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餅を焼きませ」(2020/03/12 (木) 02:13:00) の最新版変更点

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<p> ぬくぬくとコタツに当たりながら横になり、床のカーペットに片肘をついて、のんびりテレビなんぞを眺めていた俺は。</p> <p><br /> 「お餅が焼けましたよ、会長」<br /> 「おう」</p> <p><br />  横合いから掛けられた声に、むくりと上体を起こした。差し出されたシンプルな白い皿には海苔で巻かれた、いわゆる磯辺餅がひとつ乗っている。<br />  目と鼻の先に居るのだから直接手渡しても良さそうなものだが、こういった手順を踏まえるのが女の矜持なのだろうから、余計な口は挟むまい。賢明な俺はそう判断しておとなしく皿を受け取り、ほかほかの磯辺餅にかぶり付いた。香ばしい海苔がパリパリと口の中で音を立てる。うむ、この歯触りは出来立てだからこその楽しみで………うん?<br />  微妙な違和感に、俺はコタツの隣の面に座るこの家の主、喜緑江美里の様子をちらりと盗み見た。彼女は既に、次の磯辺の作製に取り掛かっている。正方形の小さなコタツの大部分を占領しているホットプレートから、美味そうなキツネ色に表面を膨らませた切り餅を菜箸で取り上げ、醤油の小皿で転がし、海苔の上に乗せて…ああ、やはりそうか。</p> <p><br /> 「宇宙人流か? 磯辺餅にマヨネーズをまぶすのは」</p> <p> </p> <p> もぐもぐと味を確かめながらの俺の質問に、今まさに餅の上に少量のマヨネーズを絞ろうとしていた江美里は手を止めて、おっとりと答えた。</p> <p><br /> 「いいえ、クラスのお友達にお薦めされた食べ方だったのですけれど。お口に合いませんでした?」<br /> 「いや、これはこれでコクがあって美味い。気に入った」</p> <p><br />  言葉通り、俺は磯辺の残りを口に放り込んで、さらにもごもごと大きく口を動かす。その様にくすっと笑って、江美里は手早く海苔を巻いたふたつ目の磯辺を俺の皿に追加すると、急須を片手に傍らのポットに向き合い、そして何気なく呟いた。</p> <p><br /> 「良いものですね、こういうのって」<br /> 「………そうか?」<br /> 「あら、会長はわたしのおもてなしに、何かご不満でも?」</p> <p><br />  冗談めかした江美里の詰問に、俺は鷹揚に肩をすくめてみせる。</p> <p><br /> 「馬鹿を言え。彼女の家で二人きり、好き放題にゴロゴロして美味い食事付き。まさしく理想の寝正月という奴だろうよ、こいつは。これで文句のある奴がいたら蹴倒してやる。<br />  俺が解せんのは、だ」</p> <p><br />  皿の上の、まだ熱々なふたつ目の磯辺をつまみ上げ、ぷらぷらと指先で揺らしながら。俺は江美里にさらに問い掛けた。</p> <p><br /> 「お前がいったい、この状況の何を楽しんでいるのか、という事だ。俺が寝正月を満喫している分、お前は雑事に追い回されている訳だろう。今だって、自分の分の餅は後回しにして俺のためのお茶汲みを優先させている。<br />  年明け早々、わざわざ自分から要らぬ苦労を買って出て、いったい何が楽しいのか。俺にはさっぱり分からんな」</p> <p>「ふふ、お分かりになりません?」</p> <p><br />  はぐらかすように、くすくすと笑う。フリースの普段着姿の江美里は、あくまでマイペースに急須から湯飲みにお茶を注いでいた。</p> <p><br /> 「そうですね、冬休みが思ったよりも長かったせい、とでも申し上げましょうか。敢えて言うなら、わたしは雑事に追い回されるために会長をお招きしたのですよ」<br /> 「ほう?」<br /> 「わたしがわたしのために為さねばならない事柄など、たかが知れています。そうして為すべき事を全て片付けてしまったら、わたしはまったくの手持ち無沙汰です」</p> <p><br />  世の中には冬休み中に課題を片付けきれない者や、はたまた大掃除やら新年の準備などに四苦八苦する者も大勢居るのだがな。あまりに有能すぎるというのも考え物らしい。</p> <p><br /> 「小人閑居して不善を為す、ではありませんけれど――。<br />  そうして特にやるべき事もなくぼーっとしていると、つまらない事が妙に気に掛かったりしてしまうのですよ。今頃あの人は、どこで誰と何をしているのだろう、とか」</p> <p><br />  ふたつ目の磯辺を咀嚼中の俺の前に、湯気の立つ湯飲みをコトンと置き、そして江美里は目の前で瞳を細めて微笑んでみせる。同時にコタツの中で、俺の足の指がさりげなく密やかに、きゅっとつねられた。</p> <p><br /> 「あまり買いかぶらないでくださいね? わたし、これでも結構焼き餅焼きなんですから」</p> <p> </p> <p>  ふむ。要するにこいつにとって、俺の世話ごとき苦労と呼ぶほどでも無いのだろう。ちょうど良いレクリエーション、そんな所か。ならば別に遠慮はいらないな。</p> <p><br /> 「では、自慢の焼き餅をもうひとつ貰おうか」<br /> 「はい、ただいま」</p> <p><br />  菜箸を手にした江美里が嬉々として餅と向かい合う中、俺は再びテレビを眺めるフリをして、こっそり携帯をチェックした。特に急ぎの用件も無いのを確認すると、ピッと電源を切る。せっかくの機会だ、今日はとことんゴロゴロさせて貰うとしよう。<br />  湯飲みを手に取り、少し熱めのお茶をずずっと啜る。ほのかな渋みが舌に心地良い。ちらりともう一度、江美里の穏やかな横顔を盗み見ながら、俺はまあ確かに、正月くらいはこういう何でもない日があってもいいかもしれん、などと思ったりした。</p> <p><br /> <br /> <br /> 餅を焼きませ   おわり</p>
<p> ぬくぬくとコタツに当たりながら横になり、床のカーペットに片肘をついて、のんびりテレビなんぞを眺めていた俺は。</p> <p><br /> 「お餅が焼けましたよ、会長」<br /> 「おう」</p> <p><br />  横合いから掛けられた声に、むくりと上体を起こした。差し出されたシンプルな白い皿には海苔で巻かれた、いわゆる磯辺餅がひとつ乗っている。<br />  目と鼻の先に居るのだから直接手渡しても良さそうなものだが、こういった手順を踏まえるのが女の矜持なのだろうから、余計な口は挟むまい。賢明な俺はそう判断しておとなしく皿を受け取り、ほかほかの磯辺餅にかぶり付いた。香ばしい海苔がパリパリと口の中で音を立てる。うむ、この歯触りは出来立てだからこその楽しみで………うん?<br />  微妙な違和感に、俺はコタツの隣の面に座るこの家の主、喜緑江美里の様子をちらりと盗み見た。彼女は既に、次の磯辺の作製に取り掛かっている。正方形の小さなコタツの大部分を占領しているホットプレートから、美味そうなキツネ色に表面を膨らませた切り餅を菜箸で取り上げ、醤油の小皿で転がし、海苔の上に乗せて…ああ、やはりそうか。</p> <p><br /> 「宇宙人流か? 磯辺餅にマヨネーズをまぶすのは」</p> <p> </p> <p> もぐもぐと味を確かめながらの俺の質問に、今まさに餅の上に少量のマヨネーズを絞ろうとしていた江美里は手を止めて、おっとりと答えた。</p> <p><br /> 「いいえ、クラスのお友達にお薦めされた食べ方だったのですけれど。お口に合いませんでした?」<br /> 「いや、これはこれでコクがあって美味い。気に入った」</p> <p><br />  言葉通り、俺は磯辺の残りを口に放り込んで、さらにもごもごと大きく口を動かす。その様にくすっと笑って、江美里は手早く海苔を巻いたふたつ目の磯辺を俺の皿に追加すると、急須を片手に傍らのポットに向き合い、そして何気なく呟いた。</p> <p><br /> 「良いものですね、こういうのって」<br /> 「………そうか?」<br /> 「あら、会長はわたしのおもてなしに、何かご不満でも?」</p> <p><br />  冗談めかした江美里の詰問に、俺は鷹揚に肩をすくめてみせる。</p> <p><br /> 「馬鹿を言え。彼女の家で二人きり、好き放題にゴロゴロして美味い食事付き。まさしく理想の寝正月という奴だろうよ、こいつは。これで文句のある奴がいたら蹴倒してやる。<br />  俺が解せんのは、だ」</p> <p><br />  皿の上の、まだ熱々なふたつ目の磯辺をつまみ上げ、ぷらぷらと指先で揺らしながら。俺は江美里にさらに問い掛けた。</p> <p><br /> 「お前がいったい、この状況の何を楽しんでいるのか、という事だ。俺が寝正月を満喫している分、お前は雑事に追い回されている訳だろう。今だって、自分の分の餅は後回しにして俺のためのお茶汲みを優先させている。<br />  年明け早々、わざわざ自分から要らぬ苦労を買って出て、いったい何が楽しいのか。俺にはさっぱり分からんな」</p> <p>「ふふ、お分かりになりません?」</p> <p><br />  はぐらかすように、くすくすと笑う。フリースの普段着姿の江美里は、あくまでマイペースに急須から湯飲みにお茶を注いでいた。</p> <p><br /> 「そうですね、冬休みが思ったよりも長かったせい、とでも申し上げましょうか。敢えて言うなら、わたしは雑事に追い回されるために会長をお招きしたのですよ」<br /> 「ほう?」<br /> 「わたしがわたしのために為さねばならない事柄など、たかが知れています。そうして為すべき事を全て片付けてしまったら、わたしはまったくの手持ち無沙汰です」</p> <p><br />  世の中には冬休み中に課題を片付けきれない者や、はたまた大掃除やら新年の準備などに四苦八苦する者も大勢居るのだがな。あまりに有能すぎるというのも考え物らしい。</p> <p><br /> 「小人閑居して不善を為す、ではありませんけれど――。<br />  そうして特にやるべき事もなくぼーっとしていると、つまらない事が妙に気に掛かったりしてしまうのですよ。今頃あの人は、どこで誰と何をしているのだろう、とか」</p> <p><br />  ふたつ目の磯辺を咀嚼中の俺の前に、湯気の立つ湯飲みをコトンと置き、そして江美里は目の前で瞳を細めて微笑んでみせる。同時にコタツの中で、俺の足の指がさりげなく密やかに、きゅっとつねられた。</p> <p><br /> 「あまり買いかぶらないでくださいね? わたし、これでも結構焼き餅焼きなんですから」</p> <p> </p> <p>  ふむ。要するにこいつにとって、俺の世話ごとき苦労と呼ぶほどでも無いのだろう。ちょうど良いレクリエーション、そんな所か。ならば別に遠慮はいらないな。</p> <p><br /> 「では、自慢の焼き餅をもうひとつ貰おうか」<br /> 「はい、ただいま」</p> <p><br />  菜箸を手にした江美里が嬉々として餅と向かい合う中、俺は再びテレビを眺めるフリをして、こっそり携帯をチェックした。特に急ぎの用件も無いのを確認すると、ピッと電源を切る。せっかくの機会だ、今日はとことんゴロゴロさせて貰うとしよう。<br />  湯飲みを手に取り、少し熱めのお茶をずずっと啜る。ほのかな渋みが舌に心地良い。ちらりともう一度、江美里の穏やかな横顔を盗み見ながら、俺はまあ確かに、正月くらいはこういう何でもない日があってもいいかもしれん、などと思ったりした。</p> <p><br /> <br /> <br /> 餅を焼きませ   おわり</p>

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