ロックンロールスターダスト 第3話
西宮ロックフェスティバルを間近に控えたとある日。俺達SOS団もといSOSバンドは――巨大なステージの上に立っていた。「うわ……凄いです。アリーナの一番後ろなんてここからじゃ見えませんよ~」「これは……僕達はどうやら本当にとんでもないステージに立とうとしているんですね」「この会場は約3万人の観客が収容可能……」「何よ、コレくらい余裕だわ」思い思いの感想を漏らすバンドの面々。つまるところ、俺達は本番前最後のリハーサルとして、実際のライブ会場のステージに立っていたのだ。 フェスティバルが行われるのは、『西宮スーパーアリーナ』という建物だ。って言うかこんな建物があったこと自体俺は知らなかったのだが……。所謂ドーム球場などを除けば国内でも有数のキャパシティを誇るイベント会場であるらしい。ロックフェスティバルというと野外で行われるソレが一般的であるが、このニシロックは屋内型だ。野外よりも集客は少ないとはいえ、万規模の人が集まるのはスケールが大きいと言わざるを得ない。噂では、この西宮スーパーアリーナの地下には闘技場があり、毎夜のごとく屈強な男達が己の最強を示さんと、血で血を洗うバトルが繰り広げられているとまで言われているが、まあ、絶対にウソだろう。地上最強の生物の息子とか片手で500円玉を捻り曲げるようなヤクザの若親分とか、空手界の最後のリーサルウェポンとか中国4000年の歴史の結晶とか凡人では触れることも出来ぬ護身の達人とか、最強のためには命を賭したドーピングも厭わないケンカファイターとか、果てには巨大な猿とか、そんな奴等は断じていない。 そして今、俺達は本番前の演奏のリハーサル、所謂サウンドチェックを行っているというわけだ。ちなみにロックフェスティバルというものはワンマンのコンサートとは違い、様々なバンドが、同じステージを出演時間を区切って登場するという形式が一般的だ。このニシロックは2日間に分かれており、俺達の出番は2日目の……何とトップバッターだ。流石にアマチュアバンドということで、俺達に与えられた時間はたったの十五分程度。曲数にして三曲演奏できるかどうかといったところだ。まあ、元々俺達は持ち曲が少ないのだし、十分な時間ではあるのだがな。 さて、ステージではバンドの面々が各々の楽器の音を入念にチェックしている。ハルヒと長門がギターをかき鳴らすと、驚くほどのデカイ音が響く。これは、文化祭やオーディションの時と比べ、機材がより大規模になったためだ。壁のようにズラリと並べられたアンプ、高性能なPA機器がどこまでもバンドの音を増幅させるのだ。耳を劈くようなギターの音――文化祭において体育館で演奏した時も俺としてはかなり大きな音に感じたが、アリーナ級の会場で出すソレの音圧は、文字通り桁違いだ。古泉のベース音、朝比奈さんの鍵盤音も同様である。一度古泉が弦を弾けば、地鳴りのような重低音がステージの床に響き渡り、朝比奈さんの奏でる一音一音は、浜辺に打ち寄せる大波のように会場中を侵食する。俺が踏むバスドラムの音も、会場の壁に反響して自分のところにまで戻ってくるくらいだ。そして更に驚いたのが俺達を囲むスタッフの数――。音響スタッフ、照明スタッフ、機材運搬スタッフ、設営スタッフetc……百人はゆうに超える数の人々がニシロックを、俺達のステージを、良いものにしようと会場内を奔走している。改めて、プロのライブのスケール、レベルの違いを肌で感じ、背筋が寒くなる思いがする。「それじゃあ、三曲通してやってみるわよ。準備はいい?」ステージ真ん中のスタンドマイクを通して、ハルヒが呼びかける。長門は無言で、朝比奈さんと古泉は頷きで、俺はドラムスティックを掲げてマルの形を作って、それぞれに準備完了の意をハルヒに伝える。 ――そして一通りのサウンドチェックが終了する。正直言って、俺達の演奏は酷かった。会場、機材、スタッフ――何もかも桁外れのイベントの規模に緊張してしまったのか長門のギターは相変わらず素晴らしい出来だったものの、朝比奈さんは終始音を外しっぱなし、古泉のベースプレイにも要所要所でミスが目立った。俺は俺でリズムキープがままならず、テンポがモタったり、逆に走りすぎてしまったりという有様。そしてあのハルヒまでもが、どこかその歌声にハリをなくしてしまっていたのだ。周りのスタッフ達は不安と疑念を織り交ぜた表情でそんな俺達を見つめている。「本当に大丈夫かよ、こいつら?」という声が今にも聞こえてきそうだ。こうして俺達は、改めてプロのステージの恐ろしさを身をもって感じる羽目になった。 「さっきのリハーサル、酷かったじゃないか。どうしたんだいマザーファッカー達……」サウンドチェックを終え、舞台袖へと引っ込んだ俺達に、あの火高氏が心配そうに声をかける。「何言ってるのよ、オジサン。能ある鷹は爪を隠すって言うでしょ? アレはカモフラージュ、本番ではもの凄い演奏をお見舞いするわよ!」ハルヒが得意げに言い放ってみせるが、残念ながら俺にはわかる。ハルヒは強がっているだけだ。言葉ではああ言っているものの、表情には先ほどの演奏が上手くいかなかったことの悔しさと本番への不安がありありと窺える。「そうかい。とにかく、期待してるぜ!」と、言って去っていたオーガナイザー。しかし、火高氏は騙せても俺は騙せないぞ、ハルヒよ……。 「僕としたことが……余りの会場の大きさに飲まれてしまいました」「わたしもです……でも、本番はあの観客席が一杯になるんですよね?それを考えると余計に……」古泉と朝比奈さんも反省しきり、不安がることこの上ない。「先ほどの演奏……朝比奈みくるは二十四箇所、古泉一樹は十九箇所、演奏ミスが見られた。 涼宮ハルヒに至っては三十回、歌唱において音程を外している」長門が俺にだけ聞こえる小さな声でそう呟いた。「ちなみにあなたは……」「その先は言わないでくれ……」「……わかった」まさに前途多難だ。文化祭やオーディションとは次元が違う。今更後悔しても遅い。俺達は皆一様に、これからの本番に不安を抱かざるを得ない。 「オヤオヤ、誰かと思ったら今回の特別枠だっていうアマチュアバンドの皆さんかい。 いやぁ、さっきのサウンドチェックの演奏、酷かったね~」と、その時、一人の若い男が俺達に近づいてきた。だらしなく伸びた茶髪をかきあげる、そのいかにもミュージシャン然として男は……? 「あれは……日本で今、最も人気のある若手5人組ロックバンド、『ロレンゲレンゲ』のボーカルのリョウトですね……」説明ご苦労様、古泉よ。『ロレンゲレンゲ』……流石の俺でもその名前はよく知っている。数年前、インディースから鳴り物入りでメジャーデビューしたロックバンドだ。出す曲出す曲がオリコンで一位を獲得し、アルバムもミリオンセールスを次々に記録、中高生、特に女の子達の間ではカリスマ的な人気を誇るモンスターバンド。そしてそのメンバーの中でも一番人気と言われるボーカルのリョウト、確かにテレビでよく見たことがある顔だ。そう言えばロレンゲレンゲは大人気の一方で、ネット上では楽曲のパクリ疑惑などの悪い噂がが絶えず議論されているらしい。「僕達が出る2日目には彼らも出演するはずでしたね。確かトリ前という日本のバンドとしては最も高い位置づけです。 彼らも今日がリハーサルだったんですね」更に付け足す古泉。しかし、そんな大物が一体俺達に何の用で? 「しっかし、お前らみたいなアマチュアにも満たないショボイバンドが出れるだなんて、ニシロックも落ちたもんだ。 全く、火高のオッサンも何考えてんだか……」ニヤニヤとイヤミな笑みを浮かべて、俺達を嘗め回すように見るリョウト。なるほど……コイツ俺達をわざわざ貶めにきたのか。ハルヒはそんなイヤミに苦々しく顔を歪め、「ちょっと、今アンタ何て……!!」「やめろ、ハルヒ!」オーディションの時の悲劇を繰り返してはいけない。俺は今にも殴りかからんとするハルヒを制する。 「おやおや、演奏のショボさを棚にあげて暴力に訴えるとは……野蛮な女だね。まあ見たところ女と言うよりガキか」「……!!!」ハルヒの顔が一気に茹でダゴのように沸騰する。しかし、それでも言い返せない。オーディションの時に山田氏に批判された時とは違い、実際に俺達の演奏は酷かったのだ。それを分っているからこそ、ハルヒも二の句が告げないでいる。 「それよりさ……」リョウトはハルヒから視線を外し、「リードギターのキミ、凄い上手かったよね。さしものこの俺もびっくりしちゃったよ。 それでさ、実はウチのバンドのギターが脱退するとかゴネてるんだよね。何かギャラの取り分が少ないとかで――」「……」長門は目もあわせようとせず、じっと押し黙っている。「そこでさ、もしキミがよかったらウチのバンドに入らない?キミはこんなショボイバンドでおさまる器じゃないよ。 どうだい?悪くない話だと思うんだけど」(コイツ……!! 長門に何を……!!)俺としたことが、ハルヒと同じように一瞬沸騰しかけてしまう。「ちょっと! 有希はSOS団の大事な人材よ!」ハルヒも我慢できずに叫ぶが、「俺はこの子に聞いてるんだぜ? キャンキャン喚くなっつーの。で、どうかな?」リョウトは意にも介さない。長門に近づく。しかし、「……入らない」「え? よく聞こえないんだけど?」「……わたしはあなたのバンドには入らない、と言った」小さくもハッキリとした声で、確固たる拒否の意を示す長門。「……チッ!」リョウトは苦々しげに舌打ちする。ざまあみやがれ。「さすが有希ね!」嬉々とするハルヒ。勿論、俺も長門を信じていたぞ。 「それじゃあさ――」しかし、長門に断られたリョウトは凹む素振りも微塵も見せず、今度は朝比奈さんに近づいていった「キミ、凄い可愛いよね」「え?わ、わたしですか……?」「実はさ、このニシロックでのライブが終わった後、ごく近い関係者だけを集めて打ち上げをやるんだよね。 もしよかったらキミを是非それに招待したいと思うんだけど……」そう言えば噂で聞いたことがある。『ロレンゲレンゲのリョウトの女癖は最悪』と。女優、アイドル、ミュージシャン、果てはグルーピーの女の子まで……流した浮名は数知れず、と。なるほど――つまりそういうことかこの野郎……!!「こ、困ります……」「そんなカタイこと言わずにさ、キミならきっと皆大歓迎だよ?」戸惑う朝比奈さんの腕を強引に取ろうとするリョウト。クソッ!もう我慢ならねえ!! 「その人は『知らない男性に触られると気絶しちゃう病』なんです。やめてくれませんか」俺はとっさにリョウトの腕を掴んだ。病気の話は勿論、ウソだ。「……何だよ。ヘタクソなドラム君」睨み返され、思いっきりガンを飛ばされる。しかし、俺は引かない。逆に睨み返してやる。「やめてください、と言ったんです」「お前さ、この業界で俺に――ロレンゲレンゲに喧嘩を売るっていうことがどういうことがわかってんの?」「わかりませんね。俺はしがない高校生でアマチュアバンドのドラマー、音楽業界の人間なんかじゃありませんから」俺は思いっきり腕を握る手に力を込める。「キョンくん……」朝比奈さんが不安そうな顔で俺を見つめている。 「そうよ!ただのパクリバンドのクセして、みくるちゃんに手を触れるなんて百万年早いってものよ!!」あ、余りにもカッとなってハルヒを忘れていた。俺としたことが……ハルヒがこの状況で黙ってるわけないのに。「何だと!?」リョウトが今度は思いっきりハルヒを睨みつけた。「俺達をパクリと言うか……」「事実でしょう? アンタらみたいなバンドが日本で一番売れているなんて片腹痛いわ。 あの火高のオジサンが日本のロックの未来を憂うのもムリのない話ね」「このアマ……!」「あら、反論しないところを見るともしかして図星?」ハルヒの挑発に、今度はリョウトが顔を茹でダコにする番だった。「テメエら……覚えとけよ! この喧嘩、買ったからな……!!」てっきり更に突っかかってくると思ったが、そう吐き捨てただけで、リョウトは逃げるように去っていってしまった。「ふん!何よ、アイツ。気に入らないわ!」プリプリ怒るハルヒ。暴れ出さなくてよかった……。「キョンくん、ありがとうございました……」目を潤ませて俺を見る朝比奈さん。ちょっとその上目遣いはキケンだ。「いやはや、まさかあなたがあんな勇気ある行動を取るとは……流石僕のキョンたんですね」変態な古泉。放っておくに限るな。「……わたし達の勝ち」呟く長門。もしかして意外に負けず嫌い?まあ、何とか場は収まった……のかな? 「確かに今日のリハーサルの演奏は酷かったわ。でも本番こそあたし達、SOSバンドの本領を発揮する時よ! みんな、気合入れていくわよ!あんなパクリバンド、ぶっ飛ばしてやりましょ!」「……そうです!ここまできたらやるしかないです!!」「次こそは僕もよい演奏をしてみせますよ」「……わたしは問題ない」ハルヒの号令と共に気合を入れる面々。そうだ。今日のことはもう忘れよう。とにかくあとは本番に臨むのみ。当たって砕けろだ。俺はそう自分に言い聞かせ、迫る本番に震える己の身体を奮起させた。 そしてついに西宮ロックフェスティバル、その二日目がやってきた。 俺達が出番を待つ楽屋は基本的に共用――出演バンドの殆どが集まるだけのスペースがある広いもので、辺りでは至るところにオーラ放ちまくりのロックスター達が闊歩している。「キョンくん! あれ、見てください! テレビヘッドのティム・ヨークが歩いてます~!」はしゃぐ朝比奈さん。って言うか意外にあなたもロック好きだったんですね。「あれは……ブラックコールドペッパーズのブリー……実物は初めて見ました。 本当にチ○ポソックスなんですね」同じく古泉。珍しく本気で驚いた表情をしている。そうそうたるスター達が俺達の周りをこれでもかというほど囲む。その中に佇むただの高校生五人、やはりどう考えても浮いている。ふと気づくと、長門までもがある一点を見つめ、ボーっとしている。「長門、どうしたんだ?」「あれ……」長門の視線の先には、アコースティックギターを抱え、物憂げなアルペジオを爪弾きながら、タバコをふかすブロンドの外人が一人。「……ナルバーナのカール・コバーン」どうやらそういう名前の人らしい。勿論、出演者の一人だろう。「もしかして……好きなのか? その……ナルバーナとかいうの」長門は数ミリほど首肯してみせる。余りにも意外すぎて言葉も出ない。長門がロックを聴いてノリノリでヘッドバンキングする光景――想像できね……。 そして、ハルヒは無言のままパイプ椅子に腰掛け、ギターを抱えてじっと瞑目している。とても話しかけられない雰囲気だ。既に衣装がえを済ませているので、ハルヒはあのバニーの格好をしているが、その格好の珍奇さと自身の緊迫した雰囲気がなんともミスマッチだ。あれだけいつもは強がっているハルヒでも人並みに緊張ぐらいするのだろう。勿論緊張は俺も同じ。文化祭やオーディションの時とは比べ物にならない、心臓が口から飛び出そうなほどの緊張だ。手のひらに人と書いて飲み込めば緊張がほぐれるとかいう迷信じみた行為を今だけは信じたくなる。 出番まであと30分ほど――既に熱狂の坩堝にあるロックファン達の怒号にも似た歓声が耳に届いてくる。その時、一人のスタッフらしき男性が俺達に近づいてくる。 「あの……SOSバンドの皆さんですよね?」「ええ、そうですが」スタッフの質問にとりあえず俺が代表して答えておく。「実は……非常に申しあげにくいのですが……」「はあ……」「――――――――――――――――」「!!……そんな……」思わす俺は、目の前が暗くなる錯覚を覚える。 「どうして――」朝比奈さんが、長門が、古泉が、そしてハルヒが、信じられないといった驚愕の表情でスタッフの言葉を聞いている。 「――どうして俺達の出演枠が急になくなったりするんですか!?」 『出番だった』時間まであと数分――。ライブの始まりを今か今かと待つ、すっかり熱狂しきった観客達の歓声が控え室にまで地鳴りのように響く――。 「私がこれをバラしたことはオフレコでお願いしたいのですが……実はですね……」スタッフの男性が渋々といった風で続ける。「ロレンゲレンゲのリョウトさんが運営の方に圧力をかけて……『SOSバンドの出番を潰せ』と火高さんに直々に……」 今度こそ――俺の目の前は本当に暗くなった。
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