人生最悪の三日間 第四章 ~堕ちていく鍵~
午前十一時四十分。A市の廃墟ビルの地下室にて。
トラウマ【trauma】虎と馬ではないし、馬にまたがった渥美清でもない。トラウマとは眉毛がチャームポイントの元学級委員か、五月の薄暗い空間での出来事のことである。ここでは前者を指す。
この閉ざされたドアが再び開かれるのは、俺の予想では二十年後くらいだと思っていたが、実際には十分後だった。部屋が明るくなって、俺がドアが開かれたことに気づくのにそう時間はかからなかった。「誰だ!」長門や古泉や朝比奈さんがここへ来る必要は無い。ここの存在を知っているのはあの三人だけのはずだ。「まだ生きてる?」最初、ソイツの姿は逆光で見えなかったが、そいつが一歩部屋の中に足を踏み入れると、顔が見えた。顔が見えた瞬間、俺の全身に鳥肌が立った。俺の精神的外傷はマリアナ海溝以上に深かった。そいつが俺と同じく被害者だということはわかっている。そいつが俺を殺しに来たわけではないことはわかっている。でも、体が拒むのだ。「ああ、生きてる」こうして声を出すのが精一杯だ。「安心して、殺しに来たわけじゃないわ。あの時は長門さんに操られていただけだもの」「で、何しに来たんだ?」こいつは笑わずに、珍しく真剣な顔で言った。「彼女たちに反乱を起こすの」なに? 反乱?「あなたには復讐と言ったほうがいいかしら。この一年間のあなたを奪った三人に復讐したくはない?」朝倉は、そのまま俺に歩み寄ってきた。「答えるまでも無いだろ」
午後十二時二十分。A市の路地裏にて。
「彼はここから二百メートルほど東を歩いているわ。捕まえるのはそう難しいことじゃないはずよ」だが、あいつがいるのは人通りが多い道だ。通報されるんじゃないか?「じゃあ、閉じ込めちゃえばいいじゃない」閉じ込める? どこにだ?「どこか、人がいないところよ」人がいない所と言っても、そう簡単には見つかりはしない。ここ、A市は四国へと繋がるA海峡大橋があるため、交通量が半端じゃなく多いので施設が充実しているから便利なのだが、交通量が多い=騒音が酷いので、あまり住むところとしては適していない。住むならここから少し離れた場所…… I 町あたりがいいと思うぞ。県庁所在地も近いし、図書館もでかいからな。……って俺は何を言ってるんだ。「そうね、あなたがさっきまで居た場所、なんていうのはどう? 復讐でしょ?」朝倉は「パパ、あれ買って」という感じの子供がするおねだりのような顔で俺を見た。「それ、いいな」
朝倉は俺の前から三十秒ほど姿を消し、万年ニヤケ顔を気絶させて俺がさっきまで閉じ込められていた廃墟まで連れてきた。対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェイスに不可能は無いのか?「さて、あとは彼をここに閉じ込めるだけね」
死体並みに重いコイツを俺がさっきまで閉じ込められていたバスルームに放り投げると、古泉は床にうつ伏せに転がった。「おい」俺が声を掛けると、コイツはピクリと動いてゾンビのように顔を上げた。「目が覚めたか?」呻きながらゆっくりと古泉は上半身を起こす。「……ここはどこです?」コイツはこんなときでも敬語なんだな。古泉は周りを何度も見回したが、状況がさっぱりわかっていないようだ。「ここはお前が俺を閉じ込めた場所だ」古泉はゆっくり立ち上がり、俺を見た。「……どういうことです?」「とぼけるつもりか? まあいい。どうせお前はここで死ぬんだ」古泉は呆然とただただ俺を見ているだけだ。「最後に言い残すことは?」俺はあの冷酷なインターフェイスの真似をした。古泉はやっと俺の言ったことが理解できたのか、急に慌てたように叫んだ。「ま、待ってください!! 話を、僕の話を聞いてください!!」「話? 三年間、俺を殺そうとしていたって話なら長門からもう聞いた」俺は扉に手を掛けた。「待て!! 嫌だ!! 死にたくない!! まだ死にたくないんだ!!」「自業自得って言葉、知ってるか?」俺はそのままドアを引いた。「うわあああああ!! 嫌だああああ!!」最期まで敬語なのかと思ったら、違うんだな。ドアは閉ざされ、声は聞こえなくなった。朝倉がそのドアに歩み寄る。「どうした?」「ここに彼が閉じ込められたことがバレたら困るでしょ。だからこのドアを完全に無くしちゃうの」こいつは恐ろしいことを結構あっさり言うな。だが、別に恐ろしいとも思わなくなってしまった自分が一番恐ろしい。「ああ、頼む」ドアは角砂糖のようにサラサラと消えていき、そこは壁になった。誰も、そこに部屋があり人間がひとり閉じ込められているとは気づかないだろう。
刑法 第二百二十条 不法に人を逮捕し、又は監禁した者は、三月以上七年以下の懲役に処する。刑法 第二百二十一条 前条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。
午後四時十三分。校舎裏にて。
「装弾数は6発。38口径のリボルバーよ。スミス&ウェッソン社が55年に開発したダブルアクションの銃で、別名はコンバットマグナム」「すまん、全然わからん。俺は拳銃マニアじゃないんだ。俺にわかるように説明してくれ」俺は今、朝倉に武器の説明をしてもらっている。できれば使いたくないが、万が一の為に、だ。「こういうリボルバーの拳銃にはシングルアクションと、ダブルアクションの二種類があるの。シングルアクションは撃った後に撃鉄を通常位置から撃発準備位置まで手動で戻さなきゃいけないの。でもダブルアクションは引き金を引くだけで撃鉄が撃発準備位置まで自動的に後退してそのまま弾丸が出るから初心者でも扱える。これはダブルアクションだから引き金を引くだけ。でもその代わり、シングルアクションに比べてトリガープルが重いから精密射撃には向いてないわ」トリガープルと言われて、即座に何のことだかわかるほど銃には詳しくない。俺の英語が正しければ、引き金が重いということだろう。別に朝倉は英語で話しているわけではないのだが……。「軽くても俺には精密射撃などできん。コンバットマグナムって言ったか?」「ええ。『ルパン三世』の次元大介が使ってるし、『リーサル・ウェポン』や『ダイ・ハード2』にも出てくるから一度は聞いたことはあるはずよ」……聞いたことないな。なんでこいつ、こんなに銃に詳しいんだ? サバイバルナイフの扱いも慣れてるし。さては元軍人か?「じゃあ、あたしはここで待ってるから、なにかあったら携帯で呼んでね」……操られていたとはいえ、やっぱりこいつには慣れない。殺されかけたからな。
銃砲刀剣類所持等取締法 けん銃等を所持した者は、1年以上10年以下の懲役に処する。
午後四時十五分。部室にて。
「キョン! どこほっつき歩いてたの! さっさとドアを修理しなさい! お陰でみくるちゃんが着替えられないじゃない!」まあ、待てハルヒ。それは後で直す。今はそれよりも大事なことがあるんだ。「なによ。言ってみなさい」さて、なんて説明しようかな。いや、ハルヒには説明できんな。「朝比奈さんと長門と話したいことがあるから、ハルヒはちょっと席を外してくれないか?」ハルヒは少し考えてから言った。「……わかったわ。キョンに何かされそうになったら叫ぶのよ、二人とも!」と元気良くハルヒは部屋を飛び出していった。……外で聞き耳立ててたりしないだろうな。長門は読書を中断し、顔を上げて俺を見た。朝比奈さんも俺のほうを見ている。「……朝比奈さん。何の話かわかりますね?」「え、え、え~と、キョンくんが異時間同位体に殴られて――」「違います。長門、お前がわかってないわけないよな」俺は長門のほうを向いた。長門は数ミクロンほど首を傾げた。わかっていないつもりらしい。「俺をあそこに閉じ込めておいてか?」「あそことはどこ?」それはからかってるのか、馬鹿にしてるのか、演技をしてるのか、どれだ?「どれでもない。私はそんなことはしていない」「ふざけるな! じゃあ、何のために俺は何回も一昨日に遡ったんだ!? ああ!?」「それはあなたを守るため」「ちょっとは頭を使え!! あのとき一昨日に行かなきゃ俺はあんな目にあう必要は無かったんだ!!」「それは私の責任ではない」起こっているときにこめかみの血管が浮き上がるのは漫画だけではないようだ。もう我慢ならん。俺は腰にしまっておいた1.021kgの銃刀法に違反する物体を長門に向けて構えた。「ふざけるなっ!! 死ぬとこだったんだぞ!! お前の口から全部聞いた!! 三年間、俺を殺そうとしてたんだろ!?」朝比奈さんはそのコンバットマグナムを見て、短く叫んで床にへたり込んだ。今にも泣き出しそうだ。「あなたはなにか勘違いをしている」「勘違いなんかしてない!!」「あなたの記憶に改竄の形跡がある」「それはお前がやったんじゃないのか!?」「やっていない」「とぼけるなぁぁぁ!!」叫んでいるので喉が痛いが、そんなこと気にしている場合じゃない。「あなたは錯乱している。治療の必要がある」そう言って長門は立ち上がった。「来るなああああああ!!!!」俺は引き金を引いた。予想以上に引き金は重かった。強烈な破裂音とともに俺は衝撃で後ろに軽く吹っ飛び、ドアに背中をぶつけた。銃弾は誰にも当たることはなく、窓ガラスを突き破った。俺は体勢を立て直し、さらにもう一回引き金を引いた。破裂音が部屋に響く。朝比奈さんは泣き出してしまった。銃弾はもう一枚の窓ガラスを突き破って外に勢いよく飛び出した。長門は一瞬の隙を見て、あっという間に間合いを詰めて俺の銃を構える手を掴もうとする。そして俺はそれに照準を合わせた。世界がグラリと傾く。後頭部に電撃のような激痛が走る。振り向くと、赤い消火器が視界に映った。
……待て。
……消火器?
「キョン! あんた自分がなにやってるかわかってるの!?」対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェイスは、俺の一瞬の隙を見て、例の高速呪文を唱え始めた。しまった!体の力が抜ける。コンバットマグナムは俺の手からするりと抜け落ち、俺は床に崩れ落ちた。「有希! みくるちゃん! 怪我はない!?」こいつ……いつの間に?ハルヒは朝比奈さんに駆け寄り、次に長門の無事を確認して、携帯を取り出した。俺は床に倒れたまま、それを見ていた。「こういうときはどこにかければいいの!?」とハルヒは携帯を片手に戸惑っている。体はまだわずかだが動く。俺はアイツの姿を廊下のほうに捉え、喉の奥から声を捻り出した。「あ、あさ、朝倉ぁ! 朝倉ぁあ!! 来てくれ!! 助けてくれぇ!!」朝倉は廊下に立って、部屋の中の惨状をただひたすら眺めているだけだ。「……朝倉?」ハルヒは携帯を思わず手放し、廊下に立っているカナダに転校したはずの女を目を見た。「朝倉ぁ!! 俺を、俺を助けてくれぇ!」体が思うように動かない。もちろん、立ち上がることなんてできない。俺は、床で無様にもがいていた。朝倉は何もせずに、俺の目を見てこう呟いた。
「ごめんなさい」
朝倉は消えた。なぜ? なぜ俺を助けてくれない。なぜだ。先ほどの古泉、長門、朝比奈さんの言葉が、頭の中を駆け巡った。
『……どういうことです?』
『え、え、え~と、キョンくんが異時間同位体に殴られて――』
『あなたはなにか勘違いをしている』
三人とも、あのときは演技をしているのかと思った。でも、あんな状況下で演技をする必要なんて無い。古泉の時に気づくべきだった。あれは演技じゃない。
演技をしていたのはひとりだけだ。
そう、
朝倉だ。
「うわぁぁぁぁぁああああ!!!!」思わず俺は叫んだ。この三日間、俺はずっと朝倉に騙されていた。そう、すべて朝倉の仕業。俺が俺の殺人現場を目撃してしまったのも、死体の片づけを手伝わされたのも、一昨日に遡る羽目になったのも、そこで俺を消火器で殴ったのも、また一昨日に遡ったのも、消火器で殴られたのも、密室に閉じ込められたのも、古泉を殺す羽目になったのも、部室で銃を乱射したのも、なにもかも朝倉の仕業。俺は、嵌められた。「キョン!? キョン!?」「朝倉ぁぁぁぁぁぁああああ!!!」「キョン!? どうしたの!?」ハルヒが心配そうな顔をして俺を見る。長門が俺に寄ってきて、口を素早く動かした。すると、俺はだんだん眠くなってきて、気がつくと一年五組の教室に居た。
第五章 ~笑う女~
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