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「水晶の夜②」(2020/03/07 (土) 01:26:16) の最新版変更点
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<p> </p>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ええと、本気ですか？ ただでさえあいつの買い物は長いのに、今日は量販店に行った時より、デパートの婦人服売り場に行った時よりも長い…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「当たり前よ。ウチの店をナメないでね！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが人差し指を突きつけた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから、誰かを思い出させないでほしいんだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長に従えられた店員どもがうなずいている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">客の回転が遅いのが自慢なんだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ソバ屋とは違うな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">俺は事務所から店舗に連れ出されていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店の電話から、あいつを呼び出せということだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">結局今日も俺は流されているな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつもと同じだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やれやれ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店員どもがいるのは当たり前だが、客たちもいる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきからいた客なのかどうか俺にはもちろんわからない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし、全員女性客なのは同じだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">俺の味方はいないだろうな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">電話がスピーカーモードになっているのは規定事項なんだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、俺だ。ハルヒに代われ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう一度、有希と呼んでほしい…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「一回しか言わないって言ったろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが話に割り込んできた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ああ、聞くのを忘れてたけど、君、長門さんの髪型は変えてないわよね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いきなり何を言い出すんだろう。この人は。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「変えてませんよ。こいつはずっとショートカットのままです。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あれは変えようがないな。長門をポニーテールにしたいと思ったことはない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">というか、こいつは生まれた時からずっとあの髪型なんだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう…よかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何が良かったんだろう。不思議な人だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「眼鏡は外させましたけどね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">急に店長さんの顔が安堵から怒りに変化した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「外させたというか…、俺は『してないほうがかわいいと思うぞ』と言っただけで…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">眼鏡属性という言葉を出すのはやめておいた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「次の日からコンタクトにしてきたわけ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いえ、次の瞬間から眼鏡をかけるのをやめました。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
こう言えば長門がわざわざコンタクトを作りに行ったわけではないということが伝わるはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「君…、自分の好きな子の髪型を変えさせていながら、他の女の子の眼鏡を外させたわけだ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんか俺、悪いことでもしたんでしょうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「思いっきり悪いことだわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">眼鏡を外させるというのはそんなに悪いことなのだろうか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門にとってはそんなに面倒なことではないんだが、それを説明することは難しい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しょうがない。ちょっと惜しいが…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なに。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ、やっぱり眼鏡をかけろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「了解した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
バンッという音がした。店長さんがこっちをにらみながら電話が置かれた机を叩いている。目が怖い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やっぱり外せ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">またバンッという音がした。どっちも駄目なのか？ どうしたらいいんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「了解した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">スピーカーから、ガチャッ、という音と続いてグシャッという音が聞こえた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なにやってんだおまえ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「眼鏡の部品構成の連結を解除した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「眼鏡を床に叩き付けて踏みつぶすのはやめろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だいじょうぶ。床の損傷はたいしたことはない。無視できるレベル。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">無視するな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「壊す必要はないだろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたは眼鏡を外せと言った。ならばわたしにとって必要ないもの。自分にとって必要ないものを手元に置いておく意味がわたしには理解できない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえには日本が世界に誇るＭＯＴＴＡＩＮＡＩ精神を教えてやろう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">普通、物っていうのは簡単に再構成できるものじゃないんだぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから日本人は昔から物を大切に扱えって言い伝えてきてだな…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつは日本人ではないんだろうけどな。外国人でもないが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし書類上一応国籍は日本国民になっているんだろうし。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「君が、さっきのハルヒちゃんと長門さんの両方にいい顔をしているのもＭＯＴＴＡＩＮＡＩ精神なわけ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この人は俺には聞こえるがスピーカーには声が入らない微妙な位置をキープしているな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">スピーカー？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんだか激しく嫌な予感がした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、おまえまさか、固定電話をスピーカーのままにしてないだろうな…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたの命令が解除されていないため、スピーカーモードも解除していない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんがまた話に割り込んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令って…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「護衛だと言ったはずです。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「護衛としてではなく、女として扱ってもらってもかまわない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「女って…。おまえいくつだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「三歳。あるいは五百九十七歳。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうだったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえは十六歳だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そういうことにしといてもらわないと困るんだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが決めたのならそう。わたしは十六歳。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんていうか…簡単な奴だな、おまえは。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「失礼なこと言うんじゃないわよ。素直って言いなさい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いや、ものすごく面倒くさい奴がそばにいるもんですから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それから『命令』って言うな。なんだか誤解される。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたとわたしの関係を考えるとこの言葉が一番しっくりする。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「要するに護衛っていうことでいいんだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「むしろ女として扱ってほしい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ、なんか変なスイッチが入ってないか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつもと違って饒舌だし。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたがあたしの名前を呼んでくれたから。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あたしって……。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こういう会話を聞かれるとまずい奴がいるんだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……そこに、ハルヒはいるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おまえさっきの、眼鏡をかける、外す、床に叩き付ける、踏みつぶすという一連の動作をハルヒの目の前でしたのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……まずい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">理由は自分でもわからないが、なんだかとてつもなくまずい気がする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、さっきの命令を上書きする。スピーカーモードを解除しろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今さら遅いが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「キョンー。有希の眼鏡外させたのは、やっぱりあんただったのね……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱり。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ハルヒ、おまえ眼鏡属性があったのか。すぐにかけさせるから…。おい長門、聞いてるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたねえ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでも怒るのかおまえは。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんがまた机を叩いている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえがいやならすぐに外させるぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから、おまえはめんどくさすぎるんだよ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ああもう、机をバンバン叩くな、うるさい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえは俺に何をさせたいんだ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんにもするな！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはおまえの雑用係じゃなかったのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「もう一つあんたに言いたいことがあるわ。あんた有希に電話をスピーカーモードにさせる時、どうやってやらせたの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「カレーで買収した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">図書館の話はしないことにした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それだけじゃないわよね。君はあの時、切り札だって言ってたわよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">また口から洩れてたか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あれは切り札っていうより諸刃の剣です。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたさっき、有希に下の名前で呼び捨てにしてあげたでしょ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱり。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきの長門の「もう一度有希と呼んで…」っていう発言を聞いてたな、こいつ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「だれにでもいい顔をすれば自分が困ることになるのよ。この子がやきもち焼きなのは知っているはずよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ハルヒ、誤解だ。おれがユキっていう単語を口に出したのは事実だが、それは長門の名前じゃない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だったら何よ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「窓の外見てみろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが俺の背後を見て小さく叫んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「うそ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">スピーカーから声が漏れてきた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「雪…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえが降らせたんだけどな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">振り向いてウィンドーの外を見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">粉雪が風に吹かれて静かに舞い散っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どこかの建物の屋上がふいに浮かんできた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何かのフラッシュバックだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんなことが以前にもあったような気がする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">無かったような気もする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「君、この子に嘘をついたわね。事務所から外が見えたはずがないし、さっきの文脈では絶対に雪のことじゃないでしょ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは雪が降ってきたんだと信じました。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒが信じたからこそ本当に雪が降った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「さっきも言ったはずです。あいつがそう信じたからには、おれにとってはそれが事実です。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「君だったら石でも卵だとあの子に信じさせられるんじゃないの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">否定するのも面倒なのでこう言っておいた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「褒めているわけではなさそうですね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もちろん。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは俺を信じざるをえないんですよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえがおれを鍵に選んだのは「誰でもよかった」からだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
しかし一度俺を鍵として設定してしまったからには、それを信じないわけにはいかないだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人間は何かを信じなければ生きていけない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">全てを疑ったまま生きていくことはできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえは、自分の「鍵」を信じるしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰だってそうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分が手にしている鍵を疑ってしまえば安心ができなくなる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「この子が君を『鍵』にしているのは信頼のあらわれなんかじゃなくて、覚悟のあらわれなのかもしれないわね…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">よくわからないことを言う人だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
それじゃあまるでハルヒが、俺になら裏切られてもいいと、覚悟を決めているみたいじゃないか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「キョン…、有希の眼鏡を外させた件がまだ残ってたわね…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そっちもあったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱり執念深いよ、おまえは。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ハルヒ。俺、実はポニーテール萌えなんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「な、なによ急に。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いつだったかのおまえのポニーテールは反則的なまでに似合ってたぜ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたそのセリフは…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だからあの時のようにまた髪を伸ばしてほしい。出会ったころのようにな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今のおまえのアレはただのチョンマゲだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ヒソヒソ声が聞こえる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「この子はもしかして、長門さんの眼鏡を外させたのを聞いてハルヒちゃんが拗ねているのを見て、ハルヒちゃんにもこの子のために何かできるようなチャンスを与えているわけ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この子、本当に高校生？ まったくずるい大人のやり方だわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「しかも、眼鏡を外すよりもずっと面倒なことを要求しているあたり、相当な手管ね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">うるさいぞ。おまえらいい加減仕事をしろ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">客は買い物をしろ。何しに来たんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">大体髪を伸ばすのがなんで面倒なんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">タダで伸びてくるものを金を出して切っているのをやめさせるだけだろうが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
だいたい髪型変えさせたことにしても、眼鏡を外させたことにしても、ほんの少し自分の好みに外見をいじっただけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あんたらは知らないだろうが、こいつらはほとんど自分の外見にこだわってないんだぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんて口にしたらさらにヒンシュクを買いそうな予感がしたので黙っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">問題はハルヒがどう出るかだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">髪を伸ばせと言って、涼宮ハルヒの出方を見る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">語呂が悪いな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まあ、これは断られてもかまわないわけだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうね。まあ…、考えておくわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや、今すぐにとは言わないよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">明日の朝になっていきなり髪が腰まで伸びていても困るしな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「なるほど。たとえ断ってしまっても要求されただけでうれしいもんね。それで機嫌を取ろうとしているわけか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">またよくわからないことを言っているな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">俺はあんたらよりハルヒの扱いに慣れているだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
いきなり頼んでも却下されるだけだから、とりあえず過大な要求をして、その後にハードルを下ろす。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「まあ、そんなことはいいんだ。それよりもう一度さっきのブティックに来てくれないか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「え？ 嫌よそんなの。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんでだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんででも！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんでだ？ ハードルを下げたらきっぱり断られたぞ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">またひそひそ声が聞こえる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やっぱりあんなことがあったんだから来にくいわね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「さて、どういうやり方をするのかしら、この子。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どういうやり方も何も、ただ頼むだけなんだけどな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ハルヒ、頼む。俺を助けると思って助けてくれ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">言い方が変になってるな。どうでもいいが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おい、ハルヒ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「絶対いや！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やっぱりおまえはめんどくさいな。長門だったら簡単なのに。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「悪かったわね！ 有希みたいに素直じゃなくて。だいたいなんであたしがあんたなんかの言うことを聞かなきゃならないのよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「俺は今監禁されている。おまえが来ないとどうにもならない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どういうことよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「店長さんがおまえをここに来させない限り俺を説教し続けると言っている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「説教されればいいじゃないの。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">説教されればいいって…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえはおれが嫌いか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">急に黙りこむな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そういう卑怯な質問をするような奴は、大っ嫌い！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いきなりしゃべりだしたと思ったら大っ嫌いって……。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">傷ついたぞ……。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まあ、好かれているわけじゃないだろうとは思っていたが、大嫌いはないだろ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">俺が左胸のあたりを撫でていたら店長さんが言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「なんでいまのやりとりで君が傷つくわけ？ さっきの髪を伸ばせっていう話から君は完璧にわかっててやっているのかと思ったけど、そうでもないようね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">無視しよう。今はハルヒだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうか。おまえは俺が嫌いなわけだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">またしても黙りこむな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「嫌いな人間がいるところには来たくないわけだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしどうしたもんかね、これは。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">流れにまかせるしかないのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ほんと、ここまでこいつに流される人生ってのはどうかと思うが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だったら来なくていいぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「えっ…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「来るな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「来るな、涼宮。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「絶対に来るなよ、涼宮。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どうした？ おまえの望み通りのことを言っているはずだぜ。す・ず・み・や。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえは長門か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮、長門に代われ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「スピーカーモードに…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とっくにスピーカーをカットして長門から受話器を奪い取っているんだろうが。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ぐ………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門に代われ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「いやよ！ あたしは団長であんたは雑用係なのよ！ なんであんたがあたしに命令すんのよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「そうだな。おまえが俺の言うことなんか聞くわきゃないもんな。たとえどんなことであろうとも。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その通りなんだが、言っててみじめになるな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、おまえがやれ。受話器は取り返さなくていいぞ。スピーカーのボタンを押せ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">受話器なんかを通さなくても長門には聞こえているはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">…ちょっと有希、なんでいきなりスピーカーを押すのよ…</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">という声が聞こえてきた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">スピーカーモードになったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この時のハルヒの姿がありありと見えてきた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おい。震えながらスピーカーを涙目でにらむんじゃねえ。………かわいいじゃねえか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しまった。つい本音が……。なんだかスピーカーから変な声が聞こえたな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「うわあ、また不意打ち。今日二度目ね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「三度目よ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どういうことですか、店長。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「さっきハルヒちゃんが、『あんたのことなんか忘れたわよ』って拗ねたのね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
それでこの子はさんざん『おまえはおれのことなんか忘れていい』って言った後で、いきなり</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『おれが覚えているから』って言って、ブツッって電話切っちゃったのよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「思いっきり突き放した後でいきなり引き寄せるんですね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どこで覚えたんでしょうか、この子は…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">勝手なことを言ってるのが聞こえるな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことはどうでもいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">っていうか、めんどくせえ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おいっ、やっぱり来い！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何でもいいから来い！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今すぐに来い！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">とにかく早く来い！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">早く来ないと俺は帰るぞ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">机をバンッと叩いた。よく叩かれる机だな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「急げ！ ３０秒以内だ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まずい。いつものハルヒのマネをしているうちに余計なことまで言ってしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ハルヒ…」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なに！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">名前を呼ばれたぐらいでそんなにうれしそうな声を出すな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「走れ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">スピーカーからドタドタドタっていう音が聞こえた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ガッ……バン……「いだぁっ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ドアに頭をぶつけたな…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ドアを開ける前にチェーンを外せ。それからそこのドアは絶対に蹴飛ばして開けるなよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長がいきなり受話器を取った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あ、涼宮様でございますか。店長の神原でございます。先ほどはご来店ありがとうございました。彼はしっかり我々の方で引き留めておきますから、どうぞ涼宮様はごゆっくりおいで下さいませ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この「彼」というのが単なる三人称なのかそれ以外の意味を持っているのか…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">確認しないほうが良さそうだな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あのー。あいつに考える時間を与えるのはマズイんですが…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんは受話器を握ったまま俺の方をにらみつけた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「君ねえ、いい加減にしなさい！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「我々の目的はあいつをここに来させることだったはずです。作戦目的は完全に達成しているわけですから、なんの問題もないと思いますが…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やり方がひどいわ。何よ、『涼宮』って！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今、あなたも苗字で呼んでましたね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あいつは「涼宮様」で俺は「君」か。えらい待遇の差だな。まあ、あいつより下に見られるのはいつものことだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「わたしに苗字で呼ばれるのと君に呼ばれるのとでは、あの子にとって全く意味が違うわ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「こういうことですかね。俺の『作戦行動が不健全』だと。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「不健全ね…。いい得て妙だわ。まさしく君の行動は不健全ね。君、やっぱりわかっててやってるんじゃないの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ナ・トラン将軍がカーツ大佐の作戦行動を評した台詞を引用しただけなんだけどな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こういう人たちは戦争映画なんか見ないんだろう、きっと。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしあれはただの戦争映画じゃないんだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いきなり『来るな』って言ってみたり…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あいつが俺の言うことなんか聞くわけないでしょ。だから『来てくれ、頼む』って言って来ないわけだから、逆に『来るな』って言ってみたら来るんじゃないかと思っただけです。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけど『かわいい』って言った後に『やっぱり来い』って言ったわね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あれは落とし所というか、アウンの呼吸っていうか…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「結局最後には、あの子は君の言うことを聞いたわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違います。最終的にあいつは俺の言うことではなくあなたの言葉に従いました。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「君が言ったからあの子がここに来る気になったのは誰でもわかるわ。結局君の言うことなら聞くっていうことじゃないの！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違いますよ。あいつは絶対、３０秒以内にここに来たりはしません。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あのねえ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">本当に３０秒以内に来られたら困るんだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それで最後の『走れ』っていうのはなんなの！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あいつにうっかり『急げ』って言ってしまいました。そこで無茶をしないように、『急ぐためには人間は走らなくてはならない』っていう常識を思い出させただけです。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いきなりテレポートでもされたらたまらん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからあいつの常識フィルターを発動させるために『走れ』と言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「まあ、走れっていうのは余計だったかもしれませんね。あいつが無茶をしてまで俺に会いに来ようだなんて思うわけがありません。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんなに急がせて。あの子が事故にでも遭ったらどうするの！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは事故に遭いません。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そう望まない限りは。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ドアに頭をぶつけるぐらいのことはするだろうけど。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あのね、君にあの子を呼び出すように言ったのは、君にあの子の機嫌をとってもらって、あの子に気持ちよくここに来てもらうのが目的なのよ。やっぱり君にはお説教が必要ね！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">戦術目的は達成されたけど戦略目的は達成していないということか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
戦術目的があいつをここに来させることであり、戦略目的があいつを気持ちよくさせること。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんかちょっと違うような気がする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あれじゃあまるで脅迫じゃない。３０秒以内に来なければ帰るぞって…。あの子に『俺が会いたいから来い』って言えばすむことじゃないの！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなやり方をしてたら十年ぐらいかかりますよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それでもあの子はそう言われたら気持ちいいはずよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なるほど…そうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「フェチズムですね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まわりの女性陣が一斉に引いた。もう慣れた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あのさ、君があの子にさせたい服装って、何なの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんで服装の話になるんだ？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「水着だって言いかけたでしょう？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">水着が嫌いな男はいません。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それは服装が大事なわけじゃないわね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ぐ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「制服？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違います。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">制服マニアって、俺はそんなおっさんじゃねえ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「体操着？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
閉鎖空間でのアレの前に、長髪のあいつがポニーテールにしていた体操着姿が浮かんだことを思い出した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………違います！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「へえ、君って体操着フェチだったんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから女どもめ、虫を見るような目で俺を見るなぁ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あの、あいつには言わないで下さいね…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あの時のおまえが浮かんできたのはポニテだったからだ。だんじて体操着のせいじゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">変態扱いされてたまるか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「自分で言ってみたらどう？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「殴られますよ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「きっと殴った後に体操着に着替え始めるわよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">…やってみるか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけどやっぱりあの子に言うのはやめなさい。営業妨害だわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんで俺の趣味がブティックの営業と関係あるんだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">フェチズムというのは本来、「手段と目的が逆転すること」を指す。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
たとえば女性を裸体にして性行為を行うことが目的のはずなのに、その手段であるはずの下着（を脱がす）が目的になってしまうことなどを言う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
確かに俺は体操着を着ているあいつは……好きだが、あいつの体操着そのものが好きなわけじゃねえ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">手段と目的の逆転といえば、日本海軍の大型駆逐艦の建造が挙げられる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ワシントン軍縮条約の制限の中でアメリカ海軍と戦うために漸減作戦が生まれた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その中で水雷戦隊における夜襲構想が生まれた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし駆逐艦には外洋行動能力がない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">本来外洋に出ることができる船というのは、文字通り巡洋艦以上の艦種だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでも日本海軍は外洋行動力のある駆逐艦を作ろうとした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのためにワシントン条約から脱退した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
本来漸減作戦はワシントン条約を遵守して戦うことが目的のはずなのに、その手段のはずの漸減作戦が目的と化し、本来の目的のワシントン条約が捨て去られた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
つまりこの場合で言えばあいつをここに来させるというのは手段に過ぎず、その過程において俺が機嫌を取ってあいつを気持ちよくさせるというのが目的だったわけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
しかしおれは「あいつをここに来させる」という手段を目的化してしまい、そのために「あいつを気持ちよくさせる」という目的を無視したことになるわけか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まさにフェチズムだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">と、いうことを言おうとしたんだが完全に誤解されている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
この店長さんも頭の良さそうな人だとは思うが、こういうことを知らないということは相当知識が偏ってるな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんだか今度は長門を思い出した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まあ、そんなことはいいか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">電話は…つながったままか（電話料、いくらかかるんだろう？）。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ハルヒ、まだそこにいるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もう出掛けたのか？ そんなはずはないよな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「事故に遭うなよ。ゆっくり来い。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">一応こう言っておこう。事故に遭ったらいやだと意識させておけば完璧だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">返事がないな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おい、ハルヒ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう一回『ハルヒ』って呼べ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ハルヒ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう一回だ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あのーハルヒさん？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「『さん』はいらない。ちゃんと呼び捨てにしろ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あーもう。ハルヒハルヒハルヒ！ これでいいだろ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まずいな。こいつに「考える時間」を与えてしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おまえはさっき、あたしのことを四回『涼宮』って呼んだ！ 『涼宮』一回につき十回、合計四十回『ハルヒ』って呼べ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">律儀に数えてたのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒ……。おいっ、いい加減にしろ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「まだ十三回…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しゃべり方が長門みたいになってるぞ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ほんと、めんどくさいやつだな、おまえは。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「悪かったわね！ 有希みたいに簡単じゃなくて！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「いや、簡単なのがいいとか思ってるわけじゃないし。それに長門みたいなおまえなんてちょっと嫌だぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それはあたしのような女が嫌だということなのか｡」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門、拗ねるな。あといきなり会話に入ってくるな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「俺がそんなことを言うと思うか。それ以前に俺がそんなことを考えると思うか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……思わない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だったらそんな下らないことを言うな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「了解した…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんた、あっさりと有希の機嫌は取るのね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえの機嫌を取るのは難しいんだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「悪かったわね。有希みたいじゃな……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきと同じだ。エンドレスが好きなのか？ </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ハルヒ。なぁハルヒ。いいから聞けよハルヒ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ひとの名前を連呼すんな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきと言ってることが違うぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「うれしいくせに……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あのー、長門さん…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だからだな、ハルヒ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「うれしくてたまらないくせに…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「有希ぃ？ あんた、うらやましいんでしょ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒ、調子に乗ると…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なによ、やる気？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おいっ、おまえら…、そういう話は…」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何よ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なに…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「俺に聞こえないところでやれ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたは黙ってなさい！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">二人して物凄い目でスピーカーを睨みつけている姿が幻視できた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「か、かいじょ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「だめよー。修羅場っていうのはね、男がいないと成立しないの。男の前でケンカすることに意味があるのよ。なんとか君がこの場をおさめなさい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おさめろって言われてもな…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、おまえにはあとで話す。ハルヒ、スピーカーをカットしろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんであんたの言うことを聞かなきゃならないのよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえだけに話したいことがあるからだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
ちらりと店長さんの方を見た。受話器をこっちに貸してくれるつもりはないようだ。予想はしてたが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「なんであんたが命令するのよ！ まあ、電話に向かって土下座して懇願するのならば考えてやらないこともないけど…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「やりたかったらやれ。やりたくないんだったらやるな。どうせおまえは俺が命令しようが懇願しようが土下座しようが、自分がやりたいことはやるし、やりたくないことはやらない奴だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれとしてはどちらでもいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門は電話の設定がどうであれ聞こうと思えば何でも聞くことができる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれとしてはおまえがその方が話しやすいと思っただけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたさあ……、そういう言い方ってずるいと思わない？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを聞いていた店内の女どもが全員首肯した。意味がわからん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたはあたしにやれって言ってるの？ やるなって言ってるの？ どっち？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………………………………………………………………さっさとやれ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「聞こえないわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やれ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「わかった。ただし条件があるわ。そうしてほしいんだったら、あたしの質問に答えなさい！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんだいきなり。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あんたさっき、大事なものだから守るって言ってたでしょ。だったらあんたにとっていちばん大切なものが何なのかを教えなさい！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんでおまえにそんなことを言わなきゃならんのだ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたしが知りたいから。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいかわらず唯我独尊な奴だな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだな。水と空気と食料だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「それは無いと死ぬものでしょ。そういう意味じゃなく、あんたが大事だと思うものよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「勉強道具。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ウソね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「パソコンとゲーム。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それとパソコンに入っている、あのフォルダと…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あんたの部屋に隠してあるいやらしいＤＶＤね。それ以上に大切にしているものって何なの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">部屋を荒らしやがったな…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ、これを聞くとドン引きするぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたしは今、ドン引きしたい気分なの。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どんな気分だよ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのまんま言うわけにはいかないな。ちょっとオブラートに包むか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえさっきハンドバック持ってたな。その中に入っている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんた、あたしのバックの中になんか入れたわけ？！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「バカ言え。おれがおまえのバックに自分の物なんか入れるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自動的に所有権が移ってしまう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたのモノなんかないのよ。あんたのモノはあたしのモノ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……たしかに、それはおれのものなんかじゃないな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんた、自分の物でもないものが大切なわけ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「その通りだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「意味がわからないわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とりあえず、バックの中に入っているものを一つずつあげていってみろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたさあ…、女の子のバックの中身が知りたいの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえが言いにくい物はとばせ。その中にはない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「リップクリーム」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おまえ、おれがおまえのリップクリームを大事に思ってるって言ったらドン引きするだろうが。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「さっきそう言ったじゃないの！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もっと引くようなものだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「歯ブラシ」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「リップクリーム以上に引くだろうが…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう言ったわよ、あんた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「化粧品？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「俺がそんなものを大事にしてると思うか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「思わないわよ。…あんたが化粧してる姿を想像しちゃったじゃないの！責任取りなさい！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">勝手にそんなものを想像するな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「他には？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「携帯電話」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おまえ、俺の携帯は平気で開いて見るくせに、絶対に自分の携帯は触らせないだろうが。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたりまえよ。あたしが恥ずかし…くはないけど、団長様の私物は尊いのよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「俺の受信メールと送信メールから始まって着信履歴とリダイアル、保存してある写真まで毎日チェックするのはよせ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「団員の素行を知っておくのは当然のことよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「……それについてはおまえとは、後でじっくり話し合う必要がありそうだな。それはともかく他には何が入っている？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「まさか……、お財布？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ちょっとキョン、なんで黙り込むのよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ああもう、わかってるわよ！ あたしの財布があんたの役に立ってないってことぐらいはね！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「大体おまえ、俺と出かける時財布なんか持ってたのか？ 俺はおまえが財布をバックから取り出すところを一度も見たことがないぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「言い過ぎよ、バカ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「逆ギレするな。そうか、今日はブティックの支払いをしなきゃならないから珍しく持って来たのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたねえ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「他には何かないか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「まさか…これ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「これって何だよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「みくるちゃんの悩殺ブロマイド。手作り。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ……、そんなもの持ち歩いてるのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「悪い？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">｢悪いわ！ うっかり落として誰かに拾われたらどうする！｣</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「そうねえ、あんたのベッドの下に隠してあったＤＶＤみたいな使われ方をすると困るわね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">てめえ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「まさか…、この写真？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんだ、長門のブロマイドか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">古泉の写真じゃねえよな…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違うわよ！ 他人のプライバシーにズカズカ入りこむんじゃないわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえがいつ俺のプライバシーを尊重した？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたしは団長で、あんたは雑用。団長のプライバシーは尊重されるべきなのよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「俺はおまえにプライバシーという概念があったこと自体が驚きだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんた、またケンカ売ってんの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえが言いにくいような物の中には無いって言ったはずだが…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あとは…、鏡ぐらいしかないわよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…そうか、やっぱりあったか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何よあんた、鏡なんか大事にしてるの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「古泉君ならともかく、あんたがこういうものを大事にしてても笑えるだけだわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだな、その通りだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">たいそうな勢いでしゃべっていたくせに急に黙り込むな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれもそう思う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「笑いたかったら笑えばいいさ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だからこの話はこれで終わりだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえはこの意味に気づく時が来るんだろうか。別に気づかなくてもいいが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんた、何かごまかしてるでしょ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや、俺は本気だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたが鏡なんか大事にしてるわけないでしょ。本当のことを言いなさい！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんていうか、頑固な奴だな。だいたいこんなことを聞いたって何にもならんぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それはあたしが決めるわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱり独裁者だな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そこに何がある？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だから、鏡しかないわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何が見える？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「鏡しかないんだから鏡しか見えないわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「その無駄にでっかい目を見開いてよーく見てみろ。何が見えてる！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">数十秒の沈黙のあと「ひっ」という声がした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さらにしばらくしてから小さな声が聞こえた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あっ、あんた…、こんなものが大切なの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「こんなものって言うんじゃねえ……。おれにとっては大事なものだ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">これを悪く言う奴は許さん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……たとえおまえでもな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから俺は戦艦を守る駆逐艦なんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「不意打ち……じゃあないわね、これは。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「むしろあの子が鈍すぎるんじゃないの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「さっきの試着室の会話からして、他のモノなんてありえないのに…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">すっかりハルヒとのやりとりに夢中になって外野の存在を忘れていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのまま忘れていられれば良かったんだが……。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">と思った時。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんた……、これ、ほしいと思わないの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なななな、何を言い出すんだ、こいつは！</div>
<p> </p>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ええと、本気ですか？ ただでさえあいつの買い物は長いのに、今日は量販店に行った時より、デパートの婦人服売り場に行った時よりも長い…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「当たり前よ。ウチの店をナメないでね！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが人差し指を突きつけた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから、誰かを思い出させないでほしいんだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長に従えられた店員どもがうなずいている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">客の回転が遅いのが自慢なんだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ソバ屋とは違うな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">俺は事務所から店舗に連れ出されていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店の電話から、あいつを呼び出せということだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">結局今日も俺は流されているな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつもと同じだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やれやれ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店員どもがいるのは当たり前だが、客たちもいる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきからいた客なのかどうか俺にはもちろんわからない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし、全員女性客なのは同じだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">俺の味方はいないだろうな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">電話がスピーカーモードになっているのは規定事項なんだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、俺だ。ハルヒに代われ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう一度、有希と呼んでほしい…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「一回しか言わないって言ったろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが話に割り込んできた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ああ、聞くのを忘れてたけど、君、長門さんの髪型は変えてないわよね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いきなり何を言い出すんだろう。この人は。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「変えてませんよ。こいつはずっとショートカットのままです。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あれは変えようがないな。長門をポニーテールにしたいと思ったことはない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">というか、こいつは生まれた時からずっとあの髪型なんだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう…よかった。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何が良かったんだろう。不思議な人だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「眼鏡は外させましたけどね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">急に店長さんの顔が安堵から怒りに変化した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「外させたというか…、俺は『してないほうがかわいいと思うぞ』と言っただけで…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">眼鏡属性という言葉を出すのはやめておいた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「次の日からコンタクトにしてきたわけ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いえ、次の瞬間から眼鏡をかけるのをやめました。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
こう言えば長門がわざわざコンタクトを作りに行ったわけではないということが伝わるはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「君…、自分の好きな子の髪型を変えさせていながら、他の女の子の眼鏡を外させたわけだ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんか俺、悪いことでもしたんでしょうか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「思いっきり悪いことだわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">眼鏡を外させるというのはそんなに悪いことなのだろうか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門にとってはそんなに面倒なことではないんだが、それを説明することは難しい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しょうがない。ちょっと惜しいが…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なに。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ、やっぱり眼鏡をかけろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「了解した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
バンッという音がした。店長さんがこっちをにらみながら電話が置かれた机を叩いている。目が怖い。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やっぱり外せ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">またバンッという音がした。どっちも駄目なのか？ どうしたらいいんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「了解した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">スピーカーから、ガチャッ、という音と続いてグシャッという音が聞こえた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なにやってんだおまえ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「眼鏡の部品構成の連結を解除した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「眼鏡を床に叩き付けて踏みつぶすのはやめろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だいじょうぶ。床の損傷はたいしたことはない。無視できるレベル。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">無視するな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「壊す必要はないだろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あなたは眼鏡を外せと言った。ならばわたしにとって必要ないもの。自分にとって必要ないものを手元に置いておく意味がわたしには理解できない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえには日本が世界に誇るＭＯＴＴＡＩＮＡＩ精神を教えてやろう。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">普通、物っていうのは簡単に再構成できるものじゃないんだぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから日本人は昔から物を大切に扱えって言い伝えてきてだな…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こいつは日本人ではないんだろうけどな。外国人でもないが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし書類上一応国籍は日本国民になっているんだろうし。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「君が、さっきのハルヒちゃんと長門さんの両方にいい顔をしているのもＭＯＴＴＡＩＮＡＩ精神なわけ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この人は俺には聞こえるがスピーカーには声が入らない微妙な位置をキープしているな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">スピーカー？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんだか激しく嫌な予感がした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、おまえまさか、固定電話をスピーカーのままにしてないだろうな…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたの命令が解除されていないため、スピーカーモードも解除していない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんがまた話に割り込んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令って…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「護衛だと言ったはずです。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「護衛としてではなく、女として扱ってもらってもかまわない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「女って…。おまえいくつだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「三歳。あるいは五百九十七歳。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そうだったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえは十六歳だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そういうことにしといてもらわないと困るんだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたが決めたのならそう。わたしは十六歳。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんていうか…簡単な奴だな、おまえは。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「失礼なこと言うんじゃないわよ。素直って言いなさい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いや、ものすごく面倒くさい奴がそばにいるもんですから。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それから『命令』って言うな。なんだか誤解される。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたとわたしの関係を考えるとこの言葉が一番しっくりする。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「要するに護衛っていうことでいいんだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「むしろ女として扱ってほしい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ、なんか変なスイッチが入ってないか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いつもと違って饒舌だし。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あなたがあたしの名前を呼んでくれたから。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あたしって……。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こういう会話を聞かれるとまずい奴がいるんだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……そこに、ハルヒはいるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いる。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おまえさっきの、眼鏡をかける、外す、床に叩き付ける、踏みつぶすという一連の動作をハルヒの目の前でしたのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……まずい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">理由は自分でもわからないが、なんだかとてつもなくまずい気がする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、さっきの命令を上書きする。スピーカーモードを解除しろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今さら遅いが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「キョンー。有希の眼鏡外させたのは、やっぱりあんただったのね……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱり。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ハルヒ、おまえ眼鏡属性があったのか。すぐにかけさせるから…。おい長門、聞いてるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたねえ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでも怒るのかおまえは。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんがまた机を叩いている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえがいやならすぐに外させるぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから、おまえはめんどくさすぎるんだよ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ああもう、机をバンバン叩くな、うるさい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえは俺に何をさせたいんだ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんにもするな！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれはおまえの雑用係じゃなかったのか？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「もう一つあんたに言いたいことがあるわ。あんた有希に電話をスピーカーモードにさせる時、どうやってやらせたの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「カレーで買収した。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">図書館の話はしないことにした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それだけじゃないわよね。君はあの時、切り札だって言ってたわよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">また口から洩れてたか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あれは切り札っていうより諸刃の剣です。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたさっき、有希に下の名前で呼び捨てにしてあげたでしょ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱり。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきの長門の「もう一度有希と呼んで…」っていう発言を聞いてたな、こいつ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「だれにでもいい顔をすれば自分が困ることになるのよ。この子がやきもち焼きなのは知っているはずよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ハルヒ、誤解だ。おれがユキっていう単語を口に出したのは事実だが、それは長門の名前じゃない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だったら何よ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「窓の外見てみろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんが俺の背後を見て小さく叫んだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「うそ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">スピーカーから声が漏れてきた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「雪…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえが降らせたんだけどな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">振り向いてウィンドーの外を見た。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">粉雪が風に吹かれて静かに舞い散っている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どこかの建物の屋上がふいに浮かんできた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何かのフラッシュバックだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こんなことが以前にもあったような気がする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">無かったような気もする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「君、この子に嘘をついたわね。事務所から外が見えたはずがないし、さっきの文脈では絶対に雪のことじゃないでしょ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは雪が降ってきたんだと信じました。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ハルヒが信じたからこそ本当に雪が降った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「さっきも言ったはずです。あいつがそう信じたからには、おれにとってはそれが事実です。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「君だったら石でも卵だとあの子に信じさせられるんじゃないの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">否定するのも面倒なのでこう言っておいた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「褒めているわけではなさそうですね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もちろん。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは俺を信じざるをえないんですよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえがおれを鍵に選んだのは「誰でもよかった」からだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
しかし一度俺を鍵として設定してしまったからには、それを信じないわけにはいかないだろう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">人間は何かを信じなければ生きていけない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">全てを疑ったまま生きていくことはできない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえは、自分の「鍵」を信じるしかない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">誰だってそうだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自分が手にしている鍵を疑ってしまえば安心ができなくなる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「この子が君を『鍵』にしているのは信頼のあらわれなんかじゃなくて、覚悟のあらわれなのかもしれないわね…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">よくわからないことを言う人だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
それじゃあまるでハルヒが、俺になら裏切られてもいいと、覚悟を決めているみたいじゃないか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「キョン…、有希の眼鏡を外させた件がまだ残ってたわね…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そっちもあったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱり執念深いよ、おまえは。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ハルヒ。俺、実はポニーテール萌えなんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「な、なによ急に。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いつだったかのおまえのポニーテールは反則的なまでに似合ってたぜ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたそのセリフは…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だからあの時のようにまた髪を伸ばしてほしい。出会ったころのようにな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今のおまえのアレはただのチョンマゲだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ヒソヒソ声が聞こえる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「この子はもしかして、長門さんの眼鏡を外させたのを聞いてハルヒちゃんが拗ねているのを見て、ハルヒちゃんにもこの子のために何かできるようなチャンスを与えているわけ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「この子、本当に高校生？ まったくずるい大人のやり方だわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「しかも、眼鏡を外すよりもずっと面倒なことを要求しているあたり、相当な手管ね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">うるさいぞ。おまえらいい加減仕事をしろ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">客は買い物をしろ。何しに来たんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">大体髪を伸ばすのがなんで面倒なんだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">タダで伸びてくるものを金を出して切っているのをやめさせるだけだろうが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
だいたい髪型変えさせたことにしても、眼鏡を外させたことにしても、ほんの少し自分の好みに外見をいじっただけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あんたらは知らないだろうが、こいつらはほとんど自分の外見にこだわってないんだぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんて口にしたらさらにヒンシュクを買いそうな予感がしたので黙っていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">問題はハルヒがどう出るかだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">髪を伸ばせと言って、涼宮ハルヒの出方を見る。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">語呂が悪いな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まあ、これは断られてもかまわないわけだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうね。まあ…、考えておくわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや、今すぐにとは言わないよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">明日の朝になっていきなり髪が腰まで伸びていても困るしな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「なるほど。たとえ断ってしまっても要求されただけでうれしいもんね。それで機嫌を取ろうとしているわけか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">またよくわからないことを言っているな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">俺はあんたらよりハルヒの扱いに慣れているだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
いきなり頼んでも却下されるだけだから、とりあえず過大な要求をして、その後にハードルを下ろす。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それだけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「まあ、そんなことはいいんだ。それよりもう一度さっきのブティックに来てくれないか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「え？ 嫌よそんなの。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんでだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんででも！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんでだ？ ハードルを下げたらきっぱり断られたぞ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">またひそひそ声が聞こえる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やっぱりあんなことがあったんだから来にくいわね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「さて、どういうやり方をするのかしら、この子。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どういうやり方も何も、ただ頼むだけなんだけどな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ハルヒ、頼む。俺を助けると思って助けてくれ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">言い方が変になってるな。どうでもいいが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おい、ハルヒ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「絶対いや！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やっぱりおまえはめんどくさいな。長門だったら簡単なのに。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「悪かったわね！ 有希みたいに素直じゃなくて。だいたいなんであたしがあんたなんかの言うことを聞かなきゃならないのよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「俺は今監禁されている。おまえが来ないとどうにもならない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どういうことよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「店長さんがおまえをここに来させない限り俺を説教し続けると言っている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「説教されればいいじゃないの。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">説教されればいいって…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえはおれが嫌いか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">急に黙りこむな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そういう卑怯な質問をするような奴は、大っ嫌い！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いきなりしゃべりだしたと思ったら大っ嫌いって……。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">傷ついたぞ……。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まあ、好かれているわけじゃないだろうとは思っていたが、大嫌いはないだろ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">俺が左胸のあたりを撫でていたら店長さんが言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「なんでいまのやりとりで君が傷つくわけ？ さっきの髪を伸ばせっていう話から君は完璧にわかっててやっているのかと思ったけど、そうでもないようね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">無視しよう。今はハルヒだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうか。おまえは俺が嫌いなわけだな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">またしても黙りこむな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「嫌いな人間がいるところには来たくないわけだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしどうしたもんかね、これは。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">流れにまかせるしかないのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ほんと、ここまでこいつに流される人生ってのはどうかと思うが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だったら来なくていいぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「えっ…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「来るな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「来るな、涼宮。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「絶対に来るなよ、涼宮。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どうした？ おまえの望み通りのことを言っているはずだぜ。す・ず・み・や。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえは長門か？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮、長門に代われ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「スピーカーモードに…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とっくにスピーカーをカットして長門から受話器を奪い取っているんだろうが。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ぐ………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門に代われ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「いやよ！ あたしは団長であんたは雑用係なのよ！ なんであんたがあたしに命令すんのよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「そうだな。おまえが俺の言うことなんか聞くわきゃないもんな。たとえどんなことであろうとも。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その通りなんだが、言っててみじめになるな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、おまえがやれ。受話器は取り返さなくていいぞ。スピーカーのボタンを押せ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">受話器なんかを通さなくても長門には聞こえているはずだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">…ちょっと有希、なんでいきなりスピーカーを押すのよ…</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">という声が聞こえてきた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">スピーカーモードになったな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この時のハルヒの姿がありありと見えてきた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おい。震えながらスピーカーを涙目でにらむんじゃねえ。………かわいいじゃねえか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しまった。つい本音が……。なんだかスピーカーから変な声が聞こえたな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「うわあ、また不意打ち。今日二度目ね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「三度目よ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「どういうことですか、店長。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「さっきハルヒちゃんが、『あんたのことなんか忘れたわよ』って拗ねたのね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
それでこの子はさんざん『おまえはおれのことなんか忘れていい』って言った後で、いきなり</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">『おれが覚えているから』って言って、ブツッって電話切っちゃったのよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「思いっきり突き放した後でいきなり引き寄せるんですね。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どこで覚えたんでしょうか、この子は…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">勝手なことを言ってるのが聞こえるな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そんなことはどうでもいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">っていうか、めんどくせえ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おいっ、やっぱり来い！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">何でもいいから来い！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">今すぐに来い！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">とにかく早く来い！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">早く来ないと俺は帰るぞ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">机をバンッと叩いた。よく叩かれる机だな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「急げ！ ３０秒以内だ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まずい。いつものハルヒのマネをしているうちに余計なことまで言ってしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ハルヒ…」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なに！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">名前を呼ばれたぐらいでそんなにうれしそうな声を出すな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「走れ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">スピーカーからドタドタドタっていう音が聞こえた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ガッ……バン……「いだぁっ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ドアに頭をぶつけたな…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ドアを開ける前にチェーンを外せ。それからそこのドアは絶対に蹴飛ばして開けるなよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長がいきなり受話器を取った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あ、涼宮様でございますか。店長の神原でございます。先ほどはご来店ありがとうございました。彼はしっかり我々の方で引き留めておきますから、どうぞ涼宮様はごゆっくりおいで下さいませ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">この「彼」というのが単なる三人称なのかそれ以外の意味を持っているのか…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">確認しないほうが良さそうだな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あのー。あいつに考える時間を与えるのはマズイんですが…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">店長さんは受話器を握ったまま俺の方をにらみつけた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「君ねえ、いい加減にしなさい！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「我々の目的はあいつをここに来させることだったはずです。作戦目的は完全に達成しているわけですから、なんの問題もないと思いますが…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やり方がひどいわ。何よ、『涼宮』って！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「今、あなたも苗字で呼んでましたね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あいつは「涼宮様」で俺は「君」か。えらい待遇の差だな。まあ、あいつより下に見られるのはいつものことだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「わたしに苗字で呼ばれるのと君に呼ばれるのとでは、あの子にとって全く意味が違うわ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「こういうことですかね。俺の『作戦行動が不健全』だと。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「不健全ね…。いい得て妙だわ。まさしく君の行動は不健全ね。君、やっぱりわかっててやってるんじゃないの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ナ・トラン将軍がカーツ大佐の作戦行動を評した台詞を引用しただけなんだけどな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">こういう人たちは戦争映画なんか見ないんだろう、きっと。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかしあれはただの戦争映画じゃないんだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いきなり『来るな』って言ってみたり…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あいつが俺の言うことなんか聞くわけないでしょ。だから『来てくれ、頼む』って言って来ないわけだから、逆に『来るな』って言ってみたら来るんじゃないかと思っただけです。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけど『かわいい』って言った後に『やっぱり来い』って言ったわね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あれは落とし所というか、アウンの呼吸っていうか…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「結局最後には、あの子は君の言うことを聞いたわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違います。最終的にあいつは俺の言うことではなくあなたの言葉に従いました。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「君が言ったからあの子がここに来る気になったのは誰でもわかるわ。結局君の言うことなら聞くっていうことじゃないの！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違いますよ。あいつは絶対、３０秒以内にここに来たりはしません。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あのねえ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">本当に３０秒以内に来られたら困るんだが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それで最後の『走れ』っていうのはなんなの！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あいつにうっかり『急げ』って言ってしまいました。そこで無茶をしないように、『急ぐためには人間は走らなくてはならない』っていう常識を思い出させただけです。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">いきなりテレポートでもされたらたまらん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だからあいつの常識フィルターを発動させるために『走れ』と言った。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「まあ、走れっていうのは余計だったかもしれませんね。あいつが無茶をしてまで俺に会いに来ようだなんて思うわけがありません。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんなに急がせて。あの子が事故にでも遭ったらどうするの！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あいつは事故に遭いません。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そう望まない限りは。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ドアに頭をぶつけるぐらいのことはするだろうけど。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あのね、君にあの子を呼び出すように言ったのは、君にあの子の機嫌をとってもらって、あの子に気持ちよくここに来てもらうのが目的なのよ。やっぱり君にはお説教が必要ね！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">戦術目的は達成されたけど戦略目的は達成していないということか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
戦術目的があいつをここに来させることであり、戦略目的があいつを気持ちよくさせること。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんかちょっと違うような気がする。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あれじゃあまるで脅迫じゃない。３０秒以内に来なければ帰るぞって…。あの子に『俺が会いたいから来い』って言えばすむことじゃないの！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そんなやり方をしてたら十年ぐらいかかりますよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それでもあの子はそう言われたら気持ちいいはずよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なるほど…そうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「フェチズムですね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まわりの女性陣が一斉に引いた。もう慣れた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あのさ、君があの子にさせたい服装って、何なの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんで服装の話になるんだ？</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「水着だって言いかけたでしょう？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">水着が嫌いな男はいません。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それは服装が大事なわけじゃないわね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ぐ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「制服？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違います。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">制服マニアって、俺はそんなおっさんじゃねえ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「体操着？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
閉鎖空間でのアレの前に、長髪のあいつがポニーテールにしていた体操着姿が浮かんだことを思い出した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………違います！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「へえ、君って体操着フェチだったんだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから女どもめ、虫を見るような目で俺を見るなぁ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あの、あいつには言わないで下さいね…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
あの時のおまえが浮かんできたのはポニテだったからだ。だんじて体操着のせいじゃねえ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">変態扱いされてたまるか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「自分で言ってみたらどう？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「殴られますよ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「きっと殴った後に体操着に着替え始めるわよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">…やってみるか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だけどやっぱりあの子に言うのはやめなさい。営業妨害だわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんで俺の趣味がブティックの営業と関係あるんだろうか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">フェチズムというのは本来、「手段と目的が逆転すること」を指す。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
たとえば女性を裸体にして性行為を行うことが目的のはずなのに、その手段であるはずの下着（を脱がす）が目的になってしまうことなどを言う。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
確かに俺は体操着を着ているあいつは……好きだが、あいつの体操着そのものが好きなわけじゃねえ！</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">手段と目的の逆転といえば、日本海軍の大型駆逐艦の建造が挙げられる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">ワシントン軍縮条約の制限の中でアメリカ海軍と戦うために漸減作戦が生まれた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">その中で水雷戦隊における夜襲構想が生まれた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しかし駆逐艦には外洋行動能力がない。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">本来外洋に出ることができる船というのは、文字通り巡洋艦以上の艦種だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それでも日本海軍は外洋行動力のある駆逐艦を作ろうとした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのためにワシントン条約から脱退した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
本来漸減作戦はワシントン条約を遵守して戦うことが目的のはずなのに、その手段のはずの漸減作戦が目的と化し、本来の目的のワシントン条約が捨て去られた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
つまりこの場合で言えばあいつをここに来させるというのは手段に過ぎず、その過程において俺が機嫌を取ってあいつを気持ちよくさせるというのが目的だったわけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
しかしおれは「あいつをここに来させる」という手段を目的化してしまい、そのために「あいつを気持ちよくさせる」という目的を無視したことになるわけか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まさにフェチズムだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">と、いうことを言おうとしたんだが完全に誤解されている。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
この店長さんも頭の良さそうな人だとは思うが、こういうことを知らないということは相当知識が偏ってるな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なんだか今度は長門を思い出した。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まあ、そんなことはいいか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">電話は…つながったままか（電話料、いくらかかるんだろう？）。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ハルヒ、まだそこにいるか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">もう出掛けたのか？ そんなはずはないよな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「事故に遭うなよ。ゆっくり来い。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">一応こう言っておこう。事故に遭ったらいやだと意識させておけば完璧だ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">返事がないな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おい、ハルヒ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう一回『ハルヒ』って呼べ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ハルヒ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もう一回だ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あのーハルヒさん？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「『さん』はいらない。ちゃんと呼び捨てにしろ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あーもう。ハルヒハルヒハルヒ！ これでいいだろ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">まずいな。こいつに「考える時間」を与えてしまった。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おまえはさっき、あたしのことを四回『涼宮』って呼んだ！ 『涼宮』一回につき十回、合計四十回『ハルヒ』って呼べ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">律儀に数えてたのか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒハルヒ……。おいっ、いい加減にしろ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「まだ十三回…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">しゃべり方が長門みたいになってるぞ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ほんと、めんどくさいやつだな、おまえは。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「悪かったわね！ 有希みたいに簡単じゃなくて！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「いや、簡単なのがいいとか思ってるわけじゃないし。それに長門みたいなおまえなんてちょっと嫌だぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それはあたしのような女が嫌だということなのか｡」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門、拗ねるな。あといきなり会話に入ってくるな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「俺がそんなことを言うと思うか。それ以前に俺がそんなことを考えると思うか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……思わない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だったらそんな下らないことを言うな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「了解した…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんた、あっさりと有希の機嫌は取るのね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえの機嫌を取るのは難しいんだよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「悪かったわね。有希みたいじゃな……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきと同じだ。エンドレスが好きなのか？ </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ハルヒ。なぁハルヒ。いいから聞けよハルヒ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ひとの名前を連呼すんな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さっきと言ってることが違うぞ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「うれしいくせに……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あのー、長門さん…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だからだな、ハルヒ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「うれしくてたまらないくせに…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「有希ぃ？ あんた、うらやましいんでしょ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「涼宮ハルヒ、調子に乗ると…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なによ、やる気？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おいっ、おまえら…、そういう話は…」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何よ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なに…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「俺に聞こえないところでやれ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたは黙ってなさい！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「命令？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">二人して物凄い目でスピーカーを睨みつけている姿が幻視できた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「か、かいじょ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「だめよー。修羅場っていうのはね、男がいないと成立しないの。男の前でケンカすることに意味があるのよ。なんとか君がこの場をおさめなさい。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おさめろって言われてもな…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「長門、おまえにはあとで話す。ハルヒ、スピーカーをカットしろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんであんたの言うことを聞かなきゃならないのよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえだけに話したいことがあるからだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
ちらりと店長さんの方を見た。受話器をこっちに貸してくれるつもりはないようだ。予想はしてたが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「なんであんたが命令するのよ！ まあ、電話に向かって土下座して懇願するのならば考えてやらないこともないけど…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「やりたかったらやれ。やりたくないんだったらやるな。どうせおまえは俺が命令しようが懇願しようが土下座しようが、自分がやりたいことはやるし、やりたくないことはやらない奴だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれとしてはどちらでもいい。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">長門は電話の設定がどうであれ聞こうと思えば何でも聞くことができる。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おれとしてはおまえがその方が話しやすいと思っただけだ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたさあ……、そういう言い方ってずるいと思わない？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それを聞いていた店内の女どもが全員首肯した。意味がわからん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたはあたしにやれって言ってるの？ やるなって言ってるの？ どっち？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「………………………………………………………………さっさとやれ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「聞こえないわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「やれ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「わかった。ただし条件があるわ。そうしてほしいんだったら、あたしの質問に答えなさい！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんだいきなり。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あんたさっき、大事なものだから守るって言ってたでしょ。だったらあんたにとっていちばん大切なものが何なのかを教えなさい！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんでおまえにそんなことを言わなきゃならんのだ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたしが知りたいから。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">あいかわらず唯我独尊な奴だな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだな。水と空気と食料だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「それは無いと死ぬものでしょ。そういう意味じゃなく、あんたが大事だと思うものよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「勉強道具。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ウソね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「パソコンとゲーム。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">それとパソコンに入っている、あのフォルダと…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「あんたの部屋に隠してあるいやらしいＤＶＤね。それ以上に大切にしているものって何なの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">部屋を荒らしやがったな…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ、これを聞くとドン引きするぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたしは今、ドン引きしたい気分なの。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">どんな気分だよ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのまんま言うわけにはいかないな。ちょっとオブラートに包むか。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえさっきハンドバック持ってたな。その中に入っている。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんた、あたしのバックの中になんか入れたわけ？！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「バカ言え。おれがおまえのバックに自分の物なんか入れるか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">自動的に所有権が移ってしまう。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたのモノなんかないのよ。あんたのモノはあたしのモノ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……たしかに、それはおれのものなんかじゃないな。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんた、自分の物でもないものが大切なわけ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「その通りだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「意味がわからないわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「とりあえず、バックの中に入っているものを一つずつあげていってみろ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたさあ…、女の子のバックの中身が知りたいの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえが言いにくい物はとばせ。その中にはない。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「リップクリーム」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おまえ、おれがおまえのリップクリームを大事に思ってるって言ったらドン引きするだろうが。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「さっきそう言ったじゃないの！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「もっと引くようなものだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「歯ブラシ」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「リップクリーム以上に引くだろうが…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そう言ったわよ、あんた。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「化粧品？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「俺がそんなものを大事にしてると思うか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「思わないわよ。…あんたが化粧してる姿を想像しちゃったじゃないの！責任取りなさい！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">勝手にそんなものを想像するな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「他には？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「携帯電話」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「おまえ、俺の携帯は平気で開いて見るくせに、絶対に自分の携帯は触らせないだろうが。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたりまえよ。あたしが恥ずかし…くはないけど、団長様の私物は尊いのよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「俺の受信メールと送信メールから始まって着信履歴とリダイアル、保存してある写真まで毎日チェックするのはよせ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「団員の素行を知っておくのは当然のことよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「……それについてはおまえとは、後でじっくり話し合う必要がありそうだな。それはともかく他には何が入っている？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「まさか……、お財布？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「ちょっとキョン、なんで黙り込むのよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「……………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「ああもう、わかってるわよ！ あたしの財布があんたの役に立ってないってことぐらいはね！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「大体おまえ、俺と出かける時財布なんか持ってたのか？ 俺はおまえが財布をバックから取り出すところを一度も見たことがないぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「言い過ぎよ、バカ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「逆ギレするな。そうか、今日はブティックの支払いをしなきゃならないから珍しく持って来たのか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたねえ……。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「他には何かないか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「まさか…これ？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「これって何だよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「みくるちゃんの悩殺ブロマイド。手作り。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえ……、そんなもの持ち歩いてるのか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「悪い？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">｢悪いわ！ うっかり落として誰かに拾われたらどうする！｣</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">
「そうねえ、あんたのベッドの下に隠してあったＤＶＤみたいな使われ方をすると困るわね。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">てめえ…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「まさか…、この写真？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんだ、長門のブロマイドか？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">古泉の写真じゃねえよな…。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「違うわよ！ 他人のプライバシーにズカズカ入りこむんじゃないわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえがいつ俺のプライバシーを尊重した？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あたしは団長で、あんたは雑用。団長のプライバシーは尊重されるべきなのよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「俺はおまえにプライバシーという概念があったこと自体が驚きだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんた、またケンカ売ってんの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おまえが言いにくいような物の中には無いって言ったはずだが…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あとは…、鏡ぐらいしかないわよ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…そうか、やっぱりあったか。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何よあんた、鏡なんか大事にしてるの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「古泉君ならともかく、あんたがこういうものを大事にしてても笑えるだけだわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そうだな、その通りだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">たいそうな勢いでしゃべっていたくせに急に黙り込むな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「おれもそう思う。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「笑いたかったら笑えばいいさ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だからこの話はこれで終わりだ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「…………。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">おまえはこの意味に気づく時が来るんだろうか。別に気づかなくてもいいが。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんた、何かごまかしてるでしょ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「いや、俺は本気だ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんたが鏡なんか大事にしてるわけないでしょ。本当のことを言いなさい！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「なんていうか、頑固な奴だな。だいたいこんなことを聞いたって何にもならんぞ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「それはあたしが決めるわ。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">やっぱり独裁者だな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「そこに何がある？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「だから、鏡しかないわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「何が見える？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「鏡しかないんだから鏡しか見えないわよ！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「その無駄にでっかい目を見開いてよーく見てみろ。何が見えてる！」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">数十秒の沈黙のあと「ひっ」という声がした。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">さらにしばらくしてから小さな声が聞こえた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あっ、あんた…、こんなものが大切なの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「こんなものって言うんじゃねえ……。おれにとっては大事なものだ…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">これを悪く言う奴は許さん。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">……たとえおまえでもな。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">だから俺は戦艦を守る駆逐艦なんだよ。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「不意打ち……じゃあないわね、これは。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「むしろあの子が鈍すぎるんじゃないの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「さっきの試着室の会話からして、他のモノなんてありえないのに…。」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">すっかりハルヒとのやりとりに夢中になって外野の存在を忘れていた。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">そのまま忘れていられれば良かったんだが……。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">と思った時。</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">「あんた……、これ、ほしいと思わないの？」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;">なななな、何を言い出すんだ、こいつは！</div>
