消えない雪
土曜日の早朝、いつもの集合場所へと向かう。薄く汗を滲ませながらたどり着くと、貴重な私服姿の長門がすでに到着していた。しかもダッフルコートに白いニット帽のおまけつきだ。うむ、小柄な長門にはぴったりな服装だな。そんなことを考えつつ近づいていく。ちなみに他の団員はいない。「すまん、待ったか?」「平気。」平気ってことは待ったってことだよな。長門の小さな手を取るとやはり冷えきっていた。こりゃ宇宙人とはいえまずいな。「とりあえず暖かい場所に行くか?いつもの喫茶店にでも。」「いい。それよりも早く駅へ。」そういうと長門はさっさと歩き始めた。待ちきれないみたいだな。苦笑しながら俺はあとに続いた。さて状況を説明するとだな…
「消えない雪」~回想~「今日も汗が滲んできたか。」上り坂の中ほどで俺はそうぼやいた。今年はまれに見る暖冬で、冬の寒さに凍えながらシャミセンとコタツで丸くなるよりは、夏の暑さにブータレながら団扇で体に温い風を送っているほうが好きな俺としては願ってもいない状況と言えなくもない。 だが昨今のニュース(というよりはワイドショーか)のせいで環境問題、特に地球温暖化に考えが回らないほど能天気でもなく、ハルヒとは関係なしに世界は終わりに近づいているんじゃないか?いや、もしかしたらこの暖冬はあのはた迷惑な団長様が実は冷え性で、寒い冬に嫌気が差してしまった。なんてことは常時活力200%で冬でも真夏と同じ熱量を発散しているあいつに限ってはないか。こんなことでだらだらと物思いに耽っているうちに早朝ハイキングコースを登りきっていた。 校舎に入り2-5の教室へと向かう。もうすぐ受験生になる身として以前よりは真面目に授業を受けているとはいえ、やはり授業はつまらないわけで、俺は早く春休みにならないかなどと始まったばかりの3学期を恨めしく思っていた。特に取り上げて述べるようなことのない日常を過ごし、放課後文芸部室へと足を運ぶ。ノックに返答がないことを確認して部室に入る。まだ長門しか来ていないようだ。「よう、長門だけか?」…反応がない。「おーい、どうし…」目があった。なんかヤバイ気配がする。一瞬の間があり、長門はまた本に意識を移したようだ。どうやら俺が固まっている間に頷いていたらしい。ドアの前で突っ立っていても仕方ないのでパイプ椅子に腰を落とす。…それにしても今日の長門は様子がおかしい。というか、明らかに不機嫌だ。おとなしく本を読んでいるように見えるのだが、長門の周りだけ空気が重くなっている。朝比奈さんがいたらきっと怯えてしまっただろう。俺はしばらく声をかけるのをためらっていたが、思い切って聞いてみた。「長門どうしたんだ?随分と難しそうな顔してるぞ。」「そう。」やっと喋ったな。「何かあったのか?」もう一度問いかけてみる。「雪。」ゆき?「雪が降らない。」ああ、今年は暖冬だからな。そういやまだ雪降ってなかったな。「そう。」暗い表情でそう答えた。でもまだ雪が降らないと決まったわけじゃないだろ。一月だし冬はまだ残ってるぞ。「情報統合思念体に照会したところ今年この地域における降雪はないと返答があった。」長門の親玉だ、気象庁の三ヶ月予報より断然正確だろう。「雪のない冬はアイデンティティを失ったようなもの。例えるなら福神漬けのないカレー。興ざめ。よって有機生命体でいうところの不機嫌と呼ばれる状態に陥っている。」 そうか、福神漬けってすごいんだな。よくわからんがそういうことだろう。「来年まで雪はお預けか。」「そう。」長門は手元の本に目を落とした。そして団活の終了まで不機嫌モードが直ることはなかった。俺は家に帰ってからなんとなく長門のことを考えていた。そんなに雪が好きだったのか。今まで気付かなかったな。ところで俺と長門は現在、俗に言うカップルという関係である。が、至って健全な付き合いである。一般的な男子高校生として情熱をもて余していないこともないが、いまだキスすらしてない関係なのである。そこ、甲斐性なしとか言うなよ。そのせいかどうかは知らんが最近二人きりになると長門が……まあいいか。 さて、夕食を食べていても、風呂でくつろいでいても長門の悲しげな顔-もちろん俺にしかわからない程度だが-が浮かんでくる。去年長門が書いた幻想ホラーでも雪は登場していたしな。自分の名前の由来だし特別な思い入れがあるのだろう。しかしこればっかりはどうにかしてやりたくても無理だろ?天候を操るなんて俺にはできない。いや待て、むしろ長門自身が局地的な環境情報の改竄云々をやりかねない。こりゃ何とかしないとな、地球のためにも。 しかし具体的にどうするか考えあぐねていると俺は睡魔との闘いに敗れてしまった。翌日。放課後の団活のときにハルヒが「あ、今週の不思議探索だけどあたし家の用事で出られないから臨時休業ね。」と宣言した。俺は久しぶりに連休を謳歌することができるらしい。探索がなくなって一瞬寂しい気がしたのは気のせいだろう、いや気のせいに違いない。さて、連休の過ごし方に思いを巡らせているとふと長門の姿が眼に入った。相変わらず不機嫌オーラを身に纏っているようだ。やはり何とかしてやりたい。帰り際長門に尋ねてみる。「長門、土曜日予定あるか?」「ない。」「なら俺と遠出しないか?交通費とかは俺が出すから。」まだお年玉が残っているから大丈夫だろう。とっておいても罰金として理不尽に徴収されるだけだろうし。少し間が空いて「…駆け落ち?」違うわ!何を勘違いしているんだ。しかも顔がほんのりピンク色ですか。そうですか。「いや、お前にはいつも世話になっているわけだし、探索もないからな。たまにはこういうのも。」なんか言い訳くさいな。「……」…何故微妙に残念そうな顔をする。「どこ?」「とりあえず雪が降っていそうなとこだな」「行く。」今度は即答だな。「…婚前旅行…二人きりの甘く濃厚な夜…獣のように私を求め続ける彼…」おーい、長門さんよ、何を呟いているんですか?聞こえてますよ?「気にしないで。ただのエラー。」いや、めちゃくちゃ気になります。「泊まりはしないぞ。日帰りだからな。」「………」あからさまにがっかりした顔しないでください。「それなら行くのやめるか?」「行く。あなたは私を連れて行くべき。」そうかい。「そう。…邪魔者がいない旅…見つめ合う二人…そしてついに結ばれ…」また始まったか。最近の長門は少し変だ。俺もうスルーしていいかな。ああ、そうだ。一応言っておくか。というかこいつの場合は言わないとそうしないだろうな。「長門、遠出なんだからちゃんと私服で頼むぞ。あと、それなりに厚着して来いよ。」薄着で雪国に入って周りからおかしな眼で見られるのは避けないとな。「わかった。」すっかり機嫌はよくなったみたいだ。「じゃあ土曜の朝いつもの集合場所で」~回想終了~ん、いつの間に眠ったのだろう?そろそろ目的地に着きそうなところをみると結構な時間寝ていたようだな。隣の席では無口な宇宙人製アンドロイドが相変わらず分厚いハードカバーを読んで……ないんだよな、今回は。長門は今車窓に流れる景色をジッと見つめていた。しかも珍しいことにソワソワして待ちきれない様子だ。「もうちょっとだから落ち着いて本でも読んだらどうだ?」「いい。」こちらを見ずに即答ですか。まあ、楽しそうだしいいか。さて、俺たちを乗せた列車は目的の駅へと到着した。駅を出るとそこは一面の銀世界、とまでは行かないが雪はそこそこ積もっていた。生憎雪は降っていなかったがな。それでも長門は嬉しそうに、雪の世界へと足を踏み入れた。 「雪、止んでるな。」長門が振り返る。本物の雪と見比べても白いと感じる肌、つい見とれてしまった。「…いい。」ぼーっと突っ立ている俺を不思議そうに見ながら「あなたと雪を見られたから。私は十分幸せ。」こんなことを言ってきた。照れる。やばい、顔に熱がこもるのを感じる。「…」ああっ、しかも激レアな微笑みとコンボか。「ありがとう」はい、俺K.O.そのあと俺たちは昼飯を食べて、腹ごなしに散歩することとなった。ちなみに長門は相変わらずの食いっぷりを発揮し、俺の財布は大ダメージを受けていた。しかし可愛い彼女様の機嫌がよくなったのだから安いものだろう。そうだよな、俺のもとから去っていった諭吉さんよ。散歩の途中、公園に通りかかった。特に気にせず進もうとすると長門が俺の袖をつかんだ。「雪だるま。」ん、雪だるまがどうした?どこにも見当たらないぞ。長門は不服そうな表情を作ったあと、「一緒につくる。」といって俺を公園に引きずり込んだ。仕方ない。付き合ってやるか。そういや雪だるまを作るのも久しぶりだな。二人で黙々と雪玉を転がし、程なく二頭身の白いやつが完成した。それからなにをするわけでなくそいつを見つめていた。すごく穏やかな気分だった。長門の笑顔も見られたし今日は来てよかったな。日帰りの強行スケジュールのせいで早起きが辛かったけど。「長門、そろそろ帰るか。」隣にいる少女を見遣ると空を見上げていた。「もう少し。」まあ、時間はまだあるしな。しばらくして、もう一度声をかけようとして長門を見るとその目がキラキラしている。「ん、どうした、長門?」そういいながら同じように曇天へと顔を向ける。「雪。」「え、あ、本当だ。降ってきたな。」「きれい…」長門は両手でその水の結晶を受け止めている。俺も手を伸ばしていた。その時空からの奇蹟とやらが手の中で水へと変わる様をじっと見つめた。そのとき、普段は考えないようにしている「あること」とともに急に悲壮感が満ちてきた。…空から舞い降りたユキは、時が来れば自分の手元から消えていくのではないか?まるで雪が解けるように…「どうしたの?」すまん、ボーっとしていた。「涙。」「えっ」自分でも驚く。たしかに頬に濡れたあとがある。急に恥ずかしさがこみ上げる。「あ、ああ、目にゴミでも入ったかな。」目を擦って誤魔化そう。ん、体に温かい感触が。ああ、長門が抱きついてきたのか。って長門さん!?「悲しいの?」「いや、なんでもないぞ。」「あなたは私に心をくれた。あなたは私が苦しいと感じるときは必ずそれに気付いて助けてくれる。だからあなたが苦しいときは私に手伝わせてほしい。」その眼差しはまっすぐに俺を捉えていた。長門の思いが伝わってくる。ふと、雪を見ていたら、長門がいなくなるんじゃないかって…「大丈夫。私はあなたの体温で解けたりはしない。あなたが望む限りあなたのそばにいる。」長門…「だから安心して。」俺の心を救う言葉。そして今日一番の笑顔。俺はその笑顔を壊さないよう、優しく抱きしめた。「長門、俺とこれからも一緒にいてくれるか?」「いい…」俺の胸の中で頭を縦に動かし、先ほど空を見上げていた時のように俺の目を見つめた。そして、俺たちは唇を合わせた。少ししてお互いを見あう。「私は幸せ。あなたは?」「ああ、俺も幸せだぞ、長門。」…そして二人は微笑んだ。おしまい。。。。。。。おまけ
二人はまだ雪を眺めていた。「すっかり暗くなったな。時間まだ大丈夫か?さっきから問題ないって言ってるけど。」「今日中に帰るのは困難。でも問題はない。」…はい?「夜、月明かりで光る雪道を歩くのも乙なもの。今日はこの街で宿泊すべき。」いや、まずいだろ色々と。「大丈夫。駅の近くに安価でかつ男女で入るのに適した宿泊施設があった。」…やっぱり最近の長門はおかしい。
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