HOME…SWEET HOME 第4話
…━━━「いやあ、お久しぶりですね」俺は背後から聞こえるその声に、いつかのニヤケ面を思い出す。そして…どうやらそのニヤケ面の側には朝比奈さんも一緒らしい。足音と雰囲気で判る。カウンターに座りテーブルを見つめたまま「ああ」と短く応えると、その声が余程不機嫌に聞こえたのだろうか…声の主は俺の背後で立ち止まり「この様な形で呼び出してしまい申し訳ありません」と静かに詫びた。「別に構わないさ…古泉、久し振りだな?」「ええ…本当に…」椅子に座ったまま振り返ると、そこには細身の背広に身を包んだ古泉が、朝比奈さんとともに以前会った時とあまり変わらない様相で立っていた━━━…【HOME…SWEET HOME】第4話「行くから待ってて」━1━俺の横の席に古泉が腰を下ろす。そして、それに続いて朝比奈さんも古泉の隣の席に腰を下ろした。以前会った時に古泉が話していた『古泉の所属する機関』と『朝比奈さんの所属する組織』が共に活動しているというのは本当だった様だ。そして、しばしの沈黙…長門が、俺にしたのと同じように二人の前にグラスを差し出している。その音だけが俺達以外に誰も居ない店の中に微かに響いていた。「早速ですが…実は少し困った事になりまして」最初に口を開いたのは古泉だった。俺は何も言わずに、ただ耳を傾ける。「いえ…『少し』という表現は適当ではありませんでした。正直に言いますと『非常事態』です」「…説明して欲しいな」「ええ。それには、まず3年前の涼宮さんの…失礼、ここでは敢えて『涼宮さん』と呼ばせて頂きますが構いませんか?」「ああ」「では…3年前に涼宮さんの持つ力が失われた時の事から…」古泉は手元のグラスにそっと手を差し延べると、少しだけそれを口に含んだ。そして、再び語り始める。「まず涼宮さんの『力』について、我々は誤った認識を持っていた様なんです」「どういう事だ?」「ええ…実はその後の調査で判った事なんですが、度々我々が用いてきた『世界を改編する』という彼女の力に対しての表現、これは『世界を構築する』の誤りでした」解らない、だったらどうだって言うんだ…考えてみれば、いつだって俺はそうだ。実際に古泉に閉鎖空間の中に連れていかれたり、長門の言うところの『情報が制御された空間』を体験した時も実感こそあれど理解はしていなかった。というより、こいつらに関する全てを常人の俺が完全に把握して理解するという事は到底無理だ。「つまり…涼宮さんは、事あるごとにそれまでの世界とは違う新しい世界を幾度となく造り続けてきたという事になります」「新しい世界…か?」「そうです。元々存在していたものを『書き換える』のではなく、それとは別に全く新しい世界を造る…という事です。そしてその結果、彼女が望んだ分だけの数の世界が生まれた…当然、それぞれの世界は今も尚存在し、その全てに彼女が存在します」「…要するに、この世界と同じ様な世界がいくつもあって、そこには別のハルヒが洩れなく居るって訳か……ちょっと待て!まさか、俺やお前も同じ様に…」「彼女が望んだとすれば、存在する可能性も否めませんね。まあ、何分未確認な部分ではありますが」そんな事が本当にあるものなのか…と正直に思う。だが、古泉の語る内容は安易に信じる事が出来てしまう。今までの経験がそうさせるんだ。実際に俺はハルヒとその「書き換えられた世界」もしくは「新たに構築された世界」に迷いこんで散々な目にあった事があるしな。忘れもしない、高校1年の夏休み前…「続けても構いませんか?」「ん?あ…ああ…」「さて…その涼宮さんの力ですが、現在は効力を失っています」「ああ、3年前からな。もう消えてしまったんだろ?」「いいえ。その事なんですが…現時点で我々はその件に関してこのような仮説を立てています。涼宮さんが作り出して来た世界には元々基盤に当たる様なモノが存在しいて、ある程度の数の世界を作るとその許容量が限界に達してしまう…つまり彼女の力が効力を失ってしまってしまったのは、その基盤ともいえる部分が飽和状態になってしまった故に、それ以上に世界を構築出来なくなってしまったのではないかと…」 「…それじゃ、ハルヒの力は?」「健在でしょうね。しかも飽和状態になった世界は厄介な事に部分的に融合を始めた…」「?」「こちらに現れた『鈴宮春日』の事ですよ」まさか…「…だがな古泉、確かに課長…もとい鈴宮春日は女房にそっくりだが、名前も違うし本社営業部に居たという事実もあるぜ?」「…いいですか?彼女は世界を造る事が出来る存在なんですよ?世界を構築する際に、なんらかのキッカケで自らの名前を変えてしまっても不自然ではありません。もしかしたら、幾つもの世界の中には全く違う名前の『涼宮ハルヒ』が存在するかもしれないんです。それに…」古泉は言いかけながら、隣に座る朝比奈さんから何か書類の様なものを受けとると俺に差し出した。「それは何だ?」「キョン君の勤めている会社の社内報ですよ。『鈴宮春日がこちらの世界に現れる以前』の過去のものです。平成26年度の4月号…つまり、キョン君が入社した年のモノになります」そうか…課長が本当にもう一人のハルヒなんだとしたら、俺と同じ歳…つまり同期入社という事になる。俺は古泉が差し出した社内報の表紙を手早く開いた。「今年度新入社員紹介…か…」巻頭から始まる新入社員を一人づつ写真で紹介する記事。一人一人を五十音順に親指の先程の大きさの写真とともに紹介してある。「ええと…鈴木…鈴原…瀬戸口…あ…?」「…気付きましたか?」「………無いな」「ええ、そこに鈴宮春日は存在しません。それで…こちらが『鈴宮春日がこちらの世界に現れた以降』の過去の社内報です」先程と同様のページを古泉が開く。そして、そこには『鈴宮春日』に関する記事が確かに記載されていた。「これは…」「『鈴宮春日』が此方の世界に融合した時に、彼女に関する全てが此方の世界に付け加えられた一例がこれです。とにかく、今こちらの世界には『世界を造り出せる程の2つの力』が同時に存在しています。しかもその2つはキョン君、貴方を中心に極度に接近しつつある…これは非常に危険な状態と言えるでしょうね」「俺は…どうしろと…?」「現在、我々は総力を挙げてどのように対処すべきかを検討しています。それが実行されるまで、どうにか二人の『涼宮さん』を接近させないで欲しいのです」普通に考えても、会社の上司である『鈴宮春日』と女房とが接触する機会は無いだろう。俺は「解った」と頷くと、手元のグラスを口許へと運んだ。「では…僕達はこれで失礼します」古泉と朝比奈さんが席から立ち上がる。久しぶりに会ったのに素っ気ないもんだ…とは思いながらも、事情は解っているつもりだから引き止めない。「そうだ、なにかあった時には此処に来てください。僕達や長門さんに会える筈ですから…」「?」「ここは『その為に用意した場所』なんですよ」意味ありげに笑みを浮かべる古泉は相変わらず不愉快だ。思わずムッとすると、申し訳なさそうにこちらを伺う朝比奈さんと目が合った。「あの…キョン君…」「ん?何です?」「その…ごめんね?」「…朝比奈さんが誤る事ではないですよ」「え…ええ」やがて二人は店の出口に近付いてから、再びこちらに振り返り軽く挨拶をすると店の外へと消えた。俺も長門に「ごちそうさま」と告げて席を立つ。長門は黙って頷くと背を向けて何かを片付け始めた。店の外へ出た俺は、まだ薄明るい外の風景に驚く。おかしいぞ…仕事が終わったのが五時…ここに着いたのが五時半だとしても小一時間は居た筈だから、とっくに暗くなっている筈なのに…思わず時計を見ると時計の針は五時半を少し回った状態で静かに動いていた。なるほど、『その為に用意した場所』ね…俺は深く溜め息をつくと、自転車を停めた場所へとゆっくりと歩き出した。━2━いつもと変わらない時間に帰宅する事が出来た俺を迎えたのは、不機嫌そうな表情のハルヒだった。「なによっ!いきなり『遅くなる』ってメールをよこしたと思ったら、全然普通に帰って来たり…訳わかんないっ!」「遅くなるよりはマシだろ?夕食は予定通り俺が作るからさ…」納得の行かなそうなハルヒを横目に寝室へ。今朝脱ぎ捨てたままにしてしまった部屋着を手早く拾い上げて、それに着替える。そしてキッチンに向かうと、軽く手を洗いシンクの横からカップを取り出した。とりあえず一息、コーヒーでも飲もうと思うが…コーヒーの入った茶色い瓶が見当たらない。「……戸棚の中よ」ふと気が付くと、ハルヒが「やれやれ」といった表情でキッチンの入り口に立っていた。「あ…ああ、戸棚だな。…お前も飲むか?」「ん…アタシはいい。それよりさ、キョン?」「なんだ?」「何か…あったの?」「いや…なんも…」古泉からは特に「この件はハルヒには黙っていてくれ」とは言われなかったものの、話してはマズい事くらい俺にも解る。だから精一杯平静を保ちながら何事もなかった様に振る舞う訳だが…すぐにバレるんだ、いつも。「…なんかあった時の顔してるわよ?そういえば日曜日に買い物を頼んだ時から様子が変…」「そんな事ないさ…最近、例の新しい課長が厳しくてな?その所為かな、少し疲れているかも…」「ふーん」渋々納得するハルヒ。我ながら上手く欺けた事に思わず安堵の溜め息を漏らす。そして、手元のコーヒーを飲み干すとフライパンをコンロに置いた。「ねえ、キョン…」「ん?」「ご飯、アタシが作る」「なんでだよ」「いいから。少し休んでなさいよ」「…え?」「……勘違いしないでよ?疲れたまんまで料理されたくないから代わってあげるのっ!砂糖と塩でも間違えられでもしたらたまんないわよ!」そう言うとハルヒは俺をグイグイとリビングへ押しやり、忙しく夕食の支度を始めた。心配…してくれてるんだろうな…少し申し訳なく思いながらも、折角だからソファーに腰を下ろす。だが、疲れている…という部分には嘘は無い。なにしろ先程が先程だ…新しい世界だの…融合だの…危険な状態だの…だいたい、あの悪趣味な飲み屋は何だ?どう考えても長門は…ルックスはともかくとして、商売に向いてるとは思えない。それとも、古泉が言っていた通り「そのための場所」…俺を招くだけの為の仕掛のような物なんだろうか…それに…古泉の言う通りに幾つもの世界があったとして、更に何人もののハルヒが居たとしよう。果たして、その中で同じ会社に勤めてる確率ってどれくらいだ?てゆうか、他の世界にもウチの会社は在るのか?それとだ、ハルヒが二人居て接触するとどう危険なのかも訊きそびれた。爆発でもするってのか?いや…まさかな…考えれば考える程おかしい事だらけだ。元々奴らは普通では無いが、今回はそれを越えた違和感を感じる…「はい、お待たせっ!ボケッとしてないでさ?冷めないうちに食べなさいよっ?」不意に目の前に差し出されたカレーに、夕食の用意が出来た事に気が付かされた。おそらく驚いた表情でいるであろう俺を見ながら、ハルヒが笑っている。「ほらほら、あんまり考えこむんじゃないわよ?妙な上司に引っ掛かって大変みたいだけどさ?そのうちなんとかなるわよ!」そのうちなんとかなるわよ…か。そうだな、もう考えるのを止めよう。とにかく古泉達がなんとかするまで、ハルヒと春日を会わせなければいい。簡単な事だ。「ん…ああ。なあ、ハルヒ…」「ん?」「夕食の支度…ありがとうな」ハルヒは「明日の当番はキョンなんだからねっ!」と口をとがらせると、キッチンへと戻って行った。━3━翌朝…いつも通りに出勤した俺は、いつもの場所に課長が居ない事に気が付いた。二つほど判を貰いたい書類があったのだが、課長が居なければ話にならない。特に遅れる予定があるとは聞いていなかったから、どうしたものかと思う。「おはようさん… おいキョン、どうした?」俺より少し遅れて来た谷口が背中から声をかける。俺は判を貰うつもりだった書類を見つめながら、「ああ、…おはよう」と呟いた。「なんだよ、どうした?」「いや、課長が居なくてさ?遅れるとも何とも聞いてなかったから」「ああ、少し遅れるってさ」「そうか…って、何でお前が知ってるんだよっ!」「おいおい、随分だな!お前に電話が繋がらないって俺のトコに電話してきたんだぜ?」「俺に繋がらない?」「そうだ。少し遅れるから昨日の書類は机の上に置いておけって。ちなみに俺もお前に電話したんだぜ?何で出ないんだよ」おかしいな…携帯が鳴った記憶が無い…俺は着信履歴を見てやろうと、携帯の入っている上着のポケットへ手を突っ込んだ。「あれ?…無い」携帯が無い。確かに家を出る時に持って出たんだけど…「どうしたんだ?」「いや、携帯が無いんだ」「忘れたんじゃないのか?」「いや、確かにポケットに入れて家を出たんだが…」「じゃあ、落とした?」さすがにそれは困る。誰かに拾われて悪用されたりしたら大変だ。なにしろ物騒な時代だからな。「そうだ!谷口、俺の携帯を今鳴らしてみてくれないか?」「ん…?ああ!そういうことか。ちょっと待ってろ…」これで音がすれば身近に在るという事になるが…「鳴らないな…」「ああ…」「でも、一応呼び出しが鳴ってるから携帯自体は無事……あっ!誰か出た…」鳴らした俺の携帯に誰かでたらしい。「もしもし……っ!ああ涼宮か!久し振りっ!ん?旧姓で呼ぶなって?…ああ、悪かった悪かった!ところで涼宮さ……」電話にはハルヒが出たみたいだ。ということは……恐らく家に忘れたんだな。持って出た筈なんだけどな…「うんうん、キョンな!側に居るから代わるよ!じゃあまた、晩飯でも御馳走になりに行き……え?来なくていい?………つれないなあ……」谷口はひとしきり話し終わると「はいよ」と携帯を俺に差し出した。俺は掌を立て「スマン」と詫びる仕草をして見せながら受けとる。「もしもし、ハルヒか」『キョン!何やってんのよっ!』「ああ、迂濶だった…。何処にあった?」『テーブルの上!まったく、しょうがないわね』「ああ…そのままにしておいてくれ。外回りに出るついでに取りに寄るから」『わかった………あ!それかさぁ、アタシが届けに行ってあげようか?』「……いいよ、大丈夫だから」『行くわよっ!今日は仕事は午後からだし、例の意地悪課長も一目見てやりたいし!』あ……!それは、まずいぞ…「い…いや、ハルヒ?あのな、本当にいいんだ!」『あと30分くらいで行けるからさ、待ってられる?』「人の話を聞けっ!」だめだ、ハルヒの奴…携帯を届けるなんてのは、もはや完全に口実だな…『じゃあねっ!行くからまってて!』「ち、ちょっと待て…」切れた…まずい…ぞ……━━どうにか二人の『涼宮さん』を接近させないで欲しいのです━━…それは簡単な事だと思っていた。だが、こんな事が起こりうる場合もあるんだ…まてよ?そうだ…営業所の表玄関でハルヒを待ち構えて、携帯を受け取ったら「課長は今日は居ない」と言えば良い!簡単な話だ!だが…表玄関で遅れてきた課長とタイミング良く鉢合わせる可能性もあるか?いや!ウチの会社は課長以上は車通勤が許されている筈だ。故に課長は駐車場のある裏口から来る…「おい、キョン!何ブツブツ言ってんだ?」「あ…いや、何でもない」「じゃあ、解決したみたいだから俺は行くぜ?課長が居ないウチに外回りに出ちまえば、煩い事言われなくて済むからな」「ああ、気を付けてな」「それと…後でコーヒーくらい奢れよ?」「?」「通話料」「……ケチはモテないぜ?」谷口は背中を向けながら手を振ると、営業所のからそそくさと出て言った。しかし、あの課長がそんなに嫌かねぇ…口煩いのは認めるが、ワリと頼れるんだよな。俺的には例の一件がなけりゃ、マンザラでもないんだが。さて…そろそろ俺も支度をして、表玄関でハルヒを待つか…玄関から外に出ると、強い陽射しのせいか1月とは思えない程暖かった。車通りの少ない会社の前の路地は、相変わらずの静けさに包まれている。「あと五分位で来るな…」時計を見ながら、ハルヒがどのように現れるか考える。「課長を見たい」と言っていたから、この路地に車で入って来て通りすぎ様に携帯だけ渡して行ってくれるって事は無いだろう。何処かに車を停めて歩いてくるだろうな。さて…大通りのある左から来るか、コインパーキングのある左から来るか…まあ…どっちから来ても、この分なら課長と逢うことは無い…「おはよう、キョン!」「ああ…待ってた…ぞ?」不意に背中から聞こえた声は…よく似ているが女房のモノではなかった。いつもとは違うカジュアルな服装で自転車に跨った課長が、キョトンとしながら俺を見ている。「…? 待たせた覚えは無いけど…」「え?あ…いやあ…違うんですよ、これは、その…何やってるんです?」「新製品の試し乗りよ!把握しておきたいでしょ?昨日の予報で今日は天気が良いみたいだったから、少し出社を遅らせたって訳」「…そうなんですか」「それより昨日の書類、アンタの携帯が繋がらないから谷口に伝言頼んだんだけど…聞いた?」「え?…ええ」「そう!もし急ぎで必要なら少し待ってて?今、着替えたらオフィスにすぐ行くからさ。さすがにこの格好じゃマズいし。フフッ」悪戯っぽく肩すくめて笑う課長。しかし、その向こう側から歩いて来る人影に俺は…声を失った。
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