続々・花嫁修行危機一髪
枕元に置いた携帯が着信音を奏で、僕は手を伸ばしてそれを開いた。普段、5時という早朝に着信があれば、閉鎖空間発生か、と飛び起きるのだが、今回はおそらくあの人からだろうな、と見当がついていたのでベッドに潜ったままだ。表示された名前はやはり。通話ボタンを押す。「もひ…もしもし、古泉です」ぼんやりした頭で、なんとか呂律を回す。『おはよう。今からそちらに向かう』ピンポーン「…ん?」『着いた』「え……」一秒も間を開けずにインターホンが鳴り、長門さんが携帯の向こうでそう言った。始めから扉の前から電話していた…という訳でも無いのだろうな、彼女なら瞬間移動だってやりかねない。通話の繋がりが、向こうから先に切れた。目覚めて一番にこれだと、なかなか疲れる。ピッキングだか情報操作だかで、僕が玄関に行かずとも彼女は入れるだろうと思い、余りに眠いので掛け布団の下で丸くなっていると。ピンポーン「侵入七つ道具を家に忘れた」扉の向こうで長門さんの声が、張り上げている訳でもないのに僕の耳に入ってくる。侵入七つ道具…何も聞かなかったことにしよう。ピンポーンピンポーン 「開けて」「どう、ぞ、入って下さ…い」昨日の夕方と違って、今は朝の5時だ。情報を操作して鍵を開けても、というかむしろそっちの方がピッキングよりずっといいのだが、他人に目撃されても寝ぼけているから、と言い訳もすんなり通るだろう。布団の中でもぞもぞとそう返して、まどろんでいると、『居留守使ってもおるんは解っとるんや!!』「!?」『はよ金返さんかい、借りたもんは返すゆうて、きさん習わんかったんか!』慌てて布団から飛び出し、玄関に駆け寄る。『足りんのやったら腎臓なり目ん玉なり売り飛ばせ!!』内側から鍵を開け、扉を外に押しやる。そこには、CDラジカセを両手に提げ、胸の前に持ち上げている長門さんがいた。「ながっ…」「あなたが早く開けなかったから」ラジカセの電源を切り、カセットを取り出し、ドスの効いたやくざさんの怒声を止めてから長門さんは、「彼の言う通り、眼球なら片方を失っても、もう片方が存在するから大した問題には」「大問題ですっ!!」朝から絶叫する羽目になるとは…で、そのテープはどうやって手に入れたのだろうか。いや、聞かないけれど。 「あと二秒扉が開くのが遅かったら、扉を破壊していた」両隣りの部屋から怒声を聞きつけた住人が、顔を扉から覗かせるよりも先に長門さんは、足元に置いてあった通学用の鞄とスーパーの袋を手にして、僕の横をすり抜けて部屋に入った。テーブルの上にラジカセを置く長門さんを目の隅で捕らえて、制服をハンガーごと脱衣所に持って行く。脱がされる前に着替えないと。くいっ、と服の裾が引っ張られた。「待って。着替えより先にやることがある」見つかった…やることってなんだろう、と僕は彼女がラジカセに先程とは違うカセットを入れ、再生のボタンを押したのを見ていた。『あーたーらしーいあーさがきたきーぼーのあーさーだ』「喜びに胸を広げ、青空仰ぐラジオの声に健やかな胸を」「………」上から、ラジオを通して聞こえてくる元気な子ども達の歌声、続いて長門さんのプロかと思う程無駄に上手く、はきはきとした歌声、最後は僕が、懐かしーなー、と続く歌詞を思い出そうとしているものの、まあ別に思い出せなくてもいいや、面倒臭い、と放棄したために音無しだ。 『ラジオ体操第一!腕を大きく上げて深呼吸!いち、にー、さんし』「五、六、七、八古泉一樹、手を抜いては駄目。ラジオ体操とは体操のおじさんとPTAが小学生にもたらす、夏休みと銘打っているというのに寝坊すらできない理不尽なまでの耐久戦。油断は即、敗北へと繋がる」「そんな大袈裟な…」「動かすのは口ではなく体」やけに厳しく長門さんに言われて、手をできるだけ高く伸ばす。僕達は小学生でもなければ、今が夏休みでもないと言うのに。まあ、長門さんに小学生時代があったとは思えないので、そういった事に興味があると言うのなら、付き合おう。『深呼吸~、ラジオ体操第二!』「えっ、第二も!?」「当然」第一、第二体操が終わってもラジカセは止まらなかった。『友達みーんな揃ったらー、アイーン体操始めようまえーに』「アイーン」「………」『後ろに』「アイーン古泉一樹」「……アイーン…」 『アルゴリズム体操始め!』「ぐるぐるぐ、ぐるぐるぐ」「……ぐーるぐる…」「やろうとする意欲が見られない。ばっちんばっちん」「いだだ!やります、やりますよ!がしんがしん!!」「やればできるこ」「………」付き合うって言ったよ、言ったけどさ…『アンパンマンはーきみっさー』「力の限り」「…ほーら、聞こえるーよー……」まさかそんな…こんな……『慌てたアヒルがあっ!』「悪戯イルカがい」「うさぎが転んで…う……」『とっとこハムハム』「とっとこモヒモヒ」「これーで決ったぜー……」何が決まったって言うんだよ…この星の子ども向け番組って実はレベル高いんだなあ、宇宙人の日課になってるよ…ここでやっとカセットテープが切れ、決めポーズから解放されてぐったりとしている所に、だ。「着替え」あっさりと脱がされた。 そこから後の支度(朝食はフランス料理のフルコースだった)と学校生活(上履きに「by長門有希親衛隊」と書かれた花道部の剣山が仕込まれていた)と団活動(トイレに行こうとしたら、ひとりでズボン下ろせる?と長門さんに聞かれ、つまづいて机に額をぶち当てた)の部分は割愛させて頂こう。本日の出来事で特筆するべき箇所は学校以外で起きたのだ。どうせまたマンションに来るのだから一緒に帰ることになり、僕と長門さんは扉を開けた瞬間、ただいまとお帰りをお互いに、打ち合わせをした訳ではないのに声を揃えて言っていた。 いつもは帰宅すればラフな服装に着替えるのだが、今日は出かけるつもりだったのでジーンズを選んだ。「少し遠出しませんか?」冷蔵庫を開けて、中身が朝食に消えてすっからかんなのを長門さんと確認して、僕はそう提案した。駅前のデパートでいいか、と聞くと彼女はこくりと頷いた。扉に鍵を掛け、一階まで降りる。「あなたの自転車を借りる」電車かバスで行くつもりだった僕の前を歩く彼女は、自転車置場に向かった。「電車かバスの方が…」「こちらの方が早い」と、言うことは、長門さんは自分が運転するつもりなのだろう。「後ろ」自転車の鍵を開けてスタンドを上げ、彼女は荷台を指で指した。「乗って」いや、それは恥ずかしい、恥ずかし過ぎる。なんだって、そこそこ背の高い男が、制服を着ていなければ中学生でも通用しそうな、小柄な女の子が漕ぐ自転車の荷台を跨がなくてはならないんだ。「早く」「いえ、でも」「日が暮れる」「は、はい…」しかし、抵抗する術がある訳でもない。うう、恥ずかし…彼女は僕が荷台に座ったのを見てから、サドルに跨がった。長門さんがペダルに足を掛ける。「出発進行」 ぎゃりっ、とタイヤが地面に強く擦られる音が聞こえた。次の瞬間には、周りの風景が後ろに物凄いスピードで流れていく。「速!速過ぎます長門さん!」「速くしないと日が暮れる。冬は直ぐに暗くなる」国道を走る車の横を涼しい顔で長門さんが追い抜く。車の運転手の目にも留まらないような高速で、だ。「落ち…!」強風を正面から受けて、体がよろめく。慌てて何かにしがみつこうとしたが、まさか彼女の体の前に手を回す訳にもいかない。仕方無く目の前で翻っているセーラーを掴む。が、全く安定しない。「肩に手を置けばいい」後ろをちらりと振り返って長門さんが言った。「あ、では、お言葉に甘えて」「あと、昨日のように顎を置きたかったら、それもすればいい」「え……あー…」いや、これはそうしようかやめておこうか、と迷っているのではなくて、昨日のそれについては正に気の迷いだったので、忘れて欲しいな、と思うがための唸りだ。よってそれはしない。運転中は危ないだろうし。 「到着」私事なので新川さんのタクシーを呼ぶのは憚れたのだが、これだと長門さんが運転する自転車の方が随分早い。 店に入って、早速買い物カートを押し、食品売り場に向かおうとする長門さんに、「先に服を見てもいいですか?」「構わない」かごを置き直してエスカレーターに乗る。彼女を連れて、子ども服売り場、それも女の子用のスペースで歩みを止める。「女装趣味?」適当に上着を一着手にして、畳まれていたのを広げると、そんな言葉が背中に突き刺さった。「違います…僕ではなくて、あなたに。冬服、お持ちでないでしょう?」夏服は孤島の時に見たけれど。すると長門さんは、少し離れた所にある、若者向けの服が並べられているスペースと、今僕が立っている小、中学生向けの服が網羅されている棚を見比べて、「幼女趣味?」「違います…」誤解を招いても仕方が無いのだが、あえてこういった服を彼女には着て貰う必要がある。その必要については後で説明するから。白地に、翼が生えたピンクと赤のハートの模様がたくさん散らばったタートルと、赤いタータンチェックのひだが入ったスカート、おまけで、天辺にぼんぼんがついたオレンジと白のストライプのニット帽。それらを長門さんに手渡して、試着室に入って貰う。 試着室のカーテンが閉まったのと同時に、僕はそこから少し離れた男性向けの服を見るとはなしに見て回る。着替え終えた長門さんが小部屋から出て来て、直ぐに僕を見つけられる程度の距離にとどまる。いや別に、近くだと衣擦れの音が聞こえそうだったから、とかではない。ないない、と僕が緩く頭を振っていると、カーテンが開く音がした。「古泉一樹」彼女は小部屋から顔を覗かせて、僕を見てそう呼ぶと、半回転して部屋に設置されている全身を映す鏡の方を向いた。僕もそちらへ向かう。「どう?」「良くお似合いですよ」鏡の中の長門さんは、小柄なのと、少しばかり幼顔なのとで、僕が選んだ子ども服を完璧に着こなしていた。「これなら小学校高学年、もしくは中学一年生でも通用するでしょうね」「やはり幼女趣味…俗的に言えばロリコン」「違いますってば。直ぐに解りますよ」もう一度制服に着替えて貰って、レジで会計を済ませる。 紺のソックスだと不自然か、と追加したピンクと白のストライプのオーバーニーも一緒だ。レジにいた店員さんに頼んで値札を切ってもらう。その時の店員さんの、高校の制服を着た長門さんと、彼女に相応しくない子ども服と、お金を出してお釣を受け取った僕を順に見たあの目は当分忘れられそうもない。それについては後でたっぷりショックを受けるとして、今は今すべきことに全力投球しよう。買ったばかりの服をまた長門さんに着て貰い、これで準備は整った。つまり本来の目的はこれからだ。脳内にミッションインポッシブルの音楽が流れる。僕は深呼吸をして、長門さんを連れ、レジから最も離れた所にいる女性の店員さんに声を掛ける。「あの、すみません」「はい、どうされました?」営業スマイルを浮かべ、店員さんが振り向く。対する僕も、ぼろが出ませんように出ませんように、といつもの営業スマイルを装備する。「この子に、上の下着を見て下さいませんか」ここで、店員さんの目線が長門さんに移動する。「母も来る予定だったのですが、直前になって急用が入りまして。仕方無く、こうしてふたりで来たのはいいのですが、如何せん勝手が解らず…」 どうだ、名付けて、『お兄ちゃんだけじゃどうしていいかわかんなくて、ここは女性店員に成長期を迎えた妹を任ることにした…感じに見えますように作戦』だ!!縮めてわたおに作戦!「あら、まあ。確かに、こればっかりはお兄ちゃんでは難しいでしょうね。かしこまりました。お任せ下さい」いよっし、上手いこと騙されてくれた。心の中でガッツポーズをする僕の横で、長門さんは、「なるほど…」と呟いて僕を見上げた。あなたのお察しの通りですよ、長門さん。いくらなんでも、高校生がしてないのは色々と危ないだろうし、着替えの際、クラスメイトの中で彼女が悪目立ちしているのが、安易に想像できてしまうので、もう一度、小さな親切大きなお世話、とやらをさせて頂こう。「妹さん、こちらにどうぞ」動かない長門さんの背中を僕は押して、店員さんの方へ誘導した。カモフラージュは完璧だ。同じ高校の制服を着た男女でこれを頼んだら、お前どんな変態だよ、と思われても仕方が無いが、今の僕達の服装なら、兄妹に見えるので何ら問題は無い。しかし、「彼は私の兄ではない」ニヤリ、と長門さんが無表情の中にも、悪戯めいた笑いを滲ませたような気がした。 「愛人」愛人……って…「援交…?」店員さんの口から恐ろしい単語が出て、僕はぶんぶん首を左右に振った。「有希!」兄らしくするために、と長門さんを呼び捨てにすると、彼女はきょとんとして僕を見つめた。珍しい表情だ。「食品売り場にいるから!店員さんに迷惑かけんなよ!」妹設定の長門さんに通常の丁寧語もおかしいので、それもかなぐりすててて、財布から樋口を引き抜いて彼女に押しつけ、エスカレーターに直行する。あのままでいれば、あること無いこと言われかねない。一気に疲れて、しばらく壁にもたれて落ち着いてから、買い物カートに寄り掛かるようにして、夕飯の材料を見て回る。片手で食べられるもの、お箸を使わないもの…オムライスなら条件にぴったり当てはまるな、と、卵を取ってかごに入れようとしたのと、その音は全く同時に響いた。 ピンポンパンポーン 『古泉一樹様、古泉一樹様。お連れの古泉有希様がお待ちです。至急、六階迷子センターまでお越し下さい』ぽろ、ぐしゃっ、と卵が床に落ちた。えええー…食品売り場にいるって言ったのに!!っていうか、古泉有希って誰!? ぐちゃぐちゃになった卵を拾い上げ、溜息をつく。行けばいいんでしょ、行けば…とりあえず、この卵は責任を持って買わないと。すると、さっきまでのアナウンスの女性とは違い、感情のこもらない、聞き慣れたあの声がスピーカーを通して流れてきた。『古泉一樹、早く来た方がいい。あなたがこちらに来るまで、先日、あなたの部屋で発見した「マル秘」と表紙に書かれたノートを朗読する』え…ちょ、はあ?何勝手に他人の机の引き出し開けて……っていうか、んん?…そのノートって… ま さ か ! 『「今日の夕方、涼宮さんから電話があった。次の自作映画のタイトルが決定したのだそうだ。その名も、「古泉イツキの覚醒 Episode 00」らしい。このタイトルからして、僕が演じる古泉イツキが主演なのは解る。が、しかし、まさか前作の主題歌、恋のミクル伝説の歌詞を、古泉イツキ用に変えることになるとは夢にも思わなかった。しかも、歌詞は僕自身が考えなくてはならないそうだ。涼宮さん曰く、「登場人物を最も良く理解できるのは、監督じゃなくてその役者だって最近になって気付いたの。 みくるちゃんの主題歌はあたしが考えたんだけど、今頃になってみくるちゃんに考えてもらった方が、ミクルのキャラが良く出たのかもって思ってるのよ。そういう訳だから、今回は古泉くん、イツキの歌詞はあんたに頼んだわよ!」…だそうだ。悩んでいても仕方が無いし、涼宮さんはせっかちなので、今から考案したいと思う。歌のタイトルは、そうだな、「勇気イツキ伝説」よし、これでいこう。」』 ギャーーー!!僕は半ばパニックに陥りながら、潰れた卵を棚に押し込んだ。この放送を止めたら、ちゃんと責任持って買いに来るから!全速力でフロアを走る僕の頭上に、無情にもアナウンスは振り注ぐ。 『この日記の次のページに、恋のミクル伝説の替え歌と思われる歌詞が書かれている。……古泉一樹の声帯データをコピー…完了』 コピーって、あなたまさか…それを歌う気では… 『尚、外れると予測される音程は私が事前に調べ、修正を施す。何故なら、あなたの中の人は、彼の中の人程ではないが、それでも相当なおん』「言うなーー!!」僕の大絶叫で、長門さんのNGワードを最後まで言い切らせず、かき消す。 エレベーター前に着いたと同時に、どこからか業者のおじさんが現れて、「すまんな坊や。俺も良く解らんのだが、いきなりこいつを点検しないと、今晩辺り、エイリアンにUFOで拉致されるような気がしてな」と、扉に点検中との張紙を張った。隣のエスカレーターはついさっき、原因不明の故障となり、「さっきまで問題無く動いていたのに…」「一体どうしたんだろう…」と店の従業員数人が考え込んでいた。両方、宇宙人の仕業だ。絶対そうだ。 階段をつまづきそうになりながらも、駆け上がる。『音程の修正が完了した。今から歌う』「止めて止めて止めて!止めて下さいっ!!」『「勇気イツキ伝説」スタート』「ギャァアアア!!」 『イ・イ・イツデモ イツキンキンス・ス・スマイル イツキンキン素直に 「猫どこ 古泉メイン」と 言えない流も勇気りんりん イツキスマイル ウィンクと共に機関からやって来た 謎の転校生いつもみんなの 世界守るよ夜はひとり 屋上で天体観測明日こそ誰もが 素直になれますようにCome On! Let'sdance!Come On! Let'sdance! Baby!涙を流す 暇は無いからCome On! Let'sdance!Come On! Let'sdance! Baby!世界の隅へ 神人退治のため イ・イ・イツキン イツキンキンイ・イ・イツキン イツキンキン』 歌が終わり、遂に間に合わなかったか、と僕は五階と六階の間にある踊り場に崩れ落ちた。もう少しだったのに…燃えた…燃え尽きたぜ…真っ白にな…… 『この歌詞は、古泉イツキと言うより古泉一樹に適応している。キャラクターの気持ちになりきれていない。』 ダメだしされてる…しかもまだ僕の声だし…まるで自分が自分にダメだしされてるみたいだ… 『猫はどこに行った、略して「猫どこ」は私も古泉一樹がメインだと思っている。しかし、読者の中には後書きを本文より先に読む者が少なからず存在し、後書きで古泉一樹がメインと書いてしまうと、そういった人々の大多数がその話に興味を失い、読み飛ばしてしまう恐れがあるため、涼宮ハルヒ並びに他一名がメインだと後書きに書いたと思われる』 つまり…僕に人気が無いと…?いや、否定できないけど…例え真実でも、言っていいことと悪いことが…… 『更に、涼宮ハルヒにこれを提出した場合、機関や神人について追及される確率はほぼ百パーセント。よって歌詞を考え直す必要がある。』 で、あなたはそんな、涼宮さんに追及されるような歌詞を、旋律付きでデパート全フロアに放送して…『安心して。涼宮ハルヒと過去・現在・未来に、接触していた・している・するであろうと思われる有機生命体は、この放送を聞くことができる範囲から既に排出してある。』なんで、そこまでして… 『早く来て…お願い』 お願い、って、そんな所だけ、いきなり元の声に戻して、かわいい声でかわいく言って、僕がほだされると思ったら、大正解なんだからな…我ながら阿呆だ、と思いつつ、へばり付いていた床から立ち上がる。『でないと、次のページにある、あなたのポエムを読み上げ』「それだけは!俺の人生の汚点!!」思わずいつもとは違った一人称を吐きながら、残りの階段を駆ける。 迷子センター、と書かれたプレートが提げられた部屋の扉を勢い良く開ける。「なが」「パパ!」僕が呼ぶより先に長門さんは、部屋の隅に備えつけられたマイクの電源を切り、僕の方に走ってくる。「パパ!?」「良かった…私、ママみたいに、パパにも捨てられちゃったのかと思った…」ぐすん、と鼻をすする彼女の目に、涙は無い。 ぬいぐるみやおもちゃの側に佇む、この店の制服を着た女性が、「え…パパ…?名字が同じって、兄妹だとばっかり…若っ…父子家庭?どうりでやんちゃな…」と、困惑した表情で呟いた。多分、長門さんの暴挙を止めようとして、とばっちりを受けたのだろう。「誤解されるようなこと言わないでくだ…言うなよ、全く」こつん、と軽く彼女の頭を小突いて、店員さんに頭を下げる。「妹が、大変なご迷惑を掛けてしまったようで…本当に申し訳ありません」「本人もこのように反省してることですし…」「お前のことだろうが!」演技でも兄妹のフリでも無く、本気で怒鳴る。すると、先程まで嘘泣きをしていた長門さんがびくりと肩を震わせ、見間違いでなければ、その目は今にも泣きそうに揺れて…え…?「ほら、謝って」僕は、彼女の頭からニット帽を外し、手を添えて下げさせた。思いの外、優しい手つきになっていた。「ごめんなさい…」小さな小さな声。「…まあ、反省しているのなら…それに、あなたの娘さん…じゃなくて妹さんは、この子のために」 店員さんはそう言って、マイクをいじって遊んでいる、幼稚園の制服を着た女の子を指し示した。「この子、お母さんとはぐれて泣いていたらしくて、それを見つけたあなたの妹さんがここに連れて来てくれたんです」女の子がマイクから離れ、長門さんの方に来たので、僕は彼女の頭から手を退かす。「お姉ちゃんねー、あたしがずっと泣いてたから、笑わせようとしてくれたんだよ~!イツキンキン、すっごくおもしろかった!」女の子の頬には涙が流れた痕があったが、今の彼女は泣いておらず、それどころか心底楽しそうに笑っていた。「そう…だったんですか…」「うん!だからお兄ちゃん、あんまりお姉ちゃんを怒んないであげてね」ねー、お姉ちゃん!と女の子に声を掛けられた長門さんは、恐る恐る下げていた目線を上げ、僕の方を見た。「ごめんなさ…」「もう怒っていませんよ」彼女の頭を撫でる。意識せずとも自然に優しい笑顔ができた。そうしていると、女の子が、「あれ~?お姉ちゃん達、ほんとに兄妹?なーんか、ちょっと違う~」最近の子はませてるなあ、と思っていると、店員さんまで僕達を見て、くすっと笑った。 「この子の母親が現れるまでここにいる」「ええ、そうしましょう」「妹さんがマイクを乱用していたせいで、この子の迷子のお知らせができなかったんですけどね」「…ごめんなさい」「本当に…申し訳ございません…」「あはは!いいよいいよ!ねー、お母さんが来るまで一緒に遊ぼ~!」もう一度店員さんに揃って頭を下げ、僕達はその女の子と絵本を読んだり、積み木でお城を作ったりして遊んだ。しばらくすると、放送を聞いた女の子の母親が、部屋に飛び込んできた。顔を真っ青にして、自分の娘を必死に探し回ったのだろう、額に汗をかいていた母親を見て、僕と長門さんは、土下座してでも謝らないといけない、と正座をしたが、「あたしが泣いてるとね、このお姉ちゃんがここに連れて来てくれたの!でね、お母さんを待ってる間、お姉ちゃんとお兄ちゃんと遊んでたの~」と女の子が言ったのを聞いて、その子の母親の方が僕達よりも先に頭を下げてしまった。「本当に、うちの子がご迷惑を…」「いえいえ、どうかお気になさらず」「私達も楽しかった」「ほんと!?じゃ、また一緒に遊んで!」「こらっ!いい加減にしなさい!」 「ど、どうか、お嬢さんを怒らないで下さい…非があるのは僕達の方で…」「そう」事情が解らず、首を傾げる母親に、心底申し訳ない気分で俯く。迷子センターの店員さんにも彼女は頭を下げ、それから女の子の手を取った。僕達も退室する。「娘の相手をして下さって、本当にありがとうございます。すみません、デートの邪魔をしてしまって…」いやデート違う。違う、違うって。兄妹だってば。「ばいばーい!お姉ちゃん、お兄ちゃん!」「さようなら」僕が母親に否定するより先に、女の子が大きく両手を振って、長門さんは小さく手を振り返した。母親と女の子の姿が見えなくなってから、僕は長門さんに頭を下げた。「すみません、事情も聞かずに怒鳴ったりして」他人の引き出しから物をすくねるのはどうかと思うけれど、悪いことをしてしまったな、とも思うのだ。すると、空気が動くのを感じて、目だけで前を見ると、「謝るのはあなたではなく私。ごめんなさい」長門さんも頭を下げていた。「夕飯、なんにしましょうか」彼女に頭を上げてもらうために、微笑みながらそう言ってみる。「ここで食べて帰ってもいいですね」「カレー」「あ、駄目になった卵買いに行かないと…オムライスなんてどうでしょう」「オムカレー」 「…そんなにカレーがお好きですか」苦笑しながらそう聞くと、長門さんは僕をじっと、一分は軽く越す間無言で見つめ、それからふっ、と口元が緩んだ気がした。 「大好き」 大好き、と来たか。王様ゲームでも、彼女は同じ台詞を言わされていたけど、これは明らかに…なんというか、口調というか雰囲気というか…生き生きとしているように見える。一分間の睨めっこで詰まっていた息を吐き出して、いつもの笑顔を作る。イツキスマイルだ。「そうですか、それでは夕食はオムカレーにしましょう」「やった」「あ、危うく忘れる所だった」「何?」「マル秘ノート返して下さい」「なんのこと。私は知らない」「とぼけても無駄ですよ」「……チッ」舌打ちをして、長門さんは服の下からノートを出した。どこに入れてんですか。 僕達が近寄ると、エレベーターを点検し終わった業者のおじさんが、「こいつ、ずっと調子良く動いてたのにな…なんでいきなり点検しようと思ったんだ……?」 とぶつぶつ言いながら、扉に張っていた点検中の張紙を剥し、その隣では、「あ…動いた…!?」「何もしてないのに…結局原因はなんだったんだ?」と再び正常に動き出したエスカレーターに驚く従業員達の姿があった。「長門さん」「知らない」「まだ何も聞いていませんが」「……ごめんなさい」素直に謝ったので、それ以上責める気にもならず、エレベーターに誘導する。「ところで、五千円で足りましたか?」長門さんが持っている、制服と買った物が入っている店の紙袋を見る。「足りた」「そうですか」「AAカップ」「………」う、なんて言おう、いや、この場合、何を言っても逆鱗に触れるだけか?と僕が冷や汗を流すと同時に、エレベーターが一階に着いて扉が開いた。「あなたは大きさは重要ではないと言った。私もそう思う」何気無い表情の横顔がそう言ってエレベーターから降りた。その真意をどうにかして計ろうとしていると、危うくエレベーター内に取り残されそうになり、慌てて降りる。「外見にこだわるな、と。そう言うことですか?」「そうとも言う」 …そうとしか言い様が無いのでは?他に何か隠された教訓でもあるのだろうか、と考えていると、買い物カートに飛び乗った長門さんが食品棚が並ぶ隙間を巧みにすり抜けて暴走しだしたので、ちょっと目を離すとこれだ、涼宮さんが乗り移ったんじゃないのか、と慌てて後を追いかけた。 潰れた卵をかごに放り込んで、コーラを箱買いしようと、重いダンボールを片手で軽々と持って来た長門さんを説得して、『タイムサービス』を『玉乗りサーカス』と聞き違えて、わくわくしている長門さんを引きずってレジに並んで、食材を買うだけでなんでこんなにも疲れるんだ、と思いながらビニール袋を提げて店を出た。行きと同じで、帰りも運転手は彼女だった。 ただ少し、行きの道と違っていたことは、長門さんが国道では無く、田舎道を帰り道に選んだことだ。冬の澄んだ空にちりばめられた星が、夏休みに天体観測を行った時より良く見える。「綺麗」スピードも、帰りの方がずっと落ち着いている。「そうですね」運転手が真上を向いていると言うのに、全くふらつかない自転車の荷台で、僕は、次に彼女が前を向いたら、その頭に顎を乗せようと目論んでいた。 続く 「あ、今回は命令形じゃないんですね」「そう。そして続きが投下されるまで、私達はこの寒空の下永遠と自転車を漕ぐことになる」「凍死しませんように、補導されませんように」
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