HOME…SWEET HOME 第5話
…━━「ま…まずいぞ!」思わず口走る俺。何が『まずい』のか具体的には解らない。だが『まずい』のだ、この二人を会わせる事は!そう思うのは古泉に言われたから?違う!それだけじゃない、何か今…直感の様なものを感じた…!白色の静けさを湛えた、真冬の日差しが差しこむ会社前の路地。目の前の課長に、その背後から歩み来る女房…二人の『ハルヒ』が今、俺の目の前で極限にまで接近している。そして、何気無く振り返る課長…「ま…待て…待ってくれ…」思わず呟く。…その瞬間!目に見える全てのモノが闇に包まれ、俺の視界から消えた━━…【HOME…SWEET HOME】第5話「…忘れないで」━1━例えば目に写る全てがテレビに映された映像の様なものであったとしたら、そのスイッチを誰かに突然消されてしまった様な瞬間…その後に現れた果てしなく続く闇…その中で今、俺は呆然と立ち尽くしている。何が起こったのか皆目見当が付かない。だが昨日古泉が言っていたのは、おそらくこの事なんだと混乱した脳裏に浮かぶ。(俺は…どうなっちまったんだ…)必死に辺りを見回す。右も左も、上も下も判らない様な奇妙な空間に、ある種の目眩の様な感覚を覚える。(な…なんだ?何が起ったんだ…)必死に手をかざして辺りを探りながら、自分を取り巻く全ての方向を凝視する。すると…遥か彼方に一筋の光が射すのが見えた。そして、その光は扇形に広がりながら目の前の闇を淘汰して行く…眩しい…思わず目を閉じる俺。そして目を開けると…そこは、先程の会社前の路地だった。「な…何だったんだ、今のは…」囈の様に呟く。それと同時に全身の力がスッと抜けて、思わず両膝を地面に着いた。「ちょっと、キョン!どうしたのっ?大丈夫?」呼び掛ける声が聞こえて思わず戸惑う。戸惑いの理由は言うまでもなく、声の主がどちらのハルヒのモノだか判らないからだ。「え…ええ、大丈夫…です」「そう?なら良いけど…。じゃあ、先にオフィスへ行っているわね?」課長か…。俺は深く息を吸い、まだ少し震えてる足でアスファルトを踏みしめて立ち上がった。(そうだ…ハルヒ…)携帯を受けとらなければならなかった事を思い出して、辺りを見回す…(あれ?居ない…)確かにコチラに歩いて来ていた筈のハルヒが、そこに居ない。何だ?ハルヒは…何処に行っちまったんだ…(…そうだ!)俺はつい、いつもの癖で無意識のうちに上着の内ポケットに手を入れた。そして思わず、無い筈の携帯を指先で探してしま…って、あれ?携帯がある…何で俺、携帯を持ってるんだ?ポケットの中には家に忘れてきた筈の、まだハルヒから受け取っていない筈の携帯が確かにある…(………?)俺は何とも言えない不思議な気持ちを抱きながらも、その携帯を静かに開いた。そして、いつも通りに短縮呼び出しのボタンを押す。(短縮の00…ん?な…なんだ?これ…)ハルヒの番号が無い!短縮の00にいつだって登録してあった筈だ!一番よくかける番号だから、一番始めに登録してあった…間違って消しちまう事なんて有り得ない。それにこれは、家に忘れた筈の携帯だ。本当に受け取った覚えはない…ぞ?大体、これを届けに来てくれた筈のハルヒは何処に居るんだ!?混乱する俺の頭の中…でも少しだけ、把握しかけた事がある…そして、それを認識すると同時に感じる、吐き気がするぐらいの胸の動悸と口の中が酸っぱくなる感触…まさか…まさか…まさか…まさか!!気が付くと俺は、古泉達が居たあの店へと走り出していた。会社から駅前までは、歩いてもそう遠くはない。だが仮にどんなに遠かったとしても、今なら迷わず自分の足で向かってしまうだろう。それ程に必死だ、今の俺は。とにかく、古泉達に会って確かめる必要がある。先程起こった全ての出来事と、携帯やハルヒの事を!会社前の路地から表通りへ…そして表通りから再び別の路地裏へ…そしてあの妙な雰囲気の店へ…前のめりに倒れそうになりながらも夢中で走る。膝と足の裏が焼けそう…全力疾走も良いところだ。やがて、昨日訪れたばかりのその場所に着いた俺は、思わず自分の目を疑った。「………?」同時に感じる言葉にならない失望感…店が無い。店が在った筈の場所は、まるで工事現場の様なフェンスに囲まれていた。途切れたフェンスの隙間から見える景色に、現在ここが空き地である事を把握する。(何て事だ…)店が在って長門が不在、という事なら解る。だが、店自体が無い!古泉は確か、「ここはその為の場所」と言っていた。なのに何故、肝心なこの時にこんな…先程の闇の中同様、再び立ち尽くす俺。するとその時、ポケットの中で携帯が震えた!(古泉?いや長門…朝比奈さんか?)そう思う事に根拠は無い。だが…俺は定まらない手元で携帯を取り出し、地面に落としそうになりながらも慌てて開く。「もしもし!?」「ああ…キョン君!僕です、古泉です」「ああ、判るさ!それよりハルヒが…」「………」「…古泉?」「…ええ、聞こえてます。その件で今、電話をしました。そちらの番号が不明でしたので、少々イリーガルな手段で調べさせて頂きましたが…」「そんな事はどうでもいい!ハルヒが…ハルヒが消えちまったみたいなんだ」「ええ…」「ハルヒは何処に行った!?それに…さっきのは一体…」「落ち着いて下さい、今説明しますから」「お…落ち着けって、お前…」ここまで言いかけて、俺は電話の向こうの古泉の様子から「ある事」に気が付いた。(おそらく古泉は知っている…先程の出来事も、それが何だったのかも…)「貴方の奥さん、もとい『涼宮ハルヒ』は先程消滅してしまいました」「…っ、消滅!?」「ええ。その存在の全てがこの世界から消えてしまったんです」「…どういう事だよ」「いえ…この様な事態は我々も…ただ、二人を接触させれば何かが起こる事は予測出来ていたんです。いくつかのケースを想定して対処方法も用意してありました。しかし…」古泉は俺には到底不可解な言葉を並べて見せながら、色々と説明を続ける。だが俺は、つい先程受けた言葉に例えきれない程の衝撃を受け、古泉の話などは頭の中に取り込む余裕など無い。先程受けた言葉…『ハルヒが消滅』消滅って、一体なんだ…?どうして…こんな事になった…「……し……ン君」「…………」「……しもし?」「……………」「もしもし!キョン君?聞こえていますか!?」「………! あ…ああ…」「とにかく、鈴宮春日がこの世界で涼宮さんに代わる存在となった訳です」「…なあ、古泉」「はい?」「…嘘だよな」「………」「嘘だと言ってくれ、頼む…」「いいえ…残念ながら…」それまで相変わらずの饒舌を維持していた古泉だったが、俺の問掛けに思わず言葉を詰まらせた。そして、その様子自体がその問掛けに対する最も的確な答えに感じた俺は「そんな……」と言いかけて、同じく黙りこんだ。(どうにもならない事なのか…?俺は…どうしたらいい?)「…しかし、貴方はこれにより新しい使命を帯た事になります」突然、古泉が自ら造った沈黙を破る。「使命…だと?」「貴方は選ばれたのですよ?再び…『スズミヤハルヒ』に」「…何?」「かつて涼宮さんがそうであった様に、新しいスズミヤハルヒも貴方を望んでいるのですから。それは先程、説明した通りですが?」先程?…聞いていなかった…いや、聞く余裕などあるものか!古泉!俺が今お前の口から聞きたいのは、そんな言葉じゃないっ!「……貴様っ! 本気で言ってるのか?大体、使命って何だよ!ハルヒが消えちまったんだぞ?なんとかしようとか思わないのか!?」「…なんとか出来ないんですよ、今回ばかりは」「そんな…」「また連絡します、新しい『スズミヤ』さんにも一度お目にかかりたいですしね。それでは…」「ま…待て!待ってくれ…」電話は一方的に切れた。俺はただ…呆然と立ち尽くすだけだ…消滅?新しいハルヒ?それに選ばれた俺?馬鹿な…!…とりあえず冷静になろう。そうだ、今は職場に戻るべきだ。今日は外回りの予定もあるしな。そして終わったら、いつも通りに家に帰ろう。以外と何事も無かった様に、ハルヒが家に居るかもしれない。いや、そんな筈は無いか…でも、また「なんとか」出来てしまうかもしれないだろ?それに…そうだ、今日の夕食当番はハルヒの筈だ。また、器用に何か旨いモノを作って食わせてくれるに決まっている…必死に取り戻した不完全な平常心にしがみつき、俺は向き直る。そして深呼吸を1つ…治まらない動揺と困惑が、絡み付く様に足取りを重くする…が前を向いて、前を向いて…俺は会社へと戻る道を歩き始めた。━2━あれから、どれくらい時間が過ぎただろうか。今俺は自宅に居て、リビングの真ん中に寝転んで、ただ天井を見上げている。実は、つい先程まで…おそらく俺は錯乱していた。そして、年甲斐もなくポロポロと泣いたりもした。その理由は他でも無く、この部屋の中の状態にある。数時間前、俺は普段通りに仕事を終らせて帰宅した。昼間に古泉が言っていた事や、ハルヒが姿を消した事が気掛かりではあったものの、心の何処かで「また、なんとかなるんじゃないか」と思っていたんだ。実際、ハルヒと出会ってから今日まで、今回より危機的な状況なんて散々あった。でも、その度に俺は…いや、俺達はどうにかしてきたんだ、俺達SOS団は。しかし玄関を開けた俺は、目の前の光景に愕然とした。タンスもソファーも…テレビも冷蔵庫も…何もかもが部屋の中から消えている。それだけじゃない、壁に吊してあったハルヒのコートやバック、キッチンに至っては鍋や皿が殆んど…『涼宮ハルヒは消滅しました』不意に先程の古泉の言葉が頭をよぎる。まさか…『その存在の全てが消滅してしまったんです』嘘だ…だが部屋の中から消えたモノは全て、ハルヒが選んだり買って来たりした物…それらが全て消えている。いや、それだけじゃない。考えてみれば、さっきの携帯の短縮ダイヤルだってそうだ…気が付くと俺は、家中を夢中で探していた。何か…何か1つでいいからハルヒの残したものを…しかし何も見付からずに、俺の行動はただ部屋中の絶望を掻き集めたに過ぎなかった。そして、今に至る。先程より少しは落ち着いた。古泉から連絡が来た時の為に、すぐ傍に携帯も用意してある。実は先程、昼間にかかってきた古泉の電話番号が履歴に残っていたので、その番号に此方からかけ直してみたのだが通じなかった。まあ、こんな事だろうと薄々気付いてもいたが。それに…考えてみれば、今更SOS団もへったくりもない。最近の俺は疎ましくすら思っていたんだ。ハルヒの力や、それに対する古泉や朝比奈さんや長門の存在を。ハルヒと一緒に過ごす様になってから俺の中で膨らみはじめた1つの想い…(もし…こいつが普通の女だったら…)だから、3年前にハルヒの『力』が消えた時には本当に安心した。結婚を決意した理由だって、半分はそれだ。古泉達とは普通の仲間として関係を続けて行けると思っていた。だが、彼等は「ハルヒの力が消えた」と俺に告げた日から次々に姿を消した。その後、一度だけ会ったけど…お互いの連絡先すら交換しなかったんだよな…色々と考えを巡らせれば巡らせる程に、体が床に取り込まれそうにダルくなる。(明日は…会社を休むかな…)ボンヤリとそんな事を思い付く。そして、少し何か食べようと起き上がった俺は、無意識のうちに部屋を見回した。(ああ…何もないこの部屋は…)殆んど空っぽになってしまったこの部屋は、まるで初めてこの部屋に来たあの日の様だ…俺は…家賃も高かったし反対だったんだ…でも、ハルヒは「ここがいい」と言って聞かなかったっけ…『ねえ、キョン!これ見て?キッチンに備え付けの天火が付いてるのよっ?アタシ、これでケーキをたくさん焼こうと思うのよ!それだけじゃないわ、クリスマスには七面鳥も…』空っぽのキッチンに瞳を輝かせながら笑うハルヒが蘇る。胸が…痛い…(今日は、どこか外で飯にしよう…)俺は立ち上がるとコートをはおり、家を後にした。翌朝、俺は車の中で目を覚ました。昨夜…車に乗ってふらりと出掛けた俺は、国道沿いの定食屋で夕食を済ませたんだ。その後、柄にもなく家に帰るのが辛くて、定食屋の駐車場に車を停めたまましばらく過ごした…そして、気が付かないうちに眠ってしまったんだと思う。気が付いた時には、辺りはすっかり明るくなっていて、目の前に広がる国道は朝の通勤ラッシュの為に車やトラックで埋め尽されていた。(朝…なんだな。会社に行かなきゃ…)背もたれが倒れたままの運転席から、体だけを少し起こしてインパネの時計に目をやる。『7時45分』…家に帰って着替えたとして…だめだ、間に合わないな。それに…昨日程では無いものの、まだ家に帰るのが辛い…俺は携帯を取り出すと会社に電話をかける為にそれを開く。そしてその前に、やはり気になって短縮の00を押してみた。『登録無し』…そうか。体の力が抜けて、倒れたままの背もたれがギッと軋む。(どの道こんな俺じゃ、とても仕事なんて無理だ)再び押す短縮ダイヤル…今度は…会社だ。発信ボタンを押すと同時にコールが鳴る。一回…二回…三回…「毎度ありがとうございます。中央ベル販売、鈴宮でございます」「あ…もしもし…1課の…」「あら、キョン!おはよう!」課長か…なんだかな…「あ…課長、おはようございます。…申し訳ありません、今日は休ませて頂きたいのですが…」「…どうしたの?」「ええ…少し体調が…」何情けない事言ってるのよっ!…くらいの叱責は覚悟していたが、帰ってきた言葉は予想を裏切った。「うーん、昨日の午後から何か様子がオカシイと思ってたのよね。いいわ、ゆっくり休みなさい!外交の予定は?」「後日調整で大丈夫です」「そう。じゃあ暖かくして、ちゃんと寝てるのよ?解ったわね!」「…はい、すいません」電話を切る。あまりにもハルヒに似すぎている課長の声…俺は、なんとも言えない気分になって思わず瞳を固く閉じた。そして少しだけ考えてしまう。(古泉の言う通りに、課長はハルヒなのか)…違う!そんな訳がないっ!「畜生…ハルヒの声で優しくするな…」俺は閉じた携帯を見つめ、思わず呟いた。━3━会社を休んだ所で、今の俺には特に行き先も居場所も無い。かといって、車の中にずっと居る訳にもいかないので、とりあえず俺は自宅の近所の公園に向かった。かつては休日ともなると、ハルヒと散々遊びに来た公園…これほど思い出に溢れている場所に来るなら、家に帰っても同じ様な気もしたが…ただ、なんとなく俺はここを選んだ。駐車場に車を停めて、公園の中程に在る池へと続く小道をぼんやりと歩く。昨日の服装、くたびれたスーツのままの俺…(確かここでハルヒの奴、車の鍵を落とした事があったな…)再び思い出す過去…だが、昨日程切なくはならない。だから、もっと色々と思い出してみたくなる。案外…それがしたくて俺はこの公園に来たのではないか、と思えてしまう程に。(あれは確か夏だった…いや、冬だったっけ…)木立の中を歩いて行くと、向こうから水辺が見えてくる。強い日差しの為か、冬だというのに湿った匂いがする。(それで…ハルヒは何を落としたんだっけ…)やがて、水辺に辿りついた俺は芝生に腰を下ろした。そして……あれ?何だろう。何か妙な感じがする…さっきまで考えていた事が思い出せない。それどころか、考えていた事すら実感が沸かない。(な…なんだ?俺は…)頭の中身を一部分だけ刳り貫かれた様な違和感。その刳り貫かれた部分は…『存在の全てが消滅してしまったんです』再び蘇る古泉の言葉…(畜生、そういう事か…)存在の全てとは…目に見える物だけじゃなかったんだ。おそらく今…俺の中にある記憶まで失われていこうとしている…これは俺の馬鹿げた憶測なんかじゃない、紛れもない事実だ…現に俺は今、物凄く冷静で何を悲しむ訳でもなく、何を悲しむべきかも思いつかなくなってしまっている。ただ…ただボンヤリと残酷な事だと感じるが、どこか他人事の様だ。(何て事だっ!こんな…こんなのってアリかよ…)これならまだ…死んでくれた方がマシだったと思う。酷い奴だと思うだろう?でも、『死ぬ』だけなら記憶は残るしモノだって残る。だから現実のハルヒは消えても、俺の中で永遠に生き続けてゆける。でも今回のコレはそれすら許してくれない。もしこのまま、この状態が続けばどうなるのだろう。例えば、ハルヒがきっかけで知り合った古泉や長門、朝比奈さんの事まで記憶から消えてしまうのだろうか。いや、それだけじゃない。ハルヒがきっかけで得たモノはまだまだある。今の仕事…結婚当初から夕食を当番制にした為に、ちょっとした料理なら簡単に作れる様になった自分…高校時代に無理矢理バンドをやらされたおかげで、少しだけ弾けるエレキベース…挙げ始めたらきりが無いくらいだ。「どうなっちまうんだ…俺…」たまらない気持ちになって思わず呟く。ふと、その瞬間…背後に誰かの気配を感じた。「…?」驚いて振り返る。するとそこには、白いコートを纏った朝比奈さんの姿があった!「やっと見つけた…」彼女が今にも泣き出しそうな顔で微笑む。この様子からすると、昨日起きた全ての事を彼女は知っているのだろう。「貴方を捜していたのよ…キョン君」「朝比奈さん…」「とんでもない事になったわね」と溜め息まじりに呟きながら、俺の横に腰を下ろす。俺はただ「ええ」とだけ応えて、視線を公園の池へと再び向けた。「一樹…いえ、古泉君から連絡は?」「一度だけ…」「そう…。長門さんからは?」「何も…」何かもう少し話そうとするが、上手く喉の奥から言葉が出て来ない。そんな俺を気遣っての事だろうか。朝比奈さんは「…そうなの」と呟くと喋るのを止めた。沈黙に包まれた二人を、季節外れの暖かい風が通り過ぎていく。俺はもう一度何かを喋ろうとして、先程まで考えていた事を言葉に変えた。「朝比奈さん…」「えっ?何?」「俺は…どうなるんでしょうか…」「………?」首を傾げながら朝比奈さんが此方を見るのが判る。俺は…そのままだ。「昨日…ハルヒが消えました。おそらく、課長と逢った…つまり接触してしまったからだと思います」「…ええ」「その直後に俺は、何とかしなくてはならないと思って、この前の店へ行ったんです」「知ってるわ。そこで貴方は古泉君から連絡を受けた…」「ええ。古泉は想定外の出来事だと言っていました。そして、今回ばかりはどうにもならない…と」「………」「でも俺は、その時はなんとかなる様な気がしてたんですよ。だから、とりあえず冷静になって職場に戻って…そして、いつも通りに家に帰りました。でも…」「でも?」「…家からはハルヒに関係する全てのモノが消えていたんです。驚きましたよ…そして、悲しかった…」一瞬、隣に座る朝比奈さんがピクリと動いた気がした。しかし俺はそのまま続ける。「それだけじゃない、今日になってハルヒに対する俺の記憶まで曖昧なものに変わってきてしまった…朝比奈さん、俺は一体…」「ねえ…キョン君!」突然、彼女は立ち上がるとこちらに向き直った。俺は、ゆっくりと見上げる。「貴方、涼宮さんと初めて出会った日の事を覚えてる?」「え?…ええ」「じゃあ、夏に行った無人島は?」「…覚えてます」「文化祭の映画は?」「ええ」「…そう、解った」彼女は頷くと、今度はしゃがみこんで視線を俺の瞳に合わせた。そして、ジッと目を見開きながら続ける。「…大丈夫。おそらく曖昧になった記憶は最近のもの…ちがう?」そう言われてみると、そんな気がする。返事を待たずに更に彼女は続ける。「おそらく、記憶は新しいモノから消えて最終的にはゼロになってしまうと思うの。だから、キョン君!今覚えてる涼宮さんの全てを忘れないように頑張って!ううん、少しの間で構わないの。その間に私がなんとかするから…」「なんとかって…朝比奈さん?」「私がやらなければならないの!だから…ね?」彼女は立ち上がると、俺の横をすり抜けた。そして、すり抜け様に「…忘れないでね」と囁く。「…っ!朝比奈さんっ?」過ぎ行く彼女から、ただならなぬ気配を感じた俺は慌てて振り返る。しかしそこには…誰も居なかった。
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