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「水晶の夜⑦」(2020/03/07 (土) 01:28:05) の最新版変更点
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<p> </p>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうせおまえに秘密を持とうとしても不可能だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「そうやって、誰彼かまわずやさしくするから…。そういうところが君は無責任なのよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">昔床屋で読んだ漫画のセリフを引用しただけなんだけどな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「せっかく言うべきことを言えたと思ったのに…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきあなた、おれがやったことを非難してませんでした？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけど、この子はどこで電話してたの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうでもいいでしょう、そんなことは。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「確かにどうでもいいことね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし店員たちの反応は店長のそれとは違っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この子が長門さん……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんてきれいな子……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「さっきの子とはタイプが違うけど……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
たしかにこいつもハルヒもどこに出しても美少女で通る容姿をしてますがね、二人とも自分の外見なんかどうでもいいと思ってますよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「美少女…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なに照れてやがる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんがちらりとこっちを見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「君の前ではそうでもないみたいよ………、」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうですかね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「二人ともね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「外見などどうでもいいと思っているのはあなたの方。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まあ、おれみたいな平凡な容姿の男が自分の外見なんか気にしても仕方がない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえらとは違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒはあなたのことを面食いだと言っていたがわたしは違うと思う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは佐々木某という美少女の同級生と友達づきあいを一年間続けていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それも、週三回必ずあなたの自転車の荷台に乗せるという友達づきあい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ともだちづきあい」という発音に皮肉っぽく力がこめられているような気がするのは俺の気のせいだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「しかも卒業以来一度も会おうとしていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女とのつきあいをぴたりとやめてしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたにとって女性の顔とは個体識別の記号でしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰だかわかればそれでいい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんだそりゃ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何が言いたいのかわからん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは朝比奈みくるの胸を見ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒの全身を舐めるように見る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしの目しか見ない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「愚痴を言いに来たのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それだけではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんに言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「こいつは買い物に来たわけじゃありませんよ。いいんですか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もちろんかまわないわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが最初に声をかけたのは涼宮ハルヒだけではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">佐々木のことか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたは中学時代の涼宮ハルヒと別れた後、その足でわたしのところに来た。わたしはいきなり声をかけられた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「インターフォン越しにな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたはわたしの部屋に入ってきた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「入れと言われたからな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしの部屋で寝た。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「寝ただけだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「朝比奈みくると同じ部屋で……」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことを言いにきたのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それから、こういう所に制服で来るのはよせ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんをちらりと見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや……、うちとしてはかまわないわよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もしこの衣服があなたにとって不必要だと言うのなら……、」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「振り向いたりしてやらねえからセーラー服の縫合連結を解除するな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「チッ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">舌打ちするな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒのやり方をまねてみた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だから何しに来たんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたにお願いを言うため。許可を。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いいだろう。ただしハルヒが来る前に帰れ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ちょっとそれはひどい……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">という声が店員の間からした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長がその店員をたしなめた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「これは言わなきゃならないことよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「時間がない。なんだ願いってのは？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしを、涼宮ハルヒのバックアップにしてほしい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「はぁ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何を言い出すんだこのバカ女は…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「人間にバックアップがあってたまるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしは人間。人間のわたしにバックアップがあった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒにバックアップがあってもおかしくない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒがいない時、わたしを利用してほしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしと涼宮ハルヒはよく似ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">かならずあなたの役に立つはず。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえとハルヒが似てるかよ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうね。さっき誰かが言ってたけど、全くタイプの違う美少女だわ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰もが明るくなれるようなオーラをもった子と、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰もがじっとみつめたくなるような雰囲気を持った子。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">例えていえば……、春日と雪？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そういう意味ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしと彼女には共通点がいくつかある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なによりも、この上なくあなたに忠実なこと。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それは違うぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なぜ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「『この上ない』っていうのは『それ以上ない』っていう意味だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『それ以上ない』っていう存在が二つあるのは言葉の矛盾だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ならばわたしは涼宮ハルヒ以上にあなたに忠実。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
彼女が『あなたのものになりたい』というのは、そうなればずっとあなたのそばにいられるという程度の意味しかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしは違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしのは言葉通りの意味。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">近代的所有。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ、その意味がわかって言ってるのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「無論わかっている。あなたはわたしを貸与することも、売却することも、譲渡することも、処分することもできる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「奴隷になるっていう意味だぞ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「歴史上人身売買が公に行われたことのないこの弓状列島の住民は、奴隷という意味がよくわかっていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">日本語で言えば家畜という概念に近い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
涼宮ハルヒはあなたに、『自分が見ている前で古泉一樹とキスしろ』と命令されたとしても絶対にできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしにはできる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
なぜなら、わたしは自分の尊厳どころかあなたの安全よりもあなたの命令を優先させたから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたの危険を承知でスピーカーボタンを押した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門……、今すぐおれの有機連結を解除しろ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…何故？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令に理由を尋ねるな！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………、そんなことをする意味がわからない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえはおれの安全よりもおれの命令を優先するんだろう？ やれ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「推奨しない。そのようなことをしても何にもならない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「推奨か……、要するにおまえのは意見なんだな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれが言ってるのは意見なんかじゃねえ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「決断だ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やれ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……………了解した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令解除だ。自分が死にそうな声を出すんじゃねえ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「い、いじわる……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえが家畜になるとかくっだらねえことを言うからだ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……しかしこれで明らかになった。わたしと涼宮ハルヒはよく似ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">バックアップになれてもおかしくない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「似ているっていうことは違うっていうことだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「無論違う部分もある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">男性にとって好きということは見るということ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「まあ、そうかもな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは朝比奈みくるの胸と、涼宮ハルヒの全身を見る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしの目しか見ない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それはさっき聞いたぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「朝比奈みくるは胸のあたりがいやらしい体つきをしている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒは全身がいやらしい体つきをしている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そ、そうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしの体つきは全くいやらしくない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「…………あなたは、わたしが拗ねたらどんなことをしでかすか、よく知っているはず。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おいっ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ジョーク。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえのやり方はハルヒのやり方より怖ええんだよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何がどう違うんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒはあなたを拉致監禁した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしは彼女をあなたのそばから遠ざけただけ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それだけなのにあなたはひどくうろたえた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたのすぐそばに、長門有希がいたのに…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ、あの時のことを根に持ってるのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「少しだけ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……そうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「しかし五月のあの日、あなたは監禁されているにもかかわらず呑気に茶などすすっていた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが呆れたような声を出した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「たいした度胸ね、君。監禁されているのに相手が出すものを口に入れたの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あいつがおれにお茶なんか淹れてくれるわけがないでしょう？ 自分で淹れたんですよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたは彼女がそばにいさえすれば、どんな場所に放り込まれても平気な顔をしている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしはあなたの環境を激変させたわけではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒを少しの間隠しただけにすぎない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それだけであなたらしくもなくひどくうろたえた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしのやったこととと涼宮ハルヒのやったことはまるで変わらない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたのそばから親しい女性を全て排除しようとした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたの態度の違いはそばに涼宮ハルヒがいたかいないかの違いにすぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……おれは遊園地でママとはぐれた子供か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしたちはよく似ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたと直接対決するのではなく、別の方法を使ってあなたを手に入れようとした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">二人とも臆病者で卑怯者。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あなたには直接危害を加えることができず、あなたをとりまく環境の方を変えようとしたところまで似ている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あの十二月、朝倉に刺されたな……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あ、あの時のことは反省している。一度許してくれたことを蒸し返すなどあなたらしくない……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あれやらせたのはやっぱりおまえか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう二度と、あなたが他の女のものになるくらいなら殺そうなどとは考えない…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やれやれ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「考えるだけならいいさ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「え………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえが何を考えようとおれがどうこう言えるわけがないだろう？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえにも心の中の自由っていうもんがあったっていいはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど二度と本当にやるな。やらせるな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「了解した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">本当にわかったんだろうな。こればっかりはどっちでもいいとは言えんぞ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「しかし彼女の作ろうとした世界もわたしの作ろうとした世界も長続きしなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">両方ともあなたの許可が下りなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたりまえだ。許可してたまるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やはりわたしたちは似ている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえのパーソナルネームを言ってみろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門有希。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつのパーソナルネームは？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う、とは？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは涼宮って呼ばれることを極端にいやがる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何故か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それは涼宮っていうのはあいつの名前じゃないからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつの家の名前、もっとはっきり言えばあいつの両親の名前だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">公衆の面前にも関わらず古泉に確認しないわけにはいかなかったことがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今日、あいつの弱さと対決しなくちゃならないかもしれないと思ったから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんな形でおまえに話すとは思わなかったが。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「その、確認しなくてはならなかったこととは？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは、自分の両親に対して複雑な思いを抱いている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからあいつはさっき俺に対して『あたしの名前を呼んで』と言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつにとって自分の名前は『涼宮』じゃなくて『ハルヒ』なんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
夏休みの最後の日、なぜあいつが自宅にいることではなくおれの家に来ることを選んだのかもこう考えれば辻褄が合う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あいつは夏休みのほとんどを家族と過ごすことではなく、俺たちと一緒にいることを望んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
思春期の女の子らしいと言えばそれまでだが、なぜあいつがあそこまでおれの家に入れたことをあんなに喜んだのか、それだけでは説明できない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「確かにそれだけでは説明できないわね…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが意味深長な目をして言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">実際にはおれの家だけじゃなくおれの部屋にも入れたんだけどな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">これは言わないでおこう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、人間は何で出来ている？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「有機物、アミノ酸の塊。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「テンペストだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「人間は夢と同じもので織りなされている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ。夢と同じものだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">情報だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人間は情報によってつくられている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれもおまえもあいつも同じだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「今日あなたは、涼宮ハルヒにあなたとの思い出という情報を取り戻させることによって、再び、いや三たび世界をとりもどさせた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おれに関する記憶なんていうものはな…、あいつを構成する情報のほんのわずかな部分に過ぎない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">結合しているとも言えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">髪留めの輪ゴムみたいなもんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなものがなくてもハルヒはハルヒだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そこをいじるなんてのはな…、髪型変えさせるのと同じだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「八か月半のあなたとの思い出をもたない彼女を、とうとうあなたは涼宮ハルヒと認めなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">存在することさえ許さなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつはどうなったんだ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの十二月の長門が今の長門にもどる瞬間をおれは見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしあのハルヒとあいつが同じものだとは俺にはどうしても思えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どこにもいない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この世界にいないだけではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あらゆる世界のどこにもいない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やはりな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなものは、おれのこだわりに過ぎない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ポニテでなくてもハルヒはハルヒ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれを忘れてもあいつはあいつだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつはそんなことにこだわっていない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことはどうでもいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「問題は、あいつを構成している情報の基本的な部分だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは文武ともに優秀な人間だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれなんか足元にも及ばないくらいな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのあいつが、なんでおれなんかの前でカッコつけたがる？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんな必要はないはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自信があるなら黙っていればいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜあいつは黙っていられない？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしからは言いたくない…、あなたが言って。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが…、」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「中島敦『山月記』。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「主人公はどんな性格か。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「性、狷介。自ら恃むところすこぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「自信のバケモノだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">例えとはいえあいつをバケモノと呼ぶのはどうしてもいやだった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどこの言葉じゃないとどうもしっくりこない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから早めに買わされた二年生の現代文の教科書にあった小説を引っ張り出した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけど李徴の内面にはひどい不安があったことが読み進めていくとわかる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何故か。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜ自信のバケモノみたいな男の内面に不安があったのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この矛盾をどうアウフヘーベンする？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「逆転。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ。李徴は自信のバケモノなのに内面に不安を抱えていたわけじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">内面に不安を抱えていたからこそ自信のバケモノになった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ならなきゃならなかったんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分には才能がないんじゃないかっていう劣等感。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど劣等感っていうのはただ自分が劣っていると思えば生まれるものじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">少年野球の選手は決してイチローに劣等感を抱かない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど自分より年下で上手い奴には劣等感を抱く。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">劣等感の裏側には必ず優越感がある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">先に野球を始めたから自分の方が上手いはずだっていう思いがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">郷党の鬼才と呼ばれた李徴には周りの人間に対する優越感があった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからこそ自分に才能が無く、他人にあることが許せなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">優越感と劣等感の複合体。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">コンプレックスだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それが李徴に周りに自信があるようにふるまわせ、内面の不安を押し隠させた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あえてトゲで全身を覆い、他人を傷つけて周りから排除し、自分が傷つくことを防ごうとした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒはおれに対して上から目線でしかものを言えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">じゃあその根拠はなんだ？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何であいつがおれより偉いんだ？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">容姿がすぐれているからか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">勉強ができるからか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">スポーツができるからか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">歌がうまいからか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒはあなたに絶対にそんなことは言わない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたにそんなことを言っても素直に尊敬されるだけ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは他人の長所をそのまま受け入れる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">李徴とは正反対の性格。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんな人に、だから言うことを聞けなどというのはあまりにも恥ずかしい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今日はじめてあいつはそんなことを言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
嘘をつくためにわざわざそんなことを言ったことから、かえってあいつの普段の態度が浮き彫りになった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつの権力の正統性、それは一つしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『団長』だからだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ＳＯＳ団の団長という役職は涼宮ハルヒ以前には存在しない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">歴史的権威がない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その役職には何の職業カリスマもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
だけどそんなものをあなたに向かって振りかざすことによって、あなたに可愛げのようなものを感じ取ってもらいたがっている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">可愛げねえ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんな単純なものじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">中学時代のあいつは孤独だった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのころのあいつにとって支えになっていたのは…」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ジョン・スミスだけだった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「自分にしか関心のない人間は、いくら有能であっても政治的には無力なんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">というより、人間関係を取り結ぶことができない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
力関係って言うように、人間関係を受け入れるためには多かれ少なかれ権力を受け入れる必要があるからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">高校生になってあいつは権力者になった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし権力を持つっていうことは人と関わるっていうことだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「彼女が権力者としてふるまっているのはあなたに対してだけ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
ＳＯＳ団の活動においても彼女があなたに命令し、あなたが具体的な段取りをつけて全員が動いている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なぜあいつがこんなイレギュラーな人間関係をつくらなきゃならなかったのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「敢えて言えば、李徴と同じ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつの心の奥底に、両親に対するわだかまりがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それが不安となり、その周りを鎧で覆わなくてはいられない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
涼宮と呼べば、つまりあいつを親の名前で呼べば、あいつの心の中心部をえぐることになる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからあいつは涼宮と呼ばれたがらない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんでハルヒのことをおまえに長々と話したかわかるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…わからない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえは違うってことを言いたいんだよ。。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門っていうのはおまえの親の名前ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門っていうのはおまえだけの名前だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきおまえは１６歳だって言ったが、訂正する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえは今３歳だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえは三年前、長門有希と呼ばれる存在になった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それ以前のおまえが何だったのか、そんなことは俺は知らん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分のことでも十六年余り前の俺が何だったかなんて知らない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことは知らなくてもいいことだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">重要なのは今のおまえが長門有希っていうことだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが言うならそう。長門も有希もわたしの名前。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だから涼宮ハルヒがうらやましくなんかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたに『ハルヒ』と呼び捨てにされていることがうらやましくなんかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そ、そうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたに『有希』と呼び捨てにされなくても、別にうらやましくなんかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わ、わかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">三回言うほど大事なことか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「負けず嫌いね、この子……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつ、こんなにめんどくさい奴だったか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたがわたしの機嫌を取ろうと思えば簡単にできる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつかのように髪を撫でてくれさえすればいい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あれは頭を撫でたんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒの髪は撫でたが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは１６歳だけどおまえは３歳だからな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれなりの線引きだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「しかし今日はそうしようとしない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは振り向きたくない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしの表情を見たくないから。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">頭を撫でたというより、雪を払っただけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……卑怯者。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おい……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「かつて、世界を失いかけた少女がいた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今更な話だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「少年はある魔法をかけて少女に全てを取りもどさせた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">魔法って……、なんだかおまえらしくないな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは、女に言うことを聞かせるためだけにキスするような男。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女どもが、今日最高の蔑みの視線を送ってくる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そのためだけじゃねえよ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それはもう過ぎたこと。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だったら言うなよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたが、今日彼女にあなたの思い出を取り戻させることによって世界を取り戻させたのではないとしたら、どうやって彼女を救ったのか、知りたい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれがあいつを救ったんじゃない。あいつがおれを救ったんだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「詳細を。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「士は己を知る者の為死し、」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門が対句の片割れを暗唱した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「女は己を説ぶ者の為容る。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「男は自分を理解してくれる人のために死に、女は自分を喜んでくれる人のために着飾るっていう意味なんだが……、」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「史記、刺客列伝。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やはり知っていたか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「両方とも間違いだ。男が死ぬのは自分のためだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">牛島満中将は沖縄を本土防衛の捨石にするために死んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それは陸軍の方針を反映したものだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">つまり牛島中将自体が捨石だったことは否めない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
しかし彼は、自分が捨石になったことを誰にも知られなかったとしても、それに徹することができただろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">死の前に、あえて捨石となることに自己陶酔を感じていなかっただろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを沖縄全土の将兵と民間人に知られることに満足を感じていなかっただろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは、どうなんだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきあんなことを言ったが、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれがハルヒのために死ぬなんてことはありそうにない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
だけど、もしそうなったとして、おれはハルヒの記憶から自分のことを消そうとするだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
それとも、あいつが苦しむことがわかっていても、忘れないでいてもらいたいと思うだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">たぶん、自分がハルヒのために死んだと覚えていてもらいたいんじゃないだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いや、そんなことを今考えても仕方がない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その時の自分が思う行動を取ればいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そして女が着飾るのも自分のためだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店内をぐるりと見回しながらそう言ってみた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">反応は…、なんだか釈然としない顔つきもあれば、当然といった顔をしている人もいる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつが白雪姫だっていうことは知ってるな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「知っている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ならおれは何だったのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんがこっちを見て言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「眠れる美女……、白雪姫……、王子様？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それは八ヶ月前にやりましたよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのことをさっき全員で蔑んでくれたじゃないですか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが王子なら彼女は花。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">花か…、ひまわりかね、あいつなら。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">きっと夏の花だろうな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">春日だけど。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「薔薇。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">バラねえ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「サン・デグジュベリ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そっちの童話じゃねえよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたはあの本をもう一度読み返すべき。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはもう王子ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「鏡だ。魔法の鏡。白雪姫の鏡だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「その認識は間違っている。魔法の鏡は白雪姫のものではない。その母親のもの。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「母親が鏡に問いかけた時、白雪姫が彼女より美しいと答えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜその鏡は母親の部屋にあったのに、白雪姫を知っていたんだろうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……わからない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「白雪姫だって女だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">たとえ七歳でも、こっそり母親の部屋に忍び込んで、鏡をのぞいたっておかしくない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「つまり鏡とは……、ありのままを映すもの。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「バカ言え。そんなものが存在するか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">鏡だろうが写真だろうが必ずそれを見る者の主観がフィルターになる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは、朝比奈みくるの画像を部室のパソコンのハードに入れている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたがそれ見ている時、あなたの主観が入っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どこか美化している。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">知ってたか。おまえに隠せるとは思ってないが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「涼宮ハルヒの画像は自宅の引き出しに入れてあり、毎晩取り出してベッドの中で鑑賞する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたの主観によってそれは、水着姿から下着姿に変換される。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">毎晩じゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしの画像はどこにも保管していない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ドサクサにまぎれて愚痴を言うんじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「女は、鏡を見るために着飾る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そしてその鏡は、賞賛の言葉以外は期待されていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">白雪姫が魔法の鏡を割らなかったのは賞賛されたためだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">母親が鏡を割ったのは、賞賛されなかったためだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの今日の役割は、あいつを賞賛することだけだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが長門ばりの短い言葉を吐いた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「卑屈。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">事実ですからね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「要するにおれは今日あいつに『似合ってるぞ』と言うためだけにここに来た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そしてあいつが今日着ていたもの、すべて反則的なまでに似合っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからあえてそう言わなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたはやはり女を焦らして喜んでいる……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうじゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">未購入の商品を褒めてどうする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あれは店のものであってあいつのものじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなものを褒めてもあいつを褒めたことにはならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんな誰でもやるようなことをしても仕方がない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だいいち、面白くない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「営業妨害。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さん、長門がのりうつってませんか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門自身が今日は饒舌だし…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「だからおれは『似合ってるぞ』という言葉を最も効果的に出すために丁寧に伏線を張った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門の話とか、守り守られる関係とかそんな話は、そのためのものでしかなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしの話…？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「声に怒りをこめるな。おまえのことじゃない。戦艦だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そしておれは調子に乗った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつにウェディングドレスを着ているところが見たいと言ってしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ウェディングドレスはただの衣装じゃない。文化的な記号としての意味を持つ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを見たいということは、それを着ておれの隣に立ってほしいということを意味する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはその場面を想像してしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">思わず口に出してしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことはあり得ないのに。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは必ずおれの前に立つ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">絶対におれの横になんか立つわけがないのに……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「君からは見えないだろうけどね、長門さんは君の背中に寄り添うように立っているわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「見えないのではない。見ないようにしている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたはふり返ってわたしの顔を見たら、わたしの心のうちまで見通すことができる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">と言うよりも、見えてしまう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「鏡って何だ？ 道具だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……スルーするな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはあいつの鍵であり、箱であり、蓋であり、椅子であり、鏡でもある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">道具だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは転がっているボールペンを手にとってみた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「道具は目的のためにのみ使われるべきだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">これはボールペンだ。文字を書くためだけに使われるものでしかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「君、それは……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「事務所にあった１０５円のボールペンも、約一万円……、八千五百円くらいか、のモンブランも、字を書くための道具だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あいつのハンドバックに入っている鏡も、試着室の中にある全身が映る鏡も、魔法の鏡も、道具であることには違いない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつの問いかけに答えるだけの道具だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">道具が自分の意志などを表現してはならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今日の混乱はすべてがこれに起因する」。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつをひどく傷つけてしまった……。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけどあいつは、守り守られる関係という話が琴線に触れたらしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつを賞賛するための伏線でしかないのに。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは孤独を感じていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">正確に言えば、再び孤独を感じることを恐れていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その理由は、さっき言った通りだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは強い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれなんかよりはるかに強い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどあいつはおれよりもはるかに脆いものでつくられている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ガラスの戦艦だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
だからあいつは誰でもいいから自分がそいつを守れれば、そいつが自分を守ってくれると思った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門、釣り野伏せって知ってるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「薩摩の大名、島津家の伝統的な戦術。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">敗走したふりをして退却する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">相手は退却されれば当然追撃する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">追撃する際は士気を鼓舞するために大将自らが先頭に立つことが多い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
敵の陣形が追撃のために縦に伸びきった所を、突出した大将とその旗本を伏兵と逃走の振りをしていた軍勢で包囲する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">大将をその軍勢と切り離し、一気に包み込んで討つ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは電話をスピーカーモードのままにしていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それをカットさせることによってあいつがおれとだけ話していると信じさせた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
そのために二度、『おまえだけに話したいことがある』と言ってそのための伏線を張っておいた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おれがあいつを守っていると信じさせ、それでいておれがあいつに対して攻勢をかけていると信じさせた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">外に対しては防御機動を取り、内側に対しては攻撃機動を取る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『釣り野伏せ』だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「実際にはあの通話は筒抜けになっていた。そしてあなたは本当の意味で彼女に攻勢に出たわけではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">後者についてはともかく、前者についてはどうにかしなくちゃならんな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつはそう信じた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「反則。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「反則技でもぴたりと決まれば、誰も文句は言わねえよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんをちらりと見てみた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「フン」と鼻を鳴らされた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「さっきの通話であいつの琴線が触れた部分は、『祈れば守れる』っていうことと、『忘れないでいてくれ』っていうことだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その他のことは、おれの泣き言でしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは祈りさえすればおれを守れるということを知った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは自分がおれを忘れないことによって、おれを救うことができたことを知った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰かを守ることによって自分が守られると信じた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうすればもう孤独を感じなくて済むと信じた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なかなか苦労したが、最後にはぴたりと決まったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そしてその契機がおまえの発言だった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あの直前、『おれを軽蔑しているか』という質問がきっかけで、かなりハルヒとおれとの間がギクシャクしていた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「自業自得。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……とにかく、それを救ってくれたのがおまえだった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門、この世で一番強い連帯感って何だかわかるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしが何回も言っていたこと。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ。犯罪者同士の連帯ほど強いものはない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえのしつこい暴露によって、おれとハルヒとの間に強い一体感が生まれた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
特に最後の、部室でのハルヒの描写によって、おれもハルヒもさっきまでの険悪さなどかなぐり捨てて仲間にならなきゃならないと感じた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それであいつはおれの言うことに素直に従った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">すべて、おまえのおかげだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「つまり……、今日のわたしは、あなたが涼宮ハルヒを守るための…道具？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「道具なんかじゃねえ……。おまえはハルヒの機嫌を取るための……」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「捨石だ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはおまえが傷つくのを承知で、おまえの名前を呼んでいないと言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえが傷つくのを承知で、おまえに『黙ってろ』と言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえが傷つくのを承知で、わざと仲間外れにし、ハルヒとの間に連帯感を作り出した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえが傷つくのを承知で、射線上におまえを放り込んだ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どうして……？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「聞きたいか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「聞きたい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「さっき権力がどうとかっていう話をしたが……、最近中東で権力者の交代が相次いでいるのは何故だと思う？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「圧政を敷いていたから。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「そうだ。権力には基盤が必要だ。権力があるとは、それを支持する者がいるということだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">頼朝が天下を取れたのは武士たちの支持があったからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
家康が天下を取れたのは旗本と譜代大名の支持と、外征をいやがった外様大名たちの消極的な支持があったからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
明治維新が成功したのは、幕藩体制では西洋からの侵略に耐えられないという人々の支持があったからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
ヒトラーが権力を掌握できたのは、ヴェルサイユ体制によって呻吟するドイツの民衆の支持があったからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
昭和初期に軍部が独走できたのは、日中戦争の、首都を占領しただけの勝利に酔った国民の支持があったからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">権力者は決して民衆が本気で嫌がることはできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことをすれば遅かれ早かれ権力者はその地位から追放される。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">たった一人の権力者はけっして多数の民衆には勝てない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
民主主義体制ではそれがはっきりしているが、たとえデモクラシーの手続きを踏まなくても同じことが起きる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ならば、おまえとハルヒがなぜおれに忠実なのかわかるか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒは本当におれに忠実なんだろうか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒは、『来るな』という命令には従わず、『来い』という命令には従った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『忘れろ』という命令には従わず、『忘れるな』という命令には従った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『泣くな』という命令には従わなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女はあの時、泣きたかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あいつはおれが命令しようが懇願しようが土下座しようが、やりたいことはやるしやりたくないことはやらないやつだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはギリギリのところで、あいつがやりたいことをやれと言ったに過ぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたは彼女が何をしたいのかわかっているのにも関わらず、なかなかそれを命令しない。命令すれば責任が発生する。責任を取りたくない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それは別の話だ。あいつはあの時雪が降ってきたと信じたわけじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつが信じさえすれば叶うんだったら、ドアに頭をぶつけるはずがない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">チェーンが外れていると信じていたはずだからな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">信じるのではなく、別の心の動きが必要だった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒはあの時、あなたがわたしの名前を呼んだのではないと……、」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「望んだだけだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おれはあいつの望みを叶えてやったに過ぎない。だから雪を降らせた。そしてそれはおまえに対しても同じだ。なぜ今日おれはおまえに捨石にしたのか。ここまで言えばわかるだろう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしが望んだから。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ。おまえはおれとハルヒの秘密をしつこく暴露した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはそれを利用して、ハルヒとの共犯者としての連帯を強めていった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうなっていくことをおまえは望んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
だけどおれがこんな望みを叶えてやるのは今日限りだ。おまえは長門だ。綾波じゃない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「アニメーション？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そっちじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは綾波オタクではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはニジコンじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ぺったんこな存在しか愛せないわけじゃない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ぺっ、たん、こ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえのことじゃない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしはぺったんこではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">三次元的な厚みを持っている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だまれ洗濯板。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………聞こえた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まずい。こいつにつぶやき声が聞こえないはずがなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何の話だ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ガン！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いでえ…。こいつ……、また本のカドで殴りやがったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どっからそんなものを出した、っていうツッコミは無意味だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたをぶっ叩きたい。命令を。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう殴ったじゃねえか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「一発とは言ってない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おい、頭頂部がジンジン言ってるんだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令を。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令を。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令を。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつ、殴らせないと先を聞かないつもりだな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">くそ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やれ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ガン！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">また泣きそうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とにかくその綾波じゃない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">駆逐艦、綾波。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">第三次ソロモン海戦において、駆逐艦四隻、戦艦二隻のアメリカ艦隊に単艦で突入。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
５０００Ｍまで間合いを詰めて主砲発射。初弾を敵三番艦、駆逐艦プレストンに命中させる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
プレストンに火災が発生。一番艦の駆逐艦、ウォーク・ベンハムにも主砲を斉射。これにも火災を発生させた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし後方の戦艦サウスダコタ・ワシントン他からの火線が綾波に集中。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">とうとう魚雷発射管の周囲で火災が発生してしまう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だが沈没するまでにはまだ時間がある。。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">残る二基六門の発射管を旋回させ魚雷発射。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">放たれた酸素魚雷はウォーク・ベンハムの艦体を真っ二つにして轟沈させる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">砲撃によって火災が生じていたブレストンも沈没。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">残る駆逐艦グヴインを中破させ、艦隊から落伍させる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
一隻で駆逐艦四隻を撃退し、戦艦サウスダコタの電気系統を断ち切り砲戦不能に陥らせたものの、艦長佐間英邇中佐は総員退艦を命令。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
無人となった綾波は魚雷に火が廻りついに誘爆、爆発後ガ島沖の波間に姿を消していった……。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おまえは自らを犠牲にして海戦を戦術的勝利に導いた被害担当艦であるよりも、世界最強の不沈艦であることがふさわしい…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからもうこんなことをするな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえはハルヒの秘密を徹底して暴露した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">明日からハルヒとの付き合いに差しさわりが出るんじゃないのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたの浮気相手は朝比奈みくるであるにもかかわらず、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
涼宮ハルヒは部室の一番奥、つまりわたしの定位置の直前であなたの背中に抱きつき、両脚で胴を挟み付けていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それによってあなたは発情していた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">発情って…、おれは動物じゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒは足とあなたの脇腹だけを使って器用に片方の上靴を脱ぎ、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">足の裏であなたが発情していることを確認した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしの方をちらりと見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしが睨んでいることに気が付いた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
涼宮ハルヒはあなたへの一方的な抱擁を解除し、あなたの背中の上で安座し、腕組みをした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">姿勢を高くしてもう一度わたしを見下ろしながら、勝ち誇ったようにニヤリと笑った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの屈辱は忘れられない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつか必ずあなたの前で恥をかかせてやろうと心に決めた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……怖い話だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえ子供のくせにそんなこと考えてたのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが口を挟んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何を言ってるの。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女は生まれた時から女。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">灰になるまで女なのよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">幼いからってナメちゃいけないわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれのことはともかくとして、おまえとハルヒの今後の関係だよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だいじょうぶ。彼女は今満更でもない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「恥をかかされて満更じゃないってどういうことだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたと同じ立場に立てたから。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれと一緒に恥をかいただけじゃねえか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒは、たった一人で日なたにいるより、闇の中でもあなたといたい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの五月の日と同じように…、Ｇｏｄ ｋｎｏｗｓ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつはおれのために歌ったわけじゃないと言ってたぜ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わざわざそんなことを聞いたの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんに答えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「聞きもしないのに言ってました。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わかりきってるっつーの。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「君にそう聞いてほしかったのかもね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「否定しか返ってこない質問なんかしても時間の無駄です。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「君は時間を大事にしないわね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">俺が返答できないでいると、長門が言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あれは涼宮ハルヒが能力を使って、他人が作った詞という形を借り、あなたに歌を通して自分の心を訴えたとも解釈できる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今の俺の気分はどちらかというと、もうひとつの曲のほうだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたの言葉には少しうそがあった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「サビの詞だよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「大好きな人が遠い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">遠すぎて悲しくなる…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門が歌うようにつぶやいた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえ、そんな声が出せたんだな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたの大好きな人はもうすぐここにやってくる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女がここに来る理由は一つしかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが、ここにいる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違うな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">驚くほど自嘲的な声が出た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは買い物に来るんだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「買い物、とは。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「買い物っていうのはな、欲しい物を買うことだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この店ではあなたが売っているのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ここは洋服屋であってデートスポットでも養豚場でもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは家畜でも商品でもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だいいち需要がなければ商品として成立しない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしが買う。いくら？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえな…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ジョーク。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">発情だの買うだの…、おれは動物じゃねえって言ってるだろ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「話の本題はそこではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それよりも、なぜわたしが捨石になろうとしていたことがわかったのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「一人称だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…そんなことは意識していなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえはいつも自分のことを『わたし』と呼ぶ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし二度目に電話した時には自分のことをいつの間にか『あたし』と呼んでいた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この時おまえは自分が女であることをおれに対して強調していると思った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしおまえの一人称は『わたし』に戻った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分が女であることを凍結しようとしていると思った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうししてでも自分が犠牲になろうとしていると思った。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そのきっかけが何だったのかあなたはわかっているのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……わからん。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「『これを自分だけのものにしたくはないの？』」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなこと言ってたな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「彼女があなたをからかってくる怖れがあったとあなたは言ったが、韜晦にすぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どういうことだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「このような大事な場面で、彼女が嘘をつくはずがない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だから嘘っていう言い方は…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことをすればあなたの信頼を永遠に失うことになる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">信頼を失うとは、あなたを失うことと同義。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それは涼宮ハルヒにとって嘔吐するほどに恐ろしいこと。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「嘔吐云々はさっき聞いたばかりだけどな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あの時涼宮ハルヒが相当な覚悟を決めていたとあなたも感じ取っていたはず。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしあなたはあの告白を受け取ることを躊躇した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを受け取るにはどうしても気がかりなことがあった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしの存在。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは自分にはどんなに嘘をついても、決してわたしには嘘をつかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたはわたしが同室しているが故に涼宮ハルヒに返事を与えることをためらった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「沈黙は肯定。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あの時わたしは覚悟を決めた。もちろん彼女も覚悟を決めた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなただけが覚悟を決めていなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「うるせえ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ここで涼宮ハルヒに肯定の返事をすればわたしを傷つけると思った。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「黙れ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………………………………………………………………………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつ……、本当にぴたりと黙りやがったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………………………………………………………………………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんだか後方から殺気じみた気配を感じるぞ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………………………………………………………………………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">くそ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令解除だ！ 言いたいことを言え！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「迷惑。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">てめえ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「言いたいことを言えという命令を遵守する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この野郎…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「訂正を要求する。わたしは野郎ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが長門有希と認めているからわたしは長門有希。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが人間と認めているからわたしは人間。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが女だと認めているからわたしは女。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この……、くそ女…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それでいい。バカだろうがくそだろうが女は女。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「女がくそとか言うんじゃねえ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは以前この言葉をわたしに口に出させた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あれは、そういう意味じゃねえだろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたは、涼宮ハルヒのような美少女に下品な言葉を口に出させることに倒錯的な快感を得ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを敏感に感じ取った彼女はあなたに対して何度も卑猥な言葉を口にした。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「変態かおれは！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「恥ずかしさに耐えてそんな言葉をくりかえした彼女に対する褒美が、『涼宮』呼ばわり。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんかおれが一方的に悪いみたいじゃねえか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう、迷惑。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">迷惑って…、さっきの話か。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あの状況では、わたしが傷つくか、涼宮ハルヒが傷つくか、どちらかしかなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当然そのことは二人とも覚悟を決めていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしあなたは無理やり第三の道を作ってしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分自身を傷つけるという道。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分が臆病であるということにしておけば、わたしも彼女も傷つけずにすむと考えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">大事なことだから三回言う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">迷惑！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえ叫べたのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが傷つくことを代償とした尊厳などほしいと思ったことなど一秒もない！<br />
わたしも！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒも！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは自分を貶めることによって相対的にわたしたちの尊厳を高めようとした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんな尊厳など与えられて喜ぶ女がいるか！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">複雑な表情をしている客がいるぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それは、おまえの価値観だ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。わたしたち二人の価値観。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜそんなことをする！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが傷つけばわたしは痛い！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒも痛い！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜこんな最低のやり方でわたしたちを痛めつける！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さらに言えばあなたはここにいる店員と女性客たちも利用した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">利用ねえ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは役に立つと思えば何でも使う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒを自分の部屋に入れるために大嫌いな夏休みの宿題まで利用した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはあいつには来なくてもいいって言ったぜ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんな言い方をすれば来るに決まっている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんに話しかけてみた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつだけ入れたわけじゃありませんよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつも、朝比奈さんも、ついでに古泉も呼びました。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あれだけ臆病な子が、ひとりで君の部屋に入れるわけがないでしょう？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何にもしませんよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何かしたら命がない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それを恐れたのよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱりこの人の言うことはよくわからない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「話をそらさないでほしい。わたしの話がまだ終わっていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
涼宮ハルヒはともかく、わたしが電話による通話がこの店にいる全ての人間に筒抜けになっているのを理解していることをあなたは知っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから自分が傷つけられ、蔑まれるように会話を誘導し、展開し、拡大した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを聞かせることによってわたしの機嫌を取ろうとした！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「誘導も拡大もしていない。おまえにはピンと来ないかもしれないが、女は女の味方をするものだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「納得がいかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「男は生まれたときから男、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女は生まれたときから女だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">貧乏人が金持ちになったり、金持ちが貧乏人になったりするように、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">男が女になったり、女が男になったりすることはない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">オカマというのは女になった男のことではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">オカマは生まれながらにして女だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「男と女の間に中間階級というものはない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰かに比べたら金持ちだけど誰かに比べたら貧乏人という相対的な関係ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この世には男と女しかいねえんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">性差っていうのは絶対的なものだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女は女の味方をするものなんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わかるか？ 帰属意識って奴だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女は女というグループに帰属していることを男以上に意識している。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">被差別意識が女を余計にそうさせる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしの人生経験から見てそれは違うと思う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえの人生経験って、四年足らず…、待機期間を除けば十か月じゃねえかよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「女は女に厳しく、男に甘い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">男は男に厳しく、女に甘い。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">客たちはちょっと首を傾げている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店員たちが店長をちらりと見て、見返されてあわてて視線を外している。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたと涼宮ハルヒを見ていればそういう結論しか出ない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おれがハルヒやおまえや朝比奈さんに比べて、古泉を邪険に扱っているというのは認めざるを得ないがな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">古泉か…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">犠牲といえばあいつほどの犠牲者はいない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いきなり変な力を与えられたのはハルヒも古泉も同じだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし無自覚だが、ハルヒにとってその力が必要だったことは確かだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ずっと気になっていたことがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">地球人として生まれたからには宇宙人になることはできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">現代人として生まれたからには未来人になることはできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あいつが宇宙人や未来人になるのではなく、そういう人たちと会いたいとだけ願ったのは理解できる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど超能力者は？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">超能力者に会うよりも、自分が超能力者になることを願ってもおかしくはない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
何をもって超能力と言うかは曖昧だが（そりゃそうだろう。ほとんどの人はそんなもの見たことなんかないんだから）、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">異能の力を超能力と呼ぶなら、ハルヒの能力がまさしくそれとも言える。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつはあの力を得ることを望んだんじゃないか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あの力があったからこそハルヒは、長門有希、朝比奈みくる、古泉一樹を呼びよせることができた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">孤独から抜け出すことができた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど古泉は？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
ハルヒによって力を与えられたと言っても、あいつの精神世界を宥めるためにしか役に立たない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">与えられたのは、力というより仕事だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">バイトと言っているが、本当に金を貰ってるんだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">十二月のあの世界でのあいつはハルヒのことが好きだと言っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門が人の心まで変えてしまうとは考えられない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの世界ではひどい電波人間でしかなかった俺を、ハルヒだけは信じた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今のあいつが俺を信じているように。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしそれは長門自身のおかげだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしはここにいる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そして朝比奈さんはおれのことを虫を見るような目で見ていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当然だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
いきなり手をつかまれ、さんざん電波なことを喚かれて、しまいには胸のホクロを見せてくれとか言われたんだからな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あの世界での朝比奈さんがおれを見る目が、この世界での朝比奈さんと違っていてもおかしくない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
つまり、あの世界で古泉がハルヒのことを好きだったからといって、この世界での古泉の気持ちを推量するための何の材料にもならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あの世界で古泉がハルヒを好きだったからこの世界でも同じだと考えるなら、朝比奈さんはこの世界でもおれに対しておびえ以外の感情を持っていないと考えないと矛盾する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いくらなんでもそれはおかしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
第一印象によってその人間の評価が決まってしまうのはよくあることだ。これは長門が心を変えたとか変えないとかいうのとは別次元の問題だろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの世界での古泉は、転校したばかりですっげー美人に声をかけられた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">好意を持ってもおかしくない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど、この世界のあいつは？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
ハルヒのせいでいきなり変な仕事をさせられることになり、自分と同じ年齢の女の子を神と崇めさせられ、転校させられたあげく同級生に馬鹿丁寧に接するように強制された。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この世界での古泉がハルヒを好きなのかどうかはわからない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことはいくら考えてもわからない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつの口からそのことを直接聞かされたとしても、きっとわからないだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
だけど、もしあいつがハルヒのことを好きでなかったら、あいつは本当に人身御供になっちまう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">生贄だ、荒ぶる神の。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いや、やっぱりこんなことを考えるのはやめよう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
憎んでいようが好意を持っていようが恋していようが、あいつが人柱であることは変わらない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">明日会ったら自販機のコーヒーでも奢ってやろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やれやれ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはそうかもしれないが、あいつは違うだろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さんざん雑用としてこき使ってくれてるし。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒは、他の誰に対してよりもあなたに甘い。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あのな、あいつの俺に対する扱いとおまえらでは、あきらかにおまえらの方が優遇されているだろうが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒは朝比奈みくるに対してカエルになることを強制した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夏休みのバイトでは全員カエルになったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「全員そうなっているのと彼女一人とでは朝比奈みくるの受ける精神的外傷の度合いは著しく違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">部室の中だけだったぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「同じこと。朝比奈みくるにとっては全校生徒の前でカエルの着ぐるみを着ているのも、部室の中でそうさせられるのも同じ程度に屈辱。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことはねえだろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたがそこにいた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">意味がわからん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはおまえの足しか見てないぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたと同じ部屋で自分だけそのような姿でいるだけでも彼女にとっては耐え難いこと。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女は好きな男性と一緒に裸になって横臥の姿勢を取ることを屈辱とは考えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
しかし相手が衣服を着ていながら自分だけ裸になって立たされることには耐えられない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
なんかいろいろツッコミどころはあるが、とりあえずハルヒは朝比奈さんを俺よりも一日早く放免したぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「涼宮ハルヒはあなたと朝比奈みくるに共犯者じみた連帯感が生じていることに気が付いた。それに嫉妬したゆえ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あのな、おれはイスにされてたんだぞ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なぜ浮気の罰が好きな女に体を押しつけられることなのか、わたしには理解できない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もしあれが罰だというなら、こんなに甘い罰など世界中探しても無い。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ぐ………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あの時のあなたの顔は、罰を受けているような表情ではなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜあれが罰なのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからいろいろとな、持て余すんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは、負ける。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何だいきなり。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが涼宮ハルヒに勝てるわけがない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきからそう言っているだろうが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは襲ったら負けだと思っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女は襲わせたら勝ちだと思っている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何の勝負だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「現に、一度負けている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは負けたことを無かったことにしているが。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何の勝負だか知らんがもう負けなきゃいいだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが負けないでいたら、いずれ涼宮ハルヒに襲われることになる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは彼女に暴力によって犯される。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは女に無抵抗で犯されたことがトラウマとなり、女性を受け入れられなくなる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">次に優しくされたことによって、彼女だけは受け入れることができるようになる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは彼女の体なしでは生きられなくなる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おいっ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ジョーク」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「悪質だ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とも言えない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから悪質だぞ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたは勿論、今は涼宮ハルヒも同性異性を問わず、年齢相応の節度と分別を持ってつきあっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしお互いに対しては違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まるで駄々っ子。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">お互いに対してならどんなに甘えてもいいと思っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒは、あなたならどんな要求をしても叶えてくれると思っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そして彼女は、あなたから要求されたなら、どんなことでも叶えようとするだろう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「長門さん…、これは女が男に甘くて男が女に甘いとかそういう一般論じゃなくてね、仲のいいカップルなんてみんなそんなもんよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違うな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何なの君、いまさらカップルじゃないとかそういう言い訳は聞かないわよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはあいつの懇願を無視したことがある！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">叫んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「五月のあの日、あいつはおれに何を要求していたかを知っているだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの時あいつはおれに、一緒に世界を捨てて欲しかったんだ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれが『嫌だ』と言った時のあいつの顔…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">落胆というか失望というか、そんな月並みな言葉では言い表せない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">口下手で語彙が少なくてすまんが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんていうか、絶対的に信頼していた者に裏切られたかのような…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど俺はどうしてもあいつと一緒に世界を捨ててやれなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この世界とあいつを比べて、世界に価値があると選んだわけじゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それだったらまだ救われる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうでさえない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ただ…、怖かっただけだ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはこの世界を捨てるのが怖かった！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おまえはアレをあいつに言う事を聞かせるためだと言っていたが、それだけじゃねえ、贖罪なんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはあのハルヒの顔を見た時、あいつの願いならなんでも聞いてやろうと思った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">キスだろうが土下座だろうが雑用だろうが罰ゲームだろうが何でもしてやろうと思った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おまえらはおれがあいつに世界を取り戻させたと言うが、あいつがほしかったのはそんなものじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
大体からして、おまえはおれがあいつに世界をやったとか世界そのものだとか言うが、おれがやったのはそんなに大層なものじゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おれがあいつにやったのは、世界がそこにある意味だとか、生きている面白さだとか、高めに見積もってもその程度のもんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">視線をずらしてマネキンが着ているセーターの値札を見てみた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こっちの方が高そうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もっとありふれたもんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そこらへんにゴロゴロしているものだ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど、もしおまえらが言う通りそれが世界だったとしたら、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは今日、世界を捨てようとしていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今日はおれを巻き込まずに一人で世界を捨てようとした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど、おれは今日、あいつに世界を捨てさせてやれなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうしてもそれだけはできなかった！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえらは変わった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もうあの五月のハルヒじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もうあの十二月のおまえじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
それが成長なのかただの変化なのか、おれみたいなガキにはわからねえが、変わったことだけは確かだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれだけが変わっていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは五月のあの日、あいつが世界を捨てるのをやめさせた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今日、全くおんなじことをした！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつの願いならどんなことでも叶えてやろうと思ったのに！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかも今のおれは、これからそれができるという見込みが全くない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうしたら、あいつの願いを叶えてやれるんだ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">暗中模索、というより五里霧中だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門、こんなおれを軽べ」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「否定の答えを期待しての質問なら涼宮ハルヒにするがよい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしはそんなに暇ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やらなければならないことがある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうかよ、くそ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「手……、左手。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">手を出せっていう事か。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">時計を外して机に置く。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">顔をまっすぐに向けたまま左手を後ろに出した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">音もなく長門が前に出ているのが気配でわかる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">目の端にブルーの髪が揺れているのが見えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">両膝を床につけて、背筋を真っ直ぐに伸ばしている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの手を両腕で支えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おい、そんな風に持つな。おれの手は赤ん坊じゃねえ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつかの感触。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">甘噛み。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それがどんどん強くなっていく……。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いてぇ！ おい、いつもはそんな風に噛まねえだろうが！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">返事は無い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当たり前だが。口がふさがっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おいっ、本気で噛むな、痛てえって！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もうおまえにこんな話はしないから離せ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「誰にもこんな話はしないから離せ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門の歯が手首にぐいぐい食い込んでくる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">また泣きそうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう二度とこんなことを考えないから離せ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">痛みがスッと消えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ようやく離しやがったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門が後ろに下がった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは泣いていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今のは…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが俺にとも長門にともなく聞いた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが発狂しかけたので必要な処置を施した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女に世界を捨てさせなかったのを悔やむなど、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まして捨てさせられるように努力しようとするなど、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">正気の沙汰ではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「言い過ぎだ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ちっとも言い過ぎじゃないわよ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自己陶酔もいいけどね、周りを不愉快にさせないでちょうだい！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どこの時空間に女が世界を捨てるのを許す男がいる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんな男などいない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どこにもいない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そりゃまあ、勿体ないからな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それを許す男がもしいたら、わたしの前に連れてきなさい！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">男じゃいられなくしてやるわ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは涼宮ハルヒに世界を捨てさせたりしない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">絶対にそんなことを許したりしない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを阻止するためならどんな卑怯な手段でも取る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたとは、そういう生き物。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれを褒めてるのか腐してるのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どちらでもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ありのままを表現しただけ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「さっき注入したのはなんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ナノマシンじゃねえだろ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「情報。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえがキレているっていう情報を注入したのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「キレた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「キレるな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう一つ聞きたいことがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あなたはさっきあのキスが言う事を聞かせるためであると同時に贖罪の意味を持つと言っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">本当にそれだけなのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それを聞いたらまたおまえはキレるぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしは今、猛烈にキレたい気分。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まだ怒ってるのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「少しだけ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">少しだけっていう声じゃねえぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「さっき言ったろう、人間はギリギリまで追い詰められたら、やりたいことはやるし、やりたくないことはやらないものだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「回りくどい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえに言われたくねえぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれの利己主義の発現だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もっと直截的に。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やれやれ。おれはやっぱりこいつには嘘をつけないらしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「贖罪だのなんだのっていうのは…、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ただおまえの前でカッコつけたくて言っただけかもしれん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">要するにおれは…、やりたいことをやっただけだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………合格。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「キレないのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今の回答以外の答えだったらキレていた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女どもが強く頷いた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そういうもんなのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もし違う返答をしていたら…、わたしがあなたに罰を与えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒはあなたに甘い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうしようもなく甘い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきと違う答えをしていたら、あなたにはわたしからのきついお仕置きが必要。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえだっておれに甘いじゃねえかよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しまった。これは言ってはいけないことだったのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「話をもどせ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう、あなたが自分を犠牲にしてわたしたちの機嫌を取ろうとしたこと。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そこまでもどるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「言いたいことを全て言えという命令を遵守している。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この野…</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この、や？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">う…、さっきもこんなことがあったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">や、薬缶？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんのことやらわからん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夜間飛行？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">サン・デグジュベリから離れよう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">山、川…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">赤穂浪士か？。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この、や？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「や、や、や、………………やんでれ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ヤンデレって何？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「すまん。忘れてくれ。ただの妄言だ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたがヤンデレと認めたならわたしはヤンデレになる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ちょっと階段の上まで来てほしい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おいっ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ジョーク。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえの今日のジョークはタチが悪いぞ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「それともかく、あなたが自分を犠牲にすることがわたしたちにとってひどく迷惑なことはさっき話した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが自分を貶めればわたしたちの機嫌を取れると考えていると知って…」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたしは拗ねた！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「自分のために誰かが犠牲になろうとしているということがどんなに辛いのか、あなたに思い知らせてやりたかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことは誰も望んでいない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしも涼宮ハルヒもたとえ傷ついてもいいからあなたの結論を聞きたかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あのな、あいつはおれに『時間を巻き戻せ』と言われても巻き戻さなかったぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">巻き戻せばすんだはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">巻き戻したくなかったってことか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒは『走れ』という命令には従った。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんか走りたくなったんじゃねえのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女ども、いちいち睨むんじゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたが自分が臆病だということでこの場を収めるという方針を明らかにした以上は、わたしたちはそれに合わせるしかない。彼女はのどから手が出るほど巻き戻したくても、そうするほかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いみじくも彼女自身がそう言っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『あなたのことだから何度巻き戻しても、同じことをするだろう。』」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけどその後のおまえらの態度は随分フラフラしていたぜ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夏合宿の夜のことを武器にすると言ってみたり、冗談だと言ってみたり…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おまえはおまえで、ハルヒとおれに連帯感を植え付けようとしてみたかと思うと、なんだかおれに責任を取らせるとか言ってたな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが決断すればわたしたちは従う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが迷えばわたしは迷う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒも迷う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
涼宮ハルヒは嫉妬深く、疑り深く、独占欲が強く、悋気病みで、妬み深く、重度のやきもち焼き。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">語彙が豊富なのはわかったが、ほとんど同じことを言ってるぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">疑り深いというのだけはちょっと違うか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「その彼女の前であなたがわたしに眼鏡をかけさせ、外させれば大騒ぎになることは誰にでもわかること。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まあ、騒ぎにはなったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたがリスクを承知でそんなことをしたのは、その後わたしも聞いているのに『わたしの名前を呼んだのではない』と彼女に言わなければならないため、あらかじめわたしの機嫌を取っておく必要があったから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは彼女とわたしの機嫌を取ることを会話が一巡するごとに繰り返していた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何がシュリ―フェン作戦。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたの今日のふるまいはまるでミッドウェー作戦。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">爆雷転送を何度でも繰り返す。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">最近は爆雷転送が……</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なかったという説がある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱり知ってたか、くそ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今のは物のたとえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">意思の集中、力の集中が全くできていないということの例え。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたがふらつけばわたしたちもふらつく。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やはり涼宮ハルヒとわたしは似ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかも彼女よりもわたしの方があなたの護衛には適任。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女の力であなたを守らせることは…、不可能ではないが、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その力を発揮させるためには相当煩雑な手続きが必要。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしの方が必ずあなたの役に立つ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そこに戻ってくるのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「確かにおまえは便利な奴だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしに比べて涼宮ハルヒは用途を考えると使い勝手が悪すぎる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「役に立つっていうことと必要だっていうことは違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『役に立つから必要』とは言うが、『必要だから役に立つ』とは言わねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">たしかに同じモノを指して両方の言葉を使うことはあるが、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">概念としては全く別のものだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どちらにしろわたしたちは似ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしが彼女のバックアップになれてもおかしくない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱりそこまでもどってくるのか。やれやれ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「似ていればバックアップになれるっておまえは言うが、おまえと朝倉はちっとも似てねえ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「彼女とわたしのキャラクターの違いは任務内容の違いによる性格設定の相違にすぎない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしは観測者。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女は観測だけでなく対象への能動的な働きかけをするという任務を負っていた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「名前が違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしたちにとって名前とは、個体識別の符丁に過ぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうじゃねえだろ。だったら呼び名にそんなにこだわるわけがねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつのパーソナルネームは？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「朝倉涼子。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「名前っていうのは両親からの最初の贈り物だ。あいつの『涼』っていう名前はハルヒの名字からとったんだろうな。なんだか記号的な感じがする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
『朝倉』っていう名字は、織田信長に滅ぼされた大名の姓だ。しかもその最後の当主朝倉義景は、首をとられただけでなく、信長によって髑髏杯にまでされてしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あまり名乗りたくない苗字じゃないか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もう一度おまえのパーソナルネームを言ってみろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門有希。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえの名字、長門は世界最強の不沈艦の名だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そして有希。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">希みが有る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いかにも人間の親がつけそうな名前だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは、朝倉よりおまえの方が親に愛されているような気がする。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「彼女とわたしでは派閥が違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">同じ親だと考えることは困難。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なら主流派がおまえが親だと考えてもいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">予定調和説って知ってるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「キリスト教神学の根本。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
人間の生まれてからのすべての行動、心の働きでさえも天地創造の日に決まっているという考え。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
人生とは完結した小説のようなものであり、本人はこれから起きることは知らなくても、作者である神はあらかじめ全てを知っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">神が全知全能であるとはそのこと。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
故に救済されて神の国の住人になることができるのは神の一方的な選別によるものであり、人間の努力とは関係ない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
小説の登場人物が幸福になれたのは本人の努力によるものではなく、作者の恣意でしかないように。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
小説の登場人物が不幸になったのは本人の間違いからではなく、作者の一方的な都合でしかないように。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
人間は生まれた者ではない。世界で生まれた者とは神の子にして神そのもの、イエス・キリストただ一人。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人間は神によって造られた者でしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
小説の登場人物が例え劇中に両親がいたとしても、作者によって造られた者でしかないように。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">善行をなした者が救われるなどと考えるのは、涜神でしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">神は人間社会の道徳による善悪などとは超越したところにある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
その善行でさえ、あるいは祈りでさえ個体の自由意思によるものではなく、神の作為によるものでしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからたとえ祈ったとしても神がその人を救うとは限らない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
祈れば、善行をすればその人を救わなければならないのなら、神は人間の奴隷に成り下がってしまう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">祈っても、神はその人を救うかもしれない、救わないかもしれない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでも人は神に祈らなければならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自らの救済のためではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ただ、神の栄光を讃えるために。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人のためではなく、神のための宗教。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「最後の一行だけは違うな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">神のための宗教なんてものはないんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">死んだ人のための宗教なんてものもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">全ての宗教は、生きている人間のためのものだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「説明を。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「因果応報って言うだろ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">善因善果。悪因悪果ってな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いいことをすればいいことがあり、悪いことをすれば悪いことがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
だけどそういうことを信じられるのは、古代インドみたいな豊かな社会に生まれた人だけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">努力すればそれなりの成果が期待できる社会の中でだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
例えば荒地の真ん中で、羊が子供を産んでくれるのを待つ以外に生活の手段がないとしたら？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
エジプトに、ローマに、周辺の大国にいいように攻められて征服され、独立などとても考えられないとしたら？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分が今不幸なのは自分のせいだなんて信じたがるか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ヨブ記は知ってるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「旧約聖書の一巻。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ヨブは信仰厚い者であったが、神はしもべの義を試みるためにヨブの全財産を奪った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでもヨブは信仰を棄てなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">次に神はヨブの全ての子供を殺した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでもヨブは信仰を棄てなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">最後に神はヨブの健康を奪った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ついにヨブは神を呪った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">神はヨブの前に姿を現し、自分は神であり汝はその奴隷にしか過ぎないと語った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ヨブは悔い改めた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「そうだ。予定調和説はキリスト教によって完成したものだが、ユダヤ教にその萌芽がある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
人間が信仰しようが善行をしようが、神は救いたい者を救い、救いたくない者は救わない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">荒地の宗教、砂漠の宗教だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんな殺伐としたところでは、不幸なのは自分が悪いなんて誰も考えたくない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">全て神様の思し召しだと思いたいだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">神様に全ての責任をおっかぶせちまえばいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうせ不幸なのに変わりがないとしたら、その方が楽になれる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの神様はどうなんだろう？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの神様は古泉に仕事を与えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれに鍵という役割を与えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
そしておれがあいつのことを好きだという気持ちは、あいつが与えたものなのか、それとも自然に生まれたものなのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきそんなことを考えたな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことはあいつに聞いたってわからないだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつが神の力を自覚しているとかしていないとかいう問題ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人間は自然の中で最も弱い存在だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人間ひとりを殺すために全宇宙が武装するには及ばない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ほんのわずかな力で宇宙は人間を押しつぶすことができる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでも人間は自分を押しつぶす者より尊い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人間は自分が弱いことを、宇宙が自分よりはるかに強いことを知っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">宇宙は何も知らない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしあいつはいくら考えても自分が何者かはわからない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは考える葦ですらない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは全能であったとしても全知ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
たとえあいつが神の力を自覚したとしても、すぐにその能力で記憶からその自覚を削除してしまうに違いない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを自覚するのは、あまりにも一人の人間が背負うものとしては重過ぎるから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">普通の人間は世界にがっちりからみ取られている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから簡単に世界を捨てることはできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしあいつは簡単に世界をするりとその手から逃がしてしまう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それをさせないために用意されたのがおれだとしたら？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのためにおれに恋という感情を与えたのだとしたら？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどそうであったとしても、あいつは決してそれを認めたりしないだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「誰かが自分を好きになったとしても、自分が好きにさせたとは誰も考えたくない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなものを一人で背負うのは重過ぎる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰だってそうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">相手が勝手に好きになったと考えた方が楽だからな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店じゅうの女どもがおれをにらんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……今の流れで何でおれが睨まれるんだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒのことだぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">本気でわからん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門…、なんでおまえまでおれをにらんでるんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「別に……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「話の本題はそこではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえ、日本神話にも予定説があることを知ってるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「日本の神道においては啓典宗教的な絶対神は存在しない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">原始宗教、アニミズムに近い多神教。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">絶対神がいないのに予定説が成立するわけがない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「神風神話だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「文永の役においては暴風雨が吹かなかったのではなかったのかという説がある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">弘安の役では元軍は石の防塁と鎌倉武士の奮戦に阻まれて二か月近く上陸できなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長期間九州沖の海の上にいればいつか台風に襲われるのは当然のこと。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">暴風雨によって元軍が沈んだのは奇跡ではない。偶然ですらない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ただの必然。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「歴史的事実がどうということじゃなくて、それがなぜ神話として成立したかということだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">亀山上皇をはじめ朝廷は一心に『敵国降伏』を祈り続けた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">祈れば必ず叶えられると信じていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何故か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ヨブはヤハウェと契約していたが、天皇は天照大神と契約などしていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当時の日本人は天照大神のみを信仰していたか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことはない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当時は朝廷でさえ仏教を厚く信仰していた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ならばなぜ天照大神は天皇と日本人を守るのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わからない………。 神とは嫉妬深いもの。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「天照大神はヤハウェとは違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしが今思い出したのはヤハウェではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「その話は今は置いておこう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ヨブも他の人間もヤハウェの子ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">神の子はイエス・キリストただ一人。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">天皇と日本人は全て天照大神の子孫だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">子孫というのはあくまでも人間側の見方だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人間は死んで代が替わっていくが、天には同じ神様がずっといる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
天照大神が地上をずっと見ている時、天皇と日本人はいくら代替わりしても自分の子だとしか思えなかっただろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">天照大神が日本人を守る理由はただ一つ、自分の子だからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">日本人が他の民族よりも良いことをしたからではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">北条時宗は元の使者を罪人のように斬首した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんなことは当時の国際法でも許されることではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">日本側に非があると言えないこともない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし天照大神にとって理非などどうでもいいことだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">日本人が天照大神を信仰しているからでさえない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
日本人がいいことをしようが悪いことをしようが、自分を信仰しようが信仰しまいが、そんなことは一切関係ない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">日本人が日本人である限り、天照大神はどんなことをしてでも守る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">理由はただ一つ、我が子だから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">親が我が子を守るのに条件なんか存在しない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いい子だろうが悪い子だろうが関係ない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その子が生まれた時から、いや生まれる前から守られるものだと決定している。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">予定調和だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
そこで一つ聞きたいんだが、朝倉の連結解除の申請はすぐに…、３秒後ぐらいに通ったんじゃないのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことはない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうなのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「１００万分の７秒後には許可が下りた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんだか誇らしげな声のように聞こえるのは気のせいだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「天照大神は元軍を暴風雨に遭わせて日本海に叩き込んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">親は我が子を殺そうとする者を殺すのに、一瞬でもためらったりはしないんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえが朝倉を消すのに手こずったのは…、おまえの親がためらったからじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ためらっていたのは…、おまえだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「朝倉涼子はわたしではなく、執拗にあなたを狙った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">とうとう…、我慢ができなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「朝倉はおまえの操り主が意見を変えるかもしれないなんて言っていたが、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえは自分が危機に陥ったら、おまえの親がどんなことでも許すことを知っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからおれに対してはっきりとこう言い切ることができた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『あたしがさせない。』」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あのアニメでもそういうシーンがあったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今日の日はさようなら」か。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「朝倉を消す決断をするのに一秒もかけなかったおまえの親だが、おまえの処分をするのにはためらい続けた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰でも自分の子を消したくはない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどこのままにするわけにもいかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何しろ自分が消されかけたんだからな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰でも死にたくはない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでもおまえの親は迷い続けた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ダビデ王でさえ反乱を起こした息子アブサロムに反撃することをためらい続けた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">親は子に殺されかけても反撃できないものなんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">三日間もどうするべきか検討していた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">多分処分を撤回する方向に決まりかけていたんだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんな時おれがおまえの親を脅した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの言葉はおまえの親が踏ん切りをつけるきっかけになったに過ぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことはない！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの時情報統合思念体はわたしを処分しようとしていた！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いまのわたしがあるのは思念体ではなくあなたのおかげ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「くそったれと伝えたか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「伝えた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何と言っていた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「我々は排泄などしない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">………なんて言うか、面白みのない奴らだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それとも長門に似て負けず嫌いなのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">というより、長門が親に似てるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえの負けず嫌いは親譲りか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今はそんなことは言わない方が良さそうだな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえがそう言うんならきっとそうなんだろうな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだとしても、向こうはおれのことが大嫌いだろうが、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはおまえの親が好きでもないが、嫌いでもないぜ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「好きでない理由は？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえを消そうとしたからだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「嫌いではない理由は？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当たり前じゃねえか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえをつくってくれたからだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おまえが今こうしていられるのは、おれがああ言ったからでもあるが、おまえの親のおかげでもある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しばらく沈黙していたが、やっと声を出した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「情報統合思念体は概念のみの存在にすぎない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたや涼宮ハルヒの親とは違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">情報のみの存在であって実体を持たない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを親とするのは単なる比喩にすぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そう来たか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今おれは何を握っている？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ボールペン。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「本当にそうか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ボールペンを分解した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">外側のカバーを握った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれは今ボールペンを握っているか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけどさっきと同じ所を握ってるぜ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「分解されてボールペンとしての機能を失えばそれはボールペンではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ。ボールペンとは実体ではない。字を書くための道具という概念にすぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">分解したボールペンを丁寧に元にもどした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれがおまえの頭の雪を払った時のことを覚えているか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「当然。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたはわたしの髪を撫でてくれた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">コートを着せてくれた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">フードをかぶせてくれた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">手を取ってくれた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど腰だけは逃げていた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そういうことじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの時おれはおまえの頭に触っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜならおまえの頭に触れていたのはおれの手だから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどおまえがおれの手を体から連結解除したとしたら」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことは絶対にしない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だから仮に」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「仮にでもしない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だったら他の誰かがおれの手を」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたしがさせない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とにかく仮にだ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの手が体から離れたらおれはおまえに触っているということになるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">違うな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの体から離れた手はもうおれじゃないからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なら肘が触ったらおれが触ってることになるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">体についていたらそうだろうな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど肘を切り離したら？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その肘はもうおれじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だったら上腕か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">切り離されたらおれじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">肩か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">切り離されたら違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんな風にどんどん輪切りにしていってもおれはどこにもいない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれという実体はどこにもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの親だってそうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">概念のみの存在でしかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「詭弁。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ、詭弁だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはここにいる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどなぜおまえにおれがここにいるとわかる？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの姿が見えるからか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの声が聞こえるからか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたの匂いがする。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつだったらにおいで誰か嗅ぎ分けられてもおかしくないな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけど何故それでおれがいると断言できる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの姿が見えて、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの声が聞こえて、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれのにおいがするだけかもしれないじゃねえか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もしかしたらおれはいないかもしれない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえはおれがいるという情報を伝達されているだけかもしれない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「詭弁。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「詭弁ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰でもそういう体験をしたことがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夢だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつは夢を見るのだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
人間が夢を見るということは知っているだろうからたとえ話は理解できるだろうが、「誰でも」と言ってしまったのはまずかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしも夢を見る。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">よかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「夢の中に誰かが出てきて、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そいつの姿が見えて、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そいつの声が聞こえる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そこにいるとしか思えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどそいつはそこにはいない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどいないと言えるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夢の中でそれが夢だと判断することは絶対にできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">現実の中でそれが現実だと判断することが絶対にできないように。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ならば夢も現実も同じだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夢の中でそいつが存在する情報を受け取っているのと、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">現実の中でそいつが存在する情報を受け取っているのと何が違う？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それがどこであれ、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">見えるということはあるということだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">聞こえるということはいるということだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
どんな形の情報であれ、存在するという情報を受け取れれば、事実存在するということだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">たとえ情報のみの存在だったとしても、そこにいることには違いない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どうやらあなたはこう言いたいらしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夢の中に誰かの姿が見えていたらその人はその場にいる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰かの声が聞こえたらその人はその場にいる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そういうことだな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「今言ったのは視覚情報と聴覚情報に過ぎないが、五感と呼ばれる感覚には嗅覚情報、触覚情報、味覚情報が含まれる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夢を見るとは言うが、夢を聞くとか夢を嗅ぐとかは言わないな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それだけ人間が目に頼っているということだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「誰かの匂いがすればその人はその場にいる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">においで個体識別ができるのはおまえぐらいだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「誰かの手をつかんだらその指と手の平の感触を通じてその人は存在する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんだか具体的だな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「誰かの唇の感触を堪能したらその人はその場にいる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ちょっと待て！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「その舌を通してその人の味覚情報を受理すればそれは現実。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夢だなどという弁明はできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが言いたいのはこういうこと。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それは別の話だろうが…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは涼宮ハルヒの『情報』を味わったことを否定しないのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">メモ用紙を一枚ちぎってボールペンを走らせてみた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、これが何だかわかるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">拗ねてやがるな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「はここにいる」を棒線で消して「がさせない」にした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「これは？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「まだいや。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">注文がうるさい奴だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わ」を消して「あ」にした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「これでどうだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「『あたしがさせない』と書かれている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違うな、これは紙とインクだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「詭弁。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「たしかに詭弁だ。これは文字、あるいは文章。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">つまり情報だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">では『あたしがさせない』というのは実効のない情報に過ぎないのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あからさまに不機嫌な声を出すな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わかっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
これがもしただの情報だったとしたらおれはビームで頭を貫通されるか、カッターで切り刻まれるか、ナイフで突き刺されたままか、どれにしろここにはいられなかっただろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そしてただの情報ではないものがここにもある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">左手の手首を見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">二つの噛み跡。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門の犬歯の跡がくっきりと残っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なあ、これはハルヒが来るまえに消」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたしの痕跡。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">抗命にならないように命令する前に先手を打ちやがったな…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつもはすぐに消えるのになんで消えないんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それは物理的な痕跡。しばらくは消えない。あなたの体に刻み込んだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえな、それはいいんだが、ハルヒが見たらなんて言うかわからんぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門に噛まれたなんて言ったらどんなことになるか…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それがいやならばあなたのシャツにルージュをつける。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">体に直接がいいなら首筋にキスマークを…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わかった。これでいい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰かが「昼間やってるメロドラマみたい…」と言ってあわてて目をそらした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門に睨まれたな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">机の上に放りっぱなしにしていた時計をはめた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">かろうじて跡を隠すことができる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたしの痕跡を涼宮ハルヒの痕跡によって隠せるようにした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしの優しさに感謝すべき。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ありがとう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ガン！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜ礼を言って本のカドで殴られなきゃならんのだ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とにかくだ、『あたしがさせない』というのはただの情報じゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ここにおれがこうしていられるから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきおまえがキレたこともただの情報じゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえの噛み跡があるからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">サンタクロースは本当にいるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">サンタクロースとはプレゼントをくれる人のことだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">プレゼントがそこにあるということはそれはただの概念じゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">物的証拠をともなっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからおまえの親もただの概念でもなければただの情報でもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのはっきりとした証拠がここにある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえがここにいる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だから、バックアップになろうなんて思うな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">捨石になろうなんて思うな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まして家畜になろうなんて思うな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっき言い忘れていたことがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">日本海軍はドイツ海軍と違って膨大な数の駆逐艦に全て名前をつけた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おまえは駆逐艦なんかじゃなくて連合艦隊の旗艦をもっとも長く務めた最強戦艦だけどな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「海上自衛隊は潜水艦にすらいちいち名前をつける。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえの親はおまえに長門有希という名前をつけた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">家畜にはな、名前なんかないんだよ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しばらく長門が沈黙していた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつが黙っているのは珍しくないが、なんだか考えているようだった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしはあなたたち二人のために犠牲になったりしない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは涼宮ハルヒを守ればいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたはわたしが守る。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いつもと同じだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしはあなただけを守る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたがどんなに泣き叫んでも、涼宮ハルヒは見殺しにする。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やらねえよ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">握ったボールペンをくるくる回した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえはハルヒを見殺しにしたりしねえよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「『遅い』と怒鳴られてもおれは傷つかないっていう話をしてたな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あんなことを言われてもおれが返事をしないっていう事はわかっていたはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なら誰に聞かせるためにあんな話をしたのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれに聞かせるためじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ここにいるギャラリーの皆さんに聞かせるためでもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰にか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえはハルヒに聞かせるためにあんな話をした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あんな話をすればあいつのことだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
いつもなら『遅いから遅いと言った。それで傷つくならあんたが悪い』とかそんな減らず口を叩いたはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどあいつは黙って聞いていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえがあいつのために話していることを知っていたからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつはおまえに、自分がおれを傷つけていないと言われて喜んでいた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱりおまえはあの十二月とは違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきも言ったようにそれが単なる変化なのか成長なのかおれにはわからない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わからないが、おまえがなりたい自分になっていっていることだけは確かだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">進化というのは遺伝情報の伝達の齟齬の繰り返しにすぎない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なりたい自分になることができるわけじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど、おまえが今体験していることはこう言うしかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「自律進化だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒも、なりたい自分になろうとしている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分の弱ささえもさらけ出すことができればどんなに楽かということを知っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどそれが出来ない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それをするのが怖い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">生まれて初めて信じていいと思った存在。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">世界で最も信頼できる存在。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この世で唯一信頼できる存在。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんな存在の前でさえも強張った態度しか取れない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどもしかしたらそんな自分を変えられるかもしれない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なりたい自分になれるかもしれない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まさしく…、自律進化の可能性。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そのためには、あいつの心の根っこの部分にある、不安を少しずつ取り除くしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それが、俺達の仕事だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何故複数形？ あなたがその可能性の鍵。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえらもやるんだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのためにおまえらはハルヒに呼び集められたんだからな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それはそれでいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今は別のことをあいつのためにやらなきゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">俺達でな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「我々はあまりにもあなた方にあいつのプライバシーを曝け出しました。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんを真っ直ぐに見て言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「それによってあいつが不利益を被るようなことがあれば、あなた方に対して少々乱暴な手段を取らざるを得ません。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">軽蔑しきったように鼻を鳴らされた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「君、それでドスを利かせているつもり？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしが君みたいな高校生のガキに脅かされると思ってるの？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女にピーピー泣かされてたくせに。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">君が自由に出来るのは、せいぜい二人だけでしょ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どんな女でも自分にかかれば言う事を聞くとか思ってない？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">これだけはきちんとしておかなきゃならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、あれをやれ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それよりも記憶の改竄を推奨する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや、それはまずい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">思い切り見下した目でこっちを見ている店長さんを見ながら言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはあとでこの人たちに説教されなきゃならん。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「了解した。何を対象とするか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうやってすぐ女の子に頼る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">君はハルヒちゃんを守るとか言ってたけどね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">君みたいなガキに何が出来るっていうのよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門さんを利用してハルヒちゃんの機嫌を取っただけでしょ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">君自身はあの子に何にもしてないわ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの子を守ったのは君じゃなくて長門さんよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「店ごと消してやれ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「推奨しない。今は真冬。店が消えればあなたが寒い。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだな。だったらここの商品を全て連結解除しろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">生命体でなければこいつの権限でできるはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">朝倉もやってたしな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「推奨しない。あなたが悪趣味だと思われる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">とにかくこのままではまずい。こちらがどう考えているかを見せなきゃならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なあに、その目？ 怒ったの？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おあいにく様。こっちは君なんかがいくら怒ったって怖くともなんともないわ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「外から見られるとまずい。まず空間閉鎖しろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">音もなくこの建物の全ての出入り口が消えて一面壁となる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんの方を見ながら言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店の名前は…、忘れた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「当店舗の全展示品並びに全在庫品を敵性と判定。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">該当対象の情報結合連結解除を命令する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門の小さいけれどもよく通る声が店全体に響く。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「情報連結、解除開始。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あとは…、いつか見た光景だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんなことに慣れている自分がいやになるが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
マネキンが着ていたカーディガンが、展示されていたトレーナーが、腰だけの人形？に履かされていたスカートが、光の粒となり、結晶となり、みるみるうちに消えていく。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
ご丁寧にスカートが消えてから下着が露わになり、さらに下着が消えて真っ黒い人形というか何というか、人間の腰の形をした名称不明の物体が露わになる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
たちまちブティックが、何屋だかわからない、借りたばかりのビルの一室のようなものになっていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「れ、連結解除って…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">悲鳴を上げている人もいれば、声も出せない人もいる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その表情は一様に…、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そりゃあ驚くよな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">驚くに決まっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">驚かすためにやったんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">驚いてもらわないとさらにやらなきゃならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その必要もなさそうだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今の長門ならやりそうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、なんだかノリノリだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが命じれば人間であれ、地球であれ、衣服であれ何でも情報連結を解除する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">衣服を強調するな。おれが変態だと思われる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だから推奨しないと言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが決断すればわたしは従うが、もう少しその前にわたしの意見も聞くべき。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ、有機結合の連結解除の権限なんかあったのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたの脅迫によってわたしの権限は飛躍的に大きくなった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">無論有機生命体へ連結解除も含まれる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえの親は何考えてるんだ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">三歳の子供に殺人許可証なんか出しやがって…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえダブルオーナンバーなのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">番号はいくつだ？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「すると何か？ さっきおれの有機連結を解除しろって言ったけど、やろうと思えばできたのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「できない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だからやろうと思えば…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「できない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや、やるかやらないかじゃなくてだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「わたしの任務は涼宮ハルヒの監視であるが、あなたの脅迫によってわたしの主任務が変わった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今のわたしにとってそれは副次的な任務でしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今のわたしの主任務はあなたの護衛。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">一ヶ月間、一秒間に８５０回の申請を出し続けたら許可が下りた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そういうのは申請と言わずに嫌がらせと言うんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ホント、おまえの親はおまえの言うことを何でも聞くな…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「そんなことはない。わたしの体つきを女らしくすることについては一向に許可が下りない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">父親なんてそんなもんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「護衛が任務である以上、有機連結解除の権限も当然必要。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからって危険すぎるだろうが。子供にそんな凶器を持たせるのは…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「情報統合思念体は何も危惧していない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">危惧しろ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたがここにいる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「情報統合思念体は、あなたは絶対にわたしに人殺しなどさせないと判断した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「当たり前だ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ていうことはまさか…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれにおまえの鍵になれっていうことか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「その認識で間違っていない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まったく、どいつもこいつも…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">仕方がないか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">情報統合思念体には借りがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門をあの十二月、あそこまで追い詰めたのはあいつらじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もちろんハルヒでもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">俺『達』でさえない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたはやさしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰に対してもやさしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしに対してもやさしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あなたが、わたしに対してとてもやさしくしながら、やさしくしたのがわたしにだけではなかったことが、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしをあそこまで追い詰めた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしを追い詰めたのは他の誰でもない、あなた自身。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">思念体としては、『おまえのせいだろうが』としか思えなかったろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからこのことに対して俺に責任を取れと言っているわけか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけどおれはおまえに対して責任が発生するようなことは…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒに対してやったようなことはしてないぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは、自分に恋する女の命を救ってしまった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">悪いことしたみたいに言うんじゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。それはとても悪い事。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それをした以上は当然責任が発生する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">行きずりの男の子の命を助けたのとはわけが違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女の命を救ったからには、生きていく希望を与える義務がある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ、あの日に朝比奈さんとおれが何をしていたか知っているのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたと朝比奈みくるは遊んでいたのではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">一人の少年の命を救うために活動していた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だったらなんであんなに怒るんだよ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それとやきもちとは別。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「まあいい。さっき消したやつだ。高価なものらしい。再構成してやれ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「了解した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">音もなく連結解除前の光景が出現した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「バ、バケモノ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは今、長門のことを化け物と言いましたか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分でも驚くほど穏やかな声が出た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが目を見張りながら二、三歩後ろ歩きをした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">新しい健康法だろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ち、ちがうわ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">バケモノは君の方よ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">男が本気でキレると恐ろしく静かな声を出すっていうのは本当だったのね…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">このわたしが完全に震え上がったわ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
さすがに、これだけのことが出来るこの子を怖がるどころか、やさしく気遣ってあげられるだけのことはあるわね…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんだか饒舌ですな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「女はビビると饒舌になるものなのよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ここの電話をスピーカーモードにすると決めたのはあなたです。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それによってあいつが秘密にしておきたい情報が不特定多数の人々の前に晒された。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">責任は決断に帰結する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">責任を取って下さい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">具体的には…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わ、わかったわよ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あんたたち、とにかくハルヒちゃんと長門さんに関してだけは、絶対にこの子…彼を怒らせるんじゃないわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わかってます！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「死にたくありません！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「死ぬよりもっとひどい目にあわせられるかもしれないわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">大丈夫です。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
いくらおれでも街の真ん中で、あなたたちの身に着けている衣服の繊維結合の連結解除を命じたりしません。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まあ、一日ぐらいどうしても思い出せない日があったとしても人生は人生。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ひとりやふたり足りなくても世界は世界ですけどね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わかってるから念押ししないで！ お客様方もいいですね！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「はい、わかりました！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「絶対に他言しません！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「お、思い返したりもしません！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さすが店長、たいしたカリスマだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">従業員だけでなく客にまで言うことを聞かせている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">客を客とも思わないだけのことはあるな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ちょっと、皮肉言わないでよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや、仕事が早くて助かります。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">本気で感謝してますよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さすがに一人一人脅してまわるのはめんどくさい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まあ、どこかから情報が洩れたらそうするしかないですが…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「彼を甘く見ない方がいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼が優柔になるのはある女性に対する扱いだけ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
見知らぬ少年の命を救うために暴走車両に向かって走る決断をするのに一秒もかけなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼はもともと果断に富んだ性格。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒを失うくらいならどんなことでもする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どんな残酷な決断でもする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ひとつの世界を滅ぼすことさえも厭わない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">というより、やった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門有希はおろか、涼宮ハルヒを殺すことさえした。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは一人、ハルヒを殺した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう言えば、おまえに銃を向けたことがあったが結局撃てなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">面倒をかけたな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたの決断に従ったまで。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしにはその決断がどうしてもできなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あのエンターキーを押したのは、ハルヒをおれの後ろに座らせるためだけじゃねえ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あの世界でのあなたは、全てその目的のためだけに行動していた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">全ての意志と力をそれに集中していた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや、もう一つ理由があった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえの眼鏡を外させるためだよ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この三点リーダは、咄嗟に次の言葉が出なかったためのものらしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんていうか、その方がおまえらしいよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しばらく黙っていたが、また声がした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「自分で外させたくせに、その方がわたしらしいなどと、よく言う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、おまえは普通の人間として生まれたかったと思ったことがあるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なぜそんな残酷なことを聞く。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あるに決まっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからこそあなたに迷惑がかかるに決まっているのにあんなことをしでかした。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえだけじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰だってこんな自分じゃなかったらと思うことがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんな生まれつきじゃなかったらと誰でも考える。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたがそんなことを考えるとは思えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたほど恵まれた生まれつきの人間はいない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒが持たない安定した精神を持っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">朝比奈みくるが持たない知恵と判断力を持っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門有希が持たない行動の自由を持っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">古泉一樹が持たない自分が好きな女性の心を持っている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「最後のはあきらかに勘違いだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうかもしれない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それは生まれつき与えられたものではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが努力して勝ち取ったもの。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒに一目ぼれしたあなたは、彼女に粘り強く働きかけた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
それによってあれほどかたくなだった彼女の心を、わずか三週間でドロドロに溶かしてしまった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんだドロドロって、あいつの心は火砕流か。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とろとろ、でも良い。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">スイーツかよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そういうことを言いたいわけじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの眼鏡をかけた長門はおまえじゃないっていうことだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきも聞いたが、人間は何によって構成されている？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「情報。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつとおまえは同じものでできているか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女にはあなたとの八ヶ月半の思い出がない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女に与えられた思い出は、あなたに図書カードを作ってもらったというものが唯一。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そしてその思い出は、詳細は違うとはいえわたしにもある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれも古泉みたいな美男に生まれていたら、なんて考えることがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどそんなことを考えても仕方がないことだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんな平凡な顔をしたおれだからこそおれなんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">美少年に生まれていたら、それは今のおれよりも幸せだったかもしれない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけとそいつはおれじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれとは何の関係もない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう………、あなたとの八ヵ月半の思い出があるからこそわたしはわたし。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを失ったわたしはわたしではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえはあいつと記憶を共有しているか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「していない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「精神医学では記憶を共有していなければ別人格と考える。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">多重人格っていうだろう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「乖離性人格障害。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この場合は多重人格と呼んだ方がしっくりくる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">肉体が同じでも違う人間ということだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえは対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからおまえなんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だからこそわたしはあなたに出会うことができた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたとの八ヵ月半の思い出をつくることができた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そしてそれは、わたしを構成する情報の根本。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そこがいちばんハルヒと違うところだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことは今はどうでもいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どんなことをしてもおまえを取り戻すっていうのはそういうことだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからおれは、あの時エンターキーを押した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やはりあなたは八方美人。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">一行動が二目的を持っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの時でさえ、意志の集中、力の集中ができていなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんがおれの後ろに向かって話しかけた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門さん、あなたに聞きたいことがあるの。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたはわたしの前で彼を愚弄した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">覚悟はいい？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今日は饒舌だと思ったがやっぱり長門は長門だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">会話になってねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「パーソナルネーム神原明美を敵性と判定。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">該当対象の有機結合情報の連結解除を申請する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まさかおれに言ってるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「却下だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「神原明美の有機情報連結解除を申請する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ダメだ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この女を世界から消す。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いい加減にしろ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ならば独断専行する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはおまえの鍵じゃなかったのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしの独断で有機連結解除ができる場面が二つだけある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ひとつは、わたし自身の生存が脅かされたとき。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そりゃそうだろう。誰にだって自分を守る権利がある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう一つは、あなたに危害を加えられようとしたとき。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうわたしが判断した場合、あなたの決断を仰がなくてもそれをすることができる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この女はあなたを愚弄した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">危害を加えるかもしれない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことはしねえよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは愚弄されてくやしくはないのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どうでもいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">心の底からどうでもいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうでもいいとか口にする時間ももったいないほどどうでもいい。<br />
二度と足を踏み入れない洋服屋の店主にどう思われてもかまわん。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ひどいことを言うのね…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが恨みがましい目でこっちを見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒがまたここに来たがるかもしれない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「バカ言え。鏡の無い洋服屋に来たがる女がいるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この女のあなたへの態度はお客様に対するものではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この店にとっておれは客じゃないっていうだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どんな店舗に入っても消費者は王様だとか思わない方がいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この人は洋服屋だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">洋服屋は人を身なりで判断する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">某量販店出身のトレーナーの襟を引っ張りながら言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この程度の男なら購買力がない、この店に金を落とす能力がないと判断した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから客扱いしなくてもいいと思った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どんな格好であろうが客として入ってきた者は客としてあつかう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それが小売店の常識だがここはそうじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">客が店を選ぶんじゃなくて、店が客を選ぶ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それだけの話だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ならばその認識が風評として流れるように情報操作を行う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ひっ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「余計なことをするな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こういう噂は自然に流れていくものだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ほっとけばいい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ちょっと……、そんなつもりじゃ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">本気にしないで下さい。長門をキレさせないための方便です。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだろうと思ったけど…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">キレさせてもいいですけどね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今の長門は危害を加えたり、存在を抹消したり、絶対にそんなことはしません。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうなの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれに対しては。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…当たり前じゃないの！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
それから身なりがどうとか言ってたけど、あなたが無造作にしてる時計一コで、うちの一番高い商品が十着以上買えるわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなものはいらん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたにとってはそんなものでしょうけど…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">貰い物を褒められてもうれしくない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ハルヒちゃんのご両親にとってはそんな時計よりあなたの方がずっと価値があるっていうことね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当然だけど…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分たちがやらなきゃならなかったことをあなたがしてるわけだから…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しまった。長門をほったらかしにしてしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この店の購買層は女性だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ここの従業員も女だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
さっきも言ったが、その被差別意識から女性は同性グループに対して強い帰属意識を持つ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おれを『女の敵』と仮定しそれを責めることで店員と客との連帯感を持たせ、店に対する親近感を高めようとした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それによってあわよくばこの店での購買欲を高めさせようとした。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「愚かなことを…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「大人のやり方なんてそんなもんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「三歳の子供のやり方。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
わたしが自分を仮想敵としてあなたと涼宮ハルヒとの連帯感を高めようとした方法と同じ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">犠牲にしているのが自分ではなく他人であるだけに余計に始末に悪い。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけどおまえに女としての連帯感を持っているってことは方便じゃなくて事実だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この人はおまえに女どうしの話をしたいって言ってるんだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「人間を染色体の形で区別することに意味があるとは思えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたはさっきあのように言ったが、わたしは変わっていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒも変わっていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしにとって世界とは、『あなたとあたしとそれ以外』。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それ以外もあるって気づいただけでたいした進歩だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この人の話を聞け。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この女はそんなに偉いのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたよりも？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「当たり前だ。おれみたいなガキとは違う。一店を切り盛りしている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたはわたしなり涼宮ハルヒなり古泉一樹なりを利用すれば、金銭などいくらでも手に入れることができる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「日に一億円転がす人より月に数十万円稼ぐ人の方が偉いんだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは涼宮ハルヒと長門有希を支配している。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この二人を通じて世界そのものを支配することもできる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことしたいと誰が言った。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはショッカーの首領か。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは六十億人の生殺与奪の権を握っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この女は一つの店を支配しているにすぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「支配している人数が多ければ偉いだなんて誰が決めた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつおれがそんなことを教えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえの親の思想か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">小国の指導者より大国の指導者の方が偉いのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">小会社の社長より大会社の社長の方が偉いのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やたらテリトリーを広げてどうする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分のテリトリーに対する責任をきちんと負っている人がえらいんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この人は大勢の従業員を食わせている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">絶対におまえにとって有益な話をしてくれるはずだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この女に何かできるとは思わない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒの魂を救うために何の役にも立たなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">最初から最後まであなた一人でやった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違うな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違わない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれとおまえでやったんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたはここにいる女たちはみな涼宮ハルヒの味方をしていると言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
しかしこの女は、彼女の魂を救うためにトイレットペーパーでできた傘なみに役に立たなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ひどっ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえは洋服屋に何を期待してるんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それに、洋服を選んでもらうことによって救われる魂だってあるはずだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえには絶対わからないだろうが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしはあなたを愚弄した者を許すことができない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきこう誓ったのをあなたもおぼえているはず。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたの心にかすり傷一つでもつけるようなことは、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あたしがさせない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ナメるんじゃないわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが大声を上げた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こっちを見ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「彼をナメるんじゃないわよ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしなんかに何か言われたぐらいで傷つくような自信のない男じゃないわ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことはわかっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうでなければあの涼宮ハルヒをあんなに丁寧に扱えるはずがない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは別に丁寧に扱われたいわけじゃねえよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの五月を思い出していた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ちょっとぐらい乱暴にされてもいいから、特別に扱われたいだけだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やっぱりわかってるのね…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
それはともかく長門さん、彼はわたしを含めてここにいる女たちにどんなことを言われても平気だし、どんな風に思われてもかまわない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうふるまっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたやハルヒちゃんに対する態度とはまるきり違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
男は自分にとって大事な女性とそうでない女性とを、時として残酷なまでに差別するんですよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そっちはわかってないようね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さいですか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「大切な異性に比べてどうでもいい異性をひどく差別するのは、男より女の方よ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女はね、自分と好きな男だけ残して世界が滅んじゃえばいいって本気で思うものなの。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それに気がつかないのは、あなたが決して差別される側にはまわらないからのようね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とにかく長門、この人の話を聞け。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「当然だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……わかった。聞く。何？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いきなりいつもの口調にもどるな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「彼はあなたよりハルヒちゃんのことが好きよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">半日しか見ていないわたしたちにもはっきりわかるんだもの。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ずっと彼を見ていたあなたにわからないはずがないわ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでもあなたが彼の言うことを聞いているのは何故なの？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱり彼のことが好きだから？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">空気を切り裂くような声が聞こえた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒもさっきこんな声を出してたな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしが彼の決断に従って、後悔したことなど一度もないから。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今日はじめて彼に嘘をついた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒは彼にだけは自分の居場所を言わないでほしいと言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしも彼には教えない方がいいと思った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女もわたしも間違っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼の決断が正しかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼はわずか五分三十七秒で彼女を救ってしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしにはどうにもできなかったのに。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼が決断しさえすればどんなことでも可能だと再認識した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そういうのを丸投げと言うんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしと涼宮ハルヒは違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女は絶対に切れないライフロープにしがみついていながら、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『これが切れてもかまわない』</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『だからこんなものがなくても平気』</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">などとブツブツつぶやいている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何故か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女にはそれしかないから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを取りあげられたら何もないから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからそれがなくなっても平気だと自分に言い聞かせている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことでプライドを保とうとしている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">愚かとしか言いようがない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなものより彼の背中を十か月間見続けている一途さや、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">三日間彼の病室を片時も離れなかった健気さを矜持とするべき。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そちらの方がはるかに自慢になる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことができる方がはるかに人は羨む。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この中でそれができる女が何人いるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女どもの反応は…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">うつむいている人。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ぼーっとしてなんだか妄想にふけっているような人。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">じっとおれの後ろを見ている人。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">最後のは店長だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そして同級生の女の子にそんなことをさせられる男が何人いるか…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしはそんなことは知らない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれも知らんな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは知るべき。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だったら調べとけ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わかった。Ａ４用紙五十枚以内でレポートにまとめてくる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令解除だ。やらなくていいぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「読んで。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やらなくていいって。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「読んで。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……もともとおれがやらせたわけじゃねえよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もしかしたらそんな男などいくらでもいるかもしれない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどわたしにそんなことは関係ない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">重要なのはわたしのすぐそばにそんな男がいるということ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしは彼に裏切られても後悔しないなどと覚悟を決めたりしない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">切れるはずのないロープが切れた時のことなど考えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なくならないものをなくなってもいいなどと思わない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒは彼に裏切られてもいいと覚悟を決めているだけ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">朝比奈みくるは自分自身の判断力がないから全て彼に丸投げしているだけ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">朝比奈さんは判断力がないんじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">判断材料がないだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしはただ彼を信じている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">かならずわたしを良い方向に導いてくれる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今、この瞬間でさえそう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼の決断に従ってあなたの話を聞いたことによって、あなたの誤解を解く機会を得た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何故信じられるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼がわたしを裏切ったことが一度もないから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……おかしい？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">じっと長門の話を聞いていた店長さんがはっとしたような顔をした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そして深々と頭を下げた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門様、申し訳ございません。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何も知らないくせに知ったようなことを申しました。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なぜわたしに頭を下げる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼に…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やめとけ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この人はおまえに対して悪いと思ってるだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは関係ない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だいいちおれたちの信頼関係はおれたちだけが知っていればいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">他人に説明する必要なんかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「確かに。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰かがほうっと息をついた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今日もまたあなたはわたしを救った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたの話を聞き、あなたに従ったことで、蓄積されかけたバグが一気に消去された。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">感謝している。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あのままでは再び暴走する恐れがあった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">声を聞いている限り、落ち着いているようだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「思念体の思惑がどうであれ、あなたにまた迷惑をかけるくらいならわたしは自分の有機情報連結を解除する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">これは、言わなきゃならんな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そいつは……」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ボールペンの先で机を叩いた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">カンッという硬い音がする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長がビクッとしてこちらを見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店じゅうの女がみなこっちを見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">体ごと後ろを振り返る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店中が釣られて長門の方を見る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">知るか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">このセリフを初めて言う時は、相手の顔を見つめるのが作法なんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれがさせない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あれほど感情をあらわにしていた長門だが、いつもの無表情だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その頬はピクリとも動いていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「このおれが呼吸をしている限り、長門有希は世界から消えることができない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">覚悟しておけ……。返事は……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門の小さな体、人形のような白皙の肌、水晶のような瞳を思い切り怒鳴りつけた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「返事は！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………了解した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">笑ったような気がした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もう一度背中を向けた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「フン、何ニヤニヤしてやがる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いじわる…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「意地悪ね…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ忘れてた。電話を元通りにしろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">これを直さないと警察に突き出される。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんでわたしが…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえのせいだろうが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「了解した。だけど一つだけ条件がある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「言ってみろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう一度、わたしの名前を呼んでほしい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうか。長門も有希もおまえの名前だったな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おれから見て一番遠くにいた女がハッとしたような顔して、今度はすがるような目をしてきた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やれやれ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「固定電話の通信連結を再構成しろ………有希！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いや、そんなホッとしたような顔をされても。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">空気から光の粒があらわれ、みるみる集まっていき破壊された部品が再構成される。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">するするとコードが伸びて壁の電源におさまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こっちは驚かないんですか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もう耐性がついたんですか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">みんなやれやれ良かったみたいな顔してますけど。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「用がすんだら帰れ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……また明日な。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…また明日。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ハルヒがくる前に……って遅すぎるだろう、あいつ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえ、もうすぐ来るって言ってなかったか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「彼女はあなたをちょうど二年九ヶ月待っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それに比べればもうすぐとしか…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何かあったのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「電車が止まった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえまさか…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「情報操作はしていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">話をする時間を得るためにそんなことをしたら、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたに怒られるに決まっている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当たり前だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何千人もの足に影響するんだぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ただ、『家畜になる』と言ったらきっとあなたは怒るだろうと思っていた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………からかったのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">必死の声を出すな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたに一度怒られてみたかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………変態。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「こんなにかわいい子を変態って…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんがとがめるように言ってきた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「変態でもいい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だそうですよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ただ…、あなたに本気で怒られるほどに心配されている、彼女に対するやきもち。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それで満足できたか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「後悔している。あんなに怒られるとは思わなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">バカめ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それで何で電車が止まったんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「突然の雪。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もう一度振り返った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつの間にか日が暮れていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
風はやんでいた。窓の外の雪は街灯に照らされながらまっすぐ落ちてくる。それを背にしてたたずむ少女。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">きらきら光っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">光っているのは雪か、有希か。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">水晶の夜。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">これだけはハルヒも朝比奈さんもかなわないだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まるで絵画のような、幻想の中のような。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…なに。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">苗字で呼ばれたからって不機嫌な声を出すな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「似合ってるぜ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">同時に背中を向けた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">このセリフを言った後は相手の顔を見ないのが作法なんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……あなたと話す時間があったから、少し脱線させて長引かせてみた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">幻想の少女がひどく俗っぽいことを言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「少しでも長くあなたと話したかったから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……ごめんなさい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや、いい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ちっとも少しじゃねえが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことより早く帰れ。さっきまた明日って言ったろう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつまだ話を長引かせるつもりか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「チッ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">二度目だな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">幻想の美少女が舌打ちなんかするんじゃありません。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…美少女。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなところに食いつくな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたに警告しておくことがある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは今日結論を出さなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">決断を先送りした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">責任は決断に帰結する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは決断しなかったことに対する責任を負わなければならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">…覚悟しておけ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何が言いたいんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あきらめたわけではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…そう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれもおまえに警告しておくことがある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なに。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「カレーは五杯までにしろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「保証はできない…。」</div>
<p> </p>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうせおまえに秘密を持とうとしても不可能だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「そうやって、誰彼かまわずやさしくするから…。そういうところが君は無責任なのよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">昔床屋で読んだ漫画のセリフを引用しただけなんだけどな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「せっかく言うべきことを言えたと思ったのに…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきあなた、おれがやったことを非難してませんでした？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけど、この子はどこで電話してたの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうでもいいでしょう、そんなことは。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「確かにどうでもいいことね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし店員たちの反応は店長のそれとは違っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この子が長門さん……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんてきれいな子……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「さっきの子とはタイプが違うけど……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
たしかにこいつもハルヒもどこに出しても美少女で通る容姿をしてますがね、二人とも自分の外見なんかどうでもいいと思ってますよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「美少女…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なに照れてやがる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんがちらりとこっちを見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「君の前ではそうでもないみたいよ………、」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうですかね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「二人ともね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「外見などどうでもいいと思っているのはあなたの方。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まあ、おれみたいな平凡な容姿の男が自分の外見なんか気にしても仕方がない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえらとは違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒはあなたのことを面食いだと言っていたがわたしは違うと思う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは佐々木某という美少女の同級生と友達づきあいを一年間続けていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それも、週三回必ずあなたの自転車の荷台に乗せるという友達づきあい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ともだちづきあい」という発音に皮肉っぽく力がこめられているような気がするのは俺の気のせいだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「しかも卒業以来一度も会おうとしていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女とのつきあいをぴたりとやめてしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたにとって女性の顔とは個体識別の記号でしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰だかわかればそれでいい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんだそりゃ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何が言いたいのかわからん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは朝比奈みくるの胸を見ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒの全身を舐めるように見る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしの目しか見ない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「愚痴を言いに来たのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それだけではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんに言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「こいつは買い物に来たわけじゃありませんよ。いいんですか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もちろんかまわないわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが最初に声をかけたのは涼宮ハルヒだけではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">佐々木のことか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたは中学時代の涼宮ハルヒと別れた後、その足でわたしのところに来た。わたしはいきなり声をかけられた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「インターフォン越しにな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたはわたしの部屋に入ってきた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「入れと言われたからな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしの部屋で寝た。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「寝ただけだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「朝比奈みくると同じ部屋で……」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことを言いにきたのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それから、こういう所に制服で来るのはよせ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんをちらりと見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや……、うちとしてはかまわないわよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もしこの衣服があなたにとって不必要だと言うのなら……、」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「振り向いたりしてやらねえからセーラー服の縫合連結を解除するな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「チッ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">舌打ちするな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒのやり方をまねてみた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だから何しに来たんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたにお願いを言うため。許可を。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いいだろう。ただしハルヒが来る前に帰れ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ちょっとそれはひどい……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">という声が店員の間からした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長がその店員をたしなめた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「これは言わなきゃならないことよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「時間がない。なんだ願いってのは？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしを、涼宮ハルヒのバックアップにしてほしい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「はぁ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何を言い出すんだこのバカ女は…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「人間にバックアップがあってたまるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしは人間。人間のわたしにバックアップがあった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒにバックアップがあってもおかしくない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒがいない時、わたしを利用してほしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしと涼宮ハルヒはよく似ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">かならずあなたの役に立つはず。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえとハルヒが似てるかよ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうね。さっき誰かが言ってたけど、全くタイプの違う美少女だわ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰もが明るくなれるようなオーラをもった子と、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰もがじっとみつめたくなるような雰囲気を持った子。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">例えていえば……、春日と雪？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そういう意味ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしと彼女には共通点がいくつかある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なによりも、この上なくあなたに忠実なこと。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それは違うぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なぜ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「『この上ない』っていうのは『それ以上ない』っていう意味だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『それ以上ない』っていう存在が二つあるのは言葉の矛盾だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ならばわたしは涼宮ハルヒ以上にあなたに忠実。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
彼女が『あなたのものになりたい』というのは、そうなればずっとあなたのそばにいられるという程度の意味しかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしは違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしのは言葉通りの意味。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">近代的所有。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ、その意味がわかって言ってるのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「無論わかっている。あなたはわたしを貸与することも、売却することも、譲渡することも、処分することもできる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「奴隷になるっていう意味だぞ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「歴史上人身売買が公に行われたことのないこの弓状列島の住民は、奴隷という意味がよくわかっていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">日本語で言えば家畜という概念に近い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
涼宮ハルヒはあなたに、『自分が見ている前で古泉一樹とキスしろ』と命令されたとしても絶対にできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしにはできる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
なぜなら、わたしは自分の尊厳どころかあなたの安全よりもあなたの命令を優先させたから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたの危険を承知でスピーカーボタンを押した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門……、今すぐおれの有機連結を解除しろ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…何故？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令に理由を尋ねるな！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………、そんなことをする意味がわからない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえはおれの安全よりもおれの命令を優先するんだろう？ やれ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「推奨しない。そのようなことをしても何にもならない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「推奨か……、要するにおまえのは意見なんだな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれが言ってるのは意見なんかじゃねえ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「決断だ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やれ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……………了解した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令解除だ。自分が死にそうな声を出すんじゃねえ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「い、いじわる……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえが家畜になるとかくっだらねえことを言うからだ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……しかしこれで明らかになった。わたしと涼宮ハルヒはよく似ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">バックアップになれてもおかしくない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「似ているっていうことは違うっていうことだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「無論違う部分もある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">男性にとって好きということは見るということ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「まあ、そうかもな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは朝比奈みくるの胸と、涼宮ハルヒの全身を見る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしの目しか見ない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それはさっき聞いたぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「朝比奈みくるは胸のあたりがいやらしい体つきをしている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒは全身がいやらしい体つきをしている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そ、そうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしの体つきは全くいやらしくない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「…………あなたは、わたしが拗ねたらどんなことをしでかすか、よく知っているはず。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おいっ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ジョーク。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえのやり方はハルヒのやり方より怖ええんだよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何がどう違うんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒはあなたを拉致監禁した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしは彼女をあなたのそばから遠ざけただけ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それだけなのにあなたはひどくうろたえた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたのすぐそばに、長門有希がいたのに…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ、あの時のことを根に持ってるのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「少しだけ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……そうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「しかし五月のあの日、あなたは監禁されているにもかかわらず呑気に茶などすすっていた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが呆れたような声を出した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「たいした度胸ね、君。監禁されているのに相手が出すものを口に入れたの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あいつがおれにお茶なんか淹れてくれるわけがないでしょう？ 自分で淹れたんですよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたは彼女がそばにいさえすれば、どんな場所に放り込まれても平気な顔をしている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしはあなたの環境を激変させたわけではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒを少しの間隠しただけにすぎない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それだけであなたらしくもなくひどくうろたえた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしのやったこととと涼宮ハルヒのやったことはまるで変わらない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたのそばから親しい女性を全て排除しようとした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたの態度の違いはそばに涼宮ハルヒがいたかいないかの違いにすぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……おれは遊園地でママとはぐれた子供か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしたちはよく似ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたと直接対決するのではなく、別の方法を使ってあなたを手に入れようとした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">二人とも臆病者で卑怯者。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あなたには直接危害を加えることができず、あなたをとりまく環境の方を変えようとしたところまで似ている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あの十二月、朝倉に刺されたな……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あ、あの時のことは反省している。一度許してくれたことを蒸し返すなどあなたらしくない……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あれやらせたのはやっぱりおまえか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう二度と、あなたが他の女のものになるくらいなら殺そうなどとは考えない…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やれやれ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「考えるだけならいいさ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「え………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえが何を考えようとおれがどうこう言えるわけがないだろう？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえにも心の中の自由っていうもんがあったっていいはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど二度と本当にやるな。やらせるな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「了解した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">本当にわかったんだろうな。こればっかりはどっちでもいいとは言えんぞ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「しかし彼女の作ろうとした世界もわたしの作ろうとした世界も長続きしなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">両方ともあなたの許可が下りなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたりまえだ。許可してたまるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やはりわたしたちは似ている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえのパーソナルネームを言ってみろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門有希。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつのパーソナルネームは？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う、とは？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは涼宮って呼ばれることを極端にいやがる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何故か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それは涼宮っていうのはあいつの名前じゃないからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつの家の名前、もっとはっきり言えばあいつの両親の名前だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">公衆の面前にも関わらず古泉に確認しないわけにはいかなかったことがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今日、あいつの弱さと対決しなくちゃならないかもしれないと思ったから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんな形でおまえに話すとは思わなかったが。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「その、確認しなくてはならなかったこととは？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは、自分の両親に対して複雑な思いを抱いている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからあいつはさっき俺に対して『あたしの名前を呼んで』と言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつにとって自分の名前は『涼宮』じゃなくて『ハルヒ』なんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
夏休みの最後の日、なぜあいつが自宅にいることではなくおれの家に来ることを選んだのかもこう考えれば辻褄が合う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あいつは夏休みのほとんどを家族と過ごすことではなく、俺たちと一緒にいることを望んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
思春期の女の子らしいと言えばそれまでだが、なぜあいつがあそこまでおれの家に入れたことをあんなに喜んだのか、それだけでは説明できない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「確かにそれだけでは説明できないわね…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが意味深長な目をして言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">実際にはおれの家だけじゃなくおれの部屋にも入れたんだけどな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">これは言わないでおこう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、人間は何で出来ている？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「有機物、アミノ酸の塊。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「テンペストだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「人間は夢と同じもので織りなされている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ。夢と同じものだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">情報だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人間は情報によってつくられている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれもおまえもあいつも同じだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「今日あなたは、涼宮ハルヒにあなたとの思い出という情報を取り戻させることによって、再び、いや三たび世界をとりもどさせた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おれに関する記憶なんていうものはな…、あいつを構成する情報のほんのわずかな部分に過ぎない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">結合しているとも言えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">髪留めの輪ゴムみたいなもんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなものがなくてもハルヒはハルヒだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そこをいじるなんてのはな…、髪型変えさせるのと同じだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「八か月半のあなたとの思い出をもたない彼女を、とうとうあなたは涼宮ハルヒと認めなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">存在することさえ許さなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつはどうなったんだ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの十二月の長門が今の長門にもどる瞬間をおれは見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしあのハルヒとあいつが同じものだとは俺にはどうしても思えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どこにもいない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この世界にいないだけではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あらゆる世界のどこにもいない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やはりな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなものは、おれのこだわりに過ぎない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ポニテでなくてもハルヒはハルヒ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれを忘れてもあいつはあいつだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつはそんなことにこだわっていない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことはどうでもいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「問題は、あいつを構成している情報の基本的な部分だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは文武ともに優秀な人間だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれなんか足元にも及ばないくらいな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのあいつが、なんでおれなんかの前でカッコつけたがる？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんな必要はないはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自信があるなら黙っていればいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜあいつは黙っていられない？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしからは言いたくない…、あなたが言って。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが…、」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「中島敦『山月記』。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「主人公はどんな性格か。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「性、狷介。自ら恃むところすこぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「自信のバケモノだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">例えとはいえあいつをバケモノと呼ぶのはどうしてもいやだった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどこの言葉じゃないとどうもしっくりこない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから早めに買わされた二年生の現代文の教科書にあった小説を引っ張り出した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけど李徴の内面にはひどい不安があったことが読み進めていくとわかる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何故か。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜ自信のバケモノみたいな男の内面に不安があったのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この矛盾をどうアウフヘーベンする？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「逆転。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ。李徴は自信のバケモノなのに内面に不安を抱えていたわけじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">内面に不安を抱えていたからこそ自信のバケモノになった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ならなきゃならなかったんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分には才能がないんじゃないかっていう劣等感。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど劣等感っていうのはただ自分が劣っていると思えば生まれるものじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">少年野球の選手は決してイチローに劣等感を抱かない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど自分より年下で上手い奴には劣等感を抱く。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">劣等感の裏側には必ず優越感がある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">先に野球を始めたから自分の方が上手いはずだっていう思いがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">郷党の鬼才と呼ばれた李徴には周りの人間に対する優越感があった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからこそ自分に才能が無く、他人にあることが許せなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">優越感と劣等感の複合体。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">コンプレックスだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それが李徴に周りに自信があるようにふるまわせ、内面の不安を押し隠させた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あえてトゲで全身を覆い、他人を傷つけて周りから排除し、自分が傷つくことを防ごうとした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒはおれに対して上から目線でしかものを言えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">じゃあその根拠はなんだ？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何であいつがおれより偉いんだ？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">容姿がすぐれているからか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">勉強ができるからか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">スポーツができるからか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">歌がうまいからか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒはあなたに絶対にそんなことは言わない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたにそんなことを言っても素直に尊敬されるだけ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは他人の長所をそのまま受け入れる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">李徴とは正反対の性格。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんな人に、だから言うことを聞けなどというのはあまりにも恥ずかしい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今日はじめてあいつはそんなことを言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
嘘をつくためにわざわざそんなことを言ったことから、かえってあいつの普段の態度が浮き彫りになった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつの権力の正統性、それは一つしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『団長』だからだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ＳＯＳ団の団長という役職は涼宮ハルヒ以前には存在しない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">歴史的権威がない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その役職には何の職業カリスマもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
だけどそんなものをあなたに向かって振りかざすことによって、あなたに可愛げのようなものを感じ取ってもらいたがっている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">可愛げねえ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんな単純なものじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">中学時代のあいつは孤独だった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのころのあいつにとって支えになっていたのは…」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ジョン・スミスだけだった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「自分にしか関心のない人間は、いくら有能であっても政治的には無力なんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">というより、人間関係を取り結ぶことができない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
力関係って言うように、人間関係を受け入れるためには多かれ少なかれ権力を受け入れる必要があるからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">高校生になってあいつは権力者になった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし権力を持つっていうことは人と関わるっていうことだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「彼女が権力者としてふるまっているのはあなたに対してだけ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
ＳＯＳ団の活動においても彼女があなたに命令し、あなたが具体的な段取りをつけて全員が動いている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なぜあいつがこんなイレギュラーな人間関係をつくらなきゃならなかったのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「敢えて言えば、李徴と同じ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつの心の奥底に、両親に対するわだかまりがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それが不安となり、その周りを鎧で覆わなくてはいられない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
涼宮と呼べば、つまりあいつを親の名前で呼べば、あいつの心の中心部をえぐることになる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからあいつは涼宮と呼ばれたがらない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんでハルヒのことをおまえに長々と話したかわかるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…わからない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえは違うってことを言いたいんだよ。。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門っていうのはおまえの親の名前ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門っていうのはおまえだけの名前だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきおまえは１６歳だって言ったが、訂正する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえは今３歳だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえは三年前、長門有希と呼ばれる存在になった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それ以前のおまえが何だったのか、そんなことは俺は知らん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分のことでも十六年余り前の俺が何だったかなんて知らない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことは知らなくてもいいことだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">重要なのは今のおまえが長門有希っていうことだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが言うならそう。長門も有希もわたしの名前。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だから涼宮ハルヒがうらやましくなんかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたに『ハルヒ』と呼び捨てにされていることがうらやましくなんかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そ、そうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたに『有希』と呼び捨てにされなくても、別にうらやましくなんかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わ、わかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">三回言うほど大事なことか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「負けず嫌いね、この子……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつ、こんなにめんどくさい奴だったか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたがわたしの機嫌を取ろうと思えば簡単にできる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつかのように髪を撫でてくれさえすればいい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あれは頭を撫でたんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒの髪は撫でたが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは１６歳だけどおまえは３歳だからな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれなりの線引きだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「しかし今日はそうしようとしない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは振り向きたくない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしの表情を見たくないから。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">頭を撫でたというより、雪を払っただけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……卑怯者。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おい……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「かつて、世界を失いかけた少女がいた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今更な話だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「少年はある魔法をかけて少女に全てを取りもどさせた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">魔法って……、なんだかおまえらしくないな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは、女に言うことを聞かせるためだけにキスするような男。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女どもが、今日最高の蔑みの視線を送ってくる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そのためだけじゃねえよ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それはもう過ぎたこと。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だったら言うなよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたが、今日彼女にあなたの思い出を取り戻させることによって世界を取り戻させたのではないとしたら、どうやって彼女を救ったのか、知りたい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれがあいつを救ったんじゃない。あいつがおれを救ったんだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「詳細を。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「士は己を知る者の為死し、」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門が対句の片割れを暗唱した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「女は己を説ぶ者の為容る。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「男は自分を理解してくれる人のために死に、女は自分を喜んでくれる人のために着飾るっていう意味なんだが……、」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「史記、刺客列伝。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やはり知っていたか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「両方とも間違いだ。男が死ぬのは自分のためだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">牛島満中将は沖縄を本土防衛の捨石にするために死んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それは陸軍の方針を反映したものだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">つまり牛島中将自体が捨石だったことは否めない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
しかし彼は、自分が捨石になったことを誰にも知られなかったとしても、それに徹することができただろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">死の前に、あえて捨石となることに自己陶酔を感じていなかっただろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを沖縄全土の将兵と民間人に知られることに満足を感じていなかっただろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは、どうなんだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきあんなことを言ったが、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれがハルヒのために死ぬなんてことはありそうにない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
だけど、もしそうなったとして、おれはハルヒの記憶から自分のことを消そうとするだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
それとも、あいつが苦しむことがわかっていても、忘れないでいてもらいたいと思うだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">たぶん、自分がハルヒのために死んだと覚えていてもらいたいんじゃないだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いや、そんなことを今考えても仕方がない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その時の自分が思う行動を取ればいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そして女が着飾るのも自分のためだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店内をぐるりと見回しながらそう言ってみた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">反応は…、なんだか釈然としない顔つきもあれば、当然といった顔をしている人もいる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつが白雪姫だっていうことは知ってるな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「知っている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ならおれは何だったのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんがこっちを見て言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「眠れる美女……、白雪姫……、王子様？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それは八ヶ月前にやりましたよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのことをさっき全員で蔑んでくれたじゃないですか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが王子なら彼女は花。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">花か…、ひまわりかね、あいつなら。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">きっと夏の花だろうな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">春日だけど。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「薔薇。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">バラねえ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「サン・デグジュベリ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そっちの童話じゃねえよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたはあの本をもう一度読み返すべき。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはもう王子ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「鏡だ。魔法の鏡。白雪姫の鏡だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「その認識は間違っている。魔法の鏡は白雪姫のものではない。その母親のもの。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「母親が鏡に問いかけた時、白雪姫が彼女より美しいと答えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜその鏡は母親の部屋にあったのに、白雪姫を知っていたんだろうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……わからない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「白雪姫だって女だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">たとえ七歳でも、こっそり母親の部屋に忍び込んで、鏡をのぞいたっておかしくない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「つまり鏡とは……、ありのままを映すもの。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「バカ言え。そんなものが存在するか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">鏡だろうが写真だろうが必ずそれを見る者の主観がフィルターになる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは、朝比奈みくるの画像を部室のパソコンのハードに入れている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたがそれ見ている時、あなたの主観が入っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どこか美化している。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">知ってたか。おまえに隠せるとは思ってないが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「涼宮ハルヒの画像は自宅の引き出しに入れてあり、毎晩取り出してベッドの中で鑑賞する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたの主観によってそれは、水着姿から下着姿に変換される。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">毎晩じゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしの画像はどこにも保管していない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ドサクサにまぎれて愚痴を言うんじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「女は、鏡を見るために着飾る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そしてその鏡は、賞賛の言葉以外は期待されていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">白雪姫が魔法の鏡を割らなかったのは賞賛されたためだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">母親が鏡を割ったのは、賞賛されなかったためだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの今日の役割は、あいつを賞賛することだけだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが長門ばりの短い言葉を吐いた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「卑屈。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">事実ですからね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「要するにおれは今日あいつに『似合ってるぞ』と言うためだけにここに来た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そしてあいつが今日着ていたもの、すべて反則的なまでに似合っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからあえてそう言わなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたはやはり女を焦らして喜んでいる……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうじゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">未購入の商品を褒めてどうする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あれは店のものであってあいつのものじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなものを褒めてもあいつを褒めたことにはならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんな誰でもやるようなことをしても仕方がない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だいいち、面白くない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「営業妨害。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さん、長門がのりうつってませんか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門自身が今日は饒舌だし…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「だからおれは『似合ってるぞ』という言葉を最も効果的に出すために丁寧に伏線を張った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門の話とか、守り守られる関係とかそんな話は、そのためのものでしかなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしの話…？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「声に怒りをこめるな。おまえのことじゃない。戦艦だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そしておれは調子に乗った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつにウェディングドレスを着ているところが見たいと言ってしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ウェディングドレスはただの衣装じゃない。文化的な記号としての意味を持つ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを見たいということは、それを着ておれの隣に立ってほしいということを意味する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはその場面を想像してしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">思わず口に出してしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことはあり得ないのに。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは必ずおれの前に立つ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">絶対におれの横になんか立つわけがないのに……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「君からは見えないだろうけどね、長門さんは君の背中に寄り添うように立っているわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「見えないのではない。見ないようにしている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたはふり返ってわたしの顔を見たら、わたしの心のうちまで見通すことができる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">と言うよりも、見えてしまう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「鏡って何だ？ 道具だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……スルーするな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはあいつの鍵であり、箱であり、蓋であり、椅子であり、鏡でもある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">道具だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは転がっているボールペンを手にとってみた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「道具は目的のためにのみ使われるべきだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">これはボールペンだ。文字を書くためだけに使われるものでしかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「君、それは……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「事務所にあった１０５円のボールペンも、約一万円……、八千五百円くらいか、のモンブランも、字を書くための道具だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あいつのハンドバックに入っている鏡も、試着室の中にある全身が映る鏡も、魔法の鏡も、道具であることには違いない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつの問いかけに答えるだけの道具だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">道具が自分の意志などを表現してはならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今日の混乱はすべてがこれに起因する」。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつをひどく傷つけてしまった……。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけどあいつは、守り守られる関係という話が琴線に触れたらしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつを賞賛するための伏線でしかないのに。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは孤独を感じていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">正確に言えば、再び孤独を感じることを恐れていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その理由は、さっき言った通りだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは強い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれなんかよりはるかに強い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどあいつはおれよりもはるかに脆いものでつくられている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ガラスの戦艦だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
だからあいつは誰でもいいから自分がそいつを守れれば、そいつが自分を守ってくれると思った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門、釣り野伏せって知ってるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「薩摩の大名、島津家の伝統的な戦術。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">敗走したふりをして退却する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">相手は退却されれば当然追撃する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">追撃する際は士気を鼓舞するために大将自らが先頭に立つことが多い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
敵の陣形が追撃のために縦に伸びきった所を、突出した大将とその旗本を伏兵と逃走の振りをしていた軍勢で包囲する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">大将をその軍勢と切り離し、一気に包み込んで討つ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは電話をスピーカーモードのままにしていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それをカットさせることによってあいつがおれとだけ話していると信じさせた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
そのために二度、『おまえだけに話したいことがある』と言ってそのための伏線を張っておいた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おれがあいつを守っていると信じさせ、それでいておれがあいつに対して攻勢をかけていると信じさせた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">外に対しては防御機動を取り、内側に対しては攻撃機動を取る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『釣り野伏せ』だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「実際にはあの通話は筒抜けになっていた。そしてあなたは本当の意味で彼女に攻勢に出たわけではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">後者についてはともかく、前者についてはどうにかしなくちゃならんな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつはそう信じた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「反則。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「反則技でもぴたりと決まれば、誰も文句は言わねえよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんをちらりと見てみた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「フン」と鼻を鳴らされた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「さっきの通話であいつの琴線が触れた部分は、『祈れば守れる』っていうことと、『忘れないでいてくれ』っていうことだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その他のことは、おれの泣き言でしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは祈りさえすればおれを守れるということを知った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは自分がおれを忘れないことによって、おれを救うことができたことを知った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰かを守ることによって自分が守られると信じた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうすればもう孤独を感じなくて済むと信じた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なかなか苦労したが、最後にはぴたりと決まったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そしてその契機がおまえの発言だった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あの直前、『おれを軽蔑しているか』という質問がきっかけで、かなりハルヒとおれとの間がギクシャクしていた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「自業自得。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……とにかく、それを救ってくれたのがおまえだった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門、この世で一番強い連帯感って何だかわかるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしが何回も言っていたこと。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ。犯罪者同士の連帯ほど強いものはない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえのしつこい暴露によって、おれとハルヒとの間に強い一体感が生まれた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
特に最後の、部室でのハルヒの描写によって、おれもハルヒもさっきまでの険悪さなどかなぐり捨てて仲間にならなきゃならないと感じた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それであいつはおれの言うことに素直に従った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">すべて、おまえのおかげだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「つまり……、今日のわたしは、あなたが涼宮ハルヒを守るための…道具？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「道具なんかじゃねえ……。おまえはハルヒの機嫌を取るための……」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「捨石だ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはおまえが傷つくのを承知で、おまえの名前を呼んでいないと言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえが傷つくのを承知で、おまえに『黙ってろ』と言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえが傷つくのを承知で、わざと仲間外れにし、ハルヒとの間に連帯感を作り出した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえが傷つくのを承知で、射線上におまえを放り込んだ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どうして……？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「聞きたいか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「聞きたい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「さっき権力がどうとかっていう話をしたが……、最近中東で権力者の交代が相次いでいるのは何故だと思う？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「圧政を敷いていたから。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「そうだ。権力には基盤が必要だ。権力があるとは、それを支持する者がいるということだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">頼朝が天下を取れたのは武士たちの支持があったからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
家康が天下を取れたのは旗本と譜代大名の支持と、外征をいやがった外様大名たちの消極的な支持があったからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
明治維新が成功したのは、幕藩体制では西洋からの侵略に耐えられないという人々の支持があったからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
ヒトラーが権力を掌握できたのは、ヴェルサイユ体制によって呻吟するドイツの民衆の支持があったからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
昭和初期に軍部が独走できたのは、日中戦争の、首都を占領しただけの勝利に酔った国民の支持があったからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">権力者は決して民衆が本気で嫌がることはできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことをすれば遅かれ早かれ権力者はその地位から追放される。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">たった一人の権力者はけっして多数の民衆には勝てない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
民主主義体制ではそれがはっきりしているが、たとえデモクラシーの手続きを踏まなくても同じことが起きる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ならば、おまえとハルヒがなぜおれに忠実なのかわかるか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒは本当におれに忠実なんだろうか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒは、『来るな』という命令には従わず、『来い』という命令には従った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『忘れろ』という命令には従わず、『忘れるな』という命令には従った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『泣くな』という命令には従わなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女はあの時、泣きたかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あいつはおれが命令しようが懇願しようが土下座しようが、やりたいことはやるしやりたくないことはやらないやつだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはギリギリのところで、あいつがやりたいことをやれと言ったに過ぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたは彼女が何をしたいのかわかっているのにも関わらず、なかなかそれを命令しない。命令すれば責任が発生する。責任を取りたくない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それは別の話だ。あいつはあの時雪が降ってきたと信じたわけじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつが信じさえすれば叶うんだったら、ドアに頭をぶつけるはずがない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">チェーンが外れていると信じていたはずだからな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">信じるのではなく、別の心の動きが必要だった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒはあの時、あなたがわたしの名前を呼んだのではないと……、」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「望んだだけだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おれはあいつの望みを叶えてやったに過ぎない。だから雪を降らせた。そしてそれはおまえに対しても同じだ。なぜ今日おれはおまえに捨石にしたのか。ここまで言えばわかるだろう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしが望んだから。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ。おまえはおれとハルヒの秘密をしつこく暴露した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはそれを利用して、ハルヒとの共犯者としての連帯を強めていった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうなっていくことをおまえは望んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
だけどおれがこんな望みを叶えてやるのは今日限りだ。おまえは長門だ。綾波じゃない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「アニメーション？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そっちじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは綾波オタクではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはニジコンじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ぺったんこな存在しか愛せないわけじゃない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ぺっ、たん、こ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえのことじゃない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしはぺったんこではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">三次元的な厚みを持っている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だまれ洗濯板。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………聞こえた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まずい。こいつにつぶやき声が聞こえないはずがなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何の話だ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ガン！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いでえ…。こいつ……、また本のカドで殴りやがったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どっからそんなものを出した、っていうツッコミは無意味だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたをぶっ叩きたい。命令を。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう殴ったじゃねえか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「一発とは言ってない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おい、頭頂部がジンジン言ってるんだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令を。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令を。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令を。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつ、殴らせないと先を聞かないつもりだな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">くそ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やれ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ガン！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">また泣きそうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とにかくその綾波じゃない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">駆逐艦、綾波。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">第三次ソロモン海戦において、駆逐艦四隻、戦艦二隻のアメリカ艦隊に単艦で突入。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
５０００Ｍまで間合いを詰めて主砲発射。初弾を敵三番艦、駆逐艦プレストンに命中させる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
プレストンに火災が発生。一番艦の駆逐艦、ウォーク・ベンハムにも主砲を斉射。これにも火災を発生させた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし後方の戦艦サウスダコタ・ワシントン他からの火線が綾波に集中。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">とうとう魚雷発射管の周囲で火災が発生してしまう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だが沈没するまでにはまだ時間がある。。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">残る二基六門の発射管を旋回させ魚雷発射。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">放たれた酸素魚雷はウォーク・ベンハムの艦体を真っ二つにして轟沈させる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">砲撃によって火災が生じていたブレストンも沈没。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">残る駆逐艦グヴインを中破させ、艦隊から落伍させる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
一隻で駆逐艦四隻を撃退し、戦艦サウスダコタの電気系統を断ち切り砲戦不能に陥らせたものの、艦長佐間英邇中佐は総員退艦を命令。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
無人となった綾波は魚雷に火が廻りついに誘爆、爆発後ガ島沖の波間に姿を消していった……。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おまえは自らを犠牲にして海戦を戦術的勝利に導いた被害担当艦であるよりも、世界最強の不沈艦であることがふさわしい…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからもうこんなことをするな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえはハルヒの秘密を徹底して暴露した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">明日からハルヒとの付き合いに差しさわりが出るんじゃないのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたの浮気相手は朝比奈みくるであるにもかかわらず、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
涼宮ハルヒは部室の一番奥、つまりわたしの定位置の直前であなたの背中に抱きつき、両脚で胴を挟み付けていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それによってあなたは発情していた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">発情って…、おれは動物じゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒは足とあなたの脇腹だけを使って器用に片方の上靴を脱ぎ、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">足の裏であなたが発情していることを確認した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしの方をちらりと見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしが睨んでいることに気が付いた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
涼宮ハルヒはあなたへの一方的な抱擁を解除し、あなたの背中の上で安座し、腕組みをした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">姿勢を高くしてもう一度わたしを見下ろしながら、勝ち誇ったようにニヤリと笑った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの屈辱は忘れられない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつか必ずあなたの前で恥をかかせてやろうと心に決めた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……怖い話だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえ子供のくせにそんなこと考えてたのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが口を挟んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何を言ってるの。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女は生まれた時から女。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">灰になるまで女なのよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">幼いからってナメちゃいけないわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれのことはともかくとして、おまえとハルヒの今後の関係だよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だいじょうぶ。彼女は今満更でもない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「恥をかかされて満更じゃないってどういうことだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたと同じ立場に立てたから。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれと一緒に恥をかいただけじゃねえか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒは、たった一人で日なたにいるより、闇の中でもあなたといたい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの五月の日と同じように…、Ｇｏｄ ｋｎｏｗｓ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつはおれのために歌ったわけじゃないと言ってたぜ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わざわざそんなことを聞いたの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんに答えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「聞きもしないのに言ってました。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わかりきってるっつーの。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「君にそう聞いてほしかったのかもね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「否定しか返ってこない質問なんかしても時間の無駄です。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「君は時間を大事にしないわね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">俺が返答できないでいると、長門が言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あれは涼宮ハルヒが能力を使って、他人が作った詞という形を借り、あなたに歌を通して自分の心を訴えたとも解釈できる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今の俺の気分はどちらかというと、もうひとつの曲のほうだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたの言葉には少しうそがあった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「サビの詞だよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「大好きな人が遠い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">遠すぎて悲しくなる…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門が歌うようにつぶやいた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえ、そんな声が出せたんだな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたの大好きな人はもうすぐここにやってくる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女がここに来る理由は一つしかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが、ここにいる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違うな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">驚くほど自嘲的な声が出た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは買い物に来るんだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「買い物、とは。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「買い物っていうのはな、欲しい物を買うことだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この店ではあなたが売っているのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ここは洋服屋であってデートスポットでも養豚場でもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは家畜でも商品でもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だいいち需要がなければ商品として成立しない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしが買う。いくら？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえな…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ジョーク。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">発情だの買うだの…、おれは動物じゃねえって言ってるだろ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「話の本題はそこではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それよりも、なぜわたしが捨石になろうとしていたことがわかったのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「一人称だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…そんなことは意識していなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえはいつも自分のことを『わたし』と呼ぶ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし二度目に電話した時には自分のことをいつの間にか『あたし』と呼んでいた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この時おまえは自分が女であることをおれに対して強調していると思った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしおまえの一人称は『わたし』に戻った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分が女であることを凍結しようとしていると思った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうししてでも自分が犠牲になろうとしていると思った。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そのきっかけが何だったのかあなたはわかっているのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……わからん。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「『これを自分だけのものにしたくはないの？』」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなこと言ってたな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「彼女があなたをからかってくる怖れがあったとあなたは言ったが、韜晦にすぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どういうことだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「このような大事な場面で、彼女が嘘をつくはずがない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だから嘘っていう言い方は…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことをすればあなたの信頼を永遠に失うことになる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">信頼を失うとは、あなたを失うことと同義。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それは涼宮ハルヒにとって嘔吐するほどに恐ろしいこと。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「嘔吐云々はさっき聞いたばかりだけどな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あの時涼宮ハルヒが相当な覚悟を決めていたとあなたも感じ取っていたはず。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしあなたはあの告白を受け取ることを躊躇した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを受け取るにはどうしても気がかりなことがあった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしの存在。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは自分にはどんなに嘘をついても、決してわたしには嘘をつかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたはわたしが同室しているが故に涼宮ハルヒに返事を与えることをためらった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「沈黙は肯定。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あの時わたしは覚悟を決めた。もちろん彼女も覚悟を決めた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなただけが覚悟を決めていなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「うるせえ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ここで涼宮ハルヒに肯定の返事をすればわたしを傷つけると思った。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「黙れ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………………………………………………………………………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつ……、本当にぴたりと黙りやがったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………………………………………………………………………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんだか後方から殺気じみた気配を感じるぞ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………………………………………………………………………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">くそ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令解除だ！ 言いたいことを言え！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「迷惑。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">てめえ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「言いたいことを言えという命令を遵守する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この野郎…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「訂正を要求する。わたしは野郎ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが長門有希と認めているからわたしは長門有希。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが人間と認めているからわたしは人間。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが女だと認めているからわたしは女。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この……、くそ女…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それでいい。バカだろうがくそだろうが女は女。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「女がくそとか言うんじゃねえ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは以前この言葉をわたしに口に出させた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あれは、そういう意味じゃねえだろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたは、涼宮ハルヒのような美少女に下品な言葉を口に出させることに倒錯的な快感を得ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを敏感に感じ取った彼女はあなたに対して何度も卑猥な言葉を口にした。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「変態かおれは！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「恥ずかしさに耐えてそんな言葉をくりかえした彼女に対する褒美が、『涼宮』呼ばわり。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんかおれが一方的に悪いみたいじゃねえか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう、迷惑。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">迷惑って…、さっきの話か。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あの状況では、わたしが傷つくか、涼宮ハルヒが傷つくか、どちらかしかなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当然そのことは二人とも覚悟を決めていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしあなたは無理やり第三の道を作ってしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分自身を傷つけるという道。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分が臆病であるということにしておけば、わたしも彼女も傷つけずにすむと考えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">大事なことだから三回言う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">迷惑！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえ叫べたのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが傷つくことを代償とした尊厳などほしいと思ったことなど一秒もない！<br />
わたしも！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒも！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは自分を貶めることによって相対的にわたしたちの尊厳を高めようとした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんな尊厳など与えられて喜ぶ女がいるか！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">複雑な表情をしている客がいるぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それは、おまえの価値観だ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。わたしたち二人の価値観。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜそんなことをする！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが傷つけばわたしは痛い！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒも痛い！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜこんな最低のやり方でわたしたちを痛めつける！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さらに言えばあなたはここにいる店員と女性客たちも利用した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">利用ねえ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは役に立つと思えば何でも使う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒを自分の部屋に入れるために大嫌いな夏休みの宿題まで利用した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはあいつには来なくてもいいって言ったぜ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんな言い方をすれば来るに決まっている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんに話しかけてみた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつだけ入れたわけじゃありませんよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつも、朝比奈さんも、ついでに古泉も呼びました。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あれだけ臆病な子が、ひとりで君の部屋に入れるわけがないでしょう？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何にもしませんよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何かしたら命がない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それを恐れたのよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱりこの人の言うことはよくわからない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「話をそらさないでほしい。わたしの話がまだ終わっていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
涼宮ハルヒはともかく、わたしが電話による通話がこの店にいる全ての人間に筒抜けになっているのを理解していることをあなたは知っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから自分が傷つけられ、蔑まれるように会話を誘導し、展開し、拡大した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを聞かせることによってわたしの機嫌を取ろうとした！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「誘導も拡大もしていない。おまえにはピンと来ないかもしれないが、女は女の味方をするものだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「納得がいかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「男は生まれたときから男、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女は生まれたときから女だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">貧乏人が金持ちになったり、金持ちが貧乏人になったりするように、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">男が女になったり、女が男になったりすることはない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">オカマというのは女になった男のことではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">オカマは生まれながらにして女だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「男と女の間に中間階級というものはない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰かに比べたら金持ちだけど誰かに比べたら貧乏人という相対的な関係ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この世には男と女しかいねえんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">性差っていうのは絶対的なものだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女は女の味方をするものなんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わかるか？ 帰属意識って奴だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女は女というグループに帰属していることを男以上に意識している。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">被差別意識が女を余計にそうさせる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしの人生経験から見てそれは違うと思う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえの人生経験って、四年足らず…、待機期間を除けば十か月じゃねえかよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「女は女に厳しく、男に甘い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">男は男に厳しく、女に甘い。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">客たちはちょっと首を傾げている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店員たちが店長をちらりと見て、見返されてあわてて視線を外している。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたと涼宮ハルヒを見ていればそういう結論しか出ない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おれがハルヒやおまえや朝比奈さんに比べて、古泉を邪険に扱っているというのは認めざるを得ないがな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">古泉か…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">犠牲といえばあいつほどの犠牲者はいない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いきなり変な力を与えられたのはハルヒも古泉も同じだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし無自覚だが、ハルヒにとってその力が必要だったことは確かだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ずっと気になっていたことがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">地球人として生まれたからには宇宙人になることはできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">現代人として生まれたからには未来人になることはできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あいつが宇宙人や未来人になるのではなく、そういう人たちと会いたいとだけ願ったのは理解できる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど超能力者は？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">超能力者に会うよりも、自分が超能力者になることを願ってもおかしくはない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
何をもって超能力と言うかは曖昧だが（そりゃそうだろう。ほとんどの人はそんなもの見たことなんかないんだから）、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">異能の力を超能力と呼ぶなら、ハルヒの能力がまさしくそれとも言える。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつはあの力を得ることを望んだんじゃないか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あの力があったからこそハルヒは、長門有希、朝比奈みくる、古泉一樹を呼びよせることができた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">孤独から抜け出すことができた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど古泉は？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
ハルヒによって力を与えられたと言っても、あいつの精神世界を宥めるためにしか役に立たない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">与えられたのは、力というより仕事だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">バイトと言っているが、本当に金を貰ってるんだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">十二月のあの世界でのあいつはハルヒのことが好きだと言っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門が人の心まで変えてしまうとは考えられない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの世界ではひどい電波人間でしかなかった俺を、ハルヒだけは信じた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今のあいつが俺を信じているように。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしそれは長門自身のおかげだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしはここにいる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そして朝比奈さんはおれのことを虫を見るような目で見ていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当然だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
いきなり手をつかまれ、さんざん電波なことを喚かれて、しまいには胸のホクロを見せてくれとか言われたんだからな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あの世界での朝比奈さんがおれを見る目が、この世界での朝比奈さんと違っていてもおかしくない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
つまり、あの世界で古泉がハルヒのことを好きだったからといって、この世界での古泉の気持ちを推量するための何の材料にもならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あの世界で古泉がハルヒを好きだったからこの世界でも同じだと考えるなら、朝比奈さんはこの世界でもおれに対しておびえ以外の感情を持っていないと考えないと矛盾する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いくらなんでもそれはおかしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
第一印象によってその人間の評価が決まってしまうのはよくあることだ。これは長門が心を変えたとか変えないとかいうのとは別次元の問題だろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの世界での古泉は、転校したばかりですっげー美人に声をかけられた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">好意を持ってもおかしくない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど、この世界のあいつは？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
ハルヒのせいでいきなり変な仕事をさせられることになり、自分と同じ年齢の女の子を神と崇めさせられ、転校させられたあげく同級生に馬鹿丁寧に接するように強制された。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この世界での古泉がハルヒを好きなのかどうかはわからない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことはいくら考えてもわからない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつの口からそのことを直接聞かされたとしても、きっとわからないだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
だけど、もしあいつがハルヒのことを好きでなかったら、あいつは本当に人身御供になっちまう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">生贄だ、荒ぶる神の。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いや、やっぱりこんなことを考えるのはやめよう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
憎んでいようが好意を持っていようが恋していようが、あいつが人柱であることは変わらない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">明日会ったら自販機のコーヒーでも奢ってやろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やれやれ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはそうかもしれないが、あいつは違うだろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さんざん雑用としてこき使ってくれてるし。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒは、他の誰に対してよりもあなたに甘い。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あのな、あいつの俺に対する扱いとおまえらでは、あきらかにおまえらの方が優遇されているだろうが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒは朝比奈みくるに対してカエルになることを強制した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夏休みのバイトでは全員カエルになったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「全員そうなっているのと彼女一人とでは朝比奈みくるの受ける精神的外傷の度合いは著しく違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">部室の中だけだったぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「同じこと。朝比奈みくるにとっては全校生徒の前でカエルの着ぐるみを着ているのも、部室の中でそうさせられるのも同じ程度に屈辱。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことはねえだろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたがそこにいた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">意味がわからん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはおまえの足しか見てないぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたと同じ部屋で自分だけそのような姿でいるだけでも彼女にとっては耐え難いこと。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女は好きな男性と一緒に裸になって横臥の姿勢を取ることを屈辱とは考えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
しかし相手が衣服を着ていながら自分だけ裸になって立たされることには耐えられない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
なんかいろいろツッコミどころはあるが、とりあえずハルヒは朝比奈さんを俺よりも一日早く放免したぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「涼宮ハルヒはあなたと朝比奈みくるに共犯者じみた連帯感が生じていることに気が付いた。それに嫉妬したゆえ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あのな、おれはイスにされてたんだぞ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なぜ浮気の罰が好きな女に体を押しつけられることなのか、わたしには理解できない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もしあれが罰だというなら、こんなに甘い罰など世界中探しても無い。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ぐ………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あの時のあなたの顔は、罰を受けているような表情ではなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜあれが罰なのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからいろいろとな、持て余すんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは、負ける。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何だいきなり。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが涼宮ハルヒに勝てるわけがない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきからそう言っているだろうが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは襲ったら負けだと思っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女は襲わせたら勝ちだと思っている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何の勝負だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「現に、一度負けている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは負けたことを無かったことにしているが。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何の勝負だか知らんがもう負けなきゃいいだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが負けないでいたら、いずれ涼宮ハルヒに襲われることになる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは彼女に暴力によって犯される。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは女に無抵抗で犯されたことがトラウマとなり、女性を受け入れられなくなる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">次に優しくされたことによって、彼女だけは受け入れることができるようになる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは彼女の体なしでは生きられなくなる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おいっ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ジョーク」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「悪質だ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とも言えない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから悪質だぞ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたは勿論、今は涼宮ハルヒも同性異性を問わず、年齢相応の節度と分別を持ってつきあっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしお互いに対しては違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まるで駄々っ子。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">お互いに対してならどんなに甘えてもいいと思っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒは、あなたならどんな要求をしても叶えてくれると思っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そして彼女は、あなたから要求されたなら、どんなことでも叶えようとするだろう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「長門さん…、これは女が男に甘くて男が女に甘いとかそういう一般論じゃなくてね、仲のいいカップルなんてみんなそんなもんよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違うな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何なの君、いまさらカップルじゃないとかそういう言い訳は聞かないわよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはあいつの懇願を無視したことがある！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">叫んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「五月のあの日、あいつはおれに何を要求していたかを知っているだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの時あいつはおれに、一緒に世界を捨てて欲しかったんだ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれが『嫌だ』と言った時のあいつの顔…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">落胆というか失望というか、そんな月並みな言葉では言い表せない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">口下手で語彙が少なくてすまんが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんていうか、絶対的に信頼していた者に裏切られたかのような…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど俺はどうしてもあいつと一緒に世界を捨ててやれなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この世界とあいつを比べて、世界に価値があると選んだわけじゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それだったらまだ救われる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうでさえない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ただ…、怖かっただけだ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはこの世界を捨てるのが怖かった！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おまえはアレをあいつに言う事を聞かせるためだと言っていたが、それだけじゃねえ、贖罪なんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはあのハルヒの顔を見た時、あいつの願いならなんでも聞いてやろうと思った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">キスだろうが土下座だろうが雑用だろうが罰ゲームだろうが何でもしてやろうと思った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おまえらはおれがあいつに世界を取り戻させたと言うが、あいつがほしかったのはそんなものじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
大体からして、おまえはおれがあいつに世界をやったとか世界そのものだとか言うが、おれがやったのはそんなに大層なものじゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おれがあいつにやったのは、世界がそこにある意味だとか、生きている面白さだとか、高めに見積もってもその程度のもんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">視線をずらしてマネキンが着ているセーターの値札を見てみた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こっちの方が高そうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もっとありふれたもんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そこらへんにゴロゴロしているものだ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど、もしおまえらが言う通りそれが世界だったとしたら、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは今日、世界を捨てようとしていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今日はおれを巻き込まずに一人で世界を捨てようとした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど、おれは今日、あいつに世界を捨てさせてやれなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうしてもそれだけはできなかった！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえらは変わった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もうあの五月のハルヒじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もうあの十二月のおまえじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
それが成長なのかただの変化なのか、おれみたいなガキにはわからねえが、変わったことだけは確かだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれだけが変わっていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは五月のあの日、あいつが世界を捨てるのをやめさせた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今日、全くおんなじことをした！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつの願いならどんなことでも叶えてやろうと思ったのに！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかも今のおれは、これからそれができるという見込みが全くない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうしたら、あいつの願いを叶えてやれるんだ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">暗中模索、というより五里霧中だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門、こんなおれを軽べ」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「否定の答えを期待しての質問なら涼宮ハルヒにするがよい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしはそんなに暇ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やらなければならないことがある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうかよ、くそ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「手……、左手。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">手を出せっていう事か。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">時計を外して机に置く。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">顔をまっすぐに向けたまま左手を後ろに出した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">音もなく長門が前に出ているのが気配でわかる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">目の端にブルーの髪が揺れているのが見えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">両膝を床につけて、背筋を真っ直ぐに伸ばしている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの手を両腕で支えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おい、そんな風に持つな。おれの手は赤ん坊じゃねえ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつかの感触。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">甘噛み。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それがどんどん強くなっていく……。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いてぇ！ おい、いつもはそんな風に噛まねえだろうが！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">返事は無い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当たり前だが。口がふさがっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おいっ、本気で噛むな、痛てえって！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もうおまえにこんな話はしないから離せ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「誰にもこんな話はしないから離せ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門の歯が手首にぐいぐい食い込んでくる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">また泣きそうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう二度とこんなことを考えないから離せ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">痛みがスッと消えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ようやく離しやがったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門が後ろに下がった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは泣いていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今のは…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが俺にとも長門にともなく聞いた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが発狂しかけたので必要な処置を施した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女に世界を捨てさせなかったのを悔やむなど、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まして捨てさせられるように努力しようとするなど、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">正気の沙汰ではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「言い過ぎだ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ちっとも言い過ぎじゃないわよ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自己陶酔もいいけどね、周りを不愉快にさせないでちょうだい！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どこの時空間に女が世界を捨てるのを許す男がいる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんな男などいない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どこにもいない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そりゃまあ、勿体ないからな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それを許す男がもしいたら、わたしの前に連れてきなさい！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">男じゃいられなくしてやるわ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは涼宮ハルヒに世界を捨てさせたりしない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">絶対にそんなことを許したりしない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを阻止するためならどんな卑怯な手段でも取る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたとは、そういう生き物。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれを褒めてるのか腐してるのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どちらでもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ありのままを表現しただけ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「さっき注入したのはなんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ナノマシンじゃねえだろ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「情報。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえがキレているっていう情報を注入したのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「キレた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「キレるな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう一つ聞きたいことがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あなたはさっきあのキスが言う事を聞かせるためであると同時に贖罪の意味を持つと言っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">本当にそれだけなのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それを聞いたらまたおまえはキレるぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしは今、猛烈にキレたい気分。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まだ怒ってるのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「少しだけ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">少しだけっていう声じゃねえぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「さっき言ったろう、人間はギリギリまで追い詰められたら、やりたいことはやるし、やりたくないことはやらないものだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「回りくどい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえに言われたくねえぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれの利己主義の発現だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もっと直截的に。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やれやれ。おれはやっぱりこいつには嘘をつけないらしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「贖罪だのなんだのっていうのは…、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ただおまえの前でカッコつけたくて言っただけかもしれん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">要するにおれは…、やりたいことをやっただけだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………合格。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「キレないのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今の回答以外の答えだったらキレていた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女どもが強く頷いた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そういうもんなのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もし違う返答をしていたら…、わたしがあなたに罰を与えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒはあなたに甘い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうしようもなく甘い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきと違う答えをしていたら、あなたにはわたしからのきついお仕置きが必要。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえだっておれに甘いじゃねえかよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しまった。これは言ってはいけないことだったのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「話をもどせ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう、あなたが自分を犠牲にしてわたしたちの機嫌を取ろうとしたこと。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そこまでもどるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「言いたいことを全て言えという命令を遵守している。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この野…</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この、や？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">う…、さっきもこんなことがあったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">や、薬缶？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんのことやらわからん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夜間飛行？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">サン・デグジュベリから離れよう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">山、川…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">赤穂浪士か？。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この、や？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「や、や、や、………………やんでれ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ヤンデレって何？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「すまん。忘れてくれ。ただの妄言だ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたがヤンデレと認めたならわたしはヤンデレになる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ちょっと階段の上まで来てほしい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おいっ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ジョーク。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえの今日のジョークはタチが悪いぞ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「それともかく、あなたが自分を犠牲にすることがわたしたちにとってひどく迷惑なことはさっき話した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが自分を貶めればわたしたちの機嫌を取れると考えていると知って…」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたしは拗ねた！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「自分のために誰かが犠牲になろうとしているということがどんなに辛いのか、あなたに思い知らせてやりたかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことは誰も望んでいない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしも涼宮ハルヒもたとえ傷ついてもいいからあなたの結論を聞きたかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あのな、あいつはおれに『時間を巻き戻せ』と言われても巻き戻さなかったぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">巻き戻せばすんだはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">巻き戻したくなかったってことか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒは『走れ』という命令には従った。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんか走りたくなったんじゃねえのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女ども、いちいち睨むんじゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたが自分が臆病だということでこの場を収めるという方針を明らかにした以上は、わたしたちはそれに合わせるしかない。彼女はのどから手が出るほど巻き戻したくても、そうするほかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いみじくも彼女自身がそう言っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『あなたのことだから何度巻き戻しても、同じことをするだろう。』」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけどその後のおまえらの態度は随分フラフラしていたぜ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夏合宿の夜のことを武器にすると言ってみたり、冗談だと言ってみたり…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おまえはおまえで、ハルヒとおれに連帯感を植え付けようとしてみたかと思うと、なんだかおれに責任を取らせるとか言ってたな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが決断すればわたしたちは従う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが迷えばわたしは迷う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒも迷う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
涼宮ハルヒは嫉妬深く、疑り深く、独占欲が強く、悋気病みで、妬み深く、重度のやきもち焼き。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">語彙が豊富なのはわかったが、ほとんど同じことを言ってるぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">疑り深いというのだけはちょっと違うか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「その彼女の前であなたがわたしに眼鏡をかけさせ、外させれば大騒ぎになることは誰にでもわかること。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まあ、騒ぎにはなったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたがリスクを承知でそんなことをしたのは、その後わたしも聞いているのに『わたしの名前を呼んだのではない』と彼女に言わなければならないため、あらかじめわたしの機嫌を取っておく必要があったから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは彼女とわたしの機嫌を取ることを会話が一巡するごとに繰り返していた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何がシュリ―フェン作戦。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたの今日のふるまいはまるでミッドウェー作戦。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">爆雷転送を何度でも繰り返す。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">最近は爆雷転送が……</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なかったという説がある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱり知ってたか、くそ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今のは物のたとえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">意思の集中、力の集中が全くできていないということの例え。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたがふらつけばわたしたちもふらつく。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やはり涼宮ハルヒとわたしは似ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかも彼女よりもわたしの方があなたの護衛には適任。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女の力であなたを守らせることは…、不可能ではないが、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その力を発揮させるためには相当煩雑な手続きが必要。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしの方が必ずあなたの役に立つ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そこに戻ってくるのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「確かにおまえは便利な奴だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしに比べて涼宮ハルヒは用途を考えると使い勝手が悪すぎる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「役に立つっていうことと必要だっていうことは違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『役に立つから必要』とは言うが、『必要だから役に立つ』とは言わねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">たしかに同じモノを指して両方の言葉を使うことはあるが、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">概念としては全く別のものだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どちらにしろわたしたちは似ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしが彼女のバックアップになれてもおかしくない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱりそこまでもどってくるのか。やれやれ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「似ていればバックアップになれるっておまえは言うが、おまえと朝倉はちっとも似てねえ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「彼女とわたしのキャラクターの違いは任務内容の違いによる性格設定の相違にすぎない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしは観測者。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女は観測だけでなく対象への能動的な働きかけをするという任務を負っていた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「名前が違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしたちにとって名前とは、個体識別の符丁に過ぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうじゃねえだろ。だったら呼び名にそんなにこだわるわけがねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつのパーソナルネームは？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「朝倉涼子。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「名前っていうのは両親からの最初の贈り物だ。あいつの『涼』っていう名前はハルヒの名字からとったんだろうな。なんだか記号的な感じがする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
『朝倉』っていう名字は、織田信長に滅ぼされた大名の姓だ。しかもその最後の当主朝倉義景は、首をとられただけでなく、信長によって髑髏杯にまでされてしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あまり名乗りたくない苗字じゃないか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もう一度おまえのパーソナルネームを言ってみろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門有希。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえの名字、長門は世界最強の不沈艦の名だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そして有希。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">希みが有る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いかにも人間の親がつけそうな名前だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは、朝倉よりおまえの方が親に愛されているような気がする。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「彼女とわたしでは派閥が違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">同じ親だと考えることは困難。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なら主流派がおまえが親だと考えてもいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">予定調和説って知ってるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「キリスト教神学の根本。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
人間の生まれてからのすべての行動、心の働きでさえも天地創造の日に決まっているという考え。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
人生とは完結した小説のようなものであり、本人はこれから起きることは知らなくても、作者である神はあらかじめ全てを知っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">神が全知全能であるとはそのこと。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
故に救済されて神の国の住人になることができるのは神の一方的な選別によるものであり、人間の努力とは関係ない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
小説の登場人物が幸福になれたのは本人の努力によるものではなく、作者の恣意でしかないように。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
小説の登場人物が不幸になったのは本人の間違いからではなく、作者の一方的な都合でしかないように。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
人間は生まれた者ではない。世界で生まれた者とは神の子にして神そのもの、イエス・キリストただ一人。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人間は神によって造られた者でしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
小説の登場人物が例え劇中に両親がいたとしても、作者によって造られた者でしかないように。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">善行をなした者が救われるなどと考えるのは、涜神でしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">神は人間社会の道徳による善悪などとは超越したところにある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
その善行でさえ、あるいは祈りでさえ個体の自由意思によるものではなく、神の作為によるものでしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからたとえ祈ったとしても神がその人を救うとは限らない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
祈れば、善行をすればその人を救わなければならないのなら、神は人間の奴隷に成り下がってしまう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">祈っても、神はその人を救うかもしれない、救わないかもしれない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでも人は神に祈らなければならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自らの救済のためではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ただ、神の栄光を讃えるために。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人のためではなく、神のための宗教。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「最後の一行だけは違うな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">神のための宗教なんてものはないんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">死んだ人のための宗教なんてものもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">全ての宗教は、生きている人間のためのものだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「説明を。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「因果応報って言うだろ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">善因善果。悪因悪果ってな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いいことをすればいいことがあり、悪いことをすれば悪いことがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
だけどそういうことを信じられるのは、古代インドみたいな豊かな社会に生まれた人だけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">努力すればそれなりの成果が期待できる社会の中でだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
例えば荒地の真ん中で、羊が子供を産んでくれるのを待つ以外に生活の手段がないとしたら？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
エジプトに、ローマに、周辺の大国にいいように攻められて征服され、独立などとても考えられないとしたら？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分が今不幸なのは自分のせいだなんて信じたがるか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ヨブ記は知ってるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「旧約聖書の一巻。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ヨブは信仰厚い者であったが、神はしもべの義を試みるためにヨブの全財産を奪った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでもヨブは信仰を棄てなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">次に神はヨブの全ての子供を殺した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでもヨブは信仰を棄てなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">最後に神はヨブの健康を奪った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ついにヨブは神を呪った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">神はヨブの前に姿を現し、自分は神であり汝はその奴隷にしか過ぎないと語った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ヨブは悔い改めた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「そうだ。予定調和説はキリスト教によって完成したものだが、ユダヤ教にその萌芽がある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
人間が信仰しようが善行をしようが、神は救いたい者を救い、救いたくない者は救わない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">荒地の宗教、砂漠の宗教だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんな殺伐としたところでは、不幸なのは自分が悪いなんて誰も考えたくない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">全て神様の思し召しだと思いたいだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">神様に全ての責任をおっかぶせちまえばいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうせ不幸なのに変わりがないとしたら、その方が楽になれる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの神様はどうなんだろう？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの神様は古泉に仕事を与えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれに鍵という役割を与えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
そしておれがあいつのことを好きだという気持ちは、あいつが与えたものなのか、それとも自然に生まれたものなのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきそんなことを考えたな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことはあいつに聞いたってわからないだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつが神の力を自覚しているとかしていないとかいう問題ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人間は自然の中で最も弱い存在だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人間ひとりを殺すために全宇宙が武装するには及ばない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ほんのわずかな力で宇宙は人間を押しつぶすことができる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでも人間は自分を押しつぶす者より尊い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人間は自分が弱いことを、宇宙が自分よりはるかに強いことを知っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">宇宙は何も知らない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしあいつはいくら考えても自分が何者かはわからない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは考える葦ですらない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつは全能であったとしても全知ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
たとえあいつが神の力を自覚したとしても、すぐにその能力で記憶からその自覚を削除してしまうに違いない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを自覚するのは、あまりにも一人の人間が背負うものとしては重過ぎるから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">普通の人間は世界にがっちりからみ取られている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから簡単に世界を捨てることはできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしあいつは簡単に世界をするりとその手から逃がしてしまう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それをさせないために用意されたのがおれだとしたら？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのためにおれに恋という感情を与えたのだとしたら？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどそうであったとしても、あいつは決してそれを認めたりしないだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「誰かが自分を好きになったとしても、自分が好きにさせたとは誰も考えたくない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなものを一人で背負うのは重過ぎる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰だってそうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">相手が勝手に好きになったと考えた方が楽だからな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店じゅうの女どもがおれをにらんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……今の流れで何でおれが睨まれるんだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒのことだぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">本気でわからん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門…、なんでおまえまでおれをにらんでるんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「別に……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「話の本題はそこではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえ、日本神話にも予定説があることを知ってるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「日本の神道においては啓典宗教的な絶対神は存在しない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">原始宗教、アニミズムに近い多神教。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">絶対神がいないのに予定説が成立するわけがない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「神風神話だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「文永の役においては暴風雨が吹かなかったのではなかったのかという説がある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">弘安の役では元軍は石の防塁と鎌倉武士の奮戦に阻まれて二か月近く上陸できなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長期間九州沖の海の上にいればいつか台風に襲われるのは当然のこと。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">暴風雨によって元軍が沈んだのは奇跡ではない。偶然ですらない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ただの必然。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「歴史的事実がどうということじゃなくて、それがなぜ神話として成立したかということだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">亀山上皇をはじめ朝廷は一心に『敵国降伏』を祈り続けた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">祈れば必ず叶えられると信じていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何故か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ヨブはヤハウェと契約していたが、天皇は天照大神と契約などしていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当時の日本人は天照大神のみを信仰していたか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことはない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当時は朝廷でさえ仏教を厚く信仰していた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ならばなぜ天照大神は天皇と日本人を守るのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わからない………。 神とは嫉妬深いもの。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「天照大神はヤハウェとは違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしが今思い出したのはヤハウェではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「その話は今は置いておこう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ヨブも他の人間もヤハウェの子ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">神の子はイエス・キリストただ一人。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">天皇と日本人は全て天照大神の子孫だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">子孫というのはあくまでも人間側の見方だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人間は死んで代が替わっていくが、天には同じ神様がずっといる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
天照大神が地上をずっと見ている時、天皇と日本人はいくら代替わりしても自分の子だとしか思えなかっただろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">天照大神が日本人を守る理由はただ一つ、自分の子だからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">日本人が他の民族よりも良いことをしたからではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">北条時宗は元の使者を罪人のように斬首した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんなことは当時の国際法でも許されることではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">日本側に非があると言えないこともない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし天照大神にとって理非などどうでもいいことだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">日本人が天照大神を信仰しているからでさえない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
日本人がいいことをしようが悪いことをしようが、自分を信仰しようが信仰しまいが、そんなことは一切関係ない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">日本人が日本人である限り、天照大神はどんなことをしてでも守る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">理由はただ一つ、我が子だから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">親が我が子を守るのに条件なんか存在しない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いい子だろうが悪い子だろうが関係ない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その子が生まれた時から、いや生まれる前から守られるものだと決定している。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">予定調和だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
そこで一つ聞きたいんだが、朝倉の連結解除の申請はすぐに…、３秒後ぐらいに通ったんじゃないのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことはない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうなのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「１００万分の７秒後には許可が下りた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんだか誇らしげな声のように聞こえるのは気のせいだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「天照大神は元軍を暴風雨に遭わせて日本海に叩き込んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">親は我が子を殺そうとする者を殺すのに、一瞬でもためらったりはしないんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえが朝倉を消すのに手こずったのは…、おまえの親がためらったからじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ためらっていたのは…、おまえだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「朝倉涼子はわたしではなく、執拗にあなたを狙った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">とうとう…、我慢ができなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「朝倉はおまえの操り主が意見を変えるかもしれないなんて言っていたが、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえは自分が危機に陥ったら、おまえの親がどんなことでも許すことを知っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからおれに対してはっきりとこう言い切ることができた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『あたしがさせない。』」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あのアニメでもそういうシーンがあったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今日の日はさようなら」か。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「朝倉を消す決断をするのに一秒もかけなかったおまえの親だが、おまえの処分をするのにはためらい続けた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰でも自分の子を消したくはない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどこのままにするわけにもいかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何しろ自分が消されかけたんだからな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰でも死にたくはない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでもおまえの親は迷い続けた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ダビデ王でさえ反乱を起こした息子アブサロムに反撃することをためらい続けた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">親は子に殺されかけても反撃できないものなんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">三日間もどうするべきか検討していた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">多分処分を撤回する方向に決まりかけていたんだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんな時おれがおまえの親を脅した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの言葉はおまえの親が踏ん切りをつけるきっかけになったに過ぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことはない！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの時情報統合思念体はわたしを処分しようとしていた！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いまのわたしがあるのは思念体ではなくあなたのおかげ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「くそったれと伝えたか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「伝えた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何と言っていた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「我々は排泄などしない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">………なんて言うか、面白みのない奴らだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それとも長門に似て負けず嫌いなのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">というより、長門が親に似てるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえの負けず嫌いは親譲りか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今はそんなことは言わない方が良さそうだな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえがそう言うんならきっとそうなんだろうな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだとしても、向こうはおれのことが大嫌いだろうが、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはおまえの親が好きでもないが、嫌いでもないぜ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「好きでない理由は？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえを消そうとしたからだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「嫌いではない理由は？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当たり前じゃねえか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえをつくってくれたからだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おまえが今こうしていられるのは、おれがああ言ったからでもあるが、おまえの親のおかげでもある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しばらく沈黙していたが、やっと声を出した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「情報統合思念体は概念のみの存在にすぎない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたや涼宮ハルヒの親とは違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">情報のみの存在であって実体を持たない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを親とするのは単なる比喩にすぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そう来たか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今おれは何を握っている？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ボールペン。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「本当にそうか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ボールペンを分解した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">外側のカバーを握った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれは今ボールペンを握っているか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけどさっきと同じ所を握ってるぜ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「分解されてボールペンとしての機能を失えばそれはボールペンではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ。ボールペンとは実体ではない。字を書くための道具という概念にすぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">分解したボールペンを丁寧に元にもどした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれがおまえの頭の雪を払った時のことを覚えているか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「当然。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたはわたしの髪を撫でてくれた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">コートを着せてくれた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">フードをかぶせてくれた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">手を取ってくれた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど腰だけは逃げていた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そういうことじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの時おれはおまえの頭に触っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜならおまえの頭に触れていたのはおれの手だから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどおまえがおれの手を体から連結解除したとしたら」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことは絶対にしない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だから仮に」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「仮にでもしない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だったら他の誰かがおれの手を」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたしがさせない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とにかく仮にだ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの手が体から離れたらおれはおまえに触っているということになるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">違うな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの体から離れた手はもうおれじゃないからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なら肘が触ったらおれが触ってることになるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">体についていたらそうだろうな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど肘を切り離したら？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その肘はもうおれじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だったら上腕か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">切り離されたらおれじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">肩か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">切り離されたら違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんな風にどんどん輪切りにしていってもおれはどこにもいない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれという実体はどこにもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの親だってそうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">概念のみの存在でしかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「詭弁。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ、詭弁だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはここにいる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどなぜおまえにおれがここにいるとわかる？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの姿が見えるからか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの声が聞こえるからか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたの匂いがする。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつだったらにおいで誰か嗅ぎ分けられてもおかしくないな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけど何故それでおれがいると断言できる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの姿が見えて、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれの声が聞こえて、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれのにおいがするだけかもしれないじゃねえか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もしかしたらおれはいないかもしれない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえはおれがいるという情報を伝達されているだけかもしれない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「詭弁。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「詭弁ではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰でもそういう体験をしたことがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夢だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつは夢を見るのだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
人間が夢を見るということは知っているだろうからたとえ話は理解できるだろうが、「誰でも」と言ってしまったのはまずかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしも夢を見る。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">よかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「夢の中に誰かが出てきて、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そいつの姿が見えて、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そいつの声が聞こえる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そこにいるとしか思えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどそいつはそこにはいない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどいないと言えるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夢の中でそれが夢だと判断することは絶対にできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">現実の中でそれが現実だと判断することが絶対にできないように。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ならば夢も現実も同じだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夢の中でそいつが存在する情報を受け取っているのと、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">現実の中でそいつが存在する情報を受け取っているのと何が違う？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それがどこであれ、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">見えるということはあるということだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">聞こえるということはいるということだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
どんな形の情報であれ、存在するという情報を受け取れれば、事実存在するということだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">たとえ情報のみの存在だったとしても、そこにいることには違いない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どうやらあなたはこう言いたいらしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夢の中に誰かの姿が見えていたらその人はその場にいる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰かの声が聞こえたらその人はその場にいる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そういうことだな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「今言ったのは視覚情報と聴覚情報に過ぎないが、五感と呼ばれる感覚には嗅覚情報、触覚情報、味覚情報が含まれる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夢を見るとは言うが、夢を聞くとか夢を嗅ぐとかは言わないな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それだけ人間が目に頼っているということだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「誰かの匂いがすればその人はその場にいる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">においで個体識別ができるのはおまえぐらいだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「誰かの手をつかんだらその指と手の平の感触を通じてその人は存在する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんだか具体的だな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「誰かの唇の感触を堪能したらその人はその場にいる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ちょっと待て！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「その舌を通してその人の味覚情報を受理すればそれは現実。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">夢だなどという弁明はできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが言いたいのはこういうこと。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それは別の話だろうが…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは涼宮ハルヒの『情報』を味わったことを否定しないのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">メモ用紙を一枚ちぎってボールペンを走らせてみた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、これが何だかわかるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">拗ねてやがるな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「はここにいる」を棒線で消して「がさせない」にした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「これは？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「まだいや。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">注文がうるさい奴だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わ」を消して「あ」にした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「これでどうだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「『あたしがさせない』と書かれている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違うな、これは紙とインクだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「詭弁。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「たしかに詭弁だ。これは文字、あるいは文章。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">つまり情報だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">では『あたしがさせない』というのは実効のない情報に過ぎないのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あからさまに不機嫌な声を出すな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わかっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
これがもしただの情報だったとしたらおれはビームで頭を貫通されるか、カッターで切り刻まれるか、ナイフで突き刺されたままか、どれにしろここにはいられなかっただろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そしてただの情報ではないものがここにもある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">左手の手首を見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">二つの噛み跡。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門の犬歯の跡がくっきりと残っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なあ、これはハルヒが来るまえに消」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたしの痕跡。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">抗命にならないように命令する前に先手を打ちやがったな…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつもはすぐに消えるのになんで消えないんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それは物理的な痕跡。しばらくは消えない。あなたの体に刻み込んだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえな、それはいいんだが、ハルヒが見たらなんて言うかわからんぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門に噛まれたなんて言ったらどんなことになるか…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それがいやならばあなたのシャツにルージュをつける。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">体に直接がいいなら首筋にキスマークを…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わかった。これでいい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰かが「昼間やってるメロドラマみたい…」と言ってあわてて目をそらした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門に睨まれたな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">机の上に放りっぱなしにしていた時計をはめた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">かろうじて跡を隠すことができる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたしの痕跡を涼宮ハルヒの痕跡によって隠せるようにした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしの優しさに感謝すべき。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ありがとう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ガン！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なぜ礼を言って本のカドで殴られなきゃならんのだ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とにかくだ、『あたしがさせない』というのはただの情報じゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ここにおれがこうしていられるから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきおまえがキレたこともただの情報じゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえの噛み跡があるからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">サンタクロースは本当にいるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">サンタクロースとはプレゼントをくれる人のことだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">プレゼントがそこにあるということはそれはただの概念じゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">物的証拠をともなっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからおまえの親もただの概念でもなければただの情報でもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのはっきりとした証拠がここにある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえがここにいる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だから、バックアップになろうなんて思うな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">捨石になろうなんて思うな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まして家畜になろうなんて思うな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっき言い忘れていたことがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">日本海軍はドイツ海軍と違って膨大な数の駆逐艦に全て名前をつけた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おまえは駆逐艦なんかじゃなくて連合艦隊の旗艦をもっとも長く務めた最強戦艦だけどな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「海上自衛隊は潜水艦にすらいちいち名前をつける。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえの親はおまえに長門有希という名前をつけた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">家畜にはな、名前なんかないんだよ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しばらく長門が沈黙していた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつが黙っているのは珍しくないが、なんだか考えているようだった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしはあなたたち二人のために犠牲になったりしない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは涼宮ハルヒを守ればいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたはわたしが守る。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いつもと同じだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしはあなただけを守る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたがどんなに泣き叫んでも、涼宮ハルヒは見殺しにする。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やらねえよ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">握ったボールペンをくるくる回した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえはハルヒを見殺しにしたりしねえよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「『遅い』と怒鳴られてもおれは傷つかないっていう話をしてたな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あんなことを言われてもおれが返事をしないっていう事はわかっていたはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なら誰に聞かせるためにあんな話をしたのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれに聞かせるためじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ここにいるギャラリーの皆さんに聞かせるためでもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰にか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえはハルヒに聞かせるためにあんな話をした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あんな話をすればあいつのことだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
いつもなら『遅いから遅いと言った。それで傷つくならあんたが悪い』とかそんな減らず口を叩いたはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどあいつは黙って聞いていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえがあいつのために話していることを知っていたからだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいつはおまえに、自分がおれを傷つけていないと言われて喜んでいた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱりおまえはあの十二月とは違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきも言ったようにそれが単なる変化なのか成長なのかおれにはわからない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わからないが、おまえがなりたい自分になっていっていることだけは確かだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">進化というのは遺伝情報の伝達の齟齬の繰り返しにすぎない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なりたい自分になることができるわけじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけど、おまえが今体験していることはこう言うしかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「自律進化だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒも、なりたい自分になろうとしている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分の弱ささえもさらけ出すことができればどんなに楽かということを知っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどそれが出来ない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それをするのが怖い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">生まれて初めて信じていいと思った存在。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">世界で最も信頼できる存在。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この世で唯一信頼できる存在。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんな存在の前でさえも強張った態度しか取れない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどもしかしたらそんな自分を変えられるかもしれない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なりたい自分になれるかもしれない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まさしく…、自律進化の可能性。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そのためには、あいつの心の根っこの部分にある、不安を少しずつ取り除くしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それが、俺達の仕事だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何故複数形？ あなたがその可能性の鍵。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえらもやるんだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのためにおまえらはハルヒに呼び集められたんだからな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それはそれでいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今は別のことをあいつのためにやらなきゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">俺達でな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「我々はあまりにもあなた方にあいつのプライバシーを曝け出しました。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんを真っ直ぐに見て言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「それによってあいつが不利益を被るようなことがあれば、あなた方に対して少々乱暴な手段を取らざるを得ません。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">軽蔑しきったように鼻を鳴らされた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「君、それでドスを利かせているつもり？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしが君みたいな高校生のガキに脅かされると思ってるの？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女にピーピー泣かされてたくせに。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">君が自由に出来るのは、せいぜい二人だけでしょ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どんな女でも自分にかかれば言う事を聞くとか思ってない？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">これだけはきちんとしておかなきゃならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、あれをやれ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それよりも記憶の改竄を推奨する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや、それはまずい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">思い切り見下した目でこっちを見ている店長さんを見ながら言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはあとでこの人たちに説教されなきゃならん。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「了解した。何を対象とするか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうやってすぐ女の子に頼る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">君はハルヒちゃんを守るとか言ってたけどね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">君みたいなガキに何が出来るっていうのよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門さんを利用してハルヒちゃんの機嫌を取っただけでしょ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">君自身はあの子に何にもしてないわ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの子を守ったのは君じゃなくて長門さんよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「店ごと消してやれ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「推奨しない。今は真冬。店が消えればあなたが寒い。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだな。だったらここの商品を全て連結解除しろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">生命体でなければこいつの権限でできるはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">朝倉もやってたしな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「推奨しない。あなたが悪趣味だと思われる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">とにかくこのままではまずい。こちらがどう考えているかを見せなきゃならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なあに、その目？ 怒ったの？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おあいにく様。こっちは君なんかがいくら怒ったって怖くともなんともないわ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「外から見られるとまずい。まず空間閉鎖しろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">音もなくこの建物の全ての出入り口が消えて一面壁となる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんの方を見ながら言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店の名前は…、忘れた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「当店舗の全展示品並びに全在庫品を敵性と判定。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">該当対象の情報結合連結解除を命令する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門の小さいけれどもよく通る声が店全体に響く。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「情報連結、解除開始。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あとは…、いつか見た光景だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんなことに慣れている自分がいやになるが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
マネキンが着ていたカーディガンが、展示されていたトレーナーが、腰だけの人形？に履かされていたスカートが、光の粒となり、結晶となり、みるみるうちに消えていく。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
ご丁寧にスカートが消えてから下着が露わになり、さらに下着が消えて真っ黒い人形というか何というか、人間の腰の形をした名称不明の物体が露わになる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
たちまちブティックが、何屋だかわからない、借りたばかりのビルの一室のようなものになっていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「れ、連結解除って…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">悲鳴を上げている人もいれば、声も出せない人もいる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その表情は一様に…、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そりゃあ驚くよな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">驚くに決まっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">驚かすためにやったんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">驚いてもらわないとさらにやらなきゃならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その必要もなさそうだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今の長門ならやりそうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、なんだかノリノリだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが命じれば人間であれ、地球であれ、衣服であれ何でも情報連結を解除する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">衣服を強調するな。おれが変態だと思われる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だから推奨しないと言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが決断すればわたしは従うが、もう少しその前にわたしの意見も聞くべき。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ、有機結合の連結解除の権限なんかあったのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたの脅迫によってわたしの権限は飛躍的に大きくなった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">無論有機生命体へ連結解除も含まれる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえの親は何考えてるんだ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">三歳の子供に殺人許可証なんか出しやがって…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえダブルオーナンバーなのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">番号はいくつだ？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「すると何か？ さっきおれの有機連結を解除しろって言ったけど、やろうと思えばできたのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「できない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だからやろうと思えば…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「できない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや、やるかやらないかじゃなくてだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「わたしの任務は涼宮ハルヒの監視であるが、あなたの脅迫によってわたしの主任務が変わった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今のわたしにとってそれは副次的な任務でしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今のわたしの主任務はあなたの護衛。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">一ヶ月間、一秒間に８５０回の申請を出し続けたら許可が下りた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そういうのは申請と言わずに嫌がらせと言うんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ホント、おまえの親はおまえの言うことを何でも聞くな…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「そんなことはない。わたしの体つきを女らしくすることについては一向に許可が下りない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">父親なんてそんなもんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「護衛が任務である以上、有機連結解除の権限も当然必要。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからって危険すぎるだろうが。子供にそんな凶器を持たせるのは…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「情報統合思念体は何も危惧していない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">危惧しろ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたがここにいる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「情報統合思念体は、あなたは絶対にわたしに人殺しなどさせないと判断した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「当たり前だ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ていうことはまさか…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれにおまえの鍵になれっていうことか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「その認識で間違っていない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まったく、どいつもこいつも…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">仕方がないか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">情報統合思念体には借りがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門をあの十二月、あそこまで追い詰めたのはあいつらじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もちろんハルヒでもない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">俺『達』でさえない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたはやさしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰に対してもやさしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしに対してもやさしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あなたが、わたしに対してとてもやさしくしながら、やさしくしたのがわたしにだけではなかったことが、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしをあそこまで追い詰めた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしを追い詰めたのは他の誰でもない、あなた自身。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">思念体としては、『おまえのせいだろうが』としか思えなかったろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからこのことに対して俺に責任を取れと言っているわけか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけどおれはおまえに対して責任が発生するようなことは…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒに対してやったようなことはしてないぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは、自分に恋する女の命を救ってしまった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">悪いことしたみたいに言うんじゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。それはとても悪い事。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それをした以上は当然責任が発生する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">行きずりの男の子の命を助けたのとはわけが違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女の命を救ったからには、生きていく希望を与える義務がある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ、あの日に朝比奈さんとおれが何をしていたか知っているのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたと朝比奈みくるは遊んでいたのではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">一人の少年の命を救うために活動していた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だったらなんであんなに怒るんだよ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それとやきもちとは別。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「まあいい。さっき消したやつだ。高価なものらしい。再構成してやれ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「了解した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">音もなく連結解除前の光景が出現した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「バ、バケモノ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは今、長門のことを化け物と言いましたか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分でも驚くほど穏やかな声が出た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが目を見張りながら二、三歩後ろ歩きをした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">新しい健康法だろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ち、ちがうわ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">バケモノは君の方よ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">男が本気でキレると恐ろしく静かな声を出すっていうのは本当だったのね…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">このわたしが完全に震え上がったわ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
さすがに、これだけのことが出来るこの子を怖がるどころか、やさしく気遣ってあげられるだけのことはあるわね…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんだか饒舌ですな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「女はビビると饒舌になるものなのよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ここの電話をスピーカーモードにすると決めたのはあなたです。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それによってあいつが秘密にしておきたい情報が不特定多数の人々の前に晒された。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">責任は決断に帰結する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">責任を取って下さい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">具体的には…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わ、わかったわよ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あんたたち、とにかくハルヒちゃんと長門さんに関してだけは、絶対にこの子…彼を怒らせるんじゃないわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わかってます！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「死にたくありません！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「死ぬよりもっとひどい目にあわせられるかもしれないわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">大丈夫です。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
いくらおれでも街の真ん中で、あなたたちの身に着けている衣服の繊維結合の連結解除を命じたりしません。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まあ、一日ぐらいどうしても思い出せない日があったとしても人生は人生。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ひとりやふたり足りなくても世界は世界ですけどね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わかってるから念押ししないで！ お客様方もいいですね！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「はい、わかりました！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「絶対に他言しません！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「お、思い返したりもしません！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さすが店長、たいしたカリスマだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">従業員だけでなく客にまで言うことを聞かせている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">客を客とも思わないだけのことはあるな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ちょっと、皮肉言わないでよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや、仕事が早くて助かります。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">本気で感謝してますよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さすがに一人一人脅してまわるのはめんどくさい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まあ、どこかから情報が洩れたらそうするしかないですが…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「彼を甘く見ない方がいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼が優柔になるのはある女性に対する扱いだけ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
見知らぬ少年の命を救うために暴走車両に向かって走る決断をするのに一秒もかけなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼はもともと果断に富んだ性格。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒを失うくらいならどんなことでもする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どんな残酷な決断でもする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ひとつの世界を滅ぼすことさえも厭わない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">というより、やった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門有希はおろか、涼宮ハルヒを殺すことさえした。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは一人、ハルヒを殺した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう言えば、おまえに銃を向けたことがあったが結局撃てなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">面倒をかけたな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたの決断に従ったまで。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしにはその決断がどうしてもできなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あのエンターキーを押したのは、ハルヒをおれの後ろに座らせるためだけじゃねえ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あの世界でのあなたは、全てその目的のためだけに行動していた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">全ての意志と力をそれに集中していた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや、もう一つ理由があった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえの眼鏡を外させるためだよ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この三点リーダは、咄嗟に次の言葉が出なかったためのものらしい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんていうか、その方がおまえらしいよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しばらく黙っていたが、また声がした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「自分で外させたくせに、その方がわたしらしいなどと、よく言う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、おまえは普通の人間として生まれたかったと思ったことがあるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なぜそんな残酷なことを聞く。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あるに決まっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからこそあなたに迷惑がかかるに決まっているのにあんなことをしでかした。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえだけじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰だってこんな自分じゃなかったらと思うことがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんな生まれつきじゃなかったらと誰でも考える。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたがそんなことを考えるとは思えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたほど恵まれた生まれつきの人間はいない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒが持たない安定した精神を持っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">朝比奈みくるが持たない知恵と判断力を持っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門有希が持たない行動の自由を持っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">古泉一樹が持たない自分が好きな女性の心を持っている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「最後のはあきらかに勘違いだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうかもしれない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それは生まれつき与えられたものではない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたが努力して勝ち取ったもの。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒに一目ぼれしたあなたは、彼女に粘り強く働きかけた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
それによってあれほどかたくなだった彼女の心を、わずか三週間でドロドロに溶かしてしまった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんだドロドロって、あいつの心は火砕流か。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とろとろ、でも良い。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">スイーツかよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そういうことを言いたいわけじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの眼鏡をかけた長門はおまえじゃないっていうことだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきも聞いたが、人間は何によって構成されている？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「情報。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつとおまえは同じものでできているか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女にはあなたとの八ヶ月半の思い出がない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女に与えられた思い出は、あなたに図書カードを作ってもらったというものが唯一。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そしてその思い出は、詳細は違うとはいえわたしにもある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれも古泉みたいな美男に生まれていたら、なんて考えることがある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどそんなことを考えても仕方がないことだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんな平凡な顔をしたおれだからこそおれなんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">美少年に生まれていたら、それは今のおれよりも幸せだったかもしれない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけとそいつはおれじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれとは何の関係もない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう………、あなたとの八ヵ月半の思い出があるからこそわたしはわたし。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを失ったわたしはわたしではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえはあいつと記憶を共有しているか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「していない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「精神医学では記憶を共有していなければ別人格と考える。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">多重人格っていうだろう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「乖離性人格障害。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この場合は多重人格と呼んだ方がしっくりくる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">肉体が同じでも違う人間ということだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえは対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからおまえなんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だからこそわたしはあなたに出会うことができた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたとの八ヵ月半の思い出をつくることができた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そしてそれは、わたしを構成する情報の根本。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そこがいちばんハルヒと違うところだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことは今はどうでもいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どんなことをしてもおまえを取り戻すっていうのはそういうことだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからおれは、あの時エンターキーを押した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やはりあなたは八方美人。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">一行動が二目的を持っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの時でさえ、意志の集中、力の集中ができていなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんがおれの後ろに向かって話しかけた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門さん、あなたに聞きたいことがあるの。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたはわたしの前で彼を愚弄した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">覚悟はいい？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今日は饒舌だと思ったがやっぱり長門は長門だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">会話になってねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「パーソナルネーム神原明美を敵性と判定。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">該当対象の有機結合情報の連結解除を申請する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まさかおれに言ってるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「却下だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「神原明美の有機情報連結解除を申請する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ダメだ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この女を世界から消す。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いい加減にしろ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ならば独断専行する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれはおまえの鍵じゃなかったのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしの独断で有機連結解除ができる場面が二つだけある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ひとつは、わたし自身の生存が脅かされたとき。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そりゃそうだろう。誰にだって自分を守る権利がある。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう一つは、あなたに危害を加えられようとしたとき。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうわたしが判断した場合、あなたの決断を仰がなくてもそれをすることができる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この女はあなたを愚弄した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">危害を加えるかもしれない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことはしねえよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは愚弄されてくやしくはないのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どうでもいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">心の底からどうでもいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どうでもいいとか口にする時間ももったいないほどどうでもいい。<br />
二度と足を踏み入れない洋服屋の店主にどう思われてもかまわん。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ひどいことを言うのね…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが恨みがましい目でこっちを見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒがまたここに来たがるかもしれない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「バカ言え。鏡の無い洋服屋に来たがる女がいるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この女のあなたへの態度はお客様に対するものではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この店にとっておれは客じゃないっていうだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どんな店舗に入っても消費者は王様だとか思わない方がいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この人は洋服屋だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">洋服屋は人を身なりで判断する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">某量販店出身のトレーナーの襟を引っ張りながら言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この程度の男なら購買力がない、この店に金を落とす能力がないと判断した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから客扱いしなくてもいいと思った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どんな格好であろうが客として入ってきた者は客としてあつかう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それが小売店の常識だがここはそうじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">客が店を選ぶんじゃなくて、店が客を選ぶ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それだけの話だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ならばその認識が風評として流れるように情報操作を行う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ひっ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「余計なことをするな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こういう噂は自然に流れていくものだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ほっとけばいい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ちょっと……、そんなつもりじゃ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">本気にしないで下さい。長門をキレさせないための方便です。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだろうと思ったけど…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">キレさせてもいいですけどね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今の長門は危害を加えたり、存在を抹消したり、絶対にそんなことはしません。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうなの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれに対しては。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…当たり前じゃないの！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
それから身なりがどうとか言ってたけど、あなたが無造作にしてる時計一コで、うちの一番高い商品が十着以上買えるわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなものはいらん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたにとってはそんなものでしょうけど…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">貰い物を褒められてもうれしくない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ハルヒちゃんのご両親にとってはそんな時計よりあなたの方がずっと価値があるっていうことね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当然だけど…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分たちがやらなきゃならなかったことをあなたがしてるわけだから…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しまった。長門をほったらかしにしてしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この店の購買層は女性だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ここの従業員も女だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
さっきも言ったが、その被差別意識から女性は同性グループに対して強い帰属意識を持つ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おれを『女の敵』と仮定しそれを責めることで店員と客との連帯感を持たせ、店に対する親近感を高めようとした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それによってあわよくばこの店での購買欲を高めさせようとした。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「愚かなことを…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「大人のやり方なんてそんなもんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「三歳の子供のやり方。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
わたしが自分を仮想敵としてあなたと涼宮ハルヒとの連帯感を高めようとした方法と同じ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">犠牲にしているのが自分ではなく他人であるだけに余計に始末に悪い。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけどおまえに女としての連帯感を持っているってことは方便じゃなくて事実だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この人はおまえに女どうしの話をしたいって言ってるんだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「人間を染色体の形で区別することに意味があるとは思えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたはさっきあのように言ったが、わたしは変わっていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒも変わっていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしにとって世界とは、『あなたとあたしとそれ以外』。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それ以外もあるって気づいただけでたいした進歩だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この人の話を聞け。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この女はそんなに偉いのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたよりも？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「当たり前だ。おれみたいなガキとは違う。一店を切り盛りしている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたはわたしなり涼宮ハルヒなり古泉一樹なりを利用すれば、金銭などいくらでも手に入れることができる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「日に一億円転がす人より月に数十万円稼ぐ人の方が偉いんだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは涼宮ハルヒと長門有希を支配している。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この二人を通じて世界そのものを支配することもできる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことしたいと誰が言った。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはショッカーの首領か。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは六十億人の生殺与奪の権を握っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この女は一つの店を支配しているにすぎない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「支配している人数が多ければ偉いだなんて誰が決めた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつおれがそんなことを教えた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえの親の思想か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">小国の指導者より大国の指導者の方が偉いのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">小会社の社長より大会社の社長の方が偉いのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やたらテリトリーを広げてどうする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分のテリトリーに対する責任をきちんと負っている人がえらいんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この人は大勢の従業員を食わせている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">絶対におまえにとって有益な話をしてくれるはずだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この女に何かできるとは思わない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒの魂を救うために何の役にも立たなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">最初から最後まであなた一人でやった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違うな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違わない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれとおまえでやったんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたはここにいる女たちはみな涼宮ハルヒの味方をしていると言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
しかしこの女は、彼女の魂を救うためにトイレットペーパーでできた傘なみに役に立たなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ひどっ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえは洋服屋に何を期待してるんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それに、洋服を選んでもらうことによって救われる魂だってあるはずだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえには絶対わからないだろうが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしはあなたを愚弄した者を許すことができない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきこう誓ったのをあなたもおぼえているはず。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたの心にかすり傷一つでもつけるようなことは、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あたしがさせない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ナメるんじゃないわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが大声を上げた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こっちを見ている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「彼をナメるんじゃないわよ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしなんかに何か言われたぐらいで傷つくような自信のない男じゃないわ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことはわかっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうでなければあの涼宮ハルヒをあんなに丁寧に扱えるはずがない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは別に丁寧に扱われたいわけじゃねえよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あの五月を思い出していた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ちょっとぐらい乱暴にされてもいいから、特別に扱われたいだけだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やっぱりわかってるのね…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
それはともかく長門さん、彼はわたしを含めてここにいる女たちにどんなことを言われても平気だし、どんな風に思われてもかまわない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうふるまっている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたやハルヒちゃんに対する態度とはまるきり違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
男は自分にとって大事な女性とそうでない女性とを、時として残酷なまでに差別するんですよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そっちはわかってないようね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さいですか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「大切な異性に比べてどうでもいい異性をひどく差別するのは、男より女の方よ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女はね、自分と好きな男だけ残して世界が滅んじゃえばいいって本気で思うものなの。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それに気がつかないのは、あなたが決して差別される側にはまわらないからのようね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とにかく長門、この人の話を聞け。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「当然だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……わかった。聞く。何？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いきなりいつもの口調にもどるな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「彼はあなたよりハルヒちゃんのことが好きよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">半日しか見ていないわたしたちにもはっきりわかるんだもの。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ずっと彼を見ていたあなたにわからないはずがないわ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでもあなたが彼の言うことを聞いているのは何故なの？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱり彼のことが好きだから？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">空気を切り裂くような声が聞こえた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒもさっきこんな声を出してたな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしが彼の決断に従って、後悔したことなど一度もないから。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今日はじめて彼に嘘をついた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒは彼にだけは自分の居場所を言わないでほしいと言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしも彼には教えない方がいいと思った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女もわたしも間違っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼の決断が正しかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼はわずか五分三十七秒で彼女を救ってしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしにはどうにもできなかったのに。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼が決断しさえすればどんなことでも可能だと再認識した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そういうのを丸投げと言うんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしと涼宮ハルヒは違う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女は絶対に切れないライフロープにしがみついていながら、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『これが切れてもかまわない』</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『だからこんなものがなくても平気』</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">などとブツブツつぶやいている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何故か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼女にはそれしかないから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを取りあげられたら何もないから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからそれがなくなっても平気だと自分に言い聞かせている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことでプライドを保とうとしている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">愚かとしか言いようがない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなものより彼の背中を十か月間見続けている一途さや、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">三日間彼の病室を片時も離れなかった健気さを矜持とするべき。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そちらの方がはるかに自慢になる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことができる方がはるかに人は羨む。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この中でそれができる女が何人いるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">女どもの反応は…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">うつむいている人。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ぼーっとしてなんだか妄想にふけっているような人。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">じっとおれの後ろを見ている人。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">最後のは店長だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そして同級生の女の子にそんなことをさせられる男が何人いるか…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしはそんなことは知らない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれも知らんな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは知るべき。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だったら調べとけ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わかった。Ａ４用紙五十枚以内でレポートにまとめてくる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令解除だ。やらなくていいぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「読んで。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やらなくていいって。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「読んで。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……もともとおれがやらせたわけじゃねえよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もしかしたらそんな男などいくらでもいるかもしれない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だけどわたしにそんなことは関係ない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">重要なのはわたしのすぐそばにそんな男がいるということ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">わたしは彼に裏切られても後悔しないなどと覚悟を決めたりしない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">切れるはずのないロープが切れた時のことなど考えない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なくならないものをなくなってもいいなどと思わない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">涼宮ハルヒは彼に裏切られてもいいと覚悟を決めているだけ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">朝比奈みくるは自分自身の判断力がないから全て彼に丸投げしているだけ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">朝比奈さんは判断力がないんじゃない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">判断材料がないだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「わたしはただ彼を信じている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">かならずわたしを良い方向に導いてくれる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今、この瞬間でさえそう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼の決断に従ってあなたの話を聞いたことによって、あなたの誤解を解く機会を得た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何故信じられるのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼がわたしを裏切ったことが一度もないから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……おかしい？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">じっと長門の話を聞いていた店長さんがはっとしたような顔をした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そして深々と頭を下げた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門様、申し訳ございません。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何も知らないくせに知ったようなことを申しました。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なぜわたしに頭を下げる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">彼に…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やめとけ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この人はおまえに対して悪いと思ってるだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれは関係ない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だいいちおれたちの信頼関係はおれたちだけが知っていればいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">他人に説明する必要なんかない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「確かに。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰かがほうっと息をついた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今日もまたあなたはわたしを救った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたの話を聞き、あなたに従ったことで、蓄積されかけたバグが一気に消去された。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">感謝している。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あのままでは再び暴走する恐れがあった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">声を聞いている限り、落ち着いているようだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「思念体の思惑がどうであれ、あなたにまた迷惑をかけるくらいならわたしは自分の有機情報連結を解除する。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">これは、言わなきゃならんな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そいつは……」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ボールペンの先で机を叩いた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">カンッという硬い音がする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長がビクッとしてこちらを見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店じゅうの女がみなこっちを見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">体ごと後ろを振り返る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店中が釣られて長門の方を見る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">知るか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">このセリフを初めて言う時は、相手の顔を見つめるのが作法なんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれがさせない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あれほど感情をあらわにしていた長門だが、いつもの無表情だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その頬はピクリとも動いていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「このおれが呼吸をしている限り、長門有希は世界から消えることができない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">覚悟しておけ……。返事は……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門の小さな体、人形のような白皙の肌、水晶のような瞳を思い切り怒鳴りつけた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「返事は！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………了解した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">笑ったような気がした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もう一度背中を向けた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「フン、何ニヤニヤしてやがる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いじわる…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「意地悪ね…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだ忘れてた。電話を元通りにしろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">これを直さないと警察に突き出される。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんでわたしが…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえのせいだろうが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「了解した。だけど一つだけ条件がある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「言ってみろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう一度、わたしの名前を呼んでほしい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうか。長門も有希もおまえの名前だったな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
おれから見て一番遠くにいた女がハッとしたような顔して、今度はすがるような目をしてきた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やれやれ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「固定電話の通信連結を再構成しろ………有希！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いや、そんなホッとしたような顔をされても。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">空気から光の粒があらわれ、みるみる集まっていき破壊された部品が再構成される。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">するするとコードが伸びて壁の電源におさまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こっちは驚かないんですか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もう耐性がついたんですか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">みんなやれやれ良かったみたいな顔してますけど。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「用がすんだら帰れ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……また明日な。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…また明日。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ハルヒがくる前に……って遅すぎるだろう、あいつ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえ、もうすぐ来るって言ってなかったか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「彼女はあなたをちょうど二年九ヶ月待っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それに比べればもうすぐとしか…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何かあったのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「電車が止まった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえまさか…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「情報操作はしていない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">話をする時間を得るためにそんなことをしたら、</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたに怒られるに決まっている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">当たり前だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何千人もの足に影響するんだぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ただ、『家畜になる』と言ったらきっとあなたは怒るだろうと思っていた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………からかったのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違う！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">必死の声を出すな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたに一度怒られてみたかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………変態。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「こんなにかわいい子を変態って…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんがとがめるように言ってきた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「変態でもいい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だそうですよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ただ…、あなたに本気で怒られるほどに心配されている、彼女に対するやきもち。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それで満足できたか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「後悔している。あんなに怒られるとは思わなかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">バカめ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それで何で電車が止まったんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「突然の雪。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もう一度振り返った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつの間にか日が暮れていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
風はやんでいた。窓の外の雪は街灯に照らされながらまっすぐ落ちてくる。それを背にしてたたずむ少女。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">きらきら光っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">光っているのは雪か、有希か。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">水晶の夜。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">これだけはハルヒも朝比奈さんもかなわないだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まるで絵画のような、幻想の中のような。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…なに。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">苗字で呼ばれたからって不機嫌な声を出すな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「似合ってるぜ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">同時に背中を向けた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">このセリフを言った後は相手の顔を見ないのが作法なんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……あなたと話す時間があったから、少し脱線させて長引かせてみた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">幻想の少女がひどく俗っぽいことを言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「少しでも長くあなたと話したかったから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……ごめんなさい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや、いい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ちっとも少しじゃねえが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなことより早く帰れ。さっきまた明日って言ったろう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつまだ話を長引かせるつもりか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「チッ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">二度目だな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">幻想の美少女が舌打ちなんかするんじゃありません。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…美少女。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなところに食いつくな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたに警告しておくことがある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたは今日結論を出さなかった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">決断を先送りした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">責任は決断に帰結する。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あなたは決断しなかったことに対する責任を負わなければならない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">…覚悟しておけ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何が言いたいんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あきらめたわけではない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…そう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれもおまえに警告しておくことがある。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なに。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「カレーは五杯までにしろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「保証はできない…。」</div>
