第五章 25番目のイブ
第五章 25番目のイブいつのまにか早いもので息子は高校生に、娘は中学生になった。早熟で色気づいた娘は、クリスマスイブを家族と過ごす習慣を早々に切り上げた。気に入った男の子とイブを過ごすために。「恋愛なんて精神病の一種よ」などと看破していたかつての奇人美少女の娘としては随分まっとうな展開だな。俺もハルヒも40歳を過ぎ、そろそろ髮に白いものが混じり始めた。それでも、ハルヒは依然として魅力的な若々しさを保っていたし、長門ほどじゃないにせよ随分と加齢が遅いたちらしかった。今度のクリスマスイブは長門が待機モードに入ってから25度めだという時期に、俺たちの家族、正確には息子、によくある話と言えば話だが、まさか自分に降り掛かるとは誰も思っていない事態がふりかかった。それはちょうど明日はUSJに行くというクリスマスイブの前日のことだった。冬休みの特別部活動に行くために息子が登校していた学校から「息子が倒れた」という連絡が職場に入ったのだ。とりあえず、とるものもとりあえず、転送先の病院に向かう。小さい頃から健康で、真冬にUSJで開園から閉園まで吹きっさらしの中で過ごさせるという暴挙を敢行しても熱ひとつ出さなかった息子だから、逆にちょっと心配になった。勿論、入院なんて初めてである。病院に駆けつけると、やはり職場から駆けつけたハルヒが既に到着していた。下の娘は実家に行かせることにしたようだ。「どうなってる?」「まだ意識が戻らないって」こんなに落ち込んでいるハルヒを見るのも久しぶりだ。おそらく、ハルヒが世界を改変しかけたあの高1の5月の日の前日、何もかもに退屈し切って、この世を見限ってしまったあの日の午後以来だろうな。ハルヒといえども、人の子の親ってことだろうな。「医者はなんって言ってるんだ」「まだ、検査の結果がでないのよ。とりあえず、いますぐ生命に危険があるとかいう状態じゃないらしいわ」「そうか」そんな会話をしていると、看護婦らしき女性がやってきて(ナース服を来た時の朝比奈さんをちょっと思い出してしまった。なにせ、病気には縁のない家族で滅多に看護婦を目にすることなんてないからな)、「お子さんが気がつかれました」と教えてくれたので、俺たちは息子が収容されている病室に向かった。息子は至って元気そうだった。「心配かけてごめん」「まったく、だから無茶するなっていつもいってるでしょ。やりすぎなのよ」はい、お前が言うな、ハルヒ。大体、高校に存在するクラブ全部に仮入部してみるという暴挙はもともとお前が始めたことだし、息子はそれを継承しているだけだ、ある意味。もっとも、その後、やめないでそのまま全部入部すると言うところは誰に似たんだか解らないがな。「わかったよ。1つか2つ、やめるよ、部活」「何いってんの、半分にしなさい」いや、高校にある全クラブの半数に入部しているだけで、充分多すぎると思うぞ、俺は。「なんでそんなこと言われなくちゃならないんだよ」「こっちは大事な仕事をふいにして駆けつけてんのよ。なのにその言いぐさはなによ」はいはい、それぐらいにしておけ。とりあえず、今は息子は病人なんだからな。「何言ってんの。こういう時でもなきゃ、あたしたちの言うことになんか耳傾けないでしょ、こいつは」そういう人の話を聞かないところもお前ゆずりじゃないのか、ハルヒ。そんな実にしょうもないやりとりを繰り返していると、先程の朝比奈さん似の看護婦さんが入って来て医者が呼んでいるという。「あんた、今日はおとなしく寝てるのよ。抜け出したりしたら死刑だからね」ハルヒは、そう息子に捨て台詞を吐くと、俺と肩を並べて、医者が待っている面接室に向かった。面接室に入ると、俺たちより一回りくらい年上らしい女医がテーブルの向こうに座っていて、「どうぞ」と手前の椅子を勧められた。「息子の病態はどうなっておりますでしょうか?」さっきとは別人の様な話し方だな。場に応じて話し方を変幻自在に変えられるところも変わってないな、ハルヒ。女医はしばらく返答に窮しているようだったがそれからこう切り出した。「お二人とも、社会的にそれなりの地位をお持ちの方の様ですし、もって回った説明をしてもすぐばれてしまいそうですから、端的に申し上げます」なんだ、そんな前置きをされるとかえって緊張するぞ。「御子息の余命は1ヶ月です」世界が静止したかと思われた。さすがのハルヒも呆然としている。お前がそんな顔をしているのを見るのも滅多にない。いやいや、そんなツッコミをしている状況じゃないな。「どういうことでしょうか?」「御子息のかかっておられる病気は100万人に一人しかかからない極めてまれな病気です。つい3年前まで病気そのものが知られていませんでした」「どんな病気なんでしょうか?」「原因、治療法、その他全く不明です。この病気はほとんどの場合、非常に健康な思春期の男性にのみ発症します。これを御覧になってください。これは御子息の体内から抽出した組織のマイクロアレイ検査の結果です。この遺伝子発現プロファイルを健常人と比較すると、こことここに異常な発現が見られますね?この遺伝子発現プロファイルはこの疾患にかかった患者にだけ見られるものです」専門用語はよくわからない。長門なみに説明がへたくそな先生だな。「このあと、息子はどうなるのでしょうか?」ハルヒが尋ねる。説明が下手な先生は答えた。「特にどうということはありません。このあと、大した症状はありません。ただ、ほぼ一ヶ月後に御子息の生命活動は停止すると思われます」「どんな風にですか?」「痛みも苦しみもありません。今回と同じ様に意識を失われてそのまま亡くなられるでしょう。この疾患では最初の昏倒までは特にこれといった症状は表れません。マイクロアレイを使わない限り、この疾患の患者であることは診断することさえ不可能です。ただ、ほぼ一ヶ月後に亡くなられるのはほぼ確実です」「手の施しようもないと?」「はい、残念ながら。それと御子息には告知されないことをお勧めします」「なぜですか?」「先程申し上げたように、この疾患には特に苦痛を伴う症状はありません。治療も不可能です。お若い患者の場合、特に人生を清算されると言う様な必要もないでしょうし、告知されても無駄な苦しみを与えるだけではないかと思います。受験生などの場合には、また別の対応が必要と思われますが、御子息の場合は高校1年生ですし、現在は高校生活をエンジョイされておられると思います。告知した場合、これから亡くなられるまでの1ケ月間は地獄の苦しみを味あわれると思います」ハルヒは何も答えなかった。「息子と会っても構いませんか」「現在は何も症状が無いようですから、帰宅されても構いません」「解りました」俺たちはいっしょに面接室をでると病室に向かった。ハルヒが何を考えているか、俺には解らない。「どうする気だ」「話す」「なぜだ?さっきの医者も言ったじゃないか?苦しませるだけだと...」ふいにハルヒは向き直ると、昔、よくやったように俺のネクタイをつかんで捻り上げた。「あんたはそうやってまた同じ間違いを繰り返すつもり?」「何の話しだ?」「あんた達はあたしの力が消えるまで、あたしの力のことをあたしから隠し通した。それを聞いたとき、どんな気持ちだったか解る?仲間だと思ってたSOS団の中で私だけ蚊帳の外だったのよ。いま、このことを隠し通したら、同じことをあの子にすることになるわ。まわりの誰もがあの子が死ぬことを知っている。あの子だけが知らない。そんなのひどすぎるでしょ」「ハルヒ、今度は違うよ。あの子が本当のことを知ることはありえないんだ。あの子は一ヶ月後には...その、死んでしまうんだ。あとでおまえみたいな思いをする心配は金輪際...」「だめよ。黙っていたらあの子を裏切ることになるわ。あんたにはわからないのよ。あの時、あたしがどれだけショックだったか」「ハルヒ、それは俺への腹いせか?息子を巻き込むのはやめろ」「嫌よ」「なんでおまえはそういつもいつもわからないんだ」気づくと俺はハルヒの横っ面をはっていた。ハルヒは愕然としている。それはそうだろう。俺はハルヒに手をあげたことなんか一度もない。「一生に一回くらい、俺の言うことを聞いてみろよ」「キョン」こいつはまだ俺のことをこう呼んでいるんだ、信じられるか?「あたしはあんたのいうことに筋がとおっていると思っているときはきいてきたわ。ううん、たぶん、他人のいうことを聞いたのはきっとあんたの言ったことだけよ。でも、今回は好きにさせてもらうわ」病室に戻ると、息子は既に制服に着替えてベッドに腰かけて俺たちを待っていた。帰っていいと言われたんだろう。「あんたはここにいて。入って来ちゃダメよ」そういうとハルヒは一人で病室に入った。何か会話している。俺は中から叫び声や泣き声が聞こえて来るのを待った。そうなったら、ハルヒがなんと言おうと中に入るつもりだった。が、そんなことは一切無く、ドアがあくと真っ青な顔をした息子と笑顔のハルヒがでてきた。「何、ぼさっとつったってるのよ。帰るわよ」帰りの車の中で俺は息子に言った。「明日、USJ、止めてもいいんだぞ」「父さんは?」「お前が行かないならやめるよ」「でも一回もすっぽかしたことないんだろ?今まで」「それはそうだが」「行くよ。有希姉にもさよならを言わなきゃ」生理的な年齢が長門に近づいた今でも、息子は長門のことを「お姉ちゃん」と思っているようだった。それにしても、泣きもわめきもしないのか、お前は。驚いたな。家に戻ると、息子は早々に部屋に引っ込んだ。俺たちもぐったりとして早めに就寝した。夜中目覚めると、ハルヒのベッドが空だった。キッチンに降りて行くと、ハルヒがこっちに背をむけて座っていた。声をかけようと思って気づいた。ハルヒは泣いていた。俺はそのまま寝室に戻った。自分が泣いているところなんてハルヒはきっと見られたくなかっただろうからな。次の日、何も無かったように俺たちは朝起き、開園と同時にUSJに入園した。長門をみつけると息子は「二人だけにして」というと一人で長門の方に向かって歩いていった。何か話した後、今ではすっかり自分より背が低くなってしまった長門の前にひざまづくと、いきなり抱きついた。そうか、お前は俺たちの前じゃあ泣きたくなかったんだな。つまらんところがハルヒに似たんだ。そうやってどれくらい時間が過ぎたろうか。ハルヒの方を見ると顔面蒼白だった。自分には泣き顔を見せない息子が長門の前では泣いているのを見てきっと複雑な気分なんだろう。ふと気づくと、長門がそばに来ていた。「話がある」ハルヒは息子に向かって駆けていってしまった。長門はこう切り出した。「彼に言って。望めば、あと30年生きられると」「何?」「私と一緒に生きれば、年1日ずつ、あと30年生きられる」「ダメよ!」いつのまにかハルヒが戻って来ていた。「あの子は渡さないわ」ハルヒ、おまえ何言ってるんだ?「キョンの代わりにあの子を連れて行くつもりなんでしょう?」そう、息子は高校生時代の俺にそっくりに成長していた。性格はハルヒに似ていたけどな。「あなたの言っていることは非論理的。私と来なければあなたの息子はあと30日で死ぬ。失うものは何もない」「ダメだったら!」ハルヒ、お前の自由にはならないぞ、あの子に決めさせるんだ。「何の話?」いつの間にか、息子も戻って来ていた。長門は息子に説明しはじめた。自分とくれば、時空間を凍結して1年に一回だけ目覚める生活をすることであと30年生きられると。「長門姉といっしょに?」「そう」「やめなさい。いっちゃだめ」ハルヒは必死だった。息子との最後の掛け替えの無い1ヶ月を取り上げられようとしているのだ。かつて、長門は一年に一日しか生きられないために俺を諦めなくてはいけなかった。今、ハルヒと長門の立場は逆転したのだ。長門が一年に一日しか生きられないがために、今度はハルヒが息子を諦めなくてはならない破目になっていたのだ。「いくよ」息子は大して迷いもせずに言った。「そう」「やめて」「ハルヒ、あきらめろよ。これは運命だったんだ」ハルヒにはこれが合理的な帰結だと解っていたが、受け入れ難かったのだろう。息子は言った。「今日は、もう帰って。来年会おう」帰りの電車の中でハルヒは言った。「罰があたったんだわ」「何の話だ」「あんたはあたしがUSJで披露宴をやったのはあたしが有希のことを思いやったからだとおもってるでしょう」「違うのか?長門はうれしそうだったぞ」「あんたはお人好しだから。本当は有希にあんたがとられるんじゃないかと不安だったのよ。だから、つきあう許可を得てから次のイブまでに結婚したかったのよ。抜け駆けしたんだわ私。で、いま、罰があたってる」「考えすぎだぞ」ハルヒは答えなかった。
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