「ねえキョン、古泉くんの恋人が誰だか知ってる?」
それは多分朝の何気ない会話の時の出来事だったんだろう。
ハルヒが突然切り出した、衝撃的な話題。
おかげで俺は今日のそのときまでの会話をさっぱり忘れてしまった挙げ句、これ以上無いくらいの呆れ顔をハルヒに晒すことになってしまった。
「……はあ?」
「あら、あんた、知らないの? ていうかあんた今凄く間抜けな顔しているわよ、まあそれはどうでもいいことだけど」
どうでもいいならわざわざ言うな。
「知らないも何も、古泉に恋人が居るなんて初耳だぞ」
古泉に恋人か……、改めて考えてみると、ちっとも想像がつかないな。
ハルヒ、それはおまえの勘違いじゃないのか?
「失礼ね、ちゃんと本人に聞いたのよ」
……ハルヒが言うには、今週末の市内探索に関する相談をしようと電話をしたところ、先約があるので断られたとのことだった。
態度がちょっとおかしかったので問いつめたところ、古泉がその先約がデートだということを白状した。
……ということだ。
「……ふむ」
「あ、デートを邪魔するのも悪いと思ったから今週末の探索は中止にすることにしたわ」
普通は先約って時点でそう考えないか?
気を遣うことを覚えたようでどこか抜けているあたりがやっぱりハルヒだよな。
いや、この際そんなことはどうでも……、よくは無いが、少なくとも今の状況には関係無いな。
しかし、古泉に恋人か。
想像が着かないな……、あいつなら俺達の知らない所で恋人を作るくらいのことはやってそうだな、なんて思ったのは何時だったろう。
今改めて考えてみると、その可能性は限りなく低いと言わざる得ない気がする。
古泉に、俺達の知らない所で特定の異性とお付き合いなんていうスキルが有るとは到底思えない。
あいつ、個人的なことに関しては案外不器用みたいだからな。
「でも、キョンも知らないってことはきっとこの学校の誰も知らないってことよね……」
「どうしてそうなる?」
「あら、違うの?」
「……違わないかもな」
まあ、そういうことも有るような気がしないでも無い。
俺は古泉のSOS団以外での交友関係をろくに知らないが、あいつが9組の男子生徒と恋人がどうのなんて話をするほど踏み込んだ関係の友情を築いているとは思えなかった。
のらくらと大した意味の無い話題を長く続けて誰とも近づき過ぎない距離を保つ。
本性は知らないが、俺の知っている範囲の古泉一樹はそういう奴だ。
「気にならない?」
「何がだ」
問う俺も馬鹿だと思うが、問わないと話が進まない。
というより、ここで俺が下手に関わる気は無いっていう意思をはっきり示すと、ハルヒが一人でどこへ飛んでいくか分かったもんじゃないからな。
絶対面倒なことになるって分かっているのになあ……。
「古泉くんの恋人よ」
「お前、他人の恋路の邪魔する気は無いって言ってなかったか?」
「邪魔する気は無いけど、興味は有るわよ」
「同じ事だろ」
「全然違うわよ!」
ハルヒが椅子を蹴飛ばし、立ち上がる。
教室中の視線が自分の方に集まろうとしているのに、気付いている様子も無い。
「お、おい」
「だって古泉くんはSOS団の副団長なのよ! その恋人よ! SOS団として見極める必要があるのは当然じゃない!」
……遅かった。
ここはどこだ?
教室だ。
時間は?
朝のホームルーム。
人は?
ざっと20人以上は居るな。
結論、古泉一樹に恋人が居るらしいということがクラス中に伝わっていた。
古泉はこのクラスの人間じゃないが、SOS団は校内で知る人が居ないほどの有名人で有り、かつ古泉は男の俺が恋人が居ても友達として紹介したく無いと思えるようなハンサムと来ている。
一部の女子達のざわめきにちょっぴりしんみりムードが漂っているのが、雰囲気だけで伝わってくる。
お前等あんな奴が良いのかよ。
「ね、ねえ、涼宮さん……」
遠巻きに見る一人ではなく、最近割とハルヒと仲よさげな阪中が、何時の間にか俺たちの近くにやってきていた。
「何、阪中さん?」
「あ、あの、古泉くんに恋人が居るって……、本当なの?」
「本当よ。本人が言ったんだもの。週末はデートだって」
阪中のちょっと沈みがちな声と表情の意味になんて全然気付かないまま、ハルヒがそう言い切った。
でかい声で。
……あほだ、この女。
「そ、そうなんだ……」
「もしかして阪中ちゃんも気になるの? 古泉くんの恋人のこと」
「え、あ、まあ……」
ハルヒと阪中の『気になる』には天と地どころじゃない差があると思うんだが。
あー、ドアの所に居た女子が別のクラスの生徒と話しているな。
この調子じゃ、今日中に学年中どころか学校中にこの話題が広まってそうだ。
「じゃあ、一緒に調べましょう!」
「え、え……」
「落ち着けハルヒ、阪中も席に戻れ、もうすぐホームルームだ」
俺はハルヒの腕を引っ張り、漸く現れた担任の方を指差した。
ホームルーム前のお喋りは、一時間目に持ち越された。
授業はどうしたのかって? 自習だったんだよ。
教師が居ないとなれば寧ろありがたい時間なんだが、今日の俺の気持ちはブルーだった。
「古泉くんに恋人、かあ」
「そう、恋人よ。気になるわよね。キョンも気になるでしょ?」
「あのなあ……」
「何よ、気にならないって言うの? 親友なのに関心も無いなんてサイテー」
そりゃどういう理屈だ。
というか勝手に親友扱いするな。
ああもう面倒くさいな。
「友人だからこそ見守る、ってのも有りだろうが」
「SOS団の団員としての職務放棄よ」
おいおい……。
「とにかく、あたしは調べるからね。あ、阪中ちゃんも一緒に調べるでしょ?」
「……え、あ……。そうするのね」
……頷くなよ。
「後で有希にも聞いてみないとね。みくるちゃんは補習が忙しいって言っていたから良いわ。5人じゃ多すぎるしね」
5人って……、ハルヒ阪中長門……、って俺を勝手に加えるなよ!
「団長命令よ!」
俺の訴えを無視するかのようなハルヒの宣告が教室内に響き渡った。
その後の休み時間毎に繰り返されるハルヒと阪中の相談にもならないような実りの無い話を右から左に流しながら、俺はハルヒが長門に話し掛けに行くために教室を出た隙に一通のメールを送った。
気が重い。
帰ってきたハルヒがちょっと不服そうな表情だ。
どうした?
「有希は来れないって言ってたわ」
「長門が?」
「家の用事だって、それじゃ仕方ないわよね」
……長門が、家の用事。
「そっかあ、長門さん来れないんだあ」
「有希は頼りになるから来て欲しかったんだけど、家の用事じゃ仕方ないわね。3人で行きましょう」
デートの場所さえ突き止めてないのに後をつける事が決まっているというあたりが実にハルヒらしい。
「どうやって場所を調べるんだよ……」
「あんたが聞いてきなさい」
ハルヒはびしっと人差し指を俺に突きつけた。
おいおい……、まあ、そんなことだろうと思っていたけどな。
「あたしや有希には無理でも、あんたになら話してくれそうだものね」
……ここで反論するのは止めておこう。
これで俺と古泉が普通の文科系クラブのたった二人きりの男子部員部員同士で、ハルヒと長門もその仲間ってことなら、その理屈はまあ成り立たない事も無いだろうよ。
それに、妙な手段で調べようとするよりは良いさ。
俺も奴に聞きたいことが有ったしな。
昼休み、俺は屋上に居た。
メールで呼び出した人物に会うためである。
「こんにちは、あなたから呼び出しとは珍しいですね」
待つこと10分。
俺が出来るだけ早めに昼食をかきこんだのとは対照的に、そいつはゆっくりとやってきやがった。
時間帯からして、昼食は学食で普通に食ってきたんだろうよ。
くそ、こういう時にこそ気を遣えよな。
「用件はわかっているんだろ」
「ええ、まあ……、それにしても、噂が広まるのは早いですね、2時間目が始まる前にクラスの女子に聞かれましたよ」
古泉は、何時ものすまし顔を欠片ほども崩していない。
計画通りってことか。
「なんて答えたんだ?」
「ノーコメントを通させていただきましたよ。その場で答えるわけにはいきませんでしたから」
「どうせ相手は機関の人間なんだろ?」
古泉に恋人が居るわけない。
もしまかり間違って居るとしても、古泉がそんな相手が居ることをハルヒにばれるようなミスをするわけが無い。ハルヒに知られたら何が起こるか分かったものじゃないからな。
それなのにわざわざデートだなんて言ったんだ。家の用事だとか前の学校の友達と会うとでも言ってごまかせば良い所を、わざわざだ。
これは古泉のシナリオなんだ。絶対にそうだ。
「いいえ、違いますよ。機関の関係者では有りません。生徒会長のような機関の協力者でも有りません」
「……何だって?」
古泉の答えに、俺は目を見張る。
「相手はこの学校の生徒です。あなたも知っている人ですよ。待ち合わせの場所はお教えしますが、その後のご判断はあなた方にお任せします」
古泉の口調は流暢だ。
用意された文章を読み上げる様子がこれが何かの仕込みであることを裏付けていくが、その裏が見えない。
俺が知っている相手?
誰だ、一体。
古泉が教えてくれる場所を耳にしながらも、俺の頭の中はぐるぐると意味不明なところを回っていた。
よくよく考えてみれば、古泉が最初から俺に全部のネタをばらしてくれるとも限らないしその理由も無い。俺が知らない方が都合がいいとなればあいつは俺に嘘を吐くこともあるだろう……、という感じで、俺はとりあえずの思考の落しどころを見つけることは出来た。
納得はしたくないが、理解は出来るさ。
長門に関しても、古泉が巻き込み済みってことだろう。
ハルヒのご機嫌取りのため、強いてはこの世界の存続のためということだったら、長門も古泉に協力するかも知れないからな。
さて、時間はあっという間に過ぎて土曜日になった。
「今日は一日古泉くんのデートを観察よ!」
コンピ研部員の一人から借り上げた小型のデジタルビデオを片手に、ハルヒが高らかに宣言する。
人として倫理観に問題ありそうな事を堂々と口に出来る辺りが実にハルヒらしい。
俺はもう恥ずかしいのを通り越して諦めムードだし、阪中は勢いに巻き込まれてついて行くのがやっとだし……、こんな状態で本当に隠れて一日あとをつけるなんてことが出来ると思っているのか、ハルヒは。
いや、思っているんだろうが……。
「涼宮さん、声が大きいのね。見つかっちゃうよ?」
「そ、そうね……、こっそり行きましょう。キョン、待ち合わせ時間は後30分後だったわね?」
「そうだよ」
待ち合わせ場所はここ、何時もの駅前。
時間は午前10時。今はその30分ちょっと前、時計は9時27分をさしていた。
「じゃあ、隠れて待ちましょう。早く来るかも知れないし」
いつもの市内探索の勢いだったらもうとっくに集合して出発してもおかしくないところだな。さすがに今日に限ってそんなことはないだろうが。
俺達が物陰に隠れて待っていると、古泉がやって来た。
相変わらずの爽やかスマイル美少年が、その笑顔に相応しいような格好で立っている。
「古泉くん、カッコいいのね……」
阪中が呟く。ハルヒも無言でうんうんと首を上下に動かしている。
くそ、何だかむかつくな。
「あ、誰か来たみたい」
阪中が、古泉の方へやって来る人物を見つけた。
真っ直ぐな長い黒髪を持った、笑顔の似合う少女。
遠目からでも、誰か分かる。
「鶴屋さっ……、ちょ、なにす……」
俺はハルヒの口元を手で覆い、すぐに離した。
「声を落せ、見つかりたくないんだろ」
振り返ったハルヒに、小声で言ってやる。
「そ、そうだったわね……」
ハルヒが、声のトーンを落す。
「……知り合い、なの?」
「ああ、一年先輩の人だ。鶴屋さんって言ってな、SOS団の団員じゃないが名誉顧問なんだよ。古泉とも知り合いだな」
鶴屋さんのことを知らない阪中に、簡単に説明してやる。
「そうなんだ……」
阪中が肩を落す。
ああ、そうか、阪中は古泉に本当に恋人がいるって思っていたんだよな……、当たり前だが。
ちょっと言い方を考えた方が良かったかもな……。すまん、阪中。
しかし、鶴屋さんか……、これもやっぱり、古泉の作戦のうちなんだろうか?
鶴屋さんだったら、妙な話にも乗ってきそうだしな……。
いや、でも、これがハルヒに知られたら、あっという間に学内公認の仲になりそうなんだが……、うーん、二人の考えている事がイマイチ分からないな。
「あ、キョン、阪中さん、二人が移動するわよ」
考えあぐねいている俺の手を、ハルヒが引っ張る。
仕方ない、考えるのは後でも出来る。
今はハルヒの尾行とやらに協力してやるか。
古泉と鶴屋さんが、俺達の前を歩いていく。
鶴屋さんは何だかとても楽しそうで、古泉は古泉でそんな鶴屋さんを笑顔で見守る感じだ。
認めるのは癪だが、傍目に見るとお似合いなカップルにしか見えない。
「何だか良い感じねえ」
「……うん、そう思うのね」
ハルヒが呟き、阪中が頷く。
俺もまあ、反論するのは辞めておいた。
ある服屋にて
「ねえねえ一樹くん、こういうのはどうだい?」
「ちょっと派手じゃないですか?」
「いやいや、一樹くんは派手なのも似合うと思うよー、何せカッコいいからね」
鶴屋さんが豪快に笑う。
店内に響き渡る声で言っているので、最早惚気でしかない。
鶴屋さんには何の罪もないし勿論嫌味も無いが、俺の右隣の女の子の雰囲気がそろそろブルーからグレーへ差し掛かりそうだ。
ハルヒは一応阪中の様子には気がついているようだが、どうも好奇心の方が勝っているのか、俺や阪中の方には余り関心をはらわないまま、どんどん古泉と鶴屋さんの方を追っていく。
おいおい、あんまり近づきすぎるなよ。
服屋を何件かハシゴした後はちょっとあやしい雑貨屋とか、喫茶店とか、水族館とか……、なんというかもう、極めて普通のデートコースだった。
普通じゃない事といえば時々鶴屋さんが豪快に服を買い上げていたりとか、ファミレスで全メニュー制覇の勢いだった事くらいである。
ちなみに最初はほんのちょっとだけ距離を開けていた二人は、雑貨屋を出た後で手を繋ぎはじめ、ファミレスの後は腕を組んでいた。
普段だったら俺もむかっ腹が立つところなんだろうが、右隣のグレーモードに対処しつつも左隣の早足というか勇み足を諌めるのがいっぱいいっぱいで、個人的な感想を抱いている間もなかった。
二人が幸せそうに見えたから、というのもあるのかも知れないが。
「いやあ、今日はとっても楽しかったよ、ありがとね」
大分家の近くまで歩いてから、人気の無い十字路で立ち止まり、鶴屋さんは古泉に向ってそう言った。
ちなみに俺達は電柱の影だ。
どう考えてもバレバレだと思うんだが、二人が気がついた様子は無い。
……いや、そういう風に振舞ってくれているってことなんだろうが、改めて考えてみると無茶苦茶恥ずかしくてあほらしいな、この状況。
「いえいえ、こちらこそ楽しかったですよ」
「そう言ってもらえるとこっちも嬉しいよ。月曜日、また学校でね」
お別れの時まで、二人は笑顔だ。
まあ、明日学校で会うのは確かだろうが。
「ええ、またお会いしましょう」
「あ、ちょっと待って」
帰ろうとした古泉を、鶴屋さんが呼び止める。
振り向いた古泉の首に、鶴屋さんが両手を伸ばす。
これって……。そう、考える間でも無い。
二人の唇が、ゆっくりと重なる。
重なってから離れるまで、ほんの数秒。
俺達三人が呆然とし、古泉までもが目を丸くする中、鶴屋さんだけが笑顔だった。
でも、その顔が遠目で見ても少し赤く見えるのは、夕日のせいだけじゃ無さそうだ。
「忘れ物だよっ」
鶴屋さんが、極上の笑顔で言った。
「あ……、ありがとう、ございます」
こういう時は礼を言うものなのか?
俺も良く分からないが。
「別に、お礼なんて要らないよ。じゃあ、またね」
「ええ、また」
今度は古泉が、鶴屋さんの頬に触れる程度のキスをした。
鶴屋さんの顔が、自分からキスをしたときより赤い。
驚愕のまま何もいえないハルヒともうグレーモードどころじゃないんじゃないかという阪中を横目に、俺は、乙女心って不思議なんだな、なんてことを思ってしまった。
二人が別れて、俺達だけがその場に残された。
「何だか、とってもお似合いだったのね……」
「……そうね」
「さて、俺たちも帰るか」
阪中を慰めつつ、俺達も帰路に着いた。
ハルヒが今日撮影した映像をどうするかが気がかりといえば気がかりだが、余り心配はしていない。
あの二人は多分、俺達に気付いていた。
だから、ハルヒがこの映像をばら撒くのなんてとっくに分かっているはずだ。
だが……、ハルヒは果たして、この映像を公開するんだろうか?
グレーモード続行中の阪中を見ていることや、最後のキスへの反応を考えると、このまま仕舞っておきそうな気もするんだが……、まあ、それならそれで、いい。
……はず、だよな?
俺は疑問を持ちつつも、その日はそのまま帰宅した。
翌日、俺は何時もの待ち合わせ場所にいた。
探索も何も無いが、今日は呼び出した人物を会う必要があった。
電話よりも出来れば直接聞きたかったし、出来れば邪魔が入らない方が良い。
「お待たせしました」
「遅れたからお前の奢りな」
時間ぴったりに来やがった古泉に、俺は告げる。
「……分かりました」
苦笑いを浮かべつつ、古泉が頷く。
俺達は、何時もと違う喫茶店に入った。
実は今日は一つだけ細工をしてあるが、古泉には明かしていない。
まあ、その細工が不要な可能性も有るんだが。
「……種明かしをしてもらえるか?」
言葉も交わさないまま勝手に注文した俺は(古泉も便乗して注文はしていたが)、開口一番そう切り出した。
「種も何も、見たままですよ」
「……」
「僕と鶴屋さんが高校生の男女として健全なお付き合いをしている。……それでは納得出来ませんか?」
「……出来るか」
出来るわけがない。
古泉は謎の組織である機関の一員で、鶴屋さんは謎の組織のスポンサー筋である鶴屋家のお嬢さんだ。
そして俺は詳しい事情は全く知らないが『機関』と『鶴屋家』の間には、お互い必要以上関わらないという取り決めがあるとのことだ。
勿論古泉と鶴屋さんがそんなことを気にしていない、という可能性も無きもしも有らずだが……、それにしたって、二人が普通の高校生のように恋人同士だとかいうのはさすがに行きすぎだろう。
もしかしたら二人の間に恋愛感情のようなものがあるのかも知れないが、だとしても、二人ともそれを周囲にばらすような事はしないだろう。
それがお互いのためだ、違うか?
それに古泉は元よりポーカーフェイスだし、鶴屋さんも系統は違うがちょっと似たようなところがあるから、隠すのが難しいとも思えない。
「まあ、あなたには出来ないでしょうね」
「だったら、出来ませんか? なんて聞くな」
「それもそうですね」
古泉は笑う。
軽やかだが、どこかぎこちない笑い方だ。
自嘲気味と言っても良いかも知れない。
俺は、続きを待った。
古泉は言いたいことがあればこっちが聞かなくても勝手に語るし、言いたく無いならどんな聞き方をしても絶対に言わない。そういう奴だ。
だから俺の方からこれ以上訊くことはない。
「……まあ、簡単に言えば風除けです」
「どっちのだ?」
「お互いの、ですよ。僕にしろ彼女にしろ、普通に相手を探したり恋をしたりするようなことが出来るような自由な立場では有りません。自発的な部分はまあ抑制すればどうにかなりますが、よって来る人への対処という問題も有ります」
前半は同情してもいいが、後半は羨ましい発言だな。
「よって来るのが恋愛感情を持った相手とも限らないでしょう」
「……」
「色仕掛け、というほど直接的なことをしてくる相手はいないでしょうが、何らかの意図を持って近づいてくる相手という場合も考えられますからね。……勿論『機関』も『鶴屋家』も怪しい人物は大体把握しているわけですが、取りこぼしが無いとも限りません。用心するに越した事は無いんですよ」
「……」
「反対に相手が普通の人だった場合ですが。……敵対する人間などに利用される可能性を考えると、そういう人と不用意に親しくするわけにもいかないんです」
「……」
理屈は分かる。
古泉が他人との関係に深入りしないように、多分、鶴屋さんもそうなのだろう。
彼女は彼女で、事情を抱えている。
朝比奈さんを始めとする俺達SOS団と仲良くしているのは、俺達がそれ相応の背景を持っているからだし、そのSOS団に対しても、彼女はある程度距離を置いて接している。
「僕と彼女だったら、まあ、学年は違いますが一応SOS団という接点が有りますから、個人的に付き合う分には、そうおかしいところは有りません。……勿論『機関』と『鶴屋家』の間の関係を知っている人もいるでしょうが、高校生である僕等がほんの少しばかり逸脱するような関係を築いていても、それぞれの背景事情に対するちょっとした反発程度に思われるだけでしょう」
古泉はすらすらと語っていく。
まるで、それが何かのシナリオであるかのように。
……これは、誰が用意した台本だ?
自分の気持ちを正当化するためにわざわざ台本が必要だなんて馬鹿な状況、一体誰が用意したんだ。
何時からかとか、告白はどっちからかなんてことを、俺は聞かない。
重要なのはそういうことじゃない。
俺は鶴屋さんが本気のような顔をいて冗談を言える人だと知っていたが、あのときの彼女は、本気だった。
頬を染めてはにかむように笑う彼女は、恋する一人の少女だった。
……お前だって、そのくらいのことは分かっているんだろう?
「彼女とは、これからもお付き合いし続けていくつもりですよ。何事も無ければ、彼女の高校卒業まではこのままでしょうね」
そうして、卒業と共に終わりに向わせる。
それが、お前の考える台本なんだろうな。
お前と鶴屋さんが従いたくない、でも、周囲を納得するために用意したシナリオなんだよな。
ああ、お前の気持ちの方はとっくに分かっているさ。
分からないほど短い付き合いだと思っているのか?
「……僕から言えるのは、このくらいですね。質問は有りますか?」
「質問は無い。ただ、一つだけ、言わせてくれ」
「はい、何でしょうか?」
「絶対に、鶴屋さんを傷つけるような事をするなよ」
「ええ、勿論。……誓っても宜しいですよ」
そう言った古泉の目は、笑っていなかった。
こいつも、俺の言いたいことなんてとっくに分かっているんだろう。
分かっているからこそ……、ってことか。
結局その日は、そのまま古泉とは別れた。
聞きたい事はまだ少し有ったが、聞かせてもらえるとも思えなかったし、多分、それは、言葉にしてはいけないことなんだろう。
一応盗聴防止のために長門に協力してもらっていたんだが、その必要も無かったみたいだな。
翌日、ハルヒは映像を記録したメディアを持ってこなかったが、阪中がぽろっとクラスの女子に話した一言から、古泉と鶴屋さんが付き合っているということはあっという間に学校中に伝わってしまった。
恐ろしいな噂の伝播力。いや、SOS団の知名度が高すぎるだけか?
俺は落ち込む阪中を慰めたり、驚きつつも除け者にした事にちょっと文句を言ってきた朝比奈さんを宥めたりしつつ、今後の事をぼんやりと考えいてた。
まあ、話は聞きだしたが、今のところ俺に出来ることは無い。
今のところは、だけどな。
さて、後日談として付け加えるならば、鶴屋さんが文芸部室に顔を出す機会が増えたとか、SOS団の活動に加わることが増えたとかいうことくらいだろうか?
とはいえ、それもほんのちょっとばかりなんだけどな。
二人の健全なお付き合いとやらは、今も継続中のようだ。
時々鶴屋さんがハルヒや朝比奈さんにからかわれて頬を染めたりするところを見るのは微笑ましいし、古泉をからかってみるのも結構楽しい。
ああ、俺のすることは決まっている。
何時になるかは知らないが、二人の間に妨害が入りそうになったら、全力でハルヒをたきつけて、どうにかしてやる。
滅多に他人の協力を本気で仰いだりしなさそうな古泉と鶴屋さんのためなんだ、このくらいはしてやるさ。借りもあるし、友情のためでもある。
まあ、俺が動く前にハルヒが勝手に動く可能性も高いんだが……。
だが、それはもう少しだけ先の話しだ。
今はまだ、多少羨ましいという思いを持ちつつも、このお似合いなカップルを眺めていようと思う。