新米保父さん一樹は大童・四
古泉の家に、あの子とおちびちゃん達を置いて出て行って、新川のタクシーがカラオケ店の前に止まった、その瞬間だった。ロッキーのテーマを、私の携帯が奏でたのは。多丸ツインズと私は車から降り、新川には駐車場を探してから来てもらう。のんびりと取り出した携帯のサブ画面に表示された名前は「古泉」だった。「もしもし、こちら森。古泉?何か問題…」「緊急事態発生。繰り返します、緊急事態発生!」古泉の声が電話越しに響く。「新川多丸、聞きなさい!!」私が鋭く呼ぶと、二人と一台の車はぴたりと止まった。こちらに駆けて来た三人にも聞こえるように、すかさず音量を最大にする。「たった今、涼宮ハルヒ並びに観察対象Bによる、はじめてのおつかいが決行された!二人の任務を遂行さすべく、只今より、そこにいる対涼宮ハルヒ接触要員は全員僕の指示通りに動くこと!いいですか!!」ここで、ひゅっ、と古泉が息を飲む音が聞こえた。いつものあれが来る。「園っち新ピー圭ちゃん裕ぽん!!」「はっ!」「サーイエッサー!!」来た。そこから皆で車に戻って移動しながら、古泉に手短に聞いた話によると、私達が古泉のマンションから出て行って数十分後に、涼宮ハルヒが空腹を訴えて、その日の夕飯は彼女がリクエストしたオムライスになったらしい。あの子の部屋の冷蔵庫には、私達がおもちゃだとか子ども服だとかと一緒に買った、食材がたっぷり入っているのだけれど、「涼宮ハルヒが、母の作るオムライスにはいつもマッシュルームが入っていると言い出して」そこで古泉はそれを探してみたけれど、そんな物は無かった。私達も買っていない。「我慢するよう言ったのですが、なら自分が買って来る、と。すぐに、僕が買って来るのでお留守番をするように言ったのですが」上司モードにしては、敬語とごっちゃになっている言葉遣いね。「『いーよ、わたしかってくるから。いちどやってみたかったんだ、おつかい』」古泉は溜息混じりに彼女の台詞を読み上げた。「やってみたい、と言われては、僕にはもう止められない。というより、止めてはならない」その言葉に、灰色のあれや、青いあれが脳内に再生される。「彼が」ここで古泉の声が、ふと柔らかくなった。気がした。「『しょーがねー。おまえひとりでいかせたら、おおさわぎして、みせのひとがこまるだろーから』」「………」「『おれがついてってやる』」ぷっ、と古泉は、堪え切れないとでも言う様に吹き出した。皮肉ではないみたい。声が明るい。決定打をなかなか打たない二人に、この子がいらいらしていたのは何か月前のことだったかしら。今でもそれは打たれていない訳だけれど。「心配だったので、尾行しようかと思ったのですが、二人に、こそこそ後をついて来ないよう、待っている間、できる所までオムライスを作っておくように言われてしまいました」そこで私達、か。全く、子どもになっても神は神だ。涼宮ハルヒがそう言えば、この子は、まず彼女に逆らわない。「二人が向かったのは、ここから四百メートル程南へと進んだ敷地に鎮座するスーパー。君達に遂行してもらう任務は、障害物の排除、尾行、報告」いつきせんせ、だれとおはなししてるの?大切なお友達です。家族みたいな仲間達に、ちょっとお願い事してるんです。と、間に、恐らくは朝比奈みくると古泉の会話が挟まる。「以上です、お二人を頼みます」「しょーがないわね、頼まれてあげるわ」上司モードで最後を締めなかった古泉に、私も部下モードを解除して、携帯を閉じた。お友達なのに、家族なのに、それで上司部下っておかしいもの、ね。助手席に深く体を沈めて一言、「新川、全力疾走よ」「森さん、たった今、大変なことに気付きました…できればずっと気付きたく無かったようなことに」「え」「どうしよう…」「な、何なの。そのスーパー、今日が定休日だとか?」「いえ、そうじゃなくて」「じゃ、なんなのよ?」電信柱に隠れて追跡しようとした多丸兄を、あんたじゃ全部隠れないわよ、特に腹の部分が、と目で退かせて、私がそこに落ち着く。元気良く足を進める彼女と彼の背中を見ながら、古泉の次の言葉を待つ。「……オムライスって、どうやって作るんですか」「………私に聞くの?」「………」「夏にメイドした時、張り切って料理しようとしたら、包丁持ってから二秒で新川にストップさせられた私に聞くの?」「…ですが、圭一さんに聞いたら、高コレステロールどろどろ血液まっしぐらなオムライスになるだろうし……」「新川は?」「新川さんは、一旦指令が下ると、それが終わるまでろくに話もできなくなるし」「ああ、そういえばさっき、あの鳩は、神と鍵に爆撃を落とす気なのだなんたらかんたらって言って、鳩を撃ち落としてたわ。後で動物愛護団体に連絡しとくわね」「またですか…はい、お願いします。裕さんだと、この前みたいに、金箔乗せてワイン入れとけ、それでどんな不味い料理もちったあましになる。たとえ森のでもな、って」「ちょっと古泉、一回切るわね」「えっ、待っ」「大丈夫。オムライスなんて、チキンライスに薄焼き卵被せただけだから。簡単よ。やったこと無いけど」「チキンライスってどうやって作るんですか」「チキンライスよ?チキンにライスよ?ライスにチキン入ってたら、それは誰がどう見てもチキンライスになるわ。たとえケチャップが一滴も入っていなくてもね」「え!ケチャップって必須じゃないんですか?」「そーよ。ケチャップでも醤油でもわさびでもタバスコでも、チキンが入っていたら、それはチキンライスなのよ」「そうか、そうですよね。チキンライスですもんね、チキンが入ったライスな訳ですから、ヨーグルトを入れても、チキンさえ入っていれば、それは…」「そう。チキンライスよ」「こいじゅみいちゅき、もりしょのー。はやまっちぇは、いけにゃ……」「チキンライスよ」「ですよね!じゃ、頑張ってチキンライス作ります!なが、じゃないや有希ちゃん、みくるちゃん、飲むヨーグルトとゼリー状ヨーグルト、どちらがいいですか?あ、下らないことで電話してすみません。さようなら!」「はいさよなら」プチッ、ツー、ツー、ツー……「ぅ~~」「っわ!」多丸弟ぉ!出て来なさい!と叫んでやるつもりで電話を切ったのだけれど、あいつも私も、今騒いだら確実にターゲットに見つかる。そのターゲットなんだけれど、やたらとデカい犬を飼っている家の前を通り過ぎる際に、低い声で唸られて、片割れがビビっている真っ最中。しっかりしなさいよ、男の子でしょう。「しっかりしなさいよ、あんたおとこでしょ!」良く言ったわ。「おれは、ねこはなんだ」「それとわんちゃんがこわいのは、ちがうでしょ」「べつにこわくないもんねーだ。ほら、さっさといくぞ」いやに子どもっぽいやり取りね。子どもなんだけど。けれど、ほんの少しびっくりしただけみたいで、すぐに鍵の彼の方は歩き出した。……今度足が止まるのは神の方?何故動かないの?「はるひ?」彼が振り返って彼女を見る。彼女は、目を見開いて犬を見つめ、その場に身動きできないでいた。何事、とその犬に注目すると同時に、私は懐から――「森園生必殺☆麻酔針ダーツ!!」プスッ「!?」いきなり飛んで来て、犬のデコに命中したダーツの針に二人はぎょっとして、しかし犬が弱々しく倒れると、「やべー、せーきゅーけんだー!」「きょーけんよ、ばかあ!」と、スーパーに向かって一目散に走って行った。ふう。「どうした!森二等兵!?」「せめて軍曹にしてくれない」新川のこのテンションをがた落ちさせるにはどうしたらいいのかしら、と考えたけれど。無理ね。「どーってこと無いわ。あのワン公が涼宮ハルヒに牙を剥いて、それにビビってたのよ。ちょっと眠ってもらったわ」「うむ、ご苦労であった」「てか、あんたも見てたんだから、聞かなくても解るでしょ……………見てなかった訳ね」びしいっ、と何故かこのタイミングで敬礼をかます新川に、こいつにもダーツの的になって貰おうか、と針を取り出した。そうしたら、「な、なんなのね、さっきのは……」「は」「や、やま、山口さんのコロに、一体何を……まさか、毒針!?」「いえ、これは」「動物虐待なのね!」「違います。少し眠ってもらっているだけです」「保護団体に通報を……」「それはこっちの新川です!こいつ、鳩を撃ち落として遊んでいました。BB弾で」「鳩がどうなろうと構わないのね」「は」「むしろ犬こそが平和の象徴として相応しいのね。ぽっぽっぽーなんて……私は犬のお巡りさんを平和のシンボルマークにすべきだと思うのね。そうしたら、世界中の兵器は消滅するのね。ね、ルソー?」「くぅん」「………」「だから、私は注意するのね。怖いけど……犬をいじめた罪は死に値するのね、おばさ」「森園生必殺☆麻酔針ダーツ第二段!!」プスップスッ「は………う……?」「きゃう~……ん……」あ、やっちゃった。鶏肉をまな板の上に押さえ付け、包丁を振り下ろして叩っ切っていると、(何故か朝比奈さんが泣き出し、長門さんは彼女を連れて台所から出て行った)エプロンのポケットに入れていた携帯から味気無い着信音が鳴った。「もしもし、古泉です」脂でぎとぎとの手を拭いて、通話状態にする。「一樹くん、涼宮ハルヒと対象Bは無事にスーパーに入ったよ」「あ、裕さん」「無事……無事ではなかったお嬢様が一人…」「新川、人聞き悪いこと言わないで。ちゃんと道路から木陰に運んでおいたわよ」「そういう問題なのかい?」「兄は黙ってなさい」どうやら皆同じ場所にいるらしい。「ありがとうございます。帰り道もよろしくお願いします」ヨーグルトのふたを開けながら、お礼を言う。「あ、でも、そんなに上手いこと缶詰が子どもの手の届く所にあるかしら」フライパンにヨーグルトを注ぎ込む。「それもそうですね…」「んじゃ、ちょっと見てくるわ。高い所にあるんだったら、下に移動させとくわね」「お願いします」行くわよー、と森さんが言うと、おー、とやる気の無い声が聞こえた。全員で行くのか…まあ、顔を見られない限り大丈夫だとは思うけど。「あっ、ほらほら、やっぱり棚の上の方ね」かたんかたん、と数個の缶を、上から下へと移動させる音が聞こえた。「来ましたな」ぱたぱた、とスキップのような足音が聞こえた。「さ、隠れようか」「こっちで見ていよう」多丸さんズの提案に、そうね、そうですな、と同意の声。自然と、その場にいない僕も息を潜める。「きょーんー、おむらいすのきのこ、あった!」「……?なんでみっつだけ、ここにおいてあるんだ?もっとうえに、いっぱいあるのに……」「しーらない!どーでもいーじゃない、そんなの」「よっし、まずは第一関門突破ね」「次は会計ですな」「ミッションコンプリートはもうすぐだ」「見ているこちらが緊張するね」「ハルヒちゃんもキョンくんも、頑張って下さい」「……あ」「どした」「………」「?」「ど、どーしよー、きょん」「だから、なにが」「もらってない」「なにを?」「おかね」「おかね?」「いつきせんせーから、おかねもらってない」「あ」「………」「………」「………」「………」「…………よ、よーし!園っち新ピー圭ちゃん裕ぽん、心配には及ばない!これもプロジェクトの一環だ!この最悪の事態を、どのようにして二人が協力して乗り越え……」「どーしよう……」「どーしよーって…えーと、ええと……」「………」「どーしよーもないだろ、おかねがないんじゃ」「ふ………うぇっく、ひ、ひゅ」「………」「………」「………」「………」「…………そ、そうそう、これこれ、こうして、このようにして、このプロジェクトは、えええ、つまり、狙いは、涙を流す涼宮ハルヒを彼が優しく慰め………」「ないたってしょーがないだろ。あきらめろよ」「ひ、う…うぇ、うっく」「………」「………」「………」「………」「だ、だから、うん、全ては僕の作戦通りであって、よっよよよ、要は、そう、ええと、あのその」「それくらいでなくなって…がまんしろよ……」「ち、ちがうもん、ひっ、おむらいすじゃないもん。お、おつか、い、しっぱいしちゃっ……うぅ」「………」「………」「………」「………」「…………あ!しまった、フライパンに火を掛けたままだったー!う、うわー、なんてことだあー、火が、火があー、天井まで伸びてるうー……消火器!消化器は、どどど、どこだー?しょーか、き」「くぅぉおおぉおぉぉいずみぃいぃいぃぃ!!!!」「ごめんなさいっ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいーっ!!」ぴったり重なった四人の怒声に、手を前に揃えて正座して、額を床に打ち付けて土下座する。「この古泉一樹一生の不覚!会わせる顔も御座いません!!煮るなり焼くなりお好きにどうぞ!」「はあぁあぁあ!?甘い、甘いわ!煮られたり焼かれたり位で済むと思ってんのぉおぉ!?甘い、避難訓練って授業潰れていいよねーとか言ってる小学生より甘いわーー!!!」「もし僕があの閉鎖空間での君に会う機会があったら、気をつけた方がいいよ。童心に戻って大玉転がしがしたくなるかもしれないから。ねぇ兄さん?」「ああ、運動会では随分とはしゃいだな。しかし、玉乗りサーカスごっこも捨てがたい」「それもいいね」「友達で家族で仲間、って聞いた時の私の感動を返しなさい!いえ感動なんてしてないけどね!してないけどね!!」「……皆様、それ程にして置きましょう」「甘い、甘過ぎるわ。新…」「神の少女と鍵の少年は、もうここにはいませんぞ」「!!」「諦めた様ですな。今し方出たばかりですから、まだ遠くには行ってないでしょう」ぱりっ、と空気が張り詰める音が聞こえるような気がした。「古泉、閉鎖空間は!?」「それが…」頭を床から離し、ひりひりする額に手を当てる。どういうことだ、これは。「…さっきから、全く感知できません」あの、えも言えない感覚がやって来ない。さっぱりだ。涼宮さんのあの様子では、閉鎖空間も神人も、既に発生させいてもおかしくない筈だ。おかしい、絶対におかしい。「どういうこと!?多丸弟、他の対神人要員に連絡して!私達は二人を追うわよ、急ぎなさい!」「まさか、神の力が消えた…!?」裕さんの驚愕に満ちた声が電話の向こうで聞こえる。「しゅじゅみやはるひのちかりゃは、きえていにゃい」気付かない内に長門さんが、床に正座したままの僕の隣に立っていた。その後ろには、泣いたせいでまだ目が赤い朝比奈さんがいる。森さんは、走りながらも長門さんの話を聞こうとしているのだろう、携帯の通話状態が絶たれる気配はない。「しゅじゅみやはるひが、こにょかいへんをおえたさいの、だいいっしぇいをおもいだちて」改変を終えた際の第一声。涼宮さんは何と言った?ええと………駄目だ、まだ混乱気味で思い出せない。あの時、僕は突然の変化に気を取られていて、誰かの発言なんて覚えていられなかった。僕が困り顔で長門さんを見ると、彼女はゆっくりと、僕に思い出させる時間を作るかのように台詞を紡いだ。「『ただのいんげんにはきょーみありません。このなかに』」……!思い出した!!「森さん!他の神人要員は、もう既に閉鎖空間も神人も発生を感知して、現場に向かったらしい!」突然、裕さんの声が電話の向こうに響く。「じゃあ、古泉だけが能力が消えたってこと!?」森さんが驚きと困惑の声を上げる。僕は、長門さんが言った涼宮さん台詞を引継ぐ。「『まじょっこ、へんしんひーろー、しゃべるどーぶつきゃらがいたらあたしのところにきなさい』」以上。「いた!涼宮ハルヒと観察対象B!公園のブランコ、涼宮ハルヒはそこで泣いてるわ」森さんが声のボリュームを小さくして言った。「大丈夫…対象Bは隣で黙っているだけだけど、涼宮ハルヒを放って帰る気配は全く無いわ―――――――嘘!?」「どうしました!?」思わず携帯を強く握り締める。なんだ、一体、何が起こっているんだ。「私にも解らないわ!いきなり、茂みの中から黒装束――え?黒の、ぜん、全身タイツ??」「……へ?も、森さん?」「な、何よ!出任せ言ってるんじゃないわよ!ほんとよ、マジで全身黒タイツの変な奴等が……」「きゃあー!!」涼宮さんの悲鳴が聞こえる。「!」森さんが携帯を放り投げて駆け寄ったのだろう。がっ、と固い地面に携帯が叩き付けられた音を最後に、ツー、ツー、ツー…としか聞こえなくなってしまった。通話状態が切れる直前に聞こえた、キー!キー!と、耳障りで甲高い声が耳から離れない。あの声の数、絶対一人の物じゃない。複数いるだろう。複数、全身黒タイツ、耳障りな高い声…「……まさか…」未来人には概念すら無い筈の、おばけという単語を発した朝比奈さん。インターフェイスとしての能力を失った長門さん。閉鎖空間も神人も感知できない僕。しかし、他の超能力者達は、それらの発生を問題無く感知している。………改変が及んだ範囲が、僕以外のSOS団四人の体格と精神、並びに古泉一樹が保育士との認識、その二点のみだとの証明は?涼宮さんがずっと望んでいた、宇宙人・未来人・超能力者。幼稚園児に戻った涼宮さんが望んだ、魔女っ娘・変身ヒーロー・喋る動物キャラ。「………もしかして……」そこから先は言わずに、長門さんを見つめると、彼女はこくりと頷いた。「おしょらくは」その時だった、ぐっ、と握り拳を作ったのは。しかし、それは僕ではない。長門さんでもない。朝比奈さんが、先程までの泣き腫らした目はどこへやら、めらめらと瞳の中で炎を燃やし、きつく握った拳を震わせ、「誰かが…誰かが助けを呼んでいる……!!」この子覚醒しちゃったーーー!!!!
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