔が、可愛いなんて思っちまったぜ。ハルヒの髪についた花びらをとってやった。ハルヒは顔を赤らめ、口をとがらせている。「嫌なのか?」「嫌とかじゃないけど、突然過ぎない?」「朝、おまえが言ってたじゃねえか」「それはそうだけど」ハルヒはまたサイダーを一口飲んだ。「でも」「まだ春休みは一週間以上あるからな。まあ都合が悪いってんなら……」「そんなこと言ってないでしょう? 突然、どうしたってのよ」そりゃおまえが引っ越しするかもしれんからだが、そうは言えない。本人が言い出すまではな。「そりゃ……なんていうか、その」「なによ」「春だからだ。そういう事だ」「変なの……まぁいいか」ハルヒは飲み干したサイダーを脇に置いた。「ね、ちょっと耳貸してくれない?」ハルヒが意を決したように言った。「あ、ああ……」引っ越しするという話は、耳を貸さないとならない話なのだろうか。寂しい話だが、別に恥ずかしい話ではないと思うのだがな。
「実は、ね。あたし……」囁く声よりも、耳をくすぐる吐息の方が気になってしかたがない。少しサイダーの香りがする。「前からなんだけど……」「ああ」前から決まっていたのか、引っ越しは。「実は、その……あたし」「おまたせしました」古泉の明るい声に驚いた。ハルヒはまさに驚愕したといった顔で、あわてて体を離した。「長門さんがなかなかパンダ館から離れませんでね。10周ぐらいしてたもので、遅くなりました」ハルヒの表情はかなり険しく、主人公をライバル視している悪役のそれだった。「あ、そ」古泉を睨む目に殺気がこもっているのは、俺の気のせいだけではなさそうだ。その証拠に、古泉は一歩後ずさった。めずらしく古泉は焦りの表情を浮かべている。それでも笑顔を崩していないところは、たいしたもんだね。ハルヒの隣にいると、空気が凝縮しているような感覚さえ覚える。相転移でも起こすつもりか、ハルヒ。そんな事をさせるわけにはいかん。俺はハルヒの肩をたたき、軽く言った。「そろそろ行こうぜ、みんな来たしな」「そうね」いつもより低いハルヒの声が怖いな。ハルヒは立ち上がり、ふんと古泉から顔を背けた。当の古泉は顔面を蒼白にしている。まるで世界を終わらせる力の封印を解いてしまった小学生みたいに見える。俺は古泉の肩をぽんと叩き、ハルヒの後を追った。
爬虫類・両生類館に入って、さまざまな爬虫類や両生類を見学した。蛇はたいてい隠れていて、部分しか見えないのが難点だな。幸運を呼ぶという白蛇はトグロを巻いて休んでいる。強烈な猛毒をもつという蛇もまたそうだ。トカゲや亀も同じだ。唯一ゾウガメがむしゃむしゃと果物を食べていた。結構かわいいもんだ。「ハルヒは爬虫類はどうだ?」「意味わかんないけど、好きか嫌いでいえば嫌いね」「たまに爬虫類好きな女の子がいるな」「そうね。でも、あたしは苦手ね」なんの感想もなく、爬虫類館を出た。が、今度は朝比奈さんがいない。
「オオサンショウウオをうっとりと眺めておいででしたが……」古泉が困った顔で言った。「みくるちゃんってば、爬虫類大好きっ子?」ハルヒはキョトンとした表情を浮かべた。「あれは両生類だぞ?」と俺。「分かってるわよ、そんなことは」ハルヒが目を三角にして言った。「しょうがないですね。探して来ますから、ちょっと待っててください」古泉は肩をすくめて爬虫類館に戻っていく。長門は立ち尽くしていたが、ふとなにかを思い出したように歩きだした。「どこいくんだ?長門?」俺は長門の背中に問いかけた。「トイレ」長門はきっぱりと言って、どこかに消えてしまった。そしてハルヒとまたもや二人だけになってしまった。
爬虫類館近くにあるベンチに二人で腰掛けた。ハルヒは落ち着いた表情を浮かべている。遠くを見れば、風が桜の花びらを盗んでいき、その下はどんちゃん騒ぎが行われているようだ。そんな喧噪はここまで聞こえてこない。かなり静かな場所だった。もしハルヒが引っ越してしまうと、こんな風に気軽に遊びにいけなくなるという現実が、だんだん身に染みてくるね。なかったことにしたかった、去年一年が急に大事なものに思えてくる。そう思うと、胸の奥に溜まった、訳の分からないもやもやしたものが疼く。これは、一体なにかね。自問自答する前に答えなど分かっている。それは、ひらがな二文字、漢字一文字で表現できるものだ。それを意識してしまうのは、やはり春だからなのか。「しっかし、みくるちゃんがあの手のもの大好きとは知らなかったわ」「そうだな。ひょっとしたら見たことないだけかもしれんがな」「そんなことある?」「まあ、家庭の事情とかでな」「そりゃ、みくるちゃんの家庭の事情はよく知らないけど、普通そんなことないと思うわよ」「そりゃまぁ、そうだな。ところで、ハルヒ」俺は姿勢を正した。手はひざの上に乗せて、ハルヒの目を真っすぐに見た。
「どうしたの?改まって」すこしたじろいだ表情で、ハルヒが言った。「一言伝えたいことがあるんだが、いいか?」「い、いいけど、なに?」ハルヒの瞳は、期待と不安が入り交じった色を浮かべている。「こんなことを団長殿に言うのは、はばかれるものがあるんだが」「え、なんかとっても聞きたいような気がするわね」ハルヒははにかんだ笑顔を浮かべた。「あ、あたしが喜びそうなこと?」「それはわからんし、逆に迷惑かもしれねえな」「遠慮することはないのよ」妙に優しげな声が聞けるとは思わなかったね。「じゃあ、言わせてもらうかな」ハルヒの瞳からは不安が消え、ものすごい期待に満ちあふれている。「いま気がついたんだが……」「う、うん」早く言えというハルヒの目がすこし怖い。「どうやら俺は……」「た、ためらってないで、早く言って」「ハルヒのことが……」きらきらした笑顔を浮かべていたハルヒの顔が一瞬、般若のような形相となり、俺はその先の言葉を飲み込んだ。おいおい、禁断のNGワードを言っちまったのか?俺は?そうではなかったようだ。古泉の声が背後から聞こえた。「おまたせしました。朝比奈さんを回収してきました。あ、長門さんも帰ってきた…み……た…い…で……」古泉の声はどんどん小さくなっていき、最後はよく聞き取れなかった。「近くのトイレは混雑していた」長門の声も聞こえた。「そのため、空いているトイレを検索、その場所まで移動していた」「ああ、そう」ハルヒは、8mの巨大ザメが釣れたのに惜しくも逃がした漁師のような表情を浮かべながらいった。「じゃ、いきましょうか」古泉は、どうしたことか捨てられた子犬のような目で、俺を見ている。そんな古泉にしてやれることは、肩を軽く叩いてやることだけだった。
しかし、参ったね。古泉の登場で、告白が台無しになってしまった。もっとも、恋愛は精神病の一種と公言してはばからないハルヒだ。告白なんかしても、「ふーん」で終わりだろうがな。しかし、もう会えなくなるかもしれん。とにかく言っておかなければ、後悔することになる。お昼にしましょうかと朝比奈さんがいい、俺達は食堂に向かっている。古泉は、こともあろうに悪霊退治に失敗した神父のような表情で歩いている。朝比奈さんはそんな古泉にかまわず、柔らかい笑顔を浮かべている。当然だが、長門の無表情はかわらなかった。ハルヒはといえば、失敗した神父に怒り心頭な枢機卿といった表情を浮かべている。「機嫌直せよ。古泉が落ち込んでるぞ」「当然よ。反省してもらわなきゃね」破門どころか異教徒として処刑しかねない口調でハルヒが言った。「まあ悪気があったわけじゃねえし。昼飯食ったら、続き話してもいいか?」「え……うん。いいよ」ハルヒは、照れた笑顔を浮かべた。どことなく口調に甘いものを感じるのだが、多分俺の気のせいだな。「悪いな」「いいの。あたしもキョンに言いたいことあるから、ちょうどいいわ」
動物園の食堂は、カレーとカツカレーとそばとうどんしかなかった。俺はカツカレーを頼み、ハルヒは、カレーとそばを頼んだ。古泉はうどん、朝比奈さんはそば。長門はカツカレーとうどんを頼んでいた。窓際にあいたテーブルを見つけ、5人でぞろぞろ移動した。思い思いにテーブルに座る。どういう状況であろうが、気が付けばハルヒは俺のとなりに座っている。もはや不可避な現象としか俺には思えない。「そういえば、朝比奈さんは爬虫類が好きなんですか?」ふと思い出して、俺は朝比奈さんに話しかけた「見たことない…じゃなくて、昔から好きだったんです」朝比奈さんはつつましい笑顔とともに答えてくれた。「そうなんですか。ちなみにどういうところが?」「あんな生き物が地上にいるってところが」好きなのか、嫌いなのか、訳が分かりません。「みくるちゃんって、ちょっと変わってるのね」ハルヒが言った。「そうですか?」驚いたように朝比奈さんがいった。「あたしはちょっとダメなのよね。ぬるぬるしたりしてるし」「そうですか……」すこし肩を落としながら朝比奈さんが答えた。「あ、別に人の好みをとやかくいってるわけじゃないのよ」ハルヒはすこし機嫌を直しているようで、古泉の表情も持ち直しているようだ。みんな仲良くしようぜ。……とりあえず表面上だけでもさ。
カツカレーを自己新記録のタイムで食べ切った。ハルヒも負けじと奮闘していたが、わずかな差で俺の勝ちとなった。さて、なんていってこの場を抜けようかね。3人の手前、あまり脈絡もなく抜けるのは、怪しまれるしな。ハルヒは、紙ナプキンで口を拭うと、勢いよく立ち上がった。「キョン、行くわよ」長門を除くみながあっけにとられるなか、ハルヒは俺の手首を掴むと、ひきずるように歩き始める。俺もあっけにとられたまま立ち上がり、歩き始めた「あの、どこに行かれるんですか?」古泉はうどんを食べる手を休めて声を掛けて来た。「外。あとで合流しましょう」ハルヒは、そう返しただけだった。
「無茶するな」俺はハルヒに言った。「みんな唖然としていたぞ」「しょうがないじゃない。言い訳するだけ怪しまれるわよ」強引に抜けた方が怪しまれるように思うがな。まあいい。とにかく伝えることだけ伝えて、あとで言い訳を考えればいいだろう。ハルヒは、ずんずんと歩き続けている。まるでできるだけ3人から遠ざかりたいようだ。動物園のすみまでやって来た。カラフルな鳥がケージで金切り声を上げている。世界の鳥達というコーナーらしいのだが、かなり奥まった場所であり、人影はない。そのためか、ケージに園内放送用のスピーカがくくりつけてある。「ここなら、大丈夫ね」ハルヒは、開いたベンチを見つけると言った。二人ベンチに腰を降ろした。「さ、仕切り直しね」ハルヒは、堅い笑顔を浮かべている。「キョンが言いたいことを先に教えて。そのあとで、あたしが教えるから」順番に釈然としないものを覚えたが、ここは譲ってやってもいいか。「じゃあ、最初から行くか」「さっきの続きでいいわ。『ハルヒのことが…』の後からで」「なんでだ」「そこまで聞いたもん」ハルヒは、ジロリと俺を見た。「その先が一番聞きたいの。それに、最初からやり直してると、また聞けなくなりそうだから」「そうはそうかもしれんが……」「ね、言って」ハルヒは、真剣なまなざしで俺をのぞき込むように言った。「分かった。えーと……なんかおかしくないか?」「おかしくない。おかしくないから、言いなさい」ハルヒは、じれったそうに言った。「じゃ、言うぞ」その前に深呼吸が必要だ。
「うん。お願い」ハルヒは、妙に身構え、俺に接近して来ている。「…どうやら好きになってることに気が付いたんだ」ハルヒは、深く長いため息をついた。心底ほっとしているように見えた。「ま、ハルヒにとっちゃ迷惑かもしれないがな。もうじき会えなくなるだろうしな。そういう気持ちは吐き出しとかないとな」「会えなくなるって、どういうこと?」ハルヒは、いぶかしげな表情を浮かべながら言った。「やっぱりあんた、引っ越ししちゃうの?」「いや、それはハルヒじゃないのか?」「なんであたしが引っ越しすんのよ」ハルヒは、すこし視線を反らせながら答えた。「仮にそういう話があったとしても、せめて高校卒業する間はここにいるわよ」「なんだ、俺の勘違いか」勘違いのあげく、告白しちまった。『いまのなし』と言うわけにもいかないが、まあいい。別に付き合いたいとか、そういうんじゃないしな。とにかく言うこと言えば、すっきりしちまうってもんだ。 「バカね」ハルヒは、微笑んだ。一度も見た事のない優しい笑顔だった。「で、ハルヒの話ってのはなんなんだ?」「ああ、半分済んだようなもんなんだけど……」ハルヒは、苦笑いを浮かべながらいう。「ね、目を閉じて。教えてあげるから」ハルヒの顔はすこし赤く、ややうるんだ瞳に見たことのない感情の色が浮かんでいた。その表情はまるで恋する乙女だぜ。まあ、実際乙女なんだろうけどな。しかし、恋するという形容詞がハルヒに似合わないな。とすれば、これはハルヒの罠か。「ね、目を閉じて……恥ずかしいから……」ハルヒの囁き声は甘く、俺の心はまるで水あめに包まれたリンゴのようだ。なにをするつもりなのか、まったく予想がつかない。甘い言葉で俺の目を閉じさせて、額に肉とでも書くつもりなのか。水性ペンでなら、一回ぐらい許してやってもいい。しかし、油性ペンで書いた日には、呪いを封じ込めたビデオテープを最新UFOビデオと称してハルヒに送り付けてやるから、覚悟してもらおう。俺はやむなく目を閉じた。肩に置かれたハルヒの手を感じ、次にハルヒの吐息を頬に感じた。「こんなこと初めてなんだからね……」ハルヒの声というか吐息をくすぐったく感じる。すこしずつハルヒが近くなっていることが目を閉じても分かる。しかし、悪いことはそうそうできないもんだな。『お知らせ致します。迷子の小学生をお預かりしております。お心辺りのかたは食堂までお越しください。繰り返します、迷子の小学生をお預かりしております。お心当たりのかたは食堂までお越しください』こんなアナウンスが大音響で頭上から降ってくれば誰しも驚くぜ。俺も例外じゃない。目を開けたが、ハルヒは既に消えていた。かわりに鳥達の悲鳴のような鳴き声が聞こえて来た。そちらを見て、俺はハルヒへの告白を後悔した。ハルヒは何を思ったのか、まるで猿のような身のこなしで、器用にケージを登って行く。ケージの中の鳥は怯えて右往左往するばかりだ。俺は慌てて立ち上がり、叫んだ「なにをやってんだ、おまえは!」「あの、邪魔なスピーカーを壊すのよ。ムカつくったらありゃしない!!!」「バカ、なに考えてんだ、降りろハルヒ!!!」「放っといて!!」「放っておけるか!!!」俺もハルヒを止めるべく、ケージに足を掛けた。
騒ぎになる前にハルヒを制止することができたのは、幸運としか言いようがないな。日頃の行いが、こういうときものを言うのだろう。ハルヒと共に元来た道を戻る。食堂が見えてきた。「だって、いいところであんな放送するんだもん。懲らしめてやらなきゃ」「バカか、おまえは」「せっかく、いい感じだったのに……」そういってハルヒは唇を噛んだ。どうせ俺にくだらない悪戯でもするつもりだったんだろうがな。ある意味、俺は救われたということで、放送に感謝しておこう。向こうから古泉達が歩いてくるのが見える。朝比奈さんがはにかんだ笑顔と共に手を振っている。長門が無表情のまま、かなり大きなパンダのぬいぐるみを抱き締めている。なかなかシュールな光景だな、それ。「どちらに行かれてたんですか。携帯も繋がらなかったし……」古泉はほっとした表情で言った。「捕虜となった英国兵士の安否について熱く議論してたんだ」俺はそう言った。古泉は鼻で笑って、肩をすくめただけだった。「動物園はこの辺にして、公園でお花見にしませんか?」朝比奈さんが遠慮がちに言った。「そうね、桜並木を堪能しましょうか」ハルヒが先頭に立って歩き始めた。その後に、朝比奈さんと長門が続く。「で、どうだったんですか?」古泉が俺にささやいた。「引っ越しではなかったでしょう?」「ああ。俺の勘違いだったようだ」俺は素直に認めた。「でしょうね。それで、涼宮さんから何を言われたんですか?」「あいつは俺に悪戯したかったようだたぞ?」俺はあったことを正直に話してやった。もっとも、ハルヒに告白したことは伏せておいた。なかった事にしたい気持ちで一杯だ。「あの、それは悪戯じゃないと思いますが………」古泉は頭を指で掻きながら言った。「また、勘違いされているような……」「なにをどう勘違いしてるというんだ?」古泉が口ごもっている間に、ハルヒの声が飛んだ。「キョン!、古泉くん! なにしてんの置いてくわよ!?」ハルヒの笑顔は、遠くに見える満開の桜よりも輝いてみえた。なんかこう、胸にこみあげるものを感じて、我ながら驚いた。俺はそれを古泉の肩を叩くことでごまかし、足を速めた。
おわり
デートスポットに行こう!に続く
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