遊園地に行こう!
俺は夢を見ていた。寝る前に見た、世界的に有名なスパイという名の特殊工作員が活躍する映画のせいだろう。夢の中で機関銃を乱射し、拳銃を使い、とっつかまって拷問もされた。何度か死にそうな目に合い、なんとかヒロインの救出に成功した。もちろんヒロインは俺好みの清楚でやさしげな美女である。すべての敵は倒し、あとは熱い抱擁と口づけが待っている。
この階段をあがれば彼女に会える。突然場面がかわり、なぜか私服のハルヒがえらい勢いでまくしたてている。俺に人差し指を突き付け、何事か怒っている。ハルヒは、厚いガラスの向こうにいるようで、なにを言っているのか全然わからん。そのうちわなわなと肩を震わせたかと思うと、右手を握り締めた。『死ねえ』ガラスが砕けちり、その時だけはっきりと声が聞こえた。その瞬間、目が覚めた。なんという悪夢を見たのだろうか。自分を呪い殺したくなる時ベスト3に堂々のランクインだぜ。枕元で携帯がブルブル震えていたことに、その時気が付いた。サブディスプレイに表示されている名前はまぎれもなく悪夢の主である。ほう、ハルヒは人の夢にまで着信できるのか。「もしもし」『何時だとおもってんのよ、まだ12時でしょうが』電話の向こうのハルヒはイライラの頂点にあるようだった。『なんで寝てんのよ』「眠いからに決まってんだろうが」『その癖、朝は遅いんだから』「寝る子は育ち盛りだ。許せ」『バーーーーカ。あんたなんて一回死んじゃえばいいのよ』「不吉なこと言わんでくれ。本当にそうなったらどうするつもりだ」『なにびびってんのよ。そんな事ある訳ないでしょう?』ハルヒの声のトーンがすこし下がった。『で、話があるんだけど』「夢に出て来た時に言えよ」「はぁ?」「おまえが夢に出てきて目が覚めたんだ」『あ、そう………』「まあいい。話ってなんだ?」「あ、えと、そうね。じゃあメールするから」電話が切れた。俺は携帯を枕元において目を閉じる。眠りのさざ波がゆっくりと押し寄せてくるのを感じ、今度こそ楽しい夢がみれますようにと願った。夢の続きは見れなかったがな。
翌朝、妹にたたき起こされた。春休みぐらいゆっくりさせてくれよと願う兄の意向を、こいつは頭から無視している。ああ、そういえばハルヒがメールするとか言ってたな。枕元に携帯はなく、床に落ちていた。それを拾い上げて、メールを確認した。確かにハルヒからのメールが来ていた。題名は遊園地に行こうで、本文は9時にいつもの場所に集合し、ちょっと離れた遊園地に出掛けるというものだった。本文にはまだ続きがあるようだが、途中から空白だけじゃねえか。寝ながらメールしたのかね、あいつは。ま、9時なら余裕で間に合う時間だ。朝飯食って出掛けるとするかね。SOS団全員で遊園地に遊びにいくと、なにかしら起こりそうな気がするが、まあ逆に全員いればなんとかなるだろうしな。一日ぐらいなら、変な事件に付き合ってやってもいい。俺は携帯をベッドに放りだし、朝飯を食いに部屋を出た。
携帯と財布をジーンズのポケットにいれ、その他こまごましたものをショルダーバッグにいれれば準備完了だ。「キョンくん出掛けるの?」玄関で妹につかまった。出掛ける気はまるでないのが救いだな。「ああ」「どこどこどこ?」妹は目を輝かせながら言った。「どこ行くの?」「つまんないところさ」「もしかして、ハルにゃんとデート?」目の輝きがさらに強くなった。「どうして、そうなる? んな訳ねえよ」「そんな事じゃ、誰かにとられちゃうよぉ?」俺は肩をすくめた。「おまえには関係のないことだ」「えーハルにゃんって、多分キョンくんのこと好きじゃないのかなぁ」「気のせいだ。んなわけねえよ」「もてもてだね~キョンくん~」「じゃあ、行ってくる」「気をつけてね~お土産楽しみにしてるから~」
今日は雲一つない快晴であり、夏とは違う意味で日差しがきつい。待ち合わせ場所に到着したのは、約束時間の15分前だった。白いパーカーにデニムのプリーツスカートといういくぶん子供っぽい格好のハルヒが腕を組み、周囲に殺気を撒き散らしているのが見えた。ほんの少し離れたところで、古泉が妙に堅い微笑みを浮かべていて、グレーのワンピース姿の朝比奈さんはぽやや~んとした笑顔で、制服姿の長門になにかしゃべっている。 ハルヒの様子がいつもと少し違うのだが、どうしたのだろうか。ハルヒは俺を見つけたようで、口元が緩んだ。俺が歩み寄ると、ハルヒは俺を見上げ、話し出した。「やっときたの?来ないかと思ってたわ」ハルヒはそれだけ言うと、駅の改札に向かって歩きだした。「おはようございます。……なにか心当たりはありませんか?」首筋に暖かい吐息がかかり、朝から気分が悪くなるね。「よう。心当たりはなにもねえな。どうしたんだ?あいつは」「さ?僕が来たときには、すでにご立腹でしたから」「おはようございます」朝比奈さんが声をかけてくる。「どうしたんでしょうね?涼宮さんてば」「………」長門もとことこと歩みよってきた。「おまえはまた制服か」「機能的」長門は一言だけしゃべった。「みんな、なにしてんの!!!電車きちゃうわよ!!!」ハルヒが券売機で大声をだした。機嫌の悪さが、声に出ているね。
ホームに駆け上がり、滑り込んで来た電車に乗り込んだ。席は空いているのだが、具合の悪いことに2:3に別れなければならない。ハルヒはなにもいわず、ドア側のシートに腰掛けた。皆の期待が俺の背中に集まるのがわかる。俺はしぶしぶハルヒの隣に腰掛けた。ドアが大きな音を立てて閉まると、電車がゆるやかに発車した。「メールちゃんと読んだの?」ハルヒの声は小さく、耳を近づけないと聞こえない。「メールは読んだ」「じゃあなんで、15分前にくる訳?」「待ち合わせ9時って書いてあっただろうが」「全部読んだんじゃないの?」
「え?続きがあったのか?」ハルヒはアヒルのような唇を作ると、俺をにらんだ。「バカ」そして、視線を反対側の窓に投げた。居心地の悪さを感じながら、俺は携帯電話を取りだし、ハルヒのメールを最後までスクロールしてみた。『大事な話があるから、約束の一時間前に来て』底意地の悪さがメールにも出てると思わないか?「まったく……こういうことは、ちゃんと書いてくれよ」ハルヒは答えず、ただ窓の外を凝視しているだけだ。口をへの字に曲げている。「で、大事な話ってなんだ?」ハルヒは瞬間的に顔を赤く染め、俺をきつくにらみつけた。不動明王が電車の中で拝めるとは思いもしなかったね。こんな重要文化財のそばにいるから、たびたび極楽浄土へ逝きそうな目に会うのだろうな。「そんな怒るようなことなのか」「こんなところで言えるわけないでしょう?」「そんな大事な話なのか?」例えば、ハルヒがすべてを知ってしまったとか。もしそうなら、由々しき事態じゃねえか。どこでバレたんだ? 胸に手を当てずに考えて見たが、まったく思い当たる節がない。それこそ大事な話ってのは、『ジョンスミスって、実はあんたのことでしょ?』といった質問かもしれん。古泉達の方に視線をやれば、談笑してやがる。長門までミクロン単位の笑みを浮かべているのは、どういう事だ。「……分かってんじゃない」ハルヒはぼそりと言った。「そう、か」「ほら、ケジメってやつよ。いつまでもごまかしても…ね」「なるほど」「だから。ね」ハルヒは俺にちらりと視線を送った。「分かるでしょ」「……いつからなんだ?」「最初からっていったら、驚く?」「そうか……」考えて見れば、いつもいつでも苦しい言い訳をして、ハルヒをうやむやのまま納得させていただけだからな。最初からバレていたとしても、無理はない。俺達は、結局ハルヒの手の上で遊ばされていただけかもしれんな。
「本当ですか?それは?」古泉が本当に驚いたような顔をした。目的地の駅、改札の前で俺と古泉は、お手洗いの方に向かった女性陣を待っている。俺は古泉に事の次第をすべて話してやった。が、古泉は半信半疑というよりも、まったく信じてはいなかった。「俺に重要な話があるとさ。……本当は朝話すつもりだったようだがな」「ほう……メールにそう書いてあったんですか?」「話があるから、1時間前にこいと書いてあった」「なにか違うような気がしますが……」古泉はためらいがちの笑顔を浮かべた。「そうか?」「僕がみたところ、いまの涼宮さんの精神状態はかなり安定しています。まあ、あなたがなかなか来ないので相当イライラはしていましたが……」「あいつも大人になった訳だしな……」「涼宮さんを大人にしたんですか?」古泉はおどけた表情で言った。「いつの間に?」軽く古泉の脇腹目がけて、フックを放った。が、古泉は軽やかな動きで俺のフックを避けやがった。目が笑っているのがムカつくね。「このやろ」パンチがだめならキックはどうだ?「なにやってんのよ、あんた達はぁ!!」ハルヒの声が構内に響き渡り、とても恥ずかしい思いをした。
皆でだらだらと駅から遊園地のゲートまで歩いた。どうしてもハルヒの隣を歩くことになるのは、CIAやMJ12とかフリーメーソンあたりの策略だろうな。古泉と朝比奈さん、そして長門は、俺達の後ろをゆっくり歩いている。ハルヒは、これから遊園地に入るという期待感をそのまま表情に出していて、軽やかに歩いている。「今日は、全部のアトラクション制覇するわよ~」「閉園まで遊ぶ気かよ」「当然じゃないの。閉園まで遊んだって電車あるし。問題ないわ」そういって俺の手首をつかむと、チケットセンターに駆け出していった。
ハルヒはなんと5人分の当日パスポートの引き換え券をもっていた。「懸賞で当たったのよ」ハルヒはそう説明し、俺にチケットを渡してくれた。まあこいつが本気出せば、懸賞生活は夢というより現実になるんだろうと思わなくもないね。3人がのんびりと俺とハルヒのところまで歩いてくる。こいつらだけ、別グループのように振る舞っているのは、俺の気のせいなのか。ハルヒはツアーコンダクターよろしく、名前を読み上げながらチケットを全員に配布した。「ではみんなたっぷり楽しむわよ!」ハルヒは意気揚々と宣言した。そんな大会主催者の挨拶が終わったところで、セキュリティチェックを受け、入場口から一人づつ入っていった。
入り口から入ればそこは夢と魔法の海が待っている。地中海沿岸の港町を模した建物が並ぶ中を歩く。ふと、江戸中期の港町を再現した義理と人情の海なんていうテーマパークはどうだろうかと思った。……ど演歌の世界になりそうだがな。「やっぱり、こういう雰囲気づくりって大事よねえ」「そうだな。芸もこまかいしな」華やかな衣装を身にまとったホストが風船を売る横を通り過ぎた。「キョンは何回ぐらい来たことあるの?」「数えるほどだな」「最後はいつ?」「いつだっけな、そうだ。中学の卒業前だったかな?」「誰と?」「友達さ」「あの、変な女ってのと来たことあるの?」「いや、あいつとはなんでもねえしな」「そう」大きなカメラを肩にしょったTV局らしき集団の横を通り過ぎる。春休みの遊園地というロケでもやるのかね。まかり間違って全国放送された日にはかなわんね。目線でもいれてもらうよう交渉するしかねえな。各アトラクションの平均待ち時間が書いてある案内板で立ち止まった。どれもこれも平均30分から60分待ちで乗れるようだった。「やぁ、どんなもんですか?」古泉が声を掛けてきた。まるで別グループのような顔をしているのは、どういうつもりなのか。
「まぁまぁね。どのアトラクションも平均的に混んでるって感じ」ハルヒは目を細めながら説明した。朝比奈さんと長門は、近くのワゴンで帽子だかをみている。長門にあつらえたような魔女の帽子をみつけたようだ。「あ、すごく良く似合ってますよぉ」朝比奈さんの声が明るい。「いいんじゃないんですか?それ」「………」長門はぼんやりとワゴンに備えてある鏡を見つめ、ミクロン単位で小首をかしげたあげく、ポケットから財布を取り出した。売り子のお姉さんに向かって、何も言わず帽子とお金を差し出す。お姉さんは一瞬ギョっとしたようだったが、売買は成立したようだ。長門はいつもああやって買い物をしているんだろうか。まあ宇宙人だから、買い物を楽しむ概念がなくてもおかしくはないな。「60分待ちなら、並んだほうがいいかもしれませんね」古泉が至極当然のことを言う。ハルヒは思案している素振りだが、なににまず乗るか考えているだけだろう。待ち時間など、きっと二の次に違いない。「じゃあ、この待ち時間が短いのからつぶしていきましょうか」「わかりました」ハルヒに手首をがしっとつかまれた。そのまま引きずられるように歩きだす。とても楽しそうな顔で古泉が見ている横を、まるで連行される俺。一体どういうことなのか、誰か説明してほしいね。
短い待ち時間のアトラクションは、乗っている時間も短かった。隣に乗っているハルヒもやや不満そうな顔をしている。「こんなもんだっけ?」降り口についたとたん、ハルヒは文句を言った。「こんなもんだろうな」俺は先に降り、ハルヒに手を貸してやった。「道理で待ち時間、短い訳よね」「そういうことだ」そのまま歩きだす。アトラクションを出たところで、古泉達と合流するため、すこし待った。古泉はとても奇妙な笑顔を浮かべながら、アトラクションを出て来た。朝比奈さんは驚いたように口に手を当てた。長門はまぶしそうに目を細め、魔女の帽子を被ったが、特に無反応だった。「あの、手……」朝比奈さんが片手で指さした。「ん?あ、これね」ハルヒは俺とつないだ手を少し持ち上げた。「降りる時に足元怪しかったから、手つないだの。それだけよ」そういって、ハルヒはつないだ手を離した。俺としてもその通りなので、特になにも付け加えることはない。「ま、次いきましょうか」古泉がとても楽しそうに言った。
次なるアトラクションは単なる移動のための船であった。この遊園地は広く、歩き回ると疲れてしまうためだという。「なんで移動の足を使うのに、並ばないといけないのかしらねぇ」ハルヒはぼやいているが、これを使おうと言い出したのはハルヒだ。「並ぶのと歩くのどっちが疲れるか、だな」「並ぶ方が疲れそうね」「んじゃ、歩くか? 次の次ぐらいには乗れそうだけどな」「乗りましょ。せっかく来たんだしね」「船で、未開の土地に行くという設定のようですね」古泉が後ろで話している。「未開の土地……ですか?」朝比奈さんの声が聞こえる。「どこだろう?」「ここではジャングルのようですね」「あ、宇宙とかじゃないんですね」「宇宙に船ではいかないでしょう」「そうですね。でも、船っていうとどうしても……あ、忘れてください」「はははは」古泉の乾いた笑いで、オチがついたようだ。「みくるちゃんって、おもしろい子ね」などとハルヒはまるで姉のような表情で言っている。一応年下な筈なんだがな。やはり感づいているのだろうか。
順番が来た。ハルヒに舷側の場所を譲ってやる。どかどか乗客が乗り込めば、船はゆっくりと動き出した。風が流れ出し、ハルヒの髪が風にあおられて舞う。黄色いリボンが旗のようにひらめき、俺の頬をくすぐった。水面がキラキラと輝き、船は設定上のジャングルを目指して進んでいく。「船はいいわねえ~」ハルヒは上機嫌で外を眺めている。俺は携帯電話を取りだし、ハルヒの横顔を写真に収めてみた。「なに、撮ってんのよぉ」ハルヒがシャッター音に気付いて振り返った。「ほれ」俺はハルヒに写真を見せてやった。「きれいなもんだろう?」「まぁまぁってところね」ハルヒは写真を眺めながら言った。「あとで写真はやるからさ」「当たり前でしょ。変なことに使われたらたまらないし」「使わねえよ」俺は写真を保存しながらハルヒに言った。「そもそも変な事って、一体なんだ?」「いかがわしい事によ」ハルヒはそれだけ言って、また外を眺めている。
「あの、いかがわしい事ってなんですかぁ?」俺の真後ろの席にいる朝比奈さんが、古泉に囁きかけたのが聞こえた。「口に出してはいえない、恥ずかしいことですよ」古泉が囁き返した。「ひょっとして、その写真にちゅーしちゃうとかですか?」朝比奈さんが重ねて聞いた。「まあそういうことも含まれるんではないかと」古泉が苦笑しながら答えた。「もう一つあると想定出来る」長門の声が聞こえた。「耳を貸して」「え~そんな~恥ずかしいことに使うんですか?」朝比奈さんは驚いたあまり、大きな声を出してしまい、周囲の注目を集めている。「長門さん、何を言ったんですか?」古泉が今度は長門にあわてて囁く。「告白の練習」長門は平然と答えている。「かなり恥ずかしい事?」なんで疑問形なんだ、長門。そもそもお前ら何の話をしている?そうつっこみたくなる気持ちを堪えるのは一苦労だった。
ハルヒはなにも聞こえないように、外を眺め続けている。どことなく物思いに耽っているようにも見える。すべてを知ったことを、どう切り出すのか迷っているのだろうか。船を降りるまでハルヒはそのままでいた。ひょっとしたら、すべてを知ってしまった以上、これが会うのはこれが最後だというのだろうか。最後の思い出づくりなのか。俺は鼻の奥がツーンとくるのを感じ、背後から聞こえてくる三人のくすくす笑いを無視しようと心に固く決意した。
船を降りるときにもまたハルヒに手を貸してやった。ハルヒはなれた様子で、俺の手を取り、そのまま歩き始める。古泉はまるでレッドブックに乗っている動物がペアで目の前に現れたような表情を浮かべ、朝比奈さんはうれしハズカシといった表情を浮かべている。長門は原子炉の中を眺めたら、青い光を見てしまったような表情を一瞬浮かべたが、すぐ無表情に戻った。「みんな、変な顔してない?」ハルヒがぼそりといった。「そ、そんなことないようなきがするけどな」俺はあわてて言った。「そうかしら?」「ああ、だいじょうぶだよなにもへんなことはないから」「あんたのしゃべり方も変」「次はどこに行きますか?」古泉は日差しを手で避けながら言った。「アトラクションは、この近くにいくつかありますけど」「もちろん、並ぶ時間が短いヤツよ」ハルヒは意気揚々と宣言した。
並ぶ時間が短いヤツというのは、つまらないか、それとも楽しむ時間が短いかのどちらでしかない。今回も後者であった。ハルヒは口をへの字に曲げている。いいかげん学習してほしいのだがな。「イマイチねぇ」ハルヒはぶつぶつと文句を言っている。「そろそろ何か食べませんか?」古泉はのんびりと言った。「小腹も空いてきましたし」「そーねぇ」ハルヒは一瞬思案顔を見せた。「ねぇ、キョン。あんたどお?」「そうだな、ちょっと早いが、飯にするか」「どこで食べますぅ?」朝比奈さんがカバンから帽子を取り出して被る。「……ここから徒歩5分圏内に、食事場所がある」パンフレットを見ずに長門がいった。「エスニック料理なるものが食せる」「なんだかよくわからないけど、そこに行きましょう」そして歩きだせば、俺とハルヒが先頭を行くことになる。そして三人がすこし間隔をあけて、あとを着いてくる。だから奇妙な班行動はやめろというのに。
長門が言うエスニック料理というのは、本格カレーのことだった。「パンフレットにはそう書いてある」と長門は言った。長門が言うのだから、間違ってはいないのだろうな。まだ昼食には早いからなのだろうか、レジに並ぶ列はさほどでもなかった。「あんたはなに食べんの?」ハルヒが俺を見上げてたずねた。「3色カレーセットだ。おすすめと書いてあるしな」「そう……」ハルヒはメニューとにらめっこしている。「どうしようかな」結局ハルヒも3色カレーセットに決め、レジで二人分の金を払った。空いたテーブルを見つけ、ハルヒと一緒にトレイをおいた。ぞろぞろと3人がまとまってやってくる。古泉と朝比奈さんはやはり3色カレーセットであったが、長門は本格激辛カレーと巨大なナンのセットであった。長門の顔ぐらいあるんじゃねえのか。「有希って食べるわね~」ハルヒは感心したようにいうと、ナンをちぎり、カレーにつけて食べ始めた。長門は巨大ナンを取り上げると、大きさを測定するような目をしてから、半分にちぎった。きっとある誤差範囲で正確に半分なのだろう。それをさらに半分、もう半分……長門の皿にはちぎったナンで山になった。「おもしろい食べ方をしますね」古泉があっけにとられた表情を浮かべながら言った。「食べにくいから」長門は気が済んだようで、山にしたナンをぱくぱく食べ始めた。カレーはスプーンですくってそのまま食べているのは何でだ?「ねえ、午後はどうする?」ハルヒがみなに尋ねた。「二手に分かれますか。自由行動ということで」古泉はナンをカレーに浸しながら言った。「その方が効率よく回れそうですが」「それもそうねえ」「あたし、ゴンドラ乗って見たいですぅ」朝比奈さんが口の回りのカレーを拭きながらいった。「ロマンテックですよねぇ」「乗ったことあるんですか?」古泉が少し驚いたように言う。「いいえ。だから乗りたいんです」「なるほど。でも夕方がいいんじゃないでしょうか?」「私はマジックシアター」長門がスプーンでカレーをすくいながらいった。「参考になるかもしれない」何の参考にするつもりだ、長門。「なるほど。ではマジックシアターにまず行きましょう。それで他のアトラクションをやっつけて、ゴンドラに乗る。どうでしょうか?」「いいですねとっても」朝比奈さんがうなずいた。長門もミクロン単位でうなずいた。ように見えた。「じゃあ、どっちがより多く回れるか、競争しない?」ハルヒの挑戦的な瞳が光った。「負けた方のチームは、買った方になにか奢るってことね」「よろしいでしょう」古泉は微笑みを浮かべつつ快諾した。ところで俺はどっちのチームなのかね。そんな分かり切った疑問を浮かべながら、俺はカレーにナンを浸した。
飯食ったあとで、絶叫系は勘弁してほしいんだがな。神の怒りを買うのは、やや慣れているつもりだが、神によってはトロッコを暴走させるのだな。俺が知ってる神様は、自らが暴走しちまうんだがな。「大丈夫?顔、青いけど」ハルヒはけろりとした顔で、俺に手を貸した。「大丈夫だが、胃がちょっとな」いまなら『カレー男の恐怖』って芸ができそうだぜ。「鍛え方が足りないわね」ハルヒは俺の手をひいて、出口に向かった。「次はここね」地底深くトロッコで冒険旅行……って、またトロッコかよ。トロッコ地獄は勘弁してくれないか。地獄の大魔王ことハルヒは待ち時間表示をみて、肩を落としていた。「90分待ちかぁ……ほかのところにいきましょう」
次のアトラクションまでは、結構歩くことになりそうだ。ポケットの中で携帯電話が震えた。取り出して見れば、古泉からのメールだった。『どうですか、そちらは? 長門さんがマジックシアターを我が物としましたよ』いまはハルヒに手を引かれつつ歩いているが、そんなことをメールには書けないな。片手でメールを当たり障りのないことを返していると、ハルヒが振り向いた。「なにやってんの?」「古泉からメールが来た」「なんて?」「長門がマジックシアターをものにしたらしい」「あの子、ほんと何でもできるのね」そういうふうに作られているらしいからな。ハルヒも知ってるだろう?……とは言わずに、単にうなずいておいた。
いくつかのアトラクションに乗った。多少水を被ったり、胃がひっくりかえりそうな思いをしたりしているうちに、夕方になる。高い防波堤の向こうに日が沈むのをまったりと眺めている。もう体力の限界を感じてへろへろな俺と、いまだに朝のテンションを維持しているハルヒの両名は、オープンカフェで暖かいコーヒを楽しんでいる。防波堤の向こうから、風が強めに吹いてきた。春とはいえ、夜になればひんやりとしてくる。こんなこともあろうかと、薄手のナイロンジャケットをカバンに忍ばせて来ていた。「へっくしょん」ハルヒが威勢よくクシャミをした。白いパーカーは見たところコットンで、風を防ぐようには見えない。しょうがない。男に生まれた以上、やせ我慢もたまには必要さ。「これ、着ろよ」ナイロンジャケットをハルヒに渡した。「ああ、ありがとう」ハルヒはなんのためらいもなく、俺からナイロンジャケットを引ったくると、さっさと着込んでしまった。「団員たるもの当然の行いよね」『え……いいの……?』などと目を潤ませ、頬を赤らめるような奴ではなかったね。俺はなんだって、こいつに乙女チックな幻想を抱いたのかね。
多分、いまが春で、そして春休みだからだろう。そうに違いない。のんびりコーヒーをお代わりしていたら、夜になっていた。「パレード見るか、ショーを見るか、どっちにする?」「どっちもどっちだな……そのまえに買い物だ」「何か買うのよ」「膝掛け。寒そうだぜ」「へえ~」変な笑顔を浮かべたハルヒが言う。「気が付くようになったじゃないの」「前からだぜ」「伝わらない優しさは、優しさじゃないのよ?」ハルヒが俺の鼻を指で押しながら言った。「見えざる壁があったのかもな」「そうかもね」ハルヒは妙に神妙な顔でそう言った。
膝掛けと小さなレジャーシート、そして暖かいお茶を入手した我々は、見晴らしのいい席を確保すべく、奔走した。「ここで手を打つしかないわね」と隊長があきらめたので、平隊員の俺はほっと胸をなでおろした。なにせショーが始まる30分前までそんなことをやっていたのだ。そこそこいい場所はどんどん取られてしまう。平日とはいえ、春休み期間のここは、そこそこ混んでいるのだ。 小さなレジャーシートには寄せ合って座るしかない。二人用とか書くんじゃねえ、カップル用とでも書いておけとメーカーには苦言を呈したいところだ。膝掛けはかなり広い。これまたカップルの保温に最適のようだ。ハルヒはそれを広げて、俺の膝にまで掛けている。はた目から見れば、完全にできあがったカップルであり、下手したら抜き差ししてる関係とも受け取られない。なぜか大声でその間違いを正したくなる。カップルだけがこの場所にくるんじゃないよな、ハルヒ?「間違ってるのはあんたでしょ」とハルヒは耳元で囁くように言う。「こういう場所にくるのはね、大抵の場合、カップルかそれに準ずるものと相場が決まってんの。あんたあたしといるの嫌なの?」「そういう訳じゃないが……」「恥ずかしいんでしょ?」ハルヒはにやりと笑った。小癪にも心の中をのぞき込んでいるかのような口ぶりだった。「………」「なに、その口は。ほら、暖かいお茶のんで、始まるの待ちましょうよ」鼻先にまだ湯気の立つカップが突き付けられれば、受け取るしかない。俺はお茶をすすり、なにもない会場予定地の空を見上げた。遠くに星がひとつ光っていた。
炎と水のショーはなかなかのものだったが、やけにガス臭いのが難点だな。ガス爆発しないのだろうかと、ちと不安になる。たとえ、それがガスにつけた匂いだけが残っているとしてもだ。ショーが終わるやいなや、ハルヒは膝掛けを手早く畳み、俺に押し付けた。それを俺があわててショルダーバックに収めた。ハルヒは手早くレジャーシートを畳み、これまた俺に押し付ける。しょうがないので、これまたショルダーバックに突っ込んだ。ハルヒはゴミをまとめると、それは自分で持った。ぞろぞろと観客が出口に向かって進み始める。ハルヒはそれを縫うように歩いて、ごみ箱にごみをほうり込んでいる。ショーをやっている最中は気づかなかったが、TV局の関係者らしき人々が忙しく働いている。撤収の準備かね。こんな遅くまでお疲れさまだな。俺はそんな光景を見ながら、ゆっくり歩くことで、人の流れをやり過ごした。「なんか、乗ってないアトラクションあったっけ?」「いや、ないな」「そっか」ハルヒは寂しそうな笑顔を一瞬浮かべた。「またくればいい」「そーね」気のない返事。「そろそろお土産買って帰るか?」「んー」ハルヒはなぜか視線を逸らしながらいった。「ね、ちょっと時間くれないかな?すぐ終わると思うの」ついにくるべきものが来てしまった。半ば忘れていたことが。
「ここだけ、桜の木があるのよね」ハルヒが俺を連れて来たのは、満開の花が咲く桜の近くでだった。ゆっくりとした風に乗って、花びらがすこしずつ舞い、散って行く美しさの裏側にある儚さを堪能できる。日本に生まれてよかったと思う瞬間だ。また一枚、また一枚、と花びらがすこしずつ舞う中、ハルヒは俺をベンチに誘った。見上げれば、夜空に咲く桜の花が楽しめた。「なんか、入学式を思い出すな」ハルヒが俺と同じように真上の花を眺めながら言った。「そうだな。あんときから、もう一年」「そうね、早いようで……なんかものすごく前の事のような気がする」去年の夏か、夏休みのことを言っているのか。「そうだな……」あの繰り返した夏休みの再現は二度とないだろうな。というか、なくていい。
「で。本題なんだけど」妙な神妙な表情を浮かべたハルヒを見るのは今日二度目か。かなり珍しいことだな。ハルヒは、膝にきちんと握りこぶしを並べて置いた。妙に力が入っているようにみえる。「ああ」俺も自然と姿勢を正した。「あの…さ。朝も言ったけど……あたしあんなこといってて、実は最初からなんだけどね」ハルヒの瞳はくるくると動き、落ちつかない。心持ち顔を赤くしていた。「ああ」「ひょっとするともう気付いてるのかなぁ、なんて思うんだけど」「………」次にくるせりふはもう分かっている。しかし、俺がそれを言うわけにはいかない。しっかりと受け止めてやるしかない。「あの、その、わたし、実はキョンのこと……」『ジョンスミスだと分かったの』という台詞を覚悟していた俺の耳に、まったく予想していない声が聞こえて来た。「あの~すいません、これから夜桜中継で、この場所空けてほしいんですが」へこへこと頭を下げるいわゆるADと呼ばれるだろう人の声が聞こえた。その瞬間、ハルヒは肩を震わせ始めた。膝に置いた手が白くなるほど震えている。「あの~どうされたんですか?」ADが声を掛けた。「ばかぁー」ハルヒが間違いなく大声大会で優勝おまけに殿堂入りしそうな声で叫んだ。「なんていいところで邪魔すんのよ!!!」「え、え、え?」ADがハルヒの闘気に押され、後ずさった。ハルヒはベンチから立ち上がると、腰に手を当てて猛然とADに突っ掛かった。わめき散らし、ものすごい見幕で怒り出しているハルヒを押さえるのに、俺は全力を投じるほかなかった。
「へえ。それでどうなったんですか?」古泉が言った。ここは駅のホーム。女性陣3人は椅子に腰掛けているが、俺と古泉はその脇で立ったまま話している。ハルヒは巨大なアヒルキャラのぬいぐるみを抱き締めていて、朝比奈さんは許可なしに名前すら出せないと言われる黒ネズミのペアぬいぐるみを膝に置いている。長門はというと、手には何も持っていないが、しっかり魔女の帽子を被ったままだ。よほど気に入った様子だ。「ADだけじゃなく、プロデューサーやら出演者にまでかみついて、関係者全員に土下座させて、結局中継そのものをナシにしやがった」「はははは」古泉はまったく笑顔を見せず笑い声を上げた。「それは……困りましたね」「ああ。困った。本当に困った」それ以外に言葉が出てこない。「まあ、マスコミ対策は僕にお任せあれですが、涼宮さんのぬいぐるみも、その筋からの頂き物ですか?」「……あいつの中で、諸悪の根源は俺らしい。で、あれを買えば許してやるとさ」「結構高そうですね、あれ」古泉は苦笑しつつ言った。「もう財布にはレシートしかねえよ」「それはそうと……肝心のお話は?」「気分が壊れたとかで、延期さ。またそのうちといってたな」「やはり……」古泉はイヤらしい笑みを浮かべた。おいおい、その笑顔はボーイミーツボーイな話でやってくれよ。多分、その手の読者も喜ぶぜ。「なにがやはりだ?」「いえ。あなたが思っているような事ではないということですよ」「そうなのか?」「多分、ですけど」ホームに電車が滑り込んで来た。春休みはまだまだ続くが、ほとぼりが冷めるまでは、ここには来たくないね。
おわり
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