束の間の休息(×ローゼンメイデン)
「……! あんた、誰!?」
「私? 私は水銀燈。ローゼンメイデンの第一ドール」
それが彼女との出会いだった。まったくの突然。 夏のひと時、あたしに舞い降りた……
――束の間の休息――
「魔女?」「ま、魔女ですって!? あなた、それを誰に向かって言っているの!」「ていうかあんた人形? どうして自力で動けるわけ? すごいわね!!」 綺麗な人形だった。凛としていて気品がある。「ちょっと、気安く触らないでちょうだい!」「あんた、何でここにいるの?」 水銀燈と名乗るその人形は、あたしの問いに一瞬だけうつむくようにすると、「ちょっと飛べなくなったから、休んでたのよ。この部屋、私の好みには合わないけど、悪くないわね」「あんた」「なぁに?」「瞳が綺麗ね……」 あたしは水銀燈の瞳に見入っていた。何でできているんだろう。 あたしが見つめていると水銀燈は急に気がついたように首を振り、「あなた。私が美しいのは当たりまえなのよ。私はローゼンメイデン。お父様が完璧な少女アリスを目指すよう、私をお作りになったのだから……」――「……なるほどね。あんたの他に6体のドールがいて、あんたはそいつらを倒さないといけないわけか」 何なのこの子。あっさりと私の説明を受け入れるなんて、どうかしてるんじゃないかしら。「あなた、こんな簡単な説明で信じちゃうの? どれだけ能天気な頭してるのよ」 私がそう言うと涼宮ハルヒと名乗るこの部屋の主は、「だって、面白いじゃないの! ひとりでに動く人形よ! これこそあたしの求めていた不思議なんだわ!」 そう言って大きな瞳をキラキラ輝かせた。何がそんなに楽しいって言うの。腹が立つ。「いいわ! 何日でも置いてあげる! 丁度今は夏休みだしね。キョンは田舎に帰ってて呼び出しようがないし……」 何かブツブツとぼやいている。この子、やっぱりどこかおかしいのかしら?「水銀燈、って言ったっけ? これからよろしく!」 無邪気な笑顔。この子、子供ね。「私はあんたみたいな幸せそうな人間が大嫌いなのよ。虫唾が走るわ」 そう言うと涼宮ハルヒは目をばしばし瞬かせた。「あんたってもしかして……」「何よ」「根暗? それかツンデレ?」「何ですって!」 まさかこの子が私のミーディアムになるなんてね。……私もどうかしてたとしか思えないわ。「何この指輪! 綺麗ね!」「気安く触らないで!」「見せてくれたっていいじゃないの!」「放しなさ……きゃぁっ!」「あぁっ!!」 私とハルヒはもつれ合って倒れた――。――「うーん……痛いじゃないの」「こっちの台詞よ」 あたしと水銀燈はもつれ合って倒れた。「……なんてこと!」 水銀燈が何か叫んでいる。「どうしたのよ」 あたしは身を起こしつつ訊いた。水銀燈は床に立ってヒステリックに震えている。「あなた! ちょっと指を見せて」 水銀燈に手を取られた。あれ……?「何これ? 指輪?」「あなた! いますぐ私の指輪に口づけしなさい!」「何でよ? っていうかこの指輪何なの?」「いいから早く!」 水銀燈は肩と表情をいからせてあたしに迫ってきた。顔が綺麗だから迫力があるわね。「ははーん。さては、この指輪を外さないとここから出て行けないとか、そんな感じなんでしょ?」 水銀燈は一瞬だけ顔をひきつらせた。なるほどね。「違うわよ。……とにかく、早くしなさい。さもないと、痛い目を見るわよ?」 もうバレバレよ。偶然とはいえラッキーだったわ。―― 何て勘の鋭い女なの!? ただの能天気かと思ったけど、意外と厄介ね。「早くなさい!」 私は威嚇のために羽を一枚飛ばした――、「……」「あら、どこから出したの? その羽」 ひらひらと黒い羽が私の足許に舞い降りた。……そうだったわ。今飛べないんだった。「あんた、かなり不思議な力を持ってそうね! 気に入ったわ! これからしばらく、わが SOS団臨時団員に加えてあげる!」 何を言っているの、この子。何だか嫌な予感しかしないわ。 かくなる上は……。「はぁぁぁっ!」「おっと! 甘い甘い! 無理矢理指輪にキスさせようったってそうは行かないわ! あたし最近ヒマでヒマでしょうがなかったから。仲良くしましょ、水銀燈!」 飛び掛った私は見事ハルヒに抱きかかえられてしまった。 ……くそ。こんなはずじゃないわ! というかこの子、どうして私のミーディアムになったのに私に力が宿らないの? それに、さっきより力が落ちている気すらするわ。「どうしたの? 水銀燈」「何でもないわ。ほっといて頂戴」――「ねぇ、水銀燈?」「何よ。さっきからうるさいわね。あなた、いつもそんなやかましいわけ?」「もうちょっと話してくれてもいいじゃないの。お茶まで出してあげたんだから。 団長の心遣いに感謝しなさい!」「こんな出がらしみたいな紅茶、飲む気も起きないわ」「あんた……ほんとにツンデレなのね! これは貴重な人材だわ!」「……何言ってるのよ、さっきからあなた」「わがSOS団にはツンデレ要員がいなかったのよ。あたしは正統派主人公キャラじゃない? キョンは巻き込まれ役、みくるちゃんが萌え担当で、古泉くんは謎の転校生、で、有希は 無口っ娘! あなた、見事に穴を埋めてくれたわ!」「……」「あれ、どうしたのよ水銀燈、急に黙っちゃって」「……あなたたち、毎日楽しそうね。その、何とかって団体」「SOS団のこと?」「それよ。私にはままごとにしか思えないけど、それがあなたのその笑顔を作っているんでしょう?」「……」 水銀燈は一瞬だけ物憂げな表情になった。どうしたのかしら。 楽しんでる人間が嫌いとか、そういう感じ?「水銀燈も準団員なんだから、いくらでもあたしたちと遊べるわよ!」「言ったはずよ。私はままごとには付き合わない」 元の強い口調に戻った。……この子、ただのツンデレドールじゃないのかもしれないわね。――「素直じゃないのねあんた。まぁいいわ。……あたしにもそういうとこあるからね」 ハルヒは少しだけ悲しそうな顔になった。何? ヒロインぶってるつもり? こんなに理解不能な女は初めてよ。真紅のほうがまだ分かりやすい性格をしてるかもしれないわね。 真紅……。なぜあなたがお父様の愛情を独占できるの? あなたはいつだって私の上にいた。妹なのに、どうして? 歩けなかった私を見ていた時のあの笑顔。……憎らしいったらない。 最初から私を見下していた。 自分がお父様の愛情を一番に注いでもらえると知っていた。 その上で私がお父様に会えないとも分かっていた。 なのに真紅、あなたは私に何て言った?
……あなたなら会えるわ、きっと。お父様に。
「だから私は幸せそうにしている人間が大嫌いなのよ!!!」 私は苛立ってティーカップを壁に叩きつけた。カップは割れ、紅茶が辺りに散った。「水銀燈……?」 ハルヒは私を見ていた。私が何を考えていたのか読み取ろうとしているような表情。「私に構わないでって言っているでしょう! 早く契約を解除しなさい!」 私はハルヒが空にした二つ目のカップを手に取る。――「水銀燈。何があったのか知らないけど、あんまり家の食器に当たらないでくれる?」 あたしは水銀燈の小さな手に触れた。……柔らかい。本当に人形なのかしら。「私はあんたのような幸福な運命とは無縁なのよ! あんたみたいなのは目障り! 私は……真紅を許さない。必ず倒してアリスになる。だから――」「落ち着きなさいよ水銀燈。あたしはあんたと出合ってまだ一時間だし、何がどういうことなのか全然さっぱりだけど、あんたの敵にも味方にもなるつもりないわ。あんたは貴重な団員で、ツンデレ補完要員なんだからね」 「私は……真紅を……っ!」「あのね。何て言ったっけ? その……、アリスゲーム? それがそんなに大事なわけ? 他のドールを倒すって、どうしてそう闘いばっかりしたがるのか分からないわ。あたしも 勝負事は大好きだけどね、誰かを憎んでまで闘おうなんてこれっぽっちも思わない。 他に楽しいことを見つけなさいよ。そうすれば――」「うるさい! 私に偉そうにお説教しないで!」 相当歪んでるのね……この子。何がここまでこの子を追いつめているんだろう。 アリスゲームってそんなに重要なことなの? こんなに綺麗な顔しているのに、どうして一度も笑わないのかしら。 この子には笑顔が一番似合うと思うのに。「わかったわ。それじゃ落ち着くまで部屋の中を好きなように荒らしなさい。あたしは口出ししないから。でも、契約を解除するつもりはまだないわ。このままじゃあたしの気分が悪いからね」 水銀燈は強張った顔のまま無言でいた。ふたつ目のティーカップを握り締めて。―― 永い時間。 私は夢を見て眠っていた。 お父様、真紅……。目が覚めたのはどうしてなの? あの時……私はお父様に愛されずに見捨てられたと思っていた。 深い海の底で、終わりのない眠りに就くのだと覚悟していた。 それなのに、お父様は私にローザミスティカを授けてくださった。 一緒に言われた言葉と、お父様の声を、私は今も覚えている。「……」 ふとハルヒのほうを見る。 窓辺から外を見ている。夏の夕陽が、ハルヒの顔を照らしている。 この子、大人しくしていれば綺麗なのね。 私と来たら、力が使えなくなったからって感情的になりすぎた。 この子は何も関係ない。闘いとは無縁。 なのに私に余計な心配をしている。 ……どうして?「これから話すのはあたしの独り言よ」 出し抜けにハルヒが言った。窓の外を見たままで。 何を言い出すのかしら。 ハルヒはしばし黙り、それから少し言いづらそうにして、「あたしがSOS団をつくった本当の理由」 夕陽が、部屋の中を黄金色に染めている。―― 何を話しているんだろう。あたしったら今日はどうかしてるわね。 相手が人形だから? ううん、そんなことない。……きっと、気まぐれね。そんな日もあるのよ。「キョンって団員がいるのよ。さっきも言ったけど。そいつはあたしの話を馬鹿にしなかった最初の人だったわけ。呆れてはいたかもしれないけど、それでもあたしの考えをどうにか理解しようとしてたように見えた。それまで、宇宙人なんかいるわけないって、ハナっから決めてかかるような奴や、自分が未来人だってからかってくるような冷やかしばっかりで、誰もあたしが本気で不思議な現象を探してるなんて思ってなかった。いつも頭のおかしい人扱いよ。だからってへこたれたりしなかったけど。むしろ余計に腹が立った。必ずこの世の不思議を見つけてやるって、高校に入るまでの三年間ずっと躍起になってた。来る日も来る日も、不思議なことなんて起こらなかったけど、あきらめたくなかった。気付いたら中学を卒業して高校生になってた。入学式の日に宇宙人や未来人は自分のところへ来いって言って、間もなくクラスの人と距離を感じ始めたわ。そんな時に現れたのがキョンだった」 一瞬だけ水銀燈の方を見た。無表情にあたしの隣に視線を落としている。「……独り言なんでしょ。続きを言いなさいよ」「え。あ、うん」 水銀燈のつぶやくような台詞に目を覚まされたような感覚になった。「……あたしはその時には、これで何も起こらないんだったら、不思議探しはもうおしまいにしようって思ってた。だから、話相手になってくれるだけでも、キョンがいることはありがたかったのよ。なかなか素直に答えてあげられなかったけどね」 ……水銀燈は大人しくあたしの話を聞き続けた。―― この子。底抜けに明るいだけの女かと思ったら、違ったのね……。 むしろ、今まで孤独と闘っていた。一人きりで。 ハルヒが見せる表情は溜息の色に満ちていた。 三年間。鞄の中で眠っていればほんの束の間。 けれど人間にとってそれは有限の一生の一部。 ハルヒは話を続ける。「イライラしてた矢先に、キョンの一言であたしは部活を作ることを思いついた。あたしが これだって思った人を集めて、自ら不思議を探しに行ったり、謎を募集したりするわけ。 そんなこと考えたこともなかった。不思議な現象は、あたしの身近に用意されてるとば かり思ってた。あたしはそれを一人で見つければいいって、そう思ってた……。キョンは、 あたしから消えてしまいそうだった希望を戻してくれた。面白いことを探す場所を作るき っかけを与えてくれた」 話の間中、辛そうに見えた表情は、最後だけ薄い微笑になった。「だからあたしは、自分が楽しいと思うことや、不思議に思うことをこれからも探し続けるの。 そうしている限り、笑っていられる。あの時みたいに、孤独にもならない」 ハルヒは膝に顔を埋めるようにした。表情が分からない。 私は何を言えばいいのか分からなくなる。こんな感情、知らないはずだった。「……」 私はめぐの顔を思い出す。 今、あの子はどうしているだろう。私はどうしてあの子から逃げたのだろう。 あの子の苦しむ顔は、見たくなかった。 あの子は、私を必要としていた。 私には、それが苦痛だった。 誰かに必要とされたことなんか、今まで一度もなかったから。 めぐ……。「あなたも、ずっと闘っていたのね」 私はハルヒに言った。―― 水銀燈の言葉にあたしは顔を上げた。 自分のせいかもしれないけど、中学時代の憂鬱を思い出してしまった。「ごめんね。不幸自慢なんかするつもりはないのよ! あんたこういうの嫌いそうだし! そうね、あたしといるのが本当にイヤなら、今契約を――」「二日」「え?」 水銀燈はうつむき気味につぶやく。「二日間だけあなたをミーディアムにしておいてあげるわ。でも、二日経ったら私はあなたの元を離れる。私には戻らなければならない場所があるから」「……」 あたしはぽかんとしていた。……どうして?「ほんとにいいの?」「同じことを繰り返すのは好きじゃないわ。どうするの。私をここに置くか、置かないか」―― 私ときたら、本当にどうかしてるわ。 この家にたどり着いたのも運が悪かったわね。 まったく、どうしてか自分でも分からないもの。「それはもちろん……」 ハルヒはぽつんと言う。その表情が見る見るうちに明るくなる。
最初に、私を見たときのように。
「あんたはSOS団の夏季限定団員! 二日間? ちょっと少ない気もするけど、特別にそれで勘弁してあげるわ。サマーバーゲン半額セールよ!」
……分かりやすい子ね。ほんとに理解できない。 一時的にでもこんな子をミーディアムとして選ぶんだから、私も理解されないかしら?
「水銀燈、今……」「……な、何よ! あらかじめ言っておくけどね。そんなお涙頂戴話、反吐が出るのよ。 次にそんな事言うようだったら、今度こそあなたを痛い目にあわせてあげる」「望むところよ! あたしだって、人形相手に手加減したりしないんだからね」「それじゃ、まずは紅茶の葉を買ってきなさい。話はそれからよ」―― 早速の憎まれ台詞。なかなか見所のある子じゃないの。気に入ったわ。「団長をこき使おうだなんていい度胸してるじゃない。いいわ、買ってきてあげるわよ。 その代わり、お茶のいれ方をあたしが完璧に覚えるまであんたはあたしの臨時教 師よ。今さら後悔しても無駄なんだから!」「あら、あなたにまともな紅茶がいれられるのかしら? 30000時間かかっても無理な んじゃなーい? 言っておくけど、私は厳しいなんて言葉じゃ甘すぎるくらいビシバシ 行くわよ?」 やってやろうじゃないの! これで面白くなってきたわ。ひさびさにいい勝負ができそうね。「それじゃ握手しましょ! 弟子と師匠の誓いってことで!」 あたしは水銀燈に片手を差し出した。 水銀燈は後ろを向くと、「嫌よ。言ったはずじゃない。馴れ合いはうんざりなのよ。さっさと買い物に行くといいわ」「分かったわよ。待ってなさい! 五分で帰ってきてあげるから!」―― ハルヒはそう言うとドアを下品に閉めて出て行った。……疲れる子ね。 私が紅茶のいれ方を教えるですって? 自分で自分を嘲笑したくなるわね。 今なら真紅を容赦なく八つ裂きにできそうな気分だわ。
私はあらためて室内を見渡す。 黒い羽が一枚。割れていないカップと割れたカップ。飛散した紅茶。 そういえばこれは私に非があるわね。謝るのは癪だからあの子が帰ってくる前に片付けましょう。
西日が真夏の夕方を金色に染めて、私にはまぶし過ぎる光を室内に運んだ。
これは束の間の休戦。そして束の間の偶然。 その間だけは、この羽を使わなくてもいいかしら。 アリスゲームやお父様のことも、考えなくていいかしら。
私はふっと息を吐くと、ティーカップの破片を集め始める。 欠片が誰も、傷つけないように。
それが彼女との出会いだった。まったくの突然。
夏のひと時、私に舞い降りた……束の間の休息。
(おわり)
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